そんな事は気にせずとりあえずどうぞー!
『灰被り』のクロアを名乗り始めてから数日経った。いや、ぶっちゃけ『灰被り』という二つ名を俺が紹介したのはモンモランシーとクラウス、それにシエスタだけなので、名乗り始めたと言っても実際に「『灰被り』の二つ名を名乗らせていただいている」とか言ったことはない。もしかしたら他に誰も知らないかもしれない。いや、知らない可能性の方が高い。
クラウスはこの数日間も短時間だが頻繁にモットおじさんと会って話していたようで、マザリーニ枢機卿とアンリエッタ姫の現在位置や予定日に狂いが出ないか情報交換をしているらしい。そのようなクラウスの本気度をモンモランシーが毎日お見舞いに来て話してくれた。
そして、明日はいよいよミスタ・ギトーの初授業が行われるらしい。ついでにマザリーニ枢機卿とアンリエッタ姫が来るらしい。
ふむ。シュヴァリエという罠やミスタ・ギトーの初授業に心奪われすっかり忘れていたが、ここで一度これから起こるであろう原作のあらすじに関する考察を行っておくべきだろう。いや、すでにかなり乖離している気がするが、まだギリギリセーフであるはずだ。介入することによって再び乖離が進む可能性は高いが、もしかしたらそれによってカスティグリアやモンモランシが良い方向へ向うかもしれない。
確か、マザリーニ枢機卿とアンリエッタ姫が、同盟関連と婚姻関連の話をしにゲルマニアに赴いたあと、帰路の途中にある学院へ寄ることになる。この辺の変化は今のところない。
そして、ミスタ・ギトーの授業中にコッパゲ先生がカツラを被って乱入し、アンリエッタ姫を出迎えるため、全員出迎えの準備をすることになる。そういえばマザリーニ枢機卿に関しては言明していなかった気がする。アンリエッタ姫だけとは、コッパゲ先生もしかしてミーハー?
そして、何かあったあと、その後に起こるイベントが今回のキーになる。夜、アンリエッタ姫がルイズ嬢の部屋を密かに訪れ、ルイズ嬢との古い友好を再び暖めなおすのだが、ちょっとわざとらしかったはずだ。いや、モットおじさんとクラウスの演劇調交渉術もちゃんと双方に通じていたことを考えると、もしかしたらハルケギニア流の交渉術なのかもしれない。俺には備わっていないが、クラウスにも備わっている技能であるし、英才教育されている人間にとってはむしろ当然使われるべきものなのだろう。
少々逸れたようだ。そこで、アンリエッタ姫がルイズ嬢にトリステイン王国のためにゲルマニアに嫁ぐ事を話し、ルイズ嬢の同情を引き出しながら今回の問題を告白する。「始祖に誓ったアルビオンの王子様へのラブレターがアルビオンにあるのだよ!」というものだ。重婚が一応許されていないこの世界で、ゲルマニアに嫁ぐことになっているのにその手紙が見つかると同盟にヒビが入るのでは? という話だったはずだ。そしてその手紙の回収をルイズ嬢とサイト、そしてたまたま立ち聞きしていたギーシュが請け負う。
しかし、アンリエッタ姫はなぜルイズ嬢に頼んだのだろう。手紙を何としても秘密裏に回収したいのは何となくわかる。しかし、何も公爵家の三女を送り込むことはないだろう。もしかして王族の自分がゲルマニアに嫁ぐのに公爵家の三女が将来普通に恋愛結婚しそうなのがイヤだったのだろうか。原作のあの姫様の性格だとありえないと言い切れないところが怖い。
ふむ。本当にそんな単純な感情で起こしたのなら問題ないかもしれない。奪還作戦は今のままでもギーシュやキュルケ嬢、タバサ嬢が協力してくれれば原作通り上手くいくだろう。しかし、単純な感情でなかった場合は周囲に危険が伴うかもしれない。少し考えてみよう。
