どうしてこうなった?   作:とんぱ
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第七十二話

 ――何故だ?――

 ――何故外した?――

 ――何故動きが逸れた?――

 ――何故――

 

 王は困惑していた。

 完全に読み切っていたはずだった。

 互いに最高の1手を打っているからこそ、そこに余分な動きなどあるわけがない。

 だから描いていた未来は必ず訪れるはずだった。

 最後の1手で、王の拳はアイシャの心臓を貫いているはずだったのだ。

 

 だが実際にはそうはならなかった。

 王の拳はアイシャに届けど、その拳は心臓ではなく右脇腹に突き刺さるだけに留まっていた。

 

 何故心臓を外したのか?

 何故攻撃が逸れたのか?

 何故…………王の腕はあらぬ方向に曲がっているのか?

 

 完璧な理に触れた王だからこそ、この結果が理解出来なかった。

 何者かが介入したのか? そう思うもすぐに王はその考えを排除する。

 余人が介入出来るような領域ではなかったのだ。そのような次元とは隔絶した次元の攻防なのだ。

 

 ならばこの結果を作り上げたのはただ1人。そう、王と相対しているアイシャ以外には有り得なかった。

 

 アイシャと王の予見した終局は寸分違わず同じであった。

 それはアイシャの心臓を王が貫くという結果に収まっていた。

 だがそうはならなかった。それは何故か? アイシャは何をしたというのか?

 

 アイシャと王の攻防は理合を突き詰めた為に過程が決まりきっていた。決まった過程から外れた動きをすれば、そうした方が劣勢に陥るという完璧な攻防だ。

 ならばそれをひっくり返すにはどうすればいいか?

 

 理合の動きではもはや対抗すること叶わぬなら、それ以外の力で対抗する他ないだろう。

 そう、念能力である。

 

 両者ともここまで念能力の真骨頂とも言える発を使用していなかった。

 それもそのはず。アイシャは単純に発を使用しておらず、王は戦闘用の発を身に付けてはいなかった。

 王は産まれながらにして、食べた相手のオーラを吸収するという特質系にして規格外の念能力を持っていたが、この時点ではあまり意味のない能力と言えよう。

 

 だからだろう。両者の戦いは発という念能力の真髄を抜いた、不確定要素のない個と個の極限の戦いとなっていたのだ。

 だからこそ。王はアイシャの発に動きを乱された。

 

 幾つもの念能力を開発してきたアイシャの、唯一攻撃に転じることが出来る念能力。そう、【天使のヴェール】である。

 

 【天使のヴェール】はアイシャのオーラを何者であろうとも知覚出来ないように隠蔽する特質系能力だ。肉体から離れたオーラ、つまりは放出したオーラには効果を及ぼさないが、逆に言えば肉体と繋げてさえいればどんなオーラだろうと知覚は不可能。

 見ることも感じることも出来ないオーラ。それは変化系の能力と最高に相性のいい発であった。

 

 アイシャは最後の1手を放ってくる王を前に、【天使のヴェール】を発動していたのだ。そしてオーラを変化させ、そのオーラを用いて迫り来る王の攻撃を……僅かに逸した。

 アイシャは合気を極めている存在だ。そのアイシャにとって変化させたオーラを以て合気を仕掛けることなど造作もない。

 だが相手はキメラアント最強の存在だ。変化系を不得意な系統とするアイシャでは完全なる合気を仕掛けるなど不可能だった。

 

 それでも。それでも動きを僅かにずらすくらいならば可能であった。

 王にも知覚出来ないオーラの動きだ。如何に王とて意識の外からの攻撃には対処すること叶わず、最後の1手の流れは狂う結果となった。

 これが盤上の勝負ならば、アイシャのしたことは相手の駒の配置を置き換えるという反則行為に等しいだろう。

 だがこれは盤上の勝負ではないのだ。互いの持つ全てを懸けた命懸けの勝負。ならば全ての手札を用いて戦うことは何ら恥じ入るものではなかった。

 

 だが、僅かにずらした程度では心臓を逃れることは出来たものの完全に避けきることは出来なかった。

 しかし、ずらせると分かっていたならば当たる箇所も予測出来る。予測出来たならば命中する右脇腹にオーラを集中することでダメージを軽減することも出来るわけだ。

 もっとも、軽減して腹部を突き破るのだからたまったものではないが。

 

