2009.7/20 昼
屋久島/浜辺
自分たちは、桐条 武治に真実を聞き出すためにここに来た。
それと並行して、屋久島の自然を体感しながら、ゆっくり羽を伸ばすはずだったのだ。
――なのに何故、こんなにも動きづらい状況になってしまったのか。
両肩をがっちりと掴まれた状態で、至は立ち尽くしていた。経験則がけたたましく警報を鳴らしていると言うのに、一歩も動くことが出来なかった。……いや、肩だけでなく“存在そのもの”を鷲掴みにされたような状態だと言った方が正しい。
至の肩を掴んでいる女性たちは笑っていた。しかし目は完全に笑っていない。むしろ、獲物に食らいつく寸前の目をしている。鷹や鷲、あるいは虎や豹を連想させる眼差し。彼女たちの背中には、彼女たちの所持する最強アルカナのペルソナが半具現化していた。
片や
「……なんでお前らここにいんの?」
「「仕事です♪」」
(嘘だ! 明らかに嘘だ!!)
怖いほどに清々しい笑みを浮かべる女2人――桐島 英理子と園村 麻希。
両名とも、聖エルミン時代からの級友だ。雪の女王事件及びセベク・スキャンダルを一緒に駆け抜けた、頼れる仲間。そして――至の双子の弟・藤堂 航に想いを寄せる者たちである。
彼女たちの執着心はとても強い。航が遠出をしようものなら、ありとあらゆる手を使って“偶然”その場所で出くわす程だ。明らかに影で細工していることはバレバレだし、マネージャーが泣きついてくることもあった。……至には、どうしようもできなかったのだが。
ついでに「航が振り向いてくれない」という麻希と英理子の悲痛な悩みにも答えようがない。航のすっとぼけた朴念仁っぷりは、昔から変わらなかったのだ。三つ子の魂百まで、きっと奴は永遠にあのままだろう。アプローチ法を変える以外なさそうだと至は思う。
現に今、目の前にいる航はきょとんと首をかしげている。
この状況の意味に、まったく気づいていない。
「どうした麻希、背中にジャックフロストなんて背負って。英理子も、なんでジャックランタンを背負ってるんだ」
(お前の眼は節穴か!!)
至は盛大に突っ込みを入れた。勿論、声には出していない。心の中でである。
もし音に出していたら、即座にスクルドとウォフマナフが牙を剥くだろう。
どこをどう見たら、奴らが背負っているペルソナが
少なくとも、あの可愛い雪の妖精やハロウィンのカボチャは禍々しいオーラなんか背負っていない。いや、航の前では麻希も英理子も恋する乙女(年齢的には少々疑問が残る)なのだ。これくらいの切り替えは余裕でやってのけるだろう。
両名がピクシーを背負っていたこともあったっけ。ただし、そのピクシーはかなりの強化を施していたため、
おそらくそのピクシーは健在だろう。セットしていないだけで、多分2人の心の海の中に存在している。
そして、今か今かと出番を待ち続けているのだ。……どうしてだろう、寒気が先程より酷くなってきた気がした。
きゃいきゃい思い出話や現状報告に耽る
後輩たちに助けを求めようにも、みな楽しそうにしているので気が引ける。もし気づいたとしても、スクルドとウォフマナフが半分具現化しつつあった影響のせいで誰も近づけない。近づけば、問答無用で無属性全体攻撃が飛んでくる。
その殺気に対抗できる数少ない存在(本人無自覚)・陽向と千影は、至が麻希と英理子らにエンカウントするのと入れ違いに引き上げていったばかりだ。なんてバッドタイミング。そして追い打ちとばかりに、航はすたすたと去っていく。武治や圭と色々話し合う、その下準備のためであろう。悪いこと程連続して、しかも間髪入れず起きるものらしい。
