もしもモルさんが暗殺者だったら   作:コナー

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第十一夜

「――何のつもりですか?」

 

 暫しの重苦しい間の後、そう投げ掛けてくる“アサシン”のフードの奥の視線は只管冷たく、恐ろしくて溜まらなかった。

 故に、その問い掛けへの答えを返す前に、ナイフ片手に怯えた衛兵達の前に震える体を仁王立ちさせるアリババが、

 

「ぅ、うるせぇ、バカ野郎ッ!!」

 

と叫んだ罵声は、同時に自らの心を少しでも持ち直そうとするがための鼓舞の役目も持った、虚勢でもあった。

 

「さ、さっきも言ったじゃねぇか! こ、これ以上殺すなってっ!」

 

 そう、答えは至って単純。――“見ていられなかった”。

 猛禽の如く縦横無尽に飛び交い、塵芥を巻き上げる突風同然に衛兵の――同じ人間の命を無慈悲に掻っ攫っていく“アサシン”に耐え兼ね、形振り構わず飛び出さずにはいられなかったというだけの事。

 あの時と同じ、危機に晒された他者の命を、道端に転がるゴミのように扱う者から守らねばという意思。

 数日前、アラジンと出会う切っ掛けとなったあの“砂漠ヒヤシンス”の襲撃で、運悪く捕食されそうになった娘へ必死に手を伸ばそうとする母親へ、心無い言葉を掛けたブーデルの横面を殴り飛ばした時と同じ、彼の内に眠る本質の、突発的な爆発だ。

 だが、それを端に発したアリババの我武者羅にして無鉄砲極まりないこの行動には、決して小さくない代償が伴う事になる。――前回よりも火急で、且つより危険な代償を。

 

(くそっ……くそっ!! またやっちまった!!)

 

 “砂漠ヒヤシンス”の時にも吐いていたのとほぼ同じ台詞を吐いたアリババの心中は、しかしあの時以上の後悔と緊張に満たされていた。

 彼が置かれた現状は、“砂漠ヒヤシンスの時とは幾つか差異がある。

 その中でも特に大きく、問題のある差異が、自身の行動によって対峙する事となった相手がブーデルでは無く、“アサシン”だという事だ。

 唯でさえ、絶対に表立った敵対は避けるべきだと自らが定めたフィダーイー(イカれた殉教者)。おまけに、理由の程こそ定かでは無いとはいえ、一度は弓兵の矢の雨から守られた借りまで今は出来上がっている。恩よりも先に疑問が沸き立つ奇行としてしかアリババ自身には捉える事が出来なかったまでも、結果的にその行為に対して仇で返す形になっている現状に変化は無く、その先に待つものも容易に連想出来るというもの。

 すなわち、与えた恩を踏み躙られて激昂した“アサシン”からの報復である。

 この“報復”という一点においても、前回との差が大変に関わって来る。前回の件の対峙者だったブーデルは莫大な借金と自らの立場を利用してネチネチ脅しを掛けて来る程度であり、多くの関係者も巻き込む事になったとはいえ、危険に晒されたのはあくまで“人生”だ。

 だが、現在の対峙者である“アサシン”が、あの大豪農と同じマネをするワケが無い。報復の手段は必然的に殺人であり、危険に晒されるのは“人生”などという遠回しなものでは無く、アリババ達の“命”そのものだ。

 右手から下げた血濡れの刃で串刺しにされるか。それとも今は左腕に収まっている隠し短剣で首を貫かれるか。あるいは一瞬にして長距離を詰め、人間を漆喰と丈夫な木材で作られた屋根すら吹き飛ばす砲弾にすら変える、冗談のようなその脚力で蹴り殺されるか。

 何にせよ、立ちはだかるにはあまりにリスキーが過ぎる相手の前に立ちはだかってしまったという、取り返しのつかない過ちを犯してしまった事だけは確かだった。

 ――おまけに……。

 片方の視線を“アサシン”から逸らさぬまま、背後に並ぶ衛兵達をもう片方の目で肩越しに伺う。

 一様に怯え、憔悴し切った表情を浮かべる男達は、つい少し前までは賊、あるいは“アサシン”の仲間と誤解してアリババ達にも剣や弓を向けていた。

 そんな彼らはアリババからすれば本来助ける義理など無くば、こうして背を向けているのを良い事に彼に不意打ちを仕掛けないとも言い切れない。

 “砂漠ヒヤシンス”の時に助けた親子とは真逆。ハッキリ言えば、先の領主同様、消えてくれた方が好ましい連中であり、いくら命の危険に晒されていたとはいえ、そんな者達のために動いてしまったという事実が更にアリババの後悔を深いものにしてもいた。

 ――でも……。

 チラリと左方、少し離れた位置から緊張した面持ちで自分達を見守るアラジンの方を見やる。

 ジン(ウーゴ)の力を借りる事が出来ない現状、少しでも危機から遠ざけるべきだとその場に残るように言い付けておいた相方の大きく青い瞳と視線を交わすや、拳を握った両手を眼前に掲げての力強い頷きが返って来る。

 その仕草に込められた声無き言葉が、形無き手となって自らの双肩を支え、勇気づけてくれているようにアリババには思えた。

 ――やるしかねぇよな……!

 自らを更に鼓舞するため、深く息を吐き、大仰に一歩踏み込む。

 依然心の内では恐怖と後悔が漂っていたが、身体の震えと全身を濡らす汗だけはそれによってどうにか収まる。

 その間も金の双眸を変わらず白ローブに向けたまま、攻め来る兆候を決して見逃さぬよう、更に鋭く、注視する。

 こうなった以上は仕方ない。しかしただ何もせず葬られる気も無い。

 まだやらねばならない事はいくつもある。

 後の衛兵達とアラジンを守りつつ、何としてもこの場を切り抜け、生き残るのだ。――そう決意を固めたアリババのナイフを握る手に、更に力が籠る。

 張り詰めた金の視線が、猛禽類の嘴のように尖ったフードの鍔の下から覗く冷たい紅の光とぶつかり合い、張り詰めた空気が静寂を漂わせ、そして暫しの時が過ぎて。

 “アサシン”の右腕が、動いた。

 同時に、その動きに反応して右手のナイフを眼前へ突き出そうとしたアリババの耳に、薄い金属板が何かに衝突したような音が伝わって来る。

 その音が無造作に放り捨てられたサーベルが屋根の上で跳ねた音だと彼が気付いたその時には、既に白いローブが彼の左隣に立っていた。

 思わず、すっ頓擧な声を洩らして後ずさる。

 ざっと前方10m程。音の正体に勘づいて無意識に視線を逸らしたほんの一瞬の間に、一切の気配を感じ取らせる事無くそれだけの距離を移動して見せた“アサシン”の脚力は実に恐るべきもの。領主邸からの脱出、先の衛兵達との戦闘、更には過去を遡る事昨日の奴隷泥棒の誤解解きの際から既に目にしているが、それでも尋常ならざるその脚力には、敵がすぐにでも自分達を蹂躙出来るところまで来ている事への危機感も忘れて、バケモンだ、と改めて驚愕せざるを得なかった。

