十二.余韻に浸る吸血鬼
あぁ――負けた。敗北。
全くもって否定することができないほどに……私は負けた。
彼女を、琥珀を私のものにする為に、彼女を私のまえに跪けさせる為の戦い。
けれど先に膝をついたのは私のほう。
つまり、もはやそれは疑問の余地がないほどの私の敗北である。
人間の、それも幻想郷に来て未だまとな年月すら過ごしていないような人間に言い訳すら起きぬほどの敗北を喫しておきながら。
けれど……私の中に蠢く感情は、まさにそれは歓喜。
あれは何と、美しい光景であっただろうか。
人が人として、けれど人を逸脱したかのような幻想を造りだすなど。
本当にあの戦いは素晴らしかった。
それはまさに運命で見た以上の戯れであったと。
あぁ……いや。
あれは、あの存在は、決して戯れなどという言葉で付き合えるような存在ではなくて。
あの雅でそしてどこまでも歪な存在は、まさに妖にとってこれ以上にないまでに極上の存在であるからこそ。
あれはまさに妖にとってどこまでも、どんな美酒よりもなお素晴らしい酩酊感を与える存在であるのだと、理解させられた。
だからこそ戯れなどで触れ合える存在ではないけれど。
あぁ……でもだからこそ私は――。
「お嬢様……御夕食をお持ちいたしましたが……」
そんな思考の奥に浸っていた私を呼ぶ声がして。
顔を向ければ、いつものように咲夜が夕食をもって待機しているのが目に入るけれど。
「――ん? あぁ……そこに置いておいてくれるか」
「……はい」
今の私は食事を取るなどという行為をするつもりはなかった。
そんなもりよもなお私の意識を離さない存在が、私のすぐ眼の前に居るのだら。
ここは私の寝室。
であるならば、そこにあるべきものは寝具であるのだけれど。
そこに眠るべき主は此処に、けれどそこには一人の人間が横たわっているならば。
「……ふふ」
私はゆっくりとその人間の髪を撫でる。
起きている時とは違い、無防備に、あどけなさすら感じる寝顔をこちらに向けながらに眠る――寝具に眠る人間――琥珀の髪を撫で続ける。
白い髪。色素が完全に抜け落ちたかのように、一切の混じり気の無い白く腰まである長い髪の絹のような感覚を楽しみながらに。
「……お嬢様は本当にその子が気に入ったのですね」
「あぁ。気に入った。本当に……気に入ったよ」
その眠る琥珀の髪を撫でながらに、思い浮かべるのは先ほどまでの戦い……あぁ、いや。
あれを戦いなどと無粋な言葉で言えないほどに、あれは素晴らしかった。
まさにあれは今宵一晩だけの舞台。
琥珀という人間が造りあげたたった一つだけの舞台であるからこそ。
私はそれを最前列で見れた観客ということだろう。
その舞台に、私は言葉を偽ることもなく、見惚れたという言うべきなのだろう。
初めはただ琥珀という存在に興味があったけれど。
今はそれ以上に、妖である私を、仮にも数百年を生きてきた吸血鬼をただ一度の邂逅で見惚れさせるだけの世界を造りあげた琥珀に。
私は、もはや隠しようもないほどに執着しているのだと確信させられたから。
ただゆっくりと琥珀の髪を撫でる。
優しく慈しむように、私はその指を髪に絡ませていきながらに。
その寝顔を盗み見れば。
未だ目を覚ます気配もなく、ただゆっくりとした呼吸のみをしながらに眠り続けている。
そう。あの後すぐに琥珀は糸が途切れたかのようにその意識を手放し、そして今に至るまで一度も起きることもなかった。
だからこそ琥珀を私の寝室にまで運び込み、そしてそこで一応の治療もしたのだけれど――。
あぁ……。
治療と言えば……。
「――ふふ」
「お嬢様……?」
思い出し笑いのように唐突に笑しだしてしまった私に咲夜が声をかけてくるが。
「あぁ、いや。あの時の……この子に手当を行った時を思い出してな」
「……………」
私がそういうと、咲夜は何とも言い難い表情をしながらに押し黙る。
そんな咲夜の常には余り見せない態度に、思わずもう一度笑いながらに――。
「まさか、琥珀が男の子だなんてね」
「…………………その子は本当に男なのですか?」
「ふふ――。咲夜自身見たでしょ。この子の服を肌蹴させたのは貴方じゃない」
「…………そうですが」
それでも何処か納得のいかないといった感じで頷く。
まぁ……その気持ちは確かに分かるけれども。
誰がどう見ようとも、百人が百人とも少女だと言うだろう見た目をした人間が、けれどもその実は男だったというのは、実に何とも言い難い気分にさせられる。
