東方紫幻郷   作:ジャオーン

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三.幻想から零れ落ち彷徨う者

「ふふ……良いわ琥珀。あんなに熱い告白をされてしまったら私も嫌などとは言えませんわ」

 

くすくすと笑いながらに紫様はそう言ってくれた。

 

好きで居ることの許可を貰えた。

 

あぁ……紫様。紫様。紫様。

好きです。大好きです。

 

もっともっと撫でて欲しいです――。

もっと言葉を懸けて欲しいです。紫様。

 

「だからそうね……私を好きだと言うのなら、私のモノになると言うのなら、私の傍に居ると言うのなら……追ってきなさい琥珀。私の元まで、私の所までその自身の力で、辿り着いてみせなさい。私はそれを待っているわ。この世界の何処かにある――忘れられた世界で……人と妖怪が住まう幻想郷で、貴方がやって来るのを楽しみにしているわ」

 

 

はい……はい……!

 

 

必ず。必ず辿り着きましょう。貴方の世界に。

貴方が居る世界に。貴方が存在する世界に。

 

紫様が語る世界に。

人とあやかしが共存するという幻想郷。

 

例えこの世界の全ての人間が忘れ去った世界だとしても。

それでもなお必ずに辿り着いてみせよう。

 

 

「この身を懸けて……この魂を懸けて……この琥珀としての全てを懸けて、必ず辿り着いてみせます。紫様」

 

「えぇ……頑張りなさい。例え神であろうともそう易々と出来ない世界よ。だけど貴方なら……今より更なる成長を遂げれば――きっと辿り着けるわ。だから、貴方が自身の力で幻想郷に辿り着けたなら……その時には、貴方に一つ贈り物をしてあげる。貴方が私のモノだと示す贈り物を……ね」

 

「はい……! 必ず辿り着いてみせます……! だって……琥珀は紫様のモノですから」

 

「ふふ。楽しみにしているわ」

 

 

そう言うと紫様は私を優しく抱きしめてくださった。

それはほんの一瞬の出来事であったのかもしれない。

けれど私にとっては永遠にも思えるほどの時間であった。

甘く切なく紫様の香りが私の鼻をつく。

私はその香りを紫様の温もりを決して忘れはしないだろう。

 

 

「それでは――また逢う日までしばしのお別れね」

 

 

紫様はそう最後の一言を告げると手を放され――次の瞬間にはその場から消え去ってしまった。

 

そして辺りには夜の静けさのみが残された。

満月に照らされたそこには本当に何も残されていなかった。

紫様の痕跡も。

私を襲った牛鬼も。

牛鬼に襲われたときに出来た傷跡すらも全てが綺麗に消えていた。

まるで先ほどまであったその全てが幻であったかのように。

 

けれど決してあれが幻でなかったということを私の体が証明している。

数刻前まで感じることすらなかった心臓の鼓動が。

この身に残る紫様の温もりが。

そして何よりこの魂に刻まれた琥珀という名前が確かに先ほどの出来事が現実であったことを鮮明に表しているのだ。

 

さあ――ならば行こう。

彼女の、紫様の待つ地へと。

この地の何処かにあるという幻想郷。

一歩ずつ歩んで行こう。

決して止まらず顧みることもなく。

まずはそう……北のほうから歩いて行こうかな。

 

 

 

 

 

ああ……そう言えば――。

今日の満月は何て綺麗なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

そして私は流れ流れて歩いて行った。

 

北から南。東から西へと。

紫様の居る世界へと至るために。

紫様に再び会うために。

紫様に琥珀とまた呼んでもらえるように。

紫様の名を貰えるようにと。

 

そしてそんなふうに歩き歩いていれば気が付けと紫様との邂逅から五年の歳月が流れていた。

年齢は……詳しいことは分からないが十五、六ぐらいになっただろうか。

あの頃よりも背は少しだけ伸びた。

身長ではあまり成長したところは見せられないだろう。

 