 そして、驚きからなかなか立ち直れないアリババ達を尻目に小口から発せられた言葉が、更に彼らの耳を疑わせる事になるのだ。

 

「散って下さい」

 

「……へ?」

 

 徐かつ、かとなくうんざりとしたような白ローブの言葉に、間の抜けた声がアリババの口から洩れ、衛兵達が目を点にする。

 そんな彼らに構う様子も無く、“アサシン”の言葉が続けられる。

 

「貴方々を殺す気はありませんし、こうしていても時間を無駄にするだけです。追撃をせず、増援も呼ばない事を条件に、貴方々を見逃します」

 

 淡々と、一方的に告げ終える“アサシン”であったが、しかし直前まで大量殺人を行っていた者の口からこんな心変わりでもしたかのような発言が飛び出したところで、真正直に受け止められるワケが無い。衛兵達が顔を見合わせてざわめき立て、アリババはアリババで胸中に困惑を渦巻かせるしかないのは、当然の帰結というものだ。

 勿論、そんな事は“アサシン”の知るところではない。

 

「――もう一度だけ言います」

 

 変わらず淡々とした口調と共に、カシュリと僅かな金属音が鳴る。

 その音に反応し、続いてぎょっとしたアリババの目に入って来たのは、伸び切った“アサシン”の左腕の仕込み短剣であった。

 

「散って下さい」

 

 さもなくば、先に殉職した同僚の後を追う事になる。

 そういう脅しを込めて短剣を抜刀したのだとアリババが悟った次の瞬間には、

 

「う、わ、うわあああぁぁあぁぁぁあぁっ!!」

 

「に、逃げろ! 殺されるぅ!!」

 

金切り声を上げた衛兵達が、我先にと同僚を押し退けながら、出て来た領主の屋敷の屋根の大穴の方へ一目散に退避を始めていた。

 巻き上がる砂埃と凄まじい喧騒。文字通り命が掛かっている故の男達の恐ろしいまでの様相に再び唖然とするアリババだったが、不意に視点が前方から真下の屋根へ勝手に回転する。

 つい先程感じたばかりの浮遊感。

 急激に距離が詰まったかと思いきや、“魔法のターバン”を使ってもいないのに急速に自らの隣まで浮き上がったアラジンを目にするよりも前に、自分達が再び白ローブの両脇に抱え上げられた事を悟ったアリババの顔が、同時にすぐそこまで迫って来ている恐怖の存在にも勘づき、蒼白になる。

 間違い無い。“アサシン”がまた、自分達を連れて高所を駆けよう(飛ぼう)としている。

 

「ちょ、ちょっと待っ――」

 

 裏返りそうになる声で制止を呼び掛けようとしたが、時既に遅し。

 青と金を引き攣れた白ローブは屋敷から夜空へ躍り出し。

 一時の騒ぎが収まってようやく帰って来るかと思われた静寂の帳は、再び絶叫によって闇の奥へ追い遣られるのであった。

 

 

 

 少年達を担ぎ上げるや、再び貴族街の屋根の上を駆け出したモルジアナが思考していたのは逃走先だった。

 当初の予定では、ジャミルの屋敷からそう遠くない裏路地に事前に設置しておいた藁山の中へ飛び込み、必要に応じて巡回中の衛兵や追手の目を欺いてから教団支部へ帰還。ジャミルの暗殺完了、及び“チーシャン”での任務終了を報告するという算段だった。

 しかし領主暗殺は失敗に終わり、おまけに見捨てるわけにはいかない邪魔者達まで今はいる。自分と同じ“ファナリス”でも無ければ、“アサシン”としての訓練を積んでいる訳でも無い少年達が当然“飛鷹の舞(イーグルダイブ)”が出来るワケが無いため、地表10m以上から藁へ直行というわけにはいかなくなったのだ。

 といっても、そちらの方は左程問題では無い。本当に問題なのは、地表に下りた後だ。

 本来、ジャミルの暗殺は誰にも目撃される事無く、誰にも悟られる事無く標的を消し去る、完全な隠密暗殺(ステルスアサシネイション)となる筈だったのに、実際は失敗した挙句、お荷物二人のお蔭で先の乱戦も含むこれ以上無い騒ぎを引き起こす事となった。

 結果、死体となったジャミルが発見されるまで潜入時と変化の無いヌルい警戒が続く筈だった地上は、行き渡った領主襲撃の報によって緊張が高まった衛兵達がそこら中を行き交う有り様と化してしまった。こうなってしまった以上、モルジアナだけならともかく、素人二人を連れて何事も無く地上から貴族街を抜ける事はほぼ不可能といえた。

 一方で、屋敷群の上にいた衛兵については潜入時よりも数が明らかに減っていた。恐らくはアラジンとアリババの追跡で大半が持ち場を離れたためだろうが、何にせよ、持ち前の並外れた走力もあって、配置数の減った屋根の敵に気付かれる事無く走り抜けているのは不幸中の幸いであった。

 最も、それについても厳密には『ようやく敵に気付かれる事無く走り抜けている』というのが実状だったが。

 駆ける足を緩めないまま、横眼の視線だけを後に向けて追手がいないかを確認する。

 月灯りに照らされた家屋群の青白い輪郭線のみが浮かび上がるだけの背後の空間には、追って来たり、壁を伝って攀じ登って来たりする衛兵の影は一つも無い。

 完全に巻いた事を改めて確認し終えて前に向き直ろうとしたモルジアナだったが、しかしその視界と耳に入り込んで来た不快なモノにフードの奥の眉を顰める。

 視界に映り込んだのはアリババの顔だ。

 ジャミル邸付近でのあの戦闘からの逃走再開後、彼はずっと叫び続けていた。その喚き声の音量はすぐにでも彼を放り投げて両耳を塞いで仕舞いたい衝動に駆られる程凄まじく、同時に付近の衛兵を呼び寄せる警報の役割も果たしてしまっていたのだから堪ったものではない。お蔭で、暫くは通り過ぎた後から制止の声や暴言や矢の群れに追従される羽目になった。

 そんな彼も叫び疲れたらしく――実際は度重なる高所での高速疾走に精神が耐え切れず、昇天してしまったのだが――、今は実に安らかな寝顔を浮かべ、弛緩した身体を慣性と風とモルジアナに預けていた。その表情は、曲りなりにも逃走中である現状とは無縁の心地良さに溢れた本当に安らかなもので、逆に神経が逆撫でられる気分だ。

 だが、所詮失神している(寝ている)だけのアリババに催す不快感など高が知れている。

 今この場において彼女が感じている不快感の大本は、もう片方の方だ

 

