2009.6/20 夕方
巌戸台分寮/玄関
雪のように真っ白な体、まるで宝玉のようなルビーの瞳。目が赤くて体が白い動物は、アルビノと呼ばれる先天的な遺伝子疾患を持っている可能性が高い。
殆どの場合は視覚的な障害を負ったり、紫外線による皮膚の破損や皮膚がん発症の可能性が高いのだ。自然界に至っては、白い体は目立つため外敵からよく狙われる。
たまに白変種という種類と混同される場合もあるが、遺伝子疾患である前者とは対照的に、後者は正常な遺伝子情報により変化したものだ。
人間でもアルビノを発症するケースがある。この場合は先天性白皮症と呼ばれるが、これの説明は割愛しよう。
「お前はえらいねー」
陽向が慈しむような眼差しを向けて、真っ白な柴犬の頭を撫でていた。ゆかりや風花も、少し寂しそうにその雪色を見つめている。
独りぼっち故にわかる何かを感じているのだろうか。柴犬は陽向にされるがままにしている。互いの寂しさを半分こしようとしているみたいだ。
そういえば、商店街で「神社を守る白い犬」の話をしていた人を見かけた。たまに神社を通りかかると、白い犬が腰を下ろしている姿もあったか。
神主が事故で亡くなり、その人物の代わりに神社の見回りをやっている――オクトパシーの店員が「いい話でしょう?」と言っていたことを思い出す。
あれが件の「神社を守る白い犬」なのだろう。あまり関係ないが、最近本屋で似たようなフレーズの本を見かけた気がする。今度読んでみようか。
余計な思考はそれくらいにして、至は面々に声をかける。その犬はどうしたと訊けば、3人はつい先程おばさんから聞いたことを至に話してくれた。
どうやらこの白い犬――コロマル(漢字では虎狼丸と書くらしい。なんてカッコイイ名前なんだ!!)は、やはり件の「神社を守る白い犬」らしい。アルビノという遺伝子疾患を持つこの子に、元気に育ってほしいという願いを込めてそう名付けられたのだそうだ。
彼の飼い主は半年前、事故で急死している。どのような事故かは詳しく聞いていないのでわからないが、それ以後、コロマルはずっと神社に居座って動かないらしい。知り合いが引き取ろうとしたが無理だったみたい、と、ゆかりが付け加える。
「……そっかー。お前、カッコいいな」
至は屈んで、コロマルの頭を撫でる。大事なものを守ろうとする、誇り高き白銀の犬。まるで狛犬のようだ。
そんな至の思考が伝わったのか、コロマルは誇らしげに鼻を鳴らす。ルビーの瞳がきらきら輝き、ただまっすぐに向けられた。
どこまでも澄み渡った緋色を見返し、至は微笑む。答えるようにコロマルがひと鳴きし、うれしそうに頭を押し付けてきた。
生き方に、精一杯生きようとする姿勢に、その命に貴賤はないのだ。それを噛みしめながら、至はしばしコロマルの頭や背中を撫でる。
うんうん頷いていた刹那――不意に感じた違和感に、至は弾かれたように周囲を見回した。
かすかだが、ペルソナの気配がする。微弱な共鳴反応。出どころはどこだ!?
「い、至さん?」
「ちょっ、どうしたんですか?」
「にいさん、何かあった?」
風花・ゆかり・陽向が首をかしげるが、至はそんなの眼中になかった。
微弱な反応を深く探るため、目を閉じて集中する。その反応を追いかけるように視線を向け――そこにいたのは、誇り高き白銀の犬。
コロマルは「わふ?」と、きょとんとした様子で首をかしげた。ルビーの瞳がくりくりと動く。どうしたの? と言わんばかりに。
(…………犬!!?)
