あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない   作:powder snow

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第二十九話

 ……なんなんだろう、この状況は。

 俺の両隣から放たれてくる無言の圧力。

 左右から同時に襲いくるプレッシャーは既に強化人間かニュータイプのレベルに達していて、小鹿のようにか弱い俺の心を押し潰そうと試みてくる。

 その圧倒的なまでの力に耐えかね、俺は遂にその場で身体をくの字に折り、頭を抱えることになった。

 

「あら、どうしたの兄さん。随分と顔色がすぐれないけれど」

 

 右隣から放たれる艶を含んだ声音。

 俺のことを“兄”と呼んだものの、この問い掛けは妹の桐乃のものじゃない。

 誰のものかといえば……。

 

「もしかして車に酔ったのかしら? 意外と軟弱なのね。その程度の力ではこの先の戦いで生き残ることなど不可能よ」

 

 そう言った彼女は、自身が下げているバッグを漁り、中から何やら掌サイズの小箱を取り出した。それを赤い瞳でじっと見つめてから、俺の目の前にゆっくりと差し出してくる。

 

「なんだ、これ?」 

「状態異常を回復できる魔法の秘薬。あなたに理解できる言語に直すと“酔い止め”になるのかしら。乗る前に飲むタイプの物だから、効き目は保障しかねるけれど……」

「いや、大丈夫だ。気持ちだけ貰っとくわ。サンキュな“黒猫”」 

 

 そうなのだ。

 俺の隣にちょこんと座っているのは、いつものゴスロリ服を着込んだ黒猫である。カラコンも装着済みで、佇まいは俺が見慣れた黒猫そのものだ。

 その彼女が、どうして俺を兄などと呼んでいるのかというと――

 

「――お兄さん。忘れているかもしれませんけど、黒猫さんはあなたの“妹”なんですよ? そこのところキッチリ理解して、履き違えたりしないでくださいね」

 

 今度は俺の左隣から、冷気を帯びたような冷ややかな声音が降り注いだ。

 本来なら天使の歌声のような美声の持ち主なのだが、何故か今は、触れれば怪我をしてしまう薔薇の棘を彷彿とさせる険の篭り方だ。

 

「……分かってるよ。自分の妹のこと忘れるわけねーだろ」

「どうだか。今だってみっともなく鼻の下伸ばしてたじゃないですか。黒猫さんを見る目もなんか優しそう……じゃなくて、いやらしい感じでしたし」

「別に伸ばしてなんかいねーよ! つーか口を開く度に俺を変態みたく言うんじゃねえ!」

「へえぇ。いっちょ前に否定するんですか? けれど、まったく、これっぽちも信用出来ない言葉ですよね、フンッ!」

 

 可愛く鼻を鳴らしながら、ぷいっとそっぽ向いたのは――俺の天使てもあり天敵でもある新垣あやせ。その行動の最中で、軽く肘で俺を小突いてきたりする。

 ……さて、この異質な状況、ご理解頂けただろうか。

 俺は車の後部座席に座った状態で、なんと左右をあやせと黒猫に挟まれているのだ。

 ああ、なんて恐ろしい地獄絵図。

 正直この状態を維持され続けると、現地へ到着する前に俺の精神が先に磨耗しきっちまうんじゃないかと心配になってくるぜ。

 なに? 美少女二人に囲まれて両手に花。地獄じゃなく天国の間違いじゃないかって?

 馬鹿も休み休み言ってくれ。

 そう思う奴は今すぐ此処に来て俺と変わってくれってんだ。喜んで席を譲るから。

 

「うんうん。相変わらず仲が良いのねぇあなた達。それだけ楽しそうにして貰えると、こちらとしても誘った甲斐があるというものだわ」 

 

 そして運転席から響いいてくるのは、透明感のあるアルトな響きだ。

 なんと驚くなかれ。

 俺達三人を乗せたまま車を走らせているのは――以前出会った株式会社エターナルブルー代表取締役の藤真美咲さんなのである。

 

 ――事の発端は土砂降りの雨が降りしきる中で加奈子と再会した日に遡る。

 

 雨宿りがてら加奈子と喫茶店に避難してた時に、あやせが掛けてきた電話が分岐点だった。

 簡単に要約すると、美咲さんが俺とあやせ、そして黒猫を自身の所有する別荘へ招待したがっているという内容で、それを聞いた時は、はっきり言って目が点になるくらい驚いたもんだ。

 当初はあやせが冗談でも言ってんのかと疑ったくらいで、その場で三度確認した程である。

 だってそうだろ?

