あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない   作:powder snow

27 / 39
第二十七話

「いやぁ、さすがに暑いわ」

 

 夏休みを目前に控えたある休日。俺はいつもの面子(桐黒沙織の三人)に混じりながら秋葉原まで出て来ていた。とはいっても別件でこっちに来る用事があったんで、それまでの付き添いみたいな感じなんだが。

 

「んぐんぐ……っぷっはぁ」 

 

 ペットボトルのお茶を直飲みで煽りながら、比較的静かな場所にあるベンチに腰掛ける。

 ちなみに今この場にいるのは俺一人だけだ。

 桐乃も黒猫も、そして沙織も、各々ちょっとした所用を片付ける為に各地へと散っている。んで俺はというと、集合場所に指定されたエントランスで一人涼んでいるという訳だ。

 しかし初夏も過ぎ去り夏も本番を迎えた猛暑日である。

 物陰に身を隠し夏の日差しを避けたくらいでは、茹だった思考は簡単にクリアにはなってくれない。仕方ないので自販機で買ったお茶を片手に、俺は辺りを眺めながらぼーっとダレていたという訳だ。

 時間的には昼時を少し回ったあたり。けれどさすがは休日の秋葉原と言うべきか。

 視界の中では大勢の人々が所狭しとひしめきあっている。しかもそれぞれせわしなく動き回っているので、慣れてない人だと真っ直ぐ歩くのにも苦労するだろう。

 真夏の青空と灼熱の太陽。そして人いきれ。

 体感温度の上昇は留まることを知らず、水分補給は欠かせない。けれどそんな人々の“熱さ”が一種祭りのような熱気を伴って行き交う人々の気分を高揚させているのだ。

 ただここにいるだけなのに、何だか楽しくなってくるような、そんな不思議な感覚。

 

「京介氏~!」

 

 と、そんな詮無いことを考えていたら、人込みの間を縫って沙織が姿を現した。

 沙織は丸めたポスターを握ったままの右手をぶんぶん振りながら、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 ちなみに今日の格好は“バジーナスタイル”であり、あのお嬢様スタイルは封印中のようだ。もっともあの格好で歩いていたらモデルのスカウトやらナンパやらで声をかけられて、本人は難儀したかもしれないが。

 

「いやぁお待たせしたでござる。っと、もしかして拙者が一番乗りでござるかな?」

「ああ。桐乃も黒猫もまだだ」

「そうでござるか。きりりん氏はともかく、黒猫氏は時間的に戻っているかもと思っておりましたが」

 

 そう言いながら沙織が手うちわで首筋に風を送りつつ、ゆっくりと俺の隣に腰掛けてくる。

 

「しかし暑いですなぁ。すっかり夏も本番といった感じで」

「俺はもうちょい涼しくなってくれても一向に構わねえんだが」

「そんなことを言っていると、夏コミ当日が“超の付く猛暑日”になってしまうやもしれませんぞ?」

「いや、それはちょっと……」

「そんな気構えでは“戦場”で生き残ることはできないでござるよ、京介氏」

  

 当然、今年も参加されるのでしょう? と沙織が確認してくる。

 

「二日目にゲー研の一員としての参加が決まってるからな。もしかしたら三日目も……」

 

 夏コミ――沙織は戦場なんて揶揄したが、そう言っても差し支えないくらいの大きな催し物だ。実際毎年熱中症で倒れる人も少なからず出ている。

 それでも、いやそれ以上に“得られる”ものがある為、人々は集うのだ。

 求めるものがそこにあるから。

 二年前には名前を聞いた程度の浅い知識しか持っていなかった。

 人が大勢集まるお祭りなんだろうな、くらいの認識しかなくて――それが一年前に初めて一般参加し、今年はなんとサークル参加が決まっている。

 もし桐乃の人生相談がなかったら夏コミに参加することもなく、きっと全く違う夏休みを迎えていたはずだ。

 そう考えると、ちっとばかり複雑な心境に陥ってしまう。

 

「拙者は一日目から制覇するつもりでござるから、二日目には京介氏のところにも顔を出すでござるよ」

「そうか。まあ大したもてなしもできねえと思うけど、歓迎するぜ」  

  

 今日集まった四人は一年前に夏コミに参加したメンバーと全く同じ面子だ。

 ここにいる俺と沙織。黒猫は同じゲー研の仲間だし、うまく桐乃を誘えれば今年も一緒の面子で集まることも可能だろう。

 出来れば来年も一緒に……なんて考えるのはちょっと気が早すぎるだろうか。

  

「楽しみにしてると黒猫氏にもお伝えくだされ……っと、もうそろそろ戻ってきても良い頃合なのですが」 

 

 桐乃は買い物、沙織は受け取る品があると、そして黒猫は行く場所があるのでとそれぞれ別行動を取っていた。

 その中でも黒猫の拘束時間は比較的読み易い部類にあった。 

 

