「そうか・・・・・・分かった。後は私がやっておく」
詮直が結局九戸からの援軍を頼りにせず、高水寺城から落ち延びないことを正式に決めたという報告を家人から聞いた義長は嘆息を吐きながらも致し方ないだろうと納得もした。
あの時の詮直は誰が何と言おうと決して人の言いなりにはならないという決意が見て取れた。当主として駄々をこねるような真似はして欲しくなかったが、聞く気がないのであれば家臣である義長はそれに最期まで付き合うのが道理である。
そもそも、先代が突然病死してしまい、当主としてのいろはをあまり教えられずに着いた高水寺斯波家当主の座は荷が重かったのだろう。
故に怒り、我が儘を言うことで一度はすっきりしたいという思いがあったのかもしれない。
何度も諫言をしたが、詮直は決して聞く耳を持つことはなかった。父の詮真がしっかりし過ぎていたこともそうだが、家臣達が詮直を甘やかし過ぎて面倒事を家臣達が率先してやり過ぎたことは彼女が遊興に耽ることになった原因の一端だろうと今では思えることでもある。
戦支度を整える間、義長は援軍を頼む為に岩清水城に向かった義教へとなるべく早くするようにと催促の書状を認めると屋敷から出て城へ向かった。
雫石久詮も上杉の行く手にある城の将兵の中で斯波に忠誠を誓う者達を高水寺城へと入れ、各郭へと配置する作業で忙しくしている。
その為に今、全体的な指揮を執ることが出来るのは久道と義長しかいない。
これから先、どれほどこの道を往復することが出来るだろうか。そして、眼前の高水寺城を幾度見ることが出来るだろうか。
詮無きことだと思いつつも死を覚悟している義長は郷愁の念というものに駆られている自分に自虐を与えるような笑みを浮かべた。
「止まれ!」
門番の声にふと我に返ると義長の周りを兵が武装して囲んだ。そして、その間を縫うようにして猪去久道がやってきた。
「どういうことだ猪去殿。この岩清水義長、何ら落ち度も無い筈ぞ」
「残念だったな。ここから先、謀反人を通すような真似は出来ぬ」
突然、謀反人扱いされたが、全く以て義長には意味が分からないことである。しかし、向こうは確信があるのか怒りと侮蔑を表情に隠すことも無く浮かべている。
「言っていることが唐突過ぎる故、筋が分からぬ」
「はっ、よく言うわ。お主の弟が岩清水城で謀反を起こしたというのに」
「何だと?」
「岩清水で弟が兵を挙げ、姉であるお主が混乱に乗じて詮直様の首を取る。筋書きはそのようなところか? だが、この猪去の情報網を甘く見てもらっては困る」
そう言うと久道は義長に一通の書状を叩き付けた。
中には義教から九戸へ、上杉に対抗する為に斯波の下ではもうそれを果たす望みも無く、斯波家にて生きている価値も無い。
混乱に乗じて九戸は斯波の領土に攻め込み、上杉の出鼻を挫く手助けをしてもらいたいという旨の書状が書かれていた。
読んで行く内に義長の表情は青くなっていき、それを見た久道は鼻で笑って義長を捕らえるようにと指示を出そうとする。
しかし、書状を読み終えた瞬間、義長の感情は怒りによって完全に支配された。
「あの愚か者め! 詮直様の下に向かい、出陣の許可を取ってきます。そこを退いて頂きたい」
書状を破り捨てると久道に家格の差など気にも掛けずにそこをどけと言わんばかりに睨み付ける。
その気に圧されて思わず久道も質問をしてしまった。
「出陣とは、一体どこへ?」
「義教を斬る!」
岩清水城に向かうとは言わずに義教を斬るとはっきり言い切った義長の決意の眼差しを見抜けない程、久道も腐った人物ではない。
義長の目が語っている。もはや、義教を弟とは思わない。斯波家に仇成すただの不忠者だと。彼を排するのは彼をよく知る自分であり、あのような弟になってしまった自分の責任でもあると。
「嘘ではあるまいな?」
「もはや弟とは思わぬ。あれはただの阿呆よ」
やはり久道の思った通りだった。彼女は忠誠心を決して失うような人物ではない。
名門の箔を捨てることが出来ずに対立はすれども普段から忠誠心に揺らぎが全くない義長を見て、彼は道を譲った。
久道は義長の背中には怒りと共に悔しさがあるように思えた。
「拙者も人を見る目が無いな・・・・・・」
それなりの自負があった。しかし、たったこれだけのことでその自負が破砕されるような気持ちになるとは思わなかった。
