それは一体どういった光景なのだろうか。
紫のドレスを身にまとった金の髪をはためかせる女性が目の前に現れたかとも思うとこちらへと迫ってきていた牛鬼の前に立ち塞がっている。
牛鬼も彼女に気が付いたのかその歩みを止め――威嚇するかのようにこちらへ向け咆哮を上げる。
それはまさに圧倒的。
その声を聴くだけで人を殺せるのではないかと思うほどの密度を持ってこちらへと襲いかかってくる。
だけれども、そんな声を正面から受けていると言うのに。
目の前に立っている女性は身じろぎ一つしはしなかった。
こちらからはその顔を見ることができないため確認することは出来ないけれど。
私には何故かはっきりと確信することができた。
きっとその女性はあの咆哮を受けた後であろうともその顔には笑みを浮かべたままであろうと。
優雅に美しく、そして何処まで人を魅了するあの笑みを。
「これ以上貴方を暴れさせるわけには行かないの。早々にあるべき場所に戻りなさい」
彼女が相対しているのは暴力の化身とも見える牛鬼。
目を血走らせ涎を垂らし満月に吠えちらかすその姿はまさに古の魔獣。
人が束でかかろうとも決して敵わぬ圧倒的な力。
しかしそんな化け物に向かってなお彼女は遥か高みから見下ろすように声をかけていく。
決して揺るがず圧倒的な自信のもとに下される言葉。
そこに込められたる力はまさに極上。
彼女が意思を込めてかける言葉に比べれば魔獣の咆哮など児戯に等しいものに成り果てるだろう。
それほどまでの力差が両者には存在することを後ろから眺めるだけでも感じることができた。
だというのに――。
やはり化け物は化け物か――。
きっとそこには理性も知性も存在しなかったのだろう。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――っっっ!!!!」
咆哮を再び上げ魔獣は彼女に向かって突進していく。
獲物を横取りされたことに対して苛立ちを見せるように。
自らこそが最強であると疑ぬことをしらぬ蒙昧さを身に着けて。
「ふぅ……やはり言って分かる程度の相手でも無かったわね」
だけれども、その程度の力をもって。
たかだが巨石を砕く程度の力で。
彼女に対して敵対することの。
何と愚かしいことであろうか。
「悪いけれど遊んでいる暇はないの」
そんな一言と共に軽くその右手に持ちし扇を振るう。
行った動作はたったそれだけ。
けれど一秒にも満たぬそんな動作の果てに……現れるのは紫幻の結界。
それはまさに至上の防壁。
巨岩すら鎧袖一触で砕けちらす牛鬼の突進を、されどその結界は欠片ほのど罅すら与えず受け止める。
そして絶対の自信の元に繰り出された突進を止めらえた牛鬼は、自身の誇りに傷が付いたかと言うほどに目を血走らせ突進を繰り返す。
その光景は、人間にとって原初の恐怖を呼び起こすほどに禍々しい。
私が喰らえばその一瞬で襤褸切れのごとく成り果てるであろう突進を、目を血走らせ声だけで吹き飛ばされになるほどの咆哮を上げて、迫り来ようとしているのだから。
けれど、そんな些末ごとなど。
今の私には気に掛ける余裕などどこにもありはしなかった。
そんな、狂気の魔獣が視界の隅にも入らぬほどに、私は目の前に佇む女性と、そして彼女が生み出す幻想に目を奪われる。
紫色に輝く四重の結界。
人が千年経とうとも決して辿り着くの出来ない極地の顕現。
その結界は、魔獣の突進をいとも簡単に受け止める。
魔獣がどれほどの力を持っていようとも決して超えることの出来ない至上の結界。
ああ――その結界の何と美しいことか。
その結界を生み出す彼女の何と……本当に何と美しいことか。
その光景に。美しい幻想世界に私は目を奪われ……いえ、心を奪われる。
今まで一度も動きなどしなかった心臓が。死に絶えていた心臓が。
今は震え上がらずにはいられなかった。
動き震え心の奥底からこちらの体を突き動かしていく。
その光景に、その光景を造りだして行く彼女に。
憧れる。
憧れる。
憧れる――!!
