2009.5/23 夜
巌戸台分寮
『わかりました。戦いに協力します』
ですが、と、少女は言い添えた。猩々緋の瞳がまっすぐに自分を見返す。宿る意志には一切の揺るぎがない。
『先輩、一つだけ言っておきます。私は貴女たちを“完全に”信じたわけではありません。だってそうでしょう? シャドウとの戦いは、“いつ終わるかの目処が立っていない”。そんな不透明で、しかも最悪の場合、命を落とすかもしれないんですよ?
普通の人間だったら、そんなののために命を賭けるなんて絶対に嫌ですよ。だって死にたくないですもん。訳が分からないまま巻き込まれて、訳が分からないまま使い捨てられるなんて、それこそゴメンです。私は兵士になるために
……それでも私は貴女の“駒”になるんです。相応の見返りを求めることは間違っていないはずですよね?』
鋭く細められた猩々緋。どこまでも冷徹なそれは、容赦なくこちらを貫く。
朗らかで活発な少女からは予想できない表情と言動。爪を隠していた鷹が、ここぞとばかりに鈎爪を光らせたかのようだった。
その眼差しに、いつぞやの“彼”の面影を見た。
とある会合の際、会場がテロリストに占拠された時のこと。誰かの携帯電話が鳴り響き、奴らがその音楽に気を取られた瞬間。その隙をついて、“彼”は自分を救い出してくれた。
あれは文字通り“捨て身”だったと言っていい。もし、何かが一歩でも間違っていたら――……“彼”はこの世にいなかったかもしれないのだ。
少し明るい藍色の髪と左耳のイヤリングを揺らし、暗い深緋色の瞳を鋭く細める。記憶の中の“彼”は、切迫した状況にもかかわらず、微かな笑みを浮かべていた。獲物を捕らえた鷲が一気に急降下する――そんなイメージを連想する。
何故自分は、陽向の眼差しから“彼”を連想したのだろう。彼女の後見人については、南条側からの厳しい睨みのせいで詳しく調べられなかった。
空白と黒塗りだらけの資料から読み取れたことは、後見人は南条側の重鎮・あるいは重鎮クラスと同格の保護を受けている人間なのだということのみ。
(確か、要は“後見人のツテ”から
もう一度資料を読み返し、確認する。やはり、新たな情報は掴めそうにない。
「先輩、ただいま帰りましたー!」
「! ああ、おかえり」
返ってきた陽向にばれないよう、慌てて資料を隠す。幸い、テレビに夢中な順平とソファに腰掛けた陽向は気づいていないようだった。
奥にあるカウンター席に座っていたゆかりが訝しむように眉をひそめるものの、結局追求する様子はない。その事実に少しだけ安堵した。
今日はどうする? と、ごまかすようにして陽向に話題を振る。陽向はしばし考えた後、顔を上げて微笑んだ。
「試験も終わって一息つきましたし、今日はタルタロスにアタックします。多分、先に進めるようになってると思いますし」
「おっ、いいねぇ! ちなみに俺はいつでもいけるぜ!」
「うん。あたしも大丈夫」
「当然だ。この日をどれだけ待ちわびたことか……」
「そうか。ならば準備をしてくれ」
「「「了解(っス)!」」」「ああ、わかった」
返事をし、面々が慌ただしく準備を始める。アバラを痛めて戦線を離れていた明彦も、ようやく復帰できた。
これでタルタロス探索、および攻略もはかどるだろう。一定条件を満たさないと先に進めないようだが、戦力が増えてくれることはいいことだと思う。
――さて、こちらも準備をしなくては。
自分――桐条 美鶴は思考を切り替えるように首を振る。そして、サポート用の機材を準備するために立ち上がった。
贖罪は、まだ終わらない。
【0-3.ひっそりとフラグを立てるだけの簡単なお仕事】
2009.5/25 夕方
至と千影の家/ダイニング
今日の食卓は純和風にしてみた。人参や茸類と油揚げの炊き込みご飯、焼き魚、具材がたくさん入った豚汁。
豚汁は明日の朝も食べていけるよう、多めにつくってある。明日の一品は手抜きできるな、などと邪なことを考えながら、至は盛り付けを開始した。