久道には名門故の箔から来る誇りがあっても野心や欲はない。自己研鑽は積んできたつもりだったし、家柄相応の能力もあると思っていた。
謀反というものは嫌でも首謀者の一族に対して偏見が出てくる。人故にそれは同じ血が流れているからという同族主義の考えがもたらすものだろう。故に久道も義教の謀反を聞いた時、真っ先に義長を捕らえようと動こうとして、都合の良いことに向こうから来てくれたと内心ほくそ笑んだ。
これで久詮と共に主張してきた方針に異論を唱える者がいなくなるとも思い、気が楽になった。
しかし、現実は思いの中とは違い、ただの醜い偏見による羞恥を久道に与えただけだった。
義長は主君である斯波家への忠誠を誓い、日々精進していることは人から聞いていた。
斯波家一門ではあるが、誇りは最低限に抑えてきた彼は義長に好印象を持って接してきた。それが、弟の義教が謀反を起こしただけで全ての評価を無にしようとした久道自身、十分に恥をかいたが、逆に無駄なことをせずに済むという思いから清々しくもなった。
生暖かい早春の風が吹く中で久道は詮直に許しを貰った鬼気迫る表情で義長が戻って来るまでずっと門で立ち尽くすようにして彼女を待っていた。
「早よう、義教を討ってくれ」
これを言う為だけに。
五日後に義長は岩清水城に出陣を開始した。数は三百と少ないが、岩清水城は未だに兵を集めたばかりで百もいるかいないか程度の数らしい。
すぐに陥落させて義教を討ち取り、彼の首を城門に掲げて斯波家の者は誰一人として忠義を失わず、斯波は決して上杉に従わないという気概を見せ付けてみせる。
愚弟の犯した罪を叱咤する前にやることは斯波の家臣がこれ以上離反するのを防ぐ為、義教謀反の報告を聞いた後、立て続けに他の家臣が離反したという報告が舞い込んできた。
このままでは流れが完全に上杉に行ってしまい、最後まで飾り気の無い戦で終わってしまうだろう。少しでも何か世の中に魅せれるようなものを遺さなければ岩清水の名に愚弟が起こした謀反を抑えきれなかったという不名誉な記録が残るばかり。
「(それだけは何としてでも避けなければな)」
追い風の中でそう胸の中で誓いながら義長は馬に揺られている。
岩清水城は義長が長年城主として治めてきた城。その城を弟に奪われる形で戦になるとは夢にも思わなかったが、親子や兄弟姉妹同士で争うことがあるのが戦国時代の運命であるとして割り切るしかない。
謀反を早く鎮める為に忙しく行軍している中で義長の思考は随分とゆったりとしていた。
思考の中では既に義教はこの世にはいない。いくら義教がこの動きを予測して九戸が援軍としてやって来ようとその前に義教を討ち取る自信があった。
庭同然の岩清水城に性格を良く知っている弟義教。しかも、数ではこちらの方が上。籠城戦において攻城は下策だが、それを跳ね返す程に悪条件は向こうに揃っている。
後は上杉の攻撃をどう凌ぐかに掛かっている。謙信は民を良く重んじている為に田植え前に撤退をすることはほぼ確実であり、それまでに高水寺城を守りきればひとまずは勝ちである。
しかし、上杉の疾風の如く速い機動力は侮れない。とにかく義教との戦いは時間との戦いでもある。
「岩清水様ー!」
その報告を聞いた途端に義長の心の風のみが向かい風となった。
「南部が突如として国境を突破! 更に上杉軍が高水寺城へと後三里も無い所まで迫っております!」
決断を迫られた。久道や久詮を信用してこのまま義教を討つか、詮直を守る為に急いで高水寺城に戻るか。
どちらにせよ、大軍と事を構えることに変わりはない。岩清水城を放っておけば高水寺城は完全に孤立してしまう。一方、上杉との決戦において真の忠臣なら主君の近くにいないという選択肢は義長にとっても決断を難しいものにさせた。
斯波家一門の出では無い為に誇りとは距離を置いていたが、武人としての誇りを捨てて謀反人を討ち取るという功を立てながらも肝心の主君は討ち取られていましたなどという義長にとって本末転倒な結末だけは避けたい。
悔しい。何故に勝手に忠義を翻した義教に都合が良いように事は運ばれるのか。しかし、まだ負けが決まった訳ではない。耐えていれば機はある筈。
「撤退だ! 高水寺城に戻れ!」
今度は心だけでなく身体も向かい風になった。