 この極限の土壇場まで【天使のヴェール】を温存していたのもアイシャの策だ。

 もしここまでの戦闘中に【天使のヴェール】を使用していれば、一時の有利は作り出せていただろう。

 だがこの王ならば、例えオーラを知覚出来なかったとしても有ると分かっていれば相応の対応をしてきただろう。

 そう、この場面でも、動揺することなく続け様に追撃を放っていたはずだろう。

 

 だが今の王にとって【天使のヴェール】は初見の能力。

 故に困惑した。何故動きが逸れたのか、と。

 完全に読み切っていたからこそ、最後の1手だったからこそ、勝利を確信していたからこそ、その困惑はより強いものになっていた。

 

 だからこそ。王はアイシャの次の1手に対応出来なかった。

 

 王は右腕から鋭い痛みが発せられていることに気付いた。

 動揺したままにふと視線を右にやると、そこには肘関節が捻じ曲がっている己が右腕があった。

 

 ――おお、余の、腕が――

 

 完全なる存在として産まれた自身の、完全なる肉体が損なわれていた。

 初めて味わう種の痛み、自身の肉体が大きく損傷するという有り得ない現象。

 その2つを同時に味わい、動揺が怒りに変わる。その怒りをアイシャに叩き付けようとして――

 

 それよりなお早く、アイシャは更なる1手を先んじていた。

 

 アイシャと王は共に終局までを見通して読み切っていた。

 だが、王はそれで満足し、アイシャはその終局の更に先を読もうとした。

 それがこの差に繋がった。終わりの更に先を読んでいたアイシャは間断なく流れるように動き、そうでなかった王は1手1手で遅れを取ってしまったのだ。

 

 王がその怒りをアイシャにぶつけるよりも早く、アイシャの両手が王の頭部を挟み込んでいた。そこから放たれたのは、既に破られたはずのアイシャ必殺の奥義、浸透掌だった。

 左右の掌底からほぼ同時に放たれた浸透掌。掌底と共に流し込まれたオーラはその大半が王の膨大な体内オーラで相殺された。

 

 だが、先に防がれた浸透掌を見ても理解出来るように、王とて脳内のオーラを完全に相殺することは出来てはいなかったのだ。

 そしてこの浸透掌も同様だ。両手から発せられたオーラはその大半をかき消されるが、僅かに残ったオーラが、互いのオーラを増幅しあった。

 

 そして、王の脳内に確かな傷跡を残すことに成功した。

 

「ぬぐっ!?」

 

 王は苦悶の表情を浮かべる。またも初めて味わう痛みだ。それだけではない、目や鼻、耳と言った顔の孔から血も吹き出していた。

 だが、もはや初めて味わう痛みという経験は初ではない。王はその身を苛む目眩や吐き気を無視し、無事な左腕をアイシャに叩き付ける。

 

 それをアイシャは右腕を犠牲にすることで防いだ。

 王の叩き付けるような一撃に、自らの右腕を叩き付ける。

 もちろんだが、攻撃力では圧倒的に王が上だ。例え既に万全の状態でなかろうとそれはひっくり返りはしなかった。

 だが、やはり万全の状態でなかったというのも大きい要因となったのだろう。

 アイシャの右腕はひしゃげ、骨は砕け散った。だが、確かに王の一撃を防ぎきっていたのだ。

 

 そしてアイシャは更なる1手を放つ。

 

 残る左腕で王の後頭部を掴み、王を逃がさぬようにする。

 そしてそのまま王の顔と自身の顔を一気に近付けた。

 それにより未だ腹部に突き刺さる王の右腕が更に深く食い込むが、アイシャはそれを意に介さず、そして王の拳がアイシャの内臓を傷付けることもなかった。

 

 王の拳がアイシャの腹部を貫くよりも早く、アイシャはオーラを操作して内臓の位置をずらしていたのだ。

 こうなると分かっていたからこその防御法だ。流石のアイシャも内臓を大きく損傷しては無事ではいられないのだから。

 

 そして、既に互いに抱き合える距離まで接近していたアイシャと王の距離が更になくなり…………互いの唇と唇が触れ合った。

 

「っ!?」

 

