あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない   作:powder snow

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第十四話

「言葉にって……え? いきなり何を言ってんすか……?」

「フフ。単純に興味があるの。京介くんがどれくらいあやせちゃんことを好きなのか知りたいのよ」

「そんなこと……急に言われても、困るっつうか……」

「照れちゃう? けどね、女の子って当たり前の事実でも、思いを言葉にしてもらえると嬉しいのものなのよ。それとも、あやせちゃんのことそれほど好きじゃないのかしら?」

「もちろん、そんな事ある訳ないッス――ッ!」

 

 即答だった。

 今の立場上そう答えるのがセオリーなのは勿論だが、深く考えるまでも無く、言葉が勝手に口を付いていた。

 

「あやせのことは――大好きですよ。俺の彼女なんだから当然でしょう?」

 

 そして、改めて意識した言葉を口にすることで俺の中でスイッチが入った。

 ……ああ、勘違いすんじゃねーぞ。

 いつもの変態スイッチじゃなく、あやせの彼氏役として構築してる“赤城京介”としての自分を強く意識したって訳だ。なんせ今の俺はあやせを守る立場だからな。

 その辺は弁えてるさ。

 

「良いわね、その断言の仕方。男らしくて好感が持てるわ。けど、それで終わりじゃないわよねぇ?」

 

 テーブル越しに、試すような視線を投げかけてくる美咲さん。

 一筋縄ではいかないっつーか、俺の答えに満足してないのか、この質問から簡単に解放してくれる気はないようである。

 ――オーケイ。

 そっちがその気なら、俺も臨戦態勢になってやろうじゃねえか。

 俺とあやせが如何にラブラブかってところを見せてやる。こういう状況下なんだから、あやせも協力してくれっだろ。

 

「……ごほんっ」

 

 軽く咳払いをしてから、俺は右隣にいるあやせの方を窺ってみた。 

 なんというか、心なしかあやせの頬が紅潮してる気がするが、今が一番重要な場面だ。きっと緊張でもしてるんだろう。

 そう思った俺は、慎重に言葉を選びながら美咲さんに対する攻め口上を繰り出していった。

 

「俺があやせと出会ったのは、妹が友達として家に連れて来たのがキッカケでした」

「妹――っていうと、黒猫ちゃん?」

「……そうです」

  

 勿論、あやせを連れて来たのは桐乃だが、ここは“そういうこと”にしておかないと話が繋がらない。

 俺は美咲さんに対して軽く頷いて見せる。

  

「そん時にちょっとした事件があって落ち込んでたんですけど、帰り際にあやせが俺の処まで来て気遣ってくれたんスよ。正直嬉しかったし、めちゃくちゃ可愛い娘だなって思いました」

「……よ、よくそんな恥ずかしい台詞を本人を前にして言えますね……!」 

「フッ。偽らざる俺の本心だからな」

「本心って――!?」

 

 その様子はまるで瞬間湯沸し器。

 急速に頬から耳まで真っ赤に染めたあやせは、何か言おうと口をパクパクさせていた。しかし思ったように言葉が続かないのが悔しかったのか、そのままプイっと横を向くや唇を尖らせて押し黙っちまった。 

 照れてんのか、怒ってんのか分かんねーけど、あんまりやりすぎて“ボロ”が出ても困る。

 からかってる訳じゃねーが、なんせあやせには突発的に暴力を振るう癖があるからな。

 

「ま、半分は妹の為だったんだろうけど、素直に良い娘だなって。アイツもいい友達を持ってんだって兄として安心したりしましたね」

「へぇ。その様子だと京介くんの一目惚れだったってわけ? あやせちゃんはその時のこと覚えてる?」

 

 何処か楽しそうな雰囲気で美咲さんがあやせに話を振る。

 それを受けて、横を向いていたあやせがこちらに向き直った。

 

「も、もちろん……覚えてます。だってあの時はすっごく緊張してましたから」

「へ? 緊張してたの、おまえ? 全然そんな風には見えなかったけどなぁ」

「……もう。あの時のわたしはお兄さんのこと優しくて良い人そうだなぁって思ってましたから。面識もありませんでしたし、声を掛けるのに結構勇気を振り絞ったんですよ?」

「そのワリにはおまえの方からメアド交換しようって言い出したじゃねーか」 

「ですから、初めてお会いした時は……その、ちょっといいなって思ってって――」

「マジでッ!?」 

 

 は、初耳だぞ!?

