上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第九十四話 柊の蕾

 夏の日の暑さとは秋になればすぐに忘れることが出来る。それは残暑が少ない東北故にということもあるだろう。

 一方で、この時期は農民にとって収穫という大事な時期になる。年貢を納めることを当然の義務としている武家が戦を秋に行うことはよくあることだが、それで下の不満が溜まっていくことを知っているのはどれほどの大名達であろうか。

 大大名程にそれほどのことに気を配らなければならない。

 この戦は東北の残る勢力を完全に排除する為に仕掛けた戦であるだけに今後、上杉が西へと進む為に背後を固めるという基本中の基本で最も大事な戦の一つである。

 この収穫という国の大事な時期に仕掛けなければならない程。

 しかし、戦を仕掛けるには理由がいる。その為に官兵衛は伊達と大崎の間にある東北特有の事情に目を付けた。

 伊達家家臣にて伊達晴宗の三男である留守政景の配下に黒川晴氏という人物がいる。元から対葛西・大崎に方面を守る為に政景の傘下に知勇兼備の将として活躍していた。

 黒川氏は北陸奥の斯波・羽州最上の分家にあたり、大崎に属していたが、伊達稙宗の勢力伸長に伴って伊達一門の飯坂家から養子を迎えており、加えて稙宗が大崎を実質的に従属させたことで晴氏の代には黒川は半ば独立した地位を保ちつつも、大崎・伊達に両属する状態にあった。

 その均衡が崩れたのは先の伊達家の上杉家への全面的な降伏である。

 伊達家に属していた晴氏は当然、政宗の決断に従うべきであったが、簡単に首を縦には振れなかった。

 晴氏の奥方は現当主の大崎義隆の祖父である大崎義兼の娘で、彼は養子に大崎義直の息子である義康を迎えている。一方で義康には晴宗の弟である亘理元宗の娘を迎えていた。

 東北ではよくある様々な家との政略結婚と養子縁組をしているのは彼も例外ではなかった。伊達にも大崎にも通じている彼は反上杉の立場を取っている斯波の一門にも繋がっている為に晴氏の立場は極めて微妙なものとなっていった。

 それこそが官兵衛の目に止まった。まず、官兵衛は密かに輝宗と連絡を取り進軍をしつつ、かねてから留守政景と対立していた泉田重光と長江勝景を隠居した土佐林禅棟に協力を願って二人をそそのかし、政宗からの離反を促した。

 まず、勝景がそれに応じた。密かに輝宗に出奔を願い出てそれが承諾されるとすぐさま大崎義隆の下に走った。

 重光は結局応じなかったが、これだけでも十分である。官兵衛からすればどちらかが離反すれば良かったのだから。

 これを好機と見た輝宗は大崎討伐の許可を上杉から得るとすぐさま左月と成実を先鋒に自ら出陣した。

 まず、黒川氏の北方を固めている大衡城に入り、晴氏に動きに睨みを利かせ、政景に葛西に備えて長江勝景の領地との国境で行かせた後、対大崎の重要拠点である桑折城へ進軍した。

 大崎義隆は桑折城では防衛に向かないと判断し、桑折城城主の渋谷氏を撤退させ、中新田城を伊達軍に対する防衛線と定めた。

 輝宗はすぐさま桑折城に入城して城に自ら志願した晴氏を置き、中新田城へと向かった。

 

 

 

 

 中新田城を囲んだ輝宗はまず東北でも有数の大規模な城を落とす算段をどう付けるかに迷った。

 元は大崎家の居城である中新田城には大崎家の重臣で、戦上手と名高い南条隆信が入っている。

 手を下すにはなかなか難しい相手であることは分かっているが、ここを取れば大崎は地盤を失い、静観している豪族達は保身の為に上杉へ降るだろう。

 中新田城を包囲したとなれば敵の援軍が到来するのも時間の問題、一方ですぐにはこの中新田城を落とすことは難しい。強襲でもしてみればたちまち犠牲が多く出る。

 いっそのこと毒でも敵の水源を見つけて入れることも考えたが、それはすぐに破棄した。

 上杉にいる以上はそのようなことをするのは卑怯だと罵られる。そもそも輝宗自身もそんなことを心からしようなどとは思っていない。

 そうなると残るは奇襲だが、これ程の大事な拠点を任される将が簡単にそのような隙を見せるとは思えない。

 打つ手は今のところはない。そう、今のところだけはない。

 時は必ず来る。そのお膳立てをしてくれた者がいるのだから。

 

 

