あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない   作:powder snow

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第二十三話

「おかえりなさい。京介さん、きりりんさん、黒猫さん。お待ちしておりしたわ」

「えっと――すいません。部屋、間違えました」  

 

 両手をドアノブに添えて、音が鳴らないようにそっと扉を閉める。

 沙織の部屋に帰って来たと思ったら知らない人が中にいた。何を言っているのか分からねえと思うが、俺も何を言っているのか分からない。

 なんてポルナレフやってる場合じゃねえか。

 単純に入る部屋を間違えたんだろう。

 マンションという構造上周りには似たような扉が並んでるし、なにせ始めて訪れた場所だ。表札もかかってないしな。

  

「なにやってんのアンタ? そんなトコで突っ立ってられると中に入れないんですけどォ?」

 

 軽く舌打ちしながら、桐乃が肩で俺を押し退けてくる。それからドアノブに手を伸ばし、そっと扉を開いて――暫し固まった後、おもむろに扉を閉じた。

 

「えっと……沙織の部屋って何処だっけ?」

「二人とも何を言っているの? この部屋で合っているはずよ」

 

 どいて頂戴、と黒猫が扉の前に立つ。

 それから慎重に扉を開いていき――

 

「あの、皆さま、どうして扉を閉めるんですの?」

「え? あ、あなた……」 

 

 そこにいたのは深層の令嬢もかくやという超絶美人だった。

 立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花。もうホント全身から、たおやかで、淑やかで、いわゆる“お嬢様”っつうような清廉なオーラが放たれているんだ。 

 

「……黒猫さん。京介さん。きりりんさん」 

 

 若干涙目になりながら、お嬢様がオロオロし始めた。

 その仕草は小動物を見てるみたいで可愛いらしいが――翌々考えれば、さっきも今も俺達の名前を呼んでいたような気がする。

 あれ? 何でこの姉ちゃん俺達の名前知ってんだ? 

 使用人ってわけでもねえだろうし。ということは、もしかして……。

 

「お、お前……沙織なのかッ!?」

 

 マジで? え? マジで!?

 

「はい。わたくしは皆さんの良く知る沙織・バジーナですわ」

 

 困惑する俺達を尻目ににっこりと微笑む沙織さん。

 って、思わず“さん”を付けたくなるくらいの別人に成り変わっていた。

 まずトレードマークのぐるぐる眼鏡を掛けていない。それだけならさほど問題じゃねえんだが、コイツの場合根本から違って見える所為で、もう“変身”したようにしか感じられないのだ。

 服装もいつもの野暮ったいオタクファションじゃなくって清楚なワンピースに着替えてるし、髪型もサラサラしててすっごく綺麗だし……つーか、こいつ滅茶苦茶スタイルいいな。

 ゲームとか漫画でさ、眼鏡を取ったら実は美人でしたって展開あるじゃん? 

 それを軽く超越しちゃってるからね、沙織の場合。バジーナだった頃の面影なんて全然ないし、心なしか声まで違って聞こえやがる。

 一言で表現するならヤバイ。二言使えば超ヤバイ。

 

「……驚きすぎよ、先輩」

「いや、だって、普通驚くだろ!?」 

「それは否定しないけど、沙織も女の子なのだから自重しなさいということよ」

 

 むう。黒猫に叱られてしまった。

 このクラスのメタモルフォーゼになると度肝抜かれるのは仕方ねえと思うんだが――確かに桐乃も黒猫も唖然としていたが、俺ほどは取り乱してはいない。

 やっぱ男から見た女の子の印象と、女から見た女の子の印象は違うのかもな。

 

「ねえ。それってもしかしてコスプレなワケ?」

「いいえ。これが本来の“わたし”の姿なのです」

 

 軽く佇まいを直してから、優雅にお辞儀をしてみせる沙織。次いで彼女は、高らかに宣言をするように俺達を前にしてこう述べた。

 

「始めまして皆さま。わたくし槇島沙織と申します」

 

 

 