「なあ沙織。黒猫ってイラストレーターか誰だかのサイン会に行ってるんだっけ?」

「ええ。正確にはあるアニメのキャラデを手がけた方でござるが」

「キャラデ?」

 

 耳慣れない言葉に思わず聞き返す。

 

「キャラクターデザインの略称でござる。アニメやゲーム等の登場人物を容姿から服装に至るまでデザインする役職のことですぞ」

「へえ。けどそれって結構大変そうだな」

「キャラクターを一人の人間として生み出す最初の作業ですからなぁ。表情一つ、仕草一つとってもそれが全ての根幹になるわけですから、生半可な実力では勤まりますまい」

 

 うんうんと頷きながら、沙織が携帯していた鞄からスマホを取り出した。それから少し画面を弄ってから、俺にディスプレイを見るように促してくる。

 そこには―― 

 

「なっ!? 女――っていうか、ゴスロリだと!?」 

「小笠原綸子氏。冬アニメのえくそだすっという作品のキャラデ&総作画監督を勤めた人物でござる」

 

 スマホに映し出されていたのは妙齢の女性で、見るからに気品溢れている美しい人物だった。ただその服装があまりにも目を引くっつうか、ぶっちゃけるとゴスロリ姿だったのである。

 それも黒猫ばりに気合の入ったやつ。

 

「……えっとさ、これってコスプレしてるわけ?」

「噂では普段からこの服装を着用していると聞き及んでおります。業界内でも有名な方――実力的にもですが――ですから、おそらく真実ではないかと」

「あはは……。いるところにはいるんだな、似たような趣味を持ったやつって……」

 

 このシックなゴスロリさんの前に黒猫が立つ。

 向かい合う二人のゴスロリ少女――もとい、そんなシュールな姿を想像してしまい、思わず苦笑いが漏れた。

 

「詳しく知りたければググってくだされ。一般的なアニメファンの中でも名前が通ってる方ですから、経歴程度ならすぐに出てくるでござろう」

「けどよ、そんな有名人なら当然人気あるんだろ? サイン会とかめっちゃ人来るんじゃね? チケットとか取れたのか?」

「ああ、それなら心配はござらん。BDBOXを予約すれば初回封入特典としてチケットが手に入る仕組みでして」

「え? 黒猫が買ったの? そのアニメのBOXを?」

「いえいえ、購入したのは拙者でござるよ。放送されたアニメのBDは基本的に全て購入しておりますので」

「マジか……」

 

 そういや沙織って超の付く金持ちだったっけ。

 しかも立派なオタクだ。

 こいつなら幾らグッズを購入しても置き場所に困ることもないだろうし、それどころか映像作品専用の部屋すら用意している可能性もある。

 なにせマンション丸々一つ自分の部屋だっつう話だしな。

 

「さほど興味がない拙者が赴くよりも興味がある人に行ってもらった方が先方も嬉しいでござろう。それに黒猫氏は絵も描けますから」

「黒猫の奴、絵もシナリオも書けるしスクリプトも打てるんだよな。もしかして将来は“こっち系”に進むのかな、あいつ」

「どうでござろう。今はまだ趣味の段階でしょうし、そこまで考えてないのでは? それよりも今心配するべきは京介氏の進路ではござらんかな?」

 

 ニンニンと眼鏡の奥をキラリと光らせて、沙織がニヒルな笑みを浮かべている。

 

「勉強の方は捗っておりますかな? 進学するのでござろう?」

「まあな。これでも毎日こつこつやってんだぜ。こういうのは積み重ねが大切だからさ」

 

 積み重ね云々は親父の受け売りだが。

 

「ほほう。それはこれから始まる夏休みも問題なく満喫できるよ~宣言と受け取っても?」 

「もちろんそうだ……と言いてえのは山々なんだけどよ、追い込みもかけかなきゃなんねーし、休んでばかりもいられねえかも……」

 

 高校生活最後の夏休み。

 本音を言えばそりゃもう思いきり遊びたいって気持ちがある。だがここで手を抜くと痛い目を見るのは自分自身だ。とはいうもの、改めて辛い現実を突きつけられてしまった俺は、若干ブルーな気分になって落ち込んでしまった。

 

「きりりん氏も黒猫氏も、そして拙者も京介氏を応援しているでござる。なにか出来ることがあれば遠慮なく言ってくだされ」

「沙織……」

「なんといっても拙者達は同じ趣味を持つ仲間でござるからな! 苦しい時は助け合う。当然でござるよ」 

「ああ。サンキュな。頑張るぜ」 

 

 沙織に励まされて、ぴんと背筋が伸びる思いがした。

 今が踏ん張りどころなのは間違いないのだから、出来るだけのことはしておこうと。それに万が一に落ちでもしたら、桐乃にどんなこと言われるか分かったもんじゃねえ。

 

