深い深い竹林のその奥底に。
並みの人間では立ち行くことのできないその場所にある一つの屋敷。
辺り一帯に漂うは先を見通すことのできない霧に囲まれて。
ひっそりと佇むは――俗に『永遠亭』と呼ばれる日本屋敷。
そんな屋敷に住まうようになってから……今日で何年目だったかしら。
千年かあるいは二千年か……それともそれより遥かに長ったかもしれない。
けれどそんな些細や違い――。
永遠の魔法に包まれた世界にとって千年もあるいは一秒も。
そんなこは結局のところ同質のことである。
時は流れず。あらゆる事象が永遠という檻に囲まれて。
覆水盆も返る世界。
そして、あらゆる穢れの無い世界。
それこそが永遠の魔法によって覆われた世界だったのだけれど。
しかし、私はそんな永遠の魔法をかけたこの永遠亭を。
一切の穢れの存在しなかった屋敷を。
けれど私は永遠の檻を取り外したのは……昨日? 一昨日? あるいは一年前だったかしら?
それとも――。
なんて、別にその魔法を解いたのが何時だったかなんて結局のところどうでも良いことだけれど。
大切なことは、もはやこの屋敷は永遠の時の中に居ないということ。
時は流れ、あらゆる事象が時の影響を受ける。
当然、覆水盆も返らない。
だからこそ、この屋敷にもまた地上の穢れが蓄積していっている。
別にそのこと自体は構わない。
私の生まれが何処だっとしても……。少なくとも今、この瞬間において私はこの地上に住んでいるのだから。
私が望み。私が願った今こそがコレなのだから。
だからこの屋敷もまた穢れに染まっていくという……年そのことは構わないのだけれど。
だけれどそんな世界だからこそ。私にもやることが出来たのだから。
『優曇華』
三千年に一度しか咲かないと言われる幻の花……と同じ名前の別のモノ。
本来は月の都にしかないその花を。
けれどこの地上で育てることこそが私の唯一の日課。
蓬莱の玉の枝と呼ばれるもののその発祥。
優曇華が開花して実をつけたものこそが蓬莱の玉の枝となる。
その優曇華も今は花もなければ実もついていない枯木のようにそこにあるけれど。
しかしそれは、全く変化がないように見えてけれど確か変化はしているはずである。
なぜならこれは穢れによって成長するから。
そして此処は穢れ無き月ではなく永遠の魔法が解けた永遠亭……この穢れのある地上であるからこそ。
間違いなく優曇華は成長を続けているはずである。
だかこそ、私の日課はそれを愛でること。
別に水やそれ以外の手入れをしたりするわけではないけれど。
そんなことをする必要も無く……ただ穢れがあれば成長するからこそ。
私はその成長を愛でる。
ただ何もせず眺める時もあれば偶には話しかけたりすることもあるけれど。
そんな私の日課を続けるよって……。
けれど未だに何かしらの変化が見受けられることは無かったけれど。
「…………あら?」
しかし今日は違う。夕刻。太陽の最後の残り火を浴びるように斜陽に輝く世界において。
ほんの僅かな――。けれど確かな変化がそこにある。
「これは……蕾かしら?」
小さな。よく見なければ見逃してしまいになるけれど。確かにそこには小さな蕾がついている。
それは今までに無い大きな変化ではあったけれど。
幾らなんでも早すぎるのではないだろうか――。
蕾が付いたということは、今まで愛でてきたのだから嬉しいことだけれど。
しかしいくら何でも早すぎるような気がする。
これは地上の優曇華ではないからこそ……三千年に一度に咲くというほどに長い時が掛るわけではないけれど。
しかしそれでも、穢れの量によってはそれに近いぐらいにかかるものだと思っていた。
いくら私が時の流れに無頓着だと言っても、それでも永遠亭の魔法を解いてから数千年の時が経ったかどうかを勘違いをしたりはしない。
だからこそ、この変化がもたらすことの意味を考えれば――。
「輝夜様――。そろそろお夕飯ですよー」
そんな声が私の耳に届いてきたのは、それから日が完全に沈んでからだった。
それまで私はただその蕾を見つめていたというこになるのだけれど。
「輝……あぁ。此処にいらしてたんですね。お夕飯ができま……………輝夜様?」
永遠亭の庭先で。変わらず優曇華を愛で続けていた私の元にやってきたのは――その花と同じ名前を冠する月の兎である鈴仙・優曇華院・イナバ。
