大崎平野はほぼ東西に平行して東流する鳴瀬川と江合川の二川による度重なる氾濫によって形成された広大な沖積平野であり、現在もその名残と思われる大小無数の河川と水路が大崎平野の北西から東南方向に向かって流れ地形と水利に恵まれた自然環境により古来より稲作が盛んであった。
他にも大崎平野で有名なのは例年、奥羽山脈から吹き下ろされる寒波の強風とそれと共に降る雪によって一気に気温が下がる厳しい冬である。
元々、東北の秋自体が秋分前後に北東から冷たい海風が入り込み、曇りがちになって大きく冷え込むことがある。早ければ、十一月や十二月にはもう雪が大地に落ちてくることもあるが、大崎平野の冬は現代でも氷点下を普通に下回ってくる程に寒い。
上杉軍は秋前に出兵した為、冬に備えての装備を忘れずに持ってきているが、親憲や官兵衛達の間ではその前に終わらせるのが最低限の目標であるという共通の意見が出ていた。
本来、この後にやってくる農家にとって最も大切な作業の集大成である収穫の時期が近付くのと一回行くと下手すれば帰れなくなる程に厳しい大崎平野の冬のことを考えるとあまり褒められるような遠征ではない。
謙信からも民の生活基盤を支える一つの一大行事を取り止めさせてでも上杉が動くのは如何なものかという意見が内々で出ていたが、大崎家の内紛が伊達にまで及び、好機をもたらした以上、今動かなければおそらく西からの脅威がさらに近くなり、集中出来なくなるという軍師達からの強い主張に最後は首を縦に振ったのは裏でのことだ。
軍師達だけでなく、上杉直臣の弥太郎や長重といった将達がこの好機は見逃す選択肢は無いと主張した。懸念は季節が秋に近いことであったが、速攻で片が付くと誰もが思っていた。
そして今、上杉軍は大崎家らに対してたかが生き残りだと驕っていたことに気付き、後悔しているところである。
一応、上杉軍とうたっているが、実際には伊達や蘆名の方が多く、上杉軍の軍の比率は低い。他方面にも出兵させている為に致し方ないことだが、普通は軍の統率が上手くいかなくなる可能性がある。
とはいえ、官兵衛達は決して寝返りや命令無視という戦であってはならない恐ろしいことが起こるとは考えていなかった。
力をそれなりに削いでいきつつ与える物はきちんと与えてきた。恩義を感じさせて靡かせておく配慮を軍師達は仕事として欠かさないで行ってきたからである。
正直なところ、最上のように力よりも謙信の人情に絆された蘆名や伊達が寝返るという考えはそもそも出てこなかった。
故に、一番軍師達が配慮を欠かさないでいたのは最上家であり、待遇自体には不満は無いようなので心配はしていないが、東北が完全に統一されるまでは少し他よりは甘くしているのは謙信と軍師達の暗黙の了解となっている。
実際にこれまで降った家の中で上杉傘下に入っても力が一番あるのは最上であったりするのだ。
今回は羽州方面にも出兵しているが、これの目的の一つに、危険は承知だが、安東家残党の討伐でそれなりに最上の力を落としてもらうという背景もあって上杉直属の長重隊は多くの兵は率いていない。
ざっと三千でそれ以外は最上軍という均等ではない配分で、先鋒も最上にするように長重には官兵衛が言っておいた。
薄々感づいている者もいるかもしれないが、最上軍のおかげで奪われた湊城を取り返すことに早々と成功するなど随分と安東家残党討伐ははかどっているようである。
「残すは脇本城に檜山城だけか・・・・・・良いな~」
「黒田殿、一応ここも戦場ですから。もう少ししゃんとして下さい」
戦の最中に他方面の戦況を知らせる書状がやってきて読んでいて全てを読み切らずに書状を投げ出すと親憲の冷静な忠告に耳を傾けるのもほどほどに官兵衛はここには無いお菓子を食べたそうな子供が浮かべるような羨望の眼差しをしている。
最上の力を削ぐことも目的の一つであるとはいえ三方向の中で最も楽な戦は羽州方面であると軍師達は考えていた。安東愛季を慕う家臣の方が多く、上杉に降ることを良しとしない一部の者達の行動である為に上杉から派遣する兵はそれほど多くなくても良い。
最上も同じような考えを持っていた為に上杉が考えている真意に気付いているのはいないかもしれない。
戸沢の参加もあってさらに胡散臭い匂いは無くなっている。
城を眺めながら官兵衛はこちらもそろそろと思っていた時だった。
「申し上げます! 西の大内隊、南条隆信の攻撃を受け、苦戦中!」