義長には暖かい筈の早春の風がひどく鬱陶しいように思えた。
久道は義長を出陣させることを許すように道を譲ったのを後悔していた。
冷静に考えれば上杉は義長が出陣したのを見計らってやってくるという可能性は高かったと分かる。義教が上杉と通じて謀反を起こしたのか九戸と通じているのかは不明だが、そもそも上杉軍が近付いているというのに道を譲った自身が許せなかった。
こうなることは簡単に予測出来た。しかし、武人としての誇りを以て弟を討とうとした気に圧されてしまったのだ。
ここには久道と久詮以外には数人の武将しかいない。他の者は上杉に降ったのだろう。
おそらくは義長も上杉の大軍を背後に力尽きてしまったかもしれない。
詮直の背後で久道がそう思った時だった。
「詮直様、岩清水殿がお戻りになりました」
「何と、この囲みを突破したというのか!?」
完全に上杉軍に包囲されたこの日。もはや援軍の見込みなどない虚しい籠城戦になるだろうと誰もが思っていた中で決して来れないだろうと踏んでいた者が戻ってきた。
しかし、詮直の嬉しそうな表情も義長の傷だらけになったぼろぼろの姿を見ると恐怖が隠せないというような目に変わった。
「殿、岩清水義長、只今戻りました・・・・・・」
「よく戻った。して、上杉は?」
「運良く寝静まった頃にて、被害は出ましたが、どうにか・・・・・・」
早く早くと急かす詮直に対して疲れ切っている義長はそこで呼吸を整えるように深呼吸を二回する。
辛うじて入ることが出来た義長だが、配下の将兵はほとんどが上杉に討たれてしまい、残っている兵は百にも満たない。
それも致し方ないことだと久道は思った。義長が率いていた兵の数は三百、上杉は一万と聞いていたのが、本来は二万にもなっている。
いくら寝込みの中に入れたとはいえ全く無害で通り抜けられる訳がない。
義長以外に兵が残っていること自体が奇跡的なものと言える。
「おそらく、明日には高水寺城を攻めるつもりでしょう」
「そ、そうか。もう来るのか・・・・・・何か策は無いのか? 生き延びる為に必要な策は?」
ある訳ない。
面と向かっては言えないが、久道も義長も共通の考えだった。
最後まで我が儘を貫いてここを出ないようにしつつ生き延びたいと詮直は思っている。
上杉に付いた者達はこのような考えを最後まで捨てることが出来なかったことに対する呆れだろう。しかし、それでも主君であることに変わりはないのだ。
「殿、敵はおそらく明日の攻撃に備えて今宵は休息を取っているのでしょう。そこで夜襲を仕掛けては?」
「なるほど、敵も二度も同じ手を使ってくるとは思ってはいないでしょうし。ならば、すぐにでも・・・・・・」
「いや、岩清水殿はお疲れでしょう。ここは拙者に任せて殿の御身を守っていて頂きたい」
「よろしいですか? 殿」
「う、うむ。お主らがそう言うのならそうしよう」
流されるままに詮直は頷いているように見えた。しかし、それで良い。それでこそ上杉軍に好機を逃すことなく一矢報いることが出来るのだから。
「行くぞ!」
その声とほぼ同時に篝火が上杉軍の中で一気に灯った。
「けんけーん、夜襲よぉ」
上杉軍の本陣では戦の最中だというのに慶次が普段通りのお気楽モードで謙信を起こしに来ていた。
「ふむ。どうやら官兵衛の言っていたことは当たったみたいだな」
起こすまでもなく当然のように謙信は起きていた。そして、上杉軍からすると二度目の夜襲も全く動揺を見せる素振りはなく、至って冷静に戦況を見つめている。
外では官兵衛と颯馬が前もって指示していた伏兵が鶴翼の陣を敷いて待っていた本隊と共に散々に斯波軍を討ち取っている。
「一度目の夜襲は小手調べ。もう一度来た時に本隊を動かすと見た官兵衛の慧眼には恐れ入ったな」
「一回目は手応えなかったからねぇ」
疑念を抱いたのは官兵衛だった。おかしいと感じたのは敵が背後から攻めてきたのに敵は城から出る気配がなかったこと。
明らかに示し合わせたものではなく、行き当たりばったりな策であることが分かる。
もしかするともう失敗した夜襲はしないだろうとこちらが思っていると考えて、また夜襲をするのではないか。
懐疑的な意見も数人の将から出たが、最後は謙信の鶴の一声だった。
「それよりも早く終わらせましょ」
「そうだな。景家はどうしている?」