これほどのまでの光景に。
無味乾燥だった世界をたった一瞬で幻想へと作り変えた彼女に対して。
どうして恋い焦がれないことが出来ようか。
もっと近くで。
もっともっとそばでそれを見ていたい。
後ろから眺めるだけなどどうして出来よう。
ならば。
私がやるべきことどなど、初めから決まっている。
動け。
私の……人形ではない、私自身の体よ。
死に絶えた時間は終わりだ。
今この瞬間をもって私の心臓は動きだしたのだ。
ならば前に進め。
泥沼の奥底で停滞する時間は終了だ。
目の前の光景に。
幻想の世界へと旅立つ時間が今始まったのだから。
そして人形としてではなく、人間として彼女の元へと歩もうとした私の耳に再び魔獣の声が聞こえてくる。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――っっっ!!!!」
それは戦吠の声か。
自身の奮い立たせ、獲物を刈り取る強者の声か。
いや――それは違う。
それはまさに恐怖の叫び声。
いまさらにながらにあの魔獣は気が付いたのだ。
自身が相対している者が一体どのような存在であるのかを。
この場において強者とはどちらであるのかを。
だがもう遅い。
生き残りたくば彼女に出会った瞬間に魔獣は地に頭を付け、命乞いをするべきだったのだ。
そうれば彼女の温情に縋れたかもしれないというのに。
「それじゃあ、これで終わりにしましょうか」
そして告げられた彼女の言葉はまさに死の宣告。
再び振るわれた扇を振るうと、辺りに一体に広がる赤と青の死蝶。
その一体一体が死の匂いを漂わせながら魔獣へと迫っていく。
辺り一面に広がる死の匂い。
そしてそれを笑みを浮かべながら行う彼女。
その光景もまた極上に美しい。
それは死の舞踏――。
生物である以上逃れる絶対の恐怖である概念を、されど彼女は至上の蝶として顕在させる。
ああ、これほどまでに綺麗な光景が他にあるだろうか。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――!!!!」
圧倒的なまでの赤青の蝶にさらされながら上げる咆哮――。
全身に死の呪いを纏いながら上げる悲鳴。
しかし全身を傷つけながらも未だ倒れぬその姿はさすがに魔獣と言ったところか。
今までの私ならただただその光景に圧倒されるだけであったろう。
だけれども今はその姿の何と邪魔なことか。
私は今彼女を見ているのだ。
彼女が創り出している光景に魅了されているのだ。
その場面に居る醜き一点の何たる無粋。
ああ――そうだ。
だが、私はお前に感謝もしているのだ。
お前が私を襲ってくれたから。
私に目を付けてくれたから。
私は彼女に会うことができたのだ。
ならば万感の思いをもって感謝をしよう。
だがすでにお前の役目は終わったのだ。
これ以上彼女の視線を独り占めするな。。
彼女の光景にただ一人佇んでいるんじゃない。
私は決めたのだから。
前に進むと。
目の前の光景へと。
今はまだ届かない幻想へと至ることを――。
ゆえに早々に消え去れ牛鬼。
今からそこは。
私の場所となるのだから――。
だけれどどうすれば良い――?
どうすれば私はあそこへ行ける?
あやかしと幻想が入り乱れているあの光景へと。
答えなんて――簡単のこと。
自らの力によってあの光景へと至る道を造りだせば良い。
力を。
私が持つ力を。
無いならば造れ。
幻想を、あの世界へと至れる道を。
参考にすべきものは眼前にあるではないか――。
あの蝶。
紅と青で造られているあの蝶を。
見ろ。
見ろ―。
見ろ――。
見ろ―――。
視ろ――――。
視ろ――――!
視ろ――――!!
視ろ――――――!!!