「見破られましたか。話は聞いておりましたが、これほどとは・・・・・・」
「南条自ら出たってことは城内は手薄な筈。攻勢を強めるように伝えて」
朝駆けを行ってもなかなか本丸に続く郭を突破出来ない。外郭は朝駆けが功を奏して突破出来たが、それから先、本丸に続く道が開けない。
これ以上の戦は士気に影響すると将達は考えていた為に必死だが、向こうも中新田城の先には行かせまいと必死である。
兵法では、籠城戦の際に攻める側はその城を落とすのに城内の兵力と三倍の差が必要と言われている。
上杉軍の数は計七千。そこに桑折城の陥落を見た豪族達が集いさらに二千の兵が合流したので一万程度に膨れ上がっていた。
対して中新田城に籠もる兵は五分の一程度と聞いている。頼みの援軍は官兵衛が手を打って大崎と葛西の間に溝を作っておいたおかげで来る気配が無い。
「思ったよりも頑強だね・・・・・・」
官兵衛は独り言のように呟く。隣にいた親憲にはしっかりと聞こえていたが、親憲も同じようなことを考えていた。
中新田城城内に矢文を何本も射て、動揺を誘ったが、失敗した様子を見ると官兵衛は次善の策である敵の目を攪乱させて動揺を誘ったが、南条隆信がすぐにこれを察知して西に置いてあった大内定綱の伏兵を看破してしまった。
官兵衛はもし西の伏兵に感づかれても対処出来るようにするよう定綱には言い含めておいたが、隆信は鳴瀬川付近の地理をよく知っている為か、上手くいかない。
さらに追い詰めてくれれば、その隙に中新田城に駆け込むことも出来るが、残った兵も必死の抵抗で本丸への道はなかなか開けない。
上杉の陣から見ても大分激戦が繰り広げられているのが見える。先程まで圧倒的に大きかった鬨の声が徐々に小さくなっているのにイラついてきた官兵衛は貧乏揺すりを止めるのに必死だった。
「結構やるじゃん。大崎にも良い将がいたもんだねぇ」
「まぁ、仮にも元は奥州探題の家柄ですから、人は集まるのでしょうな。しかし、内部の分裂は否めないようですが」
「この中は例外みたいだね。黒川と南条が対立するなんて期待はしてなかったけど」
南条隆信のことはともかく、黒川晴氏のことは政宗や留守政景から慎み深い性格で私欲もなく、公の為に尽くす人物だと聞いていた。
南条隆信と組んで長く籠城を続けているということは二人共にお互いが公の為に尽くす人物であることを示している。
「今からでも黒川と南条を離間させては?」
「時間があれば考えられないことはないけど。多分、二人の性格は同じで、勝算があるんだと思う。多分無理だね」
「なるほど、自然の力を借りるのですね」
空を見上げる官兵衛を見て、親憲も納得したように上空を見上げる。この辺りは秋から冬にかけて天候は曇りがちになり、冬は大雪になると聞いている。
兵法における天の時が大崎に傾きつつあることに親憲は危機感を募らせた。
無論、官兵衛も同じである。前から大崎平野の天候の特徴は聞いていた為に早く終わらせたい考えは山々だった。
「大崎と葛西の間はもう手に負えない状況まできているみたいだし。早めに落として反上杉がまた一枚岩にならない内に何とかしないと」
「二つの家の仲をさらに悪くするのならば、もう少し時間を掛けても良いのではありませんか?」
葛西と大崎の間の離間は元々上杉が仕掛けたものだが、仕掛けなくてもいずれは不満が大雨の日に堰に貯まった水のように溢れ出して洪水のようになったかもしれない。
中に送り込んだ間者によるとそろそろどちらかが互いを討とうと動いてもおかしくない状況下にまで切迫しているらしい。
その事実も含めて中新田城には矢文を射れたのだが、動揺する気配も無いところ、大崎家屈指の優秀な将と言っても過言ではないと官兵衛は思った。
「それも考えたんだけど、今の葛西・大崎の間を取り持ってい和賀は家の力を見ると稗貫がいたからこそ上手く間を取り持てた筈。今は稗貫もいないし、稗貫から自分の領地を取られないかひやひやしてると思う」
「稗貫がいない今、我々が中新田城を取れば葛西と大崎は援軍を出せなかったことをお互いのせいにし合い、肝心の和賀も入り込める場所がそこには無い、ですか」
目の前の自分よりもかなり年下の少女のような軍師はよくここまで臨機応変に動けるものだとつくづく親憲は感心する。
年下ということは間違いないが、自分の弟子よりも年上ということは前々から聞いていた。端から見ると一瞬固まってしまいそうだが、かつての上司にも同じような人がいたので決して親憲には驚く要素は無い。
