あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない 作:powder snow
「これなんかどう? 夏らしくってお洒落だよ」
「白色のワンピース……ね。悪くないとは思うけれど、私に似合うかしら?」
「大丈夫、大丈夫! ほらアンタって外見だけは純和風で大人しい系じゃん? 髪も超綺麗だしさぁ、絶対似合うってっ!」
「……外見だけという部分に引っかかりを覚えるけれど、どうせならあっちの黒色の方が気になるわ」
「ダメ駄目! もっと明るい色選ばなきゃ印象に残らないっての」
「印象……」
「それマジ似合うから! あたしのセンスを信じなさい」
うんうんと満足げに頷きながら、桐乃が手に持っていたワンピースを黒猫に手渡している。対する黒猫は、少し躊躇うような素振りを見せたもの、結局桐乃からワンピースを受け取ると、試着室のある方向へと目線を流した。
どうやら二人連れ立って洋服店に買い物に来ているらしい。
「……」
「取りあえずは試着だよねぇ。ほら、ぼさっと突っ立ってないで、あっち行こっ!」
「え、あ――ちょ……」
有無を言わさぬ行動力。
桐乃は黒猫が何か文句を言い出す前に、彼女の手を取ると試着室へと引っ張って歩き出した。これくらい強引な手段に出ないと、黒猫が乗ってこないと思ったのだ。
「ん、そのバッグ貸して。持っててあげるから」
「まったく強引なんだから。でもありがとう。それじゃ行ってくるわ」
「ゆっくりでいいかんね」
シャっと片手でカーテンを閉め、桐乃が試着室の中に黒猫を閉じ込めた。
その名が示す通り黒色主体の服を好む黒猫だが、桐乃からしたら随分と勿体無いことをしているなというのが本音だった。
素材がいいのだから、もっとお洒落を楽しめばいいのにと。
定番のゴシックロリータも似合っているが、桐乃の見立てだと服装次第で“大化け”する逸材である。
「さてさて、どんな変身を見せてくれんのかな。超楽しみ」
ふひひと含み笑いを噛み殺しながら、桐乃が中から聞こえる衣擦れの音に耳を澄ませる。ただ待っているのも暇なので、そうしながら頭の中で完成予想図を組み立てているのだ。
「ん?」
次は一体どんな服を黒猫に着せてやろうか。なんて空想の中で遊び耽っていた桐乃だが、受け取ったバッグに何やら括り付いている物を発見し目を細める。
「これって……シルバーアクセ? ロザリオってのが黒いのらしいけど」
軽く興味が引かれたのか、桐乃はもっとよく見てみようとアクセサリーに手を伸ばす。そして意匠を確認して軽い驚きの声をあげた。
「EBSじゃん。でも、どうしたんだろ、コレ?」
エターナルブルーシスター。有名なブランド品である。
桐乃の見立てでは決して安価な品ではない。
もちろん黒猫も女の子なのだから、アクセの一つや二つ持っていてもおかしくないが、ブランド品を好んでつけるような人物ではないと思っていた。
もしかして誰かからプレゼントでもされたのだろうか。そう桐乃が思った時、控えめな勢いでカーテンが開かれた。
どうやら黒猫の着替えが終わったらしい。
「ど、どうかしら……?」
普段とは真逆の楚々とした佇まい。
白を基調としたいでたちは、さながらシラユリのようである。
「おほぉ! やっぱ似合ってんじゃん! 雰囲気がガラリと変わって清楚感に溢れてるしぃ」
「そ、そう? けれど少し露出が多すぎないかしら……?」
「全然! 今はそれくらいのがいいんだって。あ、帽子とか被ってもいいかも。麦わらとか夏らしいやつ!」
にひひっと笑いながら、桐乃が両手で帽子を被る真似をする。黒猫はといえば、あまりにべた褒めされるので、恥ずかしそうに身体を縮こませていた。
陶器宛らの白い肌にさっと朱色が指していく様は、彼女の仕草もあいまってとても愛らしいものになっていた。
その様子があまりにも可愛らしかったので、桐乃は良作のエロゲー(もちろん妹もの)に出会った人のようににやけだす。
「ヤバ。マジ可愛いって。可憐っていうの? ひなちゃんもたまちゃんもアンタの妹なんだって再確認したわ」
「それ、どういう意味かしら?」
「別にそのまんまの意味だけど? あ、それよりちょっとじっとしてて。写真取るから」
