東方孤戦漢 〜Replacing and Revolution of Bioenergy. 作:影のビツケンヌ
例えば霧の湖の霧の発生原因は、原作では不明とされています。
これから書いていく話の中で、自分の無知故に日本に存在しない植物を登場させてしまうかもしれません。その時は感想からお伝え下さい。すぐに修正致します。
十六年一月十八日、本文傍点形式修正
環境BGM:『神々が恋した幻想郷』(幻想郷全景)
本格的な春が近付くにつれて、昼の時間は更に長くなり、幻想郷には一気に生命が満ち溢れる。凍える寒さとそれに便乗する冬の妖怪はなりを潜め、春告精リリーホワイトの通過と共に、冬眠していた生き物達が台頭してくる。雪融けが終わって花を咲かせていたイチリンソウやカタクリは、少しずつ暗くなりゆく落葉樹林の林床で葉だけの姿となった。
結界の起点となる博麗神社は高台にあるので、十分に晴れていればそこから幻想郷を一望できるが、その全容を把握したいのなら、まだ霧の湖に霧が出ない早朝が良いだろう。妖怪の山――外の世界では八ヶ岳に相当する場所にある、標高四千メートル級の活火山――の麓に存在するこの湖は、昼になると同山麓の二つの尾根に挟まれた谷から来る湿った暖気を冷やして濃霧を発生させる。この霧のせいでかなり広く見えるが、実際は一周歩いて一時間と掛からない小さな湖だ。とはいえここを水飲み場とする生き物も多く、渓谷の先の密林から、時に大きな妖怪がやってくることもある。
一方で、湖に流れ込む一本の川は、湿り気を流し込む谷とは別に妖怪の山から来ており、それを遡れば玄武の沢に辿り着く。深く切り立った玄武岩の崖は、上部を青々と生い茂った森の木々が覆い隠し、火山活動で形成された六画柱状の岩壁が水流の浸食作用で荒々しく剥き出しになっている。沢を覆う森は妖怪の山の森林限界までを埋め尽くす樹海の一部で、その例に漏れず至る所に地衣類のカーテンや毛布が掛かって、その湿気の多さを物語る。そしてその隙間から差し込む太陽が、もやもやした幾筋もの細い光線となって、蔓延る下生えの薄暗がりに光と影の斑模様を作り出している。
しかしその樹海も、硫黄の溶け込んだ強酸性の霧と有毒ガスを吐き出す山の裏手の温泉地帯では途切れる。猛毒の一酸化炭素を含む火山ガスが充満するこの一帯には、迷い込んだ生き物がガスを吸い込んで息絶え、死の臭いを漂わせている。ところがここの間欠泉から噴き出す熱水には湯治場として利用できる程の効能があり、すぐ近くではやはり簡易な温泉施設がある。
そこから五十メートルと離れていない場所に、直径六メートル程の大きな穴がある。覗き込めばそこには深淵が広がるばかり、ではなく、その下は大きなドーム状の空間になっているらしい。そして穴の真下に積み上がった巨岩の上に、一人の少女が立っている。少女は僅かに膝を曲げるとそこから跳び上がり、なんとそのまま穴を通って飛んでいってしまった。
飛行というのは、極めて特殊な行動だ。カエルやヘビ、一部の哺乳類等、木から木へ移動する為に時たま飛ぶ動物は、大抵滑空する。一方、鳥や昆虫、コウモリ等、頻繁に飛ぶ動物は、羽ばたくことの方が多い。
奇妙なことに、幻想郷の妖怪、霊力や魔力を持つ人間の一部は、翼の有無に関わらず空を飛べる者が多い。その飛行原理はまちまちだが、ある者は空間に妖力を緩く固定して浮かび、またある者は全身から霊力を放出して浮かぶ。とりわけ飛ぶ能力に優れた者の飛行速度は、時速百四十キロメートルにも達する。
九年前までは、幻想郷最速飛行者の肩書きは‘伝統の幻想ブン屋’射命丸文のものだった。天狗の中でもずば抜けて速い種族『鴉天狗』であり、その中でも最速を誇る彼女に追い付く者はいないかに見えた。
しかし、時は西暦二〇一四年五月八日。とある妖怪とのスピード対決で文はあっけなく敗れ、その幻想は砕かれた。