その流れるような白い髪も。染み一つない肌も。長い睫毛も。華奢な体も。
何もかもが琥珀が少女であることを示しているけれども、確かに琥珀は男であったからこそ。
「自分よりも綺麗だと思った人間が実は男だったなど……色々思うところがあるのですが」
「――ん? 咲夜は自分よりも琥珀の方が綺麗だと思うの?」
「えぇ……。その見た目が綺麗だと思うのは確かにありますが、それ以上にそのありさまが美しいと――そう素直に思いますね」
「ありさま……ありさまね」
咲夜にしては曖昧な言い方に、けれども確かに言いたいことを理解する。
琥珀という存在は、魂すらも含めたうえでの見た目も確かに美しいと思うけれども。
それ以上に言葉で言い表せないような、琥珀という存在が纏う雰囲気こそが何よりも美しいとそう思うからこそ。
妖が言うには余りに不釣り合いであるけれども……もしも、それを言葉で言い表そうとするならば。
「人は誰かに恋をするから美しい――だったかしらね? ……………って、何かしら?」
「……いえ。今お嬢の口から信じられないような言葉が漏れ出たような気がしたのですが……」
「……煩い」
自分でも何を言っているんだと思っているのだから、そんな心底驚きましたみたいな表情でこちらを見るな。
しかし、それでも思うのだから。
琥珀が少女だと思っていたからこそ、八雲紫に対する想いは親愛としての愛情だと思っていのだけれど。
けれども琥珀が男だとするならば……。
そこに浮かぶ感情は、あるいは嫉妬とも呼べるものなのかもしれない。
琥珀に、この純白の存在に、けれどもそんな姿からは想像もつかないほどに獰猛な笑みを浮かべさせる存在に感じる事は、何故それが私なのではないのだろうかという……想い。
もしもこの子を初めて見つけたのが私だったとしたならば。
この極上なまでの存在に私に対して狂おしいほどの愛情を抱かせることができたならば――と考えずにいられないほどに。
私は琥珀という存在に夢中になっているのだと理解しているからこそ、自分でもらしくない物言いをしているのだから。
「……そういえば、そろそろパチェが来るころだと思うのだけれど……まだ来ていないのかしら?」
とりあえずこれ以上突っ込みをされない為にも、話題を変える。
実際そろそろパチェが来るころだろうというのは事実だからこそ、別に逃げたわけではないのだと――意味もなく自分に言い訳をしながらに。
呼んだ――呼んだというよりも、一度来てまた図書館に戻ったパチェが再び来るといったところか。
まぁ、始めにパチェを呼んだのは私だけれども。
怪我の治療ならば咲夜でもある程度はできるが、琥珀が倒れた一番の理由が霊力の枯渇であるならば。
しかもそれが、限界を超えて――僅かな滴りさえもないほどに使い果たした後となればただ休ませれば良いというわけにもいかず。
何かしらの霊的補助を行う必要があったからこそ、それが行えるのがパチェしか居なかったが故に彼女に頼む為に呼んだのだが。
しかし彼女のほうも琥珀に興味があったのか珍しく進んで術式を組み上げると、ついでに琥珀について調べたいことがあるからと再び図書館に戻ってしまったのが数刻前となるからこそ。
私自身もまたパチェの導き出す答えに興味があったからこそ、できるだけ急かしたのだから。
そして、特に理由はなかったが、それでもそろそろ頃合いだろうと思ったからこそ――。
「もしよろしければ、お呼びにいきましょうか――?」
そう咲夜が申し出るのとほぼ同時に寝室の扉が開いたかと思うと――。
「その必要はないわ……。ちょうど来たところよ」
「思ったよりより遅かったわね。パチェ」
「……。これでも色々と調べてきたのよ」
「そう……。まぁ良いわ。とりあえず入りなさい。咲夜飲み物を二つもってきて」
「はい。畏まりました」
そうして、パチェが私の前に座ると同時に咲夜がテーブルと紅茶を二つ用意する。
互いに一口ずつ喉を湿らせた後に本題について口にする。
「それで――。貴方は琥珀について調べていたんだったわよね」
珍しく――パチェが他者に興味を見せたかと思ったのだけれど。
まさかわざわざ自分から調べだすとまでは、本当に珍しいと思うけれども。
けれども琥珀という存在を考えれば、その気持ちも分かるからこそ。
私もまたパチェがどのような答えを出すのかが気になったのだが。
「えぇ……」
しかし、これもまた珍しくパチェが言いよどむ。
普段はどのようなことでさえハッキリと話すこの友が、けれども中々口を開こうとしない。
「どうかしたのか……?」