そんな彼女が――何時もと同じように夕食の準備が整ったから呼びにきたのだけれど。
しかし振り向いた私を見つめると、少し驚いたような顔をしながらに名前を呼ばれてしまった。
「どうかしたかしら?」
「いえ……。珍しく輝夜様が楽しそうに笑われていますから……」
そんな風なことを戸惑いながらに言われて……。
私は初めて自分が笑っていることを認識して。
「あぁ――。そういえば私は笑っていたのね。ふふ――。鈴仙――」
「……なんですか?」
「きっとこれから楽しそうなことが起きそうな気がするわ」
「はぁ……。それは蓬莱人としての勘ですか?」
「いいえ。どちらかと言えば――女の勘かしらね」
そんな鈴仙とのやり取りを。最後に私の言葉が終わると同時に……。
「すみませーん! 怪我人の手当をお願いします」
一匹の鴉天狗が永遠亭に飛んでくるのが見えたのだった。
「――ふふ。早速私の勘が当たったみたいね。なら行きましょうか鈴仙」
「え? あ――! 待ってください輝夜様」
私はもはや鈴仙の方を見向きもせず。私は永遠亭の庭先から屋敷の中へと入り。
永琳が居るであろう場所を目指したのだった。
そして、歩いて向かった先には居たのは永琳と鴉天狗。それに……血塗れた少女が一人。
その少女を見た瞬間に――。
あぁ……。ほら。
私の勘が当たったと、そう確信したのだった。
血で汚れているけれど。それでもなおはっきりと分かるほどにその少女は――澄んでいる。
驚くべきほどまでに穢れの無い体。
この地上においてあるまじき存在。
まるで月人のようなそんな少女も、けれど彼女は間違いなく月人ではないと。
明確な根拠もないが、しかし私の勘がそうはっきりと伝えてくる。
だからこそ、彼女は何者なのだろうか。
そんな疑問で溢れる変える。
けれど何者かなど分からないが、しかし間違いなく面白いと思える存在だからこそ。
私は、自身の好奇心を抑えるつもりなどなかった。
そう思い。永琳がその子の治療を始めるよりも早く彼女に声をかけてみようとしたところで――。
「…………うそ……神楽……なの?」
永琳がそんな――普段決して見せないような呆然とした様子でそう呟いて。
「永琳……?」
思わず彼女へ呼びかけるけれど。
永琳はこちらに反応することなく。
ただ血に塗れた少女を見つめ続けたかと思うと。
ゆっくりと彼女へと近づいて。その頬に手を宛がったかと思うと……誰かと確かめるようにその瞳を覗き見る。
そして、そんな永琳の行動に、少女はただされるがままのように受け入れている。
それからどれだけたっただろうか。
長い間見つめ合っていたようで。
あるいはそれほど長い時間では無かったかもしれないけれど。
私は普段見せない永琳の行動に――。むしろそちらに驚かされただ彼女の行動を待つのみであった。
とにかくそうやって見つめ続けていた永琳であったが――。
ゆっくりと口を開くように少女に向けて問いを発する。
「……貴方の名前を教えて貰えるかしら?」
「……琥珀。八雲……琥珀」
「八雲……? あぁ……。新たに八雲家に加わった人間が居ると聞いていたけれど――。そう……貴方のことだったのね」
そう……呟く。そこにはあらゆる感情が含まれているようで。
けれど彼女がそれに何を考えているかは分からなかった。
まぁ、永琳の考えていることなんて私が想像してもきっと分からないだろうから別に構わないけれど
だから私は私でその少女のことについて思考する。
八雲……。八雲紫とその式神が名乗る名をその少女は口にした。
そういえば―……
前に鈴仙か永琳が噂話をしていたような気がする。
最近になり妖怪の賢者八雲紫が人間を自身の一族に取り入れたという。
はっきり言って眉唾ものの噂話程度のものだと思っていたのだけれど。
まさかあの八雲紫が人間なんかを……と普通ならばそう考えるからこそ。
しかし実際こうしてこの少女と対面してみると。
なるほど――。
この少女ならば……と確かに思えるほどに。
彼女という存在は其処にあるだけで面白いと思えるからこそ。
少女が八雲と名乗ったことに対して私はそれ以上の驚きはなかったのだけれど。
そして私はそんなことを考えてるとd。
「ねぇ――。貴方の親の名を教えて貰えないかしら?」
そう永琳はさらに問いつづけている。