月光館に編入した千影は2-E組になったらしい。F組である陽向たちとは離れてしまったものの、クラスには馴染めたようだ。最近ではよく部活や友人の話を聞く。
年上好きのクラスメートが教師に告白したとか、剣道部の主将と仲良くなったとか、保健室で訳の分からない劇薬を発見したとか――本当に様々だ。
特に、千影自身が立ち上げた料理同好会の話になると、表情が一段と明るくなる。誰も入らないと思っていた所へ、思わぬ入部希望者が現れたからだろう。
その子は料理が苦手らしい。しかし、頑張り屋で努力家なのだそうだ。「山岸さんは大器晩成型だと思います」とは千影の話である。
今日は同好会の活動日。千影は件の山岸さんと一緒に何かを作っている頃であろう。この前はスイートポテトを作ってきた。
(今日のデザートは、千影が持って帰って来るであろう“同好会の手づくりお菓子”で決まりだな)
千影は同好会の活動があると、必ず活動で作った料理を持ちかえってくる。初日――および山岸さんが入部する前――では、洋梨のタルトタタンを作って持ち帰って来た。味? 勿論美味しかったに決まってる。
山岸さんが同好会の入部を申し出たのも、千影がタルトタタンを作っていた現場を偶然目撃したかららしい。ついでに蛇足だが、克哉に「弟作。美味しかった」と題して写メールを送ったら、自分も食べたかったという旨の文章と達哉の自慢話が長々と3通帰って来た。
あまりにも長ったらしい文面だったので、昔撮った泰山麻婆の写真を空メールで送りつけてやった。しばらくはトラウマを思い出して悶絶している=大人しくしてくれるだろう。彼は辛い物が苦手だし、泰山麻婆を見ただけで失神しかけた人間である。
脱線したが、話を戻そう。
山岸さんが入部した後、彼女が極度の料理音痴であることが発覚。彼女のレベルに合わせて、簡単なお菓子類を作る活動へとシフトチェンジした。
今はまだクッキーやスイートポテト等の基本的なお菓子を中心に作っているが、山岸さんの料理の腕が上がり次第、少しづつ難易度を上げていく予定らしい。
今日は山岸さんとあんなことを話した、こんな話題になって盛り上がった……そう語る千影は、とてもいい笑顔なのだ。
見ているこっちも微笑ましくなってくる。千影は自分自身の変化に無自覚なのだろうけど、長年一緒に暮らしてきた至にはお見通しだ。
料理同好会の活動が、千影をより良い方向へと変えている。青春まっしぐらだな、なんて至は思った。
体育祭の準備に盛り上がっていた
あの日、あの遊びを思いつかなかったら、あの遊びをしなかったら――きっと今、至はここにいない。他の仲間たちも、今の道を選んでいなかっただろう。
「ただいま、にいさん」
「お、お帰り! 晩御飯できてるぞ」
「今日は純和風なんですね。今日の料理同好会も和物なんですよ」
そう言って、千影はビニール袋からタッパーを取り出した。その中には、串に刺された緑色の団子が入っている。今日は茶団子を作ったらしい。
ナイスチョイス! と言って親指を立て、その勢いでハイタッチ。でかしたと頭を撫でれば、千影は照れくさそうに微笑んだ。
「よーし、食べるか! ――いただきます」
「いただきます」
椅子に座って手を合わせる。
今日の夕食は、とても楽しいものになりそうだ。
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2009.5/30
ベルベットルーム
「なんで俺のベルベットルームの入り口は、治安が悪い所にあんだよ」
不満を隠すことなく、至は目の前にいる男を睨みつけた。
蝶を模した仮面をかぶり、人間とは思えないほど不可思議な肩幅を持つ男――もとい、人類実験に興じるバカの片割れである。
今回は、当時エルミン学園の2年生だった至が「あなたの間接はどこですか? そもそもその体格はおかしくないですか?(意訳)」と問いかけた体型で具現化したようだ。
そのせいで、現在椅子に腰かけている
だいたい足の長さからしておかしいのだ。どう考えても無駄に長い。関節も、普通の人間にあるまじき急角度で折れ曲がる。
