あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない 作:powder snow
「え? く、黒猫……か?」
人気の絶えた廊下の先で、ぽつんと一人佇んでいたのは――黒猫だった。
だけど、少し様子がおかしい。
彼女は驚愕したように目を見開き、じっと俺のことを直視している。しかし、やおら視線を地面に落とすと、そのままの姿勢できゅっと唇を噛み締めた。
その姿が何とも言えず寂しそうに見えちまったから、俺はもう一度だけ彼女の名を呼んでみることにした。
――けれど、黒猫からの返事は返ってこない。
その代わりとでもいう風に、彼女はスカートの裾をぎゅっと握り込むや、プイっと俺から顔を背けちまった。
拒絶……されたのか?
そう思ったものの、黒猫はその場から移動する訳でもなく、黙り込んだまま“そこ”に佇んでいる。
「え……と」
場の雰囲気に飲まれたのか、俺の口からも言葉が出てこなくなる。気軽に軽口を叩きあう間柄なのに、今は何を伝えるべきなのかまるで分からないのだ。
廊下に佇む俺と黒猫。
奇妙な沈黙が場を支配し、二人の間に見えない壁が出来ちまったような錯覚を覚える。
『……ファイっオー! ファイっオー! ファイっオー!』
遠くから聞こえる運動部の掛け声だけが、耳に届く唯一の音だった。
放課後とはいえ、まだまだ大勢の人が学内にいるはずなのに、この空間だけ切り取られてしまったような不安感が胸を掻き乱す。
「――黒猫」
そんな不安を吹っ飛ばすように、もう一度彼女の名前を呼んでみた。
黒猫の声が聞きたい。
いつものように厨二病全開の答えでもいい。この際、罵倒だって構わない。ただ――何でもいいから応えて欲しかった。
願いが通じたのか、黒猫が顔を上げる。
そして何か口にしようとするも……結局、何も言わず口を閉じてしまった。
視線が宙を彷徨い、色々と逡巡しているのが見て取れる。
こんな黒猫を見るのは――初めてだった。
いつも飄々としてて、確固たる自分を持っていて、それでいて頼りになる“姉”の部分も持っていて。桐乃のことで悩む俺の背中を、そっと押してくれたこともあった。
それほど長い付き合いじゃない。けどこいつのことは、俺なりに理解してるつもりでいたのだ。
だからなのか、見た事もない黒猫の姿を前にして、俺は内心で激しく動揺しちまっていた。
こいつとの間に沈黙が訪れるのは“慣れてる”はずなのによ。
どれくらいの時間、そうやって佇んでいたのか。しばらくしてから、やっと黒猫が口を開いてくれた。
一度だけきつく瞳を閉じ、何か決意したような素振りを添えて。
「こんなところで何をしているの、先輩? 何やら電話をしていたようだったけれど」
それは魔法の言葉だったのだろうか。
普段と“まったく変わらない”黒猫の声音が、俺の金縛りを即座に解いてくれる。
「あ、ああ。ちょっとメールを貰ってな。それで確認の電話してただけだ」
「へえ、そうなの。――で、その電話の相手というのは誰なのかしら?」
後ろ手に腕を組んでから、黒猫がゆっくりとした足取りでこちらに近づいてきた。
表情に薄笑みすら浮かべ、状況を楽しんでいるようにも見える。その姿からは、先程まで寂しそうに佇んでいた面影は微塵も感じられない。
まるで、さっきまで俺が見ていた黒猫の姿が幻覚だったとでもいうように。
「で、電話の相手っつたってよ……どうしてそんなこと聞くんだ?」
「気になるからに決まっているじゃないの」
「へ?」
一歩ずつ、確実に俺と黒猫の距離が近くなっていく。
そして気が付けば、彼女は俺の目の前に立っていた。
もう目と鼻の先くらい――そんな位置から上目遣いに俺を見上げた黒猫は
「言いたくないのなら、私が当ててみましょうか、先輩」
そう言って、怪しく微笑んだのだ。
「――新垣あやせ。あの女の親友だとのたまったビッチよね?」
「き、聞いてたのか、おまえ!?」
「ふっ。以前言ったでしょう? 次元の隙間から常にあなたを監視している使い魔がいると」
「聞いてたんだな?」
俺の質問に対しだんまりを決め込む黒猫。
しかし、俺が黙ったまななのを受けて
「……少し、聞こえてしまったのよ。通りがかったら先輩が話をしていて……云わばこれは不可抗力よ。その、盗み聞きするつもりでは無かったわ」
と、ばつが悪そうに視線を逸らした。
まあ、往来で電話してた俺も悪いし、別に聞かれたからって困る話しをしてた訳じゃない。だから黒猫を責めようなんて気持ちは、これっぽちも無かった。
ただ――ぶっちゃけると、あやせと黒猫は基本的に相性が悪い。
もう、最悪と言ってもいいだろう。
重度のアニオタである黒猫と、そういうものを毛嫌いしているあやせ。その証拠に、こないだなんてお互いほぼ初対面にも関わらず、いきなり喧嘩をおっぱじめようとしやがった。
だから黒猫にあやせと電話してたと知られて、少し驚いただけだ。
深い意味は……ない。
「そうか。じゃあ大体のところは分かってんだな?」
「ええ。先輩が今からあのビッチに会いにいく――でしょ? 電話していたあなたの姿“ニヤニヤニヤニヤ”していて、とても見られたものでは無かったわ。正直、不愉快よ」
「……まあ、会いに行くっつうのは間違っちゃいねえけどよぉ」
黒猫の言葉に何やら棘を感じるのは気のせいだろうか。
というか、やっぱりあやせもビッチ扱いすんのな!
