もしもモルさんが暗殺者だったら   作:コナー

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第七夜

 “秘宝”と、そう聞いた大概の者が思い浮かべるのは大量の金銀や宝石か。

 あるいは、この世界においては人知を超えた力が秘められた“魔法アイテム”や、伝承に伝わる“ジンの金属器”といったところか。

 いずれにせよ、その言葉が持つ意味を大抵の人間は何物にも代えがたい代物として、好意的に解釈するだろう。

 だが、モルジアナは違った。

 彼女の辞書において、“秘宝”という言葉が持つ意味はむしろ逆。“人を誘惑し、幻影を見せて変貌させてしまう。決して触れざるべき恐ろしい物”という、そういう負の意味合いが強い言葉として、彼女の中に刻まれている。

 いや、それ以前に“大導師”が今の席に着いた10年前、モルジアナが末席に加わる以前から“教団”に属する“アサシン”達にとって、“秘宝”とはそういう物であった。

 何故なら、彼らの大半はとある“二人の男”の手によって、己が身を持ってその脅威を体験した。“大導師”によって救われなければ、そのまま“秘宝”の力によって唯の意思無き傀儡と化したままか、あるいは何も分からぬまま死に果せていたという経験があった。

 そして、身体の端から凍りつくようなその恐怖の過去を聞かされた新たな入門者達は――特に、俗世から離された“マシャフ”の中の世界しか碌に知らないモルジアナのような若者達は、実際に見た事が無い故の想像から来るものも含めた“秘宝”への恐れを植え付けられる事となったのだ。

 先代の大導師を誘惑し狂わせ、多くの“アサシン”達に滅びの幻惑を見せた“秘宝”――“エデンの林檎”の、その恐ろしさを。

 

 

 

 その時、彼らは、というより彼の相方は、眼下の大通りで走る一群を追っていた。

 正確にはその先頭で両腕を翼のように後ろに下げて走る、白いローブをだ。

 そしてその最中も、

 

()めて()めて()めて()めて()めて()めてエエエェェェッ!!」

 

相方アラジンの両肩を掴んで、引き返すよう必死にアリババは懇願していたのであった。

 が、宙高く飛行するターバンの上からのその響きは下の人々は元より、その対象であるアラジンすら意に介す様子も無い。彼の青い目と意識は、只管“アサシン”の方へと注がれていたのだ。

 おまけに、如何な“アサシン”も“魔法のターバン”の飛行速度には適わないのか、除々にその差は詰まって来ていた。

 このままではマズい。“アサシン”に追い付いてしまう。そして“誤解を解いてもらう”という名目の下にその逆鱗に触れたアラジン共々、殺されてしまう。

 冗談では無い。何としても止めなければ!

 頭の中に勝手に浮かぶ、血溜まりの中で倒れ伏す自分とアラジンの惨殺死体という最悪の未来図を避けるため、なおも涙目で絶叫するアリババであったが、そんな哀れな彼に一抹の福音が訪れた。

 福音だと、そう感じられたのは、驚いたようなそのアラジンの言葉が、彼らの眼前に迫っていた教会の鐘の荘厳な音と共に告げられたからだ。

 

「あれっ? お姉さんがいなくなっちゃった?」

 

 困ったようなその声を聞くや、すぐに表情を一変させてアリババも下方を見渡した。

 見れば、白いローブの神学者の一団を相手に、お前か、いやお前じゃない、などと怒声を上げて問い詰めている町警史達と、それを距離を置いて周囲から見守る群衆の様があった。

 似たような格好の神学者達のせいでそう判断するのに手間取ったが、確かに件の白ローブの姿は見当たらなかった。

 その状況を、自分達を含むあらゆる者から“アサシン”が逃げ切ってくれたらしいとアリババが悟るのに時間は要らなかった。

 

「……ほ~~ぉ……」

 

 ――……生き延びた……。

 ガチガチの緊張感から解放されて一気に弛緩した全身のままに大の字で寝ころぶや、肺に残っていた空気を間延びした安堵の息として全て吐き出していた。

 一方で、アラジンは首を傾げていた。

 

「おかしいなぁ。真っ白な服の人達が出て来るまで、ちゃんといたのに」

 

 次いで、いたよね、と確認を求めて来る青髪の少年に、うんそーねー、とだけアリババは気の無い返事を返した。急激な脱力により一気に散漫になった思考と口ではそれだけ返すのが精一杯だった。

 ふと、飛び上がった彼の前髪の一束が風も無いのに揺れた。

 それが“魔法のターバン”が周囲を旋回し始めたことによって発生した慣性によるものだと悟ったのは、石ブロックを積み重ねで出来た教会の屋根から伸びた鐘楼が左から右へ出たり消えたりする様が視界の端に覗けたからだ。

 懲りねぇなぁ、と嘆息してから、未だ鐘が鳴り続ける教会の方に何気なく顔を向けた、その時であった。

 金の双眸が、見えてはいけないモノを捉えた。

 ターバンからそれなりに離れた教会の屋根の上に丁度足を着けた、白いローブを捉えてしまった。

 眼球から受け取ったその映像が、アリババの脳をフリーズさせてしまった。

 掘り当てた間欠泉のように噴き出す感情と、それを受けて発した身体への命令のあまりの量に対応し切るために必要な、暫しの遅延(ラグタイム)であった。

 その一刻の時間が過ぎ去って、行き渡った脳からの命令が彼に行わせたのは、

 

「イタアアアアアアァァァアアアサシンだああああぁぁぁぁっ!!」

 

鐘が鳴り続けている塔の天辺に一足で跳び付くや、獲物目掛けて猛スピートで接近する猛禽類のように彼ら目掛けて飛び込んでくる“アサシン”への絶叫と急速後退であった。

 が、同時に背後が足場一つ無い宙空である事を完全に失念していた。

 危うく落ち掛けたアリババがターバンの端を間一髪で掴むのと、直前の彼の悲鳴を頼りに自らもその姿を発見したアラジンが、振り返り際に出迎えの言葉を口にしたのはほぼ同時だった。

 

「やぁ。僕はアラジン。旅人さ」

 