でも以外は少しは……成長したと思う。

自らの成長を促す為にいろんな事をしてきたら。

霊力を鍛える為に自ら滝壺に飛び込んだりもした。

 

何度も何度も命を懸けた。

そうしなければ、決しては私の望む世界へと至れないと知っているから。

私の望む世界はあまりに遠く、そして人が立ち行くにはあまりに美しいから。

 

それでも私はそこに行くと来たから。そこに……紫様の居る世界に。紫様のそばに。紫様の造りだす世界に私も至ると決めたから。

ゆえにこの身などいくらでも懸けよう。

そのためならば命すら何のためらいもなく懸けよう。

命など……私にとってはあまり重要なものではないのだから。

 

私が守るべきものはたった一つ……紫様からもらった琥珀という名。魂に刻み込まれた名。

たったこれだけなのだから。

 

 

 

 

 

 

「お嬢ちゃん。夕餉の準備が出来たよ」

 

「……ん。ありがとう」

 

「なんの。この程度、命を助けて貰った礼に比べれば大したことじゃないわい」

 

 

久しぶりに暖かく、そして気分の落ち着く木の香りと美味しそうな食べ物の香りが漂う部屋で休んでいたために、気が付けば紫様と出会った日から今までの日を思い浮かべていた私の元へと、白い髭を蓄えた御爺さんが、二人分の食事をもってやってきた。

始めは私も手伝いをしようと思ったが、これはお礼なのだから私は、ゆっくりと休んでいてくれと言われたので、結局は御爺さんが夕食を作り終わるまで待つこととなっていた。

 

 

「別に、あのくらいのことなら気にしなくて良かった」

 

 

「ふっふっ。あれをあのくらいと言えるのはお嬢ちゃんがそれだけの力を持っているということじゃよ。そして儂は、お嬢ちゃんのその力で助かったのじゃから。お礼をするのはあたりまえじゃよ」

 

 

力――。

それは、私が紫様の世界から零れ落ちた片鱗を模倣したもの。

紫様に比べれば、紫様の月のように輝く世界に比べらば未だ星屑にすらなりえぬ程度の輝きしか持たないもの。

 

されど、それすらもこの人の世界においては十分すぎるほどの力になるということを私はこの数年間で学んだ。

けれどそれもまた必然のこと。

だって私が目指すものは紫様なのだから。

人を超越した存在。

幻想に生きる存在。

幻想を生み出す存在。

 

そんな紫様の力を模倣しようとしているのだから、人の身からすればそれは人を超越したものになるのだろう。

 

だから私はその力とこの国では人の目を引いてしまう白い髪、そして嘗ての飼い主だった男に見つからない為という意味もあり、この数年間の間に国中を歩き回ったが人の住む場所は出来るだけ避けるように歩いてきた。

 

それは自身を鍛える為の意味もあり、そして何よりもこの世界からは隔絶されているであろう紫様の幻想世界である幻想郷を見つけるならば、やはり人の居ないであろう場所にあるからだと思い歩いてきたから。

 

 

そして私は、今日も紫様の世界を探し続けて歩き続けていたのだが、そこでこの御爺さんに出会った。

御爺さんは山小屋に住み込んで狩猟の仕事をして生計を立てているらしく、今日は自身が飼っている犬と共に熊狩りに来ていたらしい。

 

狙い目は冬眠に入った熊。

秋の間に熊が冬眠に使うであろう巣に当たりをつけ、そして実際に犬を使い探し当てる。

そして熊が実際に冬眠に入ったところを巣から追い出し刈り取るのだが、今日はそうはなかった。

 

冬眠中であるはずの熊を探している間に出会ったのは穴もたず。

本来ならば冬眠しているはずの熊がしかし、何らかの理由で冬眠に失敗した熊。

ゆえに本来の熊以上に凶暴性を持ち……そして、御爺さんが出会った熊の大きさはゆうに他の熊の二倍近くあったらしい。

 