「別に普通に電話してただけで、にやけてなんかいなかったぞ、俺」
「それは嘘ね。頬は緩みっぱなしだし、声は上ずってるし、デレデレして、みっともないったらありはしなかったわ。もしかして先輩は――――女なら誰でも良いのかしら?」
「お前ね、しれっと人聞きの悪いこと言ってんじゃねーよっ!」
なんつーか、やたらと黒猫が絡んでくる。もう絡み猫と呼んでやってもいいくらいだ。
その態度が桐乃を彷彿とさせやがるから、なんか妹と会話してる気分になってくる程だ。
「本当、破廉恥な雄ね」
「破廉恥って、頼むから、そっちの話題から離れてくれ……」
「……ふんっ。どちらにしても、その様子では私の望みは叶わないようね。残念だわ」
「望み?」
「私は先輩を部活に誘いに来たのよ。本当なら、あなたに新しいゲームをプレイして欲しかったのだけれど……」
「お? こないだのゲームにまた手を加えたのか?」
違うわ、と黒猫がかぶりを振った。
「新しいゲームだと言ったでしょう。瀬菜と一緒に新しいものにも着手していたのよ。完成はしていないのだけれど、キリの良いところまで出来たから……」
ちょっと不満気にまなじりを下げる黒猫。
仕草が一々可愛いが、その後に盛大な溜息を吐いてくれた。
「けれど、あなたに予定があるのなら仕方ないわ。諦めましょう。テストプレイはまた後日ということで納得するわ」
そう言った黒猫が、当たり前のように俺の隣に並び立つ。そして俺の顔を見上げる黒猫さん。
これで黒猫のリアクションは終わり。
もちろん俺には、黒猫が何を意図しているのか、まったくさっぱり分からなかった。
「何を不思議そうな顔をしているの、先輩? あのビッチのところへ行くのではなくて?」
「そりゃそうだけどよ……。なあ黒猫。一体何がしたいんだ、おまえは?」
「――先輩。時間は有限なのだから、次に起こす行動が決まっているのならさっさとなさい。私はそれほど暇ではないわ」
「……もしかして、付いてくる気かッ!?」
「ええ。もう“遠慮”しないと決めたの。デスティニーレコードを遂行し『理想の世界』を実現する為には、避けては通れない相手なのだから」
「はあ? デステ……なんだって?」
また黒猫が訳の分からんことを言い出した。
時々こいつはスイッチが入ると、常人には理解しがたい文句を並べることがある。その一つ一つに何か意味があるんだろうが、今の俺には察することすら出来い。
もう少し情報が集まれば違うんだろうが……とにかく、こいつがあやせとの密会に付いてくる気だというのだけは理解できた。
「デスティニーレコードよ。――そうね。そう遠くない未来に、先輩はその意味を知ることになると思うわ」
「マジで?」
「ふふ。愚図で鈍間で察しが悪くて、莫迦で怠惰でその上スケベで――――なのに困ってる相手は見捨てておけない。自分がいくら傷ついても構わない。相手を思いやる優しさがあって、気遣ってくれる。本当に……罪深い男だわ、先輩は」
黒猫の声音がとても優しかったから、だから馬鹿にされたとは思わなかった。
その真意は測れなかったけれど。
「だからあの女も……」
黒猫は呟きと一緒に小さくほうっと溜息を吐くと、俺の隣の位置から数歩だけ前に歩みを進めた。
それから、その位置で立ち止まるや、くるりと振り返り
「心配しなくていいわ、先輩。あのビッチの話が私に関係ない事柄だったなら、すぐにでも帰らせてもらうから。その可能性は限りなくゼロに近いでしょうけれど」
「……何で分かんだよ、そんなこと?」
俺だってあやせの話の内容が何だか知らないっつうのによ。
だが当の黒猫は、自信たっぷりにこう言い切った。
「闇の眷属だけが持つ直感、一種の危機管理能力が警鐘を鳴らしたのよ」
「け、警鐘?」
「ええ。世間一般で通じる言語で云うのなら“女の勘”かしらね」
最後に黒猫は、照れたようにはにかみながらも、大きく一度頷いたのだった。