 呑気に自己紹介をする相方と、一気に下がった目線により目深に被ったフードの中から覗けた可愛らしい顔――平時且つ、相手が一般人であれば、『おっ、カワイイ子!』と鼻の下の一つでも伸ばしていたかもしれない――をどこか苛ついたような無表情にして彼を見下ろす暗殺者という構図が、たゆたう布の隙間から覗けたその瞬間。

 とっくの昔に天へ召された両親の下へ旅立つ親不孝が確定してしまった事を悟ったアリババの目の前が、恐怖と絶望で真っ暗になった。

 

 

 

「……何の用ですか?」

 

 昨日の大通りで出会った白装束に赤髪の少女は、とても不機嫌そうに顔をムスーンと膨らませていた。口調も、昨日の少年に掛けていた優しげな感じとは打って変わって、どこか警戒しているような棘のある口調だった。言外に、そんな事は訊いていない、とさえも言っていた。

 何か嫌な事でもあったのだろうか? そういえば、さっきもまた誰か殺していたような気がするが、そのせいだろうか。――そう思って尋ねようかと少し迷ったアラジンだったが、態々蒸し返すのも悪いと考え直して、彼女の質問に答えた。

 

「うん。実は僕とアリババ君は、今街中の皆から誤解されているんだ。それでお姉さんにその誤解を解いて欲しいんだ」

 

「誤解?」

 

「うん。ドロボウの誤解なんだ。僕達が連れて行ったって思われてるのさ。ね、アリババく――」

 

 そうアリババに同意を求めようと振り返るや、途中まで出掛かっていた言葉をアラジンは止めざるを得なかった。

 致し方ない。全く気付いて無かったのだ。

 てっきり今もそこにいると思っていた筈のアリババが、ターバンの端を掴む指と、チラチラと出たり現れたりする金の髪の一束だけしか見えなくなっていたとあっては。

 ましてや、発見したその直後にターバンの端に掛かっていたアリババの指が滑るように離れたとあっては。

 

「って、アリババ君っ!?」

 

 突然落ちたアリババに慌てふためき、急いで首下の笛を咥えようとするアラジン。

 だがそれよりも先に、既に白い人影が彼の横を通り過ぎ、アリババの指が掛かっていた辺りにしゃがみ込んでいた。

 右袖が振られたと思った、その瞬間には既にアラジンの隣で白ローブに放り上げられたアリババがボスリとターバンを窪ませて着地していた。

 同時に、何故か気絶していた彼が意識を取り戻すや、ガバリと上半身を起こして少女を震える手で指差した。

 

「あ、ああ、あさ、あささ、あさ、あさしっ、“アサシン”っ……!」

 

 目を剥き、カチカチと歯を打ち合わせて“アサシン”に怯えるアリババを、大袈裟だなぁ、と思いつつ宥めようとしたが、そうするよりも前に“アサシン”の少女が呆れたような溜め息混じりにこう言った。

 

「貴方方に危害を加えるつもりはありません。落ち着いて下さい」

 

「ちょ、ちょっかい掛けるつもりは無かったんだ! 俺は無かったんだ! こ、殺すのだけは勘弁――へっ?」

 

 今のところは、と最期に少女が呟いた事は、半狂乱のアリババはおろか、傍から様子を見ていたアラジンの耳にも届かなかった。

 それはともかくとして、手を合わせて頭を上下させたのも束の間、さも予想外とばかりと間の抜けた半泣き顔で見上げたアリババを無視して、先程よりも幾分か険しくなった表情の少女が再びアラジンの方を見下ろしたのであった。

 

「先程の話ですが、もしかしてブーデルから暴行を受けていた少年の事ですか?」

 

「うん。そのおっぱいおじさんに蹴られてた男の子。連れて行ったのはお姉さんなのに、皆僕達が連れて行ったって感違いしているみたいなんだよ」

 

 そう返した後、少し考えるような素振りの後に確認するように少女が問うて来た。

 

「――それが“アサシン()”を付けて来た理由ですか?」

 

「そうだけど?」

 

 そう返答を返すアラジンに躊躇は一切無かった。

 その迷い無い答えが、少女に訝しさを覚えさせて形の良い眉を顰めさせたなどという事には、当然気付く事など無い。

 

「何故、私が貴方方の助けになると? 殺されてしまうとは考えなかったんですか?」

 

 その問い掛けに、アラジンは首を左右に振った。

 彼女の問い掛けにそう答えるだけの根拠を彼は持っていた。

 それは、一時間ほど前にアリババが推測した“第一印象”だけの話では無い。もっと、ハッキリとした根拠が彼にはあったのだ。

 ただ、それはそのまま伝えた所でアリババはもちろん、この“アサシン”の少女にも理解してもらえるものでも無かった。

 それが分かっているからこそ、彼はアリババに答えた時同様に感じた印象を答えたのだ。

 

「だって、お姉さんとっても優しそうだったから」

 

 正確には、そう“伝えられた”。

 彼女の周囲を飛び交っている、白く光り、ピィピィと鳴く小さな鳥の群れ。

 今もなお少女がどんな人間なのかを曖昧ながら彼に伝え、その一方で彼女の“左腕”に――正確にいえば、そこにある腕当てに据え付けられた、隠し短剣に――だけ、“怖がっている”のか一匹も近づこうとしない。

 “アラジンにしか見えない”その鳥の群れが、“アサシン”の少女を優しそうだと感じる、アラジンの最大の根拠であった。

 

 

 

 アラジンと名乗った青い髪の少年に対し、モルジアナが抱いた感想は“ワケが分からない”というその一言で片づけられた。

 今街を騒がせている殺人鬼――彼女自身はそこまで自分の事を卑下していないが――にちょっかいを掛けるようなマネをし、その理由が“誤解を解いてもらうため”。おまけに、自分が協力してくれるだろうというその根拠が“優しいから”ときた。

 おまけに、何故自分が優しいと感じたのか、と問い返せば、

 

「だって、優しそうなお顔してるもん」

 