スカイフィッシュというのは、棒状の体に膜状の鰭を持ち、それを波打たせることで超高速で飛び回る生物で、外の世界では様々な場所で見つかる。カメラに写り込んだ蝿などが原因のモーションブラー現象と説明され、その本来の姿が知られぬまま幻想郷にやってきたのである。
スカイフィッシュの正体は、体組織が電離気体で構成された、いわばプラズマ生命体だ。通常、物質は固体、液体、気体へと状態変化するが、特定の条件が揃った気体を更に加熱すると、物質はイオンと自由電子に分かれた状態となる。これがプラズマである。プラズマは気体よりもずっと軽く密度も低いので、それがスカイフィッシュの高速飛行を可能にしている。野生のスカイフィッシュは、空気中の自由電子を用いて同じく空気中の水分を電気分解、気体になる前のイオンの状態を維持して体内に取り込んだり、可視領域外の電磁波を食べたりして暮らす。その性質上、スカイフィッシュは地熱帯、即ち温泉の近くによく集まる。
素子もまた、妖怪の山の裏手の温泉地帯に住まう一介のスカイフィッシュに過ぎなかった。彼女はより磁場の強い場所を求めて、間欠泉から地下へ降りたという。そして元は地獄の一部だった地底都市『旧都』に巣食う妖怪達の妖気の影響を長期間受けて妖怪化、更に灼熱地獄跡の溶岩流が生み出す非常に強い磁場が、彼女の能力を覚醒させたのである。
磁場を操る程度の能力。その名の通りあらゆる物体に磁性を持たせて操る力だ。元々電磁場に左右される生物だった彼女がその内の磁場を操れるようになった結果、スカイフィッシュである彼女の飛行速度は爆発的な進化を遂げ、本来の姿に戻れば、秒速二三八〇メートル、つまりはマッハ七以上で飛び回ることができるのだ。
素子が文から幻想郷最速の座をいとも容易く掻っ攫ったその日から、彼女がスピード勝負を申し込まれることはない。
「ふーん、ふんふーん、ふんふんふーん、ふんふんふーん、ふーん、ふんふーん、ふんふーん、ふんふんふーん…」
鮮やかな青と白を基調としたお気に入りのセーラー服は、クリーニングに出して戻ってきたばかりで、素子は上機嫌だ。鼻歌を歌いながら、後ろ髪だけウェーブの掛かった長い黒髪をひらひらさせ、冬の晴れた空の下で優雅な空中散歩と洒落込んでいる。無論、たとえ今彼女がゆっくり飛んでいても、幻想郷の空に、
「ふんふー、…ん? んん??」
ふと、彼女は鼻歌を中断した。
宙に浮かんで上空を見上げる素子の遥か頭上に、何か大きくて邪悪そうなものが滑るようにやってくる。その影が素子の下に広がる林の木々の梢を這うように、ただし高速で進んだ。影は素子を追い越し、その主はやがて畑の上で旋廻しながら上昇し始める。
目を凝らすと、それは翼の生えた人だと分かった――勿論人間に翼は生えていないからこれは比喩的表現である。その上、‘それ’が持つ黒い翼は身体に不釣合いに見える程巨大だ。端から端まで十三メートルはあろう。腰からはオオタカのような尾羽まで生やし、周囲に異様な威圧感を放っている。
「…あ、ああ!」
あろうことか、素子はその飛行者のすぐ近くまで飛んでいき、声をかけた。
「小櫃さん! 今日も置き薬ですか?」
「素子か、悪いがこのままで頼むぞ。少し気流に乗って高度を稼ぐ」
巨大な翼の持ち主は、アームキャノンを装備し薬箱を小脇に抱えた小櫃であった。
小櫃はインフィニタスであるが、なかんずく異質な存在である。通常のインフィニタスが能力を一つしか持たないのに対し、小櫃はスキャニング以外にも『バイオロケーション』『バイオブースター』『バスター』の、合わせて四つの能力を取得しているのだ。スキャニング以外は全て後天的に得たものであることから、理論上インフィニタスが行き着くとされる境地『バイオプライム』に片足を突っ込んでいるとされる。
彼の飛行を可能にしているのが、バイオブースター。本来は、背中、踵、尾てい骨の辺りから高密度のバイオエナジーを噴出する反作用で飛ぶのだが、彼は噴き出したバイオエナジーを翼の形に形成し、滑空することもある。十分な揚力と推力を得るには翼面荷重(翼にかかる自重)を減らさねばならず、筋肉質故に体重八十キロ近い身体を浮かすにはこれだけの翼が必要だったのだ。