 俺と美咲さんの間にプライベートで連絡を取り合うような接点なんてないし、どっちかっていうと“敵”に分類される間柄だったはずだ。

 なのにあやせから断りの連絡を入れるのが困難なほど向こうが乗り気で、結果として、なし崩し的に今回の状況に押し込まれてしまったらしい。

 ――週末に黒猫ちゃんも連れて遊びにいらっしゃいな。

 あやせとしては俺から断る方向へ話を持っていって欲しかったらしいのだが、旅行の特典として豪華ディナー&温泉入り放題をつけられたら個人的に心が傾くってもんだ。

 黒猫が断ったら諦めるしかなかったんだが「そうね。先輩が行くのなら……一緒に行ってもいいわ」と承諾されてしまい、現在に至るという訳である。

 

 あと忘れてる人もいるだろうから説明しておくと、美咲さんはあやせを外国にスカウトして連れていこうとしていた危険人物だ。

 その目論見は俺の華麗な活躍でご破算にしてやったのだが(あやせから真摯に頼まれちゃNOとは言えねえわな)付随する問題はそこだけじゃない。

 実はその渦中、設定上とはいえ俺とあやせは“恋人同士”ということになっていて、黒猫はなんと“俺の妹”という位置づけになってしまっているのだ。

 しかも美咲さんは、俺達をからかうことが楽しくてしょうがないのか「私って助手席に人がいると落ち着かないタイプなのよ。だから京介くんはあやせちゃん達と一緒に後部座席に座ってね」と、無言で助手席に陣取ろうとした俺を無理やり後部座席へ追いやってくるし。

 一応“赤城京介”という偽名を使用して保険を掛けてはいたが、これじゃ健康な胃も痛くなってくる。

 

「……でも、どうして俺達を招待しようだなんて思ったんです? いまいち納得できないっつうか、釈然としないっつうか」

「急に休みが取れちゃってねぇ。一人で過ごしてもつまんないじゃない? そこでふと京介くんとあやせちゃんのことを思い出しちゃったのよ」

「一度会っただけの俺なんかのことを覚えててくれたのが驚きですよ」

「かなり印象深かったからね京介くんは。その京介くんとあやせちゃん、そして黒猫ちゃんの三人を交えてもう一度話をしてみたかったってのが本音かしら」 

「けど、折角の休日なのに迷惑じゃないんスか?」

「全然。逆に楽しみにしてたくらいよぉ。それに以前別れ際に言ったでしょう? 今度はプライベートで会いましょうって」

 

 運転中なので表情は窺えないが、声音からは本当に楽しみにしていたように感じ取れるくらいの明るさが込められていた。

 つってもなぁ……この人何を考えてるかまるで読めねえ姉ちゃんだし、額面通り受け取って良いものかどうか。

 まあ地位も名誉もある立派な大人(フェイトさんには是非見習って欲しい)だし、変なことは起こらねえと思うが……。

 

「あ、そうそう。現地であと二名ほど合流する予定だから仲良くしてあげてね。相手も京介くん達と同じくらいの年齢だから、きっと話が弾むはずよ」

 

 なんて重大な事実を現地に向かう車中で暴露するくらいには信用の置ける人物だ。

 

「それ、初耳なんすけど……」

「当たり前じゃない。私も初めて伝えたんだから」 

 

 ……もはや何も言うまい。

 しかし現地で二人合流するだって? 