彼女の口ぶりからするに永琳はこの少女のことを知っているのかもしれない。
だからこそこうして少女の一族としての名を聞こうとしているのだろうけれど――。
「……ん。私は両親のことを何も覚えていないから……」
そう返されてしまえば。
永琳とてそれ以上問いつづけることも出来ずに。
少しだけ。本当に僅かに感じる程度だけど目を伏せるように仕草をした後に少女に謝罪の言葉を口にした。
「……そう。ごめんなさい。余計の事を聞いてしまって。それよりも先に貴方の治療をしなければいけなかったわね」
そうして永琳は今までの雰囲気など無かったかのようにてきぱきと治療を始めるけれど……。
それよりさっきから私を無視してばかりで。
少しはこちらにも説明しなさいよ。
「ちょっと永琳――。私にもせつめっ……………て。え……。男の子?」
思わず――凝視。
永琳が治療の為に少女の服――元は白を基調としていたであろう今は血で赤く染まった巫女服を肌蹴させたところで。
もはや疑うまでもなく少女だと思い込んでいた人間は……。
けれどそこにあるのは、
そもそも女性に本来あるはずの膨らみが僅かにもない胸板であったからこそ。
思わず永琳に対する追及よりもそちらへ目線が釘付きになってしまった。
「あら――。まさか男の子とは思わなかったわ。これは輝夜には刺激が強かったかしら? 何か聞きたいこともあるみたいだけど……治療が終わるまで隣の部屋で待っていた方が良いかもよ?」
なんて……。
そんな。やっとこちらに対して反応してきたかと思えば。
そんな挑発じみた言葉であったからこそ。
「…ふん。私を誰だと思って居るのよ。都中の男たちを虜にした姫よ。今さら男の裸の一つ見た程度でどうこう思う訳ないでしょ。それよりも――永琳!」
「はいはい。何かしら?」
「貴方この子のことについて何か知っているみたいじゃない。貴方が知っていることを私に教えなさい」
「……どうして輝夜がこの子のことについて知りたがるのかしら?」
「そんなこと決まっているでしょ。その方がきっと面白いからよ」
私は胸を張りそう伝える。
面白いからこそ関わる。面白そうだから知りたがる。
何かを行うという理由にこれ以上のものは無いと思っているからこそ。
私は堂々とそれを告げるのだったけれど。
永琳は小さく溜息を吐きながらに答えるのだった。
「……はぁ。私は確かにこの子の……というよりもこの子の一族について知っていると思うわ。けれどそれはこの子自身も知らないような事のはずよ。それを本人の了解も無しに先に貴方に教えられるわけないでしょ」
なんてそんな――。
今さらながらに常識人っぽいことを永琳は話すけれども。
「あら。だったらこの子と一緒に聞けば良いだけじゃない。――ね? 私は蓬莱山輝夜。輝夜と呼んで良いわよ琥珀。それで。この人――永琳って言うのだけれど。この人が貴方の事について何か知っているみたいなの。だからそれを貴方と一緒に私も聞きたいんだけど構わないよね?」
「……ん。別に構わない。私も私自身のことに知りたいと……思っていたから。だから――永琳……? 私のことについて何か知っているなら教えて……欲しい」
「……そういえばまだ名乗ってなかったわね。ごめんなさい。私は八意永琳。この永遠亭で医者をしているわ。……それで。そう。貴方のことだったわね」
「……ん。永琳は何か知っている……の?」
「えぇ――。知っている……いえ。良く覚えているわ。遠い昔。それこそ神がまだ人と共に居た時代の貴方の先祖に当たる人のことをね」
そんな昔話をするように語り始める永琳であったけれど。
しかし――。
「ちょっと待ちなさい。この子の先祖って……。どうして初対面のはずの貴方がそんなことを一目で分かるのよ」
八雲の名を与えられている以上はそれはこの子の一族の名ではないはずだからこそ。
ただその姿だけを見ただけで先祖を理解することなのできるのだろうかという――疑問が当然浮かぶからこそ。
この子が聞くよりも先に私は永琳に問い詰める。
「分かるわよ――。……ねぇ輝夜。貴方も感じているはずでしょ? 一目見ただけで理解させられるほどにこの子がどれほど澄んでいるのかということを。この地に生きているはずにも関わらず穢れを感じさせないそのあり方を」
「えぇ。確かにそれは感じているけれど」
