あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない   作:powder snow

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第二十話

「ここって古本屋……か?」

 

 駅前から少し脇道に逸れ、住宅街へ向かう道すがら。その途中にその店はあった。

 古書店というとどうしても古臭い印象を受けてしまうが、外から見る分には普通の本屋とそう変わらないように見える。ただ雰囲気というのか、肌で感じる微妙な差異が、俺に古書店だと直感させたのだ。

 小奇麗な雑居ビルの一階を占拠する本の群れ。ぱっと見はコンビニみたいな外観をしているので、外からでも中の様子を窺うことが出来た。

 整然と並べられた本棚と幾人かの客の姿。それほど大きな店じゃないけど、清潔感があって入りやすそうだ。

 

「日向ちゃん。ここで黒猫が働いてんの?」 

「そうだよ。この店のオーナーさんがお母さんの知り合いらしくって、そんでルリ姉が手伝わせてもらってるんだって。なんかね、前のバイト先も本屋だったんだけどクビになったからって」

「え? それマジで?」

「うん。だってルリ姉“……っふ。どうやら人間風情には私の力を使いこなすことは出来ないようね。残念だけれどこの邂逅は無かったことにしてあげるわ”って涙目になってたもん」

「は、はは……」

 

 不覚にも乾いた笑いしか出てこない。

 なんつーか“その場面”がありありと想像出来ちまうのが悲しいところだ。器用なやつだし、根はすごくいい娘なんだけど、黒猫のやつ接客とか苦手そうだしなぁ。

 

「じゃあ行くよ。高坂くん、準備はいい?」

「オーケイ。心の準備は出来ているぜ――ってなんで気合入れてんの?」

「いやー、その方が盛り上がるかなって」

 

 あははと快活な笑い声をあげながら、日向ちゃんが入り口へと向かっていく。それに続く形で俺も店内に入って――

 

「いらっしゃいま…………」

 

 来店客を発見した瞬間、くるりと回って背中を向ける店員に出くわした。

 

「やっほールリ姉! お弁当持ってきたよー」

「お、お前、黒猫か?」

 

 見覚えのある後姿。学校から直行したのか、制服の上からエプロンを羽織った状態で縮こまっている。右手に持っているのはダスターだろうか。もしかしたら掃除中に出くわしたのかもしれない。

 しかし一番俺の目を引いたのは黒猫の髪型だった。

 あろうことか黒猫は、後頭部で髪を結わえポニーテールに変身していたのだ。

 

「ど、どうして先輩がここに……いるの?」

「あ、それあたし。高坂くんと偶然道端で会っちゃってさー。なんか面白そうだから連れて来た」

「なん……ですって!?」

 

 ギギギという擬音が聞こえてきそうなほど、ぎこちない様子で振り返ってくる黒猫。どうやら日向ちゃんの姿を探しているようだが、彼女が俺の背中に隠れてしまったので、バッチリ俺と目線が合うことになる。

  

「あ――う……」 

 

 そして何故か黒猫が固まってしまった。心なしかほっぺが紅く染まって見える。 

   

「よう黒猫。普段と髪型が全然違うから、一瞬お前だって分かんなかったぜ」

「ち、違うのよ。これは……その、掃除をしている時は邪魔になってしまうからくくってしまうの。……先輩が似合わないというのなら元に戻すわ」

「いやいや、戻さなくていい!」

 

 両腕を頭の後ろへと回し、髪を解こうとする黒猫を慌てて制止した。

 正直に言えば似合ってないどころじゃない。めちゃくちゃ似合っていた。髪がアップになったことで普段隠れているうなじ辺りが見えたりして、色っぽく感じたくらいだ。

 女って生き物は、どうしてこう髪型一つで印象が変わるもんかねぇ。

 

「へえ。似合ってるじゃん、そのポニテ。お前髪が長いんだからさ、もっと色んな髪型に挑戦してもいいと思うぜ」

「そ、それはどういう意味で言っているの? 私の普段の髪型への駄目出しなのかしら?」

「違う違う。いつもの髪型も好きだぜ。けどなんつーか、お前の新たな一面が見られて嬉しいっていうの? ここに来て良かったって思った」

「な――!?」

 

