一向一揆勢との攻防戦に勝利し、束の間の平和が訪れたように涼しげで秋晴れの魚津城内では戦が終わった途端に一つだけ問答が生じていた。
「なぁ、兼続」
「なんだ?」
「後ろから何故か殺気がするのは俺の気のせいかな?」
「奇遇だな、私もそう思っていた」
魚津城の処理と援軍の将が来るまで待機を謙信から命じられた龍兵衛と兼続は先の戦で城内に何か欠陥が生じていないか見回りを行い、それが終わったので二人で歩いているとしばらくその獲物を狙う狼のような雰囲気を身に纏っている人物に背中を狙われ続けていた。
その殺気だけで強者であることが簡単に分かる。正しく鬼のような気がある。しかし、二人も先程から警戒しているおかげで狙われても襲われてはいない。
「じゃあ、いっそのこと矢でも放つか?」
「馬鹿を言うな、矢も無限にある物ではない」
「じゃあどうするよ?」
「二人で斬りかかればどうにかなるだろ」
兼続の言葉に合わせてすらりと刀を抜いた二人の目の前に大きめの太刀が振り下ろされた。物凄い力だがそれを二人は一緒に止める。
そこから後ろに素早く下がって襲撃者との距離を取る。そこには黒い衣装に身を包んだり、顔を覆ったりもしないでいる二人の見慣れた人物が立っていた。
「これはまさか謀反ですか?」
「ならば、すぐに謙信様に報告を」
「誰がこうさせたと思っているんだ?」
「「自分じゃないですか」」
鬼は無情な宣告を受けてがっくりと膝を付いた。要は鬼の正体は弥太郎であって、何故兼続と龍兵衛に凶刃を振り下ろしたのかは言うまでもなく酒が原因である。
兼続に肝まで搾り取られた弥太郎は宴で酒をいつもよりもかなり制限されるという酒好きには受け入れがたい罰を受ける羽目になった。
この襲撃はその腹いせであって兼続と龍兵衛の二人に何ら非がある訳ではない。
「自業自得なんですから。ちゃんと反省してくださいよ」
「龍兵衛、お前、私の隣で嫌味のように『酒は旨いなぁ』とずっと言い続けていた恨み、晴らさずにはおけぬ」
「だから自業自得でしょう」
また斬り掛かってきそうな弥太郎を必死に二人で止めにかかる。羽織い締めで上から兼続・龍兵衛の順番で弥太郎を押さえにかかるが、戦で見せる怪力を弥太郎が持ち出して二人を強引に持ち上げ、纏めて放り投げた。
二人は二間ぐらい飛ばされたが、体勢を立て直して上手い具合に着地して事なきを得た。筈もない。
「第一に兼続に言うなと言っておいたにもかかわらず、お前は兼続に言っただろう?」
ずずいっと弥太郎は刀は閉まったが、さらに距離が近くなって目が怖くなっている。
弥太郎は龍兵衛が先日部屋を出て行く時に「兼続には言うな」と最後に懇願するような大きな声で言ったのだ。しかし、龍兵衛は聞こえていなかったのと元から問答無用で兼続に言うつもりだったので弥太郎からすると無視されたことになる。
普段なら「それだから動物や子供に嫌われるんですよ~」と軽口の一つでも出てきそうなところだが、弥太郎の怒気がマジなので二人もマジで止めようとしているが、鬼小島が暴れ出そうとするのを軍師二人で止めるのは難しい。
どうしたものかと考えていると弥太郎の背後から手が伸びてきた。
「阿呆、何やってんだ?」
「いたっ・・・・・・って、朝信か」
何時の間にか背後にいた朝信が弥太郎を一つ殴るとあっという間に弥太郎から出ていた怒気が収まってしまった。
「ったく、自業自得だって龍兵衛も言っただろう。その通りだ」
「いや、しかし・・・・・・」
「弥太郎、いい加減諦めろ」
さすがに自分と同じ程に強い気を出されたら弥太郎も渋々頷くしかなかった。恨みがましく二人を泣きそうな顔で睨み付けるとそのまま足音を立ててどこかへ行ってしまった。
