もしもモルさんが暗殺者だったら   作:コナー

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第六夜

「“採掘砦のファティマー”って聞いたことある?」

 

 対面で水の入ったゴブレットを呷っていたバートリーが突然そう切り出したのは、“チーシャン支部”の休憩室にてモルジアナが簡単な朝食を終えた、そのすぐの事であった。

 

「“兄弟”がその名前を口にしていたのを、小耳に挟んだ事はありますけど」

 

 それ以上の事は分からない。

 だが、その問い掛けに含まれた意味はすぐに分かった。――次の標的だ。

 

「ここから東南、“バルバット王国”の国境付近に盗賊に占拠された元採掘所があるんだけど――」

 

 そう説明される傍ら、二人は隣の作戦会議室へ移動し、カウンターへ入るバートリーと、その対面に立つモルジアナという、互いの所定位置に着く。

 

「その採掘砦の盗賊共と手を組んで、悪どい商売をしていると評判の奴隷商人よ」

 

 次いでバートリーが語った“悪どい商売”の内容だが、要は結託している盗賊を使った奴隷(商品)の仕入れだ。

 仕入れ先は主に付近を通り掛かった旅人や商隊(キャラバン)。盗賊達が彼らを襲い、金品や食料、身包みだけでなく、人間も奪って来る。それを自分達が受取、奴隷として競売に掛けるなり、金持ちに直接売りつけるなりして利益に変え、盗賊達と山分けする。そうして盗賊達にまた奴隷を仕入れさせ、一儲けする。――それがファティマーの基本的な遣り口だ。

 無論、あくまでそれは基本であり、他の奴隷商人がやっているような、奴隷狩りに遭った人々等の売買もまた彼の商売の範疇である。

 

「最近じゃ内紛続きの“バルバット”から逃げ延びてきた人々も捕まえては売っているらしいわ。それで流石に目に余るってところに、今朝方“チーシャン”に辿り着いたって報告が上がったワケ」

 

 おまけに、彼が手下と数名の奴隷を連れて向かったのは最大の標的、領主ジャミルの屋敷だという。

 それで、これを好機としてファティマーの暗殺任務がモルジアナに回ってきた、という事だった。

 そこまでは理解したが、同時にモルジアナには一つ疑問が浮かんでいた。

 

「“バルバット”周辺にアジトがあるとのことでしたが、“バルバット”にいる“兄弟”達は何も手を下さなかったんですか?」

 

 現在、“実働隊”の者を中心とした、この街を含む周辺地域の“アサシン”達が“バルバット王国”へ集結している筈。

 来るかも分からなかった“チーシャン”で、半ば待ち伏せるような形でモルジアナに消させずとも、その内の適当な人員を見繕って協力関係にある盗賊諸共一網打尽にしてしまえばそれで良い筈だ。

 少なくとも、これまでの情報から判断する限りではそうすべきだったと、モルジアナは思ったのだ。

 対し、少し言葉を選ぶような素振りの後に返されたバートリーの答えはこうだった。

 

「――今の“バルバット”は、私達が思ってるよりずっと深刻らしいのよ。頻繁に起きる内紛の火消しに、碌に動こうとしない政府に代わって民の安全を守る必要もある。おまけに、連中の採掘砦(アジト)は国軍すら手を拱く程堅牢らしくて、攻め込むにはそれなりの人員を揃えなきゃいけない。終いには未確認だけど、ファティマーが商品として取り寄せた猛獣までタップリいるそうよ」

 

 掻い摘めば、内乱の火消しと悪化の一途を辿る治安への対処に人員を割かれている状態であり、ファティマーと盗賊達を消すのに必要な戦力を整える事が出来なかった、ということだった。

 故に、今まで手を出すことも出来なかった“バルバット”の“アサシン”達に代わって彼を葬る事が出来る今回のチャンスは、正に行幸といえた。()()()()()()

 

「ま、この街に寄って来る奴隷商(ゴキブリ)を消すのも今回で終わりね。ファティマーの奴は取って置きの有名所。消せれば、その時点で向こう2,3年は固いわ」

 

「2,3年もですか?」

 

 “チーシャン”についてすぐの頃、任務全体の概要について確認した際にバートリーに、今回の任務終了後にどれだけの期間奴隷商人の足を阻めるか、と尋ねた事があるが、その時の彼女の答えは『精々が1,2年』というものだった。

 そのバートリーが、ファティマー一人を斃すだけで2,3年はほぼ確定とハッキリ言い切った。

 それ自体は喜ばしいことだ。あまり任務を長引かせれば、消えるのは奴隷商人だけではない。元より命知らずばかりの冒険者達は別としても、前者同様に街の重要な収入源である観光客は数が減り、“チーシャン”とそこに住まう人々に要らない衰退を強いる事になり兼ねない。

 だが、そこまでの効果が今回の任務に見込める理由は何なのだろうか。

 そう不思議に感じて訊き返したモルジアナに、

 

「……それだけ、とびきりの有名所なのよ、ファティマーは。例の採掘砦(アジト)や盗賊との協力関係が、そこまでアイツを伸し上げたの」

 

とバートリーが告げた。――“嘘”を。

 ファティマーには、業界で“伝説”として実しやかに囁かれる偉業を納めた事がある。それが、彼を有名所の奴隷商人へ押し上げたのだ。

 だが、その“伝説”をこの少女が知れば、少なからずその心を掻き乱すことになる。年若い“兄弟”がそれを知る必要は無い。――そんな配慮が故の嘘であったどころか、その言葉が偽りであった事すら、モルジアナが気づく事は無かった。

 故に、どこかに府に落ちないような感じを抱きつつも、納得して見せたように頷くしかなかった。

 

「――ま、今までみたいに奴隷商から領主の目的を聞き出せなくなるのも確かね。そっちについては追々考えておくとして――」

 

 一端言葉を区切り、バートリーが上着の懐を弄る。

 数刻の後、上着から出て来た彼女の太い指に抓まれていた“それ”が、モルジアナの眼前に差し出される。

 暗殺任務の許可証、及び暗殺完了の証明証を担う一枚の羽根が。

 

「今回は尋問も遠慮も要らないわ。大衆の目を、耳を、口を介して、小汚い人売り共にこの街に来たらどうなるかを知らしめてやるつもりで徹底的に、ハデにやっておしまいなさい。“ヘイザム”」

 

 穢れ一つ無い純白のツヤを持ったその羽根を、力強い頷きと共にモルジアナは受け取った。

 その遣り取りの後、更に幾つかの助言を受けてからフードを目深に被った彼女が支部を後にしたのは、“事”を始めた現在より1時間弱前の事であった。

 