そんなこんなで、この公園に黒猫が同席している訳なんだが……予想通りっつーか、あやせと黒猫は、開口するよりも先に険悪な雰囲気を醸し出していた。
相性が悪いのは分かるけどよぉ、もう少し仲良くできねーのかなぁ、こいつらは。
「……取り合えず、黒猫もあやせも落ち着いてくれ。何でいきなり喧嘩腰で会話が始まってんだよ? そんなんじゃ仲良くなるものもならねーぞ」
ここはやはり俺が二人の仲を取り持つべきだろう。
そう思って声をかけたら――あやせと黒猫から同時に思いっきりキツイ目線で睨まれた。
……こ、怖えよぅ。
「少し黙っててくれますか、お兄さん。あなたの説明じゃ埒が明きそうにないので、黒猫さんから直接訊くことにしましたから」
「――フッ。良い度胸ねぇスイーツ2号。もしや宣戦布告ということかしら? 面白いわ」
視線に火花を散らしながら、不敵に笑みを浮かべるあやせと黒猫。
美少女が二人、笑顔で睨み合う光景というのは非常に心臓によろしくない。ありていに言ってしまえばめっちゃ怖いのだ。
近くにいるだけで感じる謎の圧迫感。まるで二人を中心にして嵐が巻き起こっているような錯覚すら感じる。
そのあまりの迫力に、俺は思わず生唾を飲み込んじまった。
「では単刀直入に伺います」
先攻はあやせ。
「黒猫さん――ああ、本名は知らないので、不本意ですがそう呼ばせて頂きます――どうしてあなたが、桐乃のお兄さんと一緒にこの場に現れるんですか?」
「あら? 察しがつかないかしら?」
「分からないから聞いているんですよっ。是非、納得のいく説明をしてください」
「勿論、貴女と先輩を二人きりにさせたくなかったからよ」
「なっ――?」
あやせが絶句する。
そんな回答を返されるとは思わなかった。予想外だとばかりに、あやせの表情に驚きの色が滲んでいる。
「い、意味が分かりません……。第一、わたしが呼んだのはお兄さんだけですよ? そこに付いて来るなんて……非常識じゃないですかッ!?」
「非常識ですって? 莫迦なことを言わないで頂戴。あなたこそ妹のことに託けて兄を呼びだすなんて非常識だと思わないのかしら? 道すがら先輩に訊いたのだけれど、これまでにも何度か呼び出しているようねぇ?」
「か、仮にそうだとしても……わたしとお兄さんが会うことと――桐乃のことを相談することと“あなた”が、どう関係するって言うんですっ? まったくの無関係じゃないですかッ!」
「本当にそう思う? だとしたら相当に期待外れだわ、貴女。私は――新垣あやせと先輩が二人きりで会うと知った時、心が凍ったもの」
「……っ!」
目を見開き、唇を噛み締めるあやせ。悔しいという感情がここまで伝わるような表情だった。
黒猫は、そんなあやせを畳みかけるべく、攻撃の手を緩めようとしない。
「危険だと思った。安穏と構えていては大切なものを失ってしまうかもとさえ思ったわ。あのタイミングで通りかかったのは僥倖だったと思う。お蔭で、こうして貴女と話しをする機会が得られたのだから」
「そう……ですか」
小さく呟いてから、瞑目するあやせ。
それから納得いったとばかりに頷き、そっと目を見開いた。
「黒猫さん。やはりあなたは――わたしの“敵”なんですね?」
「今頃気付いたの? 私はとっくの昔に周知しているものと思っていたけれど」
「ええ、気付いてましたよ。初めて会ったあの時から」
言われっぱなしでたまるか。
そう宣言するように、あやせが胸を張った。
「もっとも、あの時は黒猫さんって、厨二病全開でとても痛い人だなぁと思っていたので、そちらに強く意識を奪われていただけです。正直言うと関わりたくありませんでした」
「な……なんですって?」
今度は黒猫が大きく目を見開いた。
あやせが反撃を開始した……という訳だか、微妙に話しの方向性がズレてきているような……?