その背中を見つめながら三人は「やれやれ」と溜め息を吐くと軍師二人は朝信に弥太郎の暴走を止めてくれたことに改めて礼を言った。
「なに、あいつとはお前達よりも付き合いが長いだけだ」
そこまで言うと朝信は真剣な表情に変わって二人に話があると自分の部屋に招いた。
魚津城内は一向一揆勢が中に入り込んだ為に死体やその兵が持っていた刀や槍が地面に刺さり、ぐちゃぐちゃになっている所が多々あったが、その中で数少ない綺麗なままで整えられている場所の一つが朝信の部屋だった。
本人はこんな所を守るなら前に出るべきだと兵達を引っ張り出していた為に少しは荒れてもおかしくない筈だったが、思ったよりも魚津城内の戦場の規模が小さかった為に類は及ばなかった。
「まず、富樫の行方は分かったか?」
朝信は勝っても決して揺るがない。舞い上がることはない。開口一番、朝信は最も懸念すべきことを二人に聞く。
「我々は南から、援軍は北東から攻め上がった為、松倉城に逃げ込むことは不可能でしょう。富山城に逃げ込んだとみて間違いないかと」
龍兵衛の推測ではこのまま撤退するような晴貞ではなく、富山城で体勢を立て直してもう一度魚津城に攻め込むであろうと考えていた。
「民のことを考えれば間違いなく撤退するべきだと思うが、たしかにあの富樫がそんなことを考えるとは思えないですね」
兼続も同意する。本来はもうすぐ秋の為に徴兵した農民達を田畑に帰さなければならない。気の知れた大名なら当たり前のようにやっていることだが、そんな常識が晴貞にあるとは思えない。
そうなると上杉も同じように動かなければならない。つまりは農民達を田畑に帰すことが難しくなってくる。
民からの不満が出る可能性が大いに高い。しかし、民を守る為にはもう一度来るであろう晴貞を追い返す必要がある。
そうなると民に対する負担が不満に変わる可能性は高い。元々、かれらは現金な者達なのだから。
しかし、三人にそれに対する懸念があるようには見えない。
「一応、そのことについては一か八かの賭けの策がある。やってみなければ分からないが・・・・・・」
「大丈夫です。おそらく自分も同じようなことを考えていますから」
「こら、私もだ。龍兵衛、忘れるな」
三人はお互いに意見を聞き合うと笑みを深め、軒猿を呼んだ。
軒猿に要件を言うと三人はもう一度表情を改めた。
一向一揆勢に勝利したのはあくまでも魚津城の攻防戦によって。これから先、上洛をする時が来れば正面衝突は避けられない。
その前に富樫晴貞の力を削ぐことが必要になる。その為には動けない内は向こうを動かして疲弊させる必要がある。
「これでおそらく晴貞は加賀に帰らなければならないな」
「問題は帰らずに誰かを帰らせることでしょう」
「いや、それは大丈夫です。自分が富樫に少々吹き込んでおきましたから」
一か八かの策の為に危険が高いのはよく知っている。しかし、龍兵衛が晴貞に言った一言は強欲で猜疑心の強い晴貞の耳からは離れないだろう。
他の者を信用出来ないようにしてしまえば晴貞は必ず自ら腰を動かすしかなくなる。富山城の一向一揆勢は必ず撤退するだろう。
必ずとは言えないが、必ず撤退しないということはない。確率を兼続に問われると彼はこう答えた。
「五分五分・・・・・・かな」
「適当な」
「しかし、そのことが本当ならば富樫は退くとみて良いだろう。追撃して富山城を取ることも出来るが、秋に近くなった以上は兵を撤退させなければな」
本来なら松倉城か富山城を取って一向一揆勢に対して有利な展開に持っていきたいが、秋になれば農民兵を帰す必要がある。