と、少しだけどう返すかを考えるような素振りを見せた後に、答えになっていない答えが返ってくる始末だ。

 ふぅ、と小さな溜め息を洩らす。

 “採掘砦のファティマー”の追跡中に、たまたま後ろから飛んで来る彼らを見つけ、態々教会の神学者達に紛れてまで追って来た理由を問い質そうとした。が、こんな暖簾を腕で押すような遣り取りばかりでは、唯でさえファティマーのせいで荒れている心に要らぬ苛立ちが溜まるだけだった。

 仕方が無いので、代わりに先程の彼の言葉で少し気になった事について訊く事にした。

 

「何故、あの子の鎖を切ったのですか?」

 

 昨日のブーデルの攫う前の一連を、モルジアナは群衆の中から見ていた。その際、確かにブーデルが“彼らが奴隷の少年の鎖を切った”と言っていたのも、耳にしている。

 この際、どうやって見るからに頑丈そうだった鎖を断ち切ったか、などはどうでもいい。気になるのは、“何の目的があって、少年の鎖を断ち切ったか”だ。

 奴隷泥棒の罪は、奴隷の鎖を切ったその時点で確定する。そういう意味では少年の言う“誤解”とやらこそ正に誤解なのだが、それよりも、重い罪となるその行為を“教団の外の人間である”彼らが行ったその理由の方に興味があったのだ。

 といっても、同じ人間の事を、“法”が認めたからと物のように扱われる事に疑問すら抱かないような連中の考える事だ。

 大方“無料(タダ)で奴隷が欲しかった”とか、“所有者だった貴族が悔しがる顔が見たかった”とか、そんな木端のような理由が関の山。自分達のように、唯自由を奪われた人々を救おうとする当たり前の意思すら欠如している彼らから訊ける事など、高が知れている。

 そんなふうに高を括り、視線に込める疑心を高めていたが故に、自らの問いに続けられたアラジンの返答は、表に出す事こそ無かったまでも、少なからずモルジアナを狼狽させるだけの威力を持つに至っていた。

 

「何でって、“重たそう”だったから」

 

 そう答えた少年の青く大きな瞳は、天上に広がる大空のように透き通った真っ直ぐな光を放っていた。

 予想とはまるで正反対のその返答が、一欠片の嘘も無い純粋な真実だという事は一目瞭然だった。

 それはとどのつまり、このアラジンという少年があの奴隷の少年の鎖を解いたその理由が、“見ず知らずの奴隷を同じ人間として扱い、純粋な善意のままに救おうとした”という事だ。

 “教団の外の人間”が下したその解答は、あの現場に立ち会ったその瞬間と同様に、“意外”という他無かった。

 それをどう捉えるべきかを再び考えあぐね出すモルジアナだったが、その思考は程無くして中断させられた。

 

「どうしたのお姉さん? 僕、そんなにおかしな事言ったかい?」

 

 不思議そうに眉を下ろしてフードの中を覗き込んで来るその顔に、いえ、と小さく首を振ってモルジアナは返答した。

 多少幼い思考の上に成り立っているようではあるが、おかしな事など無い。少なくとも、彼女の判断基準と比較した上では。

 だが、“法を盲目的に信じる”筈の彼らからすれば、それは常識に著しく欠けた非理性的な屁理屈もいいところの筈。だから“アサシン(自分達)”の行動も理念も彼らには理解し得ないものなのだ。こんな事は、有り得ないのだ。

 故に、自らも知らぬ間に、モルジアナの内には彼らへの――というより、アラジンへの――興味が生まれていた。

 その正体の掴めないまま、気付けばその気持ちのままに彼女の口は、勝手に動いていた。

 

「分かりました。貴方方に掛けられた“誤解”とやらを解きましょう」

 

 先程より少しだけ薄まった疑惑の視線の先で、青い髪の少年が願いを受け入れられた事を飛び跳ねて喜び、その傍らでアリババと呼ばれた金髪の少年が鳩に豆鉄砲を撃たれたような表情を浮かべていた。

 

 

 

 誤解を解いてやる、とそう答えた“アサシン”にアリババの頭にまず過ったのは聞き間違いの可能性であり、次いで予定通りに事が進んで喜ぶアラジンの意思のままに飛行を始める“魔法のターバン”の上に平然と正座するその姿を見て浮かんだのは“意味不明”の四文字であった。

 てっきり殺されるとばかり思っていた。相手はフィダーイー(イカれた殉教者)にして、大麻(ハシーシュ)中毒のハシシ(麻薬)野郎だ。そもそも、まともなコミュニケーションを取れる相手かどうかすら疑わしかったのだ。

 なのに、そんな素振りもまるで無く、気付けば本当にアラジンが言っていた通り協力してくれている。

 この状況を意味不明といわずして、一体何というのか。

 ――いや、まだ油断出来ねぇ。

 とりあえず協力してやる、とそう言って見せたに過ぎないのだ。油断したところを狙って口封じに喉笛をバッサリ、という可能性もある。

 普通に考えれば最初にターバンに乗りこんで来た時点でそうなっているところだが、だからといって無いとは言い切れないし、用心を怠って良い理由にもならない。まだ17年しか経っていない短い人生で何かと数奇な出来事に遭って来たアリババからしてみれば、特に。

 右肩から左脇まで細いベルトが走った背を見せてターバンの上に座る白ローブへの視線を外さず、いつでも臨戦態勢に入れるように赤と黄色のサッシュに差したナイフの柄に右手を近づけ、拳を握った左腕を背に回しておく。

 最も、その警戒の構えをすぐに彼は解く事になるのだが。

 

「ねーアリババ君?」

 

 不意に振り返ったアラジンの事は、その時点の彼には完全に意識の埒外であった。

 故に、張り詰めていた気の対象外からのその声に驚いたアリババは、思わず引き抜き、宙に放り投げてしまったナイフを落とさないがための危うげなジャグリングをしつつ、すっ頓擧な声を上げていた。

 

「お、驚かせんなバカ! 何だよイキナリ!?」

 

「怒らないでおくれよぉ。――えっとね、どこに行けばいいか教えて欲しいんだよ」

 