いやちょっとまてそんなバカな。羽生蛇ラーメン初見並みの衝撃が頭を駆け巡る。
人間がペルソナを使う現象なら何度も見ている。心の海がペルソナの生まれる場所なのだ。
そうなると、犬にだって心があるわけだから、理論上ありえないわけではない。いやしかし、でもだから。
コロマルは首をかしげ、ぱたぱた尻尾を振っている。その様子はとても愛らしい。愛らしいが、今はちょっとそういう問題ではない。
爆発寸前の思考回路とは裏腹に、至の行動はどこまでも冷静だった。携帯電話を取り出し、内蔵されているカメラで愛くるしい白銀の犬をパシャリ。
恐ろしい勢いでメールの文面を打ち終えた後、それを航と圭へ送信した。しかしそれだけでは終わらない。
至の手は、何故か勝手にメールの送受信履歴から周防 克哉を探し出した。そして、先程撮ったコロマルの写真を添付する。
『ペルソナ反応あり。ただし犬だ』――文面を打ち終え、送信。数秒で「送信されました」という表示が出た。
それから数拍おいて、至の携帯電話が反応する。メール受信、差出人は周防 克哉。
『何故、猫じゃないんだ……』
ご丁寧にショボン顔の顔文字がついたメールが返ってきた。脳内で響く「だから何だ」という突っ込みに、至は答える術を持っていない。
一連の動作と現象を確認し終えたた後、至は「猫派の人間がどう反応するか気になっただけだった」ことに気が付いた。
【1-3.6月20日イベントを全力で過ごすだけの簡単なお仕事】
同日 夜
巌戸台分寮/ラウンジ
「これまでのシャドウ4体は、現れた順に、カテゴリⅠ~Ⅳだとわかったんだよ!」
幾月が、どこかマッドサイエンティスト的に眼鏡を反射させながら力説する。
カテゴリって何だと首をかしげた順平に、千影が「シャドウの
その横で、風花がぽんと手を叩いた。回りくどく専門単語で覆われた彼の言葉を、彼女はばっさりと簡略化する。
「大きなシャドウは全部で12体いて、残りがあと8体ってことですね?」
「さすがは山岸くん! 飲み込みが早いんだから」
「……今まで倒した奴らの
「おお、さすがは南条ご当主が信頼する調査員だ!」
風花と幾月の会話に割り込むように質問すれば、幾月は声を上げて目を輝かせる。
「そうなんだよ! 今まで出現したアルカナを順に並べると、
……まぁ、タロットには2種類の並び順があるからね。場合によっては、
「旧来式とウェイト式ってことか。おっけーです」
「でも実際、シャドウって一体何がしたいんスかね?」
至がそう言って頷くのと入れ替わりに、先程まで千影にカテゴリのことを訪ねていた順平が再び首をかしげる。どこか腑に落ちなさそうだ。
幾月も「いい質問だね」と微笑する。が、彼の研究でも、シャドウの目的までは明かせなかったらしい。
シャドウは、獲物の精神だけを喰らう。それは確かに捕食であることは間違っていない。だが、それではまどろっこしいのだ。増殖するためなら、獲物を食べてしまえばいいのに。
奴らはどんな方向へ行きたいのだろうか。最後にどうなりたいのか、それは誰にもわからないという。今後の研究が期待されると幾月は締めくくる。
精神を食われたせいで、生きる屍同然になった人間――巌戸台式影人間を量産して何が楽しいのだろう。珠閒瑠式の“影人間”が増えても困るのだが。
至が小さくぼやいたそれに、幾月は「あー……それはそれで厄介なことになるなぁ」と遠い目をする。
珠閒瑠式“影人間”が世界中にあふれたら、彼らを救助できるのはペルソナ使いだけだ。いくら頑張っても限界がある。ペルソナ能力に開花する人間はわずかなのだ。
オーバーワークで倒れるか、逆に「絶望して珠閒瑠式“影人間”に仲間入り」する可能性もある。後者なんて目も当てられない。ミイラ取りがミイラになる以上の痛手だろう。
「……面白いですね」
明彦が不敵に笑う。――って、ちょっと待て。
「お前おかしいだろ! 珠閒瑠式“影人間”が全国規模で増える現象のどこが面白いんだ!? ただの地獄絵図じゃねーか!!」
「いやそっちじゃなくて! 俺が面白いと言ったのは、シャドウとの戦いのことです! ――……あ、だからと言って、貴方の言葉を忘れた訳では……」
明彦はあわあわした様子で視線を彷徨わせる。弁明しようと口を開き、しどろもどろに言葉を紡いでいた。
どうやら会話と発言のタイミングが悪かったらしい。一歩間違えれば、全国のペルソナ使いに喧嘩を売ったも同然な発言である。圭や玲司、ゆきのや優香あたりからブーイング(物理と精神的なもの)がきそうだ。
彼が戦いを楽しんでいる節があることは知っているし、彼自身もそれを自覚している。しかし、至との会話を忘れた訳ではないようだ。戦いを楽しむだけではいけないということを、今の明彦はちゃんと知っていた。
