あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない 作:powder snow
黒猫といったらどんなものを想像するだろうか。
毛並みの良い愛らしい猫? それとも最近流行りのソーシャルゲーム?
残念ながらどちらも違う。俺が黒猫と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、ある一人の少女のことだ。
その女の子――本名、もとい人間としての仮初の名は五更瑠璃。
黒猫とは、彼女曰く魂の名前。
陶器のような透明感のある肌。切れ長で憂いを帯びた瞳。そして腰まで伸びた艶やかな黒髪。
気品があり、楚々として、見目麗しい。
正しく桐乃とは対極に位置するような純和風の美少女である。
ただし、普通の服を着て黙って突っ立っていればと付け加えねばならないが。
「……何かしら、その瞳は? あなた――とても失礼なことを考えているのではなくて?」
「気のせいだろ」
黒猫の“紅い瞳”が俺を真っ直ぐに射抜いてくる。
ちなみにコイツは純粋な日本人だ。その目が赤いのはいわゆるカラコンってやつだな。
「気の所為ですって? 納得のいかない答えね。さてはあなた“嘘”を吐いているわね。他ならぬ私の使い魔がそうだと囁いているわ」
「ドコにいんの、使い魔っ!?」
「三次元と四次元の隙間から常にあなたを監視しているの。だから――ククク、注意なさい。あなたの行動は常に私に筒抜けになっているのよ」
――フッと、妖しげな含み笑いを漏らす黒猫。
お分かり頂けただろうか。
彼女は絶賛“厨二病”を発症中である。誰もが通る道とはいえ、このレベルは傍から見ていると痛い。
それを如実に現すように、黒猫の服装はゴシックロリータを体現したかのような漆黒のドレス姿である。通称ゴスロリ。しかも驚くことにこれは彼女の“私服”だそうだ。
まあ、俺個人としては黒猫のこの格好結構気に入ってるんだけどさ。
それに本当は心の優しい、友達思いの良い子だってのも知ってる。
桐乃の友人であり、俺の友人でもあり、学校では先輩、後輩の関係に当たる。
黒猫はそんな女の子だった。
「はは~ん。さては黒猫氏『あなたのこと(京介)が気になって気になって仕方ないから、常に見ているのよ』と仰りたい訳ですな? こんな可愛い妹に慕われて、いやはや京介氏も隅に置けませんなあ!」
「な、なな、何を言い出すのかしらこのぐるぐる眼鏡は? 妄言も程ほどになさいっ」
極度のあがり症で恥かしがり屋の黒猫が、沙織の言葉に煽られて頬を赤く染めていく。
実に可愛い反応だが、誰が誰の妹だって?
黒猫か? もしかして黒猫のこと言ってんのか!?
「はっはっは! どうやら拙者の“翻訳”が思わず図星を突いてしまったようですな。半ば想像だったのですが……これは失敬、失敬! それと京介氏、拙者も黒猫氏もれっきとした年下。いわゆる妹キャラですぞ?」
「……だから?」
「萌えませんかな?」
「俺、妹属性とか持ってないからね!?」
「またまた、心にもないことを仰る。京介氏のステータス画面にはシスターコンプレックスの項目が刻まれているではござらんか」
「どうやって見たの、俺のステータス!?」
「いやぁ~そこは企業秘密でござるよ」
と、豪快に笑い声を上げているのが、沙織・バジーナ(ハンドルネーム)である。
典型的なオタクファッションに身を包み、背中にはリュックサックを背負い、顔には大きなぐるぐる眼鏡を装備している。
大きな身長に似合って面倒見が良く、俺達はこいつに世話になりっぱなしだ。
いつかその借りを返したいと思っているが、現在進行形で借りばかり増えていってる有様で、少しばかり申し訳なく思っている。
