あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない 作:powder snow
「ちょっとアンタ、これってどういうこと!? キッチリ説明してもらうかんね!」
「……ぐうっ!」
妹に無理やりリビングから連れ出された俺は、有無を言わさない勢いで壁際に押し込まれてしまった。その際、襟元をぎゅうっと締め上げられてしまったので、うまく声が出せない状態に陥っている。
「なんでアンタとあやせが仲良くリビングで談笑してるワケ? チョット本気で意味分かんないですケドぉ?」
「それは、だな……」
「ナニ?」
「…………まずはちょっと落ち着けって……桐乃……」
「フンッ」
落ち着いて欲しいという俺の申し出に対する妹の答えは、更に首元を絞め付けられるという形で返ってきた。下手するとこのまま“逝っちゃう”かもしれないくらいの手加減無しの攻撃である。
まあ、それくらい桐乃は怒っているわけだが。
「あんたさァ、またあたしの友達に手ぇ出したっての!? マジ信じらんない! つーかいい加減ウザいから今すぐ死んでくれない?」
「……だから違うんだって。ちゃんと説明っすっからよ……取りあえずこれ、外して……くれ……!」
格闘技なんかで絞め技をタップする要領で、首元にある桐乃の腕を軽くポンポンと叩く。その行為で少しは冷静さを取り戻してくれたのか、桐乃は渋面を作りながらもそっと襟元から手を離してくれた。
しかし負けを認めるようで決まりが悪かったのか、離した腕をそのままの下ろさずにガシっという勢いをつけて腕を組み直す。
尖がる唇に剣呑な目つき。更に下方から威圧するような姿勢で俺を睨んでくる桐乃。
その様はさながら仁王像のようである。
「……」
「あんたがそんなに頼むんなら仕方ないから聞くだけは聞いて上げる。でも内容次第じゃ土下座しても許してあげないから」
「土下座って、そんなヒデーことしてないからね、俺!?」
やっと解放された安堵感に精神を囚われることなく、俺は一先ず安全圏まで妹から距離を取った。それから深呼吸を折り混ぜつつ状態回復に勤しむ。
その時間を利用して、どうしてこういう状況に陥っているかの説明しておこう。
現在の俺は世間一般でいうところの夏休みに突入している身の上である。
全ての学生の憧れ。待望の長期休み。
受験生とはいえそれなりに自由ある生活が待っているわけだが――まあそれは桐乃やあやせ、黒猫や沙織も同じ境遇なわけだ。
そんな折り、あやせが以前言っていた(モンハンした日に黒猫が弁当作って来てくれた時のこと)料理を俺に食ってもらいたいという案件で、俺ん家を訪問する手はずとなったのだ。
約束していた手前、断ることも出来ず、かといって桐乃がいる時にあやせを呼ぶわけにもいかない。
何とか妹のいないタイミングを見計らい、昼食を兼ねて午前中に来てもらうことになったわけだが――なんとあやせさん。桐乃のいない時に一人で訪問するのは憚れたのか、麻奈実を伴って現れたのだ。
まあ俺としちゃ麻奈実が居て困る理由もないので、取りあえず二人を家に上げ、お茶でも振舞おうとした時に――急遽、桐乃が帰還してきたという訳である。
簡単に纏めてみると
あやせと麻奈実が訪問してくる→お茶がてらリビングで雑談する→直後桐乃が帰宅、リビングに突入してくる→俺とあやせが談笑しているのを発見して発狂→上記に至る。
という訳だ。
まったく言い訳……じゃねえ。現状説明すら満足に許して貰えないとは、傍若無人な妹様だぜまったく。
「――つう訳で俺はなんもやましいことなぞしていないと断言できる。理解したか、桐乃」
「ハァ? 全然意味分かんない。なんであやせがアンタの為に料理を作ってあげなきゃなんないワケ? もしかしてまた変な事やらかしたんじゃないでしょうね?」
「ちゃんと今の話を聞いてたか? あやせは家の躾けっての? そういうので料理を勉強してるから、日頃の成果の確認の為に作りに来ただけだって言ったろ」
「じゃあナニ? 要はアンタは実験台ってこと? それならチョトは納得だけど、あたしがいない時に一人で家に来るなんておかしくない?」
