運命を切り拓くだけの簡単なお仕事   作:白鷺 葵

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0-6.わだかまりの緩和剤になるだけの簡単なお仕事

2009.6/8 影時間

 タルタロス/エントランス

 

 

 

『エンプレスの弱点が変わりました! 斬撃が弱点になったようです!』

 

「わかった! ――順平、チカ、お願い!!」

 

「待ってましたァ! ――ヘルメス!!」「了解です! ――アーサー!!」

 

 

 風花のアナライズを聞いた陽向が指示を出す。それを受けた順平と千影が飛び出した。

 

 召喚機の引き金が引かれ、ガラスの割れるような音が響く。竹刀を構えた足元から、青い光が湧き上がる。

 順平が召喚した旅人の守護神――ヘルメスと、千影の騎士王――アーサーが姿を現した。2体は駆け出す2人と共に飛び出す!

 

 それに気づいたエンペラーが、エンプレスの盾になろうと前に出る。奴は斬撃・打撃・突攻撃の全てを無効化する力を持っていた。

 しかし、逆にその行動が仇となった。待ってました、と言わんばかりに少年――真田 明彦が召喚機の引き金を引く。現れたのはふたご星の片割れ・ポリデュークス。

 至も和服に身を包んだ者――ナルカミを呼び出し、明彦に視線を合わせる。そして、エンペラーに向き直った。

 

 

「ジオ!」「マハジオダイン!」

 

 

 ポリデュークスが雷を打ち放ち、現在の弱点属性であるそれをまともに喰らったエンペラーが怯む。

 その隙を突くような形で、ナルカミが凄まじい威力の雷撃を打ち放った! 背後にいたエンプレス共々巻き込むような形でだ。

 魔法を無効化するエンプレスにとって、それは痛くもかゆくもないだろう。

 

 しかし、自分の盾になってくれる存在がダウンしてしまったこと――それこそが痛手。

 

 ダウンしたエンペラーを押しのけるようにして、千影と順平が駆け抜ける。剣を構え、あるいは掲げて、2人が吠えた!

 

 

「「うぉぉぉぉぉおおおおおおお――ッ!」」

 

 

 2人の剣が、交差するようにエンプレスを切りつけた。彼らの攻撃に続くように、ヘルメスとアーサーが斬撃を繰り出す!

 ヘルメスのスラッシュとアーサーのツインスラッシュもまた、順平と千影の攻撃と同じように交差する。

 

 綺麗な十字傷を刻まれ、更にそれを一刀両断されたエンプレスは、悲鳴を上げながら消滅した。崩れ落ち、溶けるように消え去る。

 残されたエンペラーが体を起こす。まるで片割れを失ってしまったかのような哀しい咆哮が響いたが、奴はすぐに順平と千影に剣を向ける。

 空間が歪むような、奇異な感覚。それこそ、奴が弱点属性を変化させたことを示す合図だった。

 

 即座に風花がアナライズを行う。

 

 

『弱点が氷に変化しました!』

 

 

 至はちらりと美鶴に視線を送った。彼女も頷き返す。

 

 

「ペンテシレア、ブフ!」「ナルカミ、マハブフダイン!」

 

 

 召喚機の引き金が引かれ、アマゾンの女王――ペンテシレアが降り立つ。

 彼女の剣先から迸った冷気がエンペラーを穿ち、追い打ちとばかりにナルカミが吹雪を巻き起こした!

 

 皇帝の名を冠するシャドウは成す術なく吹雪に呑み込まれる。断末魔のように響く咆哮は、やがて少しづつ小さくなり――掻き消えた。

 

 吹雪が晴れ、そこにはもう何もいない。陽向たちはしばし警戒体制のまま周囲を見回していたが、もう敵がいなくなったことに安堵したのだろう。

 大きくため息をついて、その場に崩れ落ちるように膝をついた。武器をしまい、へたりこむ。

 

