上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百十四話 実りは遠く

 春は春一番という大風が吹く日以外でも風が吹く時が多い。それでも、春一番の寒い風よりは暖かい心地を与えてくれるので人は春風を歓迎する。

 しかし、風は気ままな性格を崩すことはない。

 穏やかな風を吹かせれば強くやかましい風を吹かせることもある。

 そして、風の音で目を覚ましても不思議ではないぐらいに強い風が吹いているのがその日であった。

 叩くようなうるさい音で起こされた龍兵衛は眠い目を擦りながら屋敷を出た。東北の戦が大体片が付き、政務も謙信達が戻ってきて大分余裕が出来ている為に久々に帰れる日々が続いている。

 楽で良いのかというと龍兵衛はそれほど自己中心的な人間ではない。

 

「(本当に帰って、寝て。良かったのか?)」

 

 逆に他の人達に仕事を押し付け過ぎて何か言われていないか不安になることもしばしばある。

 責任感が強い故に極力は自分でやろうとすることが多いが、無理だと判断したものは自分で解決せずに他力に頼ることもある。

 そうでなくても元々、上杉の面々は自分のことはなるべく自分でやろうとする気風がある為、その代表的な存在である兼続などはぎりぎりまで詰めて仕事を行っているのが日常である。

 龍兵衛もそこまでではないが、決してその類から漏れ出ている存在ではない。急いで支度を整えると彼は城に向かった。

 

「おはよー」

「おはよーございます」

 

 官兵衛と出会った龍兵衛は美濃の頃から変わらない伸びた挨拶をし合う。

 いつまで経っても官兵衛は変わらないままである。

 

「(色々と・・・・・・)」

「今なんか変なこと思ったでしょ?」

「思ってませんよ(何でこういうところだけは鋭い?)」

 

 内心の焦りを隠しつつ何でもないというようにしれっと答える。

 当然、官兵衛も女である以上は勘は優れているということだろう。しかし、世の中は実に不平等なものである。

 

「(特に慶次とか、慶次とか、慶次とかと比べると・・・・・・)」

「やっぱり、何か思ってるでしょ!?」

「だから何のことですか?」

 

 あまり多くを語ると逆に怪しまれる。重々承知している故に決して惚けること以上のことはしない。

 

「その惚けるだけっていうのがなお怪しいな」

「げっ・・・・・・」

 

 あっさり弟子を越えた師匠。というよりも師匠が弟子を越えないこと自体に問題がある。

 そこで素知らぬ顔が出来れば龍兵衛も誤魔化しようが利いたが、相手が気心の知れた官兵衛でしかも、公の場で無いという条件が重なって失態を犯してしまった。

 

「さぁさぁ、思っていたことをちゃっちゃと吐いた方が良いよーあたしの気が変わって龍兵衛が思っていたこと無いことを大声で言わない内に」

「へいへーい・・・・・・」

 

 その後、龍兵衛はしばらくの間、自身の頬に手の跡が残ることになる。

 

「今日も早く帰れると良いんですけどねぇ」

「んー大丈夫じゃない? ここんとこ、大した動き無いし」

「そうは言ってもねぇ。今は色々と大変なんですよ。何だかんだ」

 

 ひりひりする頬をさすりながら龍兵衛は遠い目をしている。

 大変なこととは楊北衆との高根金山についての協議や中条と黒川を筆頭にした楊北衆同士の対立、新田開発の指揮といったものだ。

 実際に忙しいのは間違いない。昨夜のように早く終わって屋敷に帰れるのは稀である。その稀が最近は続いているのだ。

 嵐の前の静けさとでも言うように本当に越後は平和な日々が続いているのだ。それ故に官兵衛も龍兵衛も大きなことが起こるかもしれないと内心では戦々恐々としている。

 軽口の叩き合いはその場凌ぎの心の安らぎを求めているからでしかないのだ。

 

「じゃ、俺はこれで・・・・・・」

「はいよー・・・・・・後、黙ってやるから感謝しろよー」

 

 根に持っていることに嫌な予感を持ちつつも龍兵衛は官兵衛から逃げるように部屋へと向かった。

 

