ボーイフレンド(仮)西園寺蓮と主人公が出会ってすぐの話。鍵の落書きを探していて西園寺生徒会長の仕事を手伝うことになった主人公は、会長のふとした仕草や表情に心奪われてしまう。

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第1話

「そろそろ、蓮と呼んでいただけてもよいのでは」

 西園寺先輩が私の髪を指先でくるくると遊ばせつつ、もう片方の手を私の手に添えてくる。

 さすがにまだこの距離で話すのも、そしてこのぬくもりも、まだとても恥ずかしい。

「でも出会ったころは、生徒会長、としか呼んでくれませんでしたよね。フフ。そしてこの美しい髪も、まだここまで長くはなかったですよね」

 私の髪をひとすくいとって軽く引っ張り、口づける。

 そういえば私がまだ西園寺先輩のことを、まだ「生徒会長」とすらほとんど呼んだことがなかった頃。今では背中の真ん中ほどまで伸びた髪も、あの頃はまだ肩のラインにようやく届いたくらいだった。

 

 

 学校の壁に鍵の落書きがあり、それを見つけると運命の相手が現れる。そんな噂でクラスメイト達は皆躍起になっていた。私もその一人。いろいろなところを探したけど、なかなか見つからない。そんなに簡単に運命の人なんて見つけられないだろうから仕方ないか。

「壁ばかり見ているとぶつかりますよ、西崎さん」

 私が驚いて顔を上げると、窓から差し込む夕日の優しいオレンジ色を背負ったように光り、同じくらい優しい笑みを浮かべた男子がいた。西園寺生徒会長。学校で一、二を争う有名人物。私の名前なんて覚えていたんだ。

「危うくあなたに荷物をぶつけてしまうところでしたよ」

「いえ、すみません、私の方こそぼぉっと歩いていて……」

 生徒会長は重そうな段ボール箱を二つ重ねて両手で持っている。ぶつかったら大惨事だった。私はついぺこぺこ頭を下げてしまう。

「ふふ、廊下の向こうからもあなたの姿が見えていましたが、まだ探しているのでしょう? 鍵の落書きを」

「それがなかなか見つからなくて……」

 そういえば先日、クラスメイトと音楽室を探していた時に偶然会長と会い、そんな話をして微笑まれたっけ。

「そうですか。では申し訳ないのですが急ぎでなければひとつお願いして良いですか? どうかそこの扉を開けていただければ」

 気が付かなかった。ちょうどそこは生徒会室のドアの前。両手がふさがった会長の代わりに、私は慌ててドアを開け、執事の真似をするかのように、どうぞ、と手で中を指し示した。

「あなたにエスコートされるなんて不思議な気分ですね。ありがとうございます、助かりました」

「会長、遅かったですね」

 中から守部くんの声が聞こえる。副会長の彼は、放課後は大抵生徒会室に居ると聞いた気がするが、ふと覗くと、うず高く積まれた紙の山に埋もれるように、髪の毛と眼鏡と、少し不機嫌そうな顔が見えた。

「あれ、西崎さんまで。一体」

「少々エスコートしていただいたのですよ」

「いえ、そこまでのことは」

 会長は、運んでいた段ボール箱を机に置いて戻ってくる。守部くんが何か言いたげに立ち上がったのを見ると、長居は無用だろう。

「では私はこれで失礼します」

 私は頭を下げ、慌てて生徒会室を出ていこうとすると、左手首を軽く握られた。

「待ってください。エスコートして下さったレディに、お礼としてお茶と大福でもごちそうさせてください」

「そんな、それほどのことは」

 会長は少し私が戸惑っている間に、私の手首を掴んだままで入り口のドアを閉めてしまった。

「いいですよね」

 私は気が付くとコの字型に並んだ机の一角に座らされていた。守部くんの視線が痛い。

「少々お待ちくださいね。今お茶をいれてきますから。静岡のおいしいぐり茶を頂いたのですよ。あと今日の大福は仙台のほうからいただいたずんだ豆を使った……」

「それより会長、ちょっといいですか」

 生徒会室の奥の部屋に入ろうとした会長を、立ち上がった守部くんが呼び止める。

「急に家から連絡があったのですが、すぐ帰ってよいですか? 申し訳ないのですが今日中にこの資料をまとめておかないといけないのですが……」

「それは大変ですね。すぐに帰って頂いていいですよ。後は私が。今日真山先生に頼まれたものですよね」

「すみません」

 実は会長が帰ってくるのを今か今かと待っていたのだろう。守部くんはすぐ後ろに置いてあった大きなリュックを持って一礼し、私にも軽く首だけ下げると、慌てて出て行った。

「慌ただしくてすみませんね。あなたはゆっくりしていってください。とりあえずお茶を……」

 会長の言い方はのんびりしているが、守部くんが居た方に目をやると、何の作業をしていたのか、山ができている。他の生徒会メンバーは居ないようだし、このままだと会長が一人で続きをするのだろうか。