 と、どさりと何かが倒れこむ音がした。「風花!」――先程まで呆然としていた夏紀が慌てた様子で駆け寄り、必死になって声をかけている。

 どうやら初めてペルソナを召喚した事によるショックらしい。美鶴と明彦は顔を見合わせて何かを話し合っているようだった。

 至は控えるように佇むナルカミに視線を戻す。ナルカミは微笑ましそうに彼らのやり取りを見つめていた。そんなナルカミの様子に、至も思わず笑みをこぼす。

 

 

 

 

 

  ――影時間・終了――

 

 

 

 

 

 ――世界が、一変する。

 

 迷宮への入り口は、いつの間にか学校の下駄箱になっていた。なるほど、エントランスは昼夜同じ場所に相当するらしい。

 影時間が終わったのと同時に、夏紀がそのまま気を失ってしまう。存在しない時間帯に動いたことによるショック。美鶴と明彦の会話からそれを聞き取った。

 

 ふと振り返れば、泣きじゃくる陽向が千影の肩を揺すっている所だった。その様子を順平とゆかりが生暖かく見守っている。

 「チカのばかぁぁ! どれだけ心配したと思ってんのよー!」「すみません、ミイラ取りがミイラになってしまいました……」――ああ、我が家の日常だ。

 気を失ってしまった風花とは違い、千影は元気そうだった。若干やつれてはいるものの、普通に歩いたり言葉を交わしたりする余力はあったらしい。

 

 

「シャドウの巣窟に閉じ込められていながら、あの精神力……。文字通りタフだな。彼も戦力として引き入れるのか?」

 

「そ、それは……」

 

 

 きらきらと目を輝かせる明彦とは対照的に、美鶴はものすごく気まずそうに視線を彷徨わせる。それもそうか。美鶴は至のことを知っている。

 詳しくはないだろうが、南条主催の会合で顔を合わせているのだ。聡明な彼女なら容易に察するだろう。

 

 ついでに気づいたに違いない。千影と陽向の後見人が、一体“誰”であるかを。

 

 ナルカミが静かに至の心へ帰ってくる。この場から姿が解けるように消え去ったのを確認し、至は静かに前を向いた。明彦と美鶴の元へと歩み寄る。

 美鶴は明彦の質問を捌ききれないでいるようだった。明彦は千影が新しく放課後特別活動部に所属するものだとばかり思っている。

 ついでに、至も込みで参加すると思っているようだった。なんだか勝手に話が進んでいるように思うが、明彦は自覚していないのだろうか?

 

 

「久しぶり、美鶴ちゃん」

 

 

 至の声に、美鶴はびくりと肩をすくませて振り返る。

 明らかな焦りと怯えの色があった。何も知らない明彦が首をかしげる。

 

 

「美鶴、知り合いか?」

 

「い、いや、その……」

 

 

 彼女は言いよどむ。……そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。

 

 

「積もる話はあるだろうけど、今は場所を移そうか。後でじっくり話をしようぜ? ――お互いに」

 

 

 美鶴の表情が凍り付いた。それに続いて明彦が息をのんで肩をすくませる。

 青筋が立っているように見えるのはきっと気のせいだろう。至はそう結論付け、千影の無事を祝う2年生たちに声をかける。

 刹那、陽向と千影を覗いた面々が動きを止めた。まるで恐ろしいものを見てしまったかのように表情を引きつらせる。だからどうしたのだ。

 

 しかし結局、「ここにいると警備員さんに見つかってしまうから」という陽向の鶴の一声で、彼らは弾かれたように動き出す。

 疲れた体を半ば引きずるようにして帰路につく。彼らは皆、勝利の余韻に浸ろうにも浸れないと言ったような面持ちであった。

 

 ただ、千影の無事を喜ぶ陽向と、そんな陽向の様子に「自分は無事に帰って来たんだ」ということを噛みしめる千影の笑い声だけが響いていた。

 

 

 

 「彼は綺麗な笑みを浮かべていたが、目は一切笑っていなかった」――余談だが、後に桐条 美鶴はこう語っていたそうだ。もちろん、至の預かり知らぬところで、である。

 

 

 

 

 

 

【0-6.わだかまりの緩和剤になるだけの簡単なお仕事】

 

 