 

「きゃあっ! ち、ちょっとお兄さん! こ、興奮しすぎですってっ!」 

  

 勢い込んで突っ込んじまった俺の顔をあやせが両手を使ってぐいぐいと押しのける。

 グ……! しまったっ!

 俺としたことが、想定外の嬉しすぎる言葉を受けて思わず演技を忘れてしまったようだ。

 ここは自重せねば。バレたら色々と大変だからな。 

 

「……わ、悪ぃ。あん時の気持ちなんて始めて聞いたからよ……」 

「さ、最初は穏やかで優しい雰囲気の人だなって――仲良くなりたいなって思って……今は……その、大嫌……じゃなくて、ちょっと違った印象を抱いてますけど……」 

「へえ。ちなみにさ、違った印象ってどんなの?」

「そ、それは――そんなこと“ここ”じゃ言えませんっ。というか、今のお兄さんには絶対教えてあげませんよーだっ!」  

 

 俺に向かってべーっと舌を突き出してみせるあやせ。それからつんとした態度で視線を切った。

 その一連の動作は実に絵になっていて、ラブリーマイエンジェルあやせたんと呼んで差し支えないだろう。

 つーか、マジで可憐だった。

 

「なあ、あやせ。思いを言葉にするってとっても大事だと思わないか?」 

「思いは秘めるものですよ、お兄さん」 

 

 ――フ。全力で照れてるな、あやせのやつ。

 

 しかし、良い感じで話が噛み合ってるんじゃなかろうか。

 あやせも俺に合わせてくれてる感じだし。まあ、ラブラブって会話じゃねーけどよ、お互い本心を喋ってるって気がして美咲さんにも良い印象を与えてるだろ。

 そう思って美咲さんの様子をチラ見する。

 するとあのお姉さん、何やらニヤニヤニヤニヤと目を細めて俺達の様子を眺めていやがった。

 うーむー。

 何を考えてるのかいまいち読めねー姉ちゃんだから、ここはもう少し弾みをつけて畳み掛けとくべきだろうか?

 

「どうしたんですか?」 

 

 黙り込んだ俺を怪訝そうな表情で見つめるあやせ。

 俺はその視線を真っ向から受け止めつつ、ゴクリと唾を飲み込んだ。ここが勝負処と決め付けて、ラブラブに相応しい言葉でしめようと思ったのだ。

 

「あやせ」 

 

 そしていざトドメの言葉を切り出そうとした瞬間――なんの前触れも無く、唐突に左腕に針を突き刺したような激痛が走りやがった。

 

「いっっっっ痛えええええええええぇぇぇ――ッッッ!!!」

 

 店内に響き渡る男の絶叫。突然奇声を上げた俺に皆の視線が集中する。

 ううう……一体何が起こったかって? 

 左腕――正確に言えば、左肘の付け根辺りの肉を思いっっっ切り抓られたのだ! 

 こう爪を立てて、ぎゅっとなっ!

 勿論、この場で犯人に該当する人物は一人しかいねえ! 

 俺は涙目になりながらも“そいつ”の方向へと向き直った。

 

「おいっ黒猫ッ!?」 

「――あら、兄さん。突然奇声を上げてどうしてしまったの?」

「お、お前が“ぎゅううっ”て肉を摘み上げたんじゃねーか! めっちゃ痛かったんだぞ!」

 

 マジで俺涙目。 

 

「何を言っているの。私は袖口にホコリが付着していたから取り除いてあげただけよ。感謝されても非難される言われはないと思うのだけれど」

 

 そう、しれっとのたまい惚けてみせる我が妹――もとい、黒猫。

 なんつーか、端的に言うとご立腹。怒っていた。

 まったくよぉ。何を原因にして怒ってるのか知らねーが、擬態していた口調まで砕けてきてるじゃねーか。

 

「身嗜みはキチンとしておかないとね、兄さん。――ああ、どうやら私の行為が話しの腰を折ってしまったようね。気にせず続けて頂戴」

 

【挿絵表示】

 