まず、彼女の現在の保護者的な立場であるマザリーニ枢機卿に相談した場合、マザリーニは動くだろうか。原作の状況なら迷わず見捨てるだろう。現在と同じようにカスティグリア、モンモランシ以外の戦力が全く揃っておらず、負ける直前のアルビオン王党派に使者を送ったことを口実に内戦が終わり次第攻めれる可能性があるからだ。もしアルビオンの貴族派をあっさり跳ね除けるような力を持っているのであればもっと早くアグレッシブに動いていてもおかしくない。
それに使者を送るとしても王党派約300名に対して貴族派は公称五万の軍だ。そこに堂々と使者を送るならばやはりそれに釣り合うような戦力か、少数精鋭でかなり訓練されており、さらに名のある貴族が必要だろう。今のところ、『烈風』のカリンくらいだろうか。彼女が現役の頃は本名だけでなく性別さえ隠されていたのだが、現在はカリーヌという名前のルイズ嬢の母上だ。一時的にカリンに戻っていただいて、任務に就いていただくくらいしか思いつかない。
つまり、マザリーニに相談しても後々の対処を彼に任せられるだけで手紙自体は放棄される可能性が高そうだ。そして、恐らくマザリーニは手紙の事を知ったらトリステイン側が少々損を被ってもゲルマニアに相談するだろう。実際、手紙が出たとしてもゲルマニアが先に知っていればアンリエッタ姫とゲルマニアの皇帝が存在を否定する公式宣言を出すだけでよい気がする。ただ、アンリエッタ姫の名声に少々傷が付き、ゲルマニアでの対応が少し悪くなるかもしれないだけだ。トリステインとしては損害は少ないが、アンリエッタ姫としてはあまりいい未来ではないかもしれない。
次にルイズ嬢に相談した場合なのだが、ルイズ嬢が引き受けなかった場合は特に考えなくていいだろう。友達として愚痴ってごめんなさいとちょっと考えが足りない振りをして口をつぐんで貰えれば問題ないだろう。恐らくルイズ嬢が引き受けなかった場合とルイズ嬢が引き受けても失敗した場合の最終的な手段は先のマザリーニへの相談だろう。
いや、時系列的に間に合うかどうかはかなり怪しい。何も対処せずに居た場合が一番トリステインにもアンリエッタ姫にも悪い未来になりそうだが、ギリギリ間に合うと考えたのだろうか。もしくは間に合わなくてもルイズ嬢に相談する方に賭けたのだろうか。その辺りはあまり重要ではなさそうだが、一応覚えておこう。
そして、もしルイズ嬢が快諾した場合、アンリエッタ姫は成功と失敗の確率をどの程度見積もっていたのだろうか。
まずアンリエッタ姫はアルビオン王国の情勢は知っているはずだ。想い人であるウェールズ王子の死期が近い事も知っていたから亡命を薦めたのだろう。ん? ウェールズ王子に手紙を届けた時点で亡命を薦めたことを知っていたのはアンリエッタ姫とウェールズ王子のみ……、本当に亡命して欲しいのであればルイズ嬢にも知らせるのではないだろうか。何かが引っかかった気がしたのだが思いつかない。
むしろ本当に、手紙回収の依頼に関するウェールズ王子への手紙を事前に用意していなかったことから、偶然愚痴ったらルイズが快諾してくれてその場で手紙を用意したのだろうか。いや、その可能性もあるが、偶然を装った可能性も否定できない。手紙を用意していない場合、その場で書けば良いだけだし、断られたときはウェールズ王子への手紙を用意していたら処分に困っただろう。
うむ。偶然を装ったと見ていいと思う。むしろ書くときのウェールズ王子を想うしぐさをルイズ嬢に印象付けることも計算していただろう。
と、なるとかなり前から作戦が練られていたのではないだろうか。自分の頭だけで考えた手紙の内容も暗記できるほど、想像の中で何度も見直したに違いない。このように狡猾な手段を思いつき、古い友人が相手でも実行できるような姫様だ。綿密に計画を立てる能力は準マザリーニクラス、クラウス並にあると見ていいかもしれない。