「ねぇお姉さん、いい加減笛返して」

 

 アラジンである。

 長い三つ編みを風に揺らす彼が、アリババの絶叫が途絶えてから程無くして、思い出したように笛の返却要求を再開してきたのだ。

 音量自体は大した事は無い。少なくとも、背後を通り抜けた衛兵に気付かれない程度には。

 だが、耳元で同じ言葉を際限無く繰り返されるのが鬱陶しい事に代わりは無く、フードの後を摘ままれては離されるというちょっかいまで現在進行形で加えられているとあれば殊更というもの。

 

「ねぇ、笛返してよ。ウーゴくんを返しておくれよ」

 

 とはいえ、それに耐えるのも後少しだけだ。

 ざっと見繕って100m。

 今のペースならば5秒と経たぬ内に走り切れる距離を、建ち並ぶ家屋群の上を飛ぶよう駆け抜けたその先にあるのは、貴族街と一般街の境界線となる通り。

 そこから枝分かれして一般街側へ伸びた裏道の先にある、袋小路だ。

 元より人目に付き難い場所であり、ここに達するまでに経過した時間はまだ30分と経っていない。よって、一般街の方までは領主の襲撃の情報が伝わっていない可能性は高く、警戒度も低いと想定してここまで来たのだ。

 念を押して、通りに面した2階建ての屋敷の屋根の端から地表の様子を覗き込んでみたが、舗装された道路にあるのは左右に横並ぶ露天だけであり、市民はおろか巡回の町警史すら見当たらない。

 これならば問題は無い。

 

「ねぇ返しておくれよ。ねぇってば――」

 

 駄々を捏ねる子供のしつこい要求を無視し、屋根の端を飛び台に跳躍。

 少年達を連れて迷う事無く飛び上がったモルジアナの体が夜風を切って達したその頂点と地表からの距離は10m弱。常人は勿論の事、他の“兄弟”でも藁無しに落ちれば骨の二、三本は罅が入るだろう高さだ。

 だが、“ファナリス”である彼女の人より屈強で柔軟なその足腰ならば、すかさず下方に向きを変えた力と二人の少年の重みによる加速で急速なまでに増加した落下速度も、難なく押し殺す事が出来る。

 そのまま、少しばかりの着地音を立てて漆喰の壁に左右を囲われた袋小路の手前に降りたモルジアナは、再度周囲を確認しつつ奥へ移動する。そして、前方を塞ぐ壁まで後1mという一まで来たところで振り返り、両脇のアラジンとアリババを地面の上に放り落した。

 揃って顔から土へダイブさせられる事になった少年達の内、アラジンが、わっ、と小さな悲鳴を上げ、一方で気絶したままのアリババは頭を地面に滑らせ、モルジアナに向けて結ばれた白の上着の裾に覆われた尻を突き出すような格好で寝そべる。

 そんな二者二様のリアクションを気にも留めず、片や持ち上げた顔を押さえて呻き、片や変わらずケツを突き出したままの少年達の間を進んでその前で立ち止まるや、

 

「ここまで来れば貴方達を追う者もいません。笛は返せませんから、もう付いて来ないで下さい」

 

とだけ告げて腰を屈め、少年達を後にその場から跳び去ろうとしたが、出来なかった。

 感じた違和感のままに振り返ってみれば、やはりローブの後裾の端をアラジンに掴まれていた。

 

「……離して下さい」

 

「ヤダ」

 

 うつ伏せに寝そべったまま、裾をガッチリ掴んだ両手だけで上半身を持ち上げて追い縋ろうとする彼の目が、真っ直ぐにフードの奥のモルジアナの双眸を見返して来る。

 

「ウーゴくんは僕の大事な友達なんだ。お姉さんがウーゴくんを返してくれるまで、絶対離さない」

 

「ウーゴくん? 貴方の友だとかいう?」

 

 笛を奪い取る直前に紹介された、筋骨隆々の巨大な二本の腕がモルジアナの脳裏に思い起こされる。

 考えてみれば、アレは一体何だったのか?

 蛇のように笛の尻から飛び出して来たかと思えば途端に引っ込んだあの腕について与えられた情報は“アラジンの友”という真偽の疑わしいものだけで、それ以外は一切が謎。むしろ、あの瞬間目にした事全てが現実のものだったのかさえつい疑ってしまう程……。

 ――“現実かさえ、疑ってしまう”……?

 不意に浮かんだ“ある可能性”に、ハッとモルジアナは頭を上げた。

 そうだ。アレは現実では無かったのだ。

 ――ウーゴの正体は笛――“ジンの金属器”と呼ばれたあの“秘宝”が見せた、“幻”だったのだ。

 間違い無い。アレが“エデンの林檎”と同じ秘宝であるというのならば、発動したその力によって気付かぬ内に幻惑されていたとしても不思議ではない。

 彼女自身だけでなく、今は地面に突っ伏しているアリババも、笛の所持者であったアラジンも。

 だとすれば――。

 

「何があっても返せません」

 

「どうして?」

 

「あの笛がとても危険な代物だからです。それに恐らく、貴方はあの笛に魅了(・・)されている」

 

 最初に(ウーゴ)を目にした時、それよりも“秘法”自体に目が向いていた。それに、目の前の少年が、ほんの少しの好印象だけで暗殺者に助けを求める特殊な思考倫理を持つ人間である事もその時点では既に知っていた。

 だが、それでも疑問に思うべきだったのだ。――あのような異形(唯の幻)を平然と友と呼ぶこの少年は、果たして正常なのか、と。

 答えはノーだ。

 恐らく、彼は既に“秘法”の魔力に魅了されている。“秘法”によって、唯の幻(・・・)を友と思い込まされている。そして存在しない友を救い出さんとしているようで、実は刷り込まれた“秘法”への強大な依存心に無意識に従って取り戻そうとしているだけなのだ。

 ならば、尚の事笛を返す訳にはいかない。

 

「貴方が友と思っているものは、あの笛が見せた唯の幻想(・・・・)に過ぎない。貴方に笛を返せば、きっといずれ、笛は()を通して貴方や周囲の人間に破滅を齎します」

 

 今はまだ“幻の腕を友と思い込まされている”程度の魅了だが、今後も笛を持ち続けて悪化したそれがどのように変貌するかは全くの未知数。

 最悪、自分だけでなく周囲すらも“秘法”の誘惑に晒し、堕落させ、取り返しのつかない恐ろしい事態を引き起こしてしまうかもしれない。かつて“林檎”の力に堕落し、“教団”だけでなく“聖地(エルサレム)”まで掌握、支配しようとしたという、先代大導師のように。

 

「やはり貴方には“大導師”様のように“秘宝”を扱える才能は備わっていない。笛も、友の事も忘れなさい。アレは貴方に害しか及ぼさ――」

 

「違うもん」

 

