上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百十七話 夏からいつまで

 平林城にて軍議の最中で謙信が各々に指示を出している間、非常に順調な進軍だと颯馬は思っていた。

 謙信は色部勝長の本拠地である平林城に軍を入れ、翌日の軍議の後に本格的な本庄攻めを行うつもりである。

 上杉本隊三千、蘆名と最上から計二千の援軍がこちらに来る予定である。更に隠居した土佐林禅棟を介して彼の息子である氏頼に羽黒山衆を口説いて動かない、もしくは援軍を出すように既に楊北衆のことを考え始めた時から要請している。

 故に楊北衆の誰かが手を組もうとしても決してそちらに靡こうとはしないし、そうさせるように手付け金と手付けの茶釜も渡しておいた。

 色部勝長は本庄と城が近い故に別働隊として本庄側の支城を崩している為、本庄城に着陣してからの合流となるが、既に謙信の下にこの戦が終わるまでという条件で家臣の子供を人質として明け渡している。

 平賀も兼続が上手く取り込み、親憲によって新発田城は抑えられている為、安田も動くことは出来ない。もっとも安田長秀は謙信に絶対的な忠誠を誓っている為、すぐさま馳せ参じている。

 残るは後手後手にはなるが、黒幕が誰かを突き止めて一気に本庄城を攻め、本庄繁長を討つのみとなった。

 しかし、順調な進軍とことの運び具合とは裏腹に颯馬の心はもやもやした気分が残されたままだった。

 原因は簡単なことである。ただ鮎川親子を救ったところで謙信と彼らよりも家格が下な家臣達には嫌味が待っているだろうという思いからだ。

 

「『ここまで来たならさっさと救え。この云々が』とか言われそうだなぁ・・・・・・」 

「それあたしも思ってた~」

 

 颯馬は心の内で止めていた筈の声がうっかり本当に出ていたのを知り慌てて口元を覆ったが、後の祭り。しかし、聞いた官兵衛の方は彼の動揺など気にせずに口を尖らせて本当に嫌そうにしている。

 一応、ここは軍議の最中である為に私語は慎んでちゃんとしていなければいけない。二人はひそひそと声を小さくしているが、話をしているのはばればれで案の定律儀な長秀は目で颯馬達に叱責をしているかのように睨んでいる。

 比較的温厚な性格で心が広い中条景資は颯馬達を見つつも同情的な視線を送り、二人の気持ちは言っていたであろうことも大体良く分かっているような目をして頷いている。

 清実は特に颯馬達には興味なさげに謙信の話を聞いてしきりに頷いているが、どこか落ち着かない様子で一度だけちらっと颯馬を見やっていた。

 鮎川は上杉の中でも譜代の待遇を受けていることを鼻にかけている親子は外様の颯馬や官兵衛には冷たく当たり、嫌味を言うのがほぼ出会った時のお決まりのようになっている。

 決して外様を毛嫌いしているという訳ではないのだと鮎川親子と比較的仲が良い勝長や景資は言っていたことあるが、温厚な颯馬達でも「(そこまで言うか!?)」と思う程に鼻に付くような言い方をしてくることがあった。

 

「頭がとにかく古い。譜代と外様を区別して家柄を真っ先に見る悪癖がある」

 

 かつて鮎川親子から聞こえよがしに嫌味を言われたことがある颯馬を見て偶然近くにいた長秀は彼にこう言って慰めるように肩を叩いてくれた。

 謙信が比較的譜代と外様関係無く土民上がりの弥太郎を始め敵の軍師であった颯馬や元は美濃の斎藤家に仕え、謀反を扇動したと言われている龍兵衛に続いて同罪を被った官兵衛を登用するところが納得行かないのだろうと長秀は腕を組んでいた。

 

「更に言えば、中条殿や水原殿にも不満を持っているようだな」

 

 長い髪をうるさそうに後ろにやりながら長秀は鮎川親子が去って行った方向を見ていた。

 彼女自身はそういったことからは一歩引いている立場の為に謙信からも重用されている。

 その長秀曰わく、鮎川は楊北衆の中で三、四番目ぐらいの力を持っている家だ。

 先の新発田重家の謀反で楊北衆最強の武勇持っていた中条藤資が亡くなり、てっきり二番目に力を持っていた清実がそのまま序列一番に繰り上がると思っていたらしく、清実に鮎川親子は接近して親憲を越して序列三番目を狙っていた。しかし、結果的に景資がそのまま藤資の位置に納まったことに不満を抱いたらしい。

 そして、親憲が謙信から藤資亡き後武将として更に重用され、今や楊北衆の中でも序列三番目を確立して黒川・中条に迫っていることや宴のあれで配下や他の将ともますます仲良くしていることに対しても自分達の嫌味な性格を棚に上げて不満を募らせているらしい。

 颯馬はそんなことを頭の片隅で思い出しながら軍議の様子を見ている。

 相変わらず清実は謙信の方に目を向け、長秀と景資も颯馬と官兵衛がきちんと謙信の言っていることに耳を傾けていることを確認して自身達も軍議に集中している。

 その最中に急報を告げる知らせが舞い込んできた。

 

「飯山城の岩井・村上様より伝令。海津城より武田軍が飯山城に侵攻を始めたとのこと」

 

 岩井とは、岩井信能のことで父の満長が武田信玄との争いに敗れて上杉謙信を頼ると、その小姓として仕え、父の死後に春日山城に入る実及に代わって飯山城城主に任じられ、義清と共に武田との境地である飯山の治安維持に腐心してきた者である。