御爺さんは慌てて猟銃を打ち込だが、熊はかまわず御爺さんに襲いかかった。

そしてその黒い毛に覆われた腕にある爪から放たれる必殺の一撃。

人ならばまさに一撃をもって身を抉り取られるであろうそれが、御爺さんに振り落とされるその寸前に……私はやってきた。

 

ちょうどその山を歩いてきた私は、熊が獲物を襲っているであろう鳴き声と、そして猟銃の音を聞きつけてやってきたのは、まさに御爺さんが熊の一撃に倒れるその一瞬であった。

 

何もしなければ、次の瞬間には血飛沫を上げて御爺さんは死に絶えるだろう。

されどそうはならず。

その一瞬で私は意識を切り替える。

 

現実から幻想に――。

この身は人ながらに幻想を織りなす者に。

 

確かに餓えている為に餌を求め、目を血走らせ、唾を撒き散らし、ただただ目の前の獲物を刈り取ろうとする熊は脅威だろう。

されどそんな熊ですら、あの日私が出会った魔獣に比べれば、その差はまさに歴然。

熊が十体束になろうともあの魔獣には勝てぬだろう。

 

そして……私が目指す者はそんな魔獣ですら足元にも及ばす紫様。

そうであるならば、この程度のこと何とでも出来ねば、どうして紫様から頂いた琥珀の名を名乗れるだろうか。

 

幻想『対子白夜蝶』

 

放つのはあの日と同じ一対の蝶。

それはまさに幻想の発露。

幻想から生まれし、されど現実に存在する幻想を具現化した白と黒の蝶。

 

それが、瞬きをする間もなく滑空し熊に直撃する。

全力で放てば熊の息すら止めるであろう一撃も威力を落として放った為に、軽い怪我を与えた程度だろう。

けれど熊が逃げ出すには十分な威力であった為に、熊は一度だけこちらを振り向いた後に御爺さんに目を向けることなく逃げていった。

 

 

そして熊がこの一体にもう居ないことを確認した後に私もその場を後にしようとしたのだけれど、気が付けば御爺さんが一人住む山小屋に連れられて来てしまった。

 

私としては、あの時使った力の説明なんかを求められても困るのでそのまま放っておいてほしかったのだけれど、どうしてもお礼がしたいということと、ねぐらが無いならもうすぐ日も暮れるので一晩だけでも泊まっていって欲しいという言葉に負けてそのまま連れられてしまった。

 

 

「……美味しいかい」

 

「……ん」

 

「そうかい……。まだまだあるから御代わりしておくれ」

 

 

御爺さんは、私が使った力も、私の格好も、私がなぜ一人で山を歩いていたのかも、何一つ聞ききはせず、ただ暖かいご飯を私についでくれた。

そうして御爺さんがついでくれるご飯は素朴で……けれど確かに心から温かいと思えるものであった……。

 

そうして、暖かいご飯で体ごと温まった私は、窓から見える星々を見ながら少しだけ微睡んでいると、いつの間にかお茶を入れてくれた御爺さんが隣にやってきた。

そして、お礼を言ってお茶を受け取ると二人で静かにお茶を飲む。

部屋の中にただ二人がお茶を飲む音と暖炉にくべらた薪が燃える音だけが響いてる。

 

そういえば――紫様以外でこれほど心穏やかに誰かと過ごすのはこれが初めてなのかもしれないなぁ……と心の中で思う。

あの屋敷に居た時も、私は一人であった。それは物理的な距離のことではなく、人の心という意味で私は、誰かと触れ合うということはなかった。

ただただ、人形としての役目を果たすだけであった私に、人として誰かと触れ合う時間などなかったのだから。

 

そしてあの少女とも……。

 

だからこそ――紫様と出会ってからも私は一人であった。

私という姿が、人目を引くという理由から人の多い場所を避けていたというのも確かにある。

そして、あの屋敷に住んでいた嘗ての飼い主が私を探し出そうとしていれば、再び出会えば面倒事になるからという理由もあった。

 