 戦闘中に口づけという不可解な行動を取るアイシャ。

 産まれて間もない王もこの行為が何を意味するか理解している。基本的な知識の殆どは産まれる前に修めているのもキメラアントの特徴なのだ。

 故にこれが戦闘に関係ない行為だと理解している。だが、その疑問はすぐに解けることになった。

 

「――ッッ!?」

 

 まるで体内で爆弾が爆発したかのような錯覚が王を襲う。

 今までの比ではない激痛が駆け巡り、呼吸すらおぼつかない。

 何をされたのか理解した時、王はアイシャをその尻尾で吹き飛ばした。

 

「ぐぅっ!!」

 

 アイシャもこの一撃は左腕を捨てて防御することが限界で、その場に留まることは出来なかった。

 王を倒す為に意識の全てを攻撃に傾けていたためだ。反撃も織り込み済みの、決死の一撃だったのだ。

 左腕は王の尾の一撃にてへし折れてしまった。突き刺さっていた王の右腕が無理矢理外れた為に傷口も大きく広がることになる。大きく開いた穴からは血が止め処なく溢れていた。

 だが、その程度で済むなら御の字だ。何故なら、それ以上のダメージをアイシャは王の体に刻み込んだのだから。

 

 そう、アイシャは王に最大の攻撃を叩き込んだのだ。

 先の口づけは決して接吻などという生易しいものではない。

 アイシャは王と口づけをした瞬間に、一気に大量の息を吹き込んだのだ。

 

 アイシャの肺活量で吹き込まれた息は大量の空気となって勢い良く王の気道に入り込んでいった。そして王の両肺は大きく膨れ上がることになる。だが、それだけでは王にダメージを与えることは出来なかっただろう。

 如何に内臓と言えど、最高の肉体を持って産まれた王だとその強度も人並み外れていた。確かに内臓故に柔らかいのだが、その柔軟性や強靭性は人間は愚か、既存の生物を見ても比較出来ないほどに頑強であったのだ。並の人間ならアイシャの吹き込んだ息で肺が破裂していただろうが、王の肺はその程度ではびくともしなかったのだ。

 

 だが、息と共にオーラを吹き込まれては話は別だ。

 オーラを放出する時に一般的に用いられるのは手だ。それは手がオーラを放出するのに最も適しているからだ。

 だが念能力者が全身から吹き出るオーラを纏っているように、オーラは手以外の箇所でも放出することは可能なのだ。

 これまでにもアイシャは体の各所から放出したオーラの勢いを利用して空中を移動している。つまり、口からオーラを放出することも熟練した念能力者ならば不可能ではなかった。

 

 肺は送り込まれた大量の空気によって大きく限界まで膨らみ、そしてそれは同時に放たれていたオーラによってまるで膨らんだ風船に針を刺したかのように……破裂した。

 

 そして、王のダメージはそれだけではすまなかった。

 肺を突き破ったオーラはそのまま王の体内で暴れ狂うように吹き荒れた。

 前述したように、王の内臓は頑強だ。だが、アイシャのオーラによる攻撃を防げる程に頑強なはずもなかった。

 

 王は殆どの……心臓という最重要器官を含む殆どの内臓を破壊されたのだ。

 その痛みや想像を絶するだろう。いや、痛みなどもはや関係ないだろう。

 何故なら、もはや死は免れぬ程の重傷を負ったのだから。

 

 だが、それでも王は立っていた。

 

 右腕が捻じ曲がり、脳を損傷し、内臓の大半を失った。心臓は当然止まっており、肺もないため呼吸も出来ない。

 それでも王は未だ立ち闘志衰えぬ瞳でアイシャを睨みつけていた。

 

 アイシャもそれに応じて王の眼前まで戻ってきた。

 アイシャも王に劣るものの、普通なら死んでもおかしくない程の重傷を負っていた。

 両腕は王の攻撃を受けて骨が砕け肉が裂けており、貫かれた腹部には拳大の穴が空いているのだ。

 このまま治療をせずにいれば死に至るのも時間の問題だろう。

 

 既に瀕死に陥った2人。

 だが、互いに退くという選択肢はなかった。

 

 先に動いたのは王だった。

 今の体のどこにそのような力が残っているのかと疑いたくなるほどの速度でアイシャを殴りつける。

 それをアイシャは避けることなくその身に受けた。

 

 もちろんただ受ける訳が無い。オーラを回転させ、攻撃を出来るだけ受け流し、自らも王の威力に負けないように回転する。

 そしてその回転を力に変え、王の体を蹴りつけた。

 