 

 

 

 

2009.6/11 夜

 巌戸台分寮/ラウンジ

 

 

 

 

 目の前にいる少女は、まるで死刑執行を待つ囚人のような眼差しをしていた。

 どこか躊躇いと怯え、そして諦めが滲んでいるように見える。

 

 ――気まずい。ただひたすら気まずい。そして沈黙が重い。

 

 仲介役的な意味で座っている理事長――幾月 修二は、どことなくハラハラした瞳で至と美鶴を交互に見つめていた。このおっさんはどれだけ役に立たないのだろう。

 先程から「場を和ませるため」という彼のダジャレは恐ろしい勢いですべりまくっていた。悪魔との交渉に失敗した時よりも気まずすぎる。命の危機ではないにしろ、だ。そもそもダジャレでどうにかしようとする自体おかしい。

 あまりの寒さとすべりっぷりに「もうアンタ喋るな」と釘を刺したことは、かえって逆効果だったのだろうか? 何せ、美鶴は何も語ろうとしないのだ。ただ沈痛な色を浮かべている。申し訳なさそうに視線をそらし、俯いていた。

 

 そんな彼女を見つめるのは至だけではない。放課後特別活動部に所属する2年生の少女・岳羽 ゆかりも、美鶴を厳しい目で睨んでいる。

 

 彼女は元々「父親のことを知る為」に、美鶴に接触したらしい。そして、そのまま放課後活動部に加わって戦ってきたと言うのだ。彼女の父親は研究者で、桐条グループで働いていたという。

 ゆかりもまた、10年前の“事故”で父・岳羽 詠一郎を失った被害者であった。おまけに彼は“爆発事故を引き起こした張本人”として、世間からの非難を浴びていたらしい。その噂が、残された母と子にどれ程の景況を与えたか――容易に想像できる。

 

 かねてから積み重なって来た疑念が、ここへきて一気に噴出したのだ。至や陽向が美鶴に疑念を抱いていたのと同じように。

 ゆかりはじっと美鶴を見ていた。どこまでも探るような、厳しい非難を宿して。彼女はただ一途に真実を追い求めている。

 順平と明彦は所在なさ気に視線を彷徨わせている。何をどうすればいいのかわからないと言った感じだ。彼らは力試し的な意味合いで戦っているからだろう。

 

 

(……みんなの目の前で話したのがマズかったか……)

 

 

 後悔後先に立たずとはこういうことだろう。至は内心、あちゃーと言いながら額を抑えていた。

 

 エンペラー&エンプレスとの戦闘終了後、至は半ば強引に美鶴たち放課後特別活動部に「何がどうしてこうなったか」を詳しく聞き出すと言う約束を取り付けたのだ。

 千影の検査入院も終わった(実際、風花と比べればはるかに元気だったから退院も早かった)ので、勇んで分寮の扉を開けたのが、今から数時間前の話である。そこから部長である美鶴に色々尋ねたのだが、彼女は頑なに話そうとしなかった。

 そんな美鶴の態度に業を煮やしたのがゆかりである。彼女は自らの経歴を話した後、火山が噴火せんばかりの勢いで詰め寄ったのだ。あまりの勢いに、周囲の人間はおろか至まで呆然としてしまった。そして広がる沈黙。――重いったらありゃしない。

 

 こんな時、ムードメーカーな面々がいたらどんな話をするだろうか。秀彦と正男・リサや栄吉らのことを思い返すが、なんだか違う気がしてならない。

 ならば空気を読める人々はどうだろう。圭やゆきの・達哉や克哉らのことを思い返したが、自分にはそれをやれるだけの能力がないと気づいて、やめた。

 

 自分なら何ができるだろう。至はううむと考え込む。言い出しっぺは自分なのだから、自分がこの空気をどうにかしなければならないだろう。至が言い出さなければ、ゆかりが疑念を爆発させることも、美鶴がここまで追い詰められることもなかったのだ。

 昔から、こういう厄介ごとが始まるのは至が原因だった。余計なことを言ったから、あるいは余計なことをやったから。自分たちがペルソナ能力に目覚めたのも、「雪の女王事件」が発生したのも、もとを正せば根源は至である。