 大きく目を見開いたと思ったら、マッハな勢いで目線を逸らし黒猫が俯いてしまった。きゅっと唇を結んで、羽織っているエプロンの裾を握り絞めている姿は、思いのほかに可愛らしい。

 耳なんかほんのりと桜色に染まっているし、こいつを照れさせて遊ぶ桐乃の心境が少しだけ理解出来た瞬間だった。

 まあ、黒猫のやつは極度の恥ずかしがりやだし、バイトしてる姿――地味なエプロン姿を見られて照れてるだけなんだろうけどな。

 仕事着なんだからそんなこと気にしなくて良いのによ。

 

「あまり……見ないで頂戴。恥ずかしいわ……」

 

 そして再び俺に背中を向ける黒猫。

 その名の通り馬の尻尾みたいなポニーテールが俺の目の前で揺れている。

 漆のように艶やかな黒色の髪はとても滑らかで、ふとこいつの髪に触ってみたいという衝動に駆られてしまう。しかしセクハラ先輩の汚名を返上する為にもここは自重した。

 

「あれぇ~、ルリ姉なんか良いことでもあったのー?」

「ひ、日向!?」

 

 もう姉の怒りは収まったとみたのか、盾代わりにしていた俺の背中から這い出てくる日向ちゃん。

 それからニマニマと邪悪そうな笑みを浮かべつつ、ぐるぐると黒猫の周りを回りだした。 

 

「とっても嬉しそうにしてるよねぇ?」 

「し、してないわっ!」 

「嘘だぁー。だって大好きな人から褒められたら嬉しいじゃん? それとも思わぬ出会いに心がときめいちゃったとか?」

「事実無根なエピソードを捏造するのはやめて頂戴、日向」

「えー? ならどうして顔を紅くしてんのさ? めっちゃ照れてるじゃん! この前ルリ姉が言ってた運命の相手ってさ、どう考えても高坂くんだよね? ほら黒き獣がどうとか言ってたやつ」

「……なな、なんのことかしら。そんな事実は記憶にないわねぇ……。白昼夢でも見ていたんじゃないの?」

「へぇ、ルリ姉。そういう態度に出るんだ。出ちゃうんだ。ならあたしにも考えがあるよ」

 

 こほんと喉を鳴らしてから、日向ちゃんが右手を胸に添え演説者のポーズを決める。

 それから黒猫の声音を真似て――

 

「――“そうね。とてもかっこよくて、優しくて……頼り甲斐のある人よ。けれど彼はとても鈍い人だから、はっきり言葉を尽くさないと伝わらな”――――」

 

 ガシッ! と黒猫が日向ちゃんの頭を鷲づかみにし、言動を封じた。

 なんか以前にも見た事あるような光景だが……さすがは姉妹。日向ちゃんの声真似は姉にとてもよく似ていた。

 でも今の台詞、解釈次第じゃ……いや、いつもの黒猫の設定だよな……?

 

「ククク……フハハハ……そうなのね日向。あなたそんなに毎日ニンジンとピーマンを食べたいの。日々の献立を考えなくても良い分私は楽だけれど」

「いや、ちょっとそれは……。っていうかルリ姉! 胃袋を人質にするのってひどくない!?」

「あなたが無駄に囀るからよ。それが厭だというならそれを置いてさっさと家に帰りなさいっ」

 

 そう言うや、黒猫は日向ちゃんが持っていた包みを強引に奪い取った。その隙を使って黒猫ホールドから逃げ出す日向ちゃん。

 実に息のあった姉妹である。

 

「なんかさ、あたしお邪魔虫みたいなんで帰るねー。高坂くーん! ルリ姉のことよろしくねぇ~!」

「ひ、日向っ」

 

 黒猫の射程範囲外へ逃げてから、日向ちゃんが捨て台詞を吐いて去って行く。

 それを怒ろうとしたのか、包みを手にしたまま右腕を振り上げる黒猫。でもすぐにそれに気付き、恥ずかしそうにはにかみながら、そっと腕を下ろした。

 