「言い回しとか一々回りくどいですし、桐乃がいつも言っている“邪気眼電波女”という言葉の意味をようやく理解できましたよ」
「じゃ、邪気眼……で、で、電波女……ですっ……て?」
「友達になれないと思ったわたしの勘も、まんざら捨てたものではないですね。邪気眼電波女――フフ。あなたには、とても良く似合ってますよ!」
ニコっと微笑み、まるで新しいアクセサリーが似合ってるよ~とでも言うように、黒猫を褒め称えるあやせ。
相手の嫌がる点を確実に突いてくるこの手法はまさに悪魔。
可哀想に。黒猫も顔色を無くして絶句している。
「……クっ。フ……フフッ。言ってはならぬことを平然と。やはり私の見立てに間違いはなかったわ。まさに悪魔……ね」
ぐぐっと拳を握り締める黒猫。
こいつの悔しさが伝わってくる実に良いポーズだった。
その姿勢から黒猫は、握りこんでいた拳を柔らかく開くと、掌を上に、自身の前でワイングラスを持つような形へと移行させる。
「……っふ。もう止めることは叶わない。この溢れる負の想念――どうしてくれようかしら」
嫌味を言われたまま黒猫が引き下がるとは思っていなかったが、やはり戦闘は続行されるようである。
その証拠に、黒猫は眉間に皺を寄せガンを飛ばすようにしてあやせを睨み据えていた。そして当然の如く“ガン”を真っ向から受け止めるあやせ。
果たしてここに、視線に火花散るバトルフィールドの第二段階が形成されてしまった。
「――つーかッ! マジやめろよ二人とも! こんなところで喧嘩してんじゃねーよっ!」
このままだと殴り合いにまで発展しかねない。
そう懸念した俺は身を挺して二人の間に割って入った。
「何をするの、先輩? そこに居ては私が召喚する地獄の炎の巻き添えを喰らうわよ?」
「そうです。邪魔をしないでください、お兄さん。言って分からない相手なら、私もそれなりの手段を取らざるを得ません」
「いや、お前が言うとさ、マジで洒落になってねーからっ!」
黒猫の地獄の炎~云々は言葉のあやだが、あやせの“手段”というのはたぶん冗談じゃない。
よくて傷害。最悪の場合、殺人事件にまで発展する可能性がある。もしそうなったら、当然目撃者である俺も消されることになるのは、火を見るより明らかだ。
裏に交番があるとはいえ、そんなものはあやせに対して何の抑止力にもならないだろう。
黒猫の身を守りつつ、俺自身の身も守る。その為には、こいつらをこれ以上争わせるわけにはいかねーのだ。
俺は改めてあやせに向き直り、真剣な表情で語りかけた。
「あのさ、あやせ。お前に無断で黒猫を連れてきたのは悪かったよ。謝る」
こいつらが争っているのは、お互いの相性が悪いのもあるが、根底に当たる原因はたぶん──桐乃だ。
お互いが桐乃の親友同士で、同じくらい桐乃のことを大切にしてくれている。
云わば、これは桐乃を巡った争いという訳だ。
あやせは桐乃のクラスメイトであり、モデル仲間であり、あいつの表の面での親友だ。
黒猫はあいつのオタク仲間であり、同じ趣味の話題を気兼ねなくぶつけ合える仲間だ。いうなれば裏の面での親友。
どっちの世界も桐乃は大切にしてるし、実際優劣はないんだろう。だからこそ、こいつらは互いを認められないんだと思う。
けどさ、お互いの内面を知れば、そんなわだかまりも少しづつ氷解していくんじゃないかって甘い期待も抱いているだぜ?
だってさ、二人とも友達思いの優しい娘なんだ。
ぶつかりあっても、仲良くなれないなんてことは――ないんじゃねーかな?