その幻想の全てを。
幻想を造りだす彼女の全てを。
そのありとあらゆる幻想の全てをこの目に焼き尽くせ。
その幻想の源を。
力のあり方を。
その流れゆく様を。
幻想が行くつく先を。
その全てを見ろ。
その全てを見尽くせ。
そして模倣しろ。
私の辿り着く世界が目の前に存在しているのだから。
一歩前に進め。
この世界からあの世界へと。
幻想を抱いたならば、最後の工程はただ一つ。
名前を。
幻想を幻想として形造る名前を此処に。
さぁ――――。
幻想世界を始めよう――――。
「幻想『対子白夜蝶』」
白と黒で織りなす一対の蝶。
たった二匹。
彼女のように万来の蝶を呼び出すなど私には出来はしない。
けれど今はそれで十分。
二匹の蝶が居れば十分。
きっとそれだけあれば――。
「………………へぇ」
彼女は必ず私を見てくれるから。
ああ――。
もっと。
もっと。
もっともっと私を見て。
私だけを見て――。
金髪の女神。
私にもっと興味を持って、私のその眼を向けて。
そしてどうか声を。
私に声をかけて――女神様。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――っっっ!!!!」
ああ五月蠅い……。
黙れ魑魅魍魎。
もはやお前の役目を終わったのだ!
これ以上私の邪魔をするな。
それ以上彼女の手を患わせるな!
「消え失せろ。醜き妖怪」
そして、私は二対の蝶を飛び羽ばたかせる。
そこに一瞬の躊躇いもありはしない。
少しでも早く。
彼女の目線を私だけのためにする為に。
「■■■■■■■■――――!!!!」
二対の蝶が激突するとともに最後の咆哮を上げると牛鬼はその場へと倒れ伏す――。
蝶が衝突するときに自分の想像以上の威力の爆破を伴っていたようだが。
今はそんなことはどうでも良い。
邪魔者は消え去った。
これで二人だけ。
私と彼女の二人がこの場に存在するのだから。
私は迷うことなく彼女へ向け頭を垂れる。
彼女は私へ声をかけてくれるだろうか。
それとも私から声をかけるべきだろうか。
ああ……。
今は自身が人間であったことすら悔やまれやする。
もしも私に犬のような尻尾があったならば。
私は全力をもってそれを振り耳を垂れ彼女に対しての想いと従順を示したというのに。
「ねえ……貴方……名前は?」
あぁ……。
声をかけてくれた――。
私に……。
私だけに声をかけてくれた。
たったそれだけなのに。
すでに今まで零したこともない涙が溢れ出てきそうになる。
「……名前……ないです。私は……人形だったから。人形に……名前はないから」
彼女の声に比べて私の声は何て醜い声だろうか。
今までまともに会話もしてこなった人形としてのツケが今表れるなんて――。
しかも私は彼女のその問いに答えられるものを持っていない。
名前など人形であった今まではどうでも良かったのだから。
「あの……私に……名前……ください。人形であった私に……人としての名前を……ください」
唐突な願い。
あぁ……。
何と不躾で無礼な行いか。
だが止められない。
心の奥底から湧き出る自身の想いを止めることなど今の私には出来はしない。
「それは……どういう意味からしら?」
彼女が私に問いかけてくれる。
ならばあとは私の想いを全て曝け出すのみだ。
僅かでも良いから彼女へと届くようにと……。
「私は……奴隷だった……人形だったから。名前……ないです。だから私に名前……ください。変わりに……私の全てを……貴方に捧げます。血も肉もこの身の全てを……魂も……全て貴方に捧げます。だから……私に名前を……下さい」
たどたどしくも私は自身の想いを一気に言うと再びを頭を垂れる。
彼女は私を受け入れて貰えるだろうか?
私に興味を持って貰えるだろうか?