 

 

 標的――“採掘砦のファティマー”とその手下二人がこちらに振り返るのと同じくして、革帯に添えていた右手をモルジアナは横薙ぎに振っていた。

 もとい、革帯の左右に据え付けられている革製の鞘にしまわれていた投げナイフを、引抜き様に投げていた。

 広げられた鳥の片翼を模した、鈍い銀色の輝きを放つ小振りの刀身。

 それが右側、後ろ髪を結わえたオールバックの方の手下の開かれた眉間に根本まで突き刺さり、その奥の前頭葉を破壊する――のを待たずして、即座にその場から疾走。

 狙いは前髪を下した左側の手下。

 刹那の内に詰まっていく間合いの中で、袖口が小さくはためく右腕と共に後ろへ下げた左腕からアサシンブレードを展開。その刀身を、懐に飛び込まれた事すら気づけていない手下の首元に巻かれた黒い毛皮の、その奥にある喉目掛けて下方から滑り込ませ、力任せに押し倒す。

 次の瞬間、瞬時に物言わぬ肉の塊と化した二人の男が、ほぼ同時にもんどりを打って石畳の上に倒れた。

 一瞬の内の出来事だった。

 あっという間すら無い内に起こった一連が、モルジアナ以外のその場の人間の思考を奪い、平等に一時の沈黙を強要する。

 その重苦しい時の中から最初に抜け出したのは、

 

「だ、誰か助けてくれぇ! “アサシン”だぁ! “アサシン”が出たああぁぁ!!」

 

気付かぬ内にその間に腰着けていたモルジアナが姿を隠す手伝いをさせられていた事など知る由も無く、それまで座っていたベンチの両隣から立ち上がや、絶叫を上げて一目散に逃げ出す中年男と若い女で。

 愕然とした目で足下に転がる手下の死体と、彼らが行っていた妙な仕草を頼りに見つけて投げナイフで射落した、“異様な臭いがする”鉤爪を持ったカラスの死骸を見下ろしていた銀髪の標的を大通りの方へ走らせるには。

 更に暫しの時と、彼の足下向けて放った三本目の投げナイフが必要であった。

 

 

 

 ガスッと、何かが固い物に突き刺さるような音が足下から響いた。

 その音に反応するままに視線を動かしてみれば、ブーツを履いた自分の爪先から5cm前のところで、石畳に根元まで刀身が刺さった小さなナイフが、小刻みに振動していた。

 仰向けに倒れる二人の手下の片方の眉間に刺さっているのと同じナイフが。

 それよりも前に空から堕ちてきたペットの胸元に食い込んでいるのとも同じナイフが。

 そして眼前には、それらを放った白いローブがいた。

 “お坊ちゃん”から捕まえて来いと言われた、数々の同業者を葬ってきた暗殺者の姿が、そこにあった。

 

「……ッ!」

 

 ようやく意識を取り戻したファティマーが取った行動は、背後に広がる大通りと、“アサシン”の出現により集まってきたヤジウマ共の方に向き直っての逃走。

 及び、傍のベンチに“アサシン”が紛れ込んでいた事に気づかなかった迂闊さに対する自省と後悔、ではなく、

 

(どういう事っ? 何故こんな事に……!?)

 

完全に予定外の事態に陥った事による、焦燥と疑問であった。

 歩く自分達のすぐ横で堂々とベンチに座っていたのは流石に予想外ではあったが、それは問題では無い。

 相手は神出鬼没という言葉を絵に描いたような暗殺者。既に近くに潜んでいること自体は当に予測済みだった。だから、声で作戦が悟られないよう、部下と無言の会話を交わした。

 仮にその意味を読み取られ、その存在を知られた上空の(砂漠カラス)が真っ先に攻撃されたとしても、それはそれで占めたものだった。

 そこから、どのような手段で攻撃が行われるかまでは流石に想定は出来なかったが、問題は無かった。弓だろうが、クロスボウだろうが、自分の砂漠カラスにはそれを容易く避けられるだけの俊敏さがある。次の攻撃が行われる前に、その毒爪で“アサシン”を無力化出来る。――その筈だったからだ。

 その自慢のペットが、まさか弓やクロスボウよりも遅い筈の投げナイフによって仕留められるなどとは、夢にも思わなかった。

 一拍置いて、両腕を後に下げて追い駆けて来る“アサシン”の姿を肩越しに見て速度を上げた今も尚、信じられない思いだった。

 だが、どれだけ認めたく無かろうと作戦は失敗し、使えた手下達と優秀な道具を失ったという結果が変わる事は無い。今の自身が完全な手詰まりである事にも変わりは無い。

 今はともかく、逃げるしかない。逃げ切れなければ、“死”が訪れる。

 そう分かっているからこそ、

 

「ええいっ、お退きッ!」

 

進行方向に並ぶ群衆を押し退け、踏み倒して行く自身の体の奥から湧き上がる底無しの力をファティマーは感じ取っていた。

 それは彼にとって、二度目の体験だった。

 目前に迫る“死”から逃れんがために生命としての本能が生み出した火事場の馬鹿力によって、只管に、突き動かされるままに、限界をも振り切って自らの体を動かすという、その体験は。

 自由を求めて、その手を主人の血に染めた時以来の事だった。

 

 

 

 少し時間は巻き戻り、“チーシャン”上空。

 貧民街(スラム)から“魔法のターバン”で飛び立って、そろそろ1時間が経つ頃になっても尚彼らの、もといアラジンの“アサシン”捜索は続いていた。

 

「な~、もう良いだろ? 帰ろうぜ? “アサシン”なんて絶対見つからねぇって。帰ろうぜ?」

 

 ふよふよと波打ちながら浮遊する白いターバンの端から顔を出して目的の白ローブを探しているアラジンとは対象的に、特に何もする事無く寝そべったターバンの中心部からそう促すアリババは、退屈のままに片耳を穿っていた。

 “アサシン”の捜索など、元々彼は反対であった。

 当たり前だ。

 どこに好き好んで殺人鬼の捜索を行う一般人等いるというのだろうか。そんな文字通り藪の中の蛇を突くような行為をすれば、せっかく一度は助かった命を今度こそ奪われかねない。

 だがしかし、“アサシン”の捜索を言い出したアラジンの眼は本気だった。

 加えて、彼には常識というものが著しく欠けている事を、二日にも満たないこれまでの短い付き合いの中でアリババは嫌という程思い知らされていた。

 だから分かってしまった――間違い無く、彼はやる、と

 “アサシン”を見つけ次第、本当に奴隷泥棒の“誤解を解いて”もらおうとする。

 そして殺される――半ば強制的に連れて来られた自分も、諸共に。

 そこまでの論理が頭の中で構築された時、

 