つまり、原作では成功しているが、彼女の中での失敗の確率はかなり高かったのではないだろうか。原作の状況だとちょっと運が悪かっただけ、いや、良すぎる運がちょっと足りなかっただけで失敗し、死ぬ可能性や貴族派に捕縛される可能性が高い。ルイズ嬢の婚約者であるワルド子爵を彼女の護衛に付けたのもそれならば色々と理由付けが出来る。
捕縛され、彼女の尊厳が散らされることも考え、先に手を付けられるよう婚約者との旅を勧めたのだろうか。そして、死ぬ可能性も含め、捕縛される間際や死ぬ間際くらいは好きな婚約者と一緒にいられるように配慮したのだろうか。国宝である水のルビーを渡したのは路銀ではなく彼女の身代金という考え方もできる。
失敗した場合、失うのはルイズ嬢かルイズ嬢の信頼とワルド子爵というマザリーニの駒。そしてヴァリエール公爵との関係が悪化するくらいで、ゲルマニアから見ると、別段悪くない気もする。手紙が公表されようと、その損失分くらいの埋め合わせになるかもしれない。
何しろ、ヴァリエールの中でも嫁にいけない長女殿や病弱な次女殿ではなく、まだ若くて健康な未来ある三女殿が貴族派によって追い落とされるわけだから、ヴァリエールとしてはかなり厳しいものになるだろう。しかも家族思いのヴァリエール公のことだ。貴族派に繋がるトリステイン貴族への宣戦布告や粛清、暗殺が横行してもおかしくない。そしてそれによって、トリステイン王国は力を落とす可能性が出てきた。
トリステインとしては最悪に近いが、アンリエッタ姫からすると悪くない手に思える。しかも、アンリエッタ姫はそれほどトリステイン王国に愛着があるようには思えない。確かに民衆の人気はあるかもしれないが、陰でマザリーニ枢機卿が取り仕切っていることを揶揄するような流行りの小唄にも敏感で、この任務が成功したあとのルイズに街中の自分に対する噂を集めさせたくらいだ。笑顔の下で嫌っていてもおかしくないのではないだろうか。そしてその者たちも含め、トリステイン王国のためと言いつつ自分の嫌うゲルマニアに嫁がなければいけないのだ。彼女のトリステイン王国に対する好感度はかなり低いのかもしれない。
しかも自分がゲルマニアに嫁いだあとに残るのはヴァリエール公爵に行き遅れの長女殿、病弱な次女殿、そして死んでいるか傷物になっているかわからないが三女殿。姫様の置き土産によって彼女達の次世代の問題がかなり大きくなっている。長女殿が王配を迎えてすぐに健康な子供を産むことが出来れば何とかなるかもしれないが、次女殿は元々病弱でさらに条件が厳しく、三女殿もかなり絶望的な状況になっているだろう。
そのような状況なら、自分がゲルマニアに嫁ぎ、アンリエッタ姫の子供がゲルマニアの協力を得てゲルマニアだけでなくトリステインの王位にも就くことが可能かもしれない。そうなると、アンリエッタ姫もトリステインに戻ってくることもできるだろう。しかも今度はただの一人の姫様ではなく、ゲルマニアという強大な武器を持った状態での返り咲きだ。もしかしたら粛清の嵐が吹き荒れるかもしれん。少なくとも自分を捨てたマザリーニ枢機卿やヴァリエール公爵家、そしてそれに連なる者は真っ先に粛清の対象にされそうだ。
こ、怖い。ここまでの計略を練るアンリエッタ姫が怖い。
つ、次に、成功した場合だ。ここにはウェールズ王子が亡命してくるか来ないかという分岐点が存在する。ウェールズ王子がアンリエッタ姫の手紙を受け取り、亡命してきた場合、アルビオン臨時政府のような物を作るのだろうか。しかし、少なくとも、アンリエッタ姫はウェールズ王子と結婚することは出来ないのではないだろうか。いや、嫁ぐまでに子作りくらいは可能かもしれないが……、いや、まさかそれが目的?
