2-1.壁にぶち当たる寸前まで、騒がしくもセンチメンタルに過ごすだけの簡単なお仕事
2009.7/8 昼間
巌戸台分寮/ラウンジ
『昨日、白河通りのホテルで爆発騒ぎが発生しました。しかし、不可解なことに、誰一人として爆発した瞬間の目撃者がいないという……』
(いやあああああああああピンポイント!!)
至は即座にテレビを消した。心当たりがありすぎて、どう取り繕えばいいのかわからないレベルである。
影時間で器物破損をするとこんな感じになるらしい。この補正を喜べばいいのか、悲しめばいいのか。
これなら、復讐サイトの事件が「目撃者不在」のため、有耶無耶にされてしまうのも頷ける。大半の警察関係者は、至たちが関わっているだなんて微塵も思っていないだろう。
一部そうでない者――周防兄弟と舞耶・マンサーチャーコンビ・圭が、「事件を知った。お前が関わってるんだろう?」と、今朝電話をかけてきた――もいるが。察知できるのは適性者だけであろう。
……そういえば、帰りにペルソナの共鳴反応を覚えた気がする。その反応はすぐに消え失せてしまったが、気のせいではなかったようだ。今朝かかってきた達哉の電話で、達哉もペルソナの共鳴反応を察知したと言う。
『説教するって言って突っ込んでいきかけた舞耶姉を止めるのが大変だった……』
彼女が放った共鳴反応に恐れをなしたためか、ペルソナ使いの反応はすぐに消えてしまったらしい。
……それもそうか。舞耶はJOKER事件で至と一緒に駆け回った、歴戦の勇者である。悪魔やジョーカーを相手にして戦ってきたペルソナ使い。フィレモンが認めた存在の1人だ。
まぁ、彼女や達哉たちに対して執着している様子はないが。フィレモン曰く、至は「特別な例外」らしい。理由は一切わからないのだ。解せぬ。
奴とは「コインの表裏」の関係である“這い寄る混沌”も、おそらくは似たような理由で至にご執心なのであろう。正直、とても迷惑だから勘弁してほしい。
決して奴らは変わらないとは知っている。至が生まれる前も、その後も、おそらくは死んだ後だって、きっと奴らはあの調子で至に執着し続けるのだ。
特に、死んだ神取の魂を噂の力で復活させ、傀儡にしていた“奴”なら――きっと、至の魂で「遊ぶ」ことなど「赤子の手をひねる」程度のことだろう。そして、“奴”と表裏一体の存在であるフィレモンにだって、似たようなことはできるはずだ。
だからといって、奴らのために動くつもりも、大人しく玩具になってやるつもりもないが。
脳内で不敵に笑う普遍的無意識どもに舌を突きだしながら、至はざっと目を通していた新聞をたたんだ。
「さーて、今日はどうしようかな」
“寮母”という役職の仮面を外し、どの仮面を被るかを思案する。
次に被るべきは“対怪異調査員・空本 至”の仮面か、あるいは“巌戸台の市民・空本 至”の仮面か。ふむ、と、少しだけ考え込む。
そんな自分の気分を察知しているかのように、真夏の空は澄み渡っていた。もうすぐ、陽向たち学生陣には「夏休み」という大イベントが近づきつつある。
『あー……テスト嫌だー……』
『シャドウ討伐後にすぐテストだもん。どうにかなんないかなー……』
『そうだね。今のうちに、きちんと勉強しておかないと』
『特に、順平は気を付けなよ? 中間テストの順位張り出されたの見たけど、あそこまでなると確実に補修圏内だって』
『やめろぉぉ言うな陽向ッチィィィィ!! 思い出すだけで頭痛いってのー!』
……訂正。もうすぐ、陽向たちには「期末テスト」という大イベントが近づきつつある。
一応各々が勉学に励んでいるが、中には振るわない者もいるようだ。勿論、その筆頭が順平である。
陽向曰く、順平は「中間テストで見事な程の成績不振を叩き出した」という。きっと教師陣の目はぎらぎらと光っているだろう。
一応、シャドウ討伐後は勉学に励むと言う方向で一致した。そうでなければ、面々は後に地獄を見る羽目になるであろうから。主に学業面で。
エルミン在学時代はよくファミレスや放課後の教室で勉強会をやった。セベク・スキャンダルを駆け抜けた仲間たちと、互いの得意・苦手科目を教え合ったりしていたっけ。
教える方も教えられる方も、なんやかんやで真剣だった。「人に教えるというのは、教える側がしっかり理解してないとできないんだね」――当時、教師志望だったゆきのが噛みしめるようにして呟いていたことを思い出す。
あの事件以後、自分たちは前にも増して積極的につるむようになったと思う。勉強会を開いたり、カラオケやゲーム大会をやってみたり。
高校を卒業して大学生になっても、あの面々以外(達哉一行は例外だ)の友人知人に対しては、どうしても深く付き合えなかった。
