箱庭学園はその前身でもある黒箱塾と呼ばれていた時代も含めると、その歴史は約二百年にも渡る。
設備、敷地面積ともに国内トップクラスであり、エリートを排出することで有名な学校でもある。十組から上は学費免除は当然のこと、学校内でも便宜が図られる。その中でも極めつけのエリートが集う十三組生はそれらに加え、学校への登校義務さえ免除される。人はただでさえ易きに流れやすい傾向があるのに、精神が未だ発達中である高校生に登校を拒否できる権利など与えたら、当然のことながら。
「まあ誰もいないよね」
入学式を終えて、十三組の教室の扉を開け、教室の中のほうまで歩いた私は呟く。私以外の十三組生が後から来るという考えは希望的観測にすらならない。
そもそも十三組生が学校に来なければならないのは有事の際――校則によると、生徒会長の持つ生徒総会の強制招集権を使うか、入学式などの式典の時だけだ。しかも、それは会だったり式だったりに参加しなければいけないだけなので、それが終わった後の授業には参加せずに、直行で家に帰っても良いのだ。十三組は元々、天才ばかりなので自習があるだけし、わざわざ勉強する必要がないんだけれど。
しかし、まさか初日から誰もいないとは流石に予想外である。
だって、ねえ……?
クラスメイトが全員、引きこもり予備軍だなんて、私はどうすれば良いのだ。親にクラスメイトは全員引きこもりだったなんて、どうして説明できようか。平穏を望む私からすればそれは都合が良くあり、悪くもある。
彼ら、彼女らには協調性どころか、社会性すら存在しないのか。私はこの現実にため息をつく。
しかし、失敗したな。これだと手駒が手に入らねーじゃねぇか。
もう、いっそのこと帰っちまうか……?
「今年の十三組生は二人ですか」
甘い考えが
私は肩をわずかに震わせ後ろを振り向く。危ない、危ない。思わず本性が出るところだった。
呟かなくて良かった。セーフ、セーフ。
私が振り返った視線の先には、白髪の初老と言ってもいいぐらいの年齢の眼鏡をかけた教師がいた。触覚のように、束にした白い髪の毛が二本垂れ下がっている。
確か、現生徒会の顧問かなにかで紹介されていたはずだ。
ここに来たということは、私の担任でもあるという解釈でいいのだろう。
……二人?
その不可解な発言に私は眉を寄せる。
教室には私と今発言をした人しかいない。私の目の前にいるこの人は学生服を着ていないし、年齢からみても明らかに学生ではないだろう。
ならば、この人は一体、な、に、を、見、て――。
「――ッ!?」
気が付いたらそこには巨人が座っていた。いや、巨人と言っても別に駆逐するほうじゃないけれど。
全く気が付かなかった、ちっとも分からなかった!
そこに座っている彼は、一度存在を認識してしまえばむしろなぜ気が付かなかったのかが不思議なくらいの存在感を放っている。
これが、十三組生。これが、異常生……!