意中の相手が去ったのとほぼ同時に、スクルドを背負った麻希とウォフマナフを背負った英理子が至を凝視する。間違いなく、2人は自分を殺しかねない――それ程の気迫と勢いがあった。肩を握りしめていた手に力が籠められる。……ものすごく痛い。
「――で、Itaruはどちらに協力してくれますの?」
「今度こそ、はっきりさせてほしいなー。空本くんはどっちの味方なの?」
「……高校時代から変わらない質問だな」
相変わらずな鬼女どもの言葉に苦笑すれば、「あら」と2人は顔を見合わせる。
そして、どこか威圧的な笑顔を向けてきた。
「諺にもありますでしょう? “
「何するつもりだオメーらは。その戦術を選んだことは評価するが、完全に度が過ぎてるんだよ。それに、そういうのは本人が決めるもんだろうが」
「……それができれば、苦労なんて……」
「Makiの言うとおりですわ……」
至の言葉に、麻希と英理子ががっくりと肩を落とす。
惚れた腫れたの痴話話。誰を好きになって、誰を愛して、誰と生きていくか――それは、身内が勝手に決めるものではないと至は思っている。
それは航本人が決めることだ。至がしゃしゃり出てあれこれ言う資格など、どこにもない。航に振り向いてほしいなら、2人が独自に努力すべきだろう。……どうしようもないことはわかっているが。
「こうなれば、仕方ないね」
「ええ。力技になりますが……」
瞬間、めりめりと嫌な音が響いた。間髪入れず、肩に走った鋭い痛み。みしりと軋む音がする。軋んだのは骨か、あるいは筋肉か。
なんだと叫ぼうとすれば、突き飛ばすようにして手を離された。寸でのところで体制を整えて振り返れば、2人の足元には青い光が立ち上る。
ペルソナを召喚する際に発生する、光膜だ。半透明だったウォフマナフとスクルドが、実体を持って屋久島の海に具現する!!
(――あ、俺オワタ)
航や圭に助けを求める間もないことを悟った至は、乾いた笑みを浮かべたまま目を閉じる。
瞼の裏を、白い光が焼切るのが見えた気がした。
『御影遺跡のテッソとテディベア、悪魔の山のジャックフロストとジャックランタンを同時に相手しているような状態だった』――後に、会議を途中で止めて、武治やヤマオカらと共に浜辺へ駆けつけた圭はこう発言したという。
その場に居合わせていた後輩たちは、メギドラオンやヒエロスグリュペインが飛び交う光景を見守ることしかできなかったらしい。
意識が戻った後、後輩たち(特に男性陣)に肩を叩かれた。順平と明彦が涙目になりながらうんうん頷いていた。何故泣かれてしまうのかわからない。
笑い飛ばすために「高校生の頃からよくあることだから気にするな」と言ったら、戦慄した後で拙くたどたどしい慰めの言葉を貰い、終いには男泣きされた。だから何故だ。
「俺、しばらくカノジョはいいです……」
「全くだ」
「――あれ? どうしたんだお前ら。遊びすぎて疲れたのか?」
明彦と順平が重い溜息をついたのと、「ここまでボロボロになるくらいはしゃいだんだな」と航がすっとぼけた発言をするのはほぼ同時。
その発言を聞いてしまった武治と圭が、廊下の向こうでがっくりと脱力し項垂れている現場が見えた。勿論、蛇足であるが、2人ともズタボロの状態である。
【2-4.罪の重さを思い知り、新たに決意するだけの簡単なお仕事】
同日 夜
屋久島/桐条家別邸・応接室
「美鶴から、大体聞いているな」
桐条グループを取りまとめる男・桐条 武治が、重々しい口調でそう口火を切った。
面々が頷けば、武治は静かに目を伏せる。中央のソファに腰かけていた圭が、険しい眼差しを床に向けていた。