そうして、先を促すように問いかけると。
返ってきた答えは――。
「いえ――。確かに琥珀を調べようとしたのだけれど――」
――結局何も分からないということが分かっただけだったわ。
そんな、諦めの言葉であった。
私は、そんな友の言葉に思わず目を開く。
パチェが――この吸血鬼よりもなお知識という面で言えば遥かに凌駕する我が友が、それでも何一つ分からないという言葉を使うというその自体に。
思わず素で聞き返してしまう。
「――何も分からなかっただと?」
「えぇ……。本当に何も……それこそ、その子が本当に人であるかどうすら分からなかったわ」
そう言いながら、まさにお手上げだと言わんばかりに肩をすくめる。
こと知識に関すれば私よりもなおプライドの高い彼女が見せる――そんな本当に珍しい態度を目にしながらも。
けれど私はパチェが放った一言に聞き咎める。
「琥珀が人がどうか……だと? それは……つまりこいつは人でないかもしれないと――そう言いたいのか?」
そんな馬鹿なといった感じでつい口にする。
そもそも琥珀はどう見たところで――。
「そうよ……。まぁ……あくまでも可能性という話ですけど」
「馬鹿な……。琥珀はどう見たところで――」
「えぇ……。ただ見た目という意味でいうのなら、確かにその子は人間だわ。操る霊力もそれを収める器も――そして、その奥にある魂すらも見間違うこともなく人だわ」
そこまで話したところで、パチェはそこで一度話を区切ると一瞬だけ琥珀の方に視線を向けた後で――。
けれど……と話を続ける。
「けれど、貴方もあれを見たはずでしょう。いえ……むしろ、貴方こそが最もはっきりと一番近くで見たはずだわ」
そう、今度はこちらの目を見ながらに語りかけてくる。
曖昧な物言いに――けれど、パチェが何を言いたいのかははっきりと理解できるからこそ。
「琥珀が行った――スペル」
「そうよ。貴方をそれを確かにその目で見たはずだわ」
琥珀が造りだした幻想に。
思わず見惚れるほどの――あの光景を確かに私はこの目で見た。
確かに見たが。
「あぁ……確かに見た。見たが……それだけで琥珀が人で無いと推測するには無理がないか? 人を超えた能力という意味でなら霊夢を筆頭に何人かいるだろう?」
そんな私の反論に、けれどパチェは呆れたとでも言いたげに溜息をつくのだった。
「ふぅ――。レミィ。貴方少し色ボケが過ぎでないかしら?」
そんな、パチェの物言いに思わず反論しようとするのだが。
「なに――?」
その前にパチェが口を開く。
「良い……? 琥珀が造ったスペルは四つ。一つ目は八雲紫のスペルを真似をした結界術。これ自体も確かに驚愕すべきことではあるけれど、八雲紫の術式自体が陰陽術の流れをもつ術式の結界である以上は、似たようなモノを造りあげること自体は不可能ではないわ。特に琥珀のあれは八雲紫の劣化コピーである以上は、十分納得はいくものよ」
「……ふむ」
私はパチェの言葉に頷き一つだけをして先を促す。
その言葉自体は確かに納得のいくものだったから。
「そして……二つ目。幻弾と実弾を織り交ぜた弾幕だったわね。驚愕という意味でいうのならこちらの方が上ね。貴方が気付いたは分からないけれど、幻弾の方は、ほとんど……それこそ限りなくゼロに近い霊力しか込められていなかったの。それこそ、この世界に形を保てるその寸前ぎりぎりと言ったところね。それを十二分に霊力を込められた実弾と合わせて何千もの数を造りあげたという――その緻密性は、確かに信じられないほどの才能だと思うわ。それこそ……あんな弾幕を造ろうなどという発想とも合わせれば、確かに称賛に価するわ。けれど、それも足りない力を何とか補おうとする人の発想のソレである以上は、人による努力の果てに辿り着いた一つの結果と言えるわね。けどね……貴方も本当は理解しているでしょう? 問題は三つ目に行ったあの――」
「――私の弾幕を相殺したスペル」
そこまでパチェが語ったところで、その先を私が紡ぐ。
確かに、それでのスペルとは一線を画するそれは。
あるいは異常性とも呼べる――。
「そう。正確には相殺ではなく、もっと根源的な消滅と言った方が良いかしらね。始めに見せた対物的な結界とは全く異なっていたのだから。まぁ、最も――あの時の戦いは水晶に録画してあるけれど、何度見直してもはっきりしたことは結局分からなかったけれど……」
「分からなかった……?」