 そう言って、黒猫が目の前にあるコーヒーに手を伸ばしていく。それから、この件は終わりよとばかりに軽く一口啜って喉を鳴らした。

 けれど、思いの外コーヒーが熱かったのだろう。黒猫の眉根がきゅっと寄る。

 名前通り猫舌なのかもしれない。

 ……まあいい。

 黒猫が茶々を入れたのが良いアクセントになったのか、場の雰囲気が落ち着いたのは確かだ。

 ここは一気に話を纏めしまう方向性で行くことにしよう。

 俺は佇まいを直し、改めて美咲さんを正面に据えて視線を合わせた。

   

「……聞いての通り俺とあやせはラブラブなんです。外国に連れて行くとか絶対認めないし、断固反対ですね!」

「ラブラブという雰囲気には見えなかったけれど、相性が良いのは分かったわ。羨ましいくらい仲が良いのね“あなた”達」

 

 ほれ見ろ?

 一種の才能だろうが、俺の演技力は世界を舞台に活躍する有名デザイナーの目すら誤魔化せるようだ。

 ここはもう一押ししておくのが吉か。

 

「めっちゃ仲良いっスよ! まあ、思い込みが激しくて融通が利かない部分もあるし、乱暴というか、しょっちゅう蹴られたりしてますけど」

「し……しょっちゅうなんて蹴ってませんっ!」

 

 心外ですとばかりにあやせがいきり立つ。憤慨してると言ってもいい。

 だが――この物言いには俺も反論があるぜ。

 

「何言ってやがる、あやせ。先日も――ついこの前だって俺を蹴り飛ばしてくれたじゃねーか。いつだったかはキリモミ回転状態でぶっ飛んだんだぞ?」

「あ、あれは……お兄さんがわたしにセクハラを仕掛けてきたからじゃないですかっ! 言うなれば一種の自己防衛ですよっ」

「自己防衛だぁ? あれはそんな域を超えてんぞ。それに一連の行為は……ちょっとしたスキンシップつうか可愛いお茶目じゃねーか。断じてセクハラなんかじゃねえよ……!」

「お兄さんがお茶目とか言っても全然ッ可愛くありませんよっ! いつだったか、私に裸同然の服を着ろと強要したくせにっ! エッチ! 変態!」

「あん時はだな……おまえが『タナトス・エロス』EXモードのコスプレをしたら、さぞかしエロくて人気が出るだろうと俺なにり苦心した結果の提案だったんじゃねーか! そん時も言ったがエロは絶対強えーんだよッ! 俺は間違ったことはしちゃいねえっ!」

「つ、遂に開き直りましたねッ! この変態っ! そうまでしてわたしのエッチな姿が見たいんですか!? 通報……通報しますからねっ!」

「馬――ッ昼間の喫茶店でなんつう事を口走ってんだっ!? お前が相談してきたからから俺は――」

「……もしかしてお兄さん。わたしの裸見たくないんですか?」

「めっちゃ見たいよ――ッッッ!!! って、そうじゃなくてええええええッ!」

 

 ――うああああああああああああッッッッ!!!

 

 何だこの展開は? どうしていきなりこんな会話になってんだ?

 一体俺は何処でルート分岐を間違えたっていうんだ!?

 あと一応弁解というか説明しておくと、EXモード云々というのは、あるコスプレ大会の賞品をゲットする為にどうしたら良いかという件に関して、悩んだ末に俺が導き出した答なのだ。

 桐乃が一番喜ぶプレゼントはなんなのかというあやせの相談に対し、大会の趣旨を深く理解した結果そう結論付けたんだが……今でもあの提案は間違っていなかったとの自負がある。

 全てはあやせと桐乃の為であり、俺の願望なんて一ミリも…………入ってない。

 だから俺は変態でもシスコンでもないのだ。

 そこんとこ大事なんで、勘違いしないように。

 

「――クスクス。あはははは。面白いわねぇあなた達」

 

 アルトな声に振り返って見れば、美咲さんが口元に手を当ててころころと笑っていた。

 ……いや、あれは必死に爆笑を堪えてるんじゃなかろうか。

 なんか目尻に涙すら浮かべてるし。

 

「ねえ、あやせちゃん」

「は、はい!」

 

 一頻り笑って落ち着いたのか、美咲さんがあやせに話しかけている。

 続けてこんな事を言い出したのだ。

 

「もしかして、二人はまだプラトニックな付き合いなのかしら?」

「――え?」

 

 一瞬美咲さんの質問してる意味が分からず、きょとんとする天使。

 しかし、言葉の意味を解した途端、頬を真っ赤に染めて絶句してしまった。そこに更に追い討ちを掛ける藤真美咲エターナルブルー代表取締役。

 てかさ、何言い出してんのこの人?