 不意に響いた声に、諦めさせるために敢えて声のトーンを強くして告げていた言葉を遮られた。

 

「ウーゴくんは幻なんかじゃない。僕の大事な、自慢の友達なんだ。なのに、何でそんな酷い事言うの? ウーゴくんがお姉さんに何かしたかい?」

 

 いや、本当にモルジアナの言葉を遮ったのは声じゃない。変わらずフードの影の中の双眸を見つめてくる、澄んだアラジンの双眸だ。

 いつの間にやら目尻に涙が溜め、逆ハの字になった細い眉に沿うように険しくなったその目から放たれる視線に。

 信じ難い事に、“アサシン”でも何でもない、自分より年下の見るからにひ弱な少年の視線に、気付けば射竦められていたのだ。

 

「笛を返して。ウーゴくんを呼ぶから、今お姉さんが言った事、全部謝っておくれよ」

 

 獣を前にしたような、分かりやすい威嚇や恫喝が含まれているワケでは無い。

 只管に静かで、それでいて得体の知れない威圧感に圧迫され、声を喉から先へ出せない。

 だが、このまま喋らせるままという訳にもいかない。

 

「……ですから、貴方の友は幻に――」

 

 足元からの眼力をどうにか耐え凌ぎ、どうにかそこまで声を絞り出せた、その刹那。

 

「違う!!」

 

 今までの表面上は穏やかだった口調から一転した苛烈な怒鳴り声が、少年の小さな口から発せられた。

 ギャップと予想外の苛烈さに僅かに怯むモルジアナ。

 その隙に乗じたかのように、掴んでいた裾を引っ張って立ち上がったアラジンの掌が突き出される。

 

「笛を返して。――今すぐ、ウーゴくんに謝って」

 

 そう告げるアラジンの据えた目は凍えるように冷えた眼光を放ち、先程までの静けさを取り戻した言葉の裏に込められた威圧感はこれまでの比では無かった。

 そして、その眼光と威圧感を一身に向けられた若鷲は動揺していた。――“ファナリス”の“アサシン”である自分をたじろがせるこの少年は、一体何者なのか、と。

 そうして睨み合いに発展する内に、フードに隠れた額に冷や汗が滲み出してきたモルジアナが後ずさりしそうになったその寸前、

 

「あら」

 

思わぬ助け舟が入った。

 

「こんなところで何してるのモルジアナ? 任務はどうしたの? その子達は?」

 

 声のした左手、袋小路の入り口側へ咄嗟に振り向いたモルジアナの視界に現れたのは。

 普段目にする上着付きのローブ姿から一転した、筋骨隆々の身体にあまりに不釣り合いな薄い衣装を身に纏った“アサシン教団 チーシャン支部”管区長、バートリーであった。

 

 

 

 それから時と場所は移り、貴族外と一般街の通りに面する歓楽街。

 先の袋小路付近とは一転して、むしろ昼間より活気が増しているその一帯の一角、入り口上から露出の激しいドレス姿で誘うような姿勢の美女の絵と共に“摘み取られた薔薇”という店名が綴られた看板が見下ろすその店の奥にアラジン達は招かれていた。

 

「――なぁ、アラジン」

 

「何だぁい、アリババくん?」

 

 案内された横広の部屋は前方に片開きの簡素な扉が一つだけあり、後方には壁に張り付けられた鏡と台、同数の椅子で構成されたシンプルな化粧台が横並んでいる。その右側には幾つかの露出度が高いドレスが木製のフックに掛けられ、左側の床隅には衣類の放り込まれた籠が乱雑に置かれている。

 ここまで彼らを連れて来たバートリーとかいう異様に大柄で筋肉質な女性? がスタッフルームとか何とか呼んでいた覚えがあるその部屋のたった一つの出入り口を、適当な化粧台の椅子に同じように座っているアリババの声に明るい返事を返す間も、アラジンは期待の眼差しで見つめ続けていた。

 今の彼は、頗る上機嫌であった。

 

「その、何で俺達こんなトコにいるんだっけ?」

 

「もぅ、アリババ君ったら! “アサシン”のお姉さんの知り合いのバートリーってオバサンが、笛を返してくれるからここで待ってろって、僕と気絶してたアリババ君をこのお店まで連れて来てくれたんだよ。さっき言ったばかりじゃないか!」

 

 そうなのだ。

 あの袋小路からここに来るまでの途中、“アサシン”――確かモルジアナ、あるいはヘイザムとバートリーは呼んでいた――と何やら話し合っていたバートリーが突然アラジンの方を見下ろすなり、笛を返してくれると言ってくれたのだ。

 すぐさま、その横にいた“アサシン”が驚愕を顕にしていたが、諌めるようなバートリーの言葉の後に、恐らく笛を保管してある場所――しぶ、と言っていた気がする――へ取りに行けという彼女の命令を受けるや、渋々という感じで去って行ってしまった。

 それから、ごめんなさいね、とか、ウチの娘が迷惑掛けちゃって、とか謝るバートリーに連れられるまま歩いて辿り着いた“摘み取られた薔薇”にて、彼女と“アサシン”が笛を持って来るまで暫し待つようにいわれ、現在に至るというワケだ。

 

「ああ、そうだったな。えっと、まぁ、その、うん、良かったな。(ウーゴくん)、返してもらえる事になって」

 

「うん! 楽しみだなぁ。あの扉が開いたらウーゴくんが帰って来るんだよ!」

 

 両手で頬杖を付いて、ウフフ、と満面の笑みを浮かべる今のアラジンの頭の中は、再会したウーゴと何をするか、という思考一色で埋め尽くされている。部屋に案内されるまでに出会った、いつもならば迷う事無く飛び込んで、その柔らかさを堪能しているだろう幾人の美女(お姉さん)も、今この時のみは彼の頭の片隅にさえ存在していなかった。

 笛を奪われてからもう一日過ぎている。きっと彼も寂しがっていた筈だ。やはり笛が戻って来次第呼び出して抱き合い、慰め合うのが一番だろう。

 その後はすぐに“アサシン”にウーゴへの侮辱を謝罪してもらうのだ。もう一度ウーゴを目にすれば、流石に彼女も彼が幻でも何でも無い、ちゃんと実体のあるジンだと分かってくれる筈……。

 そこまで考えて、ふとアラジンの頭に疑問が過った。

 

「そういえばね、アリババくん」

 

「ん?」

 

 呼び掛けと共に振り向いたアラジンの視界に、左腕で頬杖を突く顔を明後日の方向に向けたアリババの姿が入って来る。

 どうやら何かを考え込んでいる様子だった。

 一瞬、今話を振るのはマズかったかと心配したアラジンだったが、すぐに返って来た返事を受けて気を取り直し、改めて自らの内に生まれた“疑問”について話し始めた。

 