けれど、一番の理由はやはりこの身に宿る力だろう。

現代において、人にして人ならざる力。

幻想に――根をさす力。

そして私が目指すための力。

この力を用いて、私が目指す紫様の世界を求める限りこの世界には私の居場所は無いのだろう。

 

なので人の世界を避けてきたのだけれど、こうして御爺さんと静かに過ごすこの時間は…………私が思っている以上に暖かいものであった。

 

 

「……のうお嬢ちゃん。もしよければなんじゃが、お嬢ちゃんがこれからどこに向かうのか聞いても良いかのう」

 

 

そうして再び部屋の温かみに身を委ねていた私に、そう御爺さんは問うてきた。

その問いにどれほどの意味が込められているのか私には分からないけれど、私はその問いに答えることにした。

 

 

「…………この世界の果てにある幻想の世界に」

 

「……あぁ」

 

 

私の答えをある程度予測していたかのように御爺さんは口の中で呟くように囁いた。

そうして、再び二人の間に沈黙が過ぎる。

聞こえてくるのは、暖炉で燃える薪の音だけであり、御爺さんと私は二人とも顔を暖炉のほうに向けているので、御爺さんの顔も見えず、何を考えているのかも分からない。

そしてお互いに静まりかえっていると、しばらくしてもう一度御爺さんが静かに口を開いた。

 

 

「……お嬢ちゃん。もし良ければこのジジイの昔話に少しだけ付き合ってくれんかの」

 

「……ん」

 

「……儂もな、昔目指したことがあるのよ。この世界のどこかにあるという人と妖が住まうと言われる幻想の世界を」

 

 

御爺さんはぽつりぽつりと話しだす。私はそれに頷きの意味も込めて彼に問う。

 

 

「…………幻想郷に?」

 

「そう。その名よ。妖怪の楽園。妖怪の賢者が造りし幻想の世界である幻想郷。儂は嘗てそこを目指したのよ」

 

「…………どうして?」

 

 

「……儂はなぁ……人の世界が嫌いなんじゃよ。どうしてそう感じるかは分からんかったが……人の世界は儂にとってあまりに汚く生き辛く感じおったのよ。それを人である儂自身が思うのもあまりに傲慢な話であることぐら分かっておるが、それでも私にとって人の世界は汚れ穢れ……そしてとても醜いものに思えて仕方なかったんじゃ……」

 

 

御爺さんが語るその言葉から感じることは、後悔とも懺悔とも憎しみとも違う。

それはきっと悲しみなのだろう。

本来ならば目を背けてしまえば良いものすらも目をを背けることもできず。

ただただ醜く感じる世界を直視し続けることしかできなかった人間の物語なのだろう。

 

 

「……ゆえに目指したのよ。人が忘れし幻想を。妖と人が住まうという幻想郷を。そこならば……幻想郷ならば……儂にも美しいと思える世界があるだろうと信じてな」

 

 

それはまさに絶望に溺れる人間が、藁にもつかぬ思いで目指した理想郷。

あるかも分からぬ幻想に、されど彼はそこに最後の希望を宿したのだろう。

 

 

「じゃが…………それはまさに文字通りに幻想じゃったよ……。例え世界を変えようとも……やはり人は人であり、儂にとっては、何一つ代わり映えなどしなかったのだから」

 

 

そこで御爺さんの話は終わる。

希望の終わり。絶望の続き。

彼が目指した世界は確かにありはしたけれど、されどそこは彼にとっての理想郷にはなりえなかった。

そして、最後には隠し切れぬほどの皺をもった一人の老人が残るのみとなった。

 

 

「……御爺さんは幻想郷に辿り着いんだ」

 

 

「あぁ……辿り着いた。いや……あれは辿り着いたと言えるのかの。何年も何年も歩き続けた儂の前に一人の女性が表れての。そこまで望むのなら幻想郷に連れていってあげると言われての……気が付けばこの世界とは違う山の中に紛れ込んでおったわ」

 

 