 お前はどうして不用意に厄介ごとを持ってくるんだ――圭が言っていた事を思い出して苦笑した。もちろん心の中で、である。顔に出していたら出していたで大参事だ。これ以上居た堪れない空気になってしまったら、至も流石に困ってしまう。

 

 びりびりとした空気が肌を突く。緊張は最高潮だ。ついでに居た堪れなさも。

 

 美鶴は口を真一文字に結んだまま。その様子に、ゆかりはより一層眉間のしわを深くする。陽向と千影が顔を見合わせ、修羅場へと視線を戻した。そしてまた顔を見合わせる。

 順平と明彦は相変わらず所在なさ気に隅にいた。自分たちはお門違いなのでは、と、どこか不安そうに見えた。そして理事長も役に立たないままであった。

 

 途方に暮れかけたが、もう一度。この空気を打破する方法を考えてみる。なんでもいい、なんでもいいから話題を提供しなくては。

 必死に頭をひねり――ふと、思い至る。

 

 

「……岳羽さんはお父さんが大好きだったんだな」

 

「えっ!?」

 

「わかるよ。俺も、自分の父親が大好きだった。……事故で亡くなっちゃったけど」

 

 

 離婚してから3年足らず。唐突に現れた死神は、至の父親を連れて逝ってしまった。

 それを吐き出した瞬間、先程まで詰まっていた何かが、堰を切ってあふれ出し始める。

 

 

「大好きな人が原因不明の事故に巻き込まれたり、勝手に首謀者にされたら凄く嫌だ。何としてでも真実を突き止めたいって思う。俺だって、8年前のとある事件に首を突っ込んだ理由は“千影が巻き込まれた”からだったし」

 

「う。……すみません、至にいさん」

 

「いいよ。ちゃんと無事に帰って来てくれたんだから。――それに、お前が巻き込まれる原因作ったの、俺だしな」

 

 

 8年前、JOKER呪いが流行っていた時のことを思い出し、至は苦笑した。

 

 あの日――8年前、至が千影と陽向を連れて珠閒瑠市に赴いた時、到着早々JOKERに千影を誘拐されてしまったのだ。それを追いかけていくうちに達哉および舞耶らと出会い、謎のデジャビュに悩まされつつJOKERの行方を探し続けた結果、一連の事件に巻き込まれた。

 赤いライダースーツに身を包んだ茶髪の少年の後ろ姿を、至は一生忘れることは出来ないだろう。“彼”は罪を償い罰を受けた。――今、“彼”はどうしているのだろうか。平行世界の自分が命がけで守り抜いた希望を思い返し、目を細める。

 心の海で会えると“彼”は言った。あの一件が終わってから、至は一度も“彼”と言葉を交わせたことはない。けれど、心のどこかでは繋がっていると実感していた。目を閉じる。“彼”が苦笑している姿が見えた。がんばれ、至さん――そう、口が動く。

 

 

「……でも、自分の大事な人が“首謀者かもしれない”、あるいは“首謀者とつるんでいるかもしれない”ってなったら、それもそれで辛いと思う」

 

「「…………」」

 

「そんな真実なら、誰だって“見たくない”って思うんだ。知るのが怖いって、躊躇って当然だと思うんだ。――美鶴ちゃんも、お父さんのこと大好きだし」

 

 

 至の思わぬ発言に、美鶴とゆかりが驚いたように目を丸くする。

 その話題からそう転がってくるだなんて思わなかったのだろう。

 

 美鶴は父親の事を大切に想っていた。会合で顔を合わせる度、武治の背中に眼差しを向ける少女の姿を何度も見ていた。将来は父親を支えていきたいと語っていた。

 桐条側が必死になって隠そうとしていること、必死になって償おうとしていること――その全貌を知るには、美鶴はまだ幼い。その背に一族の業を背負うには重すぎた。

 彼女の実を案じる武治のことだ。少しでも、美鶴の負担を軽くしたいと考えるだろう。彼もまた、人の親だ。美鶴のことを大切に想う、立派な父親なのだ。

 