「えぇ……。分からなかった。あの時この子が表した扇が何で出来ているのか。あの時扇が触れた時にどのようにして貴方の弾幕を消滅させたのか理解できなかったわ。それだけでも異常だと言うのに……極め付きが――最後の一つ」
「琥珀は――確か『百花繚乱』と呼んでいたか」
「百花繚乱……えぇ、実に名前負けしていない――まさにその名前通りの弾幕だったわ。人としてのキャパシティを軽く凌駕するほどの、まさに数えるのが馬鹿みたいになるほどの密度の弾幕をたった一瞬で造りあげたのよ。その子は――貴方の妖力を使ってね」
「…………やはりあれは私の妖力を使ったのか」
「そうよ。あの時散っていった貴方の弾幕の残滓を――未だ吸血鬼の妖力を存分に宿していたソレを、けれどその子はそんなことすら一顧だにせず、当たり前のようにそれを取込み、支配し、そして――吸血鬼である貴方を傷つけるだけの牙を向けたのよ? あの時の弾幕において、その子が使った霊力は皆無よ。まさに貴方の妖力の残滓のみであの弾幕を造りあげだというそれが――まさに異常だということよ」
そこまで饒舌に語ったパチェは、そこで言葉をとぎらせて喉を潤すように紅茶を飲む。
互いに言葉はなく、ただ無言の時が過ぎるけれど。
パチェが紅茶を飲み終わるのを待って私が口を開く。
「なるほど……。確かに私が使い果てた妖力を支配下に置くなど異常としか呼べんが――だからこそ、それこそが琥珀の能力なのではないか?」
能力。生まれ持って持ち得る理屈を超越した力。
人だろうと妖であろうとも、まさに理屈も原理も何もかもも無視して――ただそういうものだという結果のみを造りだす異能。
琥珀が行ったことが異常だというのならば、だからこそそれこそが琥珀の――。
「そうね。確かにその子は能力持ちなのでしょうね。けどねレミィ? それがどのような能力であろうとも。吸血鬼の妖力すら支配下に置くような能力を――」
――本当にただの人間が持ち得ると思うの?
そう私の目を見ながらにはっきりと告げる。
それこそ確信をもった言い方のようで……けれど、あるいは自分に言い聞かせているかのようでもあるようで。
だからこそ、きっとそこまで語ったパチェこそが、その答えを一番知りたがっているようでもあるからこそ。
「ふふ――。面白い。本当に琥珀は面白いよな」
そんな風に笑いださずにいられないのだった。
「はぁ……。レミィ。貴方のような娯楽じみた興味とは違うのだけれど」
「一緒だよパチェ。それが知識欲からくる好奇心だろうと、娯楽からくる好奇心だろうとも。それでも琥珀という存在を見れば……妖であるならばその存在を放っておけなくなるという意味でなら。ほら――同じだろう?」
「……私は貴方ほどその子に執着しているわけではないのだけれど」
「ハハ。その割には熱心に調べようとしていたではないか」
「仕方ないじゃない。未知のモノに対して興味をもつのは魔法使いの定めのようなものなのだから。それに――対外的なモノかそれもその子の特性かは分からないけれど、驚くほど対術耐性が強いものだから、ゆっくりと調べていくしかなかったよ」
「ほぉ。なるほどな。だがその割に術式調査に限定して調べてしたよな。もっと肉体的な調査はしなくて良かったのか?」
「貴方、分かって聞いているでしょ。それこそ髪を抜き、血を抜いて調べて、あるいはもっと奥の方まで調べてみたいと思うけれど……。そんなことをしたら――」
そこで意図的に言葉をとぎらせたパチェと同時に目を向けた先にあるものは、琥珀の首に巻かれている首輪。
琥珀色の――下品な、本当に下品な匂いをバラまいているソレに目を向けがらに……。
「それこそ……その子の保護者が飛んでくるわよ。ねぇ……レミィ。貴方その首輪引き千切るつもりはないかしら?」
そんな冗談じみた言い方で、私自身にとってもひどく魅力的な提案をしてくる。
それこそ、そんなことをすればその奥に待ち構えているであろうあの女との対峙をきっと意味しているのだが。
まぁ……それで琥珀が手に入るというのなら、それすらも面白いとは思うけれど……。
「止めておくよ。今それをすればきっと琥珀に嫌われてしまうからな」
そんなことを言えば。我が友は本当に呆れたとでも言いたげに溜息を吐いた後に、互いに軽く笑い合っていると――。
「………………ん」
そんな声が寝具の方から漏れ出てきたのだった。
それは眠り姫の目覚め声で……あぁいや。正確に言うならば眠り王子の声か。
まぁ、とにかくそれは――。
「おはよう。よく眠れたか?」
琥珀の目覚めの声であった。
本話から第二章になります。