異常者が集うこの学園で、普通であることは異常なのか 作:のろし
親愛なる読者諸君に質問をしてみようと思う。身近に存在している生物で、諸君がもっとも
恐ろしいと感じるのは一体何であろうか。ライオン?残念ながら身近に存在しているとは
言い難いだろうから却下させてもらう。サメ?陸上にあがってしまえば危険性は皆無ではない
だろうか?病原性細菌やウィルス?確かに恐ろしいが、投薬や手術により治癒する可能性は
十分にあるだろう。勿論そう答えた人の意見を否定するためにこのような質問をしたわけ
ではない。ただ、私の今現在の心境として、人慣れしていない、野生化した大型犬ほど恐ろしい
ものは存在しないのではないか、とふと思った為に、先ほどの質問をしたわけである。
ロシアンウルフハウンド、より分かりやすい名前を挙げるならば、ボルゾイ犬。元々狩猟犬
として品種改良されたこの犬種は、主人に対し従順であることと、攻撃性が強いことが求め
られていたのだが、現代日本において、そのような犬が首輪もされないままに屋外を跋扈
していたら、数分で保健所の職員が駆けつけるだろう。しかもこの犬、私と人吉君の二人で
捕まえる必要があるというのだから、世の不条理というものは計り知れないものだと思う。
そもそもの発端は、当たり前のことながら目安箱への投書だった。人吉君が持って来た投書は
三通。バスケ部部室の普請要請、学食の新メニュー開発、そして三つめに出されたのが、
子犬探しである。前者二つは会長様が担当するとのことで、残る一つを人吉君が担当する
事になったのだ。一件なんの問題もないかのように思われるが、これは生徒会執行部にとっては
初めての出来事なのである。今までの案件は、会長様自ら乗り出し解決を図る形で、人吉君は
あくまでもサポートだったのだ。だが、今回初めて人吉君に案件を一任した。まあ、残りの
案件に比べ容易な内容であったことは一因としてあるかもしれないが、それでも初の出来事、
私は勿論、人吉君も意外だと感じたのか、会長様に理由を尋ねた。その返答は、思わず耳を
疑うものであった。
「動物が、苦手なんだよ…」
意外にも程があると思い、その場でその言葉の意味を熟考してみる。動物が苦手、という
一つの文の中に含まれた意味は一体何なのか。だが、どうにも頭が働かず、一旦思考を止め、
書類選別の作業を再開した。その後、会長様も自身の案件の為に生徒会室を出ていき、
少したってから書類の選別が終わったため、各所へ書類を届けてから、私は部活動へと向かった。
翌日のことである。傷だらけの人吉君が教室に入って来た。一体どこをどうすれば、と言わん
ばかりに体全体がボロボロだ。それを見て大笑いしている不知火さんを見るに、昨日の案件は
見事失敗に終わったようである。簡単に事情を聞いてみると、どうやら逃げ出してから半年間に
子犬は成犬へと成長していたらしい。だとしても、なんだかんだで武闘派の人吉君がこれだけ
の怪我を負うとは、一体どんな犬なのか。訓練された犬は熊でさえ圧倒すると聞いたことが
あるが、品種改良によって誕生した犬という存在は、そもそも人が訓練・調教をしなければ
その才能を発揮する事はないといわれているはずだ。なのにこの怪我である。流石に独りで
解決するのは難しいんじゃないかと思い、私は助力を申し出た。ついでに会長様へ事態の連絡を
入れてみたところ、『仕方あるまい、私も動く』という心強いような、迷惑なようなお言葉。
話している最中に、どうも不知火さんに対する嫉妬心のようなものがあるように思えたが、
どうやら人吉君は気付いていないらしい。とりあえず昼休みに現場へ向かってみることにした。
そして話は冒頭へ戻る。
「…なるほど。迷い犬というイメージだけで行動した結果、先入観から対応が遅れたといった
ところだろうか?」
「何言ってんだ、海路口?あんな獣性丸出しの犬、どうやったって怪我をせずに捕獲なんて
できっこないぜ?」