 そのためならば、どんなことでもやってのける。全てを偽って、命を賭けてでも成し遂げるだろう。それ程の危うさがあった。

 

 自分が知りうる限りのこと――特に美鶴の父・武治について話した後、至は大きく息を吐く。

 脳裏を駆けたのは、圭のことだ。8年前、彼はJOKER事件で難題に直面することになる。

 

 

「……少し毛色は違うけど、南条コンツェルン(あっち)のトップである南条くんも似たようなことで悩んでた。8年前の事なんだが、当時俺が追いかけてた事件の関係者がいたんだよ。別件で動いていた南条くんも、そいつが怪しい奴だって早いうちから睨んでたらしい。でも、そこには大きな問題があったんだ」

 

「問題?」

 

「南条くんのお父さんが、そいつに多額の政治献金してたんだよ。……ああ、事件の関係者は政財界での大物だったんでな。終いにゃあ、用途も何も聞かないで、奴に言われるがまま下水処理施設作っちゃったんだ。実際その施設は“要塞”として機能してた」

 

「さ、最悪じゃないスか……」

 

 

 最初に食いついたのは明彦で、至の言葉に続くような形で顔をしかめたのは順平だった。

 うん、と頷き、話を続ける。

 

 

「当時、南条くんは大学生だ。確かにハタチ過ぎてたけど、先代当主がまだまだ現役だった頃だからなぁ。……意見しようにも、周囲から見れば南条くんはまだ“子ども”同然の扱いだった。誰も、彼の話を聞いてくれそうになかったんだ」

 

「そんな……」

 

「あの時はもう吹っ切れた様子で『俺は俺の道を貫くだけだ』って言ってたけど、本当は凄く悩んだと思う。結論を出すまで、すっごく苦しんだと思う。下手すれば、自分のせいで南条コンツェルンが危なくなるかもしれなかったんだから。

 ……でも、南条くん、逃げなかったよ。最後までずっと、俺達に手を貸してくれた。……本当に、すっげぇカッコよかった」

 

 

 これを本人の目の前で言ったら、そっぽを向いて鼻を鳴らしていたか。その際、耳を真っ赤にしていたのが印象に残っている。彼は意外と照れ屋だった。

 後で英理子から聞いた話だが、「至がいてくれたから頑張れた」と言っていたらしい。面と向かって言ってくれればいいものを。

 顔を合わせれば皮肉しか言わないのに。なんて不器用で――でも、とても優しい男なのだろう。至は思わず笑みをこぼす。

 

 

「美鶴ちゃん。今の君は、この時の南条くんだ。何を言っても“子どもだから”と遠ざけられてしまう。……違うか?」

 

 

 問えば、美鶴はひゅっと息を飲んだ。しばし俯いたのち、悔しそうに頷く。彼女は大きく息を吐くと、「自分の立場ではわからないことが多い」と告白した。まるで懺悔をする罪人のような眼差しで。

 どうあがいても、桐条グループ全体から見れば美鶴はまだ“子ども”なのだ。故に、真相に近いと思われる機密事項には“ある程度”しか触れることを許されていない。至の話から「もっと大きな陰謀めいたもの」を感じたが、自分では踏み入れない領域のようだ、と。

 

 

「すまない、岳羽。私にもっと力があれば……」

 

「先輩……」

 

「いや、力がないだけじゃない。……本当は怖いんだ。もしかしたら――……父は、何か大きなことを隠しているのでは、と……」

 

 

 「でも、自分は父親を信じたい」――美鶴は震える声でそう紡いだ。

 その言葉に、ゆかりは弾かれたように目を見張る。

 

 ――そう、同じなのだ、この2人は。

 

 方向性や経歴が違えど、2人は父親の事が大好きで、父親の事を信じたいと願っている。大好きな父親は、何も悪い事をしていないのだと。

 自分が愛し、自分を愛してくれた優しい人なのだと。その姿こそが、正しい真実なのだと。揺るぎないものなのだと。

 今にも泣きだしてしまいそうなのに、美鶴は涙の幕すら見せなかった。その姿はとても痛々しい。おそらくゆかりもそう感じているのだろう。

 