「……なにこれ? 意外にムズイ……じゃん」

「そうじゃないわ。包丁ではなく持っている野菜のほうを動かすのよ。無理に押し切ろうとすれば指先を怪我をすることになるわよ」

「えー? それで皮が綺麗に剥けんの?」

「慣れれば簡単よ。ほら、ちょっと貸してみなさい」

 

 リビングのソファに陣取りながら、台所に立っている桐乃と黒猫を流し見た。

 ここは沙織のマンションにある一室。間取りはリビングキッチンになっていて、ソファでくつろぎながらでも料理する二人の様子を窺うことができた。

 並んでエプロンを羽織り(エプロンは沙織に借りた)料理する様は、見ていて実に珍妙である。例えるなら、親父が家の大画面で萌えゲープレイしているようなもんだ。

 お兄ちゃ~んとか呼ばれて顔を赤らめてる親父とか想像できねえだろ?

 俺だって桐乃が台所に立つ姿なんか見たことねーし。黒猫は料理自体は得意らしいが、そんな姿なんざ拝んだこともない。学校でのあいつを知ってる分イメージできねえってもんだ。

 けどさ“悪くねえ”とは思ったよ。

 今も黒猫は桐乃の手に自分の手を重ねながら、丁寧に野菜の皮剥きをレクチャーしている。桐乃も色々文句を並べながらも、取りあえずは黒猫の言う事を聞いているし。

 

「ちょ、ちょっと待って! 今んトコもう一回やって!」

「焦らないで。ゆっくりでいいのよ。――と、ほら出来たじゃない。御覧なさい。この人参の皮はあなたが剥いたのよ」

「へ……へえ。結構綺麗に剥けるもんなんだ。なんていうか、思ったより簡単……じゃん」

「あら、頬の筋肉をそんなに緩めて。もしかして嬉しいのかしら?」

「ハァ!? な、なに言ってんの!? 野菜の皮剥きくらい――こんくらいアタシなら出来て当たり前だしィ、嬉しいとかないっつうの!」

「あらそう」

 

 素っ気無い反応だったが、黒猫の声音はとても優しい雰囲気に満ちていた。

 桐乃も自分で切った人参を眺めながら、満更でもない表情を浮かべている。

 

「……でさ、この人参、ちゃんと料理に使うんだよね?」

「当たり前じゃないの。食材を無駄にすると罰が当たるわ」

「罰って、あんたさ、もっとこう他にうまい言い方とか出来ないワケ?」 

「ククク。どうやら手放しで褒めて欲しいようねえ。なら相応の働きをしなさいな。そうすれば、栄誉ある“堕天聖”の称号を分け与えてあげてもいいのよ?」

「いやいや、称号とかマジでいらないし。つーかさアンタが名乗ってる“千葉の堕天聖”とかめちゃダサくない? 悪いこと言わないからさ、それ名乗るのやめたほうがいいよ」 

「な、なんですって……。たかだかマル顔モデルが言ってくれるじゃないの。いいかしら? あの名前には千枚の葉が優雅に舞い散るという意味が込められていて――」

「はいはい邪気眼乙! つーかマル顔モデル言うなっ!」

 

 ははは……。本当に相性最高だぜこいつら。

 お互い文句を言い合ってはいても、その言葉の中に隠しきれない“親愛”が混じっているのだ。

 この様子ならカレー作りは任せておいても大丈夫だろう。

 そう思った俺は台所から目線を切って、対面に座っている沙織・バジーナならぬ槇島沙織に視線を向けた。

 彼女は上品な姿勢でソファに腰掛けながら、さっきまでの俺と同じように黒猫達の様子を目で追っている。けれど俺の視線に気付いたのか、沙織も顔を正面に戻して俺に向き直った。

  

「きりりんさんと黒猫さん。相変わらず仲がよろしいですわね」 

「喧嘩ばっかしてるけどな。けど最近はアレでじゃれあってるようにしか見えなくなったぜ」

「ですわね。初対面から意気投合してましたし。相性が良かったのでしょう」

 

 俺と同じようなことを言いやがる。

 まあ出会いからして俺達は四人一緒だったし、考え方も似てくるんだろう。

  

「けどさ、さっきはマジで驚いたよ。おまえがまさかこんな絵に書いたようなお嬢様だったなんて」

「そう言って頂けると、勇気を振り絞ってこの姿を晒した甲斐があるというものですわ」 

 