 

「もう京介くんとキスくらいは交わしたの?」 

「キ――スッ!? なッッ……なな、なにを……言って……」

「フフフ。ねえ、あやせちゃん。一つ対案があるのだけれど、私の前で京介くんとキスして見せてくれないかな?」

「はぁ――?」

 

 な……なんたる爆弾発言。つーか、この姉ちゃん頭おかしいんじゃねーの!?

 初対面の人物に対してキスしてみせろとかさ――本当にありがとうございます。

 

「ここでして見せてくれたら、それだけの絆があるってことで私も納得しちゃうかも?」

 

 妖艶な笑みを浮かべ俺とあやせとを見つめる美咲さん。

 っていうか、アンタ絶対からかって状況を楽しんでるよな! 

 めっちゃ目が輝いてるもんよ! 

 本当いいよなあ傍観者は気楽でよぉ!!

 

「じ、冗談はやめてください! こんな場所でキスなんて……出来るわけないじゃないですか!」

 

 バンッ! とテーブルを叩いて立ち上がる俺。

 一瞬喜んじまったが、冷静に考えれば考えるほどあり得ない。

 美咲さんは冗談のつもりで言ったんだろうが、この発言内容はマズイのである。なにがマズイって、発言したのは俺じゃないのに何故か俺の所為にされてあやせにブッ飛ばされるパターンが目に浮かぶからだ。

 それでは全てが水の泡。

 ご破算。水泡にキス――じゃなくて帰す。

 

「なあ、あやせからも何か言ってくれよ!?」

 

 激怒していたら宥めようと思い、様子を窺いつつあやせへと向き直る。

 するとどうだろう。そこはかとなく顔が赤いものの、どうやら怒っているという雰囲気では無かった。

 オカシイ。この態度は絶対におかしい。

 この女――一体何を企んでやがる?

 

「あの……あやせ、さん? 黙り込んで……一体、どうしたんスか?」

 

 慎重にあやせの思惑を確認する。

 ちなみに俺は立ち上がっている為に、自然と座っているあやせを見下ろす格好になっていた。

 対するあやせは上目遣いに俺を見上げ(←めちゃ可愛い)

 

「……出来るわけないって、わたしとキスなんかしたくないっていうことですよね、お兄さん」

 

 なんて拗ねたように言いやがった。

 

「――は?」

「ですから、お兄さんはわたしと……き、キス、なんてしたく……ないんでしょう? そうハッキリ言いましたよね、今!」

「いや、そういう意味じゃないっつうか――もしかして俺とキスしたいの、お前?」

「し、したいなんて言ってませんっ! わたしは意思を確認しただけです!」

「なん……だと!?」 

 

 ぐうううっ! 

 れ、冷静になれ、京介。嬉しい言葉に舞い上がる前に状況を鑑みろ。

 一瞬リミッターが外れ掛けたが、必死に思い留まる。今は恋人同士の演技をしているだけだ。

 だが、この台詞の真意は掴みづらいぜ。

 敢えて仮定するならば、こいつは桐乃に並々ならぬ執着を抱いているから、キス云々も恋人ごっこの一環であり、留学話をチャラにする為の作戦て訳だろう。

 しかしよぉ、あやせ。はっきり否定しないとあの姉ちゃんに無理やりキスさせられっぞ?

 チラリと美咲さんの様子を盗み見る。

 予想通りというか、実に楽しそうにこちらを眺めている様は、俺を苛めてる時の桐乃に酷似している。

 

「ほらほら、京介くん! あなたがしゃんとしないから彼女が拗ねてしまったわよ?」

 

 発破かけてんじゃねーよ! つーかさ、俺にどうしろっての?

 選択肢はそんなに多くねえんだぞ!

 ……仕方ねえ。一応脳内シミュレートを開始してみよう。

 

『あやせにキスをする →変態と罵られブッ飛ばされる』

『あやせにキスをしない→この話を断る方向に持っていけない』

 

 ――もう詰んでんじゃねーかっっ!!!