『イヤアアアアアァァァァァ!! 止めてええええぇぇぇぇ! 殺されるうううぅぅぅぅ!!』

 

相手が子供だという事も完全に忘れて掴み上げたアラジンの首を、噴き出す恐怖のまま泣きながら、自身も首を振り回しながら、がむしゃらに揺さぶっていた。

 そのせいで危うく昇天させ掛けるという珍事に発展してしまった前半から何事も無く時間が過ぎた今、そんな一幕が合った事などまるで伺わせない程に彼は落ち着き、のんびりと寛いでいたのであった。

 最も、当のアラジンは相変わらずだったが。

 

「大丈夫さアリババくん。きっとすぐ見つかるよ」

 

 返答を返す合間も、なおその顔は真下の小さくなった街の方を向いている。

 

「だからー、見つけてどうすんだって。“アサシン”が俺達助けてくれるワケないだろ。むしろ殺されるって」

 

「そんなことしないよ。あのお姉さん、とっても優しそうだったし」

 

「いやだから、そう考える根拠は……やっぱいい」

 

 眉間に皺を寄せ、少しだけ青い目を揺らめくターバン越しに見せたアラジンとの会話をアリババは切り上げた。

 その問答は、彼が落ち着いてから既に5回は繰り返したものだった。そして、その根拠は何だ、というアリババの質問に対して、少し思案するような素振りの後に返ってくるアラジンの答えは決まってこうだった。

 

『だって、とっても優しそうだなって思ったんだもん』

 

 答えになっていない。

 そんなふうに感じた、その根拠を訊いているのである。なのに、彼がどう感じたかを繰り返されても、当のアリババとしては困惑を強めるしかない。

 それでも理由らしい理由を彼なりに推測した結果、恐らくは第一印象だろう、というのがアリババが至ったその理由であった。

 “根拠が無い”という一点においては通る話だ。所詮印象など個人の感性でどうとでも変わるものだし、アラジンのように理性の発達がまだまだ未熟な子供ならば、よりその傾向は顕著だろう。

 それならば尚の事会いたくない、というのがアラジンより理性の発達した十代後半の少年がそこから見出す結論であった。

 

「……つーか、“アサシン”って、“女”だったんだな」

 

 ただ、アラジンから聞かされた “アサシン”の性別や年頃については少し意外ではあった。

 彼曰く、“アサシン”はアラジンより年上でアリババより年下――つまり十代前半から半ばくらいの、独特の目元が特徴的な可愛らしい顔の少女であった、とのことだった。

 後ろ姿しか碌に見て無かったが、確かにあの背格好は十代の少女と言われればしっくりと来るような気がしたし、前述したアラジンの第一印象の話も、そこに起因しているのかもしれない。

 だが、それはすなわちアリババより年若い少女が“アサシン”として3件、いや恐らくは4件もの殺人という大罪を犯した、という事だ。

 それも噂程度の根拠しか無いが、恐らく“少女個人の意思とは無関係に”。

 

「……腐った世の中だよなぁ」

 

 例の少年のように、幼い子供が奴隷として家畜同然の生涯を強要され、その一方で自分とそう変わらない年頃の少女がその手を血に染めさせられている。

 そんな世界を、腐っているといわずして、何というのか。

 その場に寝転がってそう呟くアリババの顔に、既に先程までの呑気さは無い。

 代わりにあったのは、そんな世の理不尽に燻らせた怒りとは対象的に、天上をどこまでも穏やかに流れる白雲の群れへの猊視であった。

 最も、すかさず飛んで来た凶報に飛び起きた次の瞬間には、元の黙阿弥とばかりにゲドゲドの怯え面がその表情を彩る事となったが。

 

「――あっ! 見つけた!」

 

 目当ての者をようやく見つけられたその嬉しさがありありと表れたその声に、え゛っ、と踏まれたカエルのような悲鳴が腹の奥から飛び出たのも束の間。

 それまでその場に悠然と漂っていたターバンが、主人たるアラジンの意向に従うがままに急降下を始めた。

 

「ちょ、ちょ待っ、ちょっと待っ、アラジ――」

 

「行っけーっ!!」

 

 慌てるあまり呂律の回らないアリババの制止の声などどこ吹く風とばかりに、主の言葉に従ってターバンは速度を増していく。どんどん増していく。

 そうして恐怖の涙と絶叫を尾に引きながら、二人の少年を乗せた白布は“チーシャン”の大通りへ向かった。

 民から奪い取った馬の背に跨る銀の長髪を追跡する、白フードの方向けて、全速力で降りていったのであった。

 

 

 

 視界の端に一頭の馬を引き攣れた商人らしき男を見つけた時、ツイているとファティマーはほくそ笑んだ。

 “アサシン”に追われることとなって、まだ5分と経っていない。

 しかし、完全な不意打ちにより冷静さを欠いてしまった事と、文字通り命が掛かっている緊張感により、最初から全速力で走っていた彼は限界寸前。既に肺と心臓に締め付けられるような痛みが走る領域まで達していた。

 一方で、未だに彼を追跡する“アサシン”には息を荒くする素振りすら見られない。まだ余裕があるのは明らかだ。

 いや、本来ならば既にファティマーに追い付き、左手の仕込み剣でその首を貫いている筈だ。既に満身創痍ながらもペースを落としていない彼から、“一定距離の保ち続けている”上でその様子なのだから。

 それを、敢えて尚も速度を合わせて、追い付く事の無い追い駆けっ子を続けるその理由は極々簡単に推測出来た。――“見せしめ”だ。

 街中を走らせるだけ走らせて、引けるだけ大衆の目を引いたところで一気に追い付き、標的たる自分の命を刈り取る。そうして大勢の人間に知れ渡った自分の死という情報を同業者達への脅しとして、どうなるかを徹底的に知らしめてやる。大方、そういう算段なのだろう。

 つまり、今の彼は客寄せパンダであり、後には形無き晒し首の役目も待っているという事だ。

 ふざけんじゃないわよ、と立ち止って込み上げる憎悪のままに吐き捨てたいのは山々だったが、生憎と今のファティマーにそんな余裕は無い。

 立ち止った瞬間が自分の地獄逝きの瞬間であり、同時に後の憎たらしい白ローブの計画達成の瞬間だからだ。

 だが、それもこれで終わりだ。

 

「ちょっと借りるわよッ!」

 

 馬の傍まで急接近するや、その主人たる商人から許可ではなく手綱を奪い取り、良く手入れされた黒い毛の上に乗せられた鞍に跨って、その腹を蹴った。

 瞬間、ヒヒーン、と一鳴きした馬が、唐突に自分を奪われた事に唖然とする主人を尻目に、ファティマーが握った手綱のままに、大通りの奥目掛けて一気に走り出した。

 