 

 黒川家は元々、清和源氏足利家の庶流である斯波氏の庶流筋であることから、長禄年間には将軍より直接に古河公方・足利成氏討伐を命じる御内書を下されるなど、大崎氏麾下の国人領主として重きをなしてきた。

 戦国時代に入り、伊達家が稙宗の代に拡張すると伊達家に属したり、大崎家に属したりと風見鶏の方針で家を守ってきた。

 黒川家第九代当主、黒川晴氏は稀代の優秀な将として周りから期待され、信心深く早くから月舟斎と名乗り、民心をよく掴んでいた。

 しかし、世の中には名門の血というものがある。

 かねてから政宗の急進的な発想と、上杉とは名ばかりの成り上がりと考えていた謙信達に疑問を持っていた晴氏は迷いを捨てきれなかった。

 たしかに北陸から以北、東北の状勢は間違いなく上杉が一番上に立っている。

 一方で、世の中には義理というものがある。かつて、義理は命よりも大切にするべきだと言った将もいた。

 もちろん、斯波一門として黒川家を守ることも考えなければならない。

 上杉に恩を売っておけば後々のことに有利になることは重々承知している。そして今後、黒川家は脈絡を保つことが出来るだろう。

 しかし、長年大崎家と伊達家の間で行ったり来たりをしてきた中で斯波一門という誇りが薄れてきているのも確か、弱肉強食の戦乱の世でどんな形であれ強い者が勝利するのは必定。されど、武人として生き恥を晒すよりも美を重んじて逝くのもまた良し。

 輝宗が中新田城を包囲したという報告を受けた時、自然と晴氏は拳に力を込めた。

 武人の華を咲かせるには十分な舞台が出来上がったことへの喜びを噛み締めたのだ。

 

 黒川晴氏の反旗はあっという間に伊達軍に伝わった。

 晴氏が兵を挙げたのは中新田城の背後にある桑折城、つまり背後が敵となり、このままでは挟み撃ちにされてしまう。

 輝宗は将兵の動揺を抑えつつすぐに援軍要請の使者を蘆名と上杉に送った。

 蘆名盛隆はすぐにこれに応じて、金上盛備に後事を任せ、自ら三千の兵を率いて出陣した。謙信も予め黒川城に出陣していた親憲を大将に軍師に官兵衛を付け、二千の兵に出陣を命じ、両軍は米沢城で支倉常長と合流した後に桑折城に急行した。

 一方、輝宗が一度体勢を立て直す為に新沼城に退却していることを知った政景は親戚関係にある晴氏に泉田重光を人質とすることで一旦和睦をするように促した。 

 新沼城を包囲していた晴氏は輝宗を倒す絶好の機会をみすみす逃すことを考えるとすぐに反対しようとしたが、義理の息子である政景の言葉を義理堅い彼は無碍にも出来ず、晴氏は時間を掛けて考えることにした。

 だが、義理堅い性格が官兵衛の付け入る隙となり、予めから予定していた戦略通りの道へとさせてくれた。

 輝宗にも人を見る目がある。そのような彼がわざわざ戦前に伊達と大崎双方に通じている将を退路となる桑折城に志願されたとはいえ置いておく筈がない。

 全ては官兵衛の策通り、敢えて輝宗は負けてあげたのだ。

 政景から黒川晴氏という人物がどのような人なのか、輝宗から伊達が抱える内憂がどこにあるのか把握した官兵衛に晴氏は謀られていたのだ。

 官兵衛は晴氏が戻る前に桑折城へ本庄繁長を向かわせた。主無き城は猛将繁長の前にあっという間に陥落してしまい、彼は僅かな守備兵を残してすぐに新沼城に向かい、官兵衛達と合流した。僅か、五日のことである。

 晴氏は桑折城の陥落を聞くと歯痒い気持ちを抑えて中新田城へと撤退して、そこで大崎軍と合流した。

 季節は秋へと近くなり、東北は山が寂しくなる季節となってきた。

 

 

 

 上杉軍はそのまま中新田城へと追撃を掛け、一気に城を包囲していた。

 親憲は城の包囲に綻びがないか視察をし、終わったところで本陣へ戻ると城を睨みながら唸っている官兵衛を見つけた。

 

「うーん・・・・・・」

「悩み事ですか?」

「水原殿、そんな簡単に言わないで下さい」

 

 最初こそは北方で傍観している南部に勢いを示す為に速攻を続けて勝利する策を実行し、桑折城を素早く落としたが、意外にも大崎の将が有能であって南条隆信という勇将の活躍によって中新田城での足止めを余儀なくされた。