「生徒会長……良ければ私が手伝いましょうか。何か」

 私は再び奥に入ろうとしている背中に声をかけた。

「いいのですか? 実は一人だと結構大変かもしれないと思っていたのですよ、実は」

 手伝うと言って心底良かった、と思えるような笑みを返されて、私は胸が高まるのを感じた。顔も少し熱いが、夕焼けに照らされて見られていないことを祈りたい。生徒会長は、普段は講堂でのイベントで必ず話をする人、華道部の部長、整った顔立ちに加え気軽に誰にでも声をかけるので実はファンが結構多い、あたりのことは知っているが、私もそれほど話したことはない。先ほど私の名前を知っていたのには驚いたが、生徒全員の名前を実は覚えているのだろうか。

「では遠慮無く頼んでしまっていいですか。あとで必ずお礼はしますから」

「いえいえ、そんな。私も時間ありますし。あ……お礼はともかく、今度生徒会室の中を探させてもらっていいですか、鍵の落書き」

「そんなことでいいのならいつでも。あなたのためにいつでも扉は開けておきますから」

 私は鍵のことはともかく、会長にまた会える理由ができてしまったことが嬉しかった。私にしては少し大胆すぎたかもしれない。

 

 

 守部くんが残していった作業は案外簡単だった。こんな単純作業ならわざわざ生徒会に頼まなくても、と思うが、守部くんが頼まれやすい場所に偶然居たのかもしれない。

 私は会長と並んで座り、少し急ぎ気味に藁半紙を半分に折り、積み上げる仕事に勤しんでいた。会長は私が折った紙と、既に守部くんが折りたたんでいた山の中から取ってホッチキスで止めている。

「あ、すみません」

 隣をあまり見ないようにして作業していると、会長と手が当たってしまった。

「こちらこそ。あなたの手は大丈夫ですか」

 少し当たっただけなのに、なんだか手が熱い。痛いからではない。少し心配そうに私を見つめる先輩と目が合い、私は慌てて視線を紙の山に戻した。

「全然問題無いですよ! それより急いで作業しましょ、会長」

「そうですね。気をつけますね」

 私は再び紙を折り始めた。藁半紙の独特な匂いと、生徒会室に漂う花の香りが交じり合い、単純な作業なのに心地が良い。思わず目を閉じてしまいそうにもなる。夏が終わり、冬には早い部屋は、室温もちょうど良い。

「少し疲れましたか」

「あ、いえ、まだ大丈夫です。ただいい香りだな、と思って」

 会長の声に私は慌てて首を振る。

「ふふ、この部屋の花は私が活けているのですよ」

 会長が目で示す方を見ると、綺麗な青の花と、何か緑の長い茎が活けられていた。

「何の花ですか」

「あれはりんどうです。秋の花ですが夏のような青さが綺麗だと思いまして」

 風が出てきたのだろう。外の木が揺れると夕日の差し込み具合が変わり、りんどうの花は青と紫との間で色を変えた。

「少し倒れていますね」

 会長は立ち上がり、花の位置を少し直し、葉を整えた。会長の細くて長い指が優しく葉に触れるのを見ていると、なぜか私の手の甲がざわざわとした。あの指で触れられたらどんな感じがするのだろう。ぴんと伸びた背筋と、いとおしそうに花を撫ぜる指と、慈しむような笑みを向けられたらどうだろう。

「これでいいでしょう。まぁ明日には違う花に変えたほうがいいですかね」

「え、まだ十分綺麗なのに」

「そう見えますか。盛りは過ぎてしまったので、花が少し開きすぎているのですよ」

 会長は一本りんどうを抜いて私のほうに持ってきてみせた。指で花びらを中央に寄せるが、指を話すとゆっくりと戻っていく。

「確かに言われると少し……」

「手折った瞬間からほんの少しずつ命が失われていくのですよね。それを集めて綺麗に見せて。ただやはり確実にこうして」

 なんだろう。

 会長は華道部で、確かすごいところの家元で。花の美しさについては多分誰よりも詳しくて。

 ただ、表情を見ていると、ただ単純に花が好き、以上の想いを抱いているように見える。

「私にも教えていただけませんか。花と。そして……先輩の想いと」

 なぜそんなに苦しそうな顔をするのか、その理由を。

「おもい……ですか?」

 会長は驚いたように顔をあげる。私は思わず自分の口から出てしまった言葉に驚く。一体何を言おうとしたのだろう。いや、既に言ってしまったのだろう。

「すみません、私……」

 なんとも言えない表情をした会長と目を合わせるのが苦しくなり、私は顔をそらせた。部屋の隅にある生花は、会長が一本抜いたからか、妙に不安定に思えた。

「こちらこそすみません。あなたを困らせるようなことを言ってしまいましたか。ただ、あなたと居るとなんでしょうね、何か、奥に仕舞っているものが出てきてしまうような」

「そんな……」

 会長は背を向けて生花のところに戻り、抜いた一本のりんどうを、多分先ほどとは違う部分に刺した。そして元の作業机に戻ってくる。私は目をそらしたはずがつい会長の姿を目で追ってしまい、椅子に座った先輩をそのまま見つめてしまう。

