名生城の雰囲気は雨も降っていないのに重く、数人を除いて誰も自ら言葉を発しようとしない。
「他には? ・・・・・・何も無いのなら今日の軍議はこれまで」
言い終えて息を吐いた者は主君でもないのに偉そうにふんぞり返っている。
里見隆成は勝ち誇ったかのように義隆が上座から立ち去るのを見届けると自分も立ち上がってその後ろに付いて行く。
続いて息子の新井田隆景が続いて隆成の隣を歩き出した。本来なら四家老の渋谷氏や仁木氏、四釜氏が隆成の後に続くのが普通である。
誰も近付こうとしないのは義隆への忠誠心が無くなった訳ではなく、ただ隆成と隆景の近くにいたくないだけだ。
続いて後ろを歩く渋谷や仁木は隆成と隆景の間に距離を取って歩いている。何かをひそひそと話しながら歩いているのは隆景も薄々察していた。
かれらも大崎家の重臣である為に油断は出来ない。しかし、隆景が最も警戒しているのは隆景と渋谷達の間を何もせずに歩いている氏家吉継であった。
隆景は大崎家の為にと思って葛西や和賀・稗貫に先鋒を任せる策を進言した。
普段はよっぽど外れていない限りは義隆に逆らわない吉継が決めかけた義隆の決定に真っ向から反対した。
和賀・稗貫はともかく、葛西は長年の敵である。誰も監視に付けずに領内を通すようなことをすれば、葛西は要らぬ欲を抱く可能性も考えられる。大崎家を没落させる為に上杉に寝返ったり、軍を反転させて寝込みを襲ってくる可能性だってある。
義隆と隆成は考え過ぎだと言って聞かなかった。たしかに葛西軍を領内に入れる危険はある。それは逆を言えば、葛西軍の背後に回ることも可能だということだ。いざとなれば、葛西軍は退路を失い、その間に大崎が葛西の領地を取ることも出来る。
しかし、自分よりも長い間義隆に仕えている吉継が分かってくれないことに何故だという疑問が生まれた。
彼女は隆景よりも容姿は劣るが、知能は隆景よりも上である。それは隆景自身も認めていることである。にもかかわらず、彼女は隆景自身を毛嫌いしてやることなすことに異議を唱えてくることに疑念と怒りを抱いた。
彼女がこちらに加われば、自分から進言して義隆へ意見が通るように取り計らってやるのにどうして対立してまで自分の立場を悪くしようとするのかが分からない。
吉継に対して疑念が浮かび、彼女をますます欲するようになっている自分が彼女には分からないのかもしれない。
ならば、分からせてやれば良い。新井田隆景の力が今やどれほどのものであるか。
上杉軍に対するのは葛西と和賀であると決まっている。稗貫が一揆が起きたとほざいて撤退したが、今はどうでも良い。
密かに高水寺斯波家に使者を送って稗貫が南部と共に上杉に付いたと密告してある。室町幕府の重臣たる斯波もすっかり没落してしまったが、稗貫ぐらいには勝てるだろう。
吉継は対立する伊場野惣八郎と共に上杉・伊達軍に対する戦略で意見が割れている。以前はなかなか口が出せなかったが、今や隆景は力を持ち、後ろ盾は四家老の一人である父という十分なものがある。
中新田城への援軍の件を葛西と和賀を承諾させてしまえば後は露払いをさせて終わりである。
吉継と共に反対した惣八郎は取るに足らないただの八方美人。彼女さえ死んでしまえば予め父の隆成が義隆に対して吉継の悪口を言っておいて不信感を持たせておいた為に吉継達は頼る者が無くなり、自然と靡いてくれる。
筋書き通りに事を運び、力を見せれば頑固な吉継も膝を屈するだろう。彼女を派閥に組み込めば、必ず大崎家は新井田の下に一つにまとまるのだ。
上杉の脅威を拝するのはそれからである。家中を整備しないで外の敵に勝てる訳がない。
「誰か、父上に書状を認める。筆と紙の用意を」
慎ましくしていても見る者を魅了する美貌を持つ彼女を慕う者は多い。彼らを使えば吉継達を跪かせることはたわいない。
力の使い方をあの頑固者に教えてやり、家中を完全に統一した後に上杉の脅威を払いのけることが出来た英雄としてその道を歩む新井田隆景の使い走りになってもらうとしよう。
義隆と共に大崎家の全てを下に置いて徹底的に統治を行う。それが隆景の理想とする大崎家の在り方である。
中新田城は蜂の巣をつついたような混乱状態になっていた。
秋が深まることを教えるように肌寒くなった早朝、上杉軍が太鼓を鳴らして突然の南の外郭から朝駆けを仕掛けてきた。
決戦かと思った黒川晴氏と南条隆信はすぐに動員出来る兵を叩き起こして、南と万が一に備えて東側に兵を配置しようとするも予め準備をしておいた上杉軍に対して慌ててそこそこの準備のみで動いた中新田城側の攻撃も空しく、あっという間に矢が届く範囲にまで入られてしまった。
しかし、隆信と晴氏は焦らずに兵を鼓舞し、喝を入れた。上に立つ者がしっかりしているからこそ兵も落ち着いていられるのである。