「や、やめなさい! よそ様の迷惑になるでしょう? というか私があなたより年上なの忘れてるんじゃないかしら?」
「ふふん。聞こえなーい! なんたって可愛いは正義っしょ!」
「全然答えになってな――って、ちょ、お願いだからやめて。私は……あなたの好きな妹キャラじゃないのよ」
「ふひひ。瑠璃ちゅわ~ん!」
「気色悪い声出さないで頂戴っ!」
暴走する桐乃から必死に身をかわそうとする黒猫。
もしこの場に京介がいたなら、ノリノリで突っ込みを入れていたことだろう。
結局、黒猫が観念して、桐乃にポーズを取らされるまで、この二人のやり取りは続いたのだった。
「……まったく、酷い目に遭ったわ」
そんなこんな一幕を経た後、疲れ切った表情を滲ませながら黒猫が試着室から出てきた。もちろん試着したワンピースは脱いでしまっているので、いつものゴスロリ姿に戻っている。
「けれど助かったわ。こんな頼み事を出来るのってあなたくらいだもの」
「どういたしまして。あたしで良かったらいつでも付きあったげるし。――って、ところでさ。このバッグに付いてるアクセどうしたん? 結構良い品のようだけど」
そう言って桐乃がバッグに付いているロザリオを指差す。
「あぁ、それはあなたのお兄さんに選んでもらったものよ」
「はぁ? どういう経緯でそんな――つーか、あいつにンな甲斐性があったなんて……驚き」
「値段的にはタダよ。偶々そういう機会があってね。でも私は気に入っている。家にしまっておこうかとも思ったのだけれど、やっぱり身近に置いておきたかったから」
日向ぼっこを楽しむ子猫のように目を細め、嬉しげにロザリオを見つめる黒猫。その幸せそうな姿を見て、桐乃の脳裏にいつかの光景がフラッシュバックした。
――それはいつものメンバーで沙織の家へ泊まりがけで遊びに行った日の帰り道。
話があると桐乃が黒猫を呼びとめた後の出来事である。
★☆★☆★☆
駅前で沙織と京介と別れてから、桐乃と黒猫は二人きりで話をする為に近くにあったドーナツ屋へと足を運んでいた。
まずは軽食を注文し、店内で一番奥側にあるテーブルを選んで席に付く。
位置関係は互いを真正面に見据えた状態。こうすれば相手の一挙手一投足が目に入ってくる。しかし席に付いてから幾許かの時間が流れても、一向に会話は進まなかった。
お互い自身の前にあるドーナツに視線を落とし、口を開きあぐねている。
自分の周りにある空気が重く感じられるような気まずい雰囲気。
手持ち無沙汰を紛らわす為だろう。桐乃はドリンクに刺さったストローにそっと指を伸ばした。途端、グラスの中の氷が一気に瓦解して、カラコロと甲高い音を立てた。
それに合わせるようにして――
「――私ね、あなたのお兄さんのことが好きなの」
瞬間、桐乃の動作の全てが止まった。
黒猫の告白と氷が奏でる音が重なったが、聞き間違える台詞ではない。
「す、好きって……」
自分でも驚くくらい渇いた声しか出なかった。
一瞬冗談の類かと“期待”したが、黒猫の表情を見るにその望みは薄い。
桐乃はストローに伸ばしていた指をそっと離すと、そのままの手で直接グラス掴み取った。それから直飲みで一気に中身を飲み干していく。
喉を潤すというには随分乱暴な飲み方だが、そうしないと次の言葉が搾り出せなかったのだ。
「それって、どういう意味の……好き?」
「もちろん異性として好いているという意味よ」
「異性――」
「ええ。世界で一番、他の誰よりも、ずっと、ずっと、あなたのお兄さんのことが好きなのよ。出会ってまだ一年しか経ってないけれど、この気持ちは嘘じゃない。それだけははっきりと断言できるわ」
真っ直ぐで強い黒猫の視線を浴びて、桐乃は溜まらずに目線を下げた。
下唇を噛み締め、眉根を寄せて、それでも気持ちを奮い立たせて言葉を紡ぐ。
「………………そっか。やっぱり、そう……なんだ」
「やっぱりって、気付いていたの?」
「薄々ね。あんたら見てたら、そうじゃないかなって。それに昨日の“アレ”見ちゃったし」
「そう。やはりあれはあなただったのね」
月光に照らされた薄暗い室内の中で、京介と黒猫が語り合っている。