 若干怯えたようにそう言ったアラジンに、は、とアリババもまた間の抜けた声を洩らしていた。

 考えてみれば、意気揚々と飛び出して、一体自分達はどこへ向かおうとしていたのだろう。

 あるのは“奴隷泥棒の誤解を解く”という目的と、“本気かどうかは別として協力してくれることになった“アサシン””という現状の二つだけだ。具体的な手段と方針については、アラジンもアリババも最初から考えていなかった。というか、アリババに至っては最初からやる気すら無かった。

 当然、これから向かうべき方向など分かるワケが無い。

 それに気付いて、暫し茫然としていたところに解答を催促して来たアラジンを、

 

「俺が知るかそんな事ぉ!!」

 

アリババは怒鳴りつけていた。

 

「つーか、お前こそどこ行くつもりだったんだよ一体!? 思いっきりターバン飛ばしてたじゃねーか!」

 

「ご、ごめんよぉ。お、お姉さんが誤解解いてくれるって言ったから、つい嬉しくなっちゃって……」

 

「お前なぁ……」

 

 つい、で本当に一体どこまで飛ぶ気だったのか。

 細い両の眉で八の字を作ってあたふたとするアラジンに呆れ返ったアリババの腹の底から、大きな溜め息が込み上げて来た。

 徐に“アサシン”が立ち上がったのはその時であった。

 喉を通り過ぎ掛かっていた溜め息は、視界の端のその動きを察知した時点で反射的に飲み下していた。

 ――く、来るのか!?

 すぐさまナイフを抜き、昔仕込まれて以来身体に沁み付いた左腕を背に回す構えのままにアラジンの前に立ち、その切っ先を白ローブの背へと向ける。

 アラジンとの遣り取りで半ば緩み掛けていた緊張を一気に引き締め、一切の油断を捨てた目で、その一挙一動を見定めようとした。

 そんなアリババを、相も変わらずフードのせいで表情の伺えない顔を向けて一瞥したかと思いや、まるで意に介していないように彼らとは逆の方向へと歩を進めていく。

 その行動に、あれ、と毒気を抜かれたアリババが、それでも尚ナイフを下ろさずにいられたのはそれから十数秒後までの事。

 地表30mは下らないだろう高さで波打つターバンの端まで歩み寄ったその刹那、飛翔を始めようとする猛禽類のように両腕を広げた“アサシン”が、二者二様の目でその様子を見ていた彼らの前で“飛んで”見せるまでの事であった。

 身を投げた、といっても良い。

 何にせよ、先程の協力の承諾等比較にならない、あまりに唐突極まりない事態であった事に変わりは無かったのだ。

 それに目を点にしたのも束の間、すぐさま構えを解いて傍らのアラジン共々、数瞬前まで白いローブが立っていたそこから下を覗きこんだアリババの目に映ったのは。

 彼らの遥か下を通り掛かった荷馬車の荷台に敷き詰められた藁の数本を巻き上げ、彼らの方を向いた仰向けの体勢の“アサシン”がその中へ飲み込まれたところであった。

 

 

 

 背中越しにアラジンと金髪の少年――アリババの騒ぎ声を聞いていたモルジアナは、呆れるばかりのその内容に心中で嘆息しかけて、止めた。

 彼らに計画性が無い事は分かり切っていた。最初のアラジンとの対話の時点で、唯“奴隷泥棒の誤解”を解いて欲しいという欲求が先立っており、そこに深い思慮などおよそ介在しえない事は明白であった。

 詰まる話、協力とは名ばかりで実質はモルジアナ任せだといえた。

 当の彼女としてはそれでも構わなかった。

 元より、引き受けた理由は彼らへの――特にアラジンという少年への、個人的な興味であり、こちらにもそういう自分勝手な理由がある事を省みれば、これくらいの要求は一応ギブアンドテイクの範疇だと思えたのだ。

 ともあれ、そんな無計画の下、相変わらずどういう原理で飛んでいるのか不明な白布が行き着いたそこが、“偶然にも目的地付近だった”という幸運に代わりは無かった。

 布越しに下方を覗き込む。

 良いタイミングで藁を詰めた荷馬車が布の真下に近づいて来ていた。お誂え向きだ。

 行動を始めようと立ち上がる。

 途端、一端は消えていた背後からの警戒心と敵意を再び感じた。

 そちらの方を向いて見れば、案の定サッシュに差していたナイフを向け、庇うようにアラジンの前に出たアリババの警戒体勢があった。

 実に正しい反応だった。少なくとも、何の戸惑いも無く暗殺者に協力を求める背後の青髪の少年の摩訶不思議な思考よりは理解出来た。

 だから、彼には興味など無い。“信用に値しない”。

 据えた目でそれを一瞥したのも束の間、すぐに顔を正面に戻して布――先程、後の少年達がターバンと言っていたような気がする――の端まで歩み寄り、再度下を確認。

 予定通り自分の真下に辿り着いた荷馬車の姿を認めるや、その荷台の藁山目掛けて、猛禽類の翼に見立てて両腕を左右に広げ。

 躊躇無く、モルジアナは飛翔した。

 一時の滞空。そして、落下。

 如何な“ファナリス”とて鳥では無い。翼を持たぬ身である以上、重力に引かれた身がそうなるのは必然の事。大切なのは、そこから“先”だ。

 そうして猛禽類の鳴き声に似た風切り音とローブのはためきを纏いつつ、宙で整えた姿勢のままに背中から少女の身体が藁山の中へ飛び込む。

 そのまま、荷台と激突した衝撃のままに後頭部が陥没し、思わず目を背けるような骸に変わり果ててしまったと、普通の人間なら考えるだろう。

 実際、もう少し時間が経っても何事も無かったなら、“魔法のターバン”から唖然とした面持ちで荷馬車を見下ろしていた二人の少年の頭にもその様子が連想されていた。

 そうならなかったのは、潜り込んだ藁の中からすぐに、何事も無かったかのように平然とモルジアナが飛び出したからであった。

 “飛鷹の舞(イーグルダイブ)”。

 藁山や植込みのような緩衝効果のある場所へ飛び降り、その内部で特殊な受け身を取る事で緩衝能力を最大限に引き出して落下の衝撃と着地音をほぼ0に変え、同時にその中へ身を隠す。高所から地表への高速移動、潜入、逃走等、様々な用途で使える高い汎用性を持った、“アサシン”の基本技術の一つである。