「ここに来る前の袋小路(行き止まり)で――アリババくんが気絶してた時の事なんだけどね。“アサシン”のお姉さんが言ってたんだ」

 

「何て?」

 

「僕が笛を返せって言ってたらね、お姉さん、“笛は危険だから返せない”って」

 

 いや、あの時だけじゃない。

 思い起こせば、笛を奪われたあの瞬間も、

 

『これは貴方方が持つには危険過ぎる』

 

と、彼女は言っていた。

 

「あと、僕に“だいどうしさま”って人みたいに“秘宝”を使う才能が無いから返せない、とも言ってたんだよ」

 

 それらの発言を省みる限りでは、“笛が欲しくて盗んだ”というよりも、むしろ、

 

「どういう事なんだろ? もしかして“アサシン”のお姉さん、僕達を助けようとしてくれたのかな?」

 

というふうに受け取れた。

 そもそも、“アサシン”の行動の真意を彼らは、少なくともアラジンは、ウーゴを取り戻す事に躍起になるあまり考える余裕も無かったし、一度は“アサシン”の事を“優しい”と評した当の彼自身としても、彼女自身の欲ではなく、自分やアリババの為の行動であったという方がむしろしっくりと来た。

 無論、どういう印象を抱こうが出会って間もない少女の思惑など完全に見通せる訳も無ければ、ずっと一緒だった親友の事を危険だ幻だと言われても信じるどころか侮辱されているとしか思えない事にも変わりは無い。

 結局のところ、今し方アリババに振った意見も推測の域を出ないのであった。

 

「……なぁアラジン?」

 

 アラジンの問い掛けから少し経ったところで、そっぽを向いていたアリババが唸ってから、顔を彼の方に向けた。

 心なしか、僅かに眉を顰めたその顔には思い詰めたような表情が浮かんでいる。

 

「俺もちょっと考えてたんだけどさ――」

 

 とまでアリババが言い掛けたのとほぼ同時のタイミングで、小さな軋みが彼の耳に伝わって来た。

 その音に反応し、即座に振り向けた顔の先には、予想通り待ち望んだモノが待っていた。

 今まで着ていた長袖のローブとは対象的な、胸元から上を露出したドレス姿の“アサシン”と、その前で床から2m超しか離れていない(・・・・・・・・)天井に頭を打たないように巨体を中腰の姿勢にして部屋に入り込んで来るバートリー。

 そしてバートリーの巨大な手の中から、持ち主が送る眼差し以上の輝きを発しているアラジンの笛であった。

 

 

 

『今すぐ支部に戻って、この坊やの笛を取って来てあげなさい』

 

と、唐突に指示された時、思わずバートリーの正気を疑わずにはいられなかった。

 しかし有無を言わさずと言わんばかりの彼女の強い口調と、後で答えるから、の一点張りには取り付く島も無く、渋々笛を回収しに支部へ戻らざるを得なかった。

 その際、ローブの代わりに着て来るように、と同時に指示を受けたのが今身に着けているドレスと靴であったのだが、受けた時点では疑問しか浮かばなかったそちらの方の指示の理由も、待ち合わせ場所として指定された店の正体を知った今となっては呆れと共にモルジアナは理解せざるを得なかった。

 “摘み取られた薔薇”と名付けられたその店は、今彼女が身に着けているもの以上に際どい格好の女性達がちょっとした奉仕活動(・・・・)を行う、そういういかがわしい類の店なのだ。

 成程。確かにこういう店に入るのであれば、いつもアサシンのローブやその下に着込んでいる黒のワンピースでは悪目立ちしてしまうだろう。

 それならそれで、何故態々着替え無ければならないような場所を待ち合わせ先に指定したのか、という疑問も浮かんで来ないでもなかったが、事前に彼女が口にしていた、店の娘が休んだだの、ヘルプがどうだの、という台詞や、以前“収集隊”の“兄弟”から聞いた彼女の“表の顔”が記憶の片隅から蘇って来た時点で、呆れが増すと共にそんなものは霧散してしまった。

 それに、協力者でも何でもない一般人を支部に連れ込む訳にもいかないし、かといって適当な路地裏ではほんの僅かではあろうが、巡回中の町警史や夜道を歩く市民に発見される可能性が無いワケでも無い。その辺りを考慮すれば、“結果的に”という言い回しを頭に付けざるを得ず、且つ未成年を連れ込むには不適当極まりなかったが、客と商売女(ホステス)達が店の内外を問わず入り乱れるお蔭で、ドレス姿でいる限り目立つ事の無いこの店を選んだバートリーの判断は、強ち間違ってはいなかった。

 最も、アラジンに笛を返す事を承諾した方の判断については、未だに疑問だらけだが。

 故に、店の奥の廊下の突き当たりにある“スタッフルーム”と彫られた木板が掛けられた戸を開くや、

 

「わーい、ウーゴくーん!」

 

目を輝かせて突進して来た青髪の少年がバートリーの下に辿り着くよりも前に、身を乗り出してその足を阻んだのだ。

 

「ちょっとモルジアナ。何やってるの、そこをお退きな――」

 

「その前にいい加減答えて下さい。どうして彼に笛を返すのかを」

 

 即座に飛んで来るアラジンの文句とバートリーの鋭い眼光に構わず、更にモルジアナは言葉を続ける。

 

「この笛は“ジンの金属器”という“秘宝”だという事は既にバートリーさんにもお伝えした通りです。それに、この少年は既にウーゴという幻の友を見てしまう程に笛に魅了されている事もここに来るまで話した筈」

 

 であるにも関わらず“秘宝()”を返すなど、更にアラジンの魅了が進行し、遂には堕落しても構わないと言っているにも等しい。それが分からないバートリーでもないだろうに、これではあまりにも解せない。推測すら及ばない彼女の不可思議な意図は、是が非でも確認しなければ。

 だからウーゴくんは幻なんかじゃないってば、という横からの少年の文句を無視しつつ、その特徴的な顔をじっと見つめるモルジアナ。

 それに対して巨体の管区長が行ったのは、

 

「ふぅ」

 

露骨な溜め息であった。

 さも、お前の言っている事はまるで的外れだ、と言わんばかりのあまりな態度に覚えた苛立ちに眉を顰めるモルジアナを尻目に、笛の返却を容認した理由がようやくその口から紡がれ出した。

 

「簡単な話よ。この笛が“ジンの金属器”だからよ」

 

「どういう事ですか?」

 

「多分貴方は知らないだろうけど、“金属器に封じられたジンは、自らを使う人間を選ぶ”っていう伝承があるの。つまり、この笛を使う事が出来るのは笛に宿るジンに認められた人間だけで、そこの坊やはジンに笛を使う資格があると認められているワケよ」

 

 つまり、“笛を扱う資格を与えられている唯一の存在であるアラジンが、笛に誘惑されるなど有り得ない”というのが、爬虫類染みた縦長の瞳を件の青髪の少年に向けるバートリーの意見ということらしい。

 だが、その論理は到底鵜呑みに出来るものでは無い。

 

「その伝承とやらは本当に正しいのですか? それに、最初に笛をお渡しした時は、そんな事は一言も仰られていませんでしたが?」

 

 “伝承”というからには、それこそ真偽の確かめようも無い過去の遺物からの情報が人伝えに伝えられて来たものと見ていいだろう。そんな不確かな話を根拠にするなど、こういっては何だが、“真実は無い”を信条とする“アサシン”にあるまじき思考だ。

 後者の笛を預けた時についても、むしろ、彼女自身やその場にいた“収集隊”の“兄弟”も少なからず表情を強張らせていた筈だ。

 だのに、心変わりでも起こしたかのようなこのバートリーの変化はどういう事なのか?

