夏だというのに蝉の声は今年も全く聞くことが出来ない春日山城。
下手人は誰もが知るところだが、逆に静寂が心地良いという人にウケが良いので飼い主も放っている。その為、狩りし放題の現状を下手人ならぬ下手猫は狩りを満喫している。
「だからって、朝っぱらから部屋の前に鼠の死骸を五匹纏めてのお届けは止めて欲しいんですけど」
小隊を全滅したと一仕事終えたように舌をちゃしちゃしと指で舐める猫は渾身のどや顔を作って龍兵衛に「凄いでしょ。自分」と言っているような気がする。
とはいえ、後始末は飼い主の仕事。内心しくしく泣きながら手袋をはめて鼠の死骸達を拾い集めると中庭の隅に穴を掘ってしっかりと埋めた。
合掌している姿をその場を行き来している女中や将兵達は暖かい視線で龍兵衛を励ましている。
いつもこうして埋めている彼の背中はどこか哀愁が漂い、可哀想に見えてくるのだ。
「さてと・・・・・・」
屈んで行う仕事を終えて背中を伸ばすように伸びをして固まりそうだった腰を伸ばす龍兵衛。腰痛持ちが持病である為になかなかこの仕事はきつい。
しかし、これからがもっときつくなる。夏と言えども、戦乱の世に休みはない。
様々な勢力が農民の田植えを終えてかれらを兵へと変えて動き出している。
北条はいよいよ武田に靡いている豪族を除いて上野の領地をほぼ完全に掌握した。
もちろんのことだが、豪族達から上杉に援軍要請も来ていた。しかし、背後の不安を取り除く為に冬を越してまで続けた戦で兵の疲労はピークになっている。
しばらくは動くことが出来る状態ではなかった。その為に一応は援軍要請を引き受けておいて、国境の将兵を少しばかり動かして最低限の威圧をするだけで終わらせてしまい、ほぼ見捨てた形となった。
豪族達は最期まで北条に付くのを良しとせずに上杉や武田に逃げたり、自害したり、または諦めて降伏するなど様々だった。
上杉を頼ってきた豪族達は謙信にどうして兵を派遣しなかったのか詰め寄る者もいた。
「我らも戦に赴いていた故に致し方なかったのだ。やむを得なかった」
それに対して謙信は申し訳なさそうに頭を下げた。
豪族達には更に向こう側の都合に合わせて欲しかったと言うようなことも言う者がいたが、結局、謙信はかれらに何度も頭を下げることで豪族達を半ば強制的に黙らせた。
後で兼続が色々と喚いたが、謙信は何も聞く耳を持たずに肩をすくめて誤魔化した。
周りの者達は雑談をしたり謙信と兼続のやり取りを温かく見守っている。そんな中、謙信達に驚くべき報告が鮎川から舞い込んで来た。
「申し上げます! 本庄繁長様、ご謀反!」
「なっ・・・・・・」
鮎川からもたらされた報告に兼続の絶句の声が部屋中によく響いた。
それ以外の者も同じような反応だった。颯馬も兼続のように声は出さねども驚きを隠せないと口を開けている。
官兵衛と龍兵衛はさほど驚いていないという表情を浮かべているが、龍兵衛の眉間に寄っていた皺が更に深くなっているのを官兵衛は見た。
気丈に振る舞ってはいるものの、龍兵衛は内心の汗が止まらない。
揚北衆の弱体化を図る中で繁長には調略相手として仲を深めていたにもかかわらず、謀反を起こされては面目丸潰れも良いところである。
「更に、清長様の下からこのような書状が届いております」
謙信は恭しく使者から書状が渡されるとじっとそれを読み込んでいる。
軍師達は邪魔にならないように自問自答しながら色々と考えを巡らせている。
本庄繁長は以前から鮎川清長・盛長親子と対立していたことは皆が知っていることである。
かつて清長は盟友であった本庄房長と境界上にある下渡島城の支配を巡って対立し、房長の弟の小川長資や色部勝長と共謀して本庄城を攻め、繁長の父である本庄房長を出羽に敗走させた過去がある。
更に繁長の代に父の十三回忌の式で長資を捕らえて殺すなど鮎川一族や周りとはかなり対立を続けていた。
「颯馬、兼続。お前達は東北の諸大名に通達を出し、直ちに春日山に来るようにと知らせろ。あくまでも今後の方針を確認するという名目でだ」
「「はっ!」」
「龍兵衛、官兵衛。お前達は直ちに中条達に本庄討伐の命を出せ。それから鮎川に急ぎ本庄の動きを封じるように伝えろ」
「「はっ!」」