「いや、そうでもない。第一印象こそ野生化した大型犬というイメージだったがね」
「うん、その通りだと思うんだがな?」
そう言っていまいちボルゾイとの距離を縮められない人吉君。まあ、実際に襲われればその
反応も仕方あるまい。だが、それが本当に襲われたのかというと、そうでもないと私は考える。
「会長様の意見には反するのだが、今現在愛玩動物として飼われている犬種は、元々自然界に
存在しない。さまざまなイヌ科の生物のなかで、人間が手懐けたモノ同士を交配させて、品種
改良していったなかで生まれた、いわば人間が創った生き物だ」
「お、おう」
「つまるところ、人間の都合のいい性格のもの同士を掛け合わせて生まれたのが今の愛玩動物
としての犬達なのだが、ボルゾイも同じだ。まあ、この犬種の場合、狼猟のために使われて
いたのは間違いないけれど、それでも都合のいい部分は受け継がれている」
そう言って私はボルゾイに一歩近づく。低いうなり声をあげて威嚇してきてるが気にしない。
「そして狩猟犬の場合、飼い主に忠実な犬種が多い。それに加えて、ボルゾイは元々サイト
ハウンドという、自己判断能力に優れた犬種でね、それが故にしつけをし難い駄犬といわれる
こともあるが、結局はしつけの仕方が悪いだけなんだよね。それを犬の所為にするのは、
人間の怠慢だと思うのだが、どうだろう」
「いや、どうだろうと言われても、分からないとしか答えられねえよ」
さらに一歩近づく。唸り声は大きくなり、警戒の色が強くなっているようだ。気にしない。
「この犬種は元々人間に対して従順だ。当然だろうね。狼猟につかわれるのに、主人の言う
ことを聞かずに襲って来るのではたまったもんじゃない。攻撃性が高いというのは間違い
ないのだけれど、それをしつけでコントロールすることで、この犬種は素晴しいパートナーに
変貌する。さて人吉君。しつけをする上で非常に重要なことはなんだと思う?」
「…正しいことをしたら褒めて、間違ったことをしたら叱ることじゃねえのか?」
人吉君の答えは確かに一つの正答ではあるのだが、それは私がこれからすることを終えた段階
での正答だ。
「残念。それ以前にしなければならないことがある。それは…われわれ人間が犬より優位である
ことを認識させることだ」
私は更に近づき、いよいよもってボルゾイは私への警戒感を最大レベルに引き上げて、今まで
出した中で最も大きな唸り声を上げる。更に一歩前へ、といったところで遂にボルゾイは
立ちあがり、私に飛びかかって来た。が、直に跳び退る。その光景に驚いた人吉君がしきりに
何故なのかを聞いて来た。
「私と自分、どちらが優位なのかを見極めようとしているんだ。人吉君、昨日君はもしかして、
この犬の容貌に恐怖を感じていたのではないか?」
「あ、ああ。確かにそうだけどよ。それがどうしたんだ?」
「犬は言葉が通じないから、雰囲気で相手を判断する。恐怖に呑まれた君は、自分と比べた
ときに下位の存在だと思ったんだろう。さて、一気に決めるとするか」
私はそのままゆっくりとボルゾイへ近づき、目を合わせる。サイトハウンドというだけあり、
視覚の情報を重要視する犬種であるため、目をそらすなどの行動は禁物だといわれる。そのまま
私とボルゾイの距離は縮み、ついに相手の方から服従の姿勢をとって来た。私はそのまま顎の下
から耳の裏に沿ってなでてやり、前肢に触れた後、準備していた首輪とロープをつないだ。
「ぬ?既に終わっていたか。海路口同級生、態々助力をしてくれて、感謝するぞ」
そう言って会長様が着た途端、犬が目に見えておびえ始める。そこで漸く、私が感じていた
あの言葉への違和感の原因が分かった。『動物が、苦手なんだよ』、その言葉を一つの繋がった
文章として認識するわけではなく、動物が、と苦手なんだよ、の、それぞれの文が意味を持って
いたようである。つまり、会長様が動物を苦手というわけではなく、動物が会長様を苦手、