 そんな事は無いと思いつつも、心に一抹を生じさせるモルジアナの耳に返って来たのは、予想外で、しかし予想通りの答えだった。

 

「ええ、正しいわ。だって貴方がジャミルを始末しに行った後、試してみたもの」

 

「試した? ――まさか」

 

「そのまさか。笛を吹いてみたのよ、“収集隊”の連中と一緒に」

 

 瞬間、え゛ぇ゛っ、という嫌そうな声と共に赤い双眸がギョッと見開かれる。

 すぐさま詰め寄ろうとしたが、大丈夫よ、とその前に翳されたバートリーの開いている方の手によって押し留められる。

 

「私も含めて、誰も誘惑されていないわ。もし魅了されていたなら、まず返そうなんて気が起きて無いわ」

 

 というか、そもそもジンどころか音すら出無かったわよ、この笛、と付け加えるバートリーは聊か不満げであったが、しかし、これで“金属器に宿るジンが使い手を選ぶ”という“ジンの金属器”に関する伝承の正当性が証明されたのは確かだった。

 

「さて、これで私からの説明は終わりだけど、まだ何かあるかしら?」

 

 言葉と共に、異様なまでに高い鼻先が向けられる。

 本音をいえば納得し切れていないが、しかし伝承を基にし、自らの身を持って笛の安全性を証明して見せたバートリーの意見は筋が通っている。これ以上追及しても、状況が変化する事はまず無いだろう。

 仕方なく、小さく左右に振った首で返事を返し、背後のアラジンがバートリーの方へ歩み寄れるようにモルジアナは横に下がった。

 予期せぬ声が彼女達の耳朶を打ったのは、それからアラジンが笛を受け取るほんの少し前の事だった。

 

「あの、すんません」

 

 アリババであった。

 今の今まで蚊帳の外だった彼が、化粧台の端の方からひょっこりと手を上げていた。

 

「ちょっとぉ、質問がありまして。……その――」

 

 少しビクついた様子で、トーンの落ちた声と共に、掌を向けられていた彼の右手が倒され、そこから一本だけ微妙に伸びた人指し指が、

 

「――“アサシン”(そっちの娘)に」

 

モルジアナを指していた。

 

 

 

「……何ですか?」

 

 憮然とした口調でそう返す“アサシン”の不愉快そうな視線に射抜かれ、アリババは思わず唾を呑みそうになる。

 先の戦闘の終わり際に彼女の前に立ちはだかった事を根に持たれてしまったのか。

 鎖骨の下まで露出したドレス姿のため、ローブ姿の時はサイドテールに結わえた赤髪と端正な顔立ちごと特徴的な目元を持つ紅の目を隠していたフードは、今は存在しない。それ故の直の眼光は、唯でさえ竦み掛けている彼に容赦の無い圧力を掛けてくる。

 だが、ここで挫けるワケにはいかない。

 意を決し、“アサシン”の視線に耐えるために奥歯を噛み締めていた口をアリババは開いた。

 

「その、何で俺達を助けてくれたのかな~、なんて」

 

 余計な刺激を与えないよう、愛想笑いを浮かべて頭を掻きつつ尋ねたそれは、彼がこの部屋で覚醒してからずっと思考していた事であり、また先の戦闘に限った事でも無い。領主邸に逃げ込んですぐ衛兵に襲われた時。そして彼女と始めて言葉を交わす事となった、奴隷泥棒の罪から救ってくれた時の事も含まれている。

 

「いや、だってさ、そんなつもりはからっきしなんだけど、俺達って君の邪魔しかしてないしさ。ホントならとっくに、その、死んでてもおかしくないっていうか……」

 

 むしろ、そうなっている方が自然というものだ。

 言葉通り、アリババ達が今まで“アサシン”にやってきた事は彼女への邪魔やちょっかいばかりであり、怒りを買う事はあっても、何の義理も無い彼らを危機から救う理由は無い筈。殺気だった兵士の群れのど真ん中に捨て置かれるなり、あるいは“アサシン”自らの手で喉笛を裂かれるなりされる方が、受け入れられるかどうかは別として、よっぽど理解できる。

 にも関わらず、“アサシン”はアリババ達を三度も、それも後半二回は容易く葬れる状態の敵を放ってまで、窮地から救い出した。

 更にはアラジン曰く、彼の笛を盗んだ一件さえも、詳細こそ未だ不明だが“ジンの金属器”欲しさではなく、彼らの身を案じての行動だったという。

 これはどういうことなのか?

 “見ず知らずの自分達を救う”ために行われた一連の行動は善行といっても差し支えない。ハシシ(大麻)野郎やフィダーイー(イカれた殉教者)とまで揶揄される“アサシン”の執念深く暗いイメージとは正反対のものだ。それだけを省みれば、かつてアラジンが評していた“優しい人”の方が、むしろしっくりと来る。

 だが一方で、その“優しい人”が人間を容易く無慈悲に殺める事が出来る、噂に違わない暗殺者としての一面を持っているのもまた事実。

 “優しい人”と“アサシン”。相反する二つの顔。

 一体どちらが、目の前の赤髪の少女の本当の姿なのか? ――それが、“アサシン”が自分達を救った理由を考える内に辿り着いた、アリババの疑問であった。

 

「……貴方方が罪無き者だからです」

 

 暫しの沈黙の後、無表情のままの“アサシン”の小口が不意に紡いだ答えは、あまりに唐突だった。

 

「罪無き者?」

 

 反射的に返したアリババの酷く上ずった声が、あまりに予想外の返答によって彼の内に生まれた驚愕と疑念を如実に表わしていた。

 まさか、暗殺者の口からそんな言葉を聞こうとは夢にも思わなかった。

 だが、彼を襲う衝撃はこれだけに留まらない。

 呆気に取られて目を丸くする彼にお構いなく続けられた少女の言葉が、彼を更なる戸惑いの中へ誘うのだ。

 

「罪無き者、虐げられる者に手を差し伸べる事もまた“アサシン”の使命。それに従って、窮地に陥っていた貴方方を救ったまでの事です」

 

「? “アサシン”の使命?」

 

 ――人を助ける事が?