「おう、兼続。来てたのか?」

「お前と違ってちゃんと城に残っていたからな」

 

 入ってくるなり嫌味の攻撃である。

 

「良いじゃん別に、仕事はちゃんと終わってから帰っているんだし」

「はぁ、何が起きるか分からないのに呑気なことで」

「言ってろ。体調管理も仕事の内、休みも必要だろ」

「屁理屈もそこまで行けば良いな。小島殿には言い訳もせずにぺこぺことしていたくせに」

「そりゃあ、向こうの方が偉いんだから」

 

 本当の理由は先日の慶次との一件の一部始終を覗いてたことがしっかりとばれていた為、覗きを黙っていてやる代わりに一日だけ奴隷のような生活をさせられることを命じられたので仕方なくぺこぺこしていただけである。

 

「それで、黒川殿はどうしている?」

 

 兼続の一言で急に言い争いが収束して真面目な話にころっと変わった。

 

「今のところ動き無し。だけど、色部殿がこっち側に靡き出しているのを少し気にしてるみたいだな」

 

 龍兵衛の答えはしっかりと調べた上での報告である。先日に出てきた色部勝長の旗印の一件について龍兵衛は勝長側の主張を全面的に受け入れて平賀重資の敗北が決まった。

 それでも食い下がる重資に龍兵衛は自ら相断るべきだと彼女を叱責して突き放した。

 

「ひどかったなぁ。あれは・・・・・・」

「うるせーその後、お前がちゃんと慰めたんだから良いだろ? 予定通りにな」

「ああ、ちゃんと慰めたさ。予定通りにな」

 

 それを聞いた龍兵衛がにやっと笑う。

 重資はあっさり否決された挙げ句、再考をお願いして断られて悲しみに暮れていた時に兼続が頭をよしよしと撫でて手を差し伸べた。

 そのことに感激した彼女は兼続に誘導されるように上杉の中央集権化の為に楊北衆の力を弱めることに賛成する派閥に入った。

 

「もうこれっきりにしてもらうからな」

「分かってるよ。俺だって本当なら弥太郎殿に頼みたかったんだ。けど、弥太郎殿も色々と兵の鍛練で忙しそうでさ・・・・・・」

「そんなことぐらい私だって分かっている。やりたくないとやらねばならないは別だ。それに、あそこまで頭を下げられては嫌と言えないだろう」

 

 本当なら兼続は崩れかけた人の心を誘導して有利な方向に運ぶようなことは汚いことだと考えている為にやりたくないと私情では思っている。

 今回は龍兵衛が土下座までしようという勢いで頭を下げてきた為に仕方なく受け入れたに過ぎない。

 しかし、龍兵衛からするとその兼続の発言に驚きを隠せなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・えっ?」

「何だ、その『えっ?』は? 正直に言わないと話し合いを説教に変えるぞ」

「じゃあ・・・・・・ばいばーい」

「こら! 逃げるな!」

 

 そして、以前にもあったような状況になる。しかし、今回は兼続に非がある訳でもないので龍兵衛はしっかりと夕日が落ちそうになる時間まで兼続に正座をさせられた。

 ちなみに、崩そうとすれば兼続の口から火を噴くような声で足を引き戻すように言われるので結局今日は城に泊まることを余儀なくされた。

 

 

 

 

 

 それから更に経ったある日。

 龍兵衛は乾田への移行に頷いてくれた村を訪れていた。どのようにして湿田から乾田へと移行するか。当然のことながら農家の人々は知らない。

 そもそも、湿田とは地形的条件から落水後も乾き難い水田のことであり、これに対して乾田は落水期に容易に乾かすことのできる水田のことである。

 越後は東側が平野になっている為に今でも東側の米の生産量が多い。しかし、西側も出来ないことはない。

 今回協力してくれる村の内、八割が西側である。西側で生産量が東側の生産量と追い付いていると知られれば、農法を真似ようとする心理が必ず働く。

 