やはり「一緒になって世界を救った」という大きな絆があったから、なのだと思う。至はふむ、と考え込んだ。
「……2年生組に、『勉強会やらないか』って誘ってみようかな」
一応、至はアルバイトで塾の講師をやっていたことがある。少しばかりは力になれるかもしれない。
そうと決まれば、早速本屋に出向いて参考書を読み漁るとしよう。今日の目的地は本屋に決まりだ。
【2-1.壁にぶち当たる寸前まで、騒がしくもセンチメンタルに過ごすだけの簡単なお仕事】
同日 夜
巌戸台分寮/2階
さらさら、さらさら。シャープペンが紙の上を滑るなめらかな音が響く。綴られていくのは言葉、あるいは計算式。
うんうん唸る声と回答解説の声が交互に空間を揺らす。互いの苦手教科を互いが教え合う様子は、いつかの日々を思い起こさせた。
「順平、そこ計算間違ってるよ」
「えっ!? そうなの!?」
「4段目の部分。3段目までは正解だからね。えーと、この場合はこれをこうして……」
陽向は順平に数学を教えている。中間テストで成績下位に堂々殿堂入りした彼は、いろんな意味で未来が危ない状況下にあった。
去年も大体どんじりの成績だったようで、「これ以上成績が下がったら親を呼ぶ」とも言われたそうだ。ものすごく気まずそうにしていたか。
そんなことを考えながら、至は2人の様子を覗き込む。陽向はペンを止めることなく解説を書き出し、それを参考にしながら順平が続く。
「……これでいいのか?」――解き終えて、おずおずと言った調子で順平は陽向に尋ねる。陽向は解説書と睨めっこした後、満面の笑みを浮かべて赤ペンで丸を付けた。
それを見た順平はおお! と声を上げて手を叩く。正解した喜びに浸る彼だが、陽向は甘くなかった。余韻が冷める間も与えず、陽向は例題を紙にさらさら書きつける。
今度は自力でやってみろ、ということだ。最初順平はげ、と嫌そうな顔をした。が、おだてれば何とやらだって木を登る。
「順平ならできるだろ。気負う必要ないし、やり方は見ながらでもいいからな」
「頑張れ順平! 1回できたんだから、次だっていけるよ!」
「先程のやり方と同じようにやってみましょう。ファイトです」
「……うし、なんか俺イケちゃう気がする! やぁぁぁぁぁるぅぅぅぅぅぅぞぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!」
至、陽向、千影の言葉を受けた順平は、大きく咆哮して問題群に挑む。手を動かしては止め、唸り、再び手を動かす。
それを横目に、次はゆかりと風花に勉強を教えていく。こちらは社会と古典だ。
辞書や参考書を片手に、面々は会話を重ねていく。その間にも、ペンを走らせる速度は変わらない。さらさら、さらさら、心地よい音が響いた。
間に紛れるのは呻き声か、あるいは考え込む際の吐息。誰もかれもが真剣な眼差しで、試験範囲の問題達と対峙している。
時計の針がカチカチと音を立てていた。勉強会を始めてから、時計の針は2周半を回る。もうすぐ夜も更けてくるころだ。
そろそろ寝る時間かなと思った時、順平が大きく背伸びしてシャープペンを置いた。やり遂げたような、疲れ切った表情。
「やっと終わったー」と、間の抜けた彼の声が響く。陽向が早速採点に入る。
さらさら、さらさら。赤いボールペンは、丸やペケを描いていく。順平の表情は硬い。
「……10問中、7問正解! やったよ順平!」
「おおー、いい所までいったじゃん!」
「平均正答率を上回りましたね!」
「すごいすごい! 順平くん、大躍進だよ!」
「やった! さっすが俺ェ!!」
まれに見る高成績らしい。2年生組から凄まじい勢いで褒めちぎられ、順平はガッツポーズをとった。
基本問題10問でそこまで褒めちぎられるとは、逆に前回のテスト結果が気になってしまう。
おそらくそれは順平にとっての“地雷”だろう。なんだか居た堪れないので、黙っていることにした。
もう少し先をやってみようか、とノリ出した順平に、至はひょいと時計を指さす。時刻は21時。そろそろ寝た方がいい時間だ。
「知ってるか? ちゃんと睡眠取らないと記憶力下がるんだぞ」
人間は、眠ることによって知識を整理・記憶していく。睡眠時間を削るということは、知識の積み重ねを阻害することになるのだ。
それだけではない。睡眠時間が減るということは、そのまま明日の体調に影響すると言う意味を持つ。体調回復、コンディションを整えるためにも、睡眠は重要だ。
入試直前で体調を崩して泣きを見た――そんな会話、エルミン時代にちょくちょく聞いたことがある。
勿論、至やその仲間たちはヘマしなかった。……一歩間違ったら危ない出来事なら、至は何度も経験したが。言わずもがな、主な原因は麻希と英理子である。