ええっとー。うん。まぁゲルマニア皇帝の子供ですよーとシレッと言いそうな雰囲気がないでもない。その場合、アンリエッタ姫とウェールズ王子の子供がゲルマニアを乗っ取るのだろうか。そしてアンリエッタ姫としてもウェールズ王子の子供を産みつつ、ウェールズ王子は生きているわけだから、トリステインに戻ったらウェールズ王子の見知らぬ未来のお相手を幽閉か暗殺すればその場所に返り咲くこともできるだろう。アンリエッタ姫にとっては一番いい結果に思える。怖いけど。
最後に亡命は失敗するが手紙の回収は成功した場合。アンリエッタ姫にとっては特に状況が悪化することはないだろう。ただ、先の謀略を考えていた場合、失敗と言えるかもしれないが、それが無ければ彼女たちに報酬を与え、ルイズ嬢という駒とワルド子爵という駒をセットで抱え込む事ができるかもしれない。
はっ!? さっき引っかかったウェールズ王子の亡命の件をルイズ嬢に伝えなかったのはワルド子爵がそのことに気付き、任務を途中で放棄される可能性があるからではないだろうか。アンリエッタ姫にとって一番嫌なパターンはルイズ嬢に依頼したが途中で勘付かれ、放棄された上に自分の謀略や密かに隠していたトリステイン王国に対する考えが暴かれることだ。一番いい結果と一番悪い結果を計りにかけ、リスクを排除することにしたのだろう。
アンリエッタ姫はもしかして誰よりも一番女王に向いているのではないだろうか。ルイズ嬢に手紙の回収を頼むというたった一つの事で最高も望め、最低限自分の未来を救うことが出来る手を打つのだ。
しかし、コレに対応するには俺としてはどうしたらいいのだろうか。ただの原作乖離よりも怖いリスクを発見してしまった気がしてならない。この想定だとただの失敗で戻ってくるなら問題はないが、ルイズ嬢がレコン・キスタに捕縛された時点で生死に関係なくトリステインが悪い方向に向いそうだ。ウェールズ王子の亡命、というよりも彼がトリステイン王国の土を踏む事すらトリステインとしては確実に阻止した方が良いだろう。
しかし、今現在、いや任務が終わったあとでもそれをアンリエッタ姫に確認したり糾弾することは叶わないだろう。マザリーニ枢機卿が納得しなかったら不敬罪で処刑される可能性があるし、糾弾したところですでにあちらはゲルマニアに嫁ぐことが決まっている。こちらにとって他に手はないように思えるし、むしろ迎える側のゲルマニアに漏れたらそのことを理由にトリステインへ攻め込んだり、またウェールズ王子が絡んでいなければ嬉々として妻になった彼女に協力するかもしれない。
クラウスに相談するのも時系列的に厳しい。確か夜相談して次の日の早朝には出発したはずだ。いや、カスティグリアから戦力だけでも借りられないだろうか。損害の出る可能性があるので、最低限ルイズ嬢の身の安全を守れる程度でいいのだが……。クラウスに相談してみるべきだろうか。ううむ。
原作との乖離が進まないよう、ギーシュを送り込めばいいやと考えていた数分前が懐かしい。「介入することによって再び乖離が進む可能性が高いが、もしかしたらそれによってカスティグリアやモンモランシが良い方向へ向うかもしれない。」なんて考えていたのに介入しないと悪い方向へ向う可能性がかなり高いとか……。いや、まだ手を打つ時間も考える時間もあることが唯一の救いだろう。
まずカスティグリアやクラウスに頼らない方針でルイズ嬢の成功率を上げることを考えてみよう。まず原作になぞるのが基本で、それに追加させる形で方策を練るのが良さそうだ。
使者として出向くのはルイズ嬢、使い魔のサイト、ワルド子爵だが、ワルド子爵に関しては恐らく今のところ誰も知らないが、レコン・キスタの一員になっているため、むしろ敵だ。つまり、ルイズ嬢にサイト、そして姫様の話を立ち聞きして参加することになるギーシュとサイトを追ってきたキュルケ嬢にタバサ嬢がこちらの戦力になる。