という意味だったのだな。私はボルゾイをよくなでてやり、目の前にいる存在が決して害をなす
存在ではないことを覚えさせた。
「…ん?逃げ出さないのか、この犬は?」
「私が一時的に主導権をとっているから私が近くにいる限りは逃げ出さない。会長様が害をなす
存在でないことはある程度伝わったみたいだから、絶対に乱暴にしないという条件なら、
なでることもできると思う」
「…本当か?」
「…マジかよ」
私の言葉を信じたのか、会長様は極めてゆっくりと、ボルゾイの顎の下をなでた。ボルゾイも
決して安心してというわけではないが、黙ってなでられている。
「………海路口同級生よ、貴様のおかげで、私は初めて動物に触ることが出来た。感謝するぞ」
その後数分にわたって会長様はなで続け、その後私にお礼を言ってきた。ああ、やはり初めて
触ったのか。道理でぎこちない。
「礼を言われるほどのことでもない。それに、ウチの犬ならもっとちゃんと触ることもできる
はずだ。なんなら一度家に来るか?」
「本当か!?」
「私がこうやって手懐けられたのは、ウチの犬のおかげといっても過言ではない。アイツは私を
しっかりと主人として認識しているから、会長様の存在感よりも私を優先するはずだ」
そういうと、会長様は満面の笑顔になり、私に抱きついてきた。曰く、『有難う』だそうだ。
私は人吉君のように丈夫ではないのだから、ぜひとも首は極めないで欲しい。そんなことを
考えつつ、ボルゾイをゆっくりとなでてやるのだった。
事の顛末。ボルゾイは無事に飼い主のもとへと戻り、以前のやんちゃっぷりは也をひそめて、
非常に落ち着いた正確になったらしい。依頼者である先輩も驚くほどの変化だったらしく、
少々興奮気味に話してくれた。
なお、案件に当たっている最中は一切描写しなかったが、校舎裏に現れた会長様の格好は…
犬の着ぐるみであった。少し呆然としている後ろで、不知火さんと人吉君が
『もしかしてお嬢様ってさぁ…』
『あ、気付いた?うん、一周回って基本馬鹿だよ』
という会話をしていたのが、やけに記憶に残っている。まあ、あんな光景を見た時にそう判断
しない人間の方が少ないだろうから、それは致し方のないことだろう。
それと、案件が終わった後、私は人吉君に何故前肢に触ったのか、という質問を受けた。
その答えだが、犬は肉球を触られることをあまり好まず、自身よりも優位だと認識していない
ものにそれを触らせることはしない。勿論、訓練次第では誰でも触ることができるように
しつけることもできるのだが。結局、私を上位の存在として認識していたかどうかの確認
という意味合いで触れたのだと教えた。
「…だがよ、もしそれで上位だと認識していなかったらどうなったんだ?」
「勿論手を噛まれた。しかもマジ噛みでね」
「おいおい、そりゃあ危ないだろう?」
「当然、危ない。だが、もし噛まれたとしても手を引かずに、口の中に押し込めばそれはそれで
よかったんだ。上位だと思わせる行為になるから、どちらにしろ私の優位性を教えるいい方法
になる」
「へぇ、色々あるんだな、しつけの方法って」
「そう、色々あるんだ。優位であることを教える方法が一番いい関係を築けるが、それ以外
にも条件反射によってしつける方法や、痛覚による支配なんて方法もある」
「物騒なのやら簡単なのやら、ホントに多種多様だな」
「人吉君も試してみたらどうだ?会長様に」
「なっ!?おま、そんなことできるわけないだろ!?」
「そうか、残念だ。君が会長様を上手くしつけられれば、私の負担も減ると思ったんだけれどね」
そんな会話を人吉君としながら、案件を解決するために外へ出ている会長様がここへ戻って
くる時間までに作業を終了するべく、今日も私は書類の選別に明け暮れるのであった。
なお、最初に人吉君が特攻した際の写真を不知火さんから見せられて、不覚にも大笑いして
しまったことは、人吉君にも悪いためふせておくことにする。