もちろん、この沙織も俺と桐乃共通の友達であり大切な仲間だ。
そんなやり取りを演じながらアキバのメインストリートを歩く。
今この場にいるのは俺と黒猫&沙織の他に、もちろん桐乃の姿もある。だが先程からずっとムスっとした表情を晒しつつ押し黙ってやがるから、思わず存在を忘れそうになっていたところだ。
一応、現在の状況なんかを軽く説明しておこうと思う。
俺と桐乃はエロゲーを買う為に秋葉原までやってきていた。
出発時は何処となく不機嫌だった妹も、道中ですっかり機嫌を取り戻していて、ここに到着した時には、はしゃいでいると言っても良いくらいの上機嫌に変身していたものだ。
兄妹揃っての久しぶりの秋葉原。ここ独特の雰囲気が肌に合うんだろう。
「う~ん、この空気! やっぱアキバは最高だよねっ!」
なんて言ってたっけ。
そしていざゲームショップへ向かおうかと足を踏み出したとき、冒頭で紹介した黒猫&沙織に出会ったという寸法だ。
この出会いは正しく偶然の賜物だが、二人とも桐乃の初めてのオタク友達である。
文字通り悪態を吐き合うくらい仲が良い。
特に桐乃と黒猫の関係は見ていて微笑ましく――本人達は絶対否定するだろうが、もう親友と言っても良い間柄だとさえ思ってる。桐乃がアメリカから帰って来た時、真っ先に空港まで向かえに来たのも黒猫だしな。
そんなことを考えながら、横目でチラっと桐乃の様子を伺ってみる。するとやっぱり仏頂面を下げたまま歩いていた。
何処で不機嫌スイッチが入ったのか分からんが、そうむくれるな妹よ。
おまえは本当に良い友達を持ったと思うぜ。兄として嬉しく思う反面、羨ましく思うくらいだ。
まあ桐乃と黒猫は互いにぶつかることも多が、喧嘩するほど仲が良いって昔から言うしな。
そうこうしてると、何やら視線のようなものを感じたのでふと足を止めてみた。
誰かに見られてるのか? と首を巡らせてみれば俺を見つめていた黒猫と視線が合ってしまう。しかも、さっき沙織にからかわれた影響が残ってるのか、少し頬を紅潮させたままの黒猫は……何ていうか、仕草が妙に色っぽく見えてしまうのだ。
「……な、何かしら。そんなに見つめられていると……先輩から新手のスタンド攻撃を受けているんじゃないかって、勘ぐってしまうじゃない」
「いや……別に。なんでも……ねえよ」
「……」
俺の答えが気に入らなかったのか、黒猫がプイっと横を向いてしまった。
これで互いの視線が切れてしまったわけだが、何故だか妙に“意識”してしまう。
自然と心臓が高鳴り、生唾を飲み込みたいくらいに喉が渇いてきた。
黒猫の長い髪。フリルの付いた漆黒のドレス。そんな姿が目に焼き付いて離れない……って、な、なにを意識してんだ俺は。
落ち着けって!
そう自身に叱咤した時、思いもかけず“あの言葉”が脳裏に蘇ってきた。
『――“呪い”よ。あなたが途中でへたれたら……死んでしまう呪い』
耳たぶまで真っ赤にしながら伝えられた言葉。
背中に添えられた手の感触。そして――
今は何も触れてないのに、頬のある部分がカっと熱くなった気がした。
その部分に指を伸ばし、そっと撫でてみる。
「く、黒ね――」
名前を呼んでみようか。
そう思った次の瞬間――右足首のアキレス腱辺りに凄まじい激痛が走った!
「いってえええええええぇぇぇ――ッッッ!!!」
ここが人通りの多いメインストリートなのも忘れて絶叫する。
それくらい容赦のない蹴りだった。
一体何処の誰がこんなことをしやがったんだ――と考え始め、僅か0,1秒で犯人を特定する。
俺に対して全力で蹴りを放つ奴なんざぁ、この世に二人しかいねぇ!