敵性戦力はレコン・キスタであるアルビオンの貴族派5万の軍にワルド子爵、そして脱獄しているであろう『土くれ』のフーケ。そしてワルド子爵とフーケが雇った盗賊に扮した傭兵数人から数十人。これはワルド子爵が自分の力を誇示するために雇ったので特に問題はないだろう。
フーケによるメンバーの分断を防ぐかどうか。ワルド子爵の裏切りをどこで見破るかが鍵になりそうだ。その他は恐らく運に関連してくるであろうからあまりアテにできない。
まぁワルド子爵に関しては知らないフリでいいだろう。サイトのガンダールヴとしての能力に任せよう。むしろサイトが簡単に勝てるようであれば安全度は上がる気がする。サイトにこちらから接触してある程度情報や助言を与えるべきかもしれない。明後日まで時間は一応ある。後で呼ぶことにしよう。理由は今回のシュヴァリエの叙勲の事でいいだろう。
あとはフーケによるメンバーの分断か。フーケとフーケに雇われた傭兵を跳ね返すのにキュルケ、タバサ、ギーシュという三人の戦力が必要になるのだが、ぶっちゃけ俺がラ・ロシェールまで一緒に行くことができれば一撃で何もかも決着しそうな気もしてきた。
ふむ。行く方法さえ思いつけば悪くないのではないだろうか。出発はともかく明後日の夜になるまでにラ・ロシェールに居ればイベントには間に合う。明日の予定は俺のシュヴァリエの受勲式で明後日の予定は特に無かったはずだ。この健康に気をつかった軟禁も解かれる。
ううむ。ラ・ロシェールに行く理由か。その辺りはクラウスを説得して風竜隊を出してもらう必要があるかもしれん。
ふむ。そういえばラ・ロシェールの近くにあるタルブ村にはカスティグリアの空軍の前線基地が出来ると言っていなかっただろうか。ついでに本場のヨシェナヴェをいただいたり、タルブ原産ワインを楽しんだり、偶然を装って竜の羽衣を見学したり、シエスタの引き取り関連のアレやコレを片付けてしまうのもいいかもしれん。「側室とはいえ嫁に貰うんだから家族に会いたい!」とか言えばシエスタ嬢にも賛成してもらえて意外とクラウスからオッケーが出るかもしれん。しかもシュヴァリエ叙勲に絡めれば日時もある程度こちらで指定できるのではないだろうか。
もしダメだというのであれば明日はクラウスも気にしている叙勲式だ。駄々を捏ねて「体調が悪くなっちゃうかもー」とか言えばなんとかならないだろうか。とりあえずクラウスを呼ぼう。いや、サイトが先だろうか。うーん。いや、サイトを先にすると駄々を捏ねられないか。クラウスとの話を先に片付けよう。
ベッドから起き出してテーブルまでトテトテと歩き、椅子を引いて座ると窓を拭いていたシエスタが少し残念そうな顔でこちらを見た。
「シエスタ。すまないのだけどね。紅茶の準備をしてクラウスにこの部屋に来るよう連絡できないだろうか。」
そういうと、シエスタは笑顔で「かしこまりました」と言って紅茶の準備を始めた。そして最初の一杯を俺の前に出すと、「クラウス様に連絡を入れてきます」と言って部屋を出た。ちょっと考え事をしすぎたのか頭に軽い疲労感がある。そしてこの紅茶の一口がそれを溶かすようにじわっと広がっていく。やはりシエスタの紅茶はすばらしい。
紅茶を楽しみながらしばらくすると、クラウスがシエスタに連れられてやってきた。
「兄さん。失礼するよ。話があるって聞いたんだけど。ああ、シエスタ嬢。ありがとう。」
クラウスが軽く挨拶して俺の前に座ると、シエスタがクラウスの前にも紅茶を出した。
「うむ。とても重要な案件が出来てしまったのだよ。」