南条側の技術や資料を勝手に持ち出されたことに対する憤りか、はたまた分家筋が犯した過ちと罪の重さに対する怒りか――判別はできない。
しばし目を伏せていた武治が、顔を上げる。残された右目には、どこか憔悴しきったような――けれど、揺るぎない覚悟と意思が宿る。
10年前の事故で失われた左目が健在であったら、自分たちを見返す眼差しはもっと強かったのかもしれない。真正面から受けとめた自分たちが、思わず圧倒されてしまう程。
片目だけでも充分な迫力だ。桐条グループとしての器を見せつけられたような気がする。……もちろん、上司で同級生で戦友である圭だって負けてはいないが。
「全ては大人の……我々の罪だ。私の命で贖えるなら、とうにでもそうしているところだが――」
「命は投げ捨てるために使うものではないだろう、桐条当主。罪を贖うためにも、生きるべきではないかと私は思う」
武治の言葉を打ち消すように、圭はまっすぐ彼を見返した。かつて神取の孤独と限界を見抜き、這い寄る混沌によって蘇った彼と対峙した際に全てを悟った時の眼差し。
まったくもってその言葉通りだ。死んでしまえばそれで終わり、償いや贖いなどできやしない。生きているからこそ、人は罪も犯すし、それを償うチャンスも得られる。
何か思う所があったのか、武治ははっと息を飲んだ。「それも、そうだな」――険しさの中に、かすかな笑みが浮かぶ。
「君たちの力を借りる以外術がない。協力してくれないだろうか?」――その言葉に、仲間たちは躊躇わず頷く。
力強く頷く若者たちの様子を見て安堵したのか、武治はゆっくり息を吐いた。張りつめていた空気が一瞬だけ和らぐ。
武治は粛々と話を続けた。罪を言葉にする度、痛みを堪えるように目を伏せる。
「父は研究をおかしな方向へと推し進めていった。南条側から無断で資料や技術を持ち出し、秘密裏且つ独自に研究を続けていたらしい。……今となっては、あの事故や当時の研究者たちの離散により資料の大部分が失われた。先代が隠し持っていたと思しき資料を含んで、散文的に残されているものの――」
「――“先代当主の研究目的”や“研究の最終地点が何であったか”を特定するには至らなかった、ということか」
航の言葉に武治が頷く。どうやら、武治でさえ詳細を掴みかねているようだ。
息子にすら知られたくない程の研究内容。一体、先代当主の鴻悦は何を追い求めていたのであろうか。
……考えてもラチが明かない。残された少ない資料をかき集め、読み解いてゆくしかないのだろう。地道な作業が必要になる。
道のりは長そうだ。だが、諦めるわけにはいかない。もう既に巻き込まれ、戦っている少年少女たちがいるのだから。
「君たちには、真実を知る権利がある」――武治がそう言った時、電気がふっと消えた。巨大なモニターが現れ、映像が映し出される。
画面は白い筋が幾本も入ってよく見えない。映像としての価値は殆どなくなっていたが、残された音声は慌ただしさや緊迫した空気を生々しく伝えている。
現場に居合わせた科学者が、命がけで残した情報。荒い映像からでは、そこにいる男性がどんな人物か判別することは不可能だ。
『この記録が……心ある人に触れることを……願います』――雑音交じりでくぐもった声が響いてくる。声の主に覚えがあるのか、ゆかりが訝しげに眉を顰めた。
彼女がそれを問う間もなく、過去に残された言葉は再生されていく。逃げ惑う人々の悲鳴や爆発音をBGMに、言葉は粛々と紡がれていった。
『ご当主は忌まわしい思想に魅入られ、変わってしまった。……黄昏の羽や、月のかけら…………この実験は、行われるべきじゃなかった!