 それによって、行き交う群衆の誰にも気付かれる事無く地表への移動を済ませると共に、気配を消してその中へ紛れ込みつつモルジアナは辺りの様子を探った。

 あの大通りの先の教会から西北西、大通りから少し逸れた所にあるその住宅街の中心で、大衆や、奥の方でギラついた目で巡回している町警史達とは別の人間が声を張り上げていた。

 その人物が最初の目標だ。

 

「市民諸君! 昨日、大通りにて奴隷泥棒が現れた! 賊は二人組の小僧だ! 人のモノを盗み果せたこの愚か者達を見つけ次第、直ちに町警史にその旨を伝えるのだ! 有力な情報を伝えた者には賞金も出るぞ! 先の“アサシン”共々、皆で一致団結してこの街から全ての邪悪を一掃するのだッ!!」

 

 二枚の紙を片手に道路のど真ん中でそう叫んでいる、黒いローブを身に着けた触れ役であった。

 まずは、アラジンとアリババの件を声高に叫ぶ彼の口を黙らせなければいけない。

 だが、殺すのは駄目だ。そもそも“掟”が許さないし、仮にそれでその口を永久に黙らせる事は出来ても、それでは行き渡った二人の少年の“悪い噂”を解く事には繋がらない。“別の方法”で黙らせなければいけないのだ。

 そのために必要な物が揃っているかを、革帯の後ろ側に据え付けられた小さなバックパックの上から確認――問題無い、十分足りる――し、町警史達は勿論、周囲の人々にも自分の存在を悟られないように気を配りながら、その中をゆっくりと、ひっそりとモルジアナは掻き分けていく。

 そうして、遂にその背後、薄暗がりの道路の角に回り込むように辿り着き、触れ役の肩を叩いた。

 

「すみません。少しお話を」

 

 その彼女の呼び掛けに、仕事を途切れさせられる形となった触れ役が顔を顰めて振り返る。

 と同時に、そこに立つのが噂の“アサシン”である事に気付いて叫ぼうとする前にその口を右手で押さえ、強引に黙らせた。

 その一連の動作に気付く者は、誰もいない。丁度道路の角を背に立つ格好になっているため、掛かった影とモルジアナより大きな触れ役の体躯が、良い具合に周囲から彼女の姿を隠す障壁と化していたからだ。

 

「むぐっ、むっ……」

 

「貴方に危害を加えるつもりは無い。ただ、今広めていた内容を少し改めて貰いたいだけです」

 

 そう告げ、革帯の後に付いていたバックパックから“それ”を取り出し、緊張した触れ役の面持ちの前に突き出す。

 2枚の銀貨であった。

 

「『奴隷泥棒の罪を犯したのは“アサシン”で、当初犯人だと思われていた二人の少年は無実だった』。そう内容を変えて下さい。従わなかった場合は――」

 

 もう一度触れ役の目の前に左腕を移動させ、その手首から飛び出させたアサシンブレードの刃で念を押しておく。

 無論、唯の脅しだ。唯職務を全うしているだけの罪無き者を殺めるつもりは無い。

 そうやって、要件を伝えた後にブレードを収めた左手で震える触れ役の手に銀貨を握らせ、薬指を曲げた左手を胸に当てて一礼をしてから、モルジアナは踵を返した。

 程無くして、

 

「し、諸君! 昨日の奴隷泥棒の件について新たな情報が入った! 当初犯人だと思われていた二人の少年は、どうやら罪を被せられただけらしい! 善良なる市民を嵌めた悪魔の正体は、何とあの“アサシン”だ! 例の殺人鬼は人を殺めるだけに飽き足らず、あろうことか人様の――」

 

背後から伝えた通りの内容が聞こえて来たのを機に、先程同様群衆に紛れながら次の目的地へ彼女は足を運ぶ。

 触れ役が手にしていたのと同じ、アラジンとアリババの手配書が貼られた壁の方へ。

 

 

 

 早く帰らなきゃ、と“彼”は思っていた。

 “彼”が帰らなければならないと、そう考えるのは“彼”の帰りを待つ人間が最低でも二人いるからだ。

 二人共、“彼”よりも大きな体を持ったお兄さんだった。

 一人は、とても怖い見た目をしているけど、とても優しいお兄さんだ。無口だが、それでも度々頭を優しく撫でてくれたりする。とても大きくて逞しい身体の、大好きなお兄さんだ。

 逆に、もう一人のお兄さんはとても怖い人だ。見た目は優しそうだが、少しでも“彼”が言われた事が出来なかったり、逆らったりと、すぐに“彼”を踏み付けたり、鞭で引っ叩いたりしてくる。酷い時には、いつも腰に差している剣の先を口の中に突っ込んだり、手に刺して来たりする。

 多分、こっちのお兄さんの事は嫌いなんだと、“彼”は思う。多分、とそう頭に付くのは、それよりもそのお兄さんに対して“怖い”という感情が先立つようになってしまったからだ。

 ともかくとして、“彼”はすぐにでも帰りたいと思っている。そうしなければ優しい方のお兄さんに会えないし、怖い方のお兄さんにどんな恐ろしい目に遭わされるか分かったものでは無かった。

 だがその事を、今“彼”がいる場所にいる人達に伝える手段を“彼”は“持っていない”。

 いや、仮に持っていたとしても、そこにいる人達は“彼”をここから出してくれないかもしれない。

 ここにいる白い格好の人達は、“彼”をここへ連れて来た赤い髪のお姉さんも含めて、皆優しかった。

 怖いお兄さんがくれるのよりも暖かくて美味しいご飯を食べさせてくれるし、優しいお兄さんのように頭を撫でてくれたりする。重くて仕方なかった足枷も外してくれたし、踏み付けたり、酷い事を言われたりもしない。お蔭でそこは、見た目の悪さとは対象的に、とても居心地が良かった。