 黒猫の奴は大丈夫だろうか。

 実はこう見えて結構人見知りする奴なんだよこいつ。俺がフォローすれば問題ねえ範囲で収まるとは思うけど……。

 

「どうしたんですか、お兄さん。私の顔に何か付いてます?」

「いや……」

 

 視線が自然とあやせの方向を向いていた。

 今更説明することもないだろうが、あやせと黒猫の仲の悪さは折り紙付きだ。恐らく親友である桐乃を取り合ってのことだと思うのだが、文字通り犬猿の仲と言ってもいいくらいである。

 まあぶっちゃけると、今回の話を受けた裏には、あやせと黒猫の仲をもっと良くしたいという思いもあったのだ。

 一緒に過ごすことで仲の良い友達同士になって欲しい。なんて目論見があったりする。

 あやせも黒猫も本質的には友達思いの優しい娘だし、きっかけさえあれば仲良くなれると思うんだよ。

 この前も三人一緒にモンハンで遊んだんだしよ。

 色々悶着はあったけど、俺の努力の甲斐もあり少しづつだが距離は近くなっていっている……気がするのだ。

 今回の旅行中にもう少しだけでも打ち解けてもらえりゃ、俺が赤い弓兵ばりに心労で磨耗しちまうこともないだろう。

 そう思った直後、車が停車する時に感じる軽い浮遊感が俺を襲ってきた。

 どうやら目的地に到着したようだ。

 

「お待たせ。珍しくもない普通の避暑地だけど、付近一帯は私有地だから思う存分くつろいでちょうだい」

 

 そちらから先に降りてくれるかしら、と美咲さんが運転席から促してくる。それを受けて俺達は、あやせから順番に車外へと身を躍らせた。

 

「わあ、綺麗!」

 

 外の展望を目にしたあやせが、感嘆の声を上げている。

 けど、それも無理からぬことだ。

 車の外は、普段俺達が暮らしている街とは全く趣きの違う別世界が広がっていたのだから。

 

「……こりゃ、すげえな」

 

 まず目に飛び込んできたのは草木を彩る緑色だ。それも生命の香りが漂うような力強い緑。

 木々が何処までも連なっていて、生い茂る葉の隙間から木漏れ日が差し込んできている。木陰の下は実に涼しそうだし、芝生の上に寝転びたいって衝動に駆られたほどだ。

 ふと振り返ってみれば、海原を真っ二つに割るモーゼの十戒のように、林の中を延々と並木道が続いていた。耳を澄ませれば小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 都会の喧騒は遥か遠く、空は何処までも青い。

 俺達が走ってきたアスファルトの道路でさえ、自然という世界に溶け込んでしまったような錯覚を覚えるほどだ。

 

「今にもエルフが飛び出して来そうな趣きがある世界ね。優しさが溢れているような、とても繊細な感じ」

「はは。エルフってなんだよ、それ?」

「知らないの、先輩? エルフは森を司る妖精のことよ。とても自然を愛する種族なの」

「それくらいなら知ってるぞ。金髪で耳が尖ってて美人で、あとすんごい長生きで、攻撃する時に弓使ったりな」

「概ねその認識で間違っていないわね。ならこれは知っているかしら? 先輩がイメージするような“エルフ”像を形作ったのは、ロードス島戦記という書物に出てくるキャラクターが初出なのよ。ディードリットというのだけれど、彼女の持つイメージがその後の小説やアニメ、ゲーム業界を席巻するなんて、クリエイター冥利に尽きる出来事なのでしょうね」

「へえ。さすがに詳しいんだな、黒猫」

「この程度の知識は常識の範囲内よ。良かったら先輩にも貸してあげるから読んでみて頂戴。名作よ」 

「そっか。じゃあ機会があったら頼むわ」 

 

 嬉しそうに語る黒猫の姿に、エロゲーについて力説する桐乃の姿が重なった。

 やっぱオタクって奴は自分の好きなものについて語る時は饒舌になるし、機嫌も良くなる。

 慣れたって訳じゃねえけど、そういうのを聞いてる時間も悪くねえ、そんな風に思えるようになった。

 

「あと勘違いしているようだけれど、エルフにはちゃんと男性も存在しているのよ?」

 

 なんて付け足すあたり、本当に好きなんだろうなぁこいつ。

 

「はいはい。一先ず雑談は終わりにして先に荷物を置いちゃいましょうか。コテージすぐそこだから」

 

 ぱんぱんと拍手を打ち鳴らし、美咲さんが俺達の注目を集める。それを確認してから、彼女の指がすうっと水平に移動した。

 自然にそれを目線が追うと――

 

「…………すげえ」 

 

 彼女の指差した方向には、ロッジ風の立派な建物が聳えたっていた。てかコテージっつうよりもはや別宅って感じだ。

 門構えも立派だし作りも重厚で、なにより単純にばかでかい。

 ぱっと見ただけだが、三階建てなんじゃなかろうか。

 