 わかりました、とゆかりが頷く。先程までの鋭い視線はなく、彼女は少しだけ泣き笑いに近い表情を浮かべていた。

 美鶴の苦しみに触れたからこそだろう。父親を信じたいと願うその心同士、繋がったものがあったのかもしれない。

 

 

「……岳羽。私は必ず、必ず君に真実を話すと約束する。……その断片を私自身が掴むまで、待ってくれないだろうか……?」

 

 

 その懇願に、ゆかりは迷わず頷き返した。どこか悪戯っぽい笑みさえ浮かべて、「あまり遅かったら、あたしが先に掴んじゃいます。競争しますか?」と告げる。まるで茶化すような台詞に安堵したのだろう。美鶴がようやく笑ってくれた。

 

 修羅場一色だったラウンジに平穏が戻る。明彦がよかったな、と美鶴の肩を叩き、順平があーホントよかったーと肩の力を抜く。刹那、彼の腹の虫が盛大に鳴り出した。げ、と肩をすくめる順平に、仲間たちがどっと笑いだす。

 時間を見れば夜の8時を回っていた。どうあら2時間半以上も話し合っていたらしい。そういえば夕食はろくに食べてなかった。千影と陽向に視線を向ければ、2人は至の意図を読み取ったのだろう。大きく頷き冷蔵庫の中を漁り始めた。

 「簡単なものを作って食べよう」――そう提案すれば、子どもたちが嬉しそうに目を輝かせた。安心したのも相まって、一気に空腹と疲労がやって来たのだろう。盆と正月が一緒に来た気分だ。何か間違っている気がするが、実質的には何も間違っていないのが憎い所である。

 

 

「いやー、一時はどうなることかと思ったけど、よかったー」

 

 

 何とも場違いな声に視線を向ければ、そこには幾月がいた。ほっとしたように手を合わせている。

 そんな姿をしばし見つめた後、至は思わず彼にこう言った。

 

 

「理事長、アンタまだそこにいたの」

 

 

 

 

 

$$$

 

 

 

2009.6/12 夕方

 ポロニアンモール前

 

 

 

 

「先日は、その……ありがとうございました」

 

「大袈裟だってば! 俺は何もしてないよ」

 

 

 綺麗なお辞儀をする美鶴に、至はあわあわと首と手を振った。学生たちの視線がものすごく痛い。ひそひそ話までやっている。

 聞き間違いでなければ「生徒会長の婚約者候補」扱いされてる。ちょっと待ってくれと至は叫びたい気持ちに駆られた。自分はそこまでの器ではない。

 ていうか、婚約者候補って何だ。何人いるんだ。桐条グループ節操なさすぎるだろ――そう思ったけど、武治さんはそんなことしない。絶対やらない。

 

 自分は感謝される理由がないと言ったが、美鶴はまっすぐに至を見つめている。

 

 最後に会った時は至の胸より少し高い程度の身長しかなかったのに――いつの間にか、至の肩に彼女の頭が届くか届かないかになっていた。子どもの成長は早いものだ。

 そりゃそうだ。あれから3年近く経過しているのだ。何も変わらないと言う方がおかしいだろう。見ないうちに麗しい御令嬢に成長していたことに、ほんの少しだけ寂しさを覚える。

 

 なんだか一時帰国してきた正男と顔を合わせた気分だ。エルミン卒業後、正男はアメリカンドリームを掴みデビューを勝ち取ったらしく、テレビで大きく報道されていたのだ。

 長年の努力が実を結んだ結果だと至は思う。彼はなんやかんやで努力家だったから。……まぁ、片思いもあるんだろうけど。現在セラピストとして頑張る麻希の姿を思い浮かべる。

 トライアングルプラスα。あの恐怖の三角州の脇から、麻希に淡い恋を抱き続ける男――それが稲葉 正男、通称マークである。ああ、そういえばアメリカでの愛称もマークだったか。

 