 しかし、白い格好の人達とは違う、“彼”と同じようにそこに連れて来られた人達がそこから出ようとするのを、白い格好の人達は何としてでも止めさせようとする。時には、気絶させたりもする。

 だからきっと、白い格好の人達は自分もここから出してくれないだろうと、“彼”は幼心に悟っていた。

 でも、帰らないワケにはいかない。ここにいたいのは山々だったが、二人のお兄さんが待っている。

 だから白い格好の人達が、いつものようにどこかへ行こうとする人に気を取られていたその隙に、彼は逃げた。

 その小さい身体が故に、自分達の目をすり抜けた事に気付かない白い格好の人達の叫び声を背に、彼は屋敷への帰路に着いたのであった。

 

 

 

 “アサシン”が宙に身体を放り出した時、何事かと、今までした事が無い程に驚愕し、狼狽した。

 投身自殺かと、次の瞬間には見るもおぞましい死体に変わっているだろう“アサシン”の結末に、もう少しで顔を下から背けるところだった。

 それが信じられない事に唯の杞憂だったとアリババが思い知らされたのは、少し前まで下を通っていた荷馬車の荷台の藁山から何事も無かったかのように白いローブがひょっこり出て来たという、その事実を頭が受け入れるまでの数刻が経った後であった。

 

「――えっ、何アレ? え? 何で生きてんの? 何で平気な顔で歩いてんの?」

 

 軽く見積もっても、浮遊する“魔法のターバン”から藁山まで30mの距離はあった。

 仰向けの姿勢でそんな高さを落ちたのだ。後頭部を強打して墜落死、よくて全身骨折の大怪我、というのが常識的な結末である。

 その常識から余りにもかけ離れた現実の前に、絶対頭打ち付けたとか、あの荷馬車に積まれていたのは藁じゃなくて、藁っぽい何かだったんじゃないかとか、そんなチャチな疑問など容易く飲み込まれてしまう程の疑問の波が、彼の頭の中で無数の波頭を作り上げていた。

 そんな状態がために己が目が続けて映していた映像を拒否し続けているアリババと、

 

「うわー! 見たかいウーゴくん! お姉さんが凄い高さから飛び降りたのに、全然怪我してないよ! 凄いや!」

 

きゃっきゃとその傍らで、首元の笛を突き出しつつはしゃぎ立てるアラジンを尻目に。

 二人の奴隷泥棒の件を周囲に伝えていた触れ役が突然それも“アサシン”の仕業だと言い出したり、そこはかとなく悪人面へと脚色された二人の似顔絵付きの手配書が次々に壁から剥がされたりという奇妙な現象が立て続けに起こった。

 そして、それから暫くして何処からともなく彼らの背後に戻って来た“アサシン”の少女の、

 

「次へ向かいましょう」

 

という指示の下、空から街中を回る事となった二人の少年が、それから5回は繰り返された一連の出来事に、彼女が一体何をしたのかを否応無く理解させられた頃には、相も変わらず天頂から下界を照らしていた日がもう一刻もすれば夕陽に変わるだろう程度に下がっていた。

 最初の飛び降りは、まぁ、これは続けて見せられる内に慣れて来た、という他あるまい。きっと、その度に彼女が飛び込んでいるアレは藁では無く、WARAというべき別の何かなのだ。

 普通の藁に30、40mの高さから飛び込んで無事でいられる人間などいる訳が無いのだから、きっとそうなのだ。――半ば思考を放棄するような形で、アリババはそう納得した。

 次に、突然触れ役が内容を改めた件だったが、何の事は無い。“アサシン”がそうするように仕向けていたのだ。驚く事に周囲の誰にも気づかれずに、左腕の隠し短剣による脅迫と銀貨2枚の賄賂という、実に分かりやすい飴と鞭を使い合わせて。

 何とも狡い手口だ。それが“アサシン”の情報操作の手段の一つであるとまでは見抜けなかったまでも、既に4件の被害を出した殺人鬼なだけの事はある、とその手口に気付いた時、アリババは嘆息せずにはいられなかった。

 最期に、次々壁から剥がれていった彼とアラジンの手配書だが、これは更に簡単な理由だ。唯、“アサシン”が手当たり次第に剥がしていたという、たったそれだけの事だった。それ以上は何も言うまい。

 何はともあれ、最期の手配書が眼下の路地の壁から剥がされてから暫くして、やはりどこからともなく、少なくとも常人が飛び下りれば問題無く死ねるくらいの高度を浮かんでいたターバンの上に戻って来るや、

 

「暫くすれば貴方方の悪い噂(誤解とやら)も消えると思います。これで宜しかったですか?」

 

そう問い掛ける“アサシン”に、お、おう、と覚束ない動作でアリババは頷き返す。

 正直なところ、目の前の白ローブが本当に、しかも自分が奴隷泥棒の汚名を着る形で、自分達の助けになってくれた事を未だに信じられなかった。何か裏があると踏んで緊張していた筈のなのに、今となってはそれが完全に解れてしまっていた。

 それどころか、最初は自らの命の危険が故に怯えてすらいた殺人鬼に、殆ど恐怖を感じなくすらなっていた。

 そんな、自らも困惑してしまうようなアリババの心境を見透かしたように、にんまりとした笑みを浮かべたアラジンが言った。

 

「ね? 僕の言った通りだったでしょ?」

 

 そう勝ち誇ったように言われたところで、アリババに返す言葉は無く、唯唖然とする他無い。

 そんな彼の横を通り過ぎ、“アサシン”の前に出た青髪の少年が後ろ手を合わせた格好でそのフードの中を見上げて、礼を告げる。

 

「ありがとう、“アサシン”のお姉さん! これで僕達、迷宮(ダンジョン)攻略の準備が出来るよ。お姉さんのお蔭さ」

 

「……いえ」

 

 眩しいばかりの笑顔を向けるアラジンから目を逸らすようにそっぽを向く“アサシン”。その小口が、フードの影の下で何かを小さく呟く様が、ほんの少しだがアリババには見えた。

 だが、ほんの少し気になったその内容など、次にアラジンと、そして“アサシン”が取った驚愕の行動の前には塵芥そのものであった。

 