 つい、逆だろ、人殺しがだろ、と言い掛けた口を、余計な事を言って怒らせないために咄嗟に押さえる。

 幾人も殺してきた暗殺者がいきなり人助けを使命などと言い出しても、悪い冗談か、幻聴か、さもなくば妄言にしか聞こえない。

 ――いや、待てよ。

 ふと、脳裏に“ある事”が思い出される。

 “アサシン”に纏わるもう一つの噂。“フィダーイー”――イカれた“殉教者”と謂われる所以たる、とある宗教団体の噂を。

 口に手を当てたままつい思考の海に乗り出し掛けたアリババだったが、程無くして背筋に感じた悪寒により、否応無く現実へ戻って来る。

 見れば、“アサシン”の釣り上がり気味の目が細まった状態で彼を見据えていた。

 彼の仕草を、話をまともに聞いて無いと受け取ったのか。悪寒の正体だとすぐに気付いた異様に冷めた視線が丹念に磨かれた槍の鋭さを持って見返すアリババの目を貫き、後ずさりさせる。

 が、それもすぐに途切れる。

 “アサシン”が踵を返し、

 

「支部に戻ってます」

 

とだけバートリーに告げ、入って来た扉を潜り抜けようとしたからだ。

 

「ちょ、ちょっと待てよ!」

 

 咄嗟に呼び止めるアリババ。

 その声に“アサシン”の足が止まるも、しかし振り返った無表情の横顔から言葉までは返って来ない。

 

「勝手に切り上げてどこ行くんだよ!? まだ話は終わってないっての!」

 

 勝手に消えようとした事への不愉快さからか、無言の少女に構わず発し続けた声が、自分でも驚く程に張り上がっていた。

 反して、変わらず顔を向ける事無く、視線だけをチラリと寄越した少女の声は冷めきっていた。

 

「――もう話す事はありません」

 

「いやだから、あんたには無くても俺がまだ――」

 

「何を仰りたいのかは分かりませんが、無意味です。“アサシン(私達)”の目的を理解しない貴方方とこれ以上話を続けたところで、何の益も無い」

 

 聞く前から無駄だと言わんばかりの“アサシン”の物言いを、しかしアリババは否定しなかった。

 彼女の言う通りだったからだ。――『“アサシン”の目的を理解しない』というその一点においては。

 むしろ、理解したくなど無いといった方が正しい。

 何故なら、

 

「“ダイドウシ”って奴から言われた事なんだろ、その目的っつぅのは!?」

 

十中八九彼自身の口から吐き出された、その台詞の通りだからだ。

 

「――“アサシン教団”っていうんだよな? あんたらが入ってる、組織の名前」

 

 “アクティア王国”山間の奥地に存在するとされる小さな村。険しい道程故に存在からして風の噂の息を出ないその村に本拠地を構えるとされる、いかがわしい宗教団体の噂。

 子供を攫い、大麻漬けにして道徳心や恐怖心を始めとする理性を奪った上で人殺しの術を教え、命知らずの殺人鬼へと仕立て上げて敵対者の暗殺を行わせると実しやかに囁かれる暗殺者集団――“アサシン教団”。

 彼らの目的もまた定かではなく、噂を語る者に応じて大なり小なり差異が生じてくるが、どれも必ずといって良い程特定のキーワード――“神”、“楽園”といった、聞くからに胡散臭さの漂うもの――が含まれるという点で共通しており、そこから連想されるのは凡そ真っ当なものでは無い。

 その話自体は“チーシャン”で“アサシン”の活動が騒がれ出すよりも前から、バイト中に荷馬車に乗せていた客の何人かから他愛無い談笑や都市伝説程度の意識で聞いた事がある。その時点では根も葉もない噂話だとまともに受け取っていなかったが、目の前の少女と幾度か目にした彼女の“行為”という証明を前にした今となっては、件の噂は事実と認めざるを得なかった。

 そして同時に、その噂に対する彼の印象、想起される感情も大きく変わっていた。以前の奴隷泥棒の件で“アサシン”を探すアラジンに嫌々付き合わされた時の、腐った世の中、というぼやきが、その感情の変化が如実に現れた良い例だ。

 しかし、そうなった経緯はどうあれ相手が薬漬けとあってはまともな対応は不可能、残念ながら手遅れと無意識に判断していたために、あの時は世の中の理不尽さに憤りはしても、その先へ踏み込む事は無かった。

 だが、目の前の少女はパッと見正常で、その上見ず知らずの自分達に何の見返りも無く救いの手を差し伸べる善意すら持っている。

 まだ完全に大麻に理性を潰されていないのかは分からないが、ともかくまだ手遅れでは無いのだ。

 “真っ当な道に引き戻せる”可能性があるという事だ。

 

「あんたが何言われてるかなんて知らねぇよ。でもやってる事って殺人だぞ? 人殺しだぞ? どれだけ崇高な目的があろうが、君みたいな女の子拉致って(ヤク)漬けにして、無理やり人を殺させるなんて、どう考えたって碌なモンなじゃねぇ。イカれてるんだよ、“教団”も、その“ダイドウシ”って奴も」

 

 そして、先程もアラジンの口からほんの少しだけ出て来た“ダイドウシ”という者こそ、恐らくは少女を“アサシン”へと仕立て上げた全ての元凶。

 彼女だけでなく、多くの人々を大麻(ハシシ)野郎へと変え、両手を血に染めさせる憎むべき畜生というワケだ。

 

「――抜け出そうぜ、こんなカルト宗教!」

 

 自らの口を突いて出た言葉に驚いたのは、アリババ自身だった。

 彼女の後、アラジンの傍で威容を静かに控えさせるバートリーも、ほぼ間違いなく“教団”の一員。どういうわけか今のところそれらしい兆しは見えないが、実質的に監視役と化している彼女の前でこれまでの“教団”への侮辱染みた発言がどういう結果を齎すかは明白である。故に、こんな発言はいつもならば例の病気に邪魔され、飲み込んでしまっている筈だからだ。

 だが、今は違う。

 

「考えろ。人の命奪って“神”様だの“楽園”だの言ってる頭おかしい集団から抜けたって、誰もあんたを咎めやしねぇ。あんただって本当は人殺しなんて嫌だろ?」

 

 一人の少女を、それも三度も窮地を救われた恩義がある少女を人殺しの身から引き戻す事が出来る。

 大麻と狂信で人の人生を狂わせ、人の命等塵芥程度にしか考えない非道極まりない集団から救い出す事が出来る。

 そういうまたと無いチャンスが彼の肩を押し、普段ならば絶対踏み込みはしないだろう領域まで踏み込ませていた。

 