 あるいは秀彦。スタイリストさんのおかげなのか本人の努力の結果なのか、奴は「今流行の芸能人!」として注目を集めている。とくにおしゃれに関してだ。

 僭越ながら、こっそり至も参考にしている。現在至が着ているジャンバーも、もとは秀彦が着ているものの色違いなのだ。

 

 

「……美鶴ちゃん、見ないうちに身長伸びたよな」

 

 

 脱線しかけた思考回路を引き戻す。

 

 至はしみじみと呟いた。それに反応して、美鶴が口をとがらせる。「あなたまで私を子ども扱いする」――不満げに彼女は至を見上げた。ああ、変わってない。

 どんなに成長しても、彼女の面影は何も変わらないのだ。必死になって背伸びしようとする、まだまだ幼い少女。周囲からの期待を受け、グループの跡取りとして努力を続けてきた女の子なのだ。

 

 その事実に思わず頬を緩ませる。ついつい癖で彼女の頭を撫でてしまったが、美鶴は大人しくされるがままになっていた。

 会合で顔を合わせるたびにこうだった。小さい子相手にするように、いつも至は彼女の頭を撫でた。最初の頃はそれで圭や美鶴に叱られたっけ。

 最終的には、「ああいつものことだね」と、誰も何も言わなくなった。――美鶴は変わらず抵抗していたけれど、素直にされるがままなことが多くなった気がする。

 

 「で、今日は何か用?」――至の問いかけに、美鶴は何か言いたげに口を開き、けれど言いにくそうに口ごもる。……一体どうしたのだろう?

 とりあえず、至は待ってみる。しばらく沈黙が続いたが、幾何かして美鶴がようやく言葉を紡いだ。

 

 

「少しだけ、時間をいただけないでしょうか? ……行きたい場所が、あるので」

 

 

 

 

 

$$$

 

 

 

 

 

同日 夕方

 巌戸台商店街/はがくれ

 

 

 

 

 ――そしてこうなった。

 

 至は微笑ましい気持ちで、ラーメンを食べる美鶴の姿を見つめる。御令嬢が初めて経験する庶民の味だ、興味深いに違いない。

 テーブルマナーを気にする時点で「あ、こりゃあ初体験だな」と踏んで正解だった。至は心の中でうんうん頷く。

 

 「ここが好きだと要から聞いたので。……先日のお礼がしたかった、というのもある」――至をはがくれに連れてきた美鶴は、照れくさそうに視線を彷徨わせながらそう言った。どうやら陽向から話を聞き出したらしい。

 運良く手に入れた無料券をなくした(実際は真次郎に譲った)という至の話を聞いていた陽向から情報を得た彼女は、至にラーメンをおごろうとしていたのである。しかし悲しいがな、美鶴は生まれも育ちもガチガチの御令嬢である。着いて早々、テーブルマナーについて詳しく聞かれる羽目になった。

 ラーメン屋のテーブルマナーなど、至が詳しく知るはずがない。下手に変なことを教えれば、間違いなく圭(のヤマオカさん)による、最近習得したばかりのメギドラオンが炸裂するだろう。あるいは武治に近距離射撃されておしまいか。どっちも嬉しくない。

 

 とりあえず「まずは力を抜いて、楽しみながら食事すること」、「麺が伸びる前に食べること」、「食べ終わったら『ごちそうさま』と言うこと」をマナーだと教えておいた。……間違っていたら本当にすまない。

 

 内心ハラハラする至を隣に、美鶴は興味深そうにラーメンを食べだした。

 懸命にラーメンをすする彼女を見守り始め、現在に至るのである。

 

 

「始めは、変わった味だと思ったが、相当に深い味わいだ……」

 

「そうだな。俺、ここのラーメン好きなんだよ」

 

「……貴方がそう言ってくれるなら、来た甲斐があった」

 

 