「……ごめんなさい先輩。日向が迷惑をかけてしまったようね」

「いや全然。明るくていい娘じゃねえか。それに弁当届けてくれたろ?」

「そうね」

 

 柔らかい笑みを浮かべ、手にした包みを眺める黒猫。その表情を見てたら、やっぱりこいつもお姉ちゃんなんだよなって、そんなことを思っちまった。

 

「……えと、興味があるの?」

「へ?」

「――これ」

 

 そう言って包みを掲げる黒猫。別に弁当を見てたわけじゃねえんだが、どうやら勘違いされちまったらしい。

 

「……まあな。女の子の手料理っつたら男の夢の一つだし。興味はあるぜ」

「そ、そう」

「けどよ、弁当が必要なほど遅くまでバイトしてんのか? 危なくね?」

「今日はたまたま棚卸しが入っていて……それで遅くなるの。だから日向にお願いして作ってきてもらったのだけど――ああ、普段の食事は私が用意しているのよ」

「家事とかもしてんの?」 

「ええ。下に妹が二人いるから。スキル的に田村先輩には敵わないでしょうけれど」

「十分スゲーじゃん。桐乃なんてほとんど家事とかしねーしよ。いや……俺もしねーけど」

「フフ。あの女らしいわね。けれど機会がなかっただけじゃないかしら。何事もそつなくこなすあなたの妹のことだもの。努力すればすぐに身につくはずよ」

「そういうもんかね」

 

 いつも喧嘩ばかりしている桐乃と黒猫だが、それは本当に仲が良いからだ。互いに悪態を吐きながらも、相手のことを良く理解しあっている。

 そういうの、ちょっとばかり羨ましい気がするぜ。

 

「……機会があれば、先輩にも作ってあげるわ」

「マジで? 期待しちゃうよ俺」

「駄目よ。あなたに食事を提供するには相当な魔力を消費するの。だから――期待しないで待っていなさい」

 

 はいはい邪気眼乙。けど、こういう邪気眼ならわりと歓迎するぜ。

 

 

 そんなこんなで黒猫と店内にいるわけだが、相手は仕事中である。あまり邪魔をする訳にもいかないので素直に帰ろうと思ったのだが、折角本屋に来たのだ。

 騒ぎ立てた迷惑料ってわけじゃねえけど、一冊くらい買って帰るのもありだろう。

 

「なあ黒猫。なんか一冊適当に見繕ってくんねえかな?」

「いきなりどうしたの先輩? エッチな本ならあちらの隅に置いてあるわ」

「お前な……俺のことをなんだと思ってんの!?」

「あら? 先輩の不名誉な二つ名をこの場で高らかに謳い上げてあげましょうか? さぞや衆目を集めることでしょうねぇ」

「それお前も注目されちゃうからね!」 

 

 クククと悪魔めいた笑みを浮かべる黒猫にすかさず突っ込みを入れる。どうやら随分と調子が出てきた様子だが、お仕事中ですからね黒猫さん。

 

「私、それほど先輩の好みに精通しているわけではないのよ?」

「お前が面白そうだと思う本ならなんでもいいよ。漫画でも小説でも」

「……そう。じゃあ少し待ってて頂戴」

 

 やや思案してから黒猫が歩き出した。気になるんで黒猫を目線で追っていたんだが、本棚の角を曲がった辺りで見失うことになる。

 そして待つこと暫し、黒猫は一冊の文庫本を持って戻って来た。

 

「なにこれ?」 

 

 受け取った文庫本の表紙には、作品名らしきアルファベットと、眼鏡を掛けた黒髪のお姉さんのイラストが描かれていた。 

 

「えっと……アール・オー・ディー? 小説か?」

「R.O.D――READ OR DIEね。一般的にライトノベルに分類される書籍になるわ。……先輩、黒髪で眼鏡の女の子が好きなのでしょう?」 

 

 事実無根であると言い返せないところが悲しかった。

 

「……ま、ありがとよ。じゃこれ買って帰るわ」

「――ククク。内容に感銘を受けたなら是非二巻も買って頂戴」

「シリーズ物かよっ!」

 