 軸となる足の足首、膝、腰を経て力を伝導し、蹴り足へと繋げる。

 王の力を利用して放たれる合気の打撃は、弱った王には十分すぎる一撃だった。

 

「――ッ!」

 

 アイシャの蹴りは王の胴体に命中した。見た目には傷のないその胴体の中身は既にぐしゃぐしゃだ。その威力に王の内部は更にミックスされ、大量の血を吹き出すこととなる。

 

 攻撃を返したアイシャも無傷では済まなかった。

 今のような返し方ではどれほど完璧に返したところで王の威力を完全に受け流しきることは出来ないのだ。

 受け流した箇所の肉は裂け血は吹き出る。骨も見えるのではないかという傷だ。

 それでも、王に最大の攻撃を加える為にアイシャは肉を削る戦法を取ったのだ。

 

 互いに攻撃する度に互いの肉体が傷ついていく。

 だが、それでも2人は止まることはなかった。

 

 武人の矜持が、王の矜持が、敗北を拒み勝利を掴む為にその肉体を動かし続けているのだ。

 

 

 

 

 

 

 ゴン達はアイシャと王の攻防を固唾を飲んで見守っていた。

 誰もが叫び、誰もが飛び出したい気持ちでいっぱいだった。

 今駆けつければアイシャを助けられるかもしれない。王は見ての通り弱っている。今なら、全員で掛かれば倒せるかもしれない。

 

 それでも体は動いてくれなかった。

 この、意地と意地の張り合いのような殴り合いを邪魔することがどうしても出来なかったのだ。

 

「……なんで」

 

 なんで体が動かないんだ。

 その答えは、何時の間にかゴンの隣に立っていた男が答えた。

 

「そりゃあお主達がアイシャのことを良くわかってるからよ」

『ネテロ(会長)!!?』

 

 そこにいたのはハンター協会会長にして、アイシャ最大の好敵手、アイザック=ネテロであった。

 何故彼がこの場にいるのか? それは当然キメラアント討伐を目的としてここまで来たからであった。

 

 アイシャから急な連絡を受けたネテロは急遽としてキメラアント討伐隊を結成してNGLへと来訪した。これはハンター協会会長としては異例の事態である。会長直々に討伐隊を結成するともなれば、相応の時間というものが必要になる。それを半ば強権を発動してまで異例の速度で結成し、こうして駆けつけてきたのである。

 

 一ハンターの言葉だけで容易に動くことなど出来る立場ではない。

 しかもアイシャの言葉では未だ起こっていない出来事の話なのだ。いや、実際には起こっているのかもしれないが、報告してきたアイシャがキメラアントを未確認なのでは同じことだ。

 例え将来どれほどの未曾有の事件になろうとも、何も起こっていない状況で動ける程ハンター協会会長の座は安くはない。

 

 それでもネテロは迅速に行動した。

 本来なら有り得ない程に、ネテロにちょっかいを掛けることに愉しみを覚えている副会長すら手を出す暇もない程に迅速にだ。

 全ては好敵手の言葉を信じていたから。下らない虚言を吐くような奴ではないと信じていたからだ。

 これで空振りに終わり現状の立場を失ったとしても、ネテロは何ら悔いることはなかっただろうと自信を持って言えた。

 

 そしてNGLに到着して進む内に強大なオーラのぶつかり合いを感じ取り、こうして他の討伐隊のメンバーを置いて1人駆けつけて来たのである。

 今頃は残りの2人の討伐隊もあれこれとネテロに文句を言いつつもこの場を目指しているだろう。

 

「アイシャは武人だ。誰よりも何よりもそういう生き方をしてきた。そんなアイシャの決闘を邪魔してみろ。例えそれで生き延びても後でアイシャに怒鳴られるだけだぜ」

 

 ネテロの言葉に誰も何も言えなかった。

 言われずとも分かっていたことだ。アイシャは真剣勝負にて1対多はすれど、多対1をしたことは一度もないのだから。

 ここでアイシャの手助けをして、それでアイシャの命が助かったとしても、それはアイシャの誇りを汚すことに繋がるのだ。

 それでも生きていてほしいと願う者もいる。だが、そう思っても、この戦いに手を出すことは出来なかった。

 