 南条隆信は智勇兼備の将として名高く、彼は輝宗を相手に中新田城を寡兵でよく守っていた。

 何度も降伏勧告の使者を出したが、そのたびに断られ続けている為に城を攻めるしかない。

 だが、中新田城はかつては大崎氏の本城であっただけに城の守りが堅く、中にいる将もその城を守るに相応しい将である為に無理に攻めれば被害が出てしまう。

 

「まぁまぁ、某も大分焦っておりますよ」

「・・・・・・とても、そうは見えないけど」

 

 なかなか城が落ちずに駄々っ子のようになった官兵衛を一緒に親憲に視察に行っていた盛隆がおずおずと彼を見て言う。

 

「某達が焦ったところで城は落ちませんからな。しかし、そろそろ急いだ方がよろしいかと」

 

 親憲が同調を入れてやんわりと抑えるが、城を包囲して二週間、いい加減に決着を付けなければ大崎軍本隊だけでなく葛西や稗貫の援軍が到着してしまう。

 だが、一方で官兵衛達は違和感を感じていた。

 

「いくら何でも大崎が本隊出すの遅くない?」

「たしかに、私も違和感を感じていました」

 

 盛隆も同調したように大崎は中新田城を防衛戦に定めてからなかなか動く気配を見せない。輝宗が大崎領に進軍して二週間、官兵衛達と合流して中新田城を包囲したのが二週間、いくら中新田城の将兵が善戦しているとはいえ、そろそろ動き出さなければ中新田城がいつまでもこうしていられるという保障がない。

 親憲は輝宗を呼んでこの違和感を伝えると輝宗も新沼城にいた時からこの違和感と同じものを感じていたようで、官兵衛からは前もって新沼城には最善の防備を敷くように忠告されていた為に左月と成実には交代で厳しく監視していた。

 にもかかわらず、大崎軍は本隊を表さずに黒川軍が五千の兵で包囲していただけであった。

 輝宗もそろそろ大崎軍本隊が来ると考えていた為に五千の兵を持っていながらも一時的に孤立していたのも重なって新沼城に入っていた。だが、現実には何も起きずにこうして孤立状態から救われた。

 

「政景にこのことを伝えよう。あれなら何か知っているかもしれん」

 

 親憲達が頷くのを見て輝宗はすぐに政景に書状を認めた。 

 

 

 

 政景からの返答はすぐに来た。

 同盟国である大崎と葛西が互いに牽制している為に義隆は背後を警戒してあまり兵を出せないらしい。 

 息を吹き込むだけでたわいなく瓦解していくような簡単な戦というものは無い。ただ、指揮を執っているのは人間である以上は必ず欠陥が出来る。どちらかがその欠陥を見つけ出してそこを突くことこそが戦。

 黒田官兵衛は常々そう考えていた。

 敵の葛西・大崎は今は同盟を組んでいるが、元は領土を巡って長く争っていた敵同士である。

 疑心暗鬼にさせてしまえば向こうから勝手に崩れていく。

 兵法では敵が親しみあっているときはそれを分裂させるとある。ならば絶好の好機を逃す訳にはいかない。

 幸いにも葛西晴信は今は一度領内に戻って援軍の手配をしている。この情報を得た官兵衛はすぐに動いた。

 留守政景に対して葛西領との国境の警備をそれとなく緩めて大崎に敢えてそれを間者を通して伝えた。

 案の定、大崎と葛西の動きが上杉に対して積極的ではなくなった。

 

「ふむ、政景によるとどうやら内輪揉めを始めたようだな」

「敵が眼前に迫っていて、ですか?」

「常長、あの二家は前々から対立していたのはお主も知っておろう? 結局、この同盟は相手を利用し合うのが奴らの真の目的よ」

 

 お互いに上杉を撃退すればその後はまた領土を巡って対立が起こる。大崎からすれば今まで何度も葛西に辛酸を舐めされてきただけに今回の戦では中新田城で敵を抑えつつ後は葛西に任せる腹積もりだろう。

 一方の葛西は大崎と上杉を戦わせ、一気に今後の領土問題に決着を付ける腹は少し考えれば誰にでも分かる。

 

「何と、申せばよろしいのでしょうか?」

 

 常長はただ呆れるしかなかった。以前から領土を巡って対立していた間とはいえ、上杉という大木に抗うことにも驚いたが、抗おうとしてこの様になるとは思ってもいなかった。

 