「それこそが――神楽と呼ばれる一族の特性。どれほどの穢れのある世界に生きようとも……それでもなお穢れる事の無い神秘に包まれた一族よ」
「……へぇ。それは……。確かにそれだけの特性を持ち合わせる一族なんてそうは居ない……か」
「ほとんど居ない……というよりもこの世界に神楽に変わり得る一族は居ないと断言できるほどよ」
「余りに出鱈目な一族ね……。けれどそれほどの特性を持っていたのなら月人達が放っておくとは思えないけれど?」
「えぇ。実際その通りだったわ。私達月人は嘗て穢れ無き世界を目指す為に穢れを否定した――」
否定。
そう確かに否定だ。
穢れなき世界を造ることは穢れそのものを否定してしまうこと。
穢れとは生きることであるからこそ。生きる為に他者を喰らい。他者を蹴落とす。
そうして世界は血に塗れていき、そして死を迎える。
栄枯盛衰。それこそがこの世界の生というものである。
そうして世界に死が溢れ穢れもまた蓄積していった。
だからこそ嘗ての人々は、穢れの無い世界を目指すために――嘗て月夜見様と呼ばれる三貴子の一人である月と夜を支配する神によって、穢れの無かった月へと移り住んだと……そう昔永琳に教わった。
つまりそれは、今の月人が穢れ無き世界を目指すために穢れを否定したということ。
生と死の否定。穢れに繋がらるあらゆる事象の否定。そうして否定していいった先に――穢れの無い世界を造りだという。
そして、それは私の能力も同じこと。永遠の魔法をかけることによってこの永遠亭も穢れの無い場所にしていたけれど。
それもまた穢れを否定したこと。生と死の否定。時の流れによる事象の変化の否定。
同じ場所にとどまり続ければ―生物としての時の流れを否定してしまうことによる穢れの否定。
そうすることによって、私達は穢れの無い世界を造ってきたはずだったのだけど――。
「……そう。けれど彼ら一族はそんな穢れを否定することなく受けれて……なおそれら全てを浄化してしまう。そんな彼らに月人は血眼になって自分たちに協力するよう迫ったけれど。ただ全ての事象を受け入れることを望んだ彼らは私達と共にあろうとはしなかったわ」
彼らはそれを受け入れたという。
受け入れてなお穢れを無くす……いえ、この場合は穢れを内包してなお清純である……と言えば良いのか。
だからこそ彼らは――琥珀は今を生きていると感じるのだろう。
今を生きて、だからこそ何時か死ぬ。
寿命のある世界を生きているけれど。しかしそれでも彼らは穢れを浄化する。
それはなんて――。異常性とも呼べるあり方であるからこそ。
「……ふーん。でもそんなことを許すほど……貴方達は寛容でもなかったでしょ?」
そう穢れを無くすことに躍起になっていた嘗ての月人が。
そんな極上の存在を見逃すはずがないと思うのだけれど。
「えぇ。実際に彼らの自由を一切奪ってでも手元に置こうとしていたのだったけれど――。結局のところ……それは出来なかったわ」
「あら。それは何故か……理由を聞いても良いからしら?」
私が疑問を言って――永琳が答える。
この話の主題を考えれば可笑しなことだけれども。
話の中心になるはずの琥珀はただ静かに私達の会話に耳を傾けているだけなので。
結局のところ私と永琳が会話の中心になっている。
まぁ、私も思いもがけない内容ながらに好奇心を引く話だからこそ。
琥珀が何も言わなければこのまま会話を続けるつもなりなのだけれど。
「彼らが様々な神からも愛されていたからよ。それこそ月夜見やその姉――間接的ながらもその親からも……ね」
「………………へぇ。それは……凄まじいわね」
今までの話だけれでも十分彼ら一族の凄さが滲み出ているというのに。
その永琳の言葉はそれまでよりもなお際立って凄まじい。
神からの寵愛を受ける人間が歴史上において幾人かは居たことは確からしいけれども。
しかし――。
その相手が三貴子であり――それにそれらの産みの親となれば……。
「えぇ。お蔭で月人と言えども彼ら一族に手を出すことなどできなかったわ」
「それは確かにそうでしょう……けど。でもどうして神々が彼らを愛したのよ? 幾ら穢れを知らないと言ったとしても――それだけで神々が愛するものなの?」