「もう行っちゃった。『未来永劫、如何なる戦でも私は上杉の先鋒を務める!』って」
「はっははは、あいつらしいな」
世間話でもするように話しているが、身体は既に馬上で戦の体勢に入っている。
「そういえば、この戦が終わったら、この後は九戸攻め?」
「いや、後は伊達達に任せる。私達は撤退だ」
ちょっと慶次は拍子抜けした。謙信は自ら先頭に立って決して配下任せにはしない面を持っている。それが原因で自己の判断で動ける者があまり多くない一面が上杉の欠点でもあるが、今は割愛する。
今回は外様に任せるという普段は行わない方針を取るらしい。
戦に関しては無類の強さを誇る謙信は外様に任せるようなことはせずになるべく譜代で行おうとする一面を持っていることも慶次は知っている。それは今まで長尾政景や景信といった一門の中でも争いを行ったことへの反省なのだろうと慶次は考えていた。
一方で慶次は決して察しの悪い人間ではない。この決断は先述の譜代が多くの功を立てることに対する外様の不満を解消する為、そして、民を重んじている謙信が農民を田植え前に農地に返す為であることも承知済みだった。
「それじゃ、あたしも出るとしましょ。けんけんもどう?」
「よし、では久々に合わせるか?」
「はいな~」
数の差を見れば勝利は間違いない戦。たまには前に出ることも構わないだろう。そのつもりで謙信も馬に跨がったのだから。
軽い気持ちで調子に乗って大量の返り血を浴びた格好で謙信が帰ってきた際、颯馬から慶次と仲良く説教受けるのはまた別の話である。
上杉軍が悠然と、恐ろしい殺気を隠しながら待っていたのを見た時、久道は終わったのだと悟った。
普通城攻めでは扱わない鶴翼の陣を上杉軍が敷いてあったことも篝火で分かった。撤退する際、伏兵の配置にしてもまるでこちらが夜襲をしてくることを待っていたかのように置いてあった。
ほうほうの体で逃げてきた久道に付いて来れたのは僅か五百以下の兵だった。
それからこの劣勢の中で高水寺城に馳せ参じた将達が討たれていく報告が次々と舞い込んできた。
そして、また報告がやってくる。おそらく、というよりは十割間違いなく凶報だろう。
「申し上げます。東の細川長門隊、壊滅状態に陥りました! 上杉はそのままこちらに向かってきております!」
久道の予感は当たった。誰もが報告に来た兵を見て同じことを思った筈。
ただ一人、詮直のみが顔を青くしてその報告は受け入れ難いものだという表情を浮かべている。
「何故、何故、斯波が敗れる・・・・・・名門の家柄が、何故・・・・・・」
俯いて誰の言葉も入っていないのかもしれない。しかし、久道はどうしても言わなければならない、進言しなければならないことがある。
「殿、お逃げ下さい!」
「嫌だ! ここは私の城だ! ここから出たくない!」
「されど・・・・・・」
「うるさい! うるさい! 私は一歩たりとも出ないぞ!」
「そう、ですか・・・・・・」
久道は天を仰いだ。我が儘もここまで続くと逆に羨ましいように思えるが、戦に我が儘など通用する訳がない。
詮直を説得するのは無理だと悟った久道と義長は最後の手段を選ぶしかなかった。
「・・・・・・では、御免!」
久道が腹に一発喰らわせると詮直の身体が前にぐらりと倒れた。それをすかさず義長が抱え込む。
「来世ではもっと憚ることなく戦場でも平時でも友としてありたかったな」
顔を合わせないままに義長が不意に零した言葉に久道は驚いて振り向いた。表情は変わらない。
だが、互いの間にあった一門とそうでない者の壁というものは無駄なものであるとして破られていた。
その言葉がありがたかった。冷め切っていた久道の心を暖かくしてくれたことこそ、墓場に持って行く最後の良き思い出だろう。
気付けば、久道は今まで斯波家一門の誇り故に主君以外には下げたことが無い頭を義長に下げていた。
「・・・・・・済まなかった」
「別れに詫びは無用。今はただ誇れることを思い、最期の時を喜ばん」
武人として生きてきた二人。更にここにはいないが、久詮もまた足利将軍家一門の斯波に仕えることが出来たことに誇りを持って最後まで上杉の猛攻に互いに毅然として立ち向かおう。
「逝くか・・・・・・」
「ええ・・・・・・」
二人は頷き合うと久道は上杉軍の中央へ、義長は高水寺城の東、北上川へと馬を走らせた。