「まぁ、内側から崩すように仕向けたのはこちらだからな。しかし、こうも簡単に喧嘩になるとは思ってもいなんだ」

「はい、それは確かに・・・・・・」

 

 たしかに常長もその一翼を担っていた以上、こうなることは分かっていた。故に何も言える立場ではないことも重々承知していた。

 そして、輝宗が新沼城に退却する為に五千の兵から四千程度にまで減らしていたことも知っている。約一割が減らされた為に仕方ないことなのだ。

 

「そう暗い顔をするな。もはやこちらの流れは決定的なもの」

「そうですね。何とも、やるせない気持ちですが」

 

 珍しく常長が不満を零した。輝宗は驚きつつも彼女が戦嫌いでこういったことをあまり好まないが、大義の為なら鬼になることも知っていた。

 その常長が普段は零さない不満を零したのだから、それほど今回のことは呆気なさすぎたのだろう。

 

「これで、向こうが降伏してくれればよろしいのですが・・・・・・」

「おそらく無いだろう。向こうにも面子があるからな」

 

 名門の出という『箔』が黒川晴氏という武将の目を曇らせている。 

 気付くのはいつになるかは分からない。

 

 

 

 

 中新田城は本丸を囲むように二の丸が設けられ、さらにその周辺には二ノ講・三ノ講と続き、本丸の西側には乾ノ丸が置かれている。

 それぞれの郭は土塁と堀で囲まれており、先代の大崎義直が居城としていただけに大規模なものである。

 周辺には湿地帯がある為に攻めるには向いていない城である。しかし、ここを抜けなければ大崎義隆の籠もる名生城へ向かうことは出来ない。

 さらに二週間経ち、包囲しても落ちない城にイライラしていた官兵衛達の下に朗報が届いた。大崎家内で対立していた氏家吉継と新井田隆景の間が決定的に決裂したらしい。

 大方、上杉と葛西に対する軍の方針を巡ってのことであろうが、世に名を轟かさんとしている策士の目の前でそのような隙を見せるのは愚か者の極みである。

 

「もう、大崎は積んだね」

「ええ、某達が何もせずに、このままでも内側から崩れていくでしょうな」

「けど、南部のこともあるし、上杉の脅威を見せる必要があるね。もう一度輝宗殿に連絡して書状を認めさせようよ」

「それは良いですな。では、このことを城内の兵達にも知らせましょう」

「うん、それも考えて今後の方針を考えよう。すぐに紙と筆を出して」

 

 届いた筆をさらさらと進めている間に輝宗がやって来た。

 

 

  

 要件が終わり、大体のことを輝宗を伝えると官兵衛は書きかけの書状をさらに書き進めている。

 その様子をたまたま見に来た盛隆が親憲にそっと近付いて会釈をすると小さい声で話し掛けた。

 

「また、何か?」

「ええ、大崎が内側から崩れるのは時間の問題でしょう」

「そうですか」

 

 早く戦が終わることは良いことであると盛隆はほっと一息付いた。

 官兵衛を見ると彼女は盛隆の存在に気付かずに筆の勢いをさらに早くしている。

 

「柊・・・・・・」

「何か?」

「いえ、何でもありません」

 

 柊は葉にある棘が常に邪魔をしていて、それは古来から邪鬼に利くとされている。一方で小さくて綺麗な花を咲かせる秋《とき》がある。まだ時期は来ていないが、そろそろ花が咲くだろう。

 その花は知略の花とでも言おうか。棘もまた綺麗に見えるだろう。武勇という見え見えの棘に守られた小さな花にも知略という危険がある。危険で統一された一種の美点かもしれない。

 そう盛隆が思っていると官兵衛は書状を書き終えたらしく、一つ伸びをした。

 書状を一通り見直すと官兵衛は鼻を鳴らして立ち上がった。

 

「ふん、たわいないね・・・・・・」

 

 ちょっと格好をつけて言ってみているが、官兵衛には似合わないというツッコミが二人は頭の中で入れたが、暴れを止めることが出来る龍兵衛がいないので口には出さずにお互いに顔を見て薄く笑っておく。

 今回の軍師として緊張状態を解消して勝利へと近付けた官兵衛の功は大きい。

 しかし、敵を疑心暗鬼にさせて敵の足並みを崩した後に一方を攻めて、もう一方を攻めずに放っておくことでお互いの仲違いを決定的なものにさせるには後一つ、手を打たなければならない。

 その策も既に練ってある。官兵衛は上機嫌そのものだった。

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