上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第九話改 民とは

 農家の朝は早い。 

 朝は夜明け前に起きて簡単な草刈りをして、出来た野菜や果実を収穫する。朝食を取った後にまたすぐに畑に出て、土に肥料や水を撒く。そして、虫と格闘しながら新たな肥料を作り、無駄な苗を引き抜いたり、無駄な枝の切り取りをする。午後はまったりとした後にさらに水を撒いたり午前中の残りをやっつける。

 書けば簡単だが、実際はそうはいかない。

 とにかく疲れる。

 農家の朝が早いのは夜に寝るのも早い。そうしないと翌日に響く。植物は朝から面倒を見ないといけない神経質な相手故に農家の朝はとても早い。

 

「はぁ~……またこんな時間に起きちゃった」

 

 朝早くからはやることが無いのに起きてしまった龍兵衛は冴えてしまった目をこすって起きる。

 平成の世では龍兵衛の家は江戸から続く農家で彼自身も手伝っていた。そのために朝は昔から早い。

 それはここに来て、数年経った今でも変わること無い習慣である。

 今は農家では無い。

 さらに見習い修行をしていた斎藤家の頃と違ってやることが本当に無いのだ。

 人によっては朝から鍛錬をする者もいるが、彼は朝から汗を流すのはあまり好きではない。そのため、城下を散歩するようになった。

 気晴らしが出来るし、歩いて運動不足を解消することが出来て一石二鳥だ。

 

「龍兵衛、おはよう」

 

 部屋を出て後ろから声が聞こえる。そこには緑を基調とした着物を着て頭に猿を乗せている長尾家の世継ぎが立っていた。

 

「顕景様、おはようございます。今日は早いですね」

「早く起きた。龍兵衛、どこへ行く?」

「自分は散歩に」

「顕景、行く。いい?」

 

 龍兵衛は快諾すると早速二人は早朝の城下へと出掛けた。

 

 

 

 仕込みだの掃除だのと色々やらないといけないことがある。

 龍兵衛は仕事柄、よく城下を視察し、毎朝散歩をしているので顔見知りも多くいる。

 

「おや、顕景様と河田様。おはようございます」

 

 一人の若い店主が二人に気付いて頭を下げる。龍兵衛はそれに頷いて笑顔で返す。

 

「おはようございます。どうです調子は?」

「まぁまぁってところです」

「そうですか。今日も頑張ってください」

 

 会話もそこそこに歩を進める。普段ならもう少し世間話でもしたいところだが、顕景がいるため、少し時間を気にしなければならない。

 しばらく歩いていると今度は年配の商人が声を掛けてきた。

 

「河田様、今度の寄合では話したいことがあるのですが」

「前にも言いましたが、皆さんの寄合です。自分ではなく、その時にきちんと話してください」

 

 気弱そうな商人は少し残念そうに肩を落とした。

 その後も様々な場所で老若男女問わずに龍兵衛は声を掛けられた。

 話題は様々だが、なるべく手短に答えることで、皆の声を聞けるように心がけた。

 それから時間はまだあったため、二人は農村地域にも行くことにした。ここでも龍兵衛は農民の一人に姿を認められると挨拶された。

 そして、真剣な表情で農民と話し合う。収穫の時期がいつになるか、今年の稲の状態はどのようなものかを聞き、今後の政策を頭で考える。

 今度の収穫後は冬の雪を覚悟して、蘆名討伐に向かう。

 早めに出なければ、北条や武田のことも気にしなければならない。後々、大変なことにならないように龍兵衛はいつ収穫になるかだけでも把握して出陣の日を早いところ定めておきたい。

 

「収穫の時は自分も手伝いましょうか? 元々、農民ですから」

「いやいや、結構ですよ。河田様のお手を煩わせることはありません」

「そうですか。せめて俵運びだけでも手伝わせてください」

 

 農民の代表者は断りかけたが、龍兵衛の真剣な表情の前に「わかりました」と言うと仕事に戻っていった。

 気にしないふりをしたが、邪魔をされるのではないかという不安な表情が見て取れた。確かに越後に来てから日は浅く、信頼は高くない。しかし、国を支える彼らを良くしていくためには現場をよく知らなければならない。何でも便利なあの時代のものにすれば良い方向に向くとは考えにくいため、少しでも今は信頼関係を作らなければならない。

 農作業を見ながら思案していると顕景が袖を引っ張ってきた。

 

「龍兵衛、どうして皆と仲良くなれる?」

 

 唐突な質問すぎたため、どういうことか尋ねる。

 顕景は笑顔をほとんど見せない龍兵衛が屈託の無い笑顔を見せているのを初めて見たと言った。

 確かに普段、当主の景虎や顕景や目上の将といる時は表情をよほどのことがない限り変えない。

 