「そうね。ただ穢れ無き存在……というだけであれば私達月人もそうであったでしょうけれど。けれど想像してみなさい。厳重なまでに周りを囲み、あらゆる手段を用いて、人工物の世界で育った花は――いくらそれが美しくとも、それでもそれらに魅了されはしないでしょう。けれど……。荒涼の台地に。光も水も存在しない灰色に染まる世界に――けれども人工の花など比べものにならないほどに満開に咲き誇る花々があれば。しかもそれらの花々はどれほど泥浴びようとも、それでもなお光り輝く花であれば。例えそれが神であろうとも魅了されるのが道理というものよ」
「……なるほどね。大切なのは穢れを知らないことではなく……穢れを受け入れてなおその穢れごと美しく輝いているという……そのあり方というわけね。だからこそ神々すらも彼らを愛した……ね」
「そういうことよ。だからこそ彼らは神楽の名を持つのよ。今の世でもその名は語り継がれているはずよ。神降ろしを行う舞いを確かそう呼ぶはずだから」
へぇ……。
まぁ……そうよね。
それだけ神に愛されていたのなら今の世でも名前が残るのが道理……か。
あれ……。
でも確か神楽ってどこかで聞いたわね。
前に永琳から月の守りについての説明を受けたと時に。
確か……。そう。それは――。
「……って。ちょっと待ちなさいよ。神楽舞の起源だというのならまさか神楽の一族って宮比神の系譜って言うんじゃないわよね」
宮比神。あるいは天鈿女命。
嘗て永琳が語っていた月の守りついての説明をしていた時に出てきた女神の名。
月は注連縄という縄を模したものによって守られてる。
それこそが不浄なもののを妨げる結界であるからこそ。
そしてその注連縄の起源は天照大御神が岩戸隠れを行った時に。
岩戸から出てきた天照大御神が二度と岩戸に入れるように縛ったものことが注連縄である――そう昔永琳から教わった時。
その天照大御神を岩戸から誘い出す為に舞いを行った者こそが宮比神。
女神の舞によって天照大御神は岩戸から出てきたというけれど。
その宮比神の舞こそが神楽舞の起源だと。確かそう教わった記憶がある。
「あら……。良く覚えていたわね。けれど彼ら一族は宮比神とは無関係だわ。そもそも彼らは神の愛を受けれても決して自身達は神性を持とうとはしなかったのだから。ただ神と共にあった者。神の傍に居た者としての神楽……正確に言うのなら神座ね。舞はあくまでも付属品にすぎないの。本来は彼が居る場所にこそ神が寄ってくる――そういう意味での神座……よ」
神の座。かみのくら……かぐら……神楽……ね。
はは……。
思わず笑いが零れそうになる。
面白い。本当に面白い。
なんだそれは。そのあり方はなんなんだと……そう問い詰めたい。
あり得ないまでの異常性。
どこをどっても常識などないかのようなそのあり方は。
本当に面白いと――そう思わずにはいられなかった。
「……けれど。ならば何故彼ら一族の生き残りがこんな所に居るのかしら? それだけの寵愛を受けていたのなら例え神性など無くとも遥か昔に高天原にでも招かれていてもおかしくないでしょうに?」
「そうね……。詳しいことは聞いていないけど確かに招きは受けていたでしょうね。けれど彼ら一族はそれを受け入れなかった。彼らはとかく自由であったのよ。それだけの神秘を内包しながらに。それでも彼らは誰とでも共にあった。神と共にあったものもいえれば。妖怪と共にあったものも居る。人と共に居た者もいたそうだけれど。だから彼らは神楽の名にも囚われることも無かった。だからこそ神楽の名は残っていても――神楽の一族を知る者は殆ど居ない。それこそ数千年を生きる者であろうとも、彼らを知る者はそう多くはないはずよ――」
自由。彼らはそれだけの血を持ちながらに自由であったという。
それは何て羨ましいことなんだろうと……今なら素直にそう思う。
そのあり方こそが……あるいは私が望むモノであるのかもしれないからこそ。
「あら……。なぜ彼らを知る者がそんなに少ないのかしら?」
「彼らは人も神も妖も関係なく見るもの全ての者たちを魅了するからよ。悠久の時を生きることも出来るのに。それを捨て。ただ己が望むままに生きる。そして、どれだけ代を重ねようとも。それまでの者たちとは全く違う人生を送ろうとも……。それでもなお――彼ら一族のあり方は見る者を魅了する。それこそ――自分たちだけで独占したいと思うほどに……ね」