書状を一通り読み終えた謙信は続けざまに指示を出すと四人はすぐに謙信の部屋を辞して重い雰囲気をそのままに足早に廊下を歩き出した。
暑い筈の夏が一気にそこだけ冷め切った秋のように風が吹き、お通夜のような静けさを放っていた。
「しかし、どうして今になって本庄殿は・・・・・・」
しばらく続いていた沈黙を破ったのは颯馬であった。おとがいに手を当てながら分からないという表情を作りながら首を傾げている。
「武田か、北条か、一向一揆か。誘いがあったんだろうね」
答えた官兵衛も先程までの無感情な表情から一変して苦虫を噛み潰したような表情になって明らかに苛々を隠せていない。
「どこから誘いが来たにせよ。本庄殿が動いたとなれば誘った勢力が動く筈だ。それよりも怖いのは・・・・・・」
「これで黒川殿達も反旗を翻す可能性がうんと高くなったことだな」
兼続、龍兵衛が順に語り他の二人が同時に頷く。
本庄の裏切りで上杉内部の対立している家臣と楊北衆の間で表面化するようなことになれば服従している諸大名や一向一揆、武田が目の色を変えて攻めてくるだろう。
「防ぐにはひとまずそれぞれに監視を付けるのが良いな」
「段蔵には俺から言っておく」
兼続、龍兵衛の焦ったような口調に他の二人も釣られるように頷く。
それぞれの表情にはこれから上杉が東北という後ろから関東・信州・越中といった前に向かおうと方向転換をしようとしていた際に舞い込んできた繁長の謀反には何か必ず裏があるということとその背後にいる人物は誰なのか。それを明らかにさせようという決意があった。
暑かった筈の太陽が厚い雲に覆われている。上杉に明るさなど無用だと言わんばかりに。
珍しく龍兵衛は兼続と一緒に歩いている。互いに神妙な表情を崩さずに互いに自ら話そうという雰囲気ではない。
「なぁ、兼続」
「なんだ?」
「繁長殿ってそんなに謙信様に不満を持っていたかな?」
おずおずと龍兵衛が話しかけてくる。
まだ、気にしているようだということは簡単に分かった。
上杉の中ではあまり誰かが失敗したからといって揚げ足を取るようなこすっからい真似をするような輩はいないが、龍兵衛自身には責任感を持って行っている仕事に失敗したという気負いはあるのだろう。
先程の評定でも終始どこか居心地の悪そうな顔をしていた。
しかし、兼続も報告された時に絶句したように繁長の謀反はおそらく誰も想定していなかったであろう意外なことである。
元々、本庄は繁長の祖父の時長、父の房長が長尾に反乱を起こしたり、独立意識が高い勢力だが、繁長は比較的先述の理由もあって上杉には恭順な立場を取っていた。
加えて繁長は上杉の中では鬼小島と呼ばれる弥太郎と共に鬼神と呼ばれる武勇を持っている。
「分からない。だが、謙信様の武勇に崇拝の念を抱いていたことは確かだ」
兼続は定満の亡き後軍師達の中で最も長く上杉に仕えている。その使命感からか、かなり人のことを観察するようになった。
繁長はかなり謙信の持って生まれた武勇には憧れを抱き、謙信自らが鍛練に励む時は積極的に立ち会いの相手を買って出ていた。
謙信もその意気に応えて全力で相手をしていた。今までの結果は謙信が明らかに勝ち越している。しかし、なかなか勝てずとも腐らずに繁長は己を極める為に励んでいた。
それが兼続の繁長に対する評価だった。つまり、上杉に謀反を行おうとするようにはとても見えなかったという訳である。
「だが、信じられないことが世の中起こるものだな」
「感心している場合か。だが、分からなくもない。正直なところ、私も信じ難い気持ちだ」
上杉と楊北衆のことについては中立的な立場を取り続けていただけに謙信としても家臣達からしても衝撃的なことであることに間違いない。
もし、この中立の均衡が楊北衆側に傾くのであれば荒川・菅名といった勢力も楊北衆側に靡くかもしれない。
「むしろ好機として謙信様の直轄地を平野にも伸ばすことも出来るかもしれないが、難しいな」
「うん、さすがに戦が続き過ぎた。このままだとさすがに財政も逼迫する」
兼続も龍兵衛も謙信が留守の間に政務を取り仕切っていただけによく内情を知っている。
財力は豊かな上杉とはいえ、魚津城防衛戦に収穫期の強引な出兵と冬越えの後に田植え前に行った斯波攻め。