「そうですね……例えば、一匹の蛇がいるとしましょう。その蛇はねずみを狙っています。襲いかかろうとしましたが、ねずみはよく見ると……まぁ、あまり無いことですが、ねずみは群れを作っていて十匹以上いました。さて、蛇はどうなります? ねずみの大きさはどれも同じと考えて下さい」

 

 いつもの真剣な感情を読み取ることが出来ない顔で問う。

 

「蛇、やられる」

 

 顕景は言うまでもないと直ぐに答える。

 

「そういうことです。わかりますか?」

 

 よくわからないと言っている。

 龍兵衛は顕景の表情からそう読み取る。

 

「蛇は邪悪な当主。ねずみは民です。ねずみを襲うのは蛇からの圧政、つまり餌を狙うこと。ねずみが団結しているところに蛇はそれを襲うのは一揆の鎮圧。ねずみは数が多い為に蛇より弱くても数で勝てるのです」

「数が質に勝つ。よくある」

「さすが、その通りです」

「龍兵衛、民が団結しないように注意してる?」

 

 意図を察した顕景の答えに満足し、龍兵衛はそういうことですと頷く。

 

「民がいないと我らは生活出来ません。また彼らも然りです。ですが、一つだけ違うところがあります。大変言い難いのですが、民は我々がどうなろうと知ったことでは無いんです。誰が上に立とうと民は自分達が良ければそれで良いんです」

 

 この言葉には顕景は衝撃を受けたようで、目を丸くして、農民たちに視線を向ける。

 

「彼らも生きる為に必死なんです。我らが圧政でも敷けば簡単に他国に流れてしまうでしょう。だからこそ、民は慈しむものでそこからかれらの心を掴み、こちらの思う通りに動くようにさせる。そういうものなのです」

 

 武士の力だけで無く国を動かす力を得るには民の力が必要となる。 

 民が減ればそれだけ生産力が落ちて財政が上手く行かなくなる。龍兵衛はそれをよく知っているからこそ自らが本気でかれらに向かっているようにしている。故に、腹を割って話すことを心掛けている。向こうも龍兵衛に合わせて素直な気持ちで話が出来るようになるの。

 しかし、龍兵衛はかなりの時間が掛かった。

 

「民を動かす、大変?」

「ええ、まったくその通りです」

 

 龍兵衛はそう言いながら、顕景と農業に励む農民をしばらく見ていた。

 しばらくして彼は顕景にかれらを指し、あれから作られる食材に感謝しながら毎日の食事を食べることが出来るかと聞いてきた。

 すぐさま肯定する答えが返ってきたが、龍兵衛はその答えを一瞬で否定した。

 顕景は驚きながらも先程の言葉を真剣に考えるように腕を組んでいる。

 民の心を掴むまでは大変だが、得ないといけないと言っていた人間が今度は農民が作った食材に感謝は出来ないと言い出した。顕景は聞き捨てならないと龍兵衛を睨むが、気にせずに続けた。

 民が食材を作る事が当たり前になっているのは昔からだ。今更、そのことに感謝しようとしてもそれはすぐに忘れてしまう。所詮は上に立つ人間はそういうものだ。

 そう龍兵衛は言った。その顔は雨に降られたように暗く、大切なものを落としたように残念そうに感じられた。

 一方で、龍兵衛自身もまた民の日和見主義には憂いを感じていた。人の心とはここまで変わりやすいものなのかと嘆きそうになる。

 そう考えるだけで、彼の心は萎えてしまう。

 それでは政治家である自分の意味がない。なんとしてもかれらが長尾家の下でないと嫌だと思わせるような政治をしようと農民を見ているとつくづく思ってしまう。

 またしばらく顕景と龍兵衛は何も考えることなく完全な日の出までもう少しの中で農作業を眺めていた。

 暑いという時間帯ではないが、やはり汗は人間である以上出てきてしまう。

 もうそろそろ稲穂が徐々に手入れを要する頃である。

 

「稲穂……米か……」

 

 龍兵衛は顎に手を当て、少し考えると額を叩いた。

 

「しまった。俺としたことが」

 

 苦虫を噛み潰したような表情で、自身の失態を恨む。

 顕景がいるのを見て、すぐにいつもの表情に戻ったが、少し顔を赤くなってしまう。

 彼女にはその動きがとても滑稽に見えたのか、面白くて笑ってしまった。

 

「何で、笑うんでしょう?」

「龍兵衛、無理しない。普通にしていい」

 

 自分はこれが普通だと言おうとした龍兵衛だが、言い逃れは出来ないような人だと分かっている。生来の素を出そうかと思ったが、頭の中で何かが囁いたのを聞いて、駄目だと心の中で首を振るって真顔に戻る。

 

「そろそろ時間ですね。戻りましょう」

 