そうなると兵力が足りなくなり、不利になりかねない。もっとも謙信が川中島に連れて行った一万以上の兵がいれば話は別だが、それは希望論であって現実的には有り得ない。
謙信も川中島の戦いが終わったらおそらくそのまま兵を魚津城には向けずに撤退するだろう。
民のことを考えると賢明な判断だと言える。朝信達もそうなると分かっている上で今後について話し合っているのだ。
冬になれば雪の覆う北陸で戦が起きることは少ない。あるとすればやはり富樫晴貞の遠征ぐらいだろう。
いっそのこと魚津城を捨てて親不知の道を封鎖してしまえば越後に入る道を一向一揆勢は失う為、人員などいらないが、それでは魚津城に住む民達を不幸にすることになるのでそれは全員が却下した。
後は晴貞が撤退することを祈るだけ。もしまた来るようなことならば今度は籠城しか選択がないだろう。
奇策は使いきったし、あの晴貞がまた同じ手に屈するとは思えない。戦略を変えてくることもあるだろうが、不覚を取るような戦をすることはないと考えられる。
外のことについての話題が途絶えると自ずと話題が内側のことになってしまうのはおそらく三人が越後の内情をよく知る人物だからだ。
ここのところは二年近く戦を控えていた為に農民達を大分落ち着いて見ることが出来た。
とはいえ、目の前のことを考えて動きたがる農民達は秋の収穫時に行われたこの戦のことを快くは思っていないだろう。
そうなると民の不安に乗じてよからぬことを企む者が現れるということである。
「やはり、怖いのは・・・・・・」
「揚北衆か?」
「御意、新発田・五十公野など危険な家を排除したとはいえ、未だに本庄と鮎川が、黒川と中条が対立している現状は決して見逃せないかと」
「謙信様の目が光っている間は大丈夫だと言いたいが、たしかに気になる」
朝信も暗い顔になりながら溜め息をつく。ふと龍兵衛が横を見ると兼続が少し怒ったように顔を赤くしているのが分かった。
おそらくは敬愛する主君を裏切る輩に対して謙信の思いを踏みにじるような真似をさせてたまるかという意気から来ているのだろう。
「しかし、お前達が城の普請や街道の整備をかれらに負担させることで力を削いでいるだろう?」
「逆に言えば、負担がかかる分に不満も溜まるというものです」
諸勢力が持っている力を削ぎ落とし、そこに上杉が色々と手を差し伸べることによってますます上杉に依存するように仕向けているのは軍師達の真の目的である。
朝信はそれを知る数少ない人物の一人だが、聡い者達は、表向きは越後の民の為とふれ回っているこの目的に気付いているに違いない。
「国が大きくなる程、内側も気にしなければならないか」
「民の安寧と家臣の忠誠心が無ければ国は栄えることはありませんから」
それは明や日の本の歴史を辿れば嫌でも分かることだ。その為に戦に必要となる金を普請事業などに当てさせては金を減らし、国人衆が財力の豊かな上杉に頼るように仕向ける。
気付いている者達もいるが、そうしなければ勢力をそのままにさせた室町幕府の二の舞となりかねない。
揚北衆に限らず、不満を持つ者は必ずいる。それを抑える為にも早くこの戦を終わらせる必要があるのだ。
謙信は秋前に終着することが出来ると考えてこの越中への遠征を決行したにもかかわらず、最初から頓挫することになった。
これで国内の不安材料が燃える可能性が出てくるが、今はくすぶるままでいてくれる筈だ。
他国の諸大名が上杉ではなく織田に目が向いている中でその間に戦を避けて内政に専念するべきだと龍兵衛も兼続も考えていたが、一向一揆勢との対決姿勢を明らかにした以上は早めに攻めるべきだと判断した謙信には逆らえないし、理にかなっている。