「取り敢えず、この湿田は冬の間も水が田に浸っている為に水はけが悪く、水の量の調整が難しい為に質が落ちてしまいます。もちろん、水を引く水路があることも承知しています。しかし、この村は関川の影響も時折受けているのですね?」

「はい。しかしながら、なかなか儂らには良い考えが浮かばなくて・・・・・・」

 

 湿田から乾田への移行は比較的簡単に出来るものだと最近になって龍兵衛も知った。ただ水路をもっときちんと整備して冬の間に普通なら田畑に張りっぱなしの水を引けば良い話だ。

 しかし、関川の洪水が時折起きるこの村ではきちんとした堤がない。その為、図面には川に沿った堤も描かれている。

 

「当然ことながら、それを避ける為には関川のことを何とかすることも重要です」

 

 そう言いながら龍兵衛は一枚の図面を取り出した。そこにはその村の田畑の場所、流れる川、そこから水を組み入れている為の水路。そして、現在は流れていない筈の小さい川のようなものが描かれていた。

 

「この水路を作ることで季節毎に水の調整をすることが可能性になり、冬の間に浸していた水を中に入れないことの理由はおおまかに分かりましたけど。それだけで米の量が変わるのですか?」

 

 土壇場での様子を見たいというような物言い。気持ちは分からなくもない。しかし、ここで歩調を合わせてはまた保留になってしまう。

 折角、実行するまでに来たのだから好機を逃すようなことはあってはならない。

 村長の不安げな表情と声に同情するように龍兵衛は少しだけ目を笑わせて曖昧に頷いて「はい」と返答した。

 一方、頷いた曖昧さとは裏腹に返答の声にははっきりとした確信を持ったものが含まれている。

 

「上手く行けば、この村を含めた村々が日の本一の米所になる最初の起点となった村として名を残すことも出来るかもしれないのですよ?」

「日の本・・・・・・い、いち・・・・・・?」

 

 いきなりのことで唖然としてそのままの状態では何を言っても耳の入りそうにないのを見て龍兵衛はさっと村長の手を取ってしっかりと目を真っ直ぐと見る。

 

「今は信じられないかもしれませんが、いずれ、数十年後、百年後にはそうなっている。その時に我々は評価されるんです! 一緒に頑張って行きましょう」

 

 心に響くように一言一句重みを付けることを意識して言う。

 心からの誠意を込めるように更に龍兵衛は真っ直ぐ射抜くような目で村長を見る。彼の心にも伝わったのだろう。

 最後には驚きを隠せないままであったが、頷いて「分かりました」と言ってくれた。

 

「(良かった。やっぱり、こういうことは心に言うようにすれば良いんだ)」

 

 上手く行くだろう。今は失敗が起きても決して諦めなければ道は必ず開かれるものだ。

 今、評価されなくても良い。龍兵衛自身、体裁に気を置いても評価に重きを置いたことはあまりない。いずれ、越後が繁栄すればそれで良いのだ。

 実際に彼は知っている。乾田移行することによって越後もとい新潟は日本一の米所になったことを。

 

「(この調子で他の村にも説得と説明を続けよう)」

 

 今日のことを忘れずに行けば、何かアクシデントが無ければ上手く行く。

 確信にも似たその思いを胸に龍兵衛はその村を立ち、最初にこの村を訪れた時よりも緊張感がほぐれた気がしながら他の村へと向かった。

 

 

 

 

 

 龍兵衛が城に帰ることが出来たのは結局、日も落ちた夜だった。

 その足で謙信に会おうと思ったが、すぐに足が止まった。この時間なら間違いなく颯馬がいる。

 ええい、それがどうしたと踏み込もうとすれば出来ないことも無いが、さすがに村を回って来た身体でそんな気力も無い。

 

「(明日にしよっと・・・・・・)はぁ・・・・・・」

 

 龍兵衛は心の溜め息が口から出てしまったことに気付き、慌てて周りに人がいないか確認する。

 誰もいないことを確認すると安堵の溜め息を今度こそ心の内で収めると部屋へと戻った。

 

「・・・・・・ん?」

 

 机の上には置いた記憶のない縦長の短冊のような紙が置かれていた。

 