「…………あはは。なにそれ。妖怪だけでなく神さえも彼らを独占しようとしたというの?」
もちろん神だから欲が無いということはないけれど。
むしろ神だからこそ欲深いというこもあるけれど。
それでもそんな神がその一族を独占したいが為に他者に言いふらさないようにするなど。
あまるに俗人じみているからこそ。
思わず笑いがでてしまった。
「えぇそうよ。それこそあの月夜見だって、最後まで神楽を月に連れて行くと駄々を言っていたわよ。最後はそれを止めようとした彼女の姉と姉妹喧嘩になりそうになるくらいだったわね」
なにそれ怖い。
永琳は楽しそうに笑いながらにそう思い出話をするように話すけれども。
私はさっきまでの神々の俗人っぷりに笑っていたけれど流石にそれは笑えなかった。
といよりもその二人の姉妹喧嘩って……それひょっとしたこの地が消し飛ぶレベルの喧嘩なんじゃないかしら。
その理由がたった一人の人間の取り合いだなんて……………逆にあり得そうだから本当に笑えないわね。
そしてそんな気分を紛らわすつもりで……。先ほどから一言も発していないこの会話の中心人物に目を向けてみれば。
先ほどまでと変わらずに――ただ感情を帯びない表情で私達の会話を聞き続けていた。
「……ごめんなさい。貴方の話なのに私達二人ばかり盛り上がって会話してしまっていたわね」
実際にその通りであるからこそ。
本人に纏わる話なのに結局私と永琳が二人して会話を続けてしまったものだから。
その会話の本人を無視してしまっていたと思うからこそ――琥珀にむけて謝罪をしたのだけれど。
「……ん。問題ないよ。二人の会話は分かりやすかった……から。聞いているだけで色々理解できた」
「……そう。なら良かったわ。けれど……そうね。貴方にも聞きたいことがあるから良ければ貴方にも質問しても良いかしら?」
私は思わず……あるいは意図的に琥珀のそばに少し寄る。
永琳の話を聞いているうちに……いえ、そもそも琥珀をその目で見た時から。
私は既にこの子のことが気になって仕方がなかったのだから。
だからこそ、私は自身の好奇心を抑える事も無く――琥珀に向けて言葉をかける。
「……ん。良いよ」
「ありがとう。ならそうね……。貴方は今の話を聞いてどう思ったかしら?」
「……色々参考にはなったと……思う。でも私は――私。嘗ての先祖がどうであったとしても――今のは私は琥珀。八雲琥珀。昔がどうであろうともそれは変わらない……よ」
「……そう。それよ。私が本当に気になっていのは。どうして……貴方が八雲を名乗っているの?」
琥珀は両親を知らないと言った。
ならば琥珀が成長する前に彼らが亡くなったということだろうか。
だからこそ神楽の名を継がなかったというのなら……。
そこまでは分かるのだけれど。しかし、それが何故あの妖怪の名を名乗ることに繋がるのだろうか。
「……私が紫様のモノになりたい……から?」
「…………へ?」
思わず淑女にあるまじき声が漏れ出たような気がするけれど。
しかし琥珀が呟いたその言葉は余りに予想外のものであったからこそ。
思わず呆然としてしまう。隣を見れば永琳もまた呆然とした顔をしている。
それもそうだろう。
まさか……あんな。胡散臭い妖怪の代表格のような奴のモノに自分からなりないと思う人間が居るなんて思わないけれど――。
しかしだからこそその言葉を頭が理解すると同時に――面白いと思った。
洗脳を受けた様子もなく、ただ自身の想いからそう呟いた琥珀が一体何を考えているのか。
けれど八雲紫のものになりたいなどと……とんでもないことを言っている割に何処か自信なさげな様子に。
だからこそ、琥珀がどう考えているのか知りたいと思ったからこそ。
私はさらに琥珀がどう考えているのか問いかける。
「……面白いことを言うわね。けれどどうして貴方は八雲紫のモノになりたいだなんて思ったのかしら?」
そしてそんな私の問いに……。
琥珀は今度は自身を込めて。迷いの一切入らない誓いの言葉のように――。
「私が紫様を愛しているからだよ」
そう言ったのだった。
それを聞いた瞬間に――。
今度こそ我慢も出来そうになく――。
「あはは。あははははは。八雲紫を愛してる? 貴方が? あははははははは。何それ? 面白い。本当に貴方は面白いわね」
声を上げて笑う。
だってそうでしょう?