「花に興味を持っていただけるなら大歓迎です。良ければ一度、華道部に来ませんか」

 社交辞令の言葉。そんな気がした。一瞬出た会長の本音のような何かは、もう聞けないのだろうか。華道部での先輩の姿も見たいが、それはなにか違う気もする。

「えっと、……それは考えさせてください。それより作業、作業に戻りましょ、終わりませんよ」

 私はなんとかそれだけ言って、紙の山に視線を戻した。とりあえずこれを終わらさないと。このまま花の香りで何かまた違うことを考えてしまいそうな。

「そうですね。とりあえず終わらせましょう、これを」

 会長もそう言って、私が折った紙の山に手を伸ばした。しばらく黙々と二人して作業を進める。ただ先ほどの作業と何かが違ってしまっていることを私は感じていた。会長のちょっとした動きが気になってしょうがない。何か息苦しい。私はできるだけ右に座る先輩の方を見ず、紙を折り続けた。

「だめ……ですか?」

「え?」

 突然会長が声を出し、私が紙の山に伸ばした手が包まれる。会長の右手が、私の右手を抑えていた。驚いて振り向こうとするが、右手が押さえられているとどうも会長の方をきちんと向けない。顔だけで向くと、会長の顔が思ったより近くにあった。

「あなたと、花について語り合いたくなりました。もし、お嫌でなければ……私に教えさせてください」

 会長の顔から目が離せない。先ほど見せた顔。講堂や廊下ですれ違った時とは違う顔。そもそもこんな距離で男の人と見つめ合ったことなんてない。両手が汗ばんでくるが、手を動かせない。

「あなたと……」

 何か会長が言いかけたところ、突然生徒会室の扉が開いた。

「おい、まだ残っていたのか」

 真山先生だ。会長は私の手から手を離さない。私は先生より会長の顔を見つめてしまう。この紙の山で本当にこの握られた手が先生から隠れているのだろうか。少し握る手が強くなった気がする。

「すみません、先生。依頼された作業がまだ終わっておらず。西崎さんにも手伝ってもらっていたのですが」

「もうこんな時間だ。作業は明後日まででも間に合うから、今日は帰れよ、そろそろ」

「ありがとうございます。では明日に回させてください。西崎さんを送って行きたいですし」

「そうか、頼む」

 真山先生は急いでいたのか、すぐに扉を閉めて行ってしまった。

「もうこんな時間ですね。すっかり引き止めてしまいました」

 会長はいつもの顔で微笑む。気が付くと夕日の影がすっかり延びきっていた。

「帰りましょうか。あなたをお城に送り届ける栄誉をいただけると」

 会長は私の手を握り直し、立ち上がって手を引いた。私も慌てて立ち上がる。

「そんな、お城だなんて。多分、会長の家にある犬小屋くらいですよ」

「よくご存知ですね。一度見に来てください」

「え?」

 冗談で返したつもりが、からかわれてしまったようだ。

「いいですね?」

 会長は私のをさらに少し引き、軽く唇に当てる。まるでこれからダンスでも始めるかのように。

「会長……」

「西園寺、あるいは蓮、でいいですよ」

 さすがに下の名前で呼ぶのはやりすぎだろう。

「西園寺……先輩、でいいですか?」

「まぁ今はいいですよ、それで。とりあえず明日もここに来ていただけませんか。できれば、これを手伝っていただけると」

 私は一も二もなく大きく頷いた。

「会長……、そろそろ手はいいですか?」

「あ、すみません。つい」

 会長が私の手を離し……と思った瞬間。今度は両手で摘ままれた。

「西園寺、で。ね。まぁ、名残惜しいですが今日はこれで。行きましょうか」

 

 

 それから家まで送ってもらって。他愛のない話をして。翌日も生徒会室に行って。そして「西園寺先輩」と呼ぶのも慣れたころ、私は生徒会室の隅で鍵の落書きを見つけて。

 そして。

「大福の粉。ついてますよ」

 西園寺先輩が私の髪の先から手を離し、代わりにその手に頭を引き寄せられ、下唇を軽く舐められる。

「そういう西園寺先輩こそ」

「蓮ですよ。蓮。覚えるまでお仕置きです」

 蓮……さんは軽く自分の唇もなめて妖艶に微笑み、今度は頭と肩とを引き寄せられ、唇を当てられる。生徒会室にはあの日とは違う花の匂いが今日も溢れている。あと、目を瞑っていてもわかる、蓮……さんの香りと。


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