 だから、手を出すことが出来ないのであれば……せめて口に出してアイシャを助けるしかなかった。

 

「がんばれ……!」

「いけ、アイシャ」

「負けるな! 絶対勝って帰って来い!」

「そんな奴とっととぶっ倒しちまえ!」

「アイシャなら絶対勝てる!」

「アイシャさん!」

「あんたを倒せんのは1人だけなんだからね! だから!」

「勝ってくれ!」

 

 ゴン達に出来ることはアイシャに声援を送ることだけだった。

 それ以上の手助けは武人の矜恃を汚すだけ。だが、その小さな手助けをゴン達は全力で行った。

 

 ネテロはそんなゴン達を見て、そして王と死闘を繰り広げるアイシャを見てふと呟いた。

 

「ちっ、自分だけいい戦いしやがって。……羨ましいじゃねーか」

 

 そうしてネテロもアイシャに向かって言い放つ。

 

「負けんなよ。お前を倒すのはオレだけだぜ」

 

 

 

 

 

 

 ――ああ、分かってるさ――

 

 ネテロが呟いた言葉は風に乗って流れて消えていった。

 だが、確かにそれはアイシャへと届いていた。

 そして、ゴン達の声援も、だ。

 

 仲間の、友の言葉はアイシャの肉体に確かな力を与えた。

 もはや血に濡れてない箇所を探す方が困難な程に朱に染まった体を、意志の力を以てして無理矢理に動かす。

 

 王が、その体でどうやって繰り出しているのかという程の攻撃を放つ。

 それをアイシャはオーラを放出して無理矢理体を逸らすことで避けた。

 そうしてその勢いで倒れこむ体を利用して足を用いて王を柔にて大地に投げつける。

 

「――ッ!?」

「あ、ああぁっ!」

 

 倒れそうになる体をオーラの放出にてどうにか立て直し、大地に倒れ伏す王に追撃を入れる。

 起き上がろうとする王に跨り、オーラを上空へ放出することで逃さないように押さえつける。

 そして頭を思い切り振りかぶり……全力で王の頭部に叩き付けた。

 

「……っ」

「ぐぅっ……!」

 

 アイシャの額から鮮血が飛び散る。

 そして王の額は無傷だ。だが、額の内側、王の脳はそうではなかった。

 アイシャは頭突きをしたと同時に、その一撃で放たれた衝撃に合わせてオーラを放ったのだ。

 

 これは浸透掌の応用技である。本来掌底と共に放つのが浸透掌だが、それは掌底が衝撃を浸透させるのに最も適しているからだ。その気になれば掌底以外の攻撃でも浸透掌を放つことは可能だった。

 もちろんその威力は掌底と比べると落ちてしまう。だが、傷つき弱った王の脳をさらに破壊するには十分だったようだ。

 

 捻じ曲がっていた右腕は既にちぎれていた。内臓は度重なる攻撃で見る影もない。脳は半壊してると言ってもいいだろう。

 それでも王は生きていた。生きて、反撃の一撃を放とうとしていた。

 アイシャももう限界だ。いや、そんなものはとうに過ぎているのだ。あとほんのひと押しすれば崩れ落ちるだろう。

 

 だが……そのひと押しが出来なかった。

 

 ――もはや余の意思にも反するか――

 

 王がどれほど肉体を動かそうとしても、王の肉体はその意思を無視した。

 既に意思でどうにかなるダメージではないのだ。王がどれほど意思を振り絞ろうと、運動を司る小脳が破壊されてはどうしようもなかった。

 

 ――余が、負けるのか――

 

 もはや肉体は指1つたりとて動かすことは出来ない。

 心臓は鼓動を止めており、脳も破壊された。

 逆転の目はないと傲慢な王をして自覚せざるを得なかった。

 

 朧げな視界に映るアイシャをどうにかして見やる王。

 その瞳には既に狂気も怒りもなく、何処か澄んだ瞳でアイシャを見つめていた。

 

 ――力で敗れた――

 

 単純な力なら王が上だ。身体能力ではアイシャが逆立ちしても敵わないだろう。

 だがそうではない。身体能力も念能力も技術も戦術も、全てをひっくるめて力なのだ。

 