それを散々至に
そう問いかけたら、ものすごく不服そうにこう言った。「……この姿を、人類が望むのならば」と。
なんでも、イケメンに骨格整形したバカの姿を不快に思った人間たちがゴマンといたらしい。彼らのとても強い要望があったのだそうだ。
ついでに一部の連中は「お前が整形したという事実が気に喰わない」だの「前の方が(ネタ的に)よかった」だのと主張していたらしい。
「何故、括弧までついてるんだ……」と嘆きを叫んでいた、なんてことをイゴールが言っていたような気がする。正直どうでもいいことだ。
話が大きく逸れたので、軌道修正しよう。
夕食の準備中だった至の元へかかってきた一本の電話。電話の主は、目の前にいる男だった。「久しぶりだね」――勿論、即通話を切った。
が、何度切っても、奴はしつこく電話をかけてきたのである。あまりにもうるさかったので出てやれば、突如「話がしたい。ベルベットルームに来てくれないか」と言われた。
そういえば陽向からのメールで、ポロニアンモールに青い扉があったというのを聞いていた。とりあえず千影にメールを送っておき、目的地へ向かう。
ポロニアンモールの裏路地へ足を踏み入れれば、壁が青く発光しているだけで、扉はどこにも見当たらない。
そうしたら、再び奴から電話があった。どういう事だと問い詰めれば、
『君専用の扉は別の裏路地にある。ヒントは“治安が悪い所”だ』
携帯電話を叩き折りそうになったのを堪えるのは本当に大変だった。ついでに、辰巳ポートアイランド駅までUターンするのも、扉の周囲にたむろする不良どもを追い払うのも大変だった。
不良たちはどんなに交渉しても退けてくれる様子がなかったので、とりあえずサトミタダシのうたを流しておいた。ものの数秒で阿鼻叫喚図が出来上がった。
流石は圭に「洗脳ソング」認定された歌である。せっかくなので流しっぱなしにしておいた。ここから自分が出るまで、それを止める人間はどこにもいない。
至の回想を読み取ったのか、バカは何か言いたそうにこちらを見てため息をついた。「頼むから、人をバカ表記するのはやめてもらえないか?」――バカをバカと表記して何が悪いのか。
妥協する気はないと言う意味を込めて鼻を鳴らせば、奴は諦めたかのように肩をすくめる。某初号機みたいな動きだ。うぃーんがしょん、なんていう効果音が付きそうである。
「
「でも、実際同じ部屋じゃねーか。壁で仕切ったついでに、扉を2つに分ける必要性なんて感じられねーっつの。隣にいたベルボーイとイゴールがめっちゃ驚いてたぞ」
「……まさか、何の躊躇なくぶち抜くなんて思わなかったんだ……」
ついでに泰山麻婆を顔面に叩きつけられたり、羽生蛇蕎麦&ラーメンを口に突っ込まれるとも思っていなかった、と奴はもらす。
これだから、もう片方のバカ(主に危険な方)の後手に回る羽目になるのだ。そのせいで弱体化したのだから、自業自得である。
「年を追うごとに手厳しくなっているような気がするのだが」
「お前ら限定だよ。人類実験に興じる普遍的無意識の表裏コンビどもめ。……で、今度は誰で実験するつもりだ?」
「それは君が一番知っている人物だろう。無論、ある意味で、君もその中に含まれるが」
今何か聞き捨てならない事を言わなかったか、このパピヨンマスク。至が睨みつければ、奴は静かに一枚のカードを取り出した。
『我、新たなる可能性をここに示す。よってその対価として、可能性における“いかなる結末”をも受け入れん』――どうやら、何かの契約書のようだ。
署名欄はふたつ。両段とも、ある人物の名前が書かれていた。一段目には“空本至”、二段目には“国光千影”。
書いた覚えのない契約書である。訝しげにサインを見返すが、それは明らかに自分と千影の筆跡だった。
誰かが自分たちの筆跡をまねたものではない。正真正銘、自分たちが書いたものだ――何の確証もないのに、至はそう直感する。
刹那、頭の中を何かが駆け抜けた。