 人生オワタよ!! 

 

「……ならいいですよ?」

「へ?」

  

 囁くような声に振り返れば、あやせが俺のことを見つめていた。

 

「その、ほっぺになら……キス、してもいいですよ?」

 

 き、聞き違いじゃなければキスしていいって言ったのか?

 そこまでしてお前は――桐乃の為に……!

 

「か、勘違いしないでくださいね! これは……その」

 

 分かってる。桐乃の為だって言うんだろ? しかし心なしかあやせの瞳が潤んでる気がする。

 俺はどうすればいい? どうすればいいんだ!?

 教えてくれっ!

 

「あやせ……!」

 

 拳を握り込み、じっとあやせを見つめる。

 彼女は俺の答えを待っているんだ。なら俺は……その気持ちに応えるべきだろう。

 やましい気持ちからそう思ったんじゃないぜ。真摯にあやせの思いを汲んだ結果そう思ったんだ。

 ぎゅっと瞳を閉じてから数秒待ち、それから開眼する。

 だが意を決したその時、俺の背後――背中の辺りから圧倒的なまでの殺気が溢れてきて……

 

「うっひいいいいいいいいィィィィィィ――――ッッッ!!!」

 

 再び店内に響き渡る絶叫。

 それだけじゃなく、あまりの背筋の冷たさに俺は思わずその場で二メートルほど跳び跳ねちまったほどである。

 

「ぐわおおおおお……」 

 

 背中をさすりさすり慌てて振り返って見れば、そこにはお冷の入ったコップを手にした黒猫の姿が――!?

 

「あら、御免なさい兄さん。手が滑ってしまったわ」

 

 状況から推察される結果は一つだけ。

 

「な……なな、なにしやがる黒猫ッ! おまえ俺の襟元から冷水流し込みやがったな!!」

「手が滑ったと言っているじゃない」

「嘘吐けっ! どうやったら立ってる俺の襟元に氷水が零れてくるんだよ! ありえねえだろうが!」

「――フン。あなたがあの女にデレーっとしてみっともなく鼻の下を伸ばしているからよ」

「の、伸ばしてなんかねえよっ!」 

「いいえ。伸ばしていたわ。だから私が闇に堕ちかけている精神を正しい方向へと導いてあげたの。――ここは深く頭を垂れて、私に感謝するのが筋というものではなくて?」

「ちょ、おま――仮にも兄貴になんてこと要求してんの!?」

「あら、可笑しいわね。この家では兄は妹の下僕なのでしょう?」

  

 こ、コイツはぁ……いけしゃあしゃあとのたまいやがって……!

 言うに事欠いて下僕だと? 温厚な俺じゃなかったらお前、縛り上げられてんぞ! 亀型に!

 しかし、どうにも黒猫の奴あやせと絡むと凶暴性が増す気がするぜ。

 もしかして何らかの危機感知能力が発動でもしてんのか?

 

「――なにしてるんですか、黒猫さん? あなたは“妹”なんですよ?」

 

 そして氷のように冷たい声音が木霊する。

 その声を聞いた瞬間、何故だが心臓を冷たい手で鷲づかみにされたような感覚に囚われた。

 

「あやせ?」

「お兄さんは黙っててくれます? 今、ちょっと黒猫さんとお話がありますから」

 

 えっと、めっちゃ怖い目で睨まれたんだけど……やっぱ怖えええよ、この女!

  

「自分のしたことが分かってるんでしょうね?」 

「ええ。もちろん理解しているわ」

「妹ですよ?」 

「妹ね。けれどこの現世には兄のことを愛して止まない。兄が好きで好きで溜まらない。そんな妹も存在するのよ?」

「な……!?」

 

 あやせの瞳からスっと光彩が消えた。

 そしてゆっくりとした動作で席を立つや、俺を挟んで黒猫と睨み合いを始める。

 

「兄のことを大好きな妹ですか。それ、すっごく興味がある話題ですね。黒猫さん。それって一体誰のことなんです?」

「さあ? 誰のことかしらね。私は世間一般の例えを出しただけよ」

 

 えっと、俺を挟んでいきなり形成されたこの空間はなんでしょう? 