希望的観測かもしれない。けど俺はそう思いたかったんだ。
「この件に関しては全面的に俺が悪い。だから責めるなら俺にして、取り合えず矛を収めちゃくれねーか?」
「……お、お兄さん?」
「それに相談……つーか、お願いだっけ? そういうのもあるんだろ? このまま喧嘩してても仕方ねえだろう?」
俺の言葉を受け止めてくれたのか、あやせは考え込むように視線を落としてから、軽く握った右手を口元へと運んでいく。
動作の端々が絵になってるし、仕草がまた可愛い。憂いを帯びた表情もマジでラブリーだ。
普段の俺ならあやせたんマジ天使! と飛びつくところだろうが、今は傍に黒猫もいるので自重した。
褒めてくれ。
「黒猫さんがこの場にいる理由は、私なりにですが納得しています。ですが……」
チラっとあやせが黒猫へと視線を送る。
あやせが黒猫の存在を認めたのには驚きだが――この視線の意味は、ここにいる理由は納得したが、相談事は聞かれたくないということだろう。
そう察した俺は、次に黒猫の方へと振り返った。
「あやせはお前がここに来た理由を納得したと言った。だから黒猫。お前も矛を収めてくれ。無理やりにでも喧嘩したい訳じゃねえだろ?」
「そうね。その件については私なりの言葉を弄した訳だし、蒸し返すつもりはないわ。けれど、それだけじゃないのでしょう?」
「ああ。元々はあやせが俺に相談したいことがあるってのが発端だ。その事についてあやせはお前に聞かせたくないらしい。だからさ、悪いけどちょっと席を外して――」
「フフン。聞こえないわねぇ。残念だけれど、私は席を外すつもりはないわ」
「おいっ!?」
予想外。
こういうことには融通の利く奴だと思っていたのに、黒猫は頑なに首を振った。
「他人に聞かれたくない話しかもしれないだろ? 俺は人の悩みとか吹聴する気はねーし、あやせが拒めばおまえが望んでも聞かせるつもりはねえぞ」
「厭よ」
こ、子供みたいに駄々を捏ねやがって。
「それこそ非常識じゃねえか。俺は認めねえ」
「ふん。いいわ。どうしても排除したがるというのなら――私にも考えがある。最後の手段を行使するのみよ」
「あぁ? 何だよ、最後の手段て?」
「……ぁ」
我ながら少し大人気無かったとは思う。
けどチョット頭にきていた俺は、怒気を含めて黒猫に言葉を叩き付けてしまった。その所為か、黒猫がビクっと身を竦めてしまう。
そんな姿を見ていたら、悪いことをしちまったと急激に凹んできた。だから謝罪の言葉を掛けるべく口を開きかけたんだが……その前に黒猫が鞄から携帯電話を取り出した。
……何をする気なんだ、黒猫の奴?
「の……除け者にされたら、寂しいじゃない」
「だから?」
「寂しくて、寂しくて――――きっと私は、あなたの妹にこの件を通報してしまう気がするわ」
「それだけはマジでやめてくれぇえええええ――――ッッ!!!」
これみよがしに携帯電話を突きつけてくる黒猫。
桐乃に……電話するだと?
馬鹿なッ!?
俺があやせが二人きりで会っていたという事実をアイツに知られた日にゃあ……ああああああああああっっ!!!!
きっと桐乃は烈火の如く怒り狂う。
頭にハチマキ巻いてそこに蝋燭を突っ立ててさ、日本刀持って追いかけてくるんだ。もちろんハチマキには『京介許すまじっ』とか書くんだぜ?
「うわああああああああああ――――!!」
マ、マジで洒落にならねえ!
そんな企みは全力で阻止してやる! つーか、俺が生き残る為にはするしかねえ!
「や……止めろ黒猫。おまえは────
「フフフっ。それが厭だと言うのなら私がこの場に同席することを認める事ね。ほらほら、もう短縮ダイヤルを呼び出してしまったわ」
「――今すぐ携帯を仕舞うんだ、黒猫! はやく通話ボタンから指を離してくれええええぇぇぇっっ!!」
「あぁ……素敵よ、先輩。とても心地よい声音だわ。闇に侵食された今の私には、とてもとても甘美に聴こえる」
黒猫の嘲笑と俺の悲痛な叫びが公園に木霊する。
つーか、こいつ性格が豹変してね? これじゃ黒猫じゃなくてまるで闇猫だよ。
そんな嵐が逆巻くような世界の中で、一人じっと考え込んでいたあやせが全てを沈める言葉を放った。
「分かりました。黒猫さんにも同席してもらいます」
「……へ?」「認めるの?」
俺と黒猫が同時にあやせを振り仰ぐ。
それを受けて、あやせが大きく頷いた。
「黒猫さんにも聞いてもらいましょう。まったくの無関係――という訳でもありませんし。この際、仕方ありません」
桐乃を巻き込む訳にもいきませんからと、付け加えるあやせ。
それから軽く咳払いして、改めて俺の前まで歩み寄ってきた。
「……こほん。お、お兄さん」
続けて掛けられた言葉を、俺は一生忘れることはないだろう。
照れたように頬を赤らめるあやせ。
彼女は僅かに逡巡した後、意を決したように俺を見据えて
「あ、あの――たった今から、私の彼氏になってくれませんか?」
そんな夢のような言葉を呟いたのだった。