路傍の石として捨て置かれるだろうか……。
それとも私のそうな人間が彼女に恋い焦がれるなど思い上がった人間として撃ち殺されるだろうか。
「それは……私がどういった存在か分かって言ってるの?」
感情を感じさせぬ平坦な声色。
何を考えているのか分からぬ声で彼女は問うてくる。
けれど私はただ問われたことに対して答えるのみだ。
「もちろん……です」
「…………本当に? 私はそこに居る遂先ほど貴方を喰い殺そうと襲っている妖怪と同じものなのよ?」
「……あの妖怪と……同じ? いいえ、違う。違い……ます。貴方はもっと別の存在。次元を超えた先にいます。より幻想に近い存在。幻想を……生み出す存在……だと思い……ます」
「…………そう。もしかして貴方は私を神のようにでも思っているのかしら?」
「それも……違い……ます。神様はきっと……もっと儚いと……思います。でも貴方は幻想のように感じられるのに……でも確かに……そこに居ます。そして……色んなものを取り込んで、色んなもので汚れていて…………でも……だからこそ、誰よりも……何よりも綺麗です。まるで全てを受け入れた幻想の世界のように……美しい……です」
私の言葉はきちんと意味になっているだろうか。
彼女の問いに対して、とにかく感じたことを、思ったことを口にしているが、それはきちんと彼女に伝わっているのだろうか。
そんな思いと共に、彼女の答えをまっている次の瞬間において――まるで少女のように感じられる笑い声を彼女があげだした。
「……ふふ。ふふふふふ。そう……。ふふ……。貴方……面白いわね。貴方のその赤い瞳に、私はそんな風に映るのね」
彼女は笑う。
可笑しそうに、本当に可笑しそうに声を上げて笑う。
ああ……その笑顔もまた格別に美しい。
そんな笑顔を私に向けて浮かべてくれる。
もはやそれだけで、私が今まで生きてきた意味があるようにすら思えるほどに。
彼女の笑みに私の心は満たされていく。
「良いわ。貴方に名前を上げる。貴方の名前は今日からコハク。琥珀と名乗りなさい」
こはく。
コハク。
琥珀。
ああ。名前。
私の名前。
私だけの名前――。
今より私は琥珀。
私はそれを刻みこむ。
私の体に。私の魂に。
それは決して穢れぬ穢れさせぬ私だけの名前だ。
琥珀。澄んだ清んだ私だけの名前。
紫様が私にくれた名前。
名を付けるというその行為。
伝承よりなお古き時代から行われる原初の契約。
紫様が名前を下さった。そして私がそれを受け取った。
ここに一つの契約がなる。
あぁ……ああぁぁぁぁぁ!!!
なんて。
なんてなんてなんて……。
なんて素晴らしんだろうか。
心の奥底から湧き出る気持ちを、私はどうやって抑えることができるだろうか。
それとも、それを押さえつける理由なんてどこにもないのだろうか。
「ふふ……気に入って貰えたようね。ついでに私の名前も貴方に教えてあげる。私の名前は紫。八雲紫よ」
「はい……ありがとうございます。紫様」
私は自身に名前をつけてくれたこと。
そして私に名前を教えてくれたことに対して全ての感謝を込めて深く深く礼をする。
そして顔を上げた時、紫様は私のそのすぐ目の前にまで顔を近づけていた。
私は、ただ体を動かすことも出来ずにこちらを見つめてくる彼女に見惚れていただけだったのだが、彼女はさらに顔を近づけた後に、すん……と私の耳元でまるで私の匂いを吸うように鼻を鳴らした後に、今までよりさらに深い笑みを浮かべてこちらを見つめてきた。
「面白い……本当に面白いわね貴方は……」
「紫様……?」
「人の汚物に塗れてなお、巫女すら凌駕するほどの清純さを失わない存在……ね。ふふ……本当に貴方は面白いわね……」
彼女の応えになっていないような呟きに、私にはその本当の意味を理解することは出来ない
けれども、それでも私は自身の内から溢れ出る高揚感を止めることができないでいる。
この身が人の汚物に穢れていようが、清純であろうが、はっきり言ってしまえばそれはどうでも良いことである。
ただ大切なことは、私に紫様は興味をもって下さっている。
私に。人形でないこの私に。白に。目を向けて貰っている。
あぁ……。
もっと。もっともっともっと私を見てください紫様。
私を見てください紫様――。
どうすれば見て貰えますか紫様?
どうすればもっともっと私に興味をもってくださいますか……?