「い、いきなり何しやがる、桐乃っ! アキレス腱を全力で蹴り上げるとか、歩けなくなったらマジどーしてくれんだ!?」
「フンッ! あんたが黒いのに“でれぇ~”としてるからでしょっ! サイッテー、マジ、キモイ! 妹の友達に欲情すんなっ!」
「よ、欲情なんかしてねーよ! ドコを見てたらそんな結論になんの!?」
「じゃあなんで顔赤らめてんの? どうせここがアキバだからってエロシチュとか妄想してたんでしょ! あ~キモイ!」
「し、してねーよ!」
「してたじゃん、にやけ顔でさ。そうやってあんたは常々エロい妄想ばっか――――――って、ハッ!?」
どうやら桐乃。喋りながら何事かを考えついたようだ。
驚きの表情を張り付かせたまま、ジリジリと俺から距離を取っていく。
「ま、まさかアンタ……脳内妄想の中で黒いのにだけじゃなく、沙織や、あ、あたしにまでエロいことしてたんじゃないでしょうーね!?」
「はあ!?」
「きっとあんたのことだから、拘束して縛ったり……無理やりエッチなコスプレさせたり、果ては嫌がるアタシたちに眼鏡を掛けさせたりして――」
「んな妄想してるわけねーだろーがっ!」
そんな考え方するおまえの方がキモイつーの!
っていうか、普段妹にどーいう目で見られてんの、俺!?
ちょっと傷付いたわ!
そんな俺達のやり取りに、なんと黒猫が割って入ってきた。
「あら、居たのね、あなた。珍しく大人しいから置物が歩いてるか“沈黙の呪文”でも受けているのかと思っていたのに」
「はあ? いたのって……最初っからずっと一緒にいるじゃんっ! その言い方、マジむかつくんだけど……!」
「へえ“むかつく”ねえ。それは今の私の台詞に対してかしら? それともあなたの“兄さん”が私や沙織と親密になっているのが気に喰わない? ああ――当然それも含むのでしょうけど、本心は二人きりのところを邪魔されたのに腹を立てているのではなくて?」
「な――ッッ!」
あろうことか、今度は桐乃と黒猫が喧嘩をおっぱじめやがった。
ワナワナと桐乃の身体が震えている。
怒りを堪えているのか、頬が急速に紅潮していった。
「大体あなたここまで何をしに来たのかしら? わざわざ“兄さん”と二人きりで」
「――げ、ゲーム買いに来たつったじゃん!」
「どうせ妹もののエロゲーでしょ?」
「なに、悪いの? あたしがエロゲー買ったら悪いの?」
「別に悪くはないわ。ただ、あなたがアキバまで直接エロゲーを買いに来るなんて珍しいなと思ったのよ。いつもはネット購入でしょ? もしかしてkonozamaでも喰らったのかしら? アッハッハ! だとしたら良い気味ね。あれほど密林の利用は計画的にと――」
「何言ってんの? あたしがkonozamaなんて喰らうわけないじゃん。今日買いに来たのは新作じゃなくって比較的新しいゲーム。残念でした。勘違いしないで」
えっと、そこ重要なの?
っていうか、このざまって何だよ? アニメ用語かなんかなのか!?
時々だが桐乃達の会話には俺の知らない言葉が混ざることがある。
……今度ググるか。
「つーかさ、あんた達なんでコイツと仲良くなってんの? アタシがいない間になにかあったワケ?」
「痛ってーな、おい!」
“コイツ”の部分で蹴りくれやがったぞ、このアマッ!?
だが俺の文句など何処吹く風とばかりに無視して、桐乃が黒猫に詰めよって行く。
「そこんとこキッチリ、説明してもらうかんね」
「そう言われてもねぇ。私と先輩の関係なんて……どう伝えれば良いのかしら。うまく言葉には出来ないわ。ねえ“きょうちゃん”?」
「え? そこで俺に話し振る――!?」
クスクスと含み笑いを漏らしながら、甘い声で黒猫が囁いてくる。
てか絶対こいつ、今のこの状況を楽しんでやがるな。それに“きょうちゃん”て何だよ。
お前の口からは初めて聞いたわ!
「……なに、あんた。この黒いのに“きょうちゃん”って呼ばせてんの? あーヤダヤダ! めっちゃキモいんですけど!」
「呼ばせてねーし! それから黒猫もあんまこいつをからかうなよ! 主に被害受けんの俺なんだぜ!? つうかさ……頼むから勘弁してください」
「――フッ。どうにも“久しぶり”だから、少し調子に乗ってしまったようね」
怒れる妹がゲシゲシと何の遠慮もなく俺のことを蹴っ飛ばしてくれる。
もしかしてこいつ、兄のことをサンドバックか何かと勘違いしてんじゃなかろーな?