「……そう。ならなぜ御爺さんはこっちの世界に……幻想郷とは違う世界に戻ってきたの?」

 

 

「儂はこの世界から逃げ出して幻想郷に逃げ込んだんじゃ。そこに救いがあると信じて……そこには、こんな儂では美しいと思える世界があると信じての……じゃがのう……どれだけ逃げ出そとうも……世界は変わらんかった。人が人である以上は世界の醜さは変わらんかった。いや……箱庭のような世界である幻想郷では余計にそう感じてしまったのよ……」

 

 

だから儂はもう一度お願いしてこちらの世界に帰ってきたのよ――と。

そこまで語って御爺さんの話は終わった。

 

 

結局のところ……御爺さんが何に絶望をしたのか。

何を思い幻想郷を目指したのか。

そしてそこで何にもう一度絶望を味わいこちらへと帰ってきたのか。

その本質を知るところは私には出来ないだろう。

けれど一つだけはっきりしているこは、人である御爺さんにとって幻想郷は理想郷にはなりえなかったということなのだろう。

 

なので……きっとこの話で御爺さんが言いたかったことは――――。

 

 

「のう……お嬢ちゃん。お嬢ちゃんがなぜに幻想郷を目指しておるのは分からん。お嬢ちゃんがどれほどの力を持っとるのかも分からん。じゃがのう……それでもお嬢ちゃんは人間であろう? そうであるなら……人間であるなら……幻想郷は人間が生きるにはあまりに生き辛い世界であるぞ。」

 

 

それはつまり御爺さんからの忠告なのだろう。

こちらの世界で絶望した為に幻想郷に救いを求めていたにも関わらずにこちらの世界に再び戻ってきた御爺さんの言葉は余りに重い。

妖怪と人とがくらす幻想郷。

妖怪にとってはそこは確かに最後の楽園となりえる場所なのだろう。

 

 

だが……人にとってはどうなのだろうか。

妖と共存する世界における人の役割とはいったいなんであるのだろうか。

私は……確かにその答えを知りはしない。

幻想郷に未だたどりつけぬ私には、幻想郷における暮らしなどまさに想像の中でしかないのだから。

ゆえに御爺さんの忠告は、人が幻想郷に行くうえでのあまりに重い言葉ではあるのだろう。

 

 

「それにのう……。幻想郷は箱庭じゃ。一部の妖怪が妖怪の為に作り上げた世界じゃ。そこに人としての楽園なぞ……人が求める美しさなど……どこにもありはせんかった……」

 

 

そしてなお続く御爺さんの独白。

この世界の醜さに耐えかねてなんとか辿りついた世界は……こちらの世界以上に醜くかった。

それは……御爺さんにとって、どれほどの絶望になったのだろうか。

それを知りうることは私には決してできはしないだろう。

 

それはまさに、私の何倍もの時間を生きた人間の忠告。

私がこれから辿る道と、あるいはそれと近い道を歩んできたかもしれない人間の言葉。

その言葉は……決して軽いものではないだろう。

 

御爺さんは幻想郷を箱庭だと言う。

それは人と妖が管理されて存在する世界だということだろうか。

御爺さんにとってその世界は、御爺さんにとって醜いと感じるこの世界よりもなお醜いという世界。

それは人間が行くには余りに過酷な世界だということだろうか。

 

そして、そこまで考えて私はふと視線を下に向けて……手に持つ御爺さんが淹れてくれた暖かいお茶と、部屋を心地よく温めている暖炉に目がいって……。

 

もしも幻想郷に……妖が妖の為に存在するという幻想郷に行けば、このような暖かを感じることもできなるのかもしれないと……そう思った。

 

その暖かさは私が初めて触れた人間の暖かさで……私と同じ人間から与えらた暖かさで……もしも幻想郷に行けば二度とそれを感じることも出来なくなるのかもしれない。

 

 

 

 

――――――あぁだけど――それがどうしたと言うのだろうか。

 

 

 

 