そう、真面目な顔で紅茶に口をつけつつ話の筋道を考える。「なにかな?」という少々引きつった笑顔でクラウスが聞き返してくるのはこちらが真面目に話を切り出したというのにある程度見破られてしまっているからだろうか。
「クラウス。すまないが明日、遅くとも明後日タルブ村へ行く事にした。フネか風竜隊を用意してくれ。」
さも「決定事項です。覆すことは出来ません。」といった雰囲気で切り出したのだが、クラウスには納得がいかなかったらしい。
「ふむ。訳がわからないけど、なんでそんなことになったのか聞いてもいいかい?」
「うむ。考えてみたら先日シエスタを側室候補にしたというのにご家族の方に挨拶していないではないか。支度金を渡すという用事もあることだし、ここはシュヴァリエ受勲した次の日、優先順位を考えて出来る限り最短で来たという誠意をお見せしておいた方が印象が良いと思うのだよ。」
間違った事は言っていないはずだ。恐らくこれだけでもオールドオスマンから体調が悪いわけでもないのに授業を休んで学院から離れる許可をもぎ取れるだろう。シエスタを見ると、顔を真っ赤にして目をキラキラさせつつも信じられないと言った感じで両手を口元に置いている。 しかし、クラウスはまだ裏があるのではないかという疑いの目を逸らさない。
「気持ちはわからなくもないけど、体調の事を考えたらもっと後でもいいよね? 他にも何かあるのかい?」
た、確かにそれなら後でも構わないがね。俺は明後日じゃないとダメなのだよ。もはや日程を決めるための理由は思いつかない。ここはできるだけ重みのある理由から順番に積み重ねて説得するしかなさそうだ。
「そ、それはほら。タルブ村に空軍基地が出来ると言っていただろう? 実際に空軍基地も見てみたいのもある。そして、モンモランシはモンモランシーの父上やカスティグリアが仕切っているから特に大きな問題はないだろう。しかし、タルブ村の場合、仕切っているのはシエスタに直接関係のないそこの領主殿かカスティグリアなのだろう? タルブ村に関わりのあるシエスタやシエスタのご家族がどう思っているか気になるのだよ。どのような状況になっているか実際の目で見てみたいほど気になるのだよ。」
紅茶に口をつけながらそっと違和感の無いように少し目を逸らしクラウスの説得にかかる。なんかシエスタを絡めればなんでも行ける気がしなくもない。しかし、よく考えたら俺はまだモンモランシの土地を踏んでいない。恐らくシエスタの故郷だから見てみたいというのはマズイだろう。モンモランシーを差し置いてシエスタを優先することは許されていなかったはずだ。
「ふむ。とても説得力のある言い訳だね。シエスタ嬢に気を使っているのもよくわかるし、それは兄さんの本心だろう。でも、何か腑に落ちないんだよね。なんだろうね?」
くっ、やはり最後のカードを切るしかないのか!? このカードは俺の沽券にも関わるかもしれん恐ろしいカードだ。できるだけ切りたくなかったのだが病むを得まい。
「そうか……。さ、さすが我が自慢の弟だ。全て見透かされてしまったようだな。しかし、確かに先の理由が一番大きいことは承知してもらいたい。」
そこまで真面目に話し、これから切りたくないカードを切るというハードルを越えるため、そして気分を落ち着けるため、紅茶に口をつける。クラウスも真剣な眼差しを返し、もはや疑いの目はないようだ。
「ヨ、ヨシェナヴェだよ。クラウス。」
「は? に、兄さん?」
「そう、前々から本場のヨシェナヴェを口にしてみたいと思っていたのだよ、クラウス。シエスタの作るヨシェナヴェは毎回すばらしい味を俺にもたらしてくれる。しかし、シエスタの作る本来のヨシェナヴェとはどのような物か興味が尽きないのだよ。そして、もし同じ材料を揃えてシエスタが学院で作っても、本当にシエスタの作る本物の本場のヨシェナヴェと言えるのだろうか。
―――否! 断じて否である!