「ねぇ……琥珀。貴方はこれから、何になりたいかしら?」
それは質問と言うにはあまりにあやふやな問いであった。
紫様とてそれが唐突に、そして人間が答えるには漠然とした質問であることも分かっているのだろう。
私の目を見つめながら、けれどその口には深い深い笑みが浮かんでいるのだから。
そしてその意図の分かりずらい質問に……けれど私は迷うことなく答えたのだった。
だって……その質問の応えなんて私にはたった一つしかないのだから――。
「琥珀は……紫様のモノになりたい……です」
一切の迷いも躊躇いもなく答えた私に、紫様は少しだけ目を細め、そして口元を扇で隠し問い返してきた。
「それは、本当に意味が分かって言っているのかしら?」
「もちろん……です。私は――琥珀は、その魂を、この命を――紫様に捧げたい……です。琥珀は琥珀の全てを懸けて紫様のモノになりたい……です」
懸命に自分の想いを紫様へ届ける。
こんな時に優れた言い回しなど知らない私は、ただただ自身の想いを言葉に乗せて紫様に届けるようにと。
それでも紫様は、口元を扇で覆いながらにさらなる問いを私へと投げかける。
「貴方は……貴方という存在は、私とは……いえ私たち妖怪とは、ある意味対極に位置する場所に居る存在よ。貴方の魂は、太古に存在した聖域に住まう純潔の乙女にすら劣らぬほどの清らかさを持っている。それほどの魂を、貴方は人の欲望が渦巻くこの世界でなお持ち続けている。それは、古の妖怪である私からしても奇跡とも呼べるものよ」
純潔? 紫様と対極の存在?
いいえ。いいえ――。
私は紫様の傍に居たいです。
この身こそが穢れた存在だからこそ、光輝く紫様のそばに――。
そう私が紫様に伝える前に――紫様はさらに言葉を続ける。
「だけど、もし私の傍に――魔と妖の世界に来ると言うのなら……貴方のその魂すらどうしようもないほどに穢れてしまうかもしれないわよ。文字通りに穢れへと堕ちることになるかもしれない蛮行とも言うべきものよ? そのとき感じる苦痛は、普通の人間が感じるより何倍にも感じるかもしれない。貴方が今ままで感じてきた苦痛すら生ぬるいと感じるほどに――。それでも貴方は私のモノになる道を歩むと言うのかしら――?」
「いいえ。いいえいいえ……! 紫様……。私は……琥珀は、清純にも純潔にも興味など……ありません。そんなものは……どうでも良いです。 例えこの身がどれほどに穢れようとも血と臓物で汚れようとも、構いません。それで紫様のモノになれると言うのなら、紫様と一緒に居られると言うのなら、琥珀は喜んで穢れます! 汚れます! だから……だから……紫様……!」
身を乗り出し、声を絞り出し、懇願する。
ならばこの場で穢れて見せろと言うのならなんでもします。
本当に本当になんでもします。
だから……だから……どうか、どうか、見捨てないでください。
そんな、私の魂から湧き出る想いを載せて紫様を見つめ続ける。
そしてそんなどうしようもない不安に揺れる私を、紫様はしばらくの間見つめ続けた後に、扇を口元から離しそして、ゆっくりと私の頬へと手を伸ばしてくれた。
紫様が触れてくれた。
私に、琥珀に、触ってくれた……!
そのどうしようもないほどに美しい白い手で、私の頬を撫でてくれている……。
そして名前と同じ透き通るほどに美しい紫の瞳が私の瞳を覗いている……。
それに鼻からも、屋敷に居た時に嗅いだ香水など比べることすら烏滸がましいほどの、甘く優しい紫様の香りが感じられる……。
あぁ……もう……!
先ほどまで感じていた不安などこの一瞬で全てが消し飛んでしまうほどに、今の私は、私のすぐ目の前に居る紫様を感じることで一杯になる。
もっと……もっともっと私に触れてください。
私に触れてください紫様。
私を撫でてください紫様――。
そんな想いを込めて紫様を見つめる私に、先ほどまでとは少し違うような気のする笑みを浮かべて紫様は再び口を開かれた。
「ねぇ……。貴方は、どうしてそこまでして私のものになりたいのかしら?」
どうして……?
どうして……?
どうして……私は紫様のモノになりたいの……?
私は咄嗟に開きそうになった口を一度閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。
きっとこの問いは今までの問いの中で一番大切な気がしたから。
この答えしだいで私が紫様の元に居られるかどうかが決まりそうな気がしたから。
私は、紫様へと自身の想いを届けられる言葉を考え出した。
どうして、私は紫様のモノになりたいの?