「しかしやはり不便なものだな」
「何がです?」
上昇気流を捉えて空を昇りつつぼやいた小櫃に、素子は即座に反応した。彼女の本領は実はスピードでなく頭脳面で発揮されることの方が多い。妖怪化する前から頻繁に人間の文化に触れ、外の世界の知識も豊富な素子は、幻想郷の技術者界隈では天才的ハッカーとして通っている。友人の困り事に、自分の能力で何か役立てはしないか、という心理的センサーが働いたのだ。すると小櫃は自分に呆れたような、尚且つ残念そうな顔をして愚痴った。
「俺は何時になっても理論に縛られたまま飛んでいる。お前のような妖怪が飛ぶ時は、どんなメカニズムかはともかく、‘飛べる’という‘概念’で飛んでいるのに」
彼の悩み、それは霊力を操る才能がこれっぽっちもないことだ。以前一度アームキャノンを八雲紫に没収され、彼女の式である八雲藍に稽古をつけさせられたが、全くと言っていい程霊力操作は上達しなかった。努力でどうにかなるレベルではない。彼は物理学にガチガチに固められた自分の飛行方法に不自由や息苦しさを感じ、霊力や妖力を用いた
素子は友人の話を聞いて、
「なんだそんなことですかぁ」
腹を抱えてくつくつと笑った。
「笑い事じゃないだろう。この点では、俺はまだ
小櫃は心底心外そうに口をへの字に曲げるが、素子は笑うのを止めない。さんざ肩を震わせた後で、笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を拭いながら、
「くっく、…だって、」
諭すような調子を含ませて言った。
「今のままで、十分じゃないですか」
酷く面食らったらしい小櫃に、素子は二、三拍空けて続ける。
「確かに小櫃さんは、普通の人間とは違うし、妖怪でもない、霊力も使えないイレギュラーかもしれません。でも貴方はもう十分適応していると思います。私やにとりみたいな友達はいるし、皆のヒーローだし、帰る場所もある。恋人までできちゃう。これでまだ適応してないなんて言わせません! 別に飛ぶやり方が違くたって、飛べてるんだからいいじゃないですか!」
幻想郷に来たばかりの小櫃は、幻想郷という新天地に適応しようと躍起になり、またいつどこで妖怪などの敵に襲われるかと常に神経を尖らせていた。その為どんなに落ち着いている風に見えても、実際は心に余裕がなく、誰かに守られている実感もないまま、心のどこかでいつも周囲を疑っていた。
だが今は違う。素子は、鈴仙の膝に頭を乗せて眠る小櫃の表情がどんなに安らかかを知っている。鈴仙は彼にとって、全てを委ね預けられる、大きな心の拠り所となっているのだ。彼女のお陰で小櫃には余裕が生まれ、冗談の一つも言わなかったのがある程度‘柔らかく’なり、他人への付き合い方も変わった。どんなに歪なピースでも、パズルの一部分にぴったりはまればいいのだ。
「…そうか、そうだな。ありがとう素子」
「えへへ、どういたしましてっ」
目を閉じたままの小櫃の穏やかな笑顔。礼を言われたこと以外にも、素子は小櫃のその表情に嬉しくなった。小櫃が目を閉じている、即ちバイオロケーション――断続的に放射するバイオエナジーの反射感知及び最大半径一キロメートル以上のバイオエナジーの
「ところで小櫃さん、まだ鈴仙さんと結婚しないんですか?」
「しなきゃ駄目なのか?」
「九年も付き合っていながらまだそんな調子ですか?! パーッと式挙げちゃいましょうよ! 私司会とかやりますから!!」
「あのなぁ、そういうのは…」
「この期に及んでまだ早いとか言わせませんよ!! 今年中に絶対結婚させます! 絶対に!」
「勘弁してくれないか…」
こういった会話ができるのも、適応の結果かもしれない。
どんな批判も受け付けます。
ちなみに、素子の鼻歌のふをらに置き換えると…?
わかる人はわかります。