 綺麗に形作った手を口元に沿え、クスクスと微笑む沙織。

 気品のある優雅な微笑みだった。

 およそ他人がやったら、これこそ芝居がかった仕草になるだろうが、こいつの場合“こっち”が本来なんだとばかりに様になってやがる。

 

「これでいつぞやの約束は果たせましたでしょうか」

「約束?」

「あら、お忘れですの? 京介さんが仰ったんですのよ。清楚なお嬢様然としたわたしを見たいと」

「あー。二人して親父を尾行した時のことか。まあ確かに言ったけどよ」

 

 正直ここまで変化するとは予想していなかったつうの。

 あん時言ったのは半分冗談みたいなもんで、まさか本当にご令嬢だったとは想定外だ。というか、改めて見てもスーパー○イヤ人級の美人だな、沙織の奴。

 物腰も柔らかいし、笑いかけられるだけで思わずドキっとしちまうくらいだ。

 

「ですが、少しだけ安心しました。本当のわたし――この姿をみなさんに曝け出すことで距離を置かれてしまうんじゃないか。そんな風に考えていましたから」

「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。どんな格好してたっておまえはおまえだろ? 沙織・バジーナも槇島沙織も、全部ひっくるめて“沙織”なんだ」

 

 俺達に自分の正体を明かしたのは、本当の自分を知ってもらいたかったからだと沙織は言った。

 そりゃ最初は驚いたさ。桐乃も黒猫も目を剥いてたしよ。

 でも俺達は友達なんだ。あいつらもすぐに今の沙織を受け入れてた。

 そんくらいのことで俺達がお前から距離を取ったりするわけねえよ。

 

「桐乃の奴も黒猫もさ、俺と同じこと言うと思うぜ。それに……なんつーか、おまえのことが分かって嬉しかったし」

「京介さん……」 

 

 感極まったように瞳を潤ませる沙織。白魚のような指先を絡めながら、真っ直ぐに俺を見つめてくる。

 って、これはヤバイ。

 元々沙織には良い印象しか抱いていなかったのに、ここにきてこの変貌はヤバすぎる。今まで意識してなかった分、色々と女らしい部分が目に付いてきて……。

  

「沙織、俺――――ってっ痛ええッ!?」 

「き、京介さん!?」

 

 言葉の途中で突然脳天に激痛が走った。

 今の一撃は後方からの斬撃。そう確信して後ろへ振り返ってみれば、何故かおたまを手にした桐乃の姿が目に飛び込んできた。

 

「いきなり何しやがる桐乃!?」

「あんたマジキモい。ちょっと沙織の素顔が美人だったからって目の色変えちゃってさ。デレデレしすぎっだっつうの」

「で、デレてなんかいねーよ! つーかお前、今“おたま”で殴ったろ!? メチャクチャ痛かったんだぞ!?」

「――フッ。いやらしいオスは粛清されて当然よ。そういうのを自業自得と言うのよ、先輩」

 

 桐乃の後ろから黒猫まで現れた。

 てかなんでこいつら怒ってんだ? 

 意味分かんねえ……。

  

「反省の色なしと。もう一発いっとく?」 

「待って。鞭ばかり与えるのはナンセンスだわ。やはりここは飴も同時に与えないと」

「アメ?」

 

 飴と言って小鉢を差し出してくる黒猫。その小鉢には、何故か生タマネギの千切りがこんもりと盛られていた。

 

「えっと、なんスかこれ……」

「なにってカレーの“味見”に決まっているじゃないの。さあ先輩、美味しく召し上がりなさい」

「断じてこれは“カレー”じゃねえええええッッ!!」 

「クスクス、あはは――」

 

 俺達のやり取りを見ていた沙織がいきなり爆笑しだした。

 いやいや、笑ってねーで止めてくれよ! このままだと生のタマネギ大量に食うことになっちゃうでしょ俺!?