 後日、結局全巻を揃えることになるのだが、それはまた別のお話である。

 

 

 

「やっべ。降ってきやがった」

 

 本屋を出て家路に着く途中、突然空から大粒の雨が降ってきた。一瞬戻ろうかとも思ったが、かなり歩いてきていたので今から戻ってもびしょ濡れは免れない。

 仕方ないので、近くにあった店の軒先まで避難する。

 

「……ゲリラ豪雨ってやつか。すぐ止んでくれるといいだがな」

 

 濡れた髪やら肩やらを手で叩きながら灰色の空を見上げる。しかし雨脚は勢いを増すばかりで止む気配は一向に見られない。

 こういう集中豪雨ってやつはドバっと降ってパッと止むのが普通なんで、少し時間を潰してれば落ち着くと思うんだが……。

 

「あんだよこの雨はー! 超ビショ濡れになったじゃんかよー」

 

 そう考えていたら、両手で頭を抱えた小学生が俺と同じ軒先に飛び込んできた。

 綺麗な茶髪のツインテール娘。多少口調は荒々しいが、俺と同じく雨宿りに避難してきたらしい――って、こいつは小学生じゃねえ!?

 

「あ? なに見てんだよテメエ? 透けブラでも期待してんのかっつーの」

「お前――来栖加奈子!?」

「なんで加奈子の名前知ってんの? どっかで会った?」

 

 メンチを切るような仕草で俺を睨みつけてくる加奈子。

 この様子だと、こいつ俺のことを完璧に忘れてやがるな。歌の歌詞とか台本とかは瞬時に暗記できるくせに……って、そういや興味ねえ事柄にはまったく記憶力が働かないんだっけか。

 加奈子にとって“桐乃の兄貴”ってのはその程度のもん(道路に落ちてる石ころみたいなもん)なんだろうな。

 クソガキめ。ケーキ四つも買ってやったってのに!

 

「おい、なんとか言えヨ。気になんだろぉ~」

「悪い。人違いだった」

「はあ? さっき思いっきり加奈子の名前呼んでたじゃんかぁ。教えろヨー」

「じゃあ言い直そう。人違いじゃなく勘違いだった」

「ブッ飛ばすゾ、テメー!」

 

 威嚇してくる幼女を軽くいなす。

 加奈子が俺のことを忘れてるならこれ以上関わる必要性がない。というか、下手に会話して俺がこいつのマネージャーだったと気付かれると色々面倒なことになるのだ。

 あやせからは口止めされてるし、忘れてるとはいえ、桐乃の兄貴が加奈子のマネージャーと同一人物だと断定されるわけにはいかない。

 桐乃は未だ同級生にオタ関連の趣味は秘密にしているのだ。

 

「我侭言ってないで、もうすぐ暗くなるから大人しく家に帰りなさい」

「なに急に先生見たいなこと言い出してンだヨー! つーか大雨降ってんじゃんか!」

「知らないのか? 馬鹿は風邪引かないんだぜ」

「だれがバカだこらぁ~ッ!? 可愛いからって舐めてんじゃねーゾ!」

「そんな幼児体型に興味なんて沸かねーよ!」

「ンだとこらぁーっ!」 

 

 癇癪を起こす加奈子を尻目に、俺は雨に濡れた髪をかき上げながらこいつに背中を向けた。もうこれ以上会話しないぞという拒否アピール&雫が目に入って超痛かったのだ。

 なのに加奈子は

 

「オイおまえ。ちょっとソコでしゃがんでみせろヨ」

「は? なんで?」

「いいから、しゃがめって言ってんだろ!」

 

 強引に俺の服を引っ張って、無理やりに座らせようとする加奈子。って、こいつは俺に何を求めてんの? 

 まさか土下座!? 

 この雨の中で土下座させようってんじゃねえだろうな!?

 だが予想に反して加奈子は、姿勢の低くなった俺の髪に手を伸ばすや、強引に髪型をオールバックへと変えていく。

 

「あぁぁ!! やっぱマネージャじゃん!?」

 

 最も恐れていた叫び声は、雨音に消されることなく辺りに響き渡った。

 

 

  


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