もう未曽有の被害が残るのは避けられないだろう……。でも、こうしなければ……世界の全てが破滅していたかも知れない!』
(……黄昏の羽と、月のかけら? まさか――)
「世界の、破滅?」
聞こえた言葉に、至は思わず息をのむ。風花が首をかしげた刹那、画面内から大きな爆発音が響いた。
おそらく、ビデオがとられた部屋の近くで起こったためだろう。断末魔の悲鳴が飛び交う。
それが人のものなのか、あるいは逃げ出した異形の者のものだったのか、判別はできない。
『この記録を、見ている者よ。誰でもいい、よく聞いてほしい!! 集めたシャドウは大半が爆発と共に近隣へ飛び散った。悪夢を終わらせるには、それらをすべて消し去るしかない! ……すべては、僕の責任だ。全てを知っていたのに、成功に目が眩み、結局はご当主に従う道を選んでしまった……』
『全て、僕の……責任だ……』――雑音交じりの映像に、一瞬だが人が映り込む。その姿に、ゆかりがはっと息をのんだ。刹那、大きな爆発音と共に映像が途切れる。
ゆかりの口が動く。「おとうさん」と紡いだ声は震えていた。彼女が今にも泣きだしてしまいそうに見えたのは、気のせいではないだろう。
あれが彼女の父親・岳羽 詠一郎なのか。あの切迫した状況でなければ、とても穏やかそうな風貌である。でも、強い意志の持ち主であることは察することが出来た。
ゆかりの発言に驚いた面々が彼女を見て、そしてすぐに武治に視線を向けなおした。美鶴もこの事実をつかみ切れていなかったのだろう。困惑した眼差しを父親へ向ける。
武治はその眼差しを受け止めたうえで、告げた。この映像に映し出されていた人物は“岳羽 詠一郎”本人であり、当時の主任研究員であったことを。彼はこの研究だけでなく、南条コンツェルンから依頼されたオーパーツの解析にも関わっていたことを。
「彼を見出して利用し、こんな事件にまで追いやってしまったのは、我々グループだ。彼は、桐条に取り殺されたも同然だ……!」
「……いや、桐条だけに責任があるわけではない。あのオーパーツを解析するようそちらに依頼したのは我々だ。まさか、それがこんな……」
悔しそうに唇を噛んだ武治の言葉に、圭が小さく首を振った。航も、悔しそうに俯いて歯噛みする。握りしめた拳が震えていた。
違う。違う違う。圭や航には何の責任もない。彼らは、南条だけであのオーパーツの解析やJOKER事件で使われた穢れの抽出技術の管理を進めようとしていた。他の企業や研究者に触れていいものではないから、と。
だけど、どんなに大きな企業でも、あんな技術を1企業でどうにかしようなどと限界がある。ここは、南条グループと同規模・またはそれに準ずるような技術や財力を持ち、且つ信頼できる存在と協力すべきだ――そう言って、桐条グループを候補に挙げたのは、他ならぬ至だった。
「調和する2は、完全な1よりも勝るんだろう?」――半ば強引にあの2人を言いくるめる際、そんなことも言った気がする。名言をこんな形で出された圭は、苦笑しながらため息をついたものだ。「負けたよ」と、そう言った彼の表情を、至は今でも覚えている。
『なーなーブラウンー。これ、おもしろそうじゃね?』――雑誌に書いてあった“ペルソナ様遊び”。それを見つけて、面々に提案したのは至だった。
『航ー。体育館倉庫漁ってたら、こんな仮面見つけたんだ。多分これが“いわくつきの仮面”だと思うんだけど』――セベク・スキャンダルに巻き込まれていたさなか。学校の七不思議に興味を持って調べまわり、スノーマスクを発見して持って来たのは至だった。
『そんなに大切だったら、鍵をかけて閉まっておけばいいんだよ。そうすればどこにも行かない』――“大好きなお姉ちゃん”が引っ越してしまう悲しみに暮れる年下の子どもたちにそんなことを吹き込んだのは、平行世界の至だった。
『……お前らなら、こんな運命のひとつやふたつ……覆せるって、信じてるから……』――“彼”の罪を重くし、見に余るほどの罰を受けさせるきっかけになった