「そりゃ追手とか来るかも知れねーよ。けどあんたはもの凄く強いし、今ならウーゴくん(アラジンのジン)の力だって借りれるんだ。何も怖かねーよ。それならそれで、一緒に戦おうぜ!」

 

 “砂漠ヒヤシンス”の一件や先の戦闘時と同様に、

 

「“自由”のために! “教団”や、“ダイドウシ”と!!」

 

感極まって手を勢い良く差し出す程に。

 今のアリババは“吹っ切れていた”のだ。

 故に気付けなかった。

 自分が踏み込んだ領域が、決して手を出してはいけない凶獣の縄張りだった事に。

 

「……知ったような事を……」

 

 ポツリ、とアリババに背を向けたまま“アサシン”が洩らした呟きは、しかし当のアリババの耳に届く事は無かった。

 発せられるや、別の音に掻き消されてしまったためだ。

 彼女の足下で割れ、四方へ破片を飛散させる床のタイルの、その破砕音によって。

 

「ぃい゛っ……!?」

 

 突如割れた固い石のタイルに、共にぎょっと目を見開いたアリババとアラジンが飛び上がったのはほぼ同時であり、それから数刻後に、あ、と砕けたタイルの残骸へ縦長の目を下げたバートリーに構わず“アサシン”がゆっくりと、ゆっくりと振り返る。

 そうして再び目にする事になった彼女の顔に、う゛っ、という嫌な呻き声がアリババの喉の奥から込み上げて来た。

 

「“アサシン(私達)”が誰のために、何のために存在するのか知ろうともしないくせに……」

 

 浮き上がっていた“アサシン”の左足が不意に視界から消えたと思ったその刹那、その足を覆う鮮やかな赤い靴の裏が着いた新たなタイルが無数の破片と化し、甲高い音と共に飛び散った。

 信じ難い事に、滑らかな輪郭を描く少女の足が固い石のタイルを踏み割っていたのだ。

 

「“大導師”様がどんなお方か知りもしないくせに……」

 

 三枚目のタイルが割られた音が部屋内に響く。

 “アサシン”が一歩踏み出していた。

 直後に肩を跳ねさせ、一歩あとずさるアリババへ向けて。

 

「師や“兄弟”達のように、自分の手を汚してまで誰かを救った事も無いくせに……」

 

 ゆっくりと、“アサシン”が歩み寄って来る。

 彼女の動きそれ自体は、身に着けているドレスの布擦れの音すら全く無い完全な無音だったが、その足だけは一歩踏み込む度にけたたましい音を鳴り響かせている。

 まるで彼女の足下だけが異空間と化してしまったかのようなその近づき方は只管に不気味で、忙しなく耳朶を叩く破壊音と共にアリババの内の恐怖を煽って来る。

 ――いや、それ以上に彼の恐怖を呼び起こして来るものがある。

 俯いた“アサシン”の顔。垂れた前髪とその影に隠されて目にする事が出来ない、その上半分――特徴的な目元。

 見えない筈なのに、覆い隠されている筈なのに。

 それなのに、視線が。

 闇の中に姿を隠し、何処からともなく殺意だけを只管獲物に注ぐ肉食獣のように鋭い視線が。

 射殺さんばかりに彼を貫き、笑い出した膝を動かせ、後退させていくのだ。

 だがそれも終りだ。

 下がり続ける内に、遂に背後の壁に貼られた鏡と背が密着し、すぐ手前まで“アサシン”に接近されてしまった今や、アリババに退路は残されていない。

 視界の更に後で、止めろ、だの、店が壊れる、だのという制止の声など、どちらにも聞こえない。

 

「知ったふうな事を――」

 

 もはや、先程までの勢いは一欠片も残っていない。

 背後の壁にへばり付き、尚も逃れようと足掻く今のアリババの心を代わりに満たしていたのは、恐怖と疑問と後悔だった。

 自分は確かに少女を救おうとした筈だ。“アサシン教団”や“ダイドウシ”だって、どう考えたって碌な奴らじゃない筈だ。なのに、何故こうなる? 何故、こうも声に怒りが滲み出ている!?

 皆目見当が付かない。

 だが自分が“アサシン”の逆鱗に触れるような発言をしたらしいのは確かであり、結果招いてしまった現状は、やっちまった、などという簡単な言葉で済ませられそうにない。

 怯え切り、引き攣って視点の定まらない目で赤い頭頂を見下ろすしか出来ない程に硬直してしまったアリババの思考は、もはや凍結寸前であり。

 視界の端でフッと消えた“アサシン”の右足が、そんな彼の頭へのトドメとなった。

 

「――言うなアァッ!!」

 

 一喝。

 同時に、耳のすぐ傍から一際大きい破壊音が颶風と、大小の漆喰と硝子の破片を伴って襲い掛かって来る。

 勢い良く鋭い破片群が降り掛かるが、それらがアリババを傷つける事は無く、後から追い掛けて来た粉塵共々彼の丈の長い上着を汚す程度の被害に収まったのは幸いを通り越して、奇跡という他無い。が、それを喜ぶ余裕は、壁と化粧台に沿って身体をずり落ちさせる今のアリババには無い。

 すぐ真横、彼の顔から20cm程度しか離れていない長方形の鏡の、粉々に罅割れたその右端と裏の壁を貫き、踝まで埋もれた健康的な色合いの足を。

 ほんの少しのズレで鏡と漆喰ではなく、彼の頭部を粉々に粉砕していたであろうその蹴りを放った“アサシン”を。

 ずっと無表情しか浮かべていなかった可愛らしい顔立ちから一転、特徴的な目元と細く長い眉をあらんばかりの怒りで吊り上げ、これでもかという程に眉間と鼻頭に憎々しげな皺を寄せた、悪鬼羅刹のような恐ろしい形相へと変貌した少女の顔を。

 騒ぎを聞き付けて来た数人の商売女(ホステス)やウェイターの愕然の声や、彼を心配するアラジンの叫び声、絹を裂くようなバートリーの絶叫の中。

 腰を抜かし、ガラス片と瓦礫の散らばる床に力無く座り込んだ姿勢で、だくだくと嫌な汗が流れ落ちる顔諸共、涙が目尻に滲み出す目を震わせ、点にして。

 ただ、ただ只管に怯え、只管にワケが分からないままに、それでも只管に目を離す事が出来ず、只管に見上げる事しか出来なかった。

 




そんなこんなで第十一夜終了。
そして今回もまた長らくお待たせ致しまして、本当に申し訳ありませんでした。

今回の話は多分自分が最も苦手とする情報交換回。
こういう系の話って、何故か書き進める内にどんどんグダグダしていって、無駄に字数を重ねた先に行きつく“何かコレじゃない感”がどうしても拭い切れないですたい。
それでもどうにか投稿出来ると判断した上での投稿ですが、果たして今回は読者の皆様方のお眼鏡に適うかどうか……。

肝を冷やしつつ、感想・御指摘お待ちしております。
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