 魔空間? 異空間?

 何で二人ともいきなり喧嘩おっぱじめようとしてんの? 俺の理解できる範疇超えてるよ!

 つーかよ、兄のことを大好きな妹なんて存在してる訳ねえだろうがっ!! 

 あ、いや……理屈では“存在”してるのは分かってんだが、どうにも妹と聞くと桐乃のことが頭にチラついて全否定したくなってくるんだ。

 だってよ、あの妹ときたら、愛想は無いわ、口は悪いわ、兄を足蹴にするわ、挙句の果てには死ねだのキモイだ散々悪態吐きやがるし。きっと何処ぞの鉄仮面みたく、妹より優れた兄なんて存在しねえとか思ってんだぜ?

 少なくとも俺があいつに嫌われてるのは確実だ。

 

「もしかして黒猫さん。わたしの邪魔をするつもりですか? だとしたら――」

 

 なんでスプーンを握り込むんスか、あやせさん?

 アナタが持つと凶器に見えるのは、それが不思議スプーンだから?

 

「莫迦ね。状況を知っているのに邪魔なんてする訳ないでしょう。私はただ――この女にからかわれてるあなた達を不憫に思って手を差し伸べてあげただけ。特にみっともなくあたふたする兄さんの姿は見られたものでは無かったわ」

 

 そう言って、黒猫が美咲さんの方へと視線を移す。

 けど、悪かったなみっともなくてよ。

 

「あらあら。本当に面白い娘ねぇ。正直言えば、ちょっとからかい過ぎたかなって思わないでもないけれど――」

 

 苦笑を浮かべながらも、美咲さんが黒猫からの視線を受け止めている。それから柔らかく相好を崩すと、自身の腕時計へと視線を移していった。

 見るからに忙しい人のようだし、きっと次の予定でも入っているんだろう。

 

「ねえ、京介くん。もう一つだけ質問に答えてくれるかしら?」

「……まだ、何かあるんすか?」 

 

 正直、またかと思わないでもない。

 だが今の話の流れを危険なあやせと黒猫の二人から奪えるなら応えてやろうって気にもなる。 

 

「あやせちゃんに対する答えは貰ったわ。不完全だけど私なりの回答は得た。だから、次は妹さん――黒猫ちゃんに対する気持ちを答えてくれないかしら?」

「……え?」

「だから、黒猫ちゃんのことをどう思ってるのか教えて欲しいのよ」

 

 これは予想外。というか全く相手の意図が分からない。

 この人は何を言ってるんだ? ここでどうして黒猫のことを持ち出す?

 

「あの……いまいち言ってる意味が掴めないんスけど……」

「文字通りそのままの意味よ。ね、これが最後だから――」

 

 愛想良く片目を瞑ってみせる美咲さん。

 って言ってもよ、黒猫のことをどう思ってるかって、そんなのどう答えたら良いんだ? 

 今の黒猫は妹であって俺の知ってる黒猫じゃない(という設定)だ。

 

「最後って言われても――」

 

 暫し沈黙が続く。

 

「そうですね……」 

 

 そして、暫く考えて、俺は思ったまま、心のままの言葉を口にすることにした。

 こればっかりは嘘を吐いてもすぐにバレちまうだろうからな。

 

「正直言って、こいつ――“妹”のことは大嫌いですよ」

「せ…………兄さん?」 

「口うるさいし、偉そうだし、事あるごとに突っかかってくるし、兄のことをサンドバックか何かと勘違いしてんじゃねーかってくらい乱暴に扱うし」

 

 俺の言葉に一瞬怯んだ黒猫だったが、すぐに言葉の“本意”を掴み、俺の言いたいことを察したようだ。

 

「すぐにキレて喚き散らしたり、無理難題を押し付けてきたり、俺としちゃ良い迷惑なんスよ」

「そうなの? そういう雰囲気には見えないけれど……?」

「それは“アイツ”のことを知らないから言えるんです。本当、滅茶苦茶な奴なんですよ。けど、それでも俺にとっちゃ妹なわけで――アイツが色々と頑張ってるのも知ってるし、努力してるのも知ってる。色んなもんに興味持って、好きになって、一生懸命生きてるのが傍目に見ても眩しいくらいで。そういうところは素直にスゲエって思えるし、兄として応援してーとは思ってます」