「おいおい桐乃さんよ。アンタの目は節穴かい? ちゃんとあやせの隣には麻奈実もいただろうが」
俺の台詞を聞いた桐乃がハっとしたような表情を浮かべ、身を強張らせた。
忘却の彼方にあった重要事項を指摘されて思い出した風である。
「そういや……すっごく地味っぽいのがいたような気がする……」
「気がするって、ちゃんといたんだよ! つーか今まで忘れてたのか!?」
「帰っていきなり衝撃的な光景を目にした影響でさー、地味子のことなんか宇宙の彼方に吹っ飛んでったんだと思う。つーかさ、なんでウチに地味子がいんの? 嫌がらせ?」
「あやせと麻奈実は仲の良い友達同士なんだよ。それで一緒に来てて――って、いい加減、麻奈実をその名前で呼ぶのはやめてくれ」
「またソレか。あんたは“昔っから”あの女の味方ばかりしてさ。……正直、超ウザイですけど」
「あいつは俺の大事な幼馴染だからな。庇ったって当然だろうが。それに麻奈実は何処ぞの妹様と違って優しいし、料理は上手だし、一緒にいると安心するし。優先すんのは当たりまえ――」
「――うるさい。死ねっ!」
「ぐええっ!?」
手加減なんぞまるでなし。
ゲージ100%を使った超必並みの蹴りが妹から飛んできた。しかも器用に急所であるアキレス腱を狙って放つもんで始末が悪い。
「あのさぁ、アンタもうちょいデリカシーってもんを持ったほうがいいよ。そんなんだから彼女の一人も出来ないんだって」
「うっせえ。ほっといてくれ……」
蹴られた箇所を摩りながら一人涙目になる。
いや、マジで痛いんだって。
そうやって塞ぎこんでいたら、何を思ったのか桐乃は突然顔面をぐいっと近づけてくるや、下から覗き込むような姿勢で俺を睨みつけてきた
……あ、いや。睨むっつうより観察するっていうか、兎に角、強引に目を合わせてきたのだ。
「なん……だよ?」
「やっぱオカシイ。いつもならもっとマシンガンのように文句を言い返してくるじゃん? やけに大人しいっていうか……ねえ、もしかしてなんかあった?」
「別になんもねえよ。つーか今蹴られたトコが痛いんだって……」
「ウソ。そんなヤワじゃないっしょ」
あのなぁ。お前は俺を鋼鉄か何かで出来てるとでも思ってんのか?
「この際だからぶっちゃけるけど、あんたこの前泊まりがけでどっか行ってたじゃん? そこから戻ってきたあたりで少しおかしくなった気がするんだよね」
「そんなこと…………ねえよ」
「ううん、なんか時々ボウフラのようにぼーっとしてるしさ。そこそこ図体がでかいから家にいると嫌でも目につくんだよね」
「……ボウフラは呼ばわりはねえだろ。つーか、とてもさっきデリカシーがどうとか言ってた奴の台詞とは思えん」
「女の子はいいのっ!」
今の世の中、男女平等じゃないんですかねぇ。
「最近夏休みに入ったばっかだろ? それでぼーっとしてるように見えただけじゃね?」
「違う」
「やけにはっきり断言するじゃねえか。そんなにベッタリ俺のこと見てたの?」
「は……ハァ? ンなわけないじゃん! キモ! つーか自意識過剰すぎ!」
「だっておまえが変なこと言うからよ」
「言ってないっ! もういい! 心配してソンしたっ!」
そう言い放ってから、桐乃が目線を切った。
まあ、強ち桐乃の指摘も的外れじゃなかったんだが、認めてしまって深く突っ込まれると色々と困るので誤魔化したのだ。
だって、原因を訊かれても俺自身答えようがなかったから。
最近頭を悩ませているのは――
「――じゃあさ、好きな女の子とかいないの?」
思いがけない加奈子からの問い掛け。
呟く声のトーンからはふざけているような様子は見られないし、茶化しているような感じでもない。だから少し戸惑った。
女の子はこの手の話題が好きだから、純粋な興味本位から聞いているだけかもしれないけれど。
「なんで、そんなこと……」
聞かれて殊更困るような質問ではない。
だってクラスでもこういう話題はよく出てくるし、誰と誰が付き合っているなんて噂話はよく耳にしたりする。好みの女の子のタイプとか、赤城とふざけて言いあったりもした。
なのに、声が少し震えていたのに驚く。