 すぐにいつもの龍兵衛に戻った。

 顕景は不満げに口を尖らせたが、お構いなしに置いて行きますよと先に行こうと促す。無礼には文句を言わなかったが、顕景は口を尖らせたままだった。

 そして、その日の内に城下の職人に龍兵衛は依頼をして、千歯扱きと唐箕を作らせた。

 しばらくして試作品が出来上がり、景虎の立ち会いの下で試験を行ったところ両方とも上手く行ったので民想いの景虎のお墨付きをもらい、増設を命じた。

 そして、この秋から以来格段に米の収穫後の作業は早くなった。

 それでは問題も起きる。後家。いわゆる未亡人となった女性の稼ぎ手段が無くなることだ。

 もちろん龍兵衛もそのことはわかっていた。そこで彼は身体が丈夫なもの選抜して、歩き巫女として他国の情報を探らせるようにさせる組織を作るように景虎に提案した。

 彼女は早速、認めて東北、関東、信州へ重点的に送り込むように命じ、その指揮を龍兵衛に任せた。

 龍兵衛は他にも農政面では肥料の改善もしたいと、来春の田植え前には完全なものを完成させたいと考えていた。

 法令の整備浸透も着々と進み、人口の増加に伴い施設の建設をさせ、孤児や無宿者を住まわせる所も建てさせた。そこに先ほど出た後家の女性の中で、歩き巫女になれないような体が弱い者を彼らに食事を作って振る舞わせるようにさせた。

 資金は佐渡で取れた銀の方を当てて、子供には寺の住職に頼んで江戸時代の寺子屋のようなものを寺の中でさせた。

 本当なら兵農分離もさせたいところだが、越後一国の人口でどれくらい兵数が集まるかなど、たかがしれているため、しばらくは我慢である。

 

 

 

 どの時代にも私利私欲に走り、どんなに人を貶めても構わない連中は居るものである。

 今日も龍兵衛達は怪しい店にいわゆる立ち入り調査に入ることになった。

 案の定、その店の売上台帳には入っていない金があった。それだけでなく彼らは他の店の亭主の売上を脅しによって一部を奪っていたのである。

 そのおかげで必要な時に金が無くなった店はやっていけなくなり、閉店。絶望した店主も海に身投げした。

 

「あんたには、それ以上の思いをさせてやるよ……」

 

 龍兵衛がそう言うと亭主は絶望した表情で膝から崩れ落ちた。

 そのくらいの肝っ玉の小ささでよくやっていけたなと逆に感心してしまう。もちろん同情は全くする気は無いが。

 先程の被害に遭った店の家族は母親は店主の後を追うように死んでしまった。子供はどうにか寺の坊主に預けられていると分かった。

 その為、結局は二人を殺したということになり、店の主は即刻死罪となった。

 部屋に戻ると疲れたように息を吐いた。

 早く不正摘発の仕事がなくなって欲しい。これは切実な彼の願いだ。

 龍兵衛からすれば逃げられないように、夜にこの仕事を決行する為、寝不足になるからたまったものではない。

 最近では、その成果も出て、不正は徐々に減ってきている。

 だが、それが過ぎ去ったとしても、新たに考えなければならない問題が出て来た。

 青苧座の存在である。特権的地位があるあれには龍兵衛も手をこまねいていた。潰せば良いような問題ではない。

 坂本・天王寺などの京に近いところや京からの利益が無くなるのは痛い。

 それをみすみす見過ごすていては、権力の笠に着て、良からぬことを考える連中が出てくるだろう。

 官営化させて長尾家の完全な直轄にするのもありだが、そうすると値段の固定化などによって京都の天王寺など主要な取引先が抗議する可能性が高い。

 収益を独占する気だと言われれば向こうは宗教の力で国内で一揆を促す可能性もある。

 あくまでも長尾は保護しており、管理しているのではない。

 そこで、龍兵衛は定満に協力してもらい、表向き警護ということで彼らの店や会合に信頼出来る兵や軒猿を置くことにした。

 実際には監視をさせて、変な動きをする奴が居れば、すぐさま捕らえるという監察官のようなことをさせている。

 ただし、軒猿はともかく兵にも無いことを有ることにしてしまうこともあるかもしれないため、何かあれば即刻金山行きにすると釘を刺しておいた。

 これで心配は無いだろうと誰もが思った。金山行きはつまり死刑と言っているようなものだから。

 未来での日本とは違い、生きることだけが本望の民。明日のことなどでは無く、今日生きることだけに精一杯である彼らに明日を見せることが上に立つ者達の役目である。

 古今東西、民を軽んじた国は必ず滅ぶことは宿命だ。

 今に比べれば平成日本を生きる国民はどれだけ幸せであろうか。死と隣合わせの今、民は慈しまなければならない。それは龍兵衛が乱世で生き抜くためにも必要となる。

 

「いずれはこの時代も終わる。それまでにやるべきことをやらないと」

 

 龍兵衛は雪の散り始めることが無いよう空に祈る。寒いのももちろん、出兵をする長尾にとって深雪は大きな影響が出る。

 さらに長尾を発展させる第一歩が始まることを夢見て、龍兵衛は眠りについた。




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