「(言伝か?)」

 

 そう思いながら、龍兵衛はひょいとそれを取って書かれているものを読む。相手は景勝だった。

 

『由良の門を 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな』

 

 読み終えた瞬間に龍兵衛の眉間の皺が一気に寄った。

 百人一首の内で恋の句は最も多く四十三句ある。その中でも分かり易く、行く末の分からない恋を待ち続ける景勝の状況にぴったりと合うのであろう句をそのまま彼女は叩き付けてきた。

 

「そう来たか・・・・・・」

 

 淹れた茶をすすりながら溜め息を吐く。

 はっきり言って龍兵衛は中学の時に習って少しばかり印象に残った句を覚えて終わりだった為にあまり唄を詠むのは好きではないし、苦手な分野で景勝にも教えていた。

 しかし、景勝は知っていた上で敢えて句を持ってきた。

 龍兵衛が不得手な句を持ってくることで怒りと催促の両方を表し、曽禰好忠の句にて己の悩みを訴えかけて、背後を壊せない壁で覆い、早く結論を出すように語っている。

 

「句で返せ、そう言っているようにしか思えんな・・・・・・仕方ない。下手なりに何とかするか・・・・・・」

 

 がしがしと乱暴に髪をかきながら龍兵衛はどう返そうかとしばらく頭を抱えた。

 彼の部屋の灯りが消えたのはそれから二時間経った後だった。

 

 

 

 翌朝、景勝は普段と比べれば目覚めが良かった。寝起きも良く、機嫌も良い方だった。

 たまたま出会った慶次に朝稽古を付けてもらい、負けたとはいえ良い運動になった景勝の心身は爽快さで満ち溢れている。

 しかし、部屋に戻ると起きた時には無かった紙が机の上に置かれているのを確認すると心の気分は一変してがっくりと落ちた。

 

『かぢをたえ 門にて惑う 舟人の 行くも退くも 新月の夜』

 

 舵を失った船頭は潮の流れが激しい川と海が出会う潮目で動こうと努力しているが、周りが見えない新月ではどうしようもない。

 つまり、この恋の結論は未だに心の惑いを消せずに、暗闇の中で右往左往している龍兵衛は船頭の如くその場から動けていない状況だということだ。

 

「むぅ・・・・・・」

 

 下手なりに考えてはあるが、それよりも答えを見付けて欲しいというのが景勝の思いだった。

 更によく読んでみると催促を抗議するようにも取れる。

 まだ船頭は船上で迷っている。しかも、目印の無い新月の夜では動くに動けない。にもかかわらず、陸の上から呼ぶような句を送るのは止めてくれという訴えが含まれているように思える。

 

「うー・・・・・・(長い・・・・・・)」

 

 景勝はいい加減苛々してきているのだ。答えを見付けることが出来ていない彼の苦悩はよく知っているつもりである。

 謙信を始めとする重臣達が少なくなった時には夜中に部屋の中に行こうとして何度もうろうろしていた。

 最終的に龍兵衛に気付かれて変に思われるから止めて欲しいと怒られた。

 その際、彼の目はひどく悲しそうだった。目の下にある隈が印象的だったが、もう話し掛けるなと怒りを背中で語るようにして景勝に振り返ることはその時はなかった。

 その代わりと景勝はまたその日の夕方に龍兵衛が留守にしている時を見計らってまた一首の句を置いていった。

 

『うたたねに 恋しきひとを 見てしより 夢てふものは たのみそめてき』

 

 夜に龍兵衛が帰ってくるとまた彼の溜め息が部屋中に響いた。つまり景勝はこう言いたいのだ。

 

「(うたた寝してた。龍兵衛の夢見た。あっという間、だけど、それ、頼りっきり!)」

 

 部屋に戻った後に龍兵衛は百人一首よりももっと知らない万葉集からの訴えに更に鬱な気持ちになった。

 

「(こりゃあ、かなり怒ってるな・・・・・・どうやって返そう・・・・・・)」

 

 またこの日も夜まで灯が消えることはなかった。

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