思い出すのは大学入試1週間前。結果的に「真冬の川に突き落とされかけた」(本人たちに「その気がなかった」のが怖い)ことが脳裏にまざまざと浮かんだ。
あの恐怖はいつまでたっても色あせない。そして、男性陣+タダシ&たまきらに助けられた際の感動もだ。
「……至さん、大変だったんスね」
「えっ?」
どうやら言葉にしてしまっていたらしい。順平が、「労わりたいのに労われない」とでも言いたげな、微妙な表情で手を右往左往させていた。
他の面々も同様である。「あー……」と、何とも言えなさそうな声を漏らしていた。そこまで露骨に困惑されても困るのだが。
嫌な空気がこの場を満たして数分後。「そろそろおいとましようか」と漏らした至の言葉に従い、面々は勉強道具を片づけ始める。
期末試験まであと6日。ここでどれ程知識を蓄えられるか、あるいは持ちうる知識の質を上げられるか。
所詮は付け焼刃と笑うだろう。けれど、足掻いた人間には、足掻いたなりの見返りが来る。少しでも良い結果が残るなら、足掻いた方がいいに決まってる、と至は思うのだ。
……まぁ、足掻き方にも“効果的な足掻き方”と“無意味に等しい足掻き方”というのもあるけれど。必ずいい結果が出るとも限らないわけだ。
それでもできる限りのことはしたい。やっておきたい。最後の最後に後悔しか待ち受けていないと言うのなら、特に。
思い浮かんだのは少年の背中。普遍的無意識どもの実験に使われ、たった1人で世界の滅びに立ち向かおうと奔走していた「向こう」の少年。
自分は何もできなかった。ただ茫然と、“彼”が消え去るのを見つめることしかできなかった。それしか道がないのだと、どこかで諦めたが故に、何もしなかった。
それを今、とても後悔してる。出来ることは沢山あったのではないか、と。
もっと“彼”の話を聞いてやればよかった。もっと“彼”に話かけてやればよかった。もっと、もっと――。
(……今更遅いってことは、わかってるんだけどなぁ)
考え始めたらキリがない。
至は思考を打ち切ると、就寝の準備に入る仲間たちの背中を見送る。
そして、自分の部屋に戻るために足を進めた。
$$$
2009.7/11 昼間⇒夕方
至の自室⇒巌戸台分寮付近
こちらのPCを起動させるのは久しぶりだ、と至は思う。
どこでどんな事態が待ち受けているかわからない――その観点から、至は複数のPCを所持している。重要な情報は全てこちらのPCにまとめ、弟の航や上司兼友人の圭にメールで送っていた。
一応、寮に持ち込んでいるノートPCにも2人からメールが来るが、重要度が高いものはこちらに送信しているのだ。それを知らせるメールが届いたので、至は久々に圭から斡旋された自宅へと舞い戻って来ていた。
『重大な情報が入ったんだ。影時間をなくす方法についての話だから、今晩必ず寮に来てほしい』
(言われなくとも、最初から今晩は寮で過ごすつもりだっての。勉強会だってあるんだから)
今朝、幾月から届いた連絡を思い出してため息をつく。この家に行く、とは言ったが、だからといって今日丸一日不在にするつもりはない。
情報整理を終えて、向こうへの連絡を終えたら帰宅するつもりでいる。報告すべき内容は多々あったが、この時のためにちまちまと情報整理をしていたのだ。
人工島計画書文に記されていた内容、この前のシャドウの行動パターン、先の幾月が言っていた内容を今後まとめる旨。それらをまとめ上げていく。
圭や航から届いたメールに記載された資料を見比べつつ、情報を整理整頓。情報の種類によってメールと件名を変えながら、至はぱたぱたとせわしなくキーを叩いた。
2人から送られてきたそれらには、色々と気になる情報が載っている。どれもこれも、今後の自分たちに関わって来そうな内容ばかりだ。
例えば、コロマルのペルソナ反応について。あれはどうやら気のせいではなかったようだ。ちなみに、アルカナタイプは剛毅だったという。
写真からではペルソナの姿や名称は判別できなかったが、どうやら彼(この敬称略でいいのか不明だ)は相当のペルソナ使いらしい。能力に目覚めて3ヶ月弱だ、とは航の話である。
そういえば彼の飼い主が亡くなったのは、6月の時点で2ヵ月ほど前――つまり、現在から計算すれば3ヶ月ほど前のことだ。時期的にも一致している。
『おそらく、飼い主の死がペルソナ能力開花への引き金だったと思われる』――航と圭の見解はそうだ。
「……飼い主さんが亡くなった時、何かあったのかな?」
おそらく、影時間やシャドウに関わるような出来事が。
事故当時、コロマルはどこで何をしていたのだろう。飼い主が亡くなった現場にいたのだろうか?