由々しき事態だ。それとなく今度釘を刺しておこう。
「あー、きりりん氏。実はこれには訳がありまして────」
と、そこでようやく傍観者を気取っていた沙織が間に入ってくれた。
そして雪解けのように解ける俺たちの誤解。
簡単に説明すれば、桐乃がアメリカに行ってる間、俺のことを心配してくれた黒猫と沙織がちょくちょく遊びに来てくれていたのだ。
その経緯もあって仲良くなった訳だが、桐乃から見たら、帰国したら突然自分の友達と大嫌いな兄貴が仲良くなってるわけだから、そりゃ気分が良いはずがない。
友人思いの桐乃のことだ。
どうせ黒猫や沙織が俺に取られたとか思ってむくれていたんだろう。
口は悪いが、本当に黒猫や沙織のことは大事に思ってるからなぁ桐乃のやつ。
「……はあ。助かったぜ沙織。けどさ、出来ればもっと早く止めに入って欲しかったんだけど」
これが消耗しきった俺の本心だ。
もうちょっと遅ければ、俺のアキレス腱は断裂していたに違いない。
「いやはや、申し訳ない京介氏。あまりにも眩しい光景だったので、拙者、つい見惚れてしまいましてな」
「は? 見惚れてた?」
「ええ。失ってしまったかと覚悟した光景が戻ってきたのです。あまりにも嬉しくて――つい、見惚れてしまいました」
そう言った沙織が、俺から黒猫、そして桐乃へと視線を移していく。
「改めまして――お帰りなさい、きりりん氏。拙者はきりりん氏と黒猫氏と京介氏の三人がいる光景が大好きなのですよ。もう二度と失いたくないと思うほどに」
「……なに言ってんの? 三人じゃなくて四人でしょ。ばかじゃん……」
照れたようにそっぽを向く桐乃。
だけどあいつの気持ちはよくわかる。それはきっと黒猫も同じ気持ちのはずだ。
「桐乃の言う通りだ。三人じゃない。そうだろ沙織?」
「……きりりん氏、京介氏」
「よぉし! 今日はこの四人で限界まで遊び倒すか!」
「あら、あなたにしては良い提案ね。もちろん乗ったわ」
「……黒猫氏まで……」
「あ、その顔嬉しいんだ? あたし達と遊べるのが嬉しいんでしょ~? どうしよっかなー? これでもあたし忙しい身だしぃ~」
「は? 何言ってんだおまえ? これから家に篭ってずっとエロゲーやるつもりだったんだろーが」
「うっさい!」
照れ隠しに桐乃が蹴りを放ってくるが、それを俺はひらりとかわしてやった。
そうそう何度も蹴られてたまるかってんだ。
「……なに、その顔? なに得意気になってんの?」
「へ。別に~」
得意げにもなろう。
だってよ、こうして友達と遊べて、この場所へ“戻って来れて”嬉しいのは桐乃も同じだからだ。
そう思ったら、自然と頬の筋肉が緩んじまったのさ。
「……キモ」
「本当ね、気持ち悪いわ」
って、ええ? 今黒猫にもキモいって言われた?
ちょ……それはマジ凹むんだけど。
「あはは。拙者……拙者……実はとても良い店を知っておりまして。皆の心遣いに感謝し、拙者の知識を総動員して今日はとことんアキバを楽しんでいただきますぞ!」
沙織が少し涙ぐんでいるように見えたのは、きっと気のせいだろう。
その後の俺たちは、沙織の提案通りアキバを拠点にして遊びまくった。
もちろん、色々とここの事情に詳しい沙織が大活躍だったのは言うまでもない。
桐乃の欲しがっていたゲームも買えたし、当初考えていたよりも楽しい一日になった。
帰る時にみんなが笑顔で別れたことは言うまでもないだろう。
あと余談ではあるが、この日桐乃が買ったエロゲーを後日、俺が泣きながらフルコンプすることになるのは、また別の話である。
……言っとくけど、俺がやらせてって頼んだんじゃないからね?