「そんな事無いよ、大助かりさ。――ほら、ウーゴくんもこんなに感謝してる」

 

 そう言うや、アラジンがぐっと首元の笛を突き出す。

 その行動に対し、それが意味する事が分からない“アサシン”が訝しげに小首を傾げ、一方でその意味を理解しているアリババは反射的に腕を伸ばして止めさせようとしたが、少し遅かった。

 アラジンの口に咥えられた金の笛が、彼に息を注ぎこまれるがままに音を出した。

 だが、その後端から出て来たのは甲高い音色だけではない。もう一つ、いや二つあった。

 巨大な、二本の腕であった。

 青く、隆々とした筋骨が付いたそれらが、金の笛の先端の細い穴から伸び出ていたのだ。

 そんな奇妙奇天烈な物体が突然目の前に出現した“アサシン”は、フードの下の口をあんぐりと開けてその場に尻餅を付く程の驚きから。

 その様子を傍から見ていたアリババは、あーあ、言わんこっちゃない、という呆れから。

 共に、発するべき言葉が失っていた。

 

「あ! コラっ、ウーゴくん!」

 

 ほんのりと青い肌を赤く染めて瞬時に笛の中へ引っ込んだ腕の主(?)と、それを呼び出した当人を除いて。

 

 

 

「ああもぅ、ウーゴくんったら……。ゴメン、お姉さん。ウーゴくんは凄くシャイなんだ。きっと、女の人の前だから照れちゃったんだよ」

 

 自らが放った言葉通りにシャイな性格の親友の、しかしあんまりな無作法を笛越しに窘め、次いでその事を謝りつつ少女に弁解する。

 だが、パクパクと金魚のように口を戦慄かせる当の“アサシン”からすれば、そんな事は至極どうでも良かった。

 

「……何ですか、今の?」

 

 あ、そっか、と彼女にウーゴの紹介を済ませていない事に気付いたのは、絞り出たようなその問い掛けの対象が彼である事に気づくまでに要した一拍の後だった。

 

「今のはウーゴくんだよ。僕の大事な友達なんだ」

 

「……友?」

 

 そう返したところ、見開かれていた少女の赤い双眸が少しずつ、尚一層訝しそうに細められた。

 まるで信じられないと、そう言いたげな眼差しがその瞼の見え隠れしていた。

 

「――あの、質問を変えます。その笛は何ですか?」

 

「これかい?」

 

 そう指差された笛を、躊躇無く首から外して“アサシン”の眼前に差し出して見せる。

 夕陽を受けた金属製の筒が、ほんのりとアラジンとフードの中の少女の顔を照らし上げた。

 

「僕も良く分からないんだけど、“ジンの金属器”っていうものらしいんだ」

 

「ジンの、金属器?」

 

「うん。迷宮(ダンジョン)で手に入る中で一番凄い宝物で、ウーゴくんのお友達が中にいるんだ。僕は“地下のがんじょうな部屋”からこれを拾ったんだけど。――そうだよね、アリババ君?」

 

 後ろにいるアリババの方を向き、確認を取る。アラジンに迷宮(ダンジョン)の事だけでなく、ジン(ウーゴやその友達)の事や、“ジンの金属器”の事について教えてくれたのも彼だ。

 その不意に振られた問い掛けに覚束ないながらも肯定の頷きを返すアリババに、若干の考え込むような素振りを挟んで“アサシン”の少女から問い掛けが投げ掛けられた。

 

「――まさかとは思いますが、この笛――“ジンの金属器”やらは、もしかして“秘宝”なのですか?」

 

 その時の“アサシン”の様子が、どこか妙だとアラジンには感じられた。

 アリババへ質問する最中も忙しなく彼の笛に向けられる赤い瞳がその違和感の正体だという事はすぐに分かったのだが、その理由までは推測するに至らなかった。

 故に、それから後に彼女が起こす行動等、予測しようが無かった。

 

「え? そりゃ迷宮(ダンジョン)で手に入るお宝の最高峰だし、秘宝かっていわれりゃ秘宝に違い無いけど……」

 

 その質問の意図が分からず、腕を組んで頭を捻るアリババと、彼の口が紡がれた答えを聞くや再び目を剥いた少女の反応はあまりに対照的だった。

 特に、その直後からチラチラと真下の様子を伺う“アサシン”の少女の緊張したような様子は、大袈裟だとさえいえた。

 

「……そうですか。でしたら――」

 

 相も変わらずターバンの下へ視線を向けたままの“アサシン”の左手が、いつの間にか自分の笛の中程を握っていた事に、ふとアラジンは気付いた。

 何故笛を握っているのか。疑問を感じて尋ねようとしたが、それは適わなかった。

 

「これは貴方方が持つには危険過ぎる」

 

 そう告げるや、彼よりほんの少し年上の少女のものとは思えないような強い力でアラジンから笛を奪い取った“アサシン”が、間髪入れずに後ろへ飛び退いた。

 広がった“魔法のターバン”でもカバーし切れない、足場一つ無い宙空へ。

 アラジン、続けてアリババの順で反射的に追い縋ろうとしたが、その時には既にターバンの下を通った荷馬車の藁山に、巣へ飛び込む鷹のように白いローブが飲み込まれたところであった。

 もう一度だけ藁山から姿を現すや、水の中へ一滴垂らした墨のように行き交う群衆の中へ溶け消えてしまった“アサシン”の姿が、まるですぐに眼下を覗き込んだ彼らを嘲笑うようだった。

 一瞬の内に起こり、一瞬の内に過ぎ去ったにわか雨のようなその事態に理解が出来ず、当に見失ってしまった少女の痕跡一つ残らない真下の道路を、唯只管二人の少年は唖然と見下ろす他無かった。

 それでも、一つだけ分かり切っている事があった。

 笛を――“ジンの金属器”を奪われた。

 それすなわち、初めてにして、最も大切な親友が目の前で攫われたのも同義であった。

 

「う、ウーゴくん!? ウーゴくんっ!? ウーゴくううううぅぅぅん!!」

 