そう、シエスタの故郷であるタルブ村にしか存在しない水と空気。そしてタルブ村にあるであろう彼女が料理をしていたその調理器具! さらにタルブ村で生み出される具材が揃って始めてシエスタの作る本物の、本場のヨシェナヴェと言えるのではなかろうか!
本当は言いたくなかったのだがね? クラウス。もはやこの機会が訪れたからには断固として譲るつもりは毛頭ない! もし明後日までにヨシェナヴェを食せないと言うのであれば、そう、シュヴァリエ受勲はお断りさせていただくしかあるまいて。」
そう熱烈に演説したあと、少し寂しそうにクールダウンし、紅茶に口をつけてクラウスを見ると、我が自慢の弟殿は驚愕しつつ放心していた。
「に、兄さん。本気……? みたいだね。うん。何か聞かない方が良かったかもしれないね。わかったよ。ちゃんと調整して予定を組むから明日のシュヴァリエ受勲の用意はお願いね。」
そう言い残し、クラウスは俺の部屋を後にした。シエスタも放心していたようで、お見送りしなかったが、クラウスは気にした様子もなく少し肩を落として出て行った。そして俺は覚悟していた通り少なくない犠牲を払い、明後日のタルブ村行きを勝ち取ったようだ。
しばらくして、シエスタが放心状態から復帰した。そして、
「あ、あの。クロア様。本場のヨシェナヴェと言いましてもそれほど変わらないと思いますし、ご期待に添えない可能性の方が高いのですが……。」
と、シエスタは顔を真っ赤にして紅茶におかわりを注ぎつつおずおずと切り出した。紅茶のおかわりが注ぎ終わり、ポットを戻したところを見計らって椅子の上でシエスタの方に向き直り、ちょいちょいと近づくように呼んでそっと彼女の柔らかくて滑らかな手を握る。
「シエスタ。俺の大好きなシエスタ。本場のヨシェナヴェがおいしいかマズイか、期待に添えるか添えないかは実は全く関係ないのだよ。君の食べていた、君が食べて育った本場のヨシェナヴェを食したいのだよ。それではダメかい?」
そうシエスタに告げると、シエスタはこれ以上赤くならないほど顔を赤くしてうつむき、
「ダメじゃないです。嬉しいです。クロア様。」
と、言ってからこちらに向いて微笑んだ。そして急かすように
「では用事があるとき以外は安静にしていないと。タルブ村で具合が悪くなったら大変ですから少しでも安静にしてましょうね。」
と、紅茶を飲むのを中断されそうになった。シエスタが喜んでくれるのはとても嬉しいのだが、この至福のひと時が中断されてしまっては安静にできない気がする。
「ああ、用事が全部終わったら、シエスタの紅茶で癒されたあと安静にしているよ。ただ、もう一つお願いがあってね。ルイズ嬢とその使い魔君をこの部屋に呼ぶことはできないだろうか。モンモランシーに相談しても構わない。何とか今日呼んでくれるとありがたいのだが。」
そういうと、シエスタは「モンモランシー嬢に相談してきます。」と笑顔で言って出て行った。
うん。うちの姫様ちょー黒いですね!
いや、真実かどうかはわかりませんし、ただのクロア君の発想ですが^^;
手紙に関する考察はちょっとしてあったのですが、書いているうちにどんどん妄想が膨らんだ感じです。
次回から割りと真面目にどうしよう。話が思いつかないYO
アンリエッタ姫が鬼門になりそうです><;
次回をおたのしみにー!