今できることに全力で取り込む――それが、迷いながらも明彦が見つけ出したスタンス。まだふらついてはいるものの、その眼差しは前を見据えている。
彼の発言に続くかのように、大きく頷いたのは美鶴だった。
濃い深緋色の瞳には、揺るぎなき意志が宿っている。そこには一切の妥協も迷いもない。
自分が何を成さねばならぬのか、彼女は幼い頃から知っていたのだろう。しかし、「成さねばならぬ」から気を張っていた。
ペルソナ能力者を“確実に”引き入れるために、情報管理を徹底していたのだと思う。それが裏目に出て、ギスギスした空気が流れてしまったようだが。
先の一件でどうにかゆかりと和解(?)できたのがきっかけで、崩壊寸前まで背伸びしていた美鶴が抱えていた危うさは、幾分か緩和されたように思う。
「……すべては、桐条が招いた災いだった」
ぽつぽつ、と。美鶴は、自分自身が知りうる桐条家の負の遺産――タルタロスと影時間が生まれた理由を話し始める。
先代当主・桐条鴻悦。晩年――10年前の彼は、どういう経緯か知らないものの、シャドウという存在に目を付けて研究を続けていたようだ。
最終的には、それが影時間とタルタロスの誕生、ひいてはシャドウが現実世界を徘徊することに繋がったのだという。
「私の権限では、その詳細に関する情報を得ることはできなかった」――美鶴は悔しそうにため息をつく。その姿は、どこか頼りなさ気に見えた。
シャドウの研究と一言で言っても、目指す場所によっては、アプローチや研究内容および方向性もガラリと変わる。研究者である航を弟に持つ至は、それを重々理解していた。
鴻悦が何を目指していたかさえ掴むことが出来れば、タルタロスや影時間を消すための研究方法を見つけられるかもしれない。
「今更君たちにこんなことを頼むのは、虫がいい話なのかもしれない。けれど、君たちにしか頼めないことなんだ。……頼む。私に、力を貸してくれないだろうか……?」
おずおずと、美鶴は不安そうに尋ねる。凛とした眼差しはそこにはなく、子どもらしい感情が揺れていた。
仲間たちは神妙な顔つきになって顔を見合わせたが、満面の笑みを浮かべて美鶴を見返す。
「当たり前じゃないですか、先輩!」「水臭いっスよ!」「本当に今更だな。当然だろう?」――彼らの瞳には、一切の迷いがない。
美鶴は驚いたように目をぱちくりさせる。仲間たちの発言を理解した後で、彼女はかすかに体を震わせた。口を真一文字に結んで面々を見返す。
今にも泣きそうだが、けれど泣くことはない。泣いてはいけないと言い聞かせているかのようで――でも、痛々しさは感じない。次の瞬間にはもう、口元が緩んでいたから。
たどたどしく紡がれた「ありがとう」の言葉を、きっと活動部の面々は忘れないだろう。
少しだけ、彼らは『仲間』として結びつけたのではなかろうか。面々の様子を見つめて、至はそんなことを考える。
ふと、セベク・スキャンダルで単身神取に挑もうとしていた玲司や、JOKER事件で戦っていた“彼”のことを思い出した。
たったひとり、ペルソナ使いとして一族の罪を贖うために戦っていた美鶴。
たったひとり、神取鷹久を仇として憎み、復讐をするためにセベクに乗り込もうとした玲司。
たったひとり、“罪”を償い“罰”を受けるため、世界を救うために戦い続けた“彼”。
3人は、たったひとりで事を成そうとしていた。孤独のまま、だれにも頼れず、頼らずに。
特に――“彼”は。
(…………苦い記憶だけど、それが今の俺を奮い立たせる記憶でもある)
最後の最後まで、“彼”は孤影のまま。もう二度と手が届かない場所へと“帰って”いった。至たちはその背中を、ただただ見ていることしかできなかった。
“彼”が残したこの世界を守ることが、自分たちにできることだと思っている。――相変わらず、方法は見つかっていないけれど。
「でも、今回の報告のおかげで、具体的な『終わり』が見えてきましたね」
「そうだね。いつまで続くのかなーって不安だったけど、これでまた頑張れそう!」
仲間たち同士の団結という余韻をそのままに、千影が明るい声で微笑む。陽向も同じ気持ちだったらしく、しきりに頷いていた。
残りのシャドウはあと8体。マジシャンやプリーステスのように1体づつ出現するのか、あるいは今回のエンペラー&エンプレスのようにコンビで出現するのか。
単体とコンビで出てくる奴らの法則性もわかれば、どんな敵が出てくるのかの検討が付きそうなものだ。最も、世の中はそんなにうまくできていないようだが。
法則性――ふと思い出す。つい数時間前、“奴”と交わした些細な会話を。
『
「……死神……」
そういえば、「タルタロス内部では、ごくまれに強力なシャドウが出現する」と陽向が言っていた。