今回は武田のちょっかいのおかげで失敗に終わったが、この魚津城の攻防戦を見ると明らかにどちらが有利でどちらが不利かが分かる。
本来ならこの機を逃さずに一向一揆勢の内側から切り崩しにかかるのも手だが、晴貞に刃向かおうする者がいるとは思えない。
結局はこちらが動くか向こうが動くか、どちらかが動くことによって崩れる均衡を待つしかない。
今回は上杉が関東管領の力を以て、幕府に訴えるという権力を傘にした方法を取り、均衡を崩そうとしたが、逆に晴貞が先にそれを崩した。
訴えていたことの期間が近いということで都合が良過ぎる気もしたが、細かいことが分からない以上、また均衡状態が続く可能性が高い。
謙信は京への足掛かりを作る為に北陸を席巻することを目指しているが、今回の戦でまた動けなくなった。
「上手くいかない時は必ずある。それが今回だったという訳だ。気にすることはない」
歯痒い思いを悟ったのか朝信は笑いながら二人の背中を叩いた。痛そうにしている二人だが、朝信にそう言われただけでも少しは気が晴れた。
そのまま三人は水で喉を潤すと自然と心が穏やかになるのを感じた。
秋が近いせいかどうやら水も飲んで冷たくなっている。やはりこういう水ははっきりと冷たい方が戦での疲れがすーっと抜けていくように感じるものだ。
疲れが抜けると他のことに気が行ってしまうもので、朝信はもう一杯飲むと緊張緩んだのか思っていたことをすっと口に出した。
「帰りてぇ・・・・・・」
「斎藤殿はもう少し魚津城にいてくれませんと」
「そうはいってもな。お前らと違って妻子に会いたいんだよ」
「あー・・・・・・すみません。分からないです」
「これだよ。早くお前らも相手見つけろよ。そうすれば分かる」
「断っておきますが、自分はまだその気はありません」
「こういうのは早い方が良いぞ? いつ自分が死んでも思い残すことは無いってもんだ」
「そうは言いましても・・・・・・なぁ・・・・・・って、なに顔真っ赤にしてんだ?」
ふるふると震えている兼続は明らかに恥ずかしそうにしている。どちらかというと初心なところがある兼続とはいえこんな話題にも恥ずかしくなってしまうのだろうか。
そう思いながら龍兵衛はもう一度訪ねると今度はまだ顔を赤らめながらも話し始めた。
「ちょっと・・・・・・謙信様達のことを思い出してな」
「あぁ~・・・・・・」
手招いて龍兵衛の耳元でごにょごにょと囁くと龍兵衛も少し顔を赤らめて思い出したように明後日の方向を向いた。
それを朝信はよく分かっていないように首を傾げるばかり。二人がそういう関係にある訳がないし、察するに颯馬がまた何かあったとしか考えられない。
「でも、あれ見ただけでそうなると兼続はまだまだ先・・・・・・・・・・・・おい、ここで刀を抜こうとするな!」
「顔を赤くしたお前に言われる筋合いは無い!」
「おい、外でやれ外で」
いつも通りの追いかけっこが始まりかけて朝信が釘を差すと二人は何も言わないで外に出て行って一人の悲鳴と一人の「待て!」の連呼が聞こえる。
「あ、颯馬のこと聞くの忘れた」
後で二人の口から聞き出すのも手だが、話したところで兼続はあの様子では途中ではわはわしそうだし、龍兵衛はそういうことには本当に興味を示していないので話そうとはしないだろう。
「やっぱり、帰りてぇ・・・・・・」
春日山城に戻れたらそれとなく颯馬を探るとしようか。その為にももう一度来るかは運次第だが、富樫晴貞との戦いに決着を付けなければならない。
しばらく水を杯に満たしては飲み干すを繰り返しながら朝信はそんなことを決めた。
束の間の休息になるか、それともこのまま帰れるのか。ここにいる者達は待つだけ、全ては北陸を支配せんと願う狂乱者次第。