こらから行く世界がどれだけ醜かろうか。

人間が住まうには余りに過酷だろうが。

妖による妖の為にある世界だろうが。

 

一体それがどうしたと言うのだろうか。

 

だってそこには――紫様が居るのだから。

 

紫様が、紫様という存在がその世界に居る。

世界を爛々と輝かせる紫様がそこに居る。

例えどれほどの腐海であろうとも、紫様が居るだけでそこはどれほどの豪華絢爛な場所よりもなお美しい世界と成り得るのだから。

その世界がどれほどまでに苛酷な世界であろうともそこに紫様が居るのだから。

 

その結果人間の温かみを捨てろと言うのなら喜んで捨てよう。

人間としての尊厳を踏み躙れと言うのなら、一遍の躊躇もなく踏み躙ろう

 

だって私は琥珀。紫様の琥珀。私にとってそれが私の全てなのだから。

 

 

 

 

「あは――あはは。ふふ――あはははははは」

 

 

「……お嬢ちゃん?」

 

 

 

気が付けば私の口は笑みを浮かべ。

喉からは笑い声が込みあげてくる。

 

それまで暖炉の方を向いていた御爺さんは、私の声にひかれて初めてこちらに顔を向けてきた。

 

だけど、止まらない。

止めるつもりもない。

 

自身の内から湧き出るこの想いは、例え誰であろうとも止められない。止めさせない。

 

あぁ……今の私は、御爺さんにとって……どうしようもなく醜く映っているのかもしれない。

 

 

「あは――。大丈夫だよ。御爺さん。世界がどうしようもなく醜くても、そんな世界を宝石のように輝かせられる存在に、私はもう出会っているから」

 

 

言葉を紡ぐ。私の言葉を。私の想いを。

思い浮かべるのは……いつだってあの方だ。

あぁ……気が付けば、先ほどとは余りに違う熱が私を襲っている。

そう暖かいのではなく熱い。熱い熱い、どうしようもないほどに熱い想いが私を襲う。

 

 

「誰よりも美しい人に。何よりも美しい方に。……満天の夜空を照らす満月よりも……なお美しい……紫様に」

 

 

御爺さんは、私の言葉に驚いたように目を開く。

 

 

「お嬢ちゃんは……出会っておったのか……あの八雲紫に」

 

「えぇ。紫様は私の始まりで私の全てだから。そして幻想郷は紫様の世界。紫様が――いらっしゃる世界。ならそこが美しくないはずなんてないよ」

 

 

美しさに共通なんてありはしない。

ある人にとってゴミ屑のようなものであろうとも、別の人にとっては一生を懸けるに値するほどの美しさを感じられるかもしれない。

ゆえに御爺さんにとって醜く見えたかもしれないその世界。

だけど、私にとって私の全てを懸けてでも必ず辿りつくと誓った世界。

 

だってそこに紫様がいらっしゃるから。

あの紫様に。あの美しい世界を造りだす紫様に。

私に名前をくださった紫様がいらっしゃる世界が幻想郷なのだから。

 

ゆえに……私が幻想郷を目指すということに微塵の迷いもありはしない。

 

 

「……そうかぁ……お嬢ちゃんは既に美しい世界に出会っておったか……。ゆえに幻想郷を目指すか…………それは確かに儂とは違うのぉ……」

 

 

御爺さんは呟くそうにそう囁く。

自分と私の違いを確認するように。

小さく小さく呟く。

 

 

「じゃがのう……。それでもあそこが人が住まうにはあまりに過酷な世界であることに違いはないぞ?」

 

 

それでもなお御爺さんは私に向けて忠告をしてくれる。

自身が傷つき絶望したにも関わらず。

腰は曲がり、肌の皺は何重にもおっているほどに年老いて、この山奥においてやっと静けさを見つけ出したような御爺さんが、なお過去の絶望を語ってくれそんな彼にさらに傷を負わせるような言葉を吐く私に、それでもなお忠告の言葉を語ってくれる御爺さんは……あぁ……きっと御爺さんの求めたのかもしれい人間の美しさが……確かにそこには存在しているのだろう。