「……成程。京介くんは良いお兄ちゃんというわけね」

「そんなんじゃねえけど……なんつーか、妹ってのは兄貴にとってはいつまでも妹なんですよ。どんなに悪し様に扱われようが、あいつが泣いてたら泣き止ませるのが俺の役目で……」

 

 そこまで言ってから、改めて黒猫に視線を合わせた。

 

「いつだったか、妹の為に夏の思い出作ってやろうとあるイベントに出掛けたことがあるんですよ。けど、嫌われてる俺じゃ大したことは出来なくて。それを助けてくれた奴がいた。妹にはあやせ以外にも親友がいて――おかげでアイツに楽しい思い出作ってやることが出来ました」

「……そんなことあったかしら?」

「去年の夏コミだよ。お前なら覚えてんだろ?」

 

 他ならぬ黒猫は当事者である。

 忘れてるわけがない。 

 

「妹――お前の良いところをいっぱい発見したし、アイツも楽しそうにしてた。力を貸してくれた友達にも感謝してる」

「……きっと、その友達は自分のやりたい事をしただけで、感謝なんていらないと言うと思うわ」 

「だろうな。けど、そいつ等と知り合えて良かったって思ってる。おかげでお前……妹との関係も少しは良くなったからな」

「ふんっ……勝手に言ってなさい」

 

 ぷいっとそっぽを向く黒猫。

 照れているのか、少し耳たぶが赤色に染まってみえた。

 ……ま、我ながら纏まった言葉じゃねーけど、言いたいことは言ってやった。

 

「えっと、何が言いたかったかというと、妹のことは嫌いだけど友達と遊んだりしてる妹は憎めないってか……あー! うまく言えねえ!」 

 

 こんなんで美咲さんが納得してくれればいいんだが……。

 

「不器用なのね、京介くん。けれど、何となく言いたいことは伝わったわ。黒猫ちゃんのことがとても大切なのね?」

「……まあ、妹ですから。黒猫のことはそれなりには」

「莫迦ね」 

「馬鹿で結構。兄貴ってのはそういう生き物なん――――ぐあおおおおおおおおぉぉぉッッッ!!!」

 

 三度、店内に響き渡る絶叫。

 靴の防御を越えて、爪先から鋭利な刃物で貫かれたかのような激痛が襲ってきやがった。

 

「あ……、あや……せ?」

 

 涙目になりながら状況を確認する。

 どうやら俺は爪先を思いきり踏みつけられたようだ。他ならぬあやせに。

 それも遠慮も容赦もなしに。

 

「――よく回る口ですね。この浮気者。二度と軽口を叩けないように縫い付けちゃいましょうか」

 

 え? 何で怒ってんの?

 女って何で急に怒ったりすんの?

 訳わかんねーよ!!

 

「フフフ、アハハハ。本当に面白いわね、あなた達」

 

 俺ののたうち回る姿が可笑しかったのか、クスクスと笑いながら美咲さんが席を立つ。

 

「色々な“状況”は飲み込めたわ。こんな状態じゃおいそれと日本を離れてられないわよね、あやせちゃん?」

「えと……」

「ああ、心配しないで。取り合えずこの案件は白紙にするから。けどあなたへの評価を下げたって訳じゃないからその点は安心してちょうだい」

「――はい、ありがとうございます」 

「京介くんや黒猫ちゃんにも興味が出てきたし、今度は是非プライベートで会いたいものね」

 

 優雅な仕草で伝票を手に取った美咲さんは、俺達をゆっくりと見回してから

 

「うん。若いっていいわ」

 

 そう言って支払いを済ませ、颯爽と歩いて行ったのである。

 

 

 後日あやせから聞いた話しによると、本当にあのやり取りで留学の件は白紙になったらしい。幾人か他のモデルの候補もいるといっていたから違う人物に白羽の矢を立てたのだろう。

 正直、色々あって疲れたけど、最後にあやせに最高の笑顔をプレゼントされたら文句は言えねえよな。

 まあ、悪くない一日だったよ。

 

   

 




今回のお話で一区切り。物語の第一幕が下りた感じでしょうか。
今後はもう少しだけ踏み込んだ内容になっていく予定であります( ̄^ ̄ゞ

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