「――違う。俺のせいだ」
思わず至は呟いていた。え、と、周囲の視線が自分に突き刺さる。
「南条くんと航は、他企業にこの技術管理云々絡みで協力を依頼することを拒んだんだ。『悪意ある人間にこの技術が知られたら、それこそ世界を揺るがしかねない』って。『だからこの技術関連は、南条だけで管理すべきなんだ』とも言ってた。
……それを無理矢理言いくるめて、かつて桐条宗家が誕生した際に南条が贈った言葉まで引き合いに使って、桐条グループに協力をもちかけるように進言したの、俺なんだ。――いや、そもそも、黄昏の羽や月のかけらをエルミン学園で見つけたのも、全部俺だ」
「至にいさん……」
「至さん、それじゃあ――」
「――父さんは、そんなものの研究をしていたせいで、あの事故を引き起こしたっていうの?」
順平の言葉を遮るようにして響いたのは、ゆかりの呆然とした虚ろな声。
父の無実を信じ、必死になって情報を集めていたゆかり。
その根底にあったものが、がらがらと崩れていく――そんな音が聞こえてきそうだ。
「影時間も、タルタロスも、たくさんの人が犠牲になったのも……みんなみんな、お父さんがやったってこと……!? そんな技術がもたらされたから、そんなものが見つかったから、お父さんが――」
「お、おい……! 岳羽、落ち着け!」
がくぜんとした様子で言葉を紡ぐゆかりに、流石の明彦も「これはマズい」と判断したらしい。慌ててフォローを入れる。……勿論、効果なんてあるはずもない。
彼女の真向かいに座っていた美鶴は後輩を気遣っているのか、どこか躊躇いがちに手を彷徨わせた。しかし、何かを決意したのだろう。彼女はぐっと手を握りしめる。
「岳羽、逃げずに最後まで聞いてくれ。確かにこれは、君にとって不都合なものかもしれない。私だって……こんな真実など、告げたくなかった。見たくないと思った真実だってあった……!
君を呼び出したとき、話しただろう? 桐条が、ペルソナ能力覚醒を促すために南条から無断で資料を持ち出した挙句、影時間適性者に対して人体実験を行っていたこと。そして、無理矢理ペルソナ能力を植え付けた面々で探索部隊を結成させ、タルタロス探索をさせていたこと! 知れば知る程、嫌になった……」
武治が驚いた表情で美鶴を見返す。いつの間に、と、彼の眼差しは叫んでいた。
おそらく、武治は娘を守りたかったのだと思う。余計な遺恨を背負ってほしくなかったのだ。
だから、美鶴に真相や闇の部分を隠していたのだろう。「私はそれに向き合っていくつもりだ」――美鶴はそう締めくくる。
ゆかりはしばらく、虚ろな眼差しを彷徨わせていた。何も言わず、何も言えず、ただじっと黙っていた。
彷徨い続けた視線が、ゆらゆらと至に向けられる。口が動き、ある一定の言葉を紡ぎ始める。
圭がはっと目を見開いた。航が何かを言って、彼女の発言を止めようとする。
しかしそれは間に合わない。ゆかりの口の動きはスローモーションのようにゆっくりだったが、まるで突風のように至の耳元をかすめた。
花火の光が炸裂した後で遅れて音が聞こえてくるメカニズムが脳裏を駆ける。至がゆかりの言葉の意味を理解したのは、美鶴が咎めるように彼女の名を呼んだ時だった。
(――『あんたのせいだ』か)
否定はしない。できるはずがない。
引き金を引いたのは、確かに至だったのだから。
――たとえそれが、無自覚で悪意のないものだったとしても。
ゆかりは勢いよく立ち上がり、部屋から飛び出していく。彼女の背中を追ったのは陽向だ。足音がどんどん遠くなっていく。
嫌な沈黙が応接室を支配する。気遣うような眼差しも、自分の名前を呼ぶ後輩や友人の声も、がらんどうに響いてくる。
傷つく資格なんてどこにもない。彼等に心配されていいはずもない。一番辛いのは、至ではなくゆかりの方だ。
行き場のない悲しみや怒りをどうすればいいかわからない。そして何より、原因を持ちこんだに等しい奴が目の前にいる。