「あら。それは殊勝な心がけね、先輩。でも少しくらい羽根を伸ばしても罰は当たらないんじゃなくて?」

「黒猫?」

 

 俺達の背後――斜め後ろからかけられた声に振り向けば、そこに佇んでいた黒猫と目が合った。

 彼女の隣には満面の笑みを浮かべたまま紙袋を抱えている桐乃の姿もある。

 

「と、なんだ桐乃も一緒か」 

「ちょうどそこで黒いのと会ってね。――ん」

 

 抱えていた紙袋を地面に下ろしてから、桐乃がまるで握手でも求めるかのように右手を差し出してきた。

 もちろん俺にはその行為の意味が分からない。分からないから、率直に思ったままの気持ちを言葉にして現す。

 

「なにしてんの、おまえ?」

「ハァ? あたし暑い中荷物抱えてここまで歩いてきたんだよ? 喉が渇いてるに決まってるっしょ」

「だから?」

「だからって……冷たい飲み物寄越せって言ってんのっ」

「そんなの用意してねえって。欲しかったらそこの自販機で自分で買ってこいや」

「うっわサイアク。これだから気の効かない男は……。あんたそんなんじゃ彼女の一人も出来ないかんね」

「うっせえ。ほっとけって」

 

 多少の自覚くれーあんだよ。

 確かに飲み物の一つくらい用意しとこうとか思ったさ。けどいつ戻ってくるか分かんねえんだし、常温保存だとすぐ温くなっちゃうだろ?

 

「いいじゃないの別に。どうせこれから皆で食事に行くのだから。喉を潤すのなら店に入ってからでも遅くはないわ」

「……そうだけど、なんていうの? 気持ちの問題ってやつ? なんかムカツクの!」

 

 なんか知らないけどムカツク、なんて理由で因縁つけられる俺の身にもなってくれ。

 そんな理不尽な桐乃の物言いに黒猫がフォローを入れながら、揃ってこちら側に回り込んでくる。

 実は先日の一件(沙織の家に泊まっての帰り道、桐乃が黒猫を呼びとめた)以来、俺の中でもしかして二人が喧嘩してんじゃないかっていう密かな心配事があったわけだが

 

「でさ、サインちゃんと貰えたわけ?」

「勿論よ。黒猫さんへと名前まで書いて貰ったわ」

「……そこ本名じゃないんだ」

「あら、私の名前は千葉の堕天聖黒猫よ」

「……」 

「忘れているのならもう一度説明するけれど、千枚の葉が優雅に舞い散る様を――」

「いやいや別に忘れてないから。つーか邪気眼乙」 

 

 なんていつものようにじゃれあう二人を見ていたら、杞憂に終わったようだと安堵する。

 少しだけ胸のつかえが取れた気分だ。

 

「なに笑ってんの、あんた?」

「別に」

「…………ま、いいや。取りあえずそれちょうだい」

 

 正面まで回ってきた桐乃が俺の右手あたりを指差した。そこにはペットボトルのお茶が握られているわけだが。

 

「ちょうだいって、これ飲みかけだぞ? そんな冷えてねえし」

「喉が渇いたっつってんでしょ! いいから寄越すっ!」

「ちょ、おま……」

 

 桐乃に半ば強引にペットボトルを奪われた俺は、降参の意思を示すように大きな溜息を吐いた。って、早速うまそうに飲んでやがるな、こいつ。

 本当、傍若無人な妹様だぜ。

 そんな俺と桐乃のやり取りを横目に、黒猫がベンチに腰を下ろしてきた。

 

「それで先輩。さっきの会話の中で私の名前が聞こえた気がしたのだけれど、沙織と噂話でもしていたのかしら?」

「聞こえてたのか?」

「まあ、少しね」

「噂話っつうか、おまえって絵も描けるし他にも色々出来るだろ? だから将来はそっちの道に進むのかなって?」

「え?」

 

 少し意外そうに目をしばたたかせる黒猫。

 どうやら想像していた内容とは違ったらしい。

 

「……そうね。もし進めるのなら進みたいという気持ちもあるけれど、そこまで深くは考えていないというか……」

「ほう。その物言いですと、他になりたいものがあるのですかな、黒猫氏?」

「どうかしら。今は一つの目標に向かって邁進しているところだから、他にあまり目を向ける余裕がないのよ」

「余裕がないって、締め切りに間に合わねえとかそんな感じか?」

「違うわ」 

 

 夏コミ前だからてっきり創作作業に追われているのかと思ったが、意外にも黒猫は否定の言葉を口にした。

 

「私にとってとても大切な――」 

 

 やや伏目がちに目線を落とし、唇を噛む黒猫。きゅっという擬音がここまで聞こえてきそうな表情。

 だがやおら顔をあげると、真っ直ぐに俺を見据えて

 

「デスティニーレコードの遂行よ」

 

 なんて、難解な答えを返してきた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。