 そう思っていたのに、沙織は何処からか取り出した“ぐるぐる眼鏡”を装着するや

 

「本当は食事の後に切り出そうと思っていたのでござるが、明日は祝日ですし、皆で拙者の家に泊まっていかれては如何ですかな?」

 

 なんて爆弾発言を放ちやがったのだ。

 

 

  

 料理を担当したのが桐乃と黒猫なら、食後の後片付けは俺と沙織の担当になる。という訳で俺と沙織は並んで台所に立ち洗い物に従事じていた。

 桐乃と黒猫はリビングで雑談中だ。

 ちなみに今の沙織は眼鏡を装着したまなので、以前と同じござる口調に戻っている。姿形は清楚なお嬢様のままなので、俺の中での違和感がMAXに増幅されてはいたが。

 

「ったく親父の奴。桐乃が友達の家に泊まるって言った時は反対してたくせによ、俺が一緒だと分かった途端OK出しやがって」

「それだけ京介氏が信頼されているということでござるよ。黒猫氏も明日は両親が一日家にいるということで残ってくださるし、拙者はもう少しこの時間が続くことが嬉しくてたまらないでござる」

「そいつには同感だけどよ。なんとなく釈然としねえな」

 

 きゅっと蛇口を捻って水を止める。

 ちなみに桐黒合作カレーは、妹の手が入っているにも関わらず滅茶苦茶美味かった。

 感想の述べた後の、やたらと得意げな桐乃の表情と、少しはにかんだように照れる黒猫の対比が忘れられない。

 まあ、概ね“楽しい”食事会だったよ。

 

「さてっと。洗い物も終わったし、この後どうするんだ、沙織?」

「もちろん遊び倒しましょう! 普段と違い時間の制限がござらん――と言いたいところなのですが、その前に京介氏。お風呂に入られてはどうですかな?」

「風呂?」

 

 唐突な言葉に眉根が寄る。 

 

「はい。今日の疲れを洗い流してくだされ。勿論、京介氏の後に拙者達も入らせて貰うでござるよ」

「それなら別に俺は後でも構わねえけど」

 

 分かってないでござるなぁとばかりに、俺の目の前で人差し指を振る沙織。

 自分でチッチッチと擬音まで付けている拘りぶりだ。

 

「女の子には色々と準備があるのでござるよ。ささ遠慮召されず、ドドーンと男らしく入ってきてくだされ!」

「……じゃあ先に入らせて貰うわ。サンキュな沙織」

「いえいえ。――――どうぞ、ごゆっくり」

 

 別れ際に見た沙織の表情は、何か悪戯を思い付いた子供のように輝いて見えた。

 

 

 

「ふう。さっぱりしたぜ!」

 

 風呂から出るや、用意されていたバスタオルを頭から被り込む。

 気分爽快。今日一日の疲れが吹っ飛ぶこの感じが最高だ。しかも沙織ん家の風呂が想像以上に広くて綺麗だったので、思わず長風呂しちまったほどだ。

 入る前は沙織の表情が気になって(リビングにいた桐乃と黒猫も不敵な表情を浮かべていた)いたから、正直リラックスできるか不安だったが、どうやら杞憂に終わったようだ。

 悪戯を仕掛けてくるんじゃねーか、なんて考えた俺が馬鹿だったってことだな。

 

「あれ? おかしいな」

 

 なのに身体を拭き終わった後で強烈な違和感が俺を襲う。

 脱衣所に入る前と後で決定的に違う場面があったのだ。

 

「えっと」

 

 ……。

 辺りを

 ………。

 よく

 …………。

 観察する。

 ……………。

 

「って、俺の服がねええええええっ!!?」

 

 え? 何で服がねえの? ちゃんと畳んで篭の中に入れといたのに!?