「隣に建ってるコテージまで結構距離があるからね、大声上げて騒ぎ立てても迷惑にならないわよぉ。どう京介くん、嬉しいでしょ?」

「なんで俺に話振るんスかね?」

「さて、どうしてかしら。女の子の嬌声って結構遠くまで響くものなのよ?」

 

 クスクスと笑いながら美咲さんが先陣を切って歩きだす。

 やっぱこの姉ちゃん、俺達をからかって楽しもうとする悪癖があるよな。

 こりゃ相手の玩具にされねえように気をつけないと。

 

「あぁ、そちらから周り込んでちょうだい。スロープになっていて玄関まで上れるから」

 

 そうこうしている内にコテージへと到着する俺達。

 美咲さんの指示通り回り込んで上って行ったのだが、玄関口で彼女が言っていた“現地で合流する二名”の人物に遭遇することになる。

 

「お待ちしていましたよ、美咲さん」

 

 まず現れたのは男性アイドルもかくやという爽やかなイケメン野郎だった。

 やや小柄だが、スラっとした体格に清涼感を漂わせる雰囲気。一見すると女の子にも見える線の細さだが、キッチリ喉仏が出ているのを俺は見逃さなかった。

 声も通りが良く、大抵の女の子なら好印象を抱くだろう。

 だが俺は、その男を前にした途端、脳内の中で赤いシグナルが鳴っているのに気付いた。

 即ち――油断するな。コイツハキットテキダ。と。

 そのイケメンがゆっくりと俺の目の前まで歩いてきた。

 そしてやおら右手を差し出しながら 

 

「初めまして。僕は御鏡光輝と言います。あなたが赤城京介くんですよね? お噂はかねがね美咲さんより窺ってます。そしてそちらの女の子が妹の黒猫さん?」

 

 声を掛けられた黒猫が、ぱっと俺の身体を盾にするようにして引っ込んだ。その状態からおずおずと顔だけ出して軽い会釈を返す。

 袖口は、ぎゅっと黒猫に掴まれていた。

 チラっと横目でこいつの表情を確認するに、どうやら相手のことを警戒しているようだ。

 少し失礼な態度と思わないでもないが、イケメンは気分を害した様子もなく次の人物――あやせへと視線を移していく。

 

「こんにちは新垣さん。こうして会うのは結構久しぶりじゃないですか?」

「……御鏡、さん?」

 

 あれ? 今のやり取りって……もしやこのイケメンとあやせって知り会いなのか?

 だがその事実確認を行う間もなく、二人目となる人物がイケメンの後ろから現れた。

 

「あやせぇ~? ンだよぉ。やっと来たのかヨ~」

 

 ――げえ!? この間延びした声は!?

 

 今まで寝ていたのか、ふわ~と欠伸をしながら現れたのは――なんと来栖加奈子!

 あまりにも予想外の人物の登場に、一瞬俺の思考が完全に止まってしまう。

 その間に加奈子はゆっくりとした足取りで俺達の前へと姿を現し、そしてあやせではなく俺の姿を見てピタリと動きを止めた。

 

「へ?」 

「……」 

 

 暫し見つめ合う俺と加奈子。

 そして――

 

「あああああああ――ッッッ! マネー……」

 

 俺がヤバイと思うよりも速く“あやせ”が動いた。

 加奈子が俺をマネージャーだと呼ぶよりも先に、あやせが加奈子の懐へと飛び込むと、人体の急所である鳩尾へ肘撃を放ったのだ。

 たぶん角度的に俺以外には見えなかっただろうけど……。

 

「……あや、せ……テメエ……いきな、り…なにしやが……」

 

 ガクッ!

 哀れ加奈子はその場でノックダウン。落ちるようにして気を失ってしまった。

 

「あれ加奈子? どうしたの加奈子? 大丈夫、加奈子?」

 

 加奈子の両肩に手を乗せたまま、ガクガクと前後に揺さぶるあやせ。

 一見すると加奈子を心配しているように見えるが、俺にはその行為が、ちゃんと加奈子が気を失っているかを確認している作業に思えて仕方なかった。

 

 

 


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