 他の地方から報告は無い為にこの報告は、黒幕は信玄であることを分からせたも同然。これに諸将は驚きの声を上げて俄かに騒ぎ出した。

 誰もが武田の可能性は低いと思っていたのだ。朝倉の脅威が無くなった越後侵攻を企てる一向一揆を率いる富樫晴貞が上杉軍の隙を作る為。もしくは謀略に長け、武田が東や北に目を向けている間に箕輪城を落とし上野をほぼ手中にし、これから下野にも手を伸ばして関東八州を手に入れんと考えている北条が繁長を動かしているのではないかという思惑が上杉軍の諸将の中で出来ていた。

 

「成る程、繁長の裏には信玄がいたか・・・・・・相も変わらずの執念深さだ」

 

 想定外のことが起きて少し動揺が起きているその中で謙信は溜め息を吐きつつ感心しているのか呆れているのか分からないような口調でそう言うとちらりと颯馬を見やる。

 義清は当然ながら、信能は知勇に優れている為、信玄相手でも十分に太刀打ち出来るだろうが、援軍は出しておくに越したことはない。

 戦続きで兵糧が不足している時だが、金策においてどうにかやりくりしていけば間に合わせることが出来る筈だ。

 

「春日山城におります兼続と龍兵衛を飯山城に派遣しては?」

「うむ、それから実及にはしばらく春日山城の政務を任せると伝えてくれ」

 

 すかさず颯馬が提案すると謙信はさっと決めて伝令を再び派遣した。 しかし、その言い方に颯馬達は明らかに動揺して隣の者と顔を見合わせている。

 

「我らはこのまま本庄城に向かう! 包囲を固め、繁長を討つ!」

『はっ!』

 

 誰かが何かを前に謙信は繁長討伐の意気込みを大声で語ると物言いを悟った者達からの発言を遮ってしまった。

 謙信は颯馬達を見ると心配することはないと安心させるように目元を少し笑わせた。

 春日山城を実及に任せるということは、留守役の景勝を川中島に赴かせるということである。

 兼続を総大将にして信玄と相対させることで追い返すことは十分に可能だが、景勝を信玄と立ち向かわせるのが厳しいことは周知のこと。

 兼続を総大将にしておけば最近は政治家としての面が強い彼女も戦に出れば戦術上手故、信玄相手にも滞りなく策を回すことが出来るだろう。

 しかし、景勝が形上でも総大将となれば信玄は景勝が自身相手に経験が不足していることを良いことに景勝に同行する家臣へ何か揺さぶりをかけるかもしれない。

 颯馬達は景勝に任せるのではなく、逆にこちらに景勝を呼び、謙信自らが春日山城に戻って指揮を執った方が良いと言いたいのだろう。

 しかし今回、謙信は信玄を自ら相手取る気はさらさら無い。

 決して一度大勝したから信玄を下手に見た訳ではなく、もはや宿敵ではなくなったからという訳ではない。もっと理由は他にある。

 散会の合図を出すと将達はこぞって準備の為に出て行ったが、案の定残る者もいた。

 清実はそそくさと出て行ってしまったが、それ以外の出て行ってしまった楊北衆の中でも重臣に身を置いている将の中にも謙信の言い方に何か思うところがあった者もいただろう。しかし、謙信への忠誠から何か言うことは憚られると思った者がほとんどの為、意見するつもりは無いのだ。

 中条・安田が謙信を何か言いたげに見ていたが、彼女には何も言わずに一つ頭を下げると浮かない顔をしながら去って行った。

 最終的に颯馬と官兵衛、長重が部屋に残ると謙信は三人が言いたいことを言う前にさっさと口を開いて答えを言い始めた。

 

「簡単に言えば、景勝に任せておいた方が今回は良いということだ」

 

 三人の反応は無い。あっけらかんと今まで渡り合い、死闘を繰り広げてきた宿敵を相手にしないような物言いに驚きを通り越して呆れているのだ。

 

「まさか謙信様は、信玄を取るに足らない者と断定したんですか?」

「いやいや官兵衛、信玄と私の因縁はどちらかが頭を下げるか、討たれるかまで続くもの。終わることはない」

「では、何故に謙信様はあれほど即決即断を下すことが出来たんです?」

「うむ、それはだな・・・・・・」

 

 最も早く平常心を取り戻した官兵衛の問いにはすぐさま答えたが、間を置かずに続けてきた長重の問いには言葉を濁しつつ目を明後日の方向に向けて考える。二十秒ぐらい経つと謙信は颯馬達に視線を戻す。

 皆が分からないでいる謙信は自ら武田との戦に望まないのかという疑問の答えは。

 

「今回は信玄が来ないような気がしてな・・・・・・」

「「「はぁ?」」」

「要は、勘だ」

「「「・・・・・・」」」

 

 謙信の発言に呆れて物も言えなくなるのは今日で何度目だろうか。

 謙信は自分の判断に何ら悪びれもせずにすぱっと言い切ってみせた。もしも他の家臣達だったら「御家の大事を勘で決めるとは何事か!?」などといくら相手が茶目っ気のある謙信であったとしても怒鳴っていただろう。

 颯馬達も訝しげに謙信を見ている。しかし、謙信は相変わらずのどこ吹く風と笑って三人の反応を面白がっている。

 

「まぁ、今回は景勝に任せておいて十分だろ」

 

 そう言うと謙信はさっさと顔を見合わせて唸るしかない三人を軍の準備に行くように言って手で振り払ってしまった。

 

 

 

 

 

 颯馬は他の二人と別れて荷駄の運搬を監督していた。

 相変わらず心の中には謙信の物言いに突っかかりを覚えていた。

 信玄の配下を客観的に見ることは颯馬も長く上杉にいたが故になかなか難しい。代わりに龍兵衛がかつて評していた。

 

『公では言えないが、上杉