確か、風花が加入する以前までアナライズ担当だった美鶴は、そのアルカナをそのまま呼称に使っていたという。
――死神タイプ、と。
至は実際目撃したわけではないのでよくわからない。わからないが、今までの雑魚シャドウのタイプは
しかし、実際には「タルタロス内部に出没する超強敵」として、
通常のシャドウのタイプには確かに存在しているのに、大型シャドウの属性には位置していないアルカナ――それが、“奴”の言う“13番目のアルカナ”・
それこそが“答え”だと、“奴”は言った。“満月に現れる影”についての。
満月の巨大シャドウ12体を倒し終えた先に残るアルカナが
「? 空本くん、どうかしたのかい?」――至の様子から何かを感じ取った幾月が首をかしげる。
「なぁ、タルタロス内部に出没する超強敵のアルカナって、
至の言葉に、ゆかりが弾かれたように「あっ」と声を上げた。
「大型シャドウは12体――
それについてはどうかと幾月に尋ねれば、彼はうーむと険しそうな顔をした。どうやらまだ、それについては研究中らしい。
色々話し合った後、「12体のシャドウを倒し終えても油断しないようにすること」で、仲間たちの考えは一致。今後とも、シャドウ討伐を頑張ろうということで会議は終了する。
決意を宿して頷く面々。その様子を見つめて、至は微笑んだ。いい顔をするようになったな、なんて思う。
――刹那、この場に響き渡ったのは腹の虫の大合唱だった。
出どころは何処だと視線を巡らせれば、理事長含んだ全員が気まずそうに視線を彷徨わせる。時計を見れば、話し合いを始めた時間から1時間半経過しているではないか。
そういや夕飯まだだった、と、面々は力ない苦笑を浮かべた。……当然か。寮についてからすぐ、この会議を始めたのだから。
「……じゃあ、今日は趣向を変えて、みんなでどっか外食しに行こうか!」
「わぁ、いいですねぇ!」
「さんせーい! じゃあ、どこで食べるか多数決を取りたいと思いまーす!!」
至の提案に千影が乗る。そんな自分たちの意見に賛成した陽向が、仲間達へと問いかけた。即座に面々が勢いよく手を挙げて、自分が贔屓にしている店の名前を挙げていく。
商店街の店を挙げる者もいれば、ポロニアンモールにできたばかりの高級レストランを挙げる者もいた。結局みんな、点でバラバラな方向を向いているらしい。挙句の果てには店のメニューについて熱い議論を繰り広げていた。
様々な意見が飛び交う。がっつり食べたいだの、テーブルマナーが厳しい店はちょっと困るだの、あそこの隠れメニューはどうだの、お値段がリーズナブルだの。互いが互いの情報を照らし合わせ、真剣に語り合っている。
まとめ役の陽向も、真摯な眼差しで仲間たちの意見を聞いていた。千影は庶務役として、挙げられた候補地について詳しくまとめている。
「でも、誰がお勘定するんスか?」「え? 大人2人じゃないの?」――うん? なんだか会話の雲行きが怪しくなってきたぞ? 主に金銭方面で。
幾月もなんとなくそれを察知したのだろう。そろりそろりと後ずさる。――……後ずさる?
「理事長さーん、どこに逃げるつもりですかー?」
「ギクッ! ……い、いやー、僕はお邪魔かなーと思ってねー」
「嫌だなぁ幾月さん。お邪魔なわけないじゃないですかー、みんなで一緒に食べましょうよー。勿論幾月さんも一緒ですよー」
「いやーいいよー。ここは空本くんがみんなと一緒に行けばいいんじゃないかなー? ほら、世代間の交流って大事ですからー」
「いやいやでもでも……」「いやいやまあまあ……」
逃がしてたまるか、貴様も道連れだ――その意を込めて、至は幾月の肩を掴み逃げ道を塞ぐ。
顔を真っ青にしながらも、幾月は逃げようともがいていた。一応口元には笑みが浮かんでいるものの、端がかなり引きつっている。
きっともし、子どもたちがこの光景に気づいていたら「なにあれ大人げない」と一蹴していただろう。
しかし、子どもたちは絶賛議論中だ。醜い争いを続ける理事長と調査員のやり取りなど、文字通り「アウトオブ眼中」である。気にも留めてないし、そのまま議論は続行中。
そして何より、財布役に認定されかけつつある大人2名にとってこれは死活問題だ。やっていることがアレでも、自分たちは文字通り真面目に考えているつもりである。
「「はははははは」」
男2人の引きつった笑い声が、どこの店で夕食を食べるかの議論をする寮生たちの熱い議論にかき消され――飲み込まれていった。
――余談だが。
ポロニアンモールの有名なレストランで、月光館学園の学生たちと思しきグループが、楽しそうに外食をしていたそうだ。
その際、眼鏡をかけたスーツ姿の男性と左耳に星のイヤリングをつけ黒いジャンパーを着た男性が、るーるー男泣きをしながらお会計を払ったという。