「んー。やっぱ気になるからかな。京介に彼女がいないとしてもさ、好きな子の一人や二人いたとしても不思議じゃねーべ?」
「そりゃ、そうだけどよ」
「今、気になってる子でもいいんだけど。いたら教えて……欲しいかなって」
強気な加奈子にしては珍しく押しの弱い言い方だった。
いつもなら“教えろヨ、コラ”くらい言いそうなもんである。
「なんならさー京介の好みのタイプでもいいんだぜ? 例えばツインテールの似合うロリ可愛い女の子とかどうよ?」
少しおどけてポーズを決める加奈子。
普段オタク達の前でアイドルやってるだけあって、実に愛嬌溢れる可愛いポーズである。
ツインテールでロリ可愛いとか、いつもの俺なら“そりゃお前じゃねーかっ! 俺はロリコンじゃねーよ”なんて突っ込みを入れる場面なんだろう。
なのに
――好きよ。
――あなたの妹が、あなたのことを好きな気持ちに負けないくらい。
不思議と、そんな台詞が脳裏を過ぎった。
あの時のアレはあいつなりの言葉遊びだったのだろうか。
直接聞こうと思った。確認しようとはした。けど結局邪魔が入って真意を問い質すことは出来なかった。
いつか掛けられた“呪い”に対しての答えもまだ得ていない。
いや――本当にそうだっただろうか。
あれからもあいつに特に変わった様子は見られなかったし、俺に対しても普段通りに接してきていたと思う。そりゃ少しくらい親密になったりもしたが、あくまで友達としても距離感だ。
居心地の良い空間と、笑いの絶えない楽しい日常。
もしかして俺は、それに甘えて答えを出すのを避けてきただけなんじゃないだろうか。
変化を恐れていたのか、逃げていただけなのか。それとも答えを出すことによって傷つくことを恐れてしまったのか。
……分からない。
それにどうして俺はこんなことを考えているのだろう。今考えるべきことは別のことで――加奈子の簡単な問い掛けに答えてやらないといけないのに。
俺の好みのタイプだっけ?
そりゃ黒髪ロングの清楚な感じの娘が好きなんだ。眼鏡をかけてりゃ尚いいね。あと最近プレイしてるエロゲーじゃそういう娘から攻略したりするんだぜ。
そう口にしたら加奈子は傷つくだろうか。それとも京介は変態だのなんだのと言って笑い話にもっていってくれるだろうか。
以前の俺ならきっと即答したろう質問。
なのに今の俺は、こんな冗談めいた答えも言葉に出来ないでいる。
「あ……」
沈黙したまま立ちつくす俺を見た加奈子が、何かを誤魔化すようにきゅっときつく唇を噛んだ。
さっきまで浮かべていた笑みに翳りが見えたように感じたのは、気のせいだろうか。
それとも俺の“ノリ”が悪かったから白けたのか。
「悪い、加奈子。ちょっとだけ考え事してたんだ。えっと好みのタイプの女の子だっけ? そりゃやっぱさ――」
「じ、冗談。冗談だって! えへへ。あたしも酔ってんのかなー? 軽い余興のつもりだったんだけど、京介ったらマジで考え込むんだもん」
「冗談、だったのか?」
「そ。でもチョットびっくりしたべ?」
とさっきまでの雰囲気を吹き飛ばす勢いで加奈子がにひひと笑い出す。そこから間髪入れずに――俺が口を挟む間もなく――こう言い放った。
「んじゃさ、夏休み入ったら京介ん家行くから」
「は? なんで……」
「さっき言ったべ? 加奈子様の超ウマイ飯食わしてやっからヨ。今から楽しみにしてろよなっ!」
決定事項だから。
そういう意味を込めて加奈子が俺を軽く肘で小突いた。
その後は、何事も無かったかのように会話が弾んで、夜の散歩はつつがなく終わって――――ピンポーン!
「……ん? チャイムの音?」
唐突な鈴の音によって、半ば埋没していた思索から強引に現実へと引き戻される。
今俺の隣にいるのは加奈子ではなく桐乃で、ここは俺の家の中だ。
ということは誰かが高坂家を尋ねてきたことになる。
「はい。どちら様ですか?」
最初に動いたのは桐乃。
妹は半ば固まっていた俺を置いたまま玄関まで赴くと、扉に手を掛けて――
「なあっ!?」
「おっ邪魔しまーす。ようっ京介! 約束通りメシ作りに来てやったぜ~」
来訪者の姿を見て唖然とする桐乃。
そんな桐乃を尻目に豪快な挨拶をぶちかましてきたのは、可愛い私服姿に身を包んだ来栖加奈子だった。