 気付けば、“魔法のターバン”を降下させる事も忘れ、咄嗟にアリババが押さえに入らなければそのまま下へ落ちていただろう勢いのままに、アラジンは叫んでいた。

 何も分からぬ内に囚われの身となってしまった友へのその必死の叫びは、しかし応える者も無く、いよいよ夕焼けに変わり出してオレンジ掛かって来た空に空しく響き渡るだけであった。

 

 

 

 悪い事をしたとは思わないでも無い。

 だが、これで良いのだ。

 これが“秘宝”だというのであれば、あの少年達にこれはあまりにも過ぎた代物だ。

 この“ジンの金属器”とやらが、多くの“兄弟”達が幼い頃から語ってくれたあの“エデンの林檎”と同じ“秘宝”であるならば、これをまともに使える人間など、自分も含めてほとんどいない筈。

 それこそ、唯一“エデンの林檎”を完全に制御し、多くの“兄弟”を救ったと実しやかな噂が囁かれる“大導師”くらいでも無ければ、触れる事さえ忌避すべき代物なのだから。

 そういう善意が、今自らが小脇に抱えるその金属製の笛を取り上げた際に、モルジアナの内にあった。

 そう、あくまで“善意”から来る行動なのだ。

 ファティマーのせいでささくれ立った心は、あれから随分と落ち着きを取り戻していた。

 あの二人の少年の“誤解を解く”ために費やした時間が、結果的に彼女の中で燻っていた苛立ちを鎮火させるのに必要な時間に変わってくれたのだ。

 もし、彼らの願いに耳を傾ける事無く支部へ報告に帰っていれば、きっと荒れた心のままにバートリーに、ファティマーが同郷の人間を奴隷に貶めた事があった事を隠していたのを問い詰めていた。今朝の彼女に感じた違和感が、その事を知ったモルジアナへの余計な影響を考慮して敢えて黙ったためだったという事に気付かないままに。

 そうして互いが互いに、もしくはモルジアナ一人だけが険悪感や疑念の類を抱き、確執という程では無いにせよ、今後の任務に少なからず影響を与えるところだった。

 そんな可能性があった事を加味すれば、彼らに協力した事に得られた利益が確かにモルジアナにもあった。

 少なくとも、あのアラジンという少年にはその事に対する感謝の念があった。

 だからこそ、この笛を彼の手元から遠ざけてやるべきだとも、強く思ったのだ。

 無論、その気持ちの裏側に会ったばかりの、それも個人的には好ましい思考を持った無邪気な少年の持ち物を奪ってしまったという罪悪感が無い訳でも無かったが。

 何はともあれ、今は帰路を急ぐべきだろう。

 彼らに付き合ったせいで、報告に “チーシャン支部”へ戻るのが随分と遅くなってしまった。

 明確に帰還の時刻を決めていた訳でもないが、しかし無駄に時間を過ごしても良い訳でも無い。既に日が暮れ掛けて辺りがオレンジ色に染まり出した今の時刻に、何の途中報告も無く戻ってきたとなれば、少なからずお叱りの言葉を受けることになるだろう。

 しかし、それだけの時間を掛けた甲斐があった、と頭に付きこそしないものの、“領主の目的”という思わぬ成果があったのも確かだ。

 今まで領主の暗殺に乗り出せなかったのは、彼の最近の行動の裏に潜むその目的が分からなかったためだ。それが判明したとなれば、いよいよ次は今回の任務最大の標的を消しに向かう事になる。

 彼の者を討ち、その下に集められた多くの奴隷(人々)を開放するその時が、いよいよ訪れるのだ。

 “採掘砦のファティマー”を始末しただけでなく、それだけの収穫も持ち帰ってくるのだ。それで多少はバートリーが機嫌を直してくれる事を、いよいよ屋根に設けられた支部の入口が眼前に近づいて来たモルジアナは祈るばかりであった。

 が、その身に掛かった慣性のままに飛び込むように入り込んだ支部内の様子は妙だった。

 着地と共に視界に入って来た休憩室の入口の奥、作戦会議室でカウンターを挟んで、バートリーと“収集隊”の“アサシン”が、何やら困窮した様子で向かい合っていた。

 “何か”が起こったのだ。それも、唯事では無い“何か”が。

 彼女達の周囲に漂う緊迫した空気にそれを数瞬の内に悟ったモルジアナは、すぐさま入口を潜りつつ二人に問い掛けた。

 

「何かあったんですか?」

 

「おお、ヘイザム! スマン、ヘマしちまった」

 

「“ヘマ”?」

 

 彼女の姿を認めるや慌てて頭を下げる“収集隊”の言葉を聞き返す。

 その言葉の意味に特徴的な顔立ちを深刻気に歪めて答えたバートリーの言葉は、支部内に漂う緊迫感の意味をモルジアナに否応なく理解させるものだった。

 

「昨日アナタが連れて来た坊や、覚えているわね?」

 

「あの子が何か?」

 

「逃げてしまったわ。昼過ぎに」

 

 逃げた、と、そう届いた言葉に、モルジアナは思わず耳を疑わざるを得なかった。

 今、“チーシャン”の貧民街の一角には彼女の任務の過程で開放された多くの奴隷だった人々が集められている。

 同様にそこに匿っていたあの少年が逃げ出したという事は。

 すなわち、彼女の任務終了を待って、“収集隊”により各々のいた場所へ戻されるその時まで匿われている彼らの所在。ひいては“チーシャン”の“アサシン”達の拠点である支部の位置が彼の口から割れてしまうという事。

 一刻を争う事態に陥ったという事に、他ならなかったからであった。

 




そんなこんなseqence2終了と相成りました。
いや~、まずはともあれ、4週間近くお待たせしてすいませんでした。
何故か今回は筆が全く進まず、構想段階で一歩進んで二歩下がる状態でして。う~む、レイトン教授VS逆転裁判買ったのが失敗だったのかしら(オイ
何はともあれ、次回よりseqence3突入。いよいよ攻め込みますぜジャミル邸!
個人的な話になりますが、何分忙しい時期なのでまた更新が遅くなるかもしれませんが、どうか次の話もお付き合いの程、よろしくお願い致します。

それでは。感想、御指摘お待ちしております。
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