桜吹雪が舞う学校の屋上に響くのは、少女を失った少年の嘆き。あるいは、かけがえのない仲間を失った少年少女たちの嘆き。それらの光景を見つめるのは、左耳に星のイヤリングをつけた藍色の髪の青年と、ヘッドフォンを首にかけた青い髪の少年だった。
『……頼む。……俺を置いて、いくなよ……!』――それは、少年の叫びだった。
『どうして2人は、生きて幸せになることが許されないの』――それは、少年少女を見守りつづけた仲間たちの叫びだった。
『生きて、幸せになってほしい』――それは、少女と家族のように過ごしてきた者たちの叫びだった。
『こんな運命など、認めない』――それは、少女や、少女が愛した少年と関わった、すべての者たちの祈りだった。
それらを背負って、青年と少年は普遍的無意識の領域に立つ。そして、静かに腕を挙げた。青い光が立ち上る。
光が消え去った後には、もう誰もいなかった。
そのデジャビュが意味することが何なのか、至は知っている。脳裏に浮かんだのは、孤独に戦い続けた1人の少年の姿。
形は違えど、それを利用したのは“彼”も“自分”も同じなのだ。
――つまりは、“そういうこと”。
「“彼ら”は君たちに賭けた。あの少女を救えるよう、あの少女を取り巻く運命を変えるために君たちを投じた」
「……」
「君たちがなぜ、巌戸台へ足を踏み入れることになったのか。……それこそが、“彼”による
「……フィレモン」
「何かね?」
「お前、歯ァ喰いしばれ!!」
何の迷いも躊躇いもなく、至はペルソナ・ウロボロスを降魔する。
そして、
完璧に蛇足であるが。
また壁が吹き飛ばされたこと、丁度隣の部屋ではイゴールとベルボーイがティータイムをしていたこと、その2名がフィレモン共々巻き込まれたことを記載しておく。
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少し時間を巻き戻して――
2009.5/30 放課後
学校/家庭科室
(……おかしいな。いつもなら、山岸さんが来ているはずなのに)
今日の活動日、山岸さん――山岸風花は「参加する」と言っていたはずだ。だというのに、今日に限って家庭科室に来ていない。
今朝、彼女は学校に来ていた。昼休みには今日の活動についての確認をした。材料の補充をしてから行くと伝えたら、「先に行って待ってる」と言っていた。
なのにどうして、いないのだろう。
急な用事が入ったなら、風花の方から連絡してくるはずだ。それらしきものは一切来ない。
不審に思って携帯電話を取り出し、彼女のアドレスにメールを送ってみる。しばし待てば、携帯電話が唸るように振動した。
返事が来たかと思って開く。……しかし、それは千影が期待したものではなかった。
要約すれば『今日は野暮用が入ったので遅くなる。夕飯はどこか適当な場所で食べといてくれ』――という、至からのものだ。
風花からの連絡を期待していたためか、どっと力が抜けてしまった気がする。千影は大きくため息をついた。
(『ムカつく奴に呼び出されたから、外道麻婆と羽生蛇ラーメンをお土産にする』……かぁ。相手の人、ご愁傷様)
至のメールを読み返し、苦笑する。
彼女が来るまで時間を潰すことにして、千影は材料の下ごしらえを始める。リンゴを適当な大きさに切って、パイシートを重ねて……。
それから幾何かの時間が過ぎ、気づいた時にはもう料理が完成していた。アップルパイ。本来だったら、風花と一緒に作るはずだったもの。
窓を見れば夕日が差し込んでいる。部活動を続けるにはもう遅い時間帯だ。
『そろそろ時間なので、僕は帰ります。あとで連絡ください』――再び風花の携帯にメールを送信する。
携帯電話をポケットに入れた後、千影は一人寂しく片づけを始める。理由はわからないが、ヤケに気分が重かった。
のろのろと片づけを終え、家庭科室の戸締りを確認。どこも何も問題ない。調理器具もきちんと戻した。
最後に、入り口に鍵をかける。そして、千影は鍵を返すためにその場を後にした。
――背中に向けられた複数の視線と嘲笑に、気づくことなく。