教室の中央あたりに立っている私だったが、すぐそばの席に人がいるのを全然認識できなかった。
私は、背筋に一筋の汗が流れるのを感じながら、その人の顔をうかがう。威圧感がすごいので、思わず顔をそらしたくなるのを抑える。
襟足は長く、制服もサイズからして特注品だろう。
彼の観察を行いながら私は彼に話しかける
「あ、あのー?」
「……」
声が上ずりそうになるのを必死でこらえ、裏返りそうになるのをぎりぎりで制御する。
空気は果てしなく重い。まるで、体にかかる重力が倍増したかのようだ。先生らしき人が来ているのでなんとなく帰りづらいし、目の前の彼がこちらを見ようともしないから空気は重い。
態度にはおくびも出さないが、心が折れそうだ……。
しかし、そんな重い空気も時計の短針が三十度ほど動いたとき、私の発言に一切アクションを起こさず、リアクションを返さなかったこの人が不意に顔を上げこちらをむいた。
「ん?あ、もしかしてお前も十三組生か!?誰も来ないからつい眠っちまったよ。俺の名前は
「え、あ、はい。私の名前は須木奈佐木咲と言います。よろしくね、日之影くん!」
男子生徒――日之影くんが挨拶してきたので、その勢いに押されついついぺこりとお辞儀をして返事を返してしまう。それでいて、わたわたとした様子も見せる私でもある。
日之影くんはどうやら見た目に反して気さくである。ギャップ萌えはしないけれど。
なんだろう、普通にいい人そうなのだが。十三組生は行き過ぎた才能故に社会に馴染めない――簡潔に言えば、私も含めて社会不適合者ばかりだと聞いていたが、この人はどうもそんな風には思えない。でも、十三組生なんだよなあ……。
「おう、よろしくな!須木奈佐木!」
彼はにこりと笑って、挨拶を返してくる。本当に人が好さそうだ。
彼が差し出してきた手を握り返す。握手だ。彼の手はその巨体に似つかわしく大きいため、私の手を包み込む形になる。全力で握られたら、骨が折れそうである。
「十三組生が二人も登校しているなんて、珍しい年ですね。ああ、私は一年十三組の担任の
椋枝先生はそう言ってにこりとも笑わない。
不愛想な先生である。教師が生徒に対して愛嬌が必要かと言われれば、首を傾げるが。
まあ十三組生は教師がいてもいなくても一緒みたいなところはあるけれど。
私は軽くお辞儀をして、日之影くんは深々と頭を下げる。こういうところで人が出る。
日之影くんはとても礼儀正しいようだ。この人、本当に十三組生か?
性格が良さそうで、クラスを疑うなんて逆転現象が起きるのが十三組である(たぶん)。頻繁に超常現象を引き起こすらしいし。
「それでは、私は生徒会顧問としての仕事があるので、失礼します」
彼はそう言って、教室の外へと出て行ってしまった。
残されたのは、私と日之影くんだけである。とりあえず、席が決まっていてもどうせ十三組生は来ないからどこでも良いのだけれど、私は日之影くんが座っている前の席の椅子の背もたれに手を置く。
やっぱり、初対面にはしては顔の距離が近すぎるので、さらにもう一つ前の席に移動する。
「……」
「……」
さっきとは違う方向性で空気が重い。あと、何を話せばいいんだ。ここで、世間話が出てこないあたりが私も十三組生であることを証明している気がしてならない。
「す、須木奈佐木ってどこ中学出身なんだ?」
「あ、私の出身中は水晶中学だよ。日之影くんは?」
「俺は空縁中学だ」
日之影くんが会話を切り出してくれたおかげで、少しだけ空気が明るいものになる。
よし、次は私のターンか。別に決まっているわけではないが、彼は私の発言を待っている気がする。
何を話せばいいんだ。とりあえず、聞きたいことを聞いておこうか。
「日之影くんって部活とかどこにするか決めてるの?」
「ん?いや、俺は部活に入るつもりはないな。生徒会長になろうかなと思ってる」
「生徒会長に?でも、一年生で生徒会に入るならまだしも会長になるって難しくないかな?今の生徒会長さんは三年生だから出てこないとして、二年生にも対立候補がいそうだし」
「あー、確かにな。俺みたいに影が薄いと、気づいてすらもらえないかもしれないしな」
いや、それはないと思う。正直、貴方ほど影の濃い人間にはあったことないです、私は。
口から出そうになった言葉を慌てて押し込める。
意見の否定ばかりしていると、友好的な関係も築けないだろうし。
しかし、代案があるかと言われれば首を振るしかないわけで。
どうしよう、ここで彼が生徒会長になったら、これからの学園の平穏維持がだいぶ楽になるはずだ。
「んー、ポスターとか貼って宣伝するしかないんだろうけど、それで投票してもらえるかどうかで言えば不確実だしなー」
「高校生が公約なんてみるとも思えないしな」
「難しいね。私、家で考えてみるよ」
「いや、いいよ。俺のことなんて明日には――今日の夜には
彼はどこか寂しそうだったが、その言葉の意味が分からず私はただ首を傾げるばかりだった。
椋枝先生の口調が分からない……。
須木奈佐木さんと日之影くんの中学校の名前はオリジナル。