戦の最中に他愛も無いことを考えていたことに気付いた親憲は自分らしくないと内心反省しながらおとがいに手を当てて考える隣の軍師に目をやる。
目は城に向かっているが、鋭い視線の焦点はどこにも合っていない。
見えているのは親憲には見えない先のこと、敵に回さなくて良かったと彼は心から思った。
粘り強く籠城を続け、兵をよく指揮する将を撃ち破るのは難しい。そういった相手には軍全体の士気を落とすことから始めるのだが、 なかなか士気は落ちない。
もう一つ、上杉からすれば今後に来る冬のことと西への進軍に備えて悠長に待てないので致し方ない。打破するには中新田城を陥落させる他無いのだが、名生城を落とす為に戦力は温存して勝ちたいのが官兵衛の考えである。
時が進むごとに物質も減り、士気が落ちるのが普通の将兵達である。しかし、眼前の中新田城は大勢に対して寡兵で粘っていることにますます士気が上がり、つけあがるだけ。これでは名生城の攻略にも支障が出てくる。
軍師として大崎が戦をしなければならない状態に持ち込み、葛西や和賀などの国人衆をも巻き込んで一挙にかれらを無力化させる為の布石は敷いた。
しかし、中新田城の予想外の頑強な守りには舌を巻く。
南条隆信の評価は聞いていたが、敵としてここまでやりがいのある将だとは思わなかった。
官兵衛の心は決まった。策の何重も重ねていた策もこれで四つ目となる。今、浮かぶもので最後の策だ。
「もう少し悠長に構えておきたかったけど、もう限界かな・・・・・・伊達勢は東に回って敵の目を引き付けよ! 水原殿は南門を一気に攻め落として」
「承知、行くぞ! これで終わらせる!」
いくら堅牢な城でも守っているのは人。人が城を守る為に力を振り絞っている以上、疲れは嫌でも溜まるというもの。
南で夜襲、朝駆けを連続で受け、西へ東へ上杉への対処で走り回っている中新田城の兵は寡兵故に休む暇も無かったのは手に取るように分かる。
最後は策と言っても数に任せた総攻撃である。南、東から交互に攻撃を行い、城内の兵を行ったり来たりを続けさせてさらなる疲れを誘い、最後に南門に兵力を集中させて本丸を一気に取る。
南条隆信も黒川晴氏も寡兵でよく戦ったと官兵衛は第三者の立場なら拍手を送っただろう。
だが、隆信が最後に自ら墓穴を掘ってしまった。西の伏兵を主力と勘違いしたのか、武人として伏兵を自ら断ち切りたくなったのかは分からないが、全体を見渡す指揮官が変われば、兵は困惑する。
戦場で犯してはいけないことを隆信は最後の最後で犯してしまった。
「西の大内殿に伝えて、もういいって」
「はっ!」
伏兵故に少人数の数しか置いていないにもかかわらず、出てしまった隆信の才を惜しみながら死兵として定綱が巻き込まれないように官兵衛は退路を作った。
そこからはもう上杉の流れになった。南門と東門からの強い攻勢にとうとう耐えきれなくなった中新田城は門を破られて上杉軍はあっという間に本丸まで占拠した。僅か二時間のことである。
入城した親憲はまず留守政景と連絡を取って冬に備えての物資を届けるように使者を送った。
まだ葛西・大崎攻めは始まったばかり、これから冬が近くなるという想定ともはや収穫前に国元に兵達を帰してやることは出来ないという判断が入っていた。
親憲は官兵衛や政宗と共に詫びを入れて今年は年貢を減らすように口添えすると約束し、兵達からの喝采を浴びた。
これは三つの方面に戦を繰り広げている上杉にとって難しい問題だが、代わりに豊富な財力を以て補うという選択肢があるからこそ出来る。伊達や蘆名にも金を配り、恩義を着せることも可能だと官兵衛は考えた。
一方、大崎軍の情報収集も怠らないでいる。南条隆信は不覚を取ったことに気付き、どうにかして城に戻ろうとしたが、城の各所から火が上がったのを見て、腹を切ろうとしたところを兵達に止められて逃亡したらしい。消息は不明だが、地理に詳しい彼が残党狩りに引っ掛かる可能性は低いかもしれない。
黒川晴氏はそのまま北門から撤退し、古川城へと逃げ込んだという報告が届いた。決戦の場所を名生城と考えているのだろう。その際に横から攻める腹積もりだ。
冬までの時間を考えると古川城は無視する可能性も高い。後顧の憂いを残したまま攻めることになるが、中新田城に冬の間取り残されるような真似は避けたい。