さすがにこれ以上の戦での出費が続くと政治にも影響が出て来る可能性が高い。
更に外征での疲れを癒やす為に十分な休みを取ることが出来ていない。このままではいくら結束が強い上杉軍でも中から不満が出るのは必至である。
しかも、内乱となれば結束にひびが入る可能性もある。
誰が味方で誰が敵なのか。一介の兵に全てを語る訳にもいかず、噂が錯綜して真実のことが嘘の情報に消されることだってあるかもしれない。
政治的にも軍事的にも間の悪い時に起きた繁長の謀反。逆に言えば、繁長には絶好の機会が与えられたという訳だ。
軍師からすれば実に腹立たしい時にやってくれたものであると言える。
怒りを全面に出すようなことはしない。しかし、この謀反は普段から抱えている苛々の火に更なる油を注いだことになった。
「本当は本庄殿の首を取る前に指の骨を全部へし折ってやりたいよ」
うっかりと心の声が出てしまった龍兵衛に三人の驚愕の視線が集まる。
「・・・・・・龍兵衛、本気なのか?」
「うーん、半々? 一応、誰が裏にいるのかも知らないと」
颯馬は簡単に嘘だと分かった。官兵衛が言っていたことを彼はしっかりと覚えている。越中の松倉城を焼き払った時に燃える炎を龍兵衛はかつて美しいと言った。
しかし、一方で自然を大事にする彼はそれを簡単に灰へと化してしまう炎をあまり用いるのは好きではないとも言っていた。
どちらが本当の龍兵衛が言っているのか。その答えを颯馬は知っている。おそらくは前者であると。
東北から戻ってきた親憲がぽろっと零した。官兵衛から聞いた話だと言っていたが、小さな宴の席とはいえ酒が入り、親憲も少し口が軽くなったのだろう。
颯馬は親憲から龍兵衛が美濃で行った残酷な処刑法を聞いてしまった。
『龍兵衛殿には何か恐ろしいものが取り憑いているのでしょうか? しかし、根は良い方ですし、あまり気にすることではありませんな』
そう言って笑っていたが、颯馬は何となく龍兵衛に当てはまっていると感じた。
不正を犯した商人の締め上げ方も龍兵衛は弱い者を見て面白そうにしているようにも見えることが多々あったようにも今では思える。
しかし、親憲が言ったように決して龍兵衛も悪人ではない。むしろ、善人の類に入る方だろう。
それは本当に怒った時のみのことで普段は冗談も言えて自身も通じる融通の利く性格である。だからこそ、颯馬も兼続も偏見をすぐに捨てて友人として接することが出来たのだ。
龍兵衛も越えてはならない一線というものを知っている。必要以上に冷酷になることはないと颯馬は信じたかった。
やりたくて龍兵衛は冷酷になるのか。それとも上杉の秩序を保つ為に敢えてそう演じているのか。
颯馬はこの一件で彼のことが更に分かるような気がした。
一方、当の龍兵衛は兼続と共に確証の無い無駄な推理をしていた。
普段なら二人共、このような意味の無いことをするような性格でもないし、特に兼続などは推測を以て動くことは滅多に行わない。
龍兵衛はそれなりに推測も馬鹿にならないことを知っているが、当たる確率は極めて低いことぐらい百も承知のことだ。
「謙信様が受け取った書状はあくまでも繁長殿が送った自分の謀反に呼応して欲しいという書状。その中に誰が後押しをしているのかまでは書いていなかった」
「となると、黒幕はかなり用心深い人間だ。その点では武田・北条・一向一揆。全てに当てはまることになるな・・・・・・実は、大熊殿には俺の判断で勝手に監視を付けていたけど、特に動きはなかった。ごめん」
「まぁ、そのことは後回しで良い。謙信様にちゃんと謝っておけよ。しかしそうなると、楊北衆の黒川殿の煽動ではないな」
大熊朝秀と黒川清実は裏で通じているというのは親憲が既に新発田城で掴んでいる。
清実が動くのであれば朝秀も身の危険を考えて居城の箕冠城に戻る筈だが、朝秀は相変わらず春日山城に留まっている。
先程の繁長謀反の知らせを受けた時も心底驚いたような表情を浮かべていたのを兼続・龍兵衛共々しっかりと見ていたのを見ると朝秀の関与は低いと思える。
「一向一揆は、どうかな?」
「低いな」
兼続はきっぱりと断言する。それ程、自身の判断に自信があった。
加賀の一向一揆は実質上、富樫晴貞の恐怖政治の下に置かれている。