神々からも愛されるような人間が――。
あの永琳すらもが月人よりもなお美しいと評するような存在が――。
よりもよってあの八雲紫を愛するだなんて。
余りにも面白すぎるわよ。だからこそ私は息が切れるまで笑い続けたのだったけれど。
そしてやっと笑いが落ち着いて来れば……。
もはや自分が隠しようも無く琥珀に魅かれていると自覚しているからこそ。
この面白い存在をもっと知りたいと思うからこそ私は遠慮なくさらに質問を重ねる。
「あはは……。あぁ……本当に面白いわね。まさかあの妖怪を愛するなんて人間が居るなんて思わなかったわ。けれど……そうね。貴方は八雲紫を愛してるという言葉はそんなにはっきりと言うのに――どうしてあの妖怪のモノになりという言葉は迷い気だったのかしら?」
「……ん。前は確かに紫様のモノになりたいんだと思ってた。でも……最近は何か違うような……気がして。だから……色々見て回った何か分かるかなって思って」
「……あぁ。だからその途中でそこに居る鴉天狗とも会ったのかしら?」
「……そう。文は前から私のモノにしたかったから。そうすれば何か見えてくるかと思って……。だからさっきまで文と戦ってた……よ」
「へぇ……。貴方のモノ……ね」
私は琥珀の言葉を聞いて。先ほどからずっと琥珀の後ろに控えている鴉天狗に目をやれば。
彼女は憮然とした表情で問い返してくる。
「……何かしら?」
「別に? ただあの鴉天狗が子飼の鳥にみたいになっているのはどうしてかと思っていたけれど。けれどこの琥珀なら納得という話よ」
「……別に飼われているわけじゃないわよ」
「でも似たようなものでしょ?」
私がそう言うと……今度こそ憮然とした表情ながらに黙ってしまった。
やはり本人も自分がどういう状態にいるのか理解しているみたいで。
そして私はそんな鴉天狗から目を離すと。もう一度琥珀の瞳を見つめる。
紅い瞳。決して曇らぬ決意に満ちたそんな瞳に……けれど本人も言っていたが僅かに迷いがあるのだろう。
だからこそ、琥珀は永琳の言葉に耳を傾けたり。後ろに控える鴉天狗と傷だらけになるまでに戦ってきたのだろうけれど。
思わず……。琥珀の頬に手を伸ばす。
そして私になすがままにされながらも、こちらを見つめる強く光る瞳と目が合えば。
ぞくり――と背中を一つの感覚が走る。それはある意味快感に近い感覚であるからこそ。
琥珀というという……太古の神からも愛される一族に触れたが為か。
あるいは、そんな特性よりも琥珀の生きる様を見られることによる楽しみからか。
とにかく私は琥珀と触れ合うのが本当に面白いと思うからこそ。
だからこそ――。
「……後輩を導くのも先達者の役目かしらね」
私は迷うことなく琥珀と係わる道を選ぶ。
その先に何が待ち受けているか分からないけれど――。
けれど数千年の退屈すらも吹き飛ばすほどにきっと面白いことが起こると思うからこそ。
「輝夜……?」
私の様子に首を傾げながらに尋ねる琥珀に――。
「良いわ――。貴方の迷い私が払ってあげる」
私は胸を張って答えてあげるのだった。
口元と笑みを浮かべながらに応える私に――。琥珀は思わず呆然とした様子となる。
まぁ……それもそうなのかもしれないけれど。
本人が色々悩んでいる話を出会ってすぐの私が答えるというのもおかしな話だけれども。
そしてそんな普段と違う私に――。隣に居る永琳もまた驚いたように見つめてくる。
確かに、私が望んで誰かのことに手を貸すなどほとんど無かったからこそ。
彼女もまた私に驚いているのだろう。
そして永琳は少しの間私を驚いたように見つめていたけれど、今度はすぐに笑みを浮かべながらに私に問うてくるのだった。
「あら……。貴方はこの一瞬で琥珀の悩みが分かったのかしら?」
そんな永琳の挑発染みた問いに――。
けれど私は笑みを浮かべながらに答えたのだった。
「当然でしょ? 私を誰だと思っているのよ。私は、なよたけのかぐや姫よ。愛と美を語らせて私以上の存在なんてこの世に居ない――そうでしょ?」