「それに……」
まとめるべき点は他にもある。
人工島計画書文に記載されていたシャドウ絡みの情報だが、元々シャドウは現実世界に形をとどめて存在することができなかったようだ。
それが、とある方法によって実体を保ち続けることが可能になったという。その方法に関する資料は、残念ながら入手した分には記されていなかったが。
ただ――実体化させるためのプロセス構築として、JOKER事件で出てきた“穢れ”の収集法が例として記されていた。
まさか、とは思うが、シャドウのルーツはあの“穢れ”――JOKERと関連しているのではないだろうか。
人の悪感情から生み出された存在・JOKERは、人間たちの悪感情・あるいは負の感情を糧にして成長していく。その結果が、あのJOKER使いの強さだ。
誰かに憑依する度に成長し、姿を変えていく。そういえば、遠目から見かけるシャドウの様子は“穢れ”と同じだった。
黒いゲル状の身体に、不気味に光る赤い瞳。人が近くを通りかかると、ゲル状の塊は姿を変えて襲い掛かってくる。
大きさは、どうやら出現シャドウの数に左右されているらしい。あとはそのシャドウの強さか。どちらかというと「質より量」らしいが。
『巌戸台では、この10年間で未解決事件や事故が増えたと聞く。……おそらく、影時間やペルソナが絡んだものだ』
『書類上解決扱いされている事件や事故でも、一部の人間が奇妙な証言をしていたらしい。多分、彼らは影時間への適性があったからだと思う。……“誰からも取り合ってもらえなくて泣き寝入りした”というケースが圧倒的みたいだけど』
そういえば、周防兄弟はそんなことを言っていた。奇妙な証言といえば、至には思い当たる節がある。
『突然空が緑色になったと思ったら、車が止まっちゃったの。そしたら、黒くて大きな死神と金髪の女の人が……』
『パパとママが、パパとママが……うわぁぁぁぁあああん!!』
泣きながら、陽向はそう言っていたのだ。――至が彼女を引き取った頃、彼女はしょっちゅう事故直後の夢を見ていた。
陽向の証言はいつもそこで途切れてしまう。思い出したくないのだろう。誰だって、人が死ぬ現場など思い出したくないに決まっている。
「……巌戸台の事件なら、たっちゃんかっちゃんよりも黒沢さんが知ってそうだよな」
でも、おそらく一般人には何も教えてくれないだろう。あの仕事は守秘義務によって成り立っている。下手すれば、バレたら懲戒免職モノだ。
ぶっちゃけ何度も、至は達哉や克哉に危険な橋を渡らせたことがあった。その分、至も2人のために危険な橋を渡ったことがある。もちろん何度もだ。
互いが互いを信頼していたからこそ、至は危険な橋を渡ることに躊躇いなどなかったし、周防兄弟もそうだった。あの戦いで結ばれた絆と信頼は揺るがない。
だが、いくら協力者と言えど、黒沢巡査を頼るのは気が引ける。断じて第一印象が「規定に厳しそうなカタブツ」だったからではない。
断じて、「噂を流し、一般の店で武器を買ってた」と零したせいで2時間ほど取調べされる羽目になったからではないのだ。それとこれは無関係である。
むしろ、話せば聞いてくれそうな気がしないでもない。
警察官のくせして高校生に武器の横流しをしている位だ。多分、事情をきちんと説明すれば当時の事件調査記録を見せてくれそうな気がする。
おそらく影時間絡みは隠ぺいされているだろう。目撃者証言だって、「妄言だ」と切り捨てて書類に記載していないかもしれない。
黒沢が、ではない。事件の担当者たちがだ。実際、そうやって記載されなかったことがあるのを至は知っている。
(来週、黒沢さんに当たってみるか。……別件での取り調べ覚悟で)
よし、圭にちょっと協力依頼しておこう。変な方向で取り調べされそうになった際のフォローを。
……うん、なんかしょっぱい気がする。圭の眉間に皺が増えた光景を幻視した。
「――よし、こんなもんかな」
まとめた情報をメールに添付し、2人へ送信。これで、この部屋でやるべきことは終了だ。