 産まれて間もないというのに、この世の誰にも負けないという自負があった。それは子どもの傲慢ではなく、キメラアント全ての集大成として産まれたからこその事実だった。

 だが負けた。油断もあっただろう、慢心もしただろう。だが最後には全てを懸けて戦い、その上で負けた。

 

 もはや己に残された時間は少ないだろう。だというのに、王はどこか清々しい思いだった。

 

 ――王として全力で戦い、そして負けた。ならばこれが天命ということよ。悔いは――

 

 悔いはない。いや、あった。

 このまま死しては大きな後悔を残してしまうだろう。

 己を打倒したこの者。そう、〈この者〉なのだ。

 王である自身を倒した勇者の名を知らぬのだ。

 

 ――貴様、名は何と申す――

 

「……ッ」

 

 想いは、言葉にはならなかった。

 既に王は言葉を話す能力すら失っていたのだ。

 肺もなく、脳も損傷している状態で言葉など出はしないだろう。

 

 ――口惜しいな――

 

 己の不甲斐なさに情けなくなる。

 だが、もし会話する力があるならその力を戦闘に使用していただろうと思うと我がことながら若干可笑しくもあったが。

 

 そうして王が内心で自らを嘲笑している中、アイシャはフラフラと立ち上がり王を見下ろしていた。

 勝者が敗者を見下ろす。正しく戦闘の習わしだ。

 それを見て王はより強く自身の敗北を実感し、より強くこの者の名を知らずに死すことを残念に思った。

 

「アイシャ」

 

 王は自らの耳を疑った。既に壊れかけの身だ。果たして今聞こえた言葉が幻聴でないとどうして言えよう。

 

「私の、名は、アイシャ……だ」

 

 だが、それは空耳でも幻聴でもなかった。途切れ途切れだがはっきりとしたその言葉は王に幻聴ではないことを確信させた。

 王の想いは言葉にはならなかった。だが、確かに届いていたのだ。

 アイシャが相手の意思を読むことに長けていたなどは関係ない。

 そんな物を超越して、王の想いはアイシャに届いたのだ。

 

 ――アイシャか。良き名だ。余は――

 

 想い伝わり、好敵手の名を知ることができ心残りもなくなったはずの王。

 だが、名乗られたからには名乗り返すのが礼儀というものだ。

 王が下々の者に礼を取る必要などないが、相手は王を打倒した者故に話は別だ。

 

 しかし王はアイシャに名乗る名など持ってはいなかった。

 母の命を糧に産まれ、その後にすぐに巣を離れたのだ。

 王を名付ける者などいるはずもなく、王もそのようなことを気にすることもなかった。

 

 名乗り返す名がない。

 それを恥じ入るも、致し方なしと諦める王。

 だが、そんな王はまたしても耳を疑うような言葉を聞いた。

 

「メルエム。……王よ、お前の……名だ」

 

 ――何故、其方がそれを――

 

 誰にも名付けられなかった名無しの王。

 だというのに何故アイシャはそれを知っているのか?

 アイシャの口から出た名が嘘やその場で思いついた適当な言葉ではないと王は確信していた。そのような下らないことをする輩ではないと、この死闘を通じて骨身に染みるほど理解していたのだ。

 つまりこの名は正真正銘王の――

 

「メルエム。〈全てを照らす光〉……という、意味と、願いが、込められた……名だ」

 

 アイシャ自身、王の名を覚えていたわけではない。遥か過去の書物でしか知らなかった知識だ。100年を超える時が名前という細かな記憶など風化させていた。

 だが、何故かこの場で王の名が頭に浮かんだのだ。何故かは分からない。記憶が刺激された為かもしれない。

 しかし理由などアイシャにはどうでも良かった。王の名前を思い出せた。それだけで満足だったのだ。この場で王の名を思い出さなくてはならないと思ったのだから。

 

 ――そう、か。感謝するアイシャよ。余は……名無しの王では、なか……った――

 

 王は、その半日に満たぬ生涯を全力で駆け抜け、そして命を失い名を得て……散っていった。

 

「さらば、だ……メル、エム。……う、生まれ変わることが、あれば、その名に相応しく、あってほしいと……私も願おう」

 

 果たして、その言葉は王に届いたのかはアイシャにも分からない。

 だが、死して倒れる王のその顔は、どこか満足そうに笑っていた。それでアイシャには十分だった。

 

 そしてアイシャは、その意識を手放し、大地へと倒れ込んだ。

 

 

 








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