あなたに出会えて良かったと、感謝の言葉を述べる黒猫。対する京介がその真意を問おうと口を開きかけたタイミングで――独りでに扉が閉じた。
その際に響いた大きな音に驚き、二人の会話は中断されたが――これが、その答えである。
「べ、別に覗き見しようとしてたわけじゃなくってさ、あたしも水飲みに行っただけで――」
「分かっているわ。偶然なのでしょう? それにお陰様で、決心というか覚悟も出来たわ」
黒猫がそっとストローに指を伸ばす。
今度は氷が瓦解する音は響かなかった。
「聞いて頂戴。私はね、ずっと悩んでいた事柄があったのよ」
「悩み……ごと?」
「大切なものが二つあって、そのどちらかを選ばなければいけない。そのどちらをとっても後悔するような気がして……迷って、迷って、考えて――もう正直一生分悩み尽くした気分よ」
二者択一。選べるのはどちらか一方だけ。
それは酷く残酷な選択肢だ。
「それでも結局は選べなくってね。思考の袋小路っていうのかしら? 迷い込んだまま出られないの。でもようやく一つの答えが見えた気がしたわ」
安堵したような溜息を零しながら、黒猫は目の前に置かれているグラスの水滴を指の腹を使って伸ばし始めた。
右へ伸ばしては左へ戻し。またその繰り返しで。
まるで文字を書いているような仕草だが――最後に彼女は濡れた指はそのままに、軽くグラスを人差し指で弾いた。
小さく響いたのは、黒猫の爪とグラスとが奏でた甲高い音色。
「私はあなたのお兄さんのこと、どうしようもないくらい好きよ。――焦がれる、なんて言うけれど、本当にこの身が焼けてなくなっちゃうくらいに」
そう思うに至った一つの切欠。
それは桐乃が書いた小説の為に京介と黒猫の二人で出版社まで乗り込んだこと。
ベテラン編集者を相手に大立ち回りを演じることになったが、結果として、それまで桐乃を間に通しただけの関係だった二人が、個人として深い繋がりを持った瞬間だった。
桐乃が海外に留学した際には、互いに無くした溝を埋めるように急速に距離が近づきもした。
「さっきは偉そうに啖呵を切ったけれど、こんな気持ちになったのは始めてで……当初は随分戸惑いもしたわ。けれど彼に恋をしていると気付くのにそんなに時間はかからなかった。一緒の高校に通って、同じ部活に入って、同じ時間を過ごして――時には彼の行動に嫉妬したり。本当、莫迦みたいよね」
「……ベタ惚れじゃん。でもさ、どうしてそんなことをわざわざアタシに言うワケ? あいつに……直接言ったら? きっと喜ぶと思うよ」
「あなたはそれで良いの?」
「え?」
「本当にそれで良いのかと聞いているの。私があなたのお兄さんに告白して……運よく付きあえたとして、あなたはそれに納得できるのかしら?」
冗談を言っている風ではない。黒猫は真剣に問い詰めている。
その事実に桐乃は戸惑った。
「……い、意味わかんない。あんたとあいつがどうなろうと“関係ない”し」
「それは嘘だわ」
「嘘とか……決めつけんなっ。だいたいあんたにあたしの何が――」
「分かるわよ。あなたが私のことを理解できるように、私もあなたの事が理解できる。だからこうして“最初に”あなたに言ったんじゃないの」
「っ!?」
言葉を発すれば発するほど心がヒートアップしていく。
桐乃は激情するように熱く、黒猫は静かに燃え盛る青い炎のように。
「今私が彼に告白して……付き合えることになったら嬉しいけれど、本当に、本当に、天にも昇る気持ちになるだろうけれど、きっと私は大切にしているものを一つ失ってしまうことになるわ」
「大切な、もの?」
「けれどそれじゃ駄目なのよ。だから私は欲張りになろうと決めた。自身が納得出来るように、望ましい結果を得られるように努力したい。そう思ったの」
「……それがさっき言ってた決心ってやつ?」
「そうよ。こう見えて私は強欲なのよ。大切なものを失うくらいなら両方を手に入れる道を選ぶ。模索する」
そこまで巻くし立てた黒猫は、高鳴る動悸を押さえ込むようにドリンクを一気に飲み干した。
それから赤い舌で唇を濡らし、小さな吐息と共に
「――理想の世界へ至る道。今日はその第一歩なのよ」
と、そう付け加えた。