 美鶴がうれしそうに微笑む。そんな風に笑う彼女の様子に、思わず至も頬が緩んだ。彼女の様子に触発され、こちらも自分の分のラーメンをすする。

 とんこつラーメンをぺろりと平らげ、「ごちそうさま」と手を合わせた。美鶴はまだ悪戦苦闘しているようだ。彼女の様子をじっと見守る。

 ようやく彼女も食べ終えて、至の見よう見まねで「ごちそうさま」と手を合わせた。少しだけ不安そうであったので、大丈夫の意を込めて微笑み返す。

 

 しかし、本当の罠はここからだった。

 

 

「料理長」

 

 

 彼女は何を思ったのだろう。いきなりそう言って、店長を呼んだ。呼ばれた店長が首をかしげる。

 あ、やばい。――至がそう察した時には、何もかもが遅い。

 

 美鶴はきらきらと目を輝かせて、言葉を続ける。

 

 

「素晴らしい味だ。……こんな感動は久しぶりだな。ブイヨンには何を入れているんだ?」

 

(ぎゃああああああああああああああああああ!?)

 

 

 何度でも言おう。桐条 美鶴は、生まれも育ちもガチガチの御令嬢であった。サトミタダシのうたで洗脳されてしまう、南条 圭の遠い親戚であった。

 美鶴違う、それブイヨン使ってない! ――慌てて至が耳打ちするが、店主が「味は教えられない」と答える方が早かった。それを聞いた美鶴は少し残念そうに頷く。

 

 付け加えるように店主が「これでメシ食ってるんだから」と言えば、何を勘違いしたのだろう。ラーメンと一緒にご飯が出てくると言いだす始末。

 まぁ、関西方面ではご飯も一緒に出てくるから間違ってはいない。間違ってはいないが、もう何もかもがブリリアントに間違っている。マーベラスなくらいにオーマイゴットだ。自分が何を言ってるのか、至自身が理解できなくなってきた。

 店主が逃げるように厨房へ引っ込めば、「特許申請して使用料を」まで言いだした。普通誰もそんなこと思いつかないし、店長だって絶対首を縦に振らないだろう。お願い美鶴、帝王学より一般庶民の常識を学んでくれ! てか学ばせてあげて武治さぁぁぁん!!

 

 頭を抱える至の様子に気づいたのか、彼女はすまなさそうに謝罪した。まぁ、興味深いと言ってくれたからよしとしよう。

 

 

「……一度、こういうものを食べて見たかったんだ」

 

 

 何とか至が取り繕ったのを確認した後、美鶴はまるで悪戯を咎められた子どものように肩を落とす。いつの間にか自分が楽しむことに目的がすり替わっていたらしい。

 正直至も「自分がラーメンを食べる」よりも「美鶴がラーメンを食べている姿を見守る」のが目的になってしまったクチだ。人のことは言えない。

 

 大丈夫だと言いながら、至はうんうん頷いた。その様子に安堵したのか、美鶴がほっと息をつく。

 幼い頃からこういったものに手が届かなかった――当たり前だ。彼女は筋金入りのお嬢様である。こういう場所に慣れていなくてもおかしくない。

 自分の手が届かないものに憧れる。……それは、誰しもが持っている当然の感情だろう。憧憬は、決して悪い事ではないのだ。

 

 

「今日は来てよかった。……作法も教えてもらえたから」

 

「そっか。それじゃあ、機会があったらまた行こうか?」

 

「…………いいん、ですか?」

 

「うん。美鶴ちゃんと俺の都合が合えば、だけど」

 

 

 あ、俺と行くのって迷惑? ――至がそう尋ねれば、美鶴はぶんぶん首を振った。ぜひまた、と、畳み掛けるように即答する。

 その様子があまりにも必死だったので、ちょっと笑ってしまった。美鶴はきょとんと眼を瞬かせたが、どこか安堵したように微笑む。

 

 

「それじゃあ、帰ろうか」

 

「……そうだな。そうしようか……」

 

 

 美鶴はどこか名残惜しそうに頷いた。店主に代金を払い、店を出る。

 

 夕焼け空は藍色に滲み、一番星がちかりと光っている。もうすぐ夜の帳が下りてくるのだろう。

 至は美鶴を寮に送り届けるため、彼女を促して歩き始めた。

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