混乱状態をすぐに二人は収めると晴氏は北の外郭の指揮を取り始めた。
矢の届く範囲に上杉軍がいるということは城側からも狙いやすい。一斉に矢を放たせると上杉軍の勢いを少し収まった。
とはいえ、数では上杉軍の方が圧倒的に上である。先鋒の伊達が伊達成実の指揮の下に数に任せて前進を続けている為に息を付く暇は無い。外郭を突破されるのは時間の問題であった。
晴氏は鞍替えに後悔をすることは無かった。そもそも、彼には後悔するような時間は無かった。
上杉・伊達軍の雲霞の如き勢いは、天が持つような盾でなければ防ぐことは不可能。次から次へと味方の屍を踏んででも攻め込んでくるのだ。
晴氏は後退することは出来ない。今まで伊達と大崎の間を行ったり来たりしていたが、おそらく今回の寝返りのやり方は伊達の当主である輝宗の命を危うくさせたことで罪に問われることは明白。
温厚な輝宗も留守政景が取り計らってたとしても、その他の伊達家の武断派は許すとは思えない。輝宗もかれらの意思を尊重して自分の首を斬るだろう。
晴氏は武人故に死ぬことに対して恐れは無い。それでも、一矢報いることをしなければ犬死である。
義は大崎にあると判断して鞍替えしたのに何もせずに死んでは天下の笑い物も良いところだ。
「矢を射続けろ! 突破を許すな!」
もう少しだけ生きておきたい。上杉・伊達に一泡吹かせるまでは死ぬ訳にはいかない。
「黒川様、敵が門を破壊し始めています!」
「すぐに弓兵を回せ、それからありったけの岩を落としてやれ!」
桑折城にいた際は上杉・伊達軍は見るからに五千は越えていた。さらに柴田などの豪族も加わったと聞いているから八千には達しただろう。
今の中新田城城内の兵はそれに比べたらすぐに落ちてしまうような数である。援軍の望みが薄れてきた現状では人の援軍よりも自然の援軍を晴氏は望んでいた。
隆信と話し合って既に戦略は決めてある。大崎平野は雪の多い土地柄であり、雪が降れば籠城軍は俄然有利となる。
周辺が湿地帯の中新田城は冬の大雪によって進軍が出来なくなる。その時を待って名生城からの援軍と古川・師山城の兵と共に四方向からの攻撃を仕掛ける。
上杉軍の将も馬鹿ではない。東北の冬の恐ろしさを知っているからこそ、兵を収穫の為に帰さなければならない以上、早め早めに決戦を仕掛けてくることは予想が付いていた。
前日に夜襲を仕掛けてきたので、今日は普通に攻めてくるだろうという高を括って不覚を取らなければこの戦も防げた。
終わってしまい、始まってしまった為、退くに退けない彼にとって死線を渡るような戦となってしまったが、追い返すことは可能である。
武人としてまだ生きることも必要。敗戦の中で死ぬのならまだ責任の一端は持てる。しかし、これから勝とうとする戦に死んでから勝利を迎えるのは簡単に言えば、嫌である。
隆信は城主として全体を眺める櫓に立っていた。既に喧騒が凄まじい程に聞こえてくる。目の前まで敵が見えてくるような上杉軍の鬨の声が聞こえてくる。
声というものは敵味方、互いの士気をよく表していると隆信は考えていた。
聞こえる声は大崎軍ではなく、上杉軍の声が圧倒的に大きい。数の問題もあるのであまり気にしていないが、大丈夫なのかという憂いも出てくるのは人として当然のこと。
すぐにでも立ち上がって兵達を鼓舞しに行きたいところだが、総大将の自分に何かがあれば事の天秤は大崎には傾かなくなる。
幸いにも黒川晴氏という優れた将が代わりに前線の指揮を執っている為にあまり悲観してはいない。
全体を見渡せる櫓まで登ると、上杉軍は今までと違ってかなりの規模で攻めかかっている。秋が近くなり、兵を畑に帰す為に総攻撃を仕掛けてきたという推測が出来上がるまで大した時間は掛からなかった。
冬になれば、積雪で下手をすれば帰れないということにもなりかねない。
ここを踏ん張れば、大崎もまだやれるということが示され、南部の方針を変えることも可能である。
しかし、朝駆けの攻撃は大崎軍に効果的な被害を与え、今にも突破されそうになってきている。上杉軍もここで決めるという意気込みがあるのだろう。現に、鬨の声が今までよりも数倍は大きい。
とはいえ、隆信も主君から中新田城という重要な拠点を任されている以上は、その期待に応えなければならない。
「矢を放て! これ以上は近付けるな!」
「申し上げます! 敵の攻撃凄まじく、援護が必要かと!」
「東の兵を南へ回せ、絶対に城内へ入れるな!」
ここを破られれば、残る大崎の拠点は古川城のみとなり、大崎平野の中心部に位置する彼の城は、古川氏の兵力のみの為に防衛能力は中新田城よりも各段に劣ると見て良い。