一応、二人共晴貞に出会い、穏やかな笑みの下にあるその凶悪で卑劣な人柄をそれなりに軒猿の情報も通じて知っている。
その一方で晴貞はかなり自己顕示欲が強く、保身を前提として動いていることも龍兵衛は先の魚津城の一戦で悟っていた。
「あれだけ越中勢や能登勢に前線を押し付けて自分は後ろで胡座をかいて高みの見物。全部、俺の推測だけど、間違ってないと思う」
「同感だ。それ程、自分を立てたがる者はわざわざ敵の人を使って国をかっさらう真似はしない」
「だな・・・・・・まぁ、俺達の推測が当たればの話だけど」
「・・・・・・とにかく、情報を更に集めなければな。じゃあ、私はこれで」
兼続は龍兵衛が頷くのを見て去って行った。怒りが兼続の肩を少しだけ震わせているのが龍兵衛には見えた。
軍師故に今はあまり感情的にならないようにしているのだろう。それは龍兵衛も同じことである。
残った龍兵衛自身もさっさと段蔵の下を訪れると用件だけを手短に伝えて部屋に戻った。
「ふぅ・・・・・・」
汗はかいていないが、額を拭い一仕事終えたような疲れた表情を浮かべて龍兵衛は部屋の一角に座る。
先程、兼続も言っていたように繁長は信用出来る人物だったと彼もまたそう思っていた。だが、信用して交渉を続けていた繁長がまさかの謀反で状況は一変した。
これからは繁長の宿敵とも言える存在の鮎川清長・盛長親子と関係を深めなければならない。
「やだな・・・・・・」
はっきり言って龍兵衛は鮎川親子が嫌いだった。
清長はまだ策略家として軍師顔負けの戦術を持っているし、他を立てるところがあるから許せる。
その一方で己の出世欲の強さが滲み出ていて人の意見に突っかかってくる時があり、功を立てる機が到来したと見た際には、積極的に提案をする。
更に立てた策には効率性よりも犠牲が目立つような狡猾で自身の身辺には一切傷が付かないような巧みなものであるとなっては軍師達はこぞって反対してきた。
龍兵衛には直接何か言ってきたことは無いが、影で外様であることや出世が思うように行っていないことを冷やかしていることは人伝に聞いている。
それ以上の存在が息子の盛長である。
彼は龍兵衛が今まで出会ってきた者の中で会いたくない人ナンバーワンの位に入ってもおかしくない嫌味ったらしい性格の持ち主である。
安田能元はまだ短気なところを上手く使ってころころと操ることが出来るから可愛い方だ。
盛長の場合は方針にあれこれと自分が介入して何かと功を立てなければ気が済まない性格で欲の強さは父譲りというよりもより上回っている。
手柄は父のように譲る時は譲る訳ではなく、奪ってでも自分のものにしたがる。そして、何か類が及ぶようなことがあればせっせと保身に努めて他の将や家臣のせいにする。
見え見えの出世欲が鮎川の出世を阻んでいることを知らないのは本人達のみだ。
交渉を任されるのは兼続と共に繁長と交渉を進めていた龍兵衛達の可能性が高い。しかし、謙信に頼まれても嫌だと言いたいぐらいに鮎川親子は嫌である。
兼続もそうだろう。龍兵衛よりも第一印象で人を判断する兼続は必ず嫌悪感を持っているに違いない。
そう考えれば、先程の怒りの感情を出していた背中も頷ける。
一応、交渉を続けていたことは同じ楊北衆の清長達には伝わっていない為にそこをつつかれることは無いだろう。
しかし、それ以上に個人的に彼らと会いたくない。
彼らが一度だけ面と向かって見せた龍兵衛への嘲笑。虐めを受けて育った龍兵衛には小さな表情の変化も機敏に見えてしまうのだ。
あの二人の唇を釣り上げた笑みが龍兵衛の頭の中でフラッシュバックされる。それと同時に平成の頃の忌まわしき記憶が蘇る。
嫌でも舌打ちと貧乏揺すりが出て来た。
「ああー!! 何なんだよ、あの屑野郎ー!!」
平成と違って嫌がらせに直接的な仕返しが出来ないやるせない気持ちが心に怒りを覚えさせ、久々に龍兵衛は戦の時以外で大声を上げた。
繁長に怒っているのか鮎川親子に怒っているのかは分からないが、怒りの声は少なくとも二、三部屋隣までは響いたと後に言われた。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・絶対に許さん!」
反射的に叫んだ龍兵衛は息を整えて心を落ち着ける。
気付けば外は雨になっていた。