 辺りに視線を飛ばし服を物色する。篭を引っくり返し、物陰を探して、更に風呂場の中までも確認したが、やはり俺の服は見つからなかった。

 

『――さ、沙織! いるか沙織! 一大事だ! 俺の服がなくなったッ!」』 

 

 こうなっては仕方ないと、脱衣所から大声で助けを呼んだ。

 今の俺は素っ裸なのだからここから出て行くという選択肢が選べない。

 

「なんでござる、京介氏~?」

 

 幸い沙織は近くにいたようだ。

 俺は緊急事態が発生したんだと伝え、掻い摘んで服がなくなったことを報告する。

  

「服でござるか? 申し訳ござらん。実は手違いで京介氏の服を洗濯してしまいまして」

『せ、洗濯だって!?』

「はい。ですが既に代わりの服は用意してありますので、それを着て来てくだされぇ~」

『ちょ……!?』

  

 足音の響きから沙織が遠ざかって行くのを感じた。それから少し待ってみたものの、何の反応も得られない。

 って、マジかよ。

 果たして沙織の言う通り、見慣れない服が一式、脱衣所の隅に綺麗に畳まれた状態で置かれていた。

 一応その服を確認する。

 

「え? なんでマントとか入ってんの? これってコスプレ衣装じゃね?」

 

 正直言うと、若干引いた。

 しかしこれを着ないと脱衣所から出たくても出られない。バスタオル一丁作戦もあるっちゃあるが、結局俺の服はないわけで、一時凌ぎにもならない愚作だろう。

 つーか、タオル捲いてリビングまで行ったら、間違いなく桐乃にはっ倒される。

 

「背に腹は代えられない……か。仕方ねえ。男には覚悟決めなきゃならねえ時が必ず訪れるって、親父も言ってたしな」

 

 きっとそれが“今”に違いない

 俺は拳をぎゅっと握り絞め、心の中で勇気という名の撃鉄を起こした。

 断腸の思いだが、本当マジで着たくねえんだけど、コスプレするしかないようだ。

 

「えっと、どれから着りゃいいんだ……?」 

 

 難解な服装なんで、一つ一つの部位を確認してから着込んで行く。

 そして数分後。アニメマスケラの主人公“漆黒”となった俺が脱衣所に君臨することになった。

 鏡に映った自分を観た感想は。

 

「やべええええええッ! 俺超かっけえッ!」

 

 本物? これマジでヤバくね?

 コスプレをすると気が大きくなるのか、普段なら絶対しないポーズとか決めちゃったりして

 

夜魔の女王(クイーン・オブ・ナイトメア)――貴様の慟哭、喰らわせて貰うッ!」 

 

 風呂上りで全身から漂っている湯気がオーラを模してる。

 

「フッフッフ――ハッハッハッ!」

 

 こうなってくると脳も冴え渡ってくる。沙織達の作戦は読めた。

 余興としてコスプレした俺を見てからかおうって魂胆に違いない。

 誰が言い出したのかは知らねえが、俺がやられっぱなしで終わると思うなよ。これだけ似てる俺を見れば逆にあいつらの予想を上回れるに違いない。

 

「いやぁ我ながら凄い才能だぜ。待ってろよ桐乃ッ! 黒猫ッ! 沙織ッ! おまえらの度肝を抜いてやるからな!」

 

 そして満を持して登場した俺を待っていたのは――三人娘の笑いの渦だった。桐乃なんか床を転げ周りながら爆笑しやがるし……本当、散々な目に遭ったぜ。

 ちなみに、寝巻きとして支給されたジャージに即効着替えたのは言うまでもないだろう。

 ぐすん。

 これ、トラウマになったりしねえだろうなぁ……。

 

 

 