本来は桑折城と師山城の兵が上杉軍を通してその背後を突くという戦略を考えていたのだが、桑折城はとうに陥落し、師山城からは音沙汰が無い。上杉軍に包囲されたか調略されたかのどちらかであろう。
ここを突破されれば敵を大崎の領内で防ぐには実質上、義隆が本城とした名生城のみとなる。
そうなっては否が応でも葛西らの大名に頼らなくてはならなくなる。長年の宿敵同士である葛西に頭を下げて温情にすがるなど武人たる心が許さない。
当主の義隆がどうするかは不明だが、自分は必ず反対する。もし、義隆が生きる道を選択したら、大崎家の盾となる覚悟は出来ている。
生きるように命令されることは無いだろう。ここを長く守らなければ大崎家の明日は宿敵である筈の葛西の手に委ねられることになるのだから。
目の前の現実は上杉軍が執拗に攻めかかってくる為にとうとう城門付近にまで攻め入られてしまった。
城内の士気を下げる為、上杉軍は一旦攻撃を緩めて矢に隆信に降伏を促す文章や中新田城は見捨てられ、援軍は絶対に来ないという内容の文を何本もくくりつけて射てきた。
しかし、中新田城の将兵はこの日の為に大崎の重臣である南条隆信が鍛えてきた者達である。
少し動揺の色を見せた兵もいたが、隆信配下の将が一喝するとすぐに動揺を抑え、敵に立ち向かう。気の緩みは戦の中で最もやってはいけないことの一つである。
見せてはならないことを少しでもすれば上杉軍は出来た隙を躊躇うことなく襲ってくる。故に、隆信は晴氏に何度も使いを送って前線の戦況をよく把握し、頭の中で戦場を作り上げていた。
その中で上杉軍は南の外郭から攻め寄せてきた。兵法では敵を分散させて味方を集中させるのが定石とされている。
攻城戦として考えると城内の兵を分散させておくようにすることも可能である。他の方角の外郭や堀から攻めれば隆信もそちらに動かさなければならない。
放っておけばそのまま雪崩れ込まれるのがオチである。上杉軍の今までの戦いぶりを見てみると有能な者がいる筈。
晴氏の謀反を知っていたように一時は孤立した輝宗を救う為に素早く兵を桑折城に向け、その過程で義理堅い性格の晴氏の心を読んで時間を稼ぎ、結果として輝宗を救い出し、晴氏を敗走させた。
晴氏も知略も持つ将として東北でも名高く、その彼をあっさりと中新田城まで撤退させた手腕は侮れるものではないと思っていた。
実際に戦ってみると包囲を続けて、水路を断ち、随分と単調な攻めを行っているだけで目立った動きがない。東北有数の堅牢さを誇る城を見れば隆信も攻める側と立場を変えればすぐに妙案が浮かぶかと聞かれると答えに間違いなく窮す。
北と東が地形上、外郭が狭くなっている為に攻める側からすればそちらから攻めるのは当然の判断である。
晴氏と相談した際も二人で上杉が決戦を挑んでくるとすれば北か東と意見は一致していた。奇襲を西から仕掛ける考えも頭に入れるということも忘れずに。
何もないという選択肢は捨てた。考えもなくここまで攻め込まれる程、自身と晴氏は無能ではない自負がある。
上杉の真意が分からない。有能な指揮者程、その手を見せず、時には味方すらも騙すこともあるというが、隆信は何故か騙した者の手中にいるような気がした。
ただの直感であるが、当たらないとは限らない。意外な時に当たるものだから侮ってはいない。しかし、直感の中が分からないままで深い闇が続いていた。
どこに何があるのか、西と東には万が一に備えて城外にも斥候を放っている。敵を見つければすぐに駆け込んでくる手筈になっているが、報告は全く無い。
考え過ぎかと思ったが、相手は晴氏を騙した者である以上、考えるに越したことはない。
「申し上げます。敵の一部が東に動きました!」
「予想通りの動きか・・・・・・敵の本隊は?」
「相も変わらず、南より攻め込んでおります!」
「本隊から目を離すな。東に伝えよ、踏ん張ってくれとな」
兵が下がると隆信はもう一度上杉軍に目をやる。一部の隊が東に動いているのが見えた。その隊に東から奇襲を掛ければ、切り崩すきっかけになりそうだが、隆信の直感はそこに何かある気がした。
中新田城の東は平地になっていて伏兵が置けるような場所は無い。草村ぐらいはあるが、隠れられる人数は微々たるもの。対して西には鳴瀬川がある。
地理を考えると簡単だった。敵の目的は未だに過程に入っているのも怪しいところ。ならば、潰す好機はあるというものだ。
寡兵で援軍が来ない籠城戦は死を待つような戦、夜襲でも仕掛けておきたかったが、上杉軍は夜な夜な警備を強化していて機会に恵まれなかったが、とうとう機が巡ってきた。
「旗を東と南に集中させろ。城の守りは黒川殿に任せる。西に出せるだけの兵を用意しろ。私自ら引導を渡してやるとしよう」