至だって、そうした状況に身を置いたことがある。その時、相手に向かって問答無用で一撃、パンチを叩きこんだ。
自分だってそうやって相手に八つ当たりしたのだから、ゆかりだってそうして当然だろう。
原因を作った自分には、彼女の激情と向かい合う義務がある。
逃げることなど許されないし、許すこともない。
「俺のことはいいから、岳羽ちゃんのフォローしてあげて」
後輩たちを促せば、面々は所在なさ気に応接室から離れ始める。何度もこちらを振り返っては、ゆかりと陽向の後を追いかけていった。
残されたのは、大人が4人。武治、圭、航、至――誰一人、何も言わない。どう考えたって、何かものを言えるような状況ではない。
しかし、あえてその空気を壊したのは航だった。俯いて黙っていたかと思えば、奴はがばっと顔を上げてつかつかとこちらに歩み寄る。
「……先程お前が言ったことが正しいなら、俺だってお前の“共犯者”だろう?」
「言うにコト書いて何言ってんだよ。お前には何も責任なんてないだろうが」
「うるさい。俺はお前の“共犯者”だ。……俺が、俺自身が今、そう決めた」
だから、と、航が言葉を続ける。
「何でもかんでも、1人で抱え込もうとするな。勝手に先に行こうとするな。……俺を、置いて行くな」
弟の纏うオーラに気圧され、思わず至は目を瞬かせた。
有無を言わせぬ覇気の中に漂うのは、航の気遣いと心配とその他諸々の感情だろう。どこか不安げに揺れる眼差し。
……ああ、珠閒瑠の時や巌戸台に行くと言った時も、こんな感じの眼差しを向けられていたか。
大丈夫だと告げる代りに微笑んで、素直に感謝の言葉を述べる。それでようやく安心(?)したらしく、航はふっと笑みを浮かべた。
――入れ違いに、肩を叩かれる。
見れば、困ったように苦笑を浮かべる圭の姿があった。
「ならば、俺も同罪だな。……だから、お前たち、俺を差し置いての抜け駆けは厳禁だ。――いいな?」
「南条くん……」「圭……」
悪戯っぽく笑う圭の姿。エルミン学園時代の気難しい表情しか知らない元同級生たちが見たら、きっと椅子から転げ落ちていただろう。……最も、至や航にしてみれば、多少珍しいもののそれなりに見慣れているため、別に何ともないのであるが。
その場に居合わせた武治はしばし自分たちを見比べ、まるで弟と友人を見守るかのような温かな眼差しを向けてきた。気のせいか、彼の隣にはぼんやりとヤマオカらしき影が漂いつつある。ハンカチで目元をぬぐっているように見えたのは気のせいだろうか?
武治の視線に気づいた圭は、バツが悪そうに咳払いする。心なしか耳元が赤い。そして、至と航兄弟に対して、頑なに視線を合わせようとしなかった。「俺、か……。聞いたことがないから、とても新鮮で、つい」――武治の追い打ち攻撃、効果は抜群だ! 今度こそ、圭が首を振る。
そのまま武治に弁明(?)やら釈明(??)を始める圭を視界に抑えつつ、至はふと時計に視線を向けた。もうすぐ影時間が始まる頃である。
影時間前に別邸に戻らないと、丸一日締め出しを喰らうんだったか――オートロックセキュリティであることを思い出し、至は苦笑する。
もうそろそろ、陽向たちが戻ってくる頃だろうか。
帰って来たら、きっとゆかりは至に謝罪しようとするのだろう。「言いすぎてゴメンなさい」――そう言って、頭を下げる。色々フォローしようとするのかもしれない。
謝罪に対する返答よりも、まずは笑って迎えよう。「おかえり」と、分寮に帰ってくる面々を迎える時と同じように。いつもと変わらない様子で、迎えてあげよう。
その勢いで笑い飛ばしてしまえばいい。気に病むことなど何一つないのだと、そう言ってやればいい。何も心配する必要も、身構える必要もないのだから。
そして伝えよう。自分が今、ここで固めた決意を。
“事件解決のために全力でバックアップし、必ず君たちを守り抜く”――と。
「ただいま帰りましたー!」
至がそうやって前を向いた瞬間、丁度帰って来た陽向の声が聞こえた。