 夜中になってふと目が覚めてしまった。

 覚醒しきっていないぼうっとした思考のまま辺りに目線を走らせる。そして見覚えのない情景からここが自分の部屋じゃないんだって気付いた。

 そっか。今日は沙織のマンションに泊まったんだっけ。

 仰向けに寝たまま天井を視界の中心に捉える。

 目に映るのは見慣れない模様と豪華な照明器具だけ。当たり前だが、そこに馬乗りになった妹の姿はないし、頬も叩かれてもいない。

 ――人生相談。

 あれ以来夜中に目を覚ましちまうと、どうしてもあいつのことが頭を過ぎってしまう。

 普段はすぐ隣の部屋で眠っている俺の妹。

 今は沙織や黒猫と一緒に対面の部屋で過ごしているはずだ。 

 品行方正、成績優秀、スポーツ万能、眉目秀麗。雑誌のモデルをやりながら、書いた携帯小説はベストセラー。まったく何処の完璧超人っだつうのな。

 けど俺にとっちゃ昔から変わらない、妹の高坂桐乃だ。

 兄の顔を見れば悪態を吐きやがる。ちょっとしたことですぐ怒る。挙句の果てには問答無用で足蹴にしやがる始末だ。

 まさに傍若無人ここに極まれり。

 アニメが好きで、ゲームが好きで、漫画が好きで。趣味のエロゲーを語らせれば何時間でも喋っていられる。

 そんな妹と言葉も交わさない“冷戦”も経験した。

 その頃に比べれば――互いに無視しあっていた時期に比べれば、随分と距離も縮まったと思う。

 それを俺は嬉しいって感じているんだ。

 けど勘違いしないでくれ。俺は桐乃のことは大嫌いなんだ。それでもやっぱりあいつはたった一人の俺の妹だからな。かわいいなって思っちまう時もあるさ。

 とまあ、こんな風に益体もないことを考えちまう訳なんだが、結局は朝になったら忘れちまう程度の些細な思索だ。

 だから俺はいつものように毛布を被り、再び眠っちまおうと目を閉じた。だがどうしてか今日だけは目を瞑っていても睡魔が訪れてこないのだ。

 慣れない環境に戸惑っているのか、まだ精神が高ぶっているのか。身体は疲れてるはずなのに一向に寝付ける気配がない。

 

「……しゃあねえ。水でも飲んでくるか」

 

 何かしらのリアクションを取れば落ち着くかもしれない。そう思った俺はベッドから身を起こすと、喉を潤すべく歩き出した。

 まず扉を開き廊下に出る。

 目指すはリビングキッチンだ。

 その時ふと気になって、桐乃達が陣取っている部屋に視線を向けた。

 一瞬夜中までガールズトークを炸裂させてんじゃねーかと疑ったりもしたが、辺りに音は無くしーんと静まり返っている。

 どうやら三人とも大人しく眠ってるようだ。

 俺は起こしちまわないように足音に気をつけながら、ゆっくりと女子部屋の前を通り過ぎ、そのまま目的の部屋へと進入を果たす。

 そこは、さっきまで騒いでいたリビングキッチン。

 まず俺は電気を点けようと壁際に手を這わせ――室内が綺麗な青色で染められていることに気付いた。

 壁に面した大きな窓から、淡い月の光が射し込んでいるのだ。光量的には心許ないが、電気を点けなくても室内の造形を把握出来る程度の明るさは確保されている。

 

「はは。神秘的っつうか、黒猫がいたら宵闇の加護がどうこうとか言い出すんだろうな」 

 

 辺りに視線を巡らせる。

 最初に目に飛び込んできたのは部屋の主役であるダイニングテーブルだ。夕飯時にはこいつを囲んでみんなでワイワイと騒ぎあった。

 食事風景としちゃあちとうるさ過ぎたが、偶にはああいうのも悪くないだろう。

 風呂の後には桐乃と黒猫がソファでじゃれあっていた(アニメのことで口論となり、キャットファイトにまで発展しやがった)し、沙織は沙織で面白がって茶々入れまくるしで、俺の突っ込みスキルがフル稼働状態だったぜ。

 桐乃と黒猫と沙織と一緒になって遊び倒す。一年前なら想像も出来なかった出来事。この四人の誰が欠けても成し得なかった光景だろう。

 その時、壁際に這わせたままの右手がスイッチを探り当てた。

 けどそれ以上指が動かない。

 感傷ってわけじゃねえけど、電気を点けた途端、それらの光景が目の前から消えるような気がして躊躇われたのだ。

 

「ま、いいか」

 

 月明かりだけを頼りに、キッチンにある冷蔵庫を目指す。そしてちょうど部屋の真ん中辺りまで来た時、頬を撫でる風の感覚が変わったことに気付いた。

 誰かが部屋に入ってきたのか?