私の目の前に表れた彼女が、手を伸ばし続けた夜空に浮かぶ満月のようにに美し感じられて。
それは止まって居た心臓が鼓動を始めるほどまでに美して。
彼女の造る世界が綺麗で。どうしようもないほどに綺麗で。
憧れて。 その世界に焦がれて。
そんな世界を作り上げる彼女に魅了されて。
彼女の居る世界に私も行きたいと願わずに居られなかった。
だからもはや人形のままでいることなどどうしようもなく我慢できなくて。
そして彼女に名前を付けて貰って。
琥珀の名前を付けて貰って。私は琥珀になれて。
満月のように美しく輝く紫様に琥珀という名前を貰って。
そう……紫様は私にとっての月……。
漆黒の夜空をされど爛々と照らす満月のような存在だから。
私という存在は、紫様が居て初めて琥珀として成り立つ存在。
紫様が居なければ、夜闇の中で身動きすらできずにただの臓物へと成り果てるだけの存在なのだから。
夜闇の支配する世界で、けれどそんな闇すらも一瞬のうちに幻想なまでの美しさで輝かせる存在に出会えたのなら、その傍へ在りたいという感情を持たないなんてどうしてできよう。
だからそんな私が……私という存在が紫様のモノになりたいと思うことは世界の真理よりもなお揺れ動くことのない理として私の中にある。
紫様のモノになりたい。
紫様の傍に在りたいと願うことは、けれど満月と共にありたいと願うことと同義である。
ならばどうして生半可な覚悟でそこへ至れる。
ただ在りたいと願う程度でどうしてそれが叶えることができようか。
そう……紫様のモノになりといういうのはその覚悟の表明。
紫様と共にあり続けるという私の意志の表明。
そしてそれが、紫様のモノになるということが穢れへ堕ちるというのなら喜んで私は身も魂も穢れよう。
屋敷に居た頃に感じた苦痛すら苦痛と感じられないほどの凄惨な地獄の窯へ飛び込めというのなら全力をもって飛び込もう。
妖怪に八つ裂きにされる必要があるというのなら、自らの意志で血とを臓物を世界へと撒き散らそう。
例えこの体という器が無くなろうと私は魂となって紫様と共にあってみせよう――。
あぁ……!
この想いを何と言って伝えれば良いのだろうか……?
その全てを伝えるには私の言葉はあまりに稚拙だから……。
だから考える。
何といって私は紫様に伝えれば良い?
何と言えば私の想いは紫様に届くのだろうか?
考えて……。
考えて……!
考えて……!!
今までまともに動かしたこともない脳を、焼き切れても構わないとういうほどに考えて……。
そしてふと……今まで考えていた間伏せていた瞳を上げて。
私が考えている間も、変わらずに笑みを浮かべて私を見つめて下さっていた紫様と目が合って。
紫様という存在を見て、紫様という存在をこの体の全てで感じて、そしてその瞬間に私の中に、伝えるべき想いが……たった一つの言葉で支配された。
それが間違っているのか、正しいのかは分からないけれど……今までとは比べることすら出来ないほどに早鐘の打つ鼓動を止めることは出来そうになかった。
だからそれまで色々考えていた言葉も、何もかも置き去りにして私は口を開いた。
「紫様……愛しています。好きです。大好きです。私は……琥珀は紫様の事を愛しています。だから……だから……! 琥珀を紫様のモノにして下さい!」
紫様の瞳を見続けて紡いだその言葉に紫様は…………ポカンと呆けた顔をされてしまった。
そして本当に驚いているような顔で私の顔を見つめ続けた後に、今までの余裕をもった笑みとは違う。本当に、心の底から可笑しそうな笑い声をあげたのだった。
「あは……あははははは。貴方……くふふ……本当に……本当に面白いわね。まさかこんな場面で愛の告白をされるとは流石に思わなかったわよ」
そうしてそのまま笑い声をあげながら紫様をくしゃくしゃと髪を撫でてくれた。
そうやって撫でて貰えるのが本当に嬉しくて。
そのまま紫様に身を委ねる私と……そして笑い声を上げて私を撫でて続ける紫様という姿がしばらくの間続いたのだった。
純愛……純愛? 純愛のはず。たぶん。きっと。
少しだけハーレムっぽくなりますが。
ご意見ご感想などありましたら大歓迎です。