 

 

「…………ありがとう。心配の言葉をかけてくれて。忠告の言葉を送ってくれて。でも大丈夫だよ。もしも人として駄目だったならば……人をやめてしまっても構わないから。だって……私は琥珀だから。紫様の琥珀だから。守るべきものは……たったそれだけなのだから」

 

 

そうして答えた私の言葉に御爺さんは、静かにそうかぁ……と頷いた。

そしてそれで二人の会話は終わった。

後はただただ互いに沈黙だけが続き。

気が付くと暖炉の薪も燃え尽きており、後に残るのは希望と絶望を互いに持ち合わせた二人の人間のみが残されて、静かに夜が更けていった。

 

 

「……もう行くのかい」

 

「……ん。……泊めてくれありがとう。……話を聞かせてくれてありがとう」

 

「なんのあれしき。……お嬢ちゃんのこれからの達者を祈っとるよ」

 

「……御爺さんも。……じゃあね」

 

 

そしてそれだけの会話を最後に行い、私はその山小屋を後にしていった。

この出会いが偶然であったのか、必然であったのかはわからにけれど。

けれどきっと……私はこの日の夜の出会いを忘れないだろう……。

そして、私は二度と振り返ることなく……再び幻想郷に向けて歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

そして――それからどれだけの月日が流れたか。

御爺さんと別れたあの日から――さらに多くの時間を歩き続け。

 

良く覚えて居ないほどに歩き続けたその先に――。

 

遂に――。

遂に私は――。

遂に見つけたのだ――。

 

きっと此処こそが私の目指した場所なのだという言う――確信がある。

 

この国のちょうど中心近くにある山々。

その山腹にある一つの神社。

 

私はいまそこにいる。

人は私一人しか存在しないし寂れた神社が静かに佇んでいるだけの場所。

だけど私には絶対の自信がある。

此処がそうだと。

きっと此処にあるのだと。

 

何故なら感じるのだ。

あの人の、あの方の感覚が――。

 

紫様の――香りがここからするのだ。

 

だから私は手を伸ばす。

あの世界に届くようにと。

幻想郷に私を受け入れて貰えるようにと。

 

 

「どうか私を受け入れて幻想郷。私は決して貴方を汚さない。貴方がどんな世界であろうとも私は受け入れる。貴方のことを必ず愛すると私の魂に誓う。だからどうか。どうか。どうか届いて幻想郷」

 

 

込めるの私の意思。紡ぐのは私の想い。

どうか届くようにと。幻想郷に、あの方が居る世界にどうか届くようにと言葉を紡ぎ手を伸ばす。

そして――――。

遂に――――。

そこに私の手は届く。

 

 

「…………あ」

 

 

触れた――。触れた今私の手は確かにそこに触れた。

この世界とあちらの世界の境界線に。

壁。そう壁だ。

その世界を守っているだろう結界。

あの方が造りだした絶対的な守護壁。

今私の手は確かにそこに触れている。

 

ではその後はどうすれば良い?

自らの力でその壁を壊す?

結界に穴を開け乗り越えその世界へと辿り着く?

 

違う――。違うそうじゃない。

きっとそれでは間違いだ。

だってその結界はあの方が造ったもの。

ならばそれを壊すなど絶対に間違っている。

ではどうすれば良い――?

 

そんなこと――。

決まっているではないか――。

幻想に辿り着く方法はたった一つでないか。

自らもまた幻想へとなればいい。

だってそこは幻想の果てにある世界なのだから。

 

視ろ視ろそして感じろ。

その結界の力を流れている性質を。

そしてその性質を自らの霊力で模倣しろ。

 

出来る。今の私なら必ず出来る。

だってその力は紫様のものなのだから。

この五年間ずっと、ずっと考えてきた人のものなのだから。

だから出来る。

自らの霊力を結界と同質のものへと変化させる。

 

 

さあ――。私を受け入れて幻想郷。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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