 気配を頼りに振り返ってみる。すると、室内に入りかけた姿勢のままこっちを見つめる人影と目線が合ってしまった。

 その人影も先に室内に誰かいると思っていなかったのか、俺を見て動きを止めている。

 目を凝らしてみる。

 腰まで届く長い黒髪。桐乃や沙織ほど大きくない体躯。いつもと違って飾り気のないパジャマ姿は思いのほか新鮮に映った。

 

「黒猫、か?」

「……先輩? あなたも飲み物を取りにきたの?」

 

 あなたもってことはこいつも同じか。

 まあ喉が乾いた以外に夜中にここまで来る理由はねえよな。

 

「悪い黒猫。そこの右手にスイッチがあるから電気点けてくれ」

「……厭よ。私は夜の眷属。月光を全身に浴びている時こそ本領を発揮できるの。人工の光によってその機会を無為にしてしまうのは心が咎めるわ」

「はは……。夜中でも相変わらずなのな、おまえって」

「フン。先輩にデリカシーがないだけよ」

 

 そう言った黒猫が、ふいっとそっぽを向いてしまう。

 電気点けてくれって言っただけなのに意味が分からん。

 けどこいつも何か飲みに来たんだろうし、ついでだから一緒に用意してやるか。そう思った俺は一旦黒猫から視線を外すと、キッチンまで歩き付近を物色した。

 沙織は自由に使ってくれていいと言ってたが、本当に何でも揃ってるな。

 

「なあホットココアでいいか?」

「え?」

「何か飲むんだろ? ついでだし作ってやるよ」

 

 黒猫をリビングで待たせ、その間にホットココアを作る。といっても牛乳にココアパウダーを混ぜて、レンジでチンしただけの即席のものだ。

 これでもコーヒーや紅茶よりも覚醒成分が薄いって聞いたことがあるし、眠れなくなることはないだろう。

 リビングに戻り席に着く。それから対面に座った黒猫にカップを差し出した。

 

「ほいよ、お待たせ」

「……ありがとう」

「結構熱くなってから気をつけろよ」

 

 両手を差し出しながら丁寧にカップを受け取る黒猫。それからゆっくりと口元へと運んでいき、舌を軽く付けた段階できゅうっと眉根を寄せた。

 

「だから熱いって言ったじゃねーか」

「……うるさいわね。呪うわよ」 

 

 軽く睨み付けてから、黒猫は“ふー、ふー”と息を吹き掛けながらココアを冷ます作業へと没頭していく。

 そして冷めた頃合を見計らって、コクコクと喉を鳴らしながら飲みはじめた。

 つーか、この仕草可愛いな。

 服装が普段と違うパジャマなのも手伝って、より魅力的に見えやがる。

 

「なあ黒猫。それって沙織に借りたのか?」

「え?」

「だから、その服」 

「服…………って、ハッ」

 

 指摘されて始めて気付いたのか、黒猫は慌てたように胸元を押さえながら、身体をくの字にして小さく丸まった。

 その状態から目線だけ俺に寄越し

 

「あまり……見ないで頂戴。恥ずかしい……から」

「そう言っても暗くってあんまり見えてねーぞ」

「それでも……駄目。生地が薄くって……身体のラインが出てしまっているもの」

「よし、分かった! 今すぐ電気を点けよう!」

「点けたら先輩の目を潰すわ」

「冗談、冗談だって!」

 

 ぷくーと膨れる黒猫に軽く頭を下げる。

 極度の恥ずかしがりやである黒猫をからかうには、それなりの技術がいるのだ。 

 

「でも似合ってる――つうのも変かもしれねえけど、いつもと違うから新鮮に感じるぜ」

「そ、そうかしら?」

「ああ。つーか、やっぱ似合ってるわ。もっとおまえの色んな格好が見たいって気になるくらいにな」

「……あ……う……」

 

 かあっと頬を紅くして黒猫が俯いてしまった。それからテーブルに置いたカップに視線を落とす。

 

「せ、先輩の……漆黒コスも、似合っていたわ」

「マジで? 桐乃にはめっちゃ笑われたんだけど……」

「少なくとも私は格好良かったって思ったわ。ほ、本当よ?」

「はは。サンキュな。その言葉で少し救われたぜ」

 