至はんー、と言って背伸びする。外を見れば、遠くが赤く燃えていた。もう夕方になっていたらしい。
何かに夢中になると、時間の経過が早くなるものだ。ここに来たときはまだ真昼だったのに。
手に入れた情報類を印刷してファイリング。ついでに、別のUSBに保存する。保存したデータは、そのまま至のバックの中に入った。貴重品管理は徹底的に、だ。
軽く部屋を掃除し、しっかりと戸締りを確認する。セキュリティはしっかりしているし、大丈夫だ。念入りに確認しなおし、至は玄関へと歩み出す。
扉を開けて、締めて、鍵をかけて。幾月からの報告内容次第ではここに戻ってくる可能性もあるが――まぁ、しばしお別れだろう。うん、と至は頷いた。
夏真っ盛りの太陽は、少しだけ目に痛い。これから自分たちが対峙するであろう戦いにも、こうして目を覆いたくなる真実がごろごろ転がっているんだろうか。
分寮と本寮に近い位置にあるこの家故か、ぼちぼち帰宅を急ぐ生徒たちの姿を見かける。小学生、中学生、高校生――みな、月光館学園の制服を着ていた。
時折、それに紛れて七姉妹学園の制服や聖エルミン学園の制服を着た生徒が歩く。時間も時間だから当然だろうな、と至は思った。
「――至にいさん!」
聞こえた声に顔を上げれば、陽向が帰ってきたところだった。今日は誰かと一緒に帰ってきたわけではないらしい。
ぱたぱたと駆け寄ってきた彼女は、楽しそうに今日の出来事を報告する。今日は、家出を決行した友達の女の子を探すため、駆け回っていたらしい。
離婚寸前の両親。そのやり取りに酷く心を痛めていた少女――その話を聞いて、至は少しだけ懐かしさを覚える。至の両親も離婚していたからだ。
ただし、その理由は言葉にして表せるような、簡単なものではない。強いて言うなら――「愛し合っているが故に、その手を離さねばならなかった」ことくらいか。互いが互いを守るために下された決断なのだそうだ。
離婚寸前の両親は、いつもいつも泣いていた。離れたくない、一緒にいたい、でも逃げられない――そんなことをよく口走っていた気がする。2人は互いを疎む連中の手によって、引き裂かれた。
どうやら、奴らはいろいろやらかしてくれたらしい。健在だった頃の祖父母は、明らかにそう推察できるような発言をしていた。証拠も全て隠ぺいされ、無理矢理まとめられてしまったのだという。勿論、未だに真実は闇の中だ。
残ったのは――“両親は愛し合いながらも引き裂かれ、それでも互いを想いつづけた”という、ささやかすぎる真実。
それでも、至と航には充分だった。憎み合って、いがみ合って別れた訳ではないのだから。自分たちは、2人の愛の結晶なのだと。
至は左耳のイヤリングに触れる。父が大切に持っていた、母の私物。いつも、父は左耳にイヤリングを付けていた。愛する人を想うかのように。
「この一件で、少しは舞子ちゃんの気持ちをわかってくれればいいんだけどな。仲直りするにしても、別れるにしても。……舞子ちゃんは、彼女の両親が思う以上に大人だから、ちゃんと向き合えるよ」
「……そっか」
ああそうか。件の少女――舞子の両親は、至の祖父母と同じ気持ちなのだ。
子どもには理解できない、わからない。背負うにも、受け入れるにも、とても苦しいことなのだ。庇護対象には傷ついてほしくない――それは当然のことだろう。
そんな祖父母の態度が、至は好きではなかった。子どもだからという理由で、のけ者にされているような気がした。知りたいのに、知らなきゃいけないことだというのに。
理由を説明しろと2人に挑みかかり、泣きわめき、頭を下げて、ようやく至は両親の真実を話してもらえたのである。その道のりの長さと言ったら! 思い出すだけで気が遠くなった。
舞子は、至だ。あの日、のけ者にされた憤りを抱え続けた自分自身。
爆発の仕方も違うけれど、その根底にあったものはきっと同じ。
そんなことを考えている間に、巌戸台分寮が見えてきた。仲間達も続々と帰宅しているらしく、こちらに気づいた千影が大きく手を振る。彼に答えるようにして、至と陽向は駆け出した。