「申し上げます。師山城へ向かった柿崎様より使いが参りました」
景家は中新田城を攻める際に後ろを突かれる心配があるとして官兵衛から別行動を頼まれていた。
兵に戦後処理の指示を出しながら、思考を巡らせて親憲はすぐに通すように伝えると使者はゆっくりと落ち着いた様子で部屋に入ってきた。
「申し上げます。師山城、柿崎様と本庄様の猛攻を受け陥落」
師山城も中新田城同様に頑強な粘りを見せていたらしいが、師山城には中新田城程の物資は少なく、景家が繁長の一端、包囲を解いて油断したところを再び奇襲を掛ける策で陥落した。
捕虜によると忠隆は中新田城へ救援に向かおうとしていた為にその夜は兵達を休ませていたところに攻め込まれ、どうにか抵抗しようとするも統率が上手くいかずに敗れた。
「敵将、古川忠隆は古川城に逃亡した模様」
「また古川城ですか・・・・・・これは・・・・・・」
「まずい」という言葉を飲み込んで親憲は使者に景家達に中新田城まで早く来るように伝えた。
親憲は軍師の真似ぐらいは出来る知略を持っている。黒川と古川は大崎にとって欠かせない優秀な将達だ。仮に南条も古川城に落ち延びたとしたら数は少ないとはいえかれらを見逃す訳にはいかない。
とはいえ、大崎に構っている時間は少ない。葛西のことも考えるとなおさらだ。葛西には途中で長江との国境まで戻った支倉常長の調略の手が伸びている。時間が経てば靡こうとした者達も上杉恐れるに足らずと葛西に手を差し伸べる可能性が高い。
「いざという時に取っておきたかったですが、早めに手を打っておいた方が良いかもしれませんね」
溜め息を吐くと親憲は気晴らしになればと思い外に出た。空を見上げるといつ雪が降り出すか分からない曇天模様。外は兵達が処分し切れていない屍や血が所々で臭っていて、秋故に木々も枯れ始めている。
ますます溜め息を吐く材料が増えるばかりだと思った親憲は文字を眺めている方がましだと考えて部屋に戻ろうとするが、途中で行きにはいなかった姿を捉えた。
「蘆名殿、何をなさっているのです?」
普段のように草をむしっているのではなく、ただ草花をじっと眺めている盛隆はどこか楽しそうだ。
親憲の姿を見ると立ち上がって丁寧に頭を下げる。盛隆は質問に答える代わりに指をある一点に指した。
「水原殿、見て下さい。あそこです」
「あれは・・・・・・柊ですね。しかし、某はあまり草花に詳しい訳ではないので」
それに柊は刺々しいあの葉があるせいで親憲の心には魅力が湧かない。どこか美しいと思えるところがあるのだろうかと内心、首を捻りながら親憲も腰を下ろす。
「いえ、私が見ているのは柊の花です」
「花? ああ、あの白い」
小さいが、たしかに柊の刺々しい葉の中に見える。だが、葉の鋭さと威容に負けて小さい柊の花は負けているようにしか見えない。
影が薄いという言葉がよく似合う。となりの蘆名家当主が草花に詳しいことは知っているが、どこにも良さが無いように見えた。
「あの小さな花は葉に負けています。しかし、小さく咲く花は決して必要無い訳ではありません」
親憲の内心を察したように盛隆は語り出した。確信のある言い方に何か興味も湧くだろうと親憲もまた耳を立てる。
「刺々しい葉は力強いです。しかし、強過ぎます。そこにあの小さな花があるからこそ、柊の花は見ることが出来るようになるのです。もし、花が咲かなければ古の貴族達も恐れて手を出さなかったと思います」
柊は古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。盛隆は刺々しい葉だけでは人と関わることはなかっただろうと考えていた。
「つまり、蘆名殿はあの花こそが柊の本来の主役であると?」
「そうです。水原殿、柊の花はどのように映りますか?」
「ふむ、これまでの話から考えるとあの刺々しい葉の醸し出す脅威を和らげるもの、でしょうか?」
「いえ、私も最初そう思っていたのですが、ふとそのその考えが変わった時があります」
「それは何時です?」
普段、詮索はあまりしない親憲だが、盛隆の熱弁に少し呑まれていたことに気付いたのはこの後の話である。
「此度の戦です・・・・・・気になりますか?」
「蘆名殿が話せるのならばですが」
盛隆は微笑んで頷くと嬉しそうに口を開いた。柊の花はまだ咲かないが、最後には咲くだろう。
天極姫2の発売決定を昨日知ってしまった。
期末が迫っているのにそっちに興味が・・・・・・