「ねえ“桐乃”。もう一度聞くわ。私、あなたのお兄さんに告白しても良い?」
「…………ッ」
普通なら“良いよ”と即答するのが当たり前だろう。桐乃にとって黒猫は大切な友達で、京介は兄なのだ。
なのに応援するよの一言が口から出てこない。
焦る、焦る、焦る。なぜ焦っているのか分からなくて、また焦って。
桐乃はそんな戸惑いと一緒に臍を噛んだ。
「あたしは……」
やっとのことで身体の奥から搾り出した声も単発で終わってしまった。
詰まる言葉と焦燥感から、ここから逃げられるものなら逃げ出したいと桐乃は思う。けれど逃げ道などどこにもありはしない。黒猫の視線はずっと桐乃に注がれたままなのだ。
どれくらいその状態が続いていたのか。
突然黒猫は眦を下げると、申し訳なさそうにこう付け加える。
「ごめんなさい。少し性急に過ぎたわね。あなたにも考える時間が必要でしょうし」
「黒……猫?」
「そうね、夏休みに入るまで。夏になったら答えを聞かせて頂戴。それまで色々と話をしましょう。――お互いが納得する答えが出るまでね」
微笑んだつもりだったが、うまく笑顔を浮かべられたか黒猫には分からない。
だって黒猫にも焦る気持ちがあったから。
彼のことを好ましく思っている人物は一人だけではない。
彼女の思い人は誠実で真っ直ぐな人間だけに、最初に告白した人物が優位に立ってしまうかもしれない。
言わばアドバンテージ。それでも黒猫は、大切なものを失わない為に桐乃の答えを待つことにしたのだ。
★☆★☆★☆
「どうしたの? ぼーっとして?」
「ん、ちょっと考え事、かな」
黒猫に呼びかけられ、桐乃の意識が現実へと引き戻される。
どうやら思い出に没頭している間に黒猫は会計を終えていたようだ。
左手にワンピースの入った袋を提げている。
「そう。今日これからの予定でも考えてた?」
「ま、そんなトコ」
歩きながら喋り、並んで店の外へ出る。途端、夏らしい眩しいばかりの陽光が彼女達の肌に突き刺さった。背後で自動ドアが閉じれば、店の中からの快適な空気も届かなくなる。
黒猫は右手をひさしの変わりに頭上に翳して、顔のあたりに影を作った。
都会だというのに、辺りからはひっきりなしにセミの鳴き声が聞こえてくる。
「ふう。世間はすっかり夏一色ね。私にとっては夏コミの季節だけれど」
「えっと、確か二日目と三日目に出るんだっけ?」
「そうよ。二日目はゲーム研究会の一員として。三日目は私個人のサークルとしてね」
「もちろん冷やかしに行くかんね。あたしが寄稿したページもあるんだから、キッチリ売り切りなさいよ」
「任せなさい、と言いたいところだけど、実は完売したことないのよね。売れ残った同人誌を持って帰る時の切なさは、何度味わっても慣れないわ」
「は、はは……」
黒猫の漂わせる悲壮感にさすがの桐乃もディスる気にもならないとばかりに、渇いた笑いが零れていた。
「去年の冬コミなんて九割以上売れ残っちゃってね、配送するお金ももったいないからカートに載せて帰ったものよ」
「なら今回はリベンジだね!」
「……そうね。そうなるといいわね」
そこでふと会話が途切れた。
二人とも去年の夏コミを思いだしているのか、途端に口数が少なくなる。
一年前はお互いまだ相手との距離感がうまく掴めず、探り合っているようなところもあったし、出会ってからの日も浅かった。それが今や互いを親友と思えるようになるまで距離が近くなったのだ。
黒猫は友達を作るのが下手で、桐乃にとっては始めてのオタク友達で。
気兼ねなく全力で趣味の話が出来る相手――叩き付けられる相手を得たこと、それが嬉しかった。
「ねえ」
桐乃が先に歩みを止める。遅れて黒猫が立ち止まり、二人の間に一歩分の距離が開いた。
「なに?」
先を行った黒猫が振り返る。
「良い夏になるといいね。思い出になるような――ううん、一緒に最高の思い出を作ろう!」
桐乃の突然の申し出に最初は唖然とした黒猫だったが、すぐに表情を軟化させると
「了承したわ。けれど覚悟なさい。今年の夏は目一杯遊び倒す予定なのだから。生半可な覚悟だと置いていくわよ」
「そっちこそ」
再び横に並ぶ桐乃と黒猫。
真夏の日差しは、そんな二人をじりじりと暑く照らし続けていた。