 お世辞なんだろうけど、褒められると悪い気はしねーよな。

 その後は、互いに言葉を交わさずにココアを飲む時間だけが過ぎていった。

 けど嫌な沈黙じゃない。俺と黒猫の間にはこういう時間がよくあったのだ。桐乃がまだアメリカに留学していた頃、ゲー研の部室や俺の部屋で――よくあった。

 だから俺は、この雰囲気を懐かしいとさえ感じていた。

 たぶん黒猫もそう思っているんじゃねえかな。脈絡もなくそんな思いに囚われてさえいた。

 その時、不意に黒猫が顔を上げる。

 沈黙が破られたのだ。

 

「ねえ、先輩」

「なんだ?」

「……あ、あのね、ずっとあなたに……言わなければと思っていた言葉があるのよ。今伝えておかないと――後悔しそうだから」

 

 薄暗い部屋の中では相手の表情の細部までは見えない。それでも黒猫が何か大切なことを言おうとしているのだけは感じられた。

 予感とでも言うのか。自然と心臓の鼓動が高鳴っていく。

 

「言葉……?」

 

 身動ぎをする気配から、黒猫が頷いたことが分かった。

 そして――

 

「ありがとう、先輩」

「え?」

 

 唐突に告げられたお礼の言葉。まったく想定していなかった展開に、間抜けにも俺は聞き返すことしか出来なかった。

 

「今日、とても楽しかったわ。……ううん。今日だけじゃない。“桐乃”に会ってから、沙織と会ってから、あなたと出会ってから――私はいつだって楽しかった」

 

 一言一言、ゆっくりと噛み締めるように、黒猫が言葉を紡いでいく。

 決して流暢とは言えない。それでも喋るのが苦手なこいつが、必死に思いを言葉にしている。

 

「始めてみんなで夏コミに行った時、あなたの家でアニメの鑑賞会を開いた時、レンタルルームを借りてあなたを励ました時、……メイド服を披露した時は恥ずかしかったけれど、どれもとても楽しかった」

 

 真っ直ぐな言葉が俺の貫いていく。それに合わせて、身体が熱くなっていくのを感じた。

 

「だから、ありがとう先輩」

「俺は、別に……なんも特別なことはしちゃいねーよ。ただ一緒に遊んでただけじゃねーか」

「それでも私は嬉しかった。――私の小説が貶された時、あなたは本気で怒ってくれたわ。私が高校に入学してトラブルを抱えた時、先輩は気にかけて心配してくれたわ。縁日で会った時、浴衣が似合ってるって、褒めてくれた」

 

 言ってて恥ずかしくなってきたのか、黒猫がだんだんと俯いていく。

 それでも目線だけは決して俺から逸らそうとはしない。

 

「どれも私にとってとても大切な出来事。だから先輩には、ありがとうって、伝えたかったの」

 

 最後に黒猫は、最高の笑顔を添えてそう言った。

 正直、思考が纏まらない。

 黒猫の真摯な思いに中てられたのか、頬が急激に熱くなってきやがるし……いや頬だけじゃない。早鐘のように鼓動を打ち続ける心臓から、全身へと熱い血液が送られているのだ。

 その中でも一際強く、右の頬が熱くなる。

 かつて黒猫にキスされた――

 

「あなたに出会えて、良かった」 

 

 脳は沸騰したように煮立っている。まともに呼吸が出来ないほど息が苦しい。驚きが次の驚きを呼んで、頭の中の混乱に拍車を掛ける。

 だからだろうか。

 俺は黒猫に対してストレートな質問をぶつけてしまっていた。

 

「い、いきなりそんなこと言われたら、俺だって男だ。正直“勘違い”しちまうぞ」

「か、構わない……わ」

「構わないって――!?」 

 

 ここで始めて黒猫が視線を逸らした。

 耳まで真っ赤にしながら唇を結び、必死に何かに耐えている様子に、あの頃の黒猫の姿が重なった。

 脳裏に蘇ってくる短い一言。

 ――呪いよ、と。

 

「……」 

「く、黒猫。おまえ、もしかして、俺のこと……好きなの?」

「好きよ」

 

 声音は小さく、それでも即答で――

 

「――好きよ。あなたの妹が、あなたのことを好きな気持ちに負けないくらい」

 

 彼女は、いつかとは少しだけ違う答えを俺に返してきた。

 

  

  

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