「よーしよしよし、良い子よぉ!」

 

 思い通りに動き出してくれた黒馬に労いの言葉を掛けてやりつつ、手綱を振って更にファティマーはその足を急かせた。

 速い。周囲に並ぶ露店は勿論の事、彼が操る馬に踏み潰さまいと慌てふためく群衆の顔が、おぼろげなままに前から後へ、前から後へと連続して流れていく。

 どうやら、かなり良い馬をかっぱらう事が出来たらしい。これならば、如何な“アサシン”とて追っては来れまい。

 如何に厳しい訓練を積み、人並み以上の体力を持つに至った連中だとしても、所詮基礎(ベース)は唯の人間。全速力で走る馬の速度に敵う訳が無い。

 人を晒し者にしようとして泳がし続け、結局その機を逃したわけだ。

 何ともマヌケな事だと、片手を口に当ててファティマーは嘲る。

 ジャミルとの契約も残っている以上、このままこの場を逃げ切り、採掘砦(アジト)に戻って再度捕獲の準備を整え直すのが先決だろう。

 今度は必ず捕獲して見せる。それこそ、商品として仕入れた“暗黒大陸”の猛獣達を“チーシャン”中に放ってでも。このファティマーの顔に泥を塗ってくれた、その報復を必ずしてやる。

 そう固く誓い、もう大分小さくなってしまっただろう“捕獲対象”をその目に焼き付けるために、最期にもう一度だけ後ろを見た時だった。

 有り得ない光景が、見開かれたファティマーの三白眼に映り込んだ。

 

「……嘘」

 

 “アサシン”が、いた。

 当に撒いている筈の真っ白なローブが、慌てふためく人々の間を縫って、尚も追跡を続けていた。

 ファティマー自身が直接逃げていた時と、“同じ距離間隔を維持したまま”で。

 人間には到底追い付けない馬の全速力に、ローブの裾から覗く裸足の両足だけで、ぴったりとくっ付いていた。

 自分の目が、おかしくなったのかと思った。

 念のために擦ってみたが、やはり自分と馬の後に着いて来る“アサシン”の姿は消えなかった。

 次いで自分の頬を抓ってみたが、普通に鋭い痛みが走った。

 となると、目の前に広がるコレは現実らしい。

 信じ難いにも程がある情景だが、現実らしい。

 それどころか、次第に“アサシン”が距離を縮めて来ている事すらも、現実らしい。

 ――まさか、そういう事なの?

 あまりの事に現実を逃避し掛けたファティマーの耳に、屋敷でのジャミルの言葉が不意に蘇る。

 確かに、“それ”ならば全てに説明が付く。

 自分の砂漠カラスが投げナイフなんぞに射ち落とされたのも。

 白ローブが、遂に馬と並走し出したのも。

 “あの一族”なら簡単だ。

 普通の鎖なぞ何重巻きにしたところで引き千切って見せる“あの一族”の者が放ったナイフならば、その速度は弓やクロスボウの比ではないだろう。

 どんな攻撃をもかわすといわれる俊敏さと、獅子の腹すら穿つといわれる強靭な脚力を持つ“あの一族”の者ならば、“たかが全速力で走っているだけ”の馬を“追い越す”のも必然の結果だろう。

 ましてや、それが“アサシン”としての訓練を受けたとあれば。

 遂には先に回り込み、その足下に投げたナイフによって馬の前脚を強引に持ち上げさせ、半ば呆けていた自分を落馬させる事くらい、赤子の手を捻るよりも容易い事だろう。

 後頭部からの突き抜けるような衝撃に揺さ振られた意識が飛び掛けたところに覗きこんで来た、白いフードの中を逆に覗き返しながらそう納得したファティマーの顔には、笑みが浮かんでいた。

 諦観の笑みであった。

 彼は悟ったのだ。“昔のように”逃げ果せる事は、もはや適わないという事を。

 油断していたところをこの少女に狙われた時点で、逃げ果せるなど最初から不可能だったのだという事を。

 “お坊ちゃん”の言葉を碌に聞かず、そんな者はいないと自分の理屈で決めつけてしまった時点で、この結末は避けらないものだったという事を。

 

「……お手上げだわ」

 

 フードの影の中から、捕えた獲物を見下ろす猛禽類の眼光を彼に向けるその目元は、かつて捕まえた“あの戦闘民族”の青年ととても良く似ていた。

 吹きかかった風にローブの端と柔らかな赤髪をたゆたわせる“ファナリス”の“アサシン”を大の字で下から見上げるファティマーに出来る事は、潔く全てを諦める事だけであった。

 

 

 

 標的が民衆から馬を強奪した時、ヒヤリとした。同時に、自分が“ファナリス”で本当に良かった。――それがモルジアナの正直な感想であった。

 もし彼女が常人であったなら、馬が走り出した時点で標的に逃げ切られる結末は確定していた。

 遥かに多くの修練を積んだ“大導師”や導師長(マスターアサシン)クラスの“兄弟”ならばまだしも、一人前(アサシーノ)と認められたばかりの自分では、本来はその結末を覆すことは出来なかった筈だ。

 故に足りない分の実力を補えるこの身体をくれた両親に――もう会う事は適わないだろう実の父と母に、心の底から感謝したい気分だった。

 だが、それは後だ。

 まだ標的を消していない。

 馬という予想外の要素も含め、十分に集める事が出来た周囲の大衆の監視の中で、“採掘砦のファティマー”の暗殺を完了させなければいけない

 だがその前に、裏路地で手下達と語っていた“あの台詞”の真偽について問い質さなければ。

 

「質問があります」

 

 傍にしゃがみ込んで投げ掛けた問い掛けに、薄笑いを浮かべていた銀髪の男のまつ毛の長い三白眼が訝しげに歪められる。

 

「何よ、藪から棒に。こっちはとっくに覚悟決めてるのよ。殺るなら早く殺って頂戴」

 

 それとも見逃してくれるのかしら、とからかうように赤紫の口紅が塗られた口から告げられた言葉に、モルジアナは首を振って返答する。

 

「貴方は消えるべき罪人。言われずとも、神の御許へ送ります。ですが、これだけはハッキリさせなければいけない」

 

 任務の説明の際、ファティマーを葬った暁には完全に街から消えるだろう奴隷商人への尋問に代わる、領主の目的の調査方法の必要性をバートリーは口にしていた。

 だが、“あの台詞”の真偽さえ明確になればその必要は無くなるかもしれない。

 

「領主ジャミルが最近奴隷を集めるようになったその理由が“迷宮(ダンジョン)攻略”であると、貴方は語っていた。それは本当ですか?」

 

 領主の暗殺を行うための最期の鍵である、“目的そのもの”が分かるかも知れないからだ。

 だが、彼が彼女の質問の意図を噛み砕くまでの少しの間の後に返ってきたのは返答ではなく、小馬鹿にしたような空笑いであった。

 

「――何が可笑しいんですか?」

 

 耳障りなその笑いに、ファティマーを睨みつける双眸をモルジアナは一層鋭くする。

 笑い声自体はそれで収まったが、神経を逆撫でるようなその嫌らしい笑みは、尚も変わらずその顔に張り付いたままだった。

 

「クク、あの“お坊ちゃん”の目的ですって? それを態々訊くって事は、つまりアンタらの最終目標はあの“お坊ちゃん”って事で、アタシは偶々この街に来たせいでついでに殺される事になった、唯の“通過点”って事じゃない」

 

 ファティマーの言う事も一理ある。

 彼が“チーシャン”に訪れたという報告がなければ、確かにモルジアナの次の標的として選ばれる事も無かっただろうからだ。

 だが、それは決して単なる偶然ではない。

 

「ふふ、それもまさか、いる筈が無いと高を括っていた“ファナリス”の“アサシン”に狙われるだなんて。ああ、ホントにもぅ、なんてツイてないのかしら」

 

「違う」

 

 途方に暮れたように長髪を掻き上げたファティマーの言葉を、キッパリとモルジアナは否定する。

 その凍え切った目の奥で、彼女の内の怒りが静かに揺らめいていた。

 

「貴方は盗賊と手を組み、大勢の罪無き人々を奴隷に変えた(鎖に繋いだ)。下らない金稼ぎのための、惨めな生贄として捧げてきた。その“報い”を受ける時が、今ようやく訪れただけのこと」

 

 決してツキがどうのの話ではない。

 全て、必然だったのだ。

 採掘砦に籠ってばかりで“兄弟”達が手を出せなかったこの男が外に姿を出した事も。

 その結果、こうしてモルジアナに追い詰められる事となった事も。

 今はまだ左腕の鞘の中に収まった“爪”によって、程無き内にその喉を貫かれる事も。

 全てはこの悪党が犯して来た罪の、その“報い”なのだ。

 故に今のモルジアナに情は一切無い。あるのは、心の隅々までを満たす意地汚い人売りへの無慈悲さのみだった。

 

「――“報い”、か。そうねぇ。色々やらかして来たアタシにとって、今が正にその時なんでしょうね。認めるわ」

 

 それに相対するファティマーは心の底から観念しているが故の、逆に清々しい微笑みを浮かべていたが、言葉と表情とは裏腹に、その目と口調は“最期まで思い通りになってやるものか”という反骨心が明確に表れていた。

 その意味は、続いて投げ掛けられた彼の問い掛けと、それに連なる2,3の会話によって、嫌という程理解した。

 

「さて、“お坊ちゃんの目的が迷宮(ダンジョン)攻略で間違いないか”、だったわねぇ? ええ、“その通り”よ。領主様はそのために奴隷を掻き集めているの」

 

 そう素直に話す理由を、避けられない死を目前に控えたが故の諦めだと、目的の情報を手に入れて内心ほくそ笑みつつモルジアナは解釈した。

 だが、それは理由の一部であった。

 続けられたファティマーの言葉に、必要な情報を聞き出して後は消すだけとアサシンブレードを引き出そうとした彼女の心境は一変する事となった。

 

「けれど、邪魔者がいる。この街を騒がせる“ファナリス”の“アサシン”――そう、アンタが。そしてその捕獲に、アタシが駆り出される事になった。――捕獲難易度最高クラスの“ファナリス”の大人を、たった三人で捕まえて一躍伝説となった、この“採掘砦のファティマー”が、ね」

 

 ――今、何て言ったの?

 耳に入ったその言葉を、彼女の頭はすぐには受け入れてくれなかった。

 そのせいで目を見開き、身体を強張らせていた事にモルジアナがようやく気付いたのは、そんな彼女の様子をしたり顔で見上げる銀髪の男が目に入るのと、ほぼ同時だった。

 一方で、もう二度と会う事は無いだろう“ファナリス(同郷の者)”を故郷から消した、その一人だという彼の言葉がその頭に行き渡るには、もう暫しの時間が必要であった。

 

 

 

 “報い”、と自らの顔のすぐ横にしゃがみ込んだ“アサシン”の少女は言った。

 成程、と彼はその言葉にスンナリと納得していた。

 そう言われると、確かにこの有様は不幸な偶然などでは無く、“元奴隷の癖に、奴隷商人としてかつての自分と同じ存在を大量生産した”その“報い”なのだろうと容易く腑に落ちたのだ。

 同時に、それは仕方の無い事だった、という言い訳も喉の奥から込み上げて来た。

 かつての旅の最中で日々の扱いに耐えかねて主人を殺めた後のファティマーには、身分を隠す事と、生きるための糧が必要であった。その両方を満たせるのは必然的に社会の闇で生きるような連中がやるヤクザな商売で、加えて腕っ節が斗出している訳でも無かった彼が営める商売は更に限られた。

 故に、自らが受けて来た仕打ちと経験をそのまま仕事の知識として転用出来る奴隷商に身を窶してしまったのは、仕方の無い事だった。

 後に自らが打ち立てた“伝説”によって、同業者に自らの過去が暴かれる事を危惧し出す程に業界内で一目置かれる存在になったとしても、仕方の無い事だったのだ。

 奴隷狩りに遭った異民族や、あぶれた貧困層の子供。果ては最強とすら謳われた狩猟民族の青年から、内乱から逃げて来た親子までを惨めな奴隷に変え、時には獣の餌にすら変えるこの商売が儲かるとあれば、尚更。

 といっても、それをこの少女に言っても詮無いことだろう。

 元から自分とは違う“高級品”の癖に、奴隷ではなく“アサシン”などに“興じている”小娘に、自分の辿って来た道なぞ理解できる筈が無い。――して貰いたくない。

 そう思い、口から出掛かったその吐露を敢えて飲み込んだ代わりに、“気に入らない”視線をフードから覗かせて偉そうに糾弾して来る“アサシン”に、せめて死ぬ前に吠え面の一つでもかかせてやろうと企んだ。

 それで、自分を前にしても冷静な態度を崩さない少女にもしやと思い、どうせ死ぬのだからと元々黙る義理も無い領主の目的を白状するついでに、カマを掛けてみたのだ。

 その企みが成功した事は、冷えたナイフのように冷たく鋭いだけの視線を送っていた赤い目が急激に点に変わっていく様によって、手に取るように分かった。

 

同郷の人(ファナリス)を……貴方が?」

 

「あらぁ、やっぱり知らなかったんだ」

 

 あるいは、バックに控えている連中から知らされなかったか。

 恐らくは後者だろう。

 冷徹にあるべき暗殺者にとって、適切な判断を阻害するような余計な情報は毒にはなっても、薬にはなるまい。ましてや、相手は十の後半に達したかも怪しい小娘だ。

 その余計な情報が少女に与えた影響の大きさは、目や口はおろか、両手すら震わせて動揺を表に出すその有様が如実に伝えていた。

 

「あの時は大変だったわよぅ。どうにか不意を打って、アンタが殺してくれた手下共と砂漠カラスを使って眠らせてから船まで運んだまでは良かったけど、その後は暴れぶりが酷くて酷くて。“レーム”の港に戻ってくる頃には、彼は砂漠カラスの爪の跡だらけ、船は水漏れ計20カ所の大惨事」

 

 お蔭で、沈没するのと捕獲した“ファナリス”に殺されるのとどっちが早いかという緊張から解放されるや、即座にバカ高い弁償代を払わされて踏んだり蹴ったりだった。

 だが、そんな“伝説”の裏側も今や、酒の肴に語れる懐かしい思い出だ。

 肝心の元手も鱈腹稼げたのだから。

 

「でも、それだけの苦労した甲斐はあったわ。彼、そりゃ~~高~~く売れたのよ。もう、必要経費や船の弁償代が塵芥に見えちゃうくらい、高~~く。だから“暗黒大陸”に“ファナリス”がいないって聞いた時は本当に残念だったわぁ」

 

 そこまで語る頃には、フードの中が黒々とした影で染め上げられて見えなくなった白ローブの肩がワナワナと震えていた。

 ほとんど見えなくなったその小さな口が、震える声で何かを呟いていた。

 あと一歩だと、昂る嗜虐心を抑えながら、トドメの言葉をファティマーは口にする。

 

「ああ、それにしても無念ねぇ。“ファナリス”の“アサシン”だなんて“レア物”を前にして死ぬだなんて。唯でさえ極上の“兵器”なのに、更に諜報や潜入の技術まで身に付けている。大国の国家予算の2,3割は下らない。そんな“超高級品(アンタ)”を捕まえれば、一生遊んで暮らせるだけの金が――」

 

 その言葉を遮ったのは、強引に引き上げられるや彼の頬を打ち抜いた右の拳だった。

 急激に視界を揺らす衝撃が、左の犬歯を中程から折り、切れた内頬から鉄の味が滲み出させる。

 その痛みにファティマーが顔を顰めたのはほんの一瞬の事。

 眼前を覆う“それ”に、解き放った嗜虐心のままに彼は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

「……言いたい事は、それだけですか?」

 

 襟を掴まれて引き寄せられた事によって、目と鼻の先にあった“アサシン”の白いフードの中。

 その中に収まっている少女の、地獄の釜の如く煮え滾る憎悪に歪んだ小顔。

 先程までの冷たい“アサシン”の顔とは打って変わった、同郷の者を害した者への憤怒に満ちた“(ファナリス)”の顔が、そこにあった。

 ファティマーを睨み据えるその目は、親兄弟の仇を見るかのように、否、一族の仇を見ているがために、赤い瞳の奥で憤怒の大火が舞っていた。

 そこまで変貌して、なお元の冷徹な暗殺者の表情に戻そうとして上手くいかず、眉間や口元やらを引く付かせるその様が酷く滑稽だった。

 それを作ったのは、自分だ。

 目の前の少女とは程遠い普通の奴隷(モノ)だった自分が、“高級品”を心底怒らせた。

 その事が、状況が許したなら小踊りの一つでもしていたかもしれない程に、ファティマーを狂喜させていた。

 そんな気持ちになったのは何年振りかという程の、爽快な気分が彼の内に満ちていた。

 今すぐにでも黙らせんとばかりに、首元を掴む手が右手に入れ替わるや、代わりに後方へ下げられた“ファナリス”の左腕から飛び出す死の刃を見ても、なお彼は笑みを絶やさなかった。

 

「言いたい事ですって? ええ、まだあるわよ。アタシの“報い”について偉そうに講釈垂れてくれたけど、自分はどうなのかしら? 例え悪党だろうが、大勢人間殺して来たアンタは?」

 

 その質問に言葉での答えは返って来なかった。

 代わりに返って来たのは、耳障りな鳴き声を立てて喚く獲物の喉を潰そうと大きく開かれた、若鷲の6本の(あしゆび)であった。

 

「所詮は同じ穴の狢。いずれアンタも“報い”を受ける事になる。精々覚えておきなさい、“高級品(ファナリス)”」

 

 そう告げた直後、首から地面へと掴み倒されたファティマーに、おぞましい程の熱と窒息感が襲い掛かってくる。

 それが穿たれた喉から発せられたものだと認識して、程無く薄れ出していく意識の中で彼の頭に描かれたのは、あのジャミルの顔だった。

 ――今際の時に、よりによって思い出すのがあの“お坊ちゃん”とは。

 最期までツイていないと嘆息する。

 だが、その代わりに自分が彼の事をああまで嫌った理由が、何となく分かった気がした。

 やはり、あの毒蛇を連想させる目だ。

 あの目はどうしようもなくねちっこくて残忍な光を放っていたが、その一方でバカげた程に大きな夢を抱く子供のように深い瞳をしていた。

 物心付いた時から、今この時までずっと暗く淀んだままだと自覚できる自分の目と、似ているようで決定的に違うその目が、生まれながらに支配者としての道を約束されていたジャミルとの差を知らぬ間にファティマーに意識させていた。

 そして、今この時においてその事実に気付かせたのは、やはり自分とは違う“高級品”の少女の、どこまでも冷え切った猛禽類のような目の奥に垣間見えた、どこまでも純粋な正義感と使命感だった。

 そんな彼らのどうしようもなく眩しい目が、きっとどうしようもなく怖かったのだ。

 薄汚れた大人の自分を焼け爛れさせようとする、あまりに恐ろしい光から逃げようとしていたのだ。

 だから、“気に入らない”という台詞を鎧にして、碌な土台の上に出来ていない自尊心を守ろうとしていた。態々“伝説”の事なんて切り出して、怒りに目を曇らせさせてみた。

 それで片方の光は遮る事が出来たが、もう片方は生憎と遮る手立てが思い付かない。

 だから、命を引き換えにとはいえ、あの目をもう見ないで済む事にファティマーは安堵していた。

 残忍さと純粋さが入り混じった、あの“暴君”という名の“王”の目を見ないで済む事に。

 意識が永久の闇の中へ完全に沈み込むその時まで、心の底から。

 

 

 

「貴方と一緒にしないで」

 

 耐えるような重い口調でモルジアナがそう告げた時には、既にファティマーは事切れていた。

 再び大の字で倒れた彼の色白の首には、彼女のアサシンブレードによって穿たれた傷穴が開いている。そこから流れては地面を染める、当面途切れる事は無いだろう赤黒い血が、その傷にファティマーが受けたであろう痛苦を嫌という程伝えていた。

 にも関わらず、光を失った目が開いたままの当のファティマーが浮かべていたのは苦悶ではなく、薄笑いだった。

 その死に顔が、その口を永遠に黙らせてなお同郷の者を奴隷に貶めたこの男に“商品”扱いされ、同類呼ばわりされているように思えて、どうしようもなくモルジアナは腹立たしかった。

 

「私が暗殺(これ)を為すのは正義のためだけ。貴方のように、他人を商品としか見れない哀れな人間とは違う」

 

 それでも、いつかはファティマーも言った通り、報いを受ける日が来るかもしれない。如何な目的や思想の下であろうと、自分がやっている事が許されざる事だという自覚は彼女にもある。

 それが分かっていても、なおそうする事で救える人間がいる。

 そう信じるからこそ、いくらでも自分の手を汚すことが出来るし、どれ程辛いものだとしても、受けるべき“報い”を甘んじて受ける覚悟を持てる。

 何かを為した結果、例えそれがどうしようもない不幸だったとしても受け入れなければいけない。――それこそが“許されぬ事など無い”という事なのだから。

 故に、自らの行いの“報い”を受けたこの男に、これ以上の唾棄も暴力も必要無い。

 

「眠りなさい、安らかに」

 

 例えどれ程の悪人だとしても。

 例え、同郷の人間を奴隷に変えた、八つ裂きにすべき仇だとしても。

 己が行いの報いを受け、神の御許へ旅立った死者には、等しく敬意を払わなければいけない。

 自分に家畜同然の人生を与えようとし、挙句全てを奪い去って“教団”に入る切欠を作った者達と同じこの男と、自身が違うと考えるのであればこそ、尚の事冒涜は許されない。

 するべきは、薄い半月を描くその瞼を閉じてやり、安らかな眠りに着く事を、唯祈ってやるだけだ。

 それを分かっていて、実際に行ってからバートリーに受け取った羽根にファティマーの首の血を擦り付けて暗殺完了の証明を作っても、なおモルジアナの心はクツクツと煮え滾っていた。

 目を閉じさせても、なお安らかな寝顔ではなく嘲笑を浮かべる彼の死に顔を目にしている故のその憤りを、人は正当だというかもしれない。

 だが彼女は“アサシン”。湧き上がる義憤や憎しみを抑え、唯標的を消すことだけに徹するべき暗殺者。如何に憎い相手だったからとて、いつまでもその感情に身を浸らせている事は許されない。

 “教団”の教義も、モルジアナ自身も、時間さえもそれを許さない。

 

「そこを動くな! “アサシン”!」

 

 気付けば、恐ろしいものを見るような視線を投げ掛けていた周囲の民衆を掻き分けて、集まって来た町警史達に囲まれていた。

 どうやら、ファティマーとの問答に夢中になり過ぎたらしい。

 

「もう貴様に逃げ場は無いぞ! 観念するがいい!!」

 

 余裕の表情で警棒を片手ににじり寄って来る町警史達の陣形は、モルジアナを中心に隙間の無い円を作っていた。確かに、隙間を縫ってその囲いを突破するようなマネは出来そうに無い。

 加えて、上方を見渡せば左右に並ぶ民家の上に攀じ登って待機している他の町警史達の姿も窺える。

 周囲の連中がカバーし切れない上から民家の屋根に飛び込んだ彼女を、待ち伏せして捕まえるという算段なのだろう。

 この一週間超の活動の内、前のブーデルの時を含めたハデな手段の4件を終えた後の逃走は、いずれも民家を足場にしていた。その事を彼らなりに対策した結果が、この二段構えの包囲なのだろう。自分が来るまで“兄弟”達が大きく活動しなかった事を考慮すれば、この町警史達の対応は十分優秀であるといえた。

 だが、やはり経験不足か。あらゆる場所を走り、あらゆる場所に潜む“アサシン”相手にそれだけでは王手とまではいかない。特に、導師長(マスターアサシン)クラスの猛者や、モルジアナのように斗出した能力を持つ者には。

 すばしっこく逃げ回る兎を追い詰めた狼のような町警史達の視線と、その後ろで檻の中に放り込まれる寸前の狂獣を見るような群衆の視線の中、荒れた心を少しでも落ち着けようと吐いた深呼吸の後にモルジアナが取ったのは、その場からの跳躍だった。

 だが、その行き先は周辺の民家の屋根では無い。

 町警史や市民をギリギリ飛び越えられる低さで、長く距離が取れるように飛んだ先にあるのは、より近かった背後の民家の屋根の、“縁”だ。

 屋根の“上”に着地すると踏んでいた町警史達の盲点を突いた到達地点だ。

 それにより面食らった屋根の上の町警史の隙を利用して、砂が薄らと乗った縁を掴むや取り付いた壁を足場に、先程よりも力を込めた足をモルジアナは突き出した。

 瞬間、ボコリという音を立てて小さく陥没した漆喰の壁を背に、包囲していた町警史から、厚さ8mは下らないだろうバリケートとなっていた民衆を飛び越え、その奥の地面の上に着地。

 直後、そろそろ正午間近だということをふと思い出し、丁度良いと彼女は“そこ”目掛けて駆け出した。

 大通りの奥、まだ小さいながらもその壮厳な作りを目の当たりに出来る位置まで来ていた、教会の方へ。

 

 

 

「に、逃がすなッ! 奴を追えーッ!!」

 

 周囲を完全に囲い、今までの逃走パターンから周辺の民家にも仲間を潜ませた万全の布陣は、しかしあっさりと崩されてしまった。

 そのショックから立ち直るまでの一瞬の間を置いた後、誰かが叫んだその号令の下に、一斉に走り出す町警史達に一瞥もくれる事無く、怯えて道を開いていく民衆の中を真っ白な後ろ姿が駆けていく。

 彼らは知らない。“アサシン”が速度を抑えて逃げている事に。

 故に、敢えて速度を落としているその理由が、その先にある街一高い教会へ辿り着く時間を調整するためであり、手加減している訳でも、ましてや後の彼らには辿りつけまいと油断している訳でも無い事も、当然知る由は無い。

 そうして、その白いフードの中の企みに勘付く事も無く、遂に辿り着いた教会の前で振り返った“アサシン”を、いずれも己が全速力のままに追っていた町警史達が顔に汗を浮かべながら再度囲み上げる。

 両腕をダラリと垂らして立つ“アサシン”の後ろには、大の大人二人分程の高さを持つ堅牢な扉が聳え立ち、教会の入り口を固く閉ざしていた。

 時刻はもうじき十二時だ。中で礼拝を終えた神学者達が休憩を摂るために、両開きのその扉が開き、隔てられていた教会の外と中が一時的に繋がる時がやって来る。恐らくは、その瞬間に教会の中へ逃げ込もうという魂胆だったのだろう。

 そう推測するに至り、しかし自分達に再び包囲されて水の泡と化したも同然の“アサシン”の計画に数名が、ざまぁみろ、と失笑するその間にも、警棒を構えた町警史達はじりじりと“アサシン”との距離を詰めていく。

 そして、後数歩で全員が助走無しで飛び掛かれる程に白ローブとの差が縮まった、その時だ。

 三角に下りた教会の屋根。その正面の中心から天へ伸びるクリーム色の塔の先にある鐘が鈍い音と共に一日の折り返しを告げると同時に、飛び立つ直前の鳥のように、真っ白な袖を左右に優雅に広げた“アサシン”の背後で、軋む音混じりに重い音を立てて教会の扉が開く。

 それから一拍置いて薄暗い空間から出て来たのは、“レーム帝国”や“パルテビア王国”、“アクティア王国”等の西方の国家や都市で見られる赤い前掛け付きの白いローブに目深くフードを被った格好をした神学者の群れ。

 その中へ倒れ込むように下がった“アサシン”の姿が、フッと“消えてしまった”。

 ギョッと目を見開いた時にはもう遅かった。

 すぐさま神学者達に制止を呼び掛けた町警史達は手分けして“アサシン”を探そうとしたが、しかし似たような格好の、しかも似たような背格好の者までいる神学者達の中からたった一人の暗殺者を探すのは困難の極みだった。

 

「クソッ! まだ近くにいる筈だ!」

 

「“アサシン”を探せ! 何としても捕まえろ!!」

 

 そんな怒声が空しく響く中行われた、神学者達や周辺の民衆を掻き分けての町警史達の必死の捜索は、しかし何の実も結ぶ事無く、これより2時間程後に逃げ切られたと判断され、強制終了と相成るのであった。

 

 

 

 教会の表で町警史達が、主に神学者達への詰問を中心に見当違いの個所を探している。

 後ろから聞こえるその喧騒を尻目に、俯いて胸の前に両手を握り合わせた祈りの格好を解いたモルジアナが歩いていたのは、教会のすぐ横の裏路地であった。

 やった事そのものは単純。ファティマー達をベンチで待ち伏せしていた時と同様、気配を消し、群衆に紛れこんだだけの事だ。そうする事で“見えているのに見えていない存在”となり、周囲に完全に溶け込み、敵の目を欺く。“アサシン”の“掟”の二つ目――『我らの力は鞘の中の刃』を体現するため、民衆に紛れ、一体となってその姿の眩ますための“アサシン”の基本技術だ。

 とはいえ、今回もいつものように家屋の上を伝って逃げ切っていても、別段問題は無かった。待ち伏せしていた町警史達も、ファティマーの暗殺を済ませたあの辺りの民家に集中していたようだし、少し移動した先の待ち伏せの無い家屋に跳べばそれで済む話だった。

 それを態々遅めに走り、基本に立ち返るような手段で逃げて見せたのには、それなりの理由があった。

 ――この辺りでいいかしら。

 十分に教会の後ろ側まで歩くや、せっかく撒いた町警史達の目に入らぬよう気を配りつつ、その場でからモルジアナは垂直に跳び上がった。

 “ファナリス”特有の強靭な脚力が、高々と彼女の体を宙高く浮かび上がらせるが、それでも縁の高さが10m以上はある教会の屋根に降り立つには、まだ少し込める力が足りなかったようだ。

 代わり、目前に現れた石のブロックを右手で掴み、僅かに揺れる姿勢を整えて壁から飛び出しているそれを足掛けに、慣れたように屋根の上に攀じ登る。

 最中、一端上空を見上げて、“目的のモノ”を探す。

 ――いた。

 一面の青空の中に見える“それ”の位置を確認後、頂点付近で人間大の大きさの鐘が未だ揺れている教会の塔を駆け上がり、鐘の上を覆う四角錐の屋根の頂点から伸びるポールを掴んで身体をその場に固定。

 続けて、赤褐色の屋根を跳び台に、“それ”が浮く方向向けてバックジャンプで飛び付いた。

 狙いはドンピシャ。イメージ通りに“それ”――はためきながら宙空を浮く、4m四方程の白布の上にボスリと片膝立ちで着地したモルジアナを、先着していた二人の内の一人が悲鳴で出迎える。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 ついでにいえば、今足場となっているこの布がどういう理屈で宙に浮いているのかも、気になるならないは別として、今はどうでもいい。

 今すべきは、“何の理由があって“アサシン(自分)”を付けて来たのか“を問い質す事、だ。

 

「やぁ。僕はアラジン。旅人さ」

 

 立ち上がり、そう名乗る青い髪の少年と、その後で後ずさりし過ぎて布の上から落ち掛ける金髪の少年をフードの中から見下すモルジアナの赤い目は、多分に含まれた疑心と苛立ちによって細められていた。

 意図せぬ2度目の邂逅となった二人の少年へのその視線は、必ずしも尾行者への警戒や、先のファティマーのせいで未だにささくれ立ったままの機嫌だけが理由では無かった。

 




そんなこんなでファティマー暗殺完了。
そして地味に忙しくなってきたここ最近。次を投稿できるのはいつの事やら。

それはそうとマギのopとed変わりましたね。
いやはや、年甲斐もなく踊り子モルさんにちょっとキュンと来ました。かわゆいですね、アレ。

そして某禿げ丼のモヒカンがやっぱり受け入れられない自分がいたり。DLC来るのいつかなー。

さて、アラジン&アリババと二度目の出会いを果たしたモルさん。次は二人の誤解解くついでに、ちょっとしたいたずらする話になる予定なんで、多分、いつも以上に地味な話になるかもしれませんが、どうかお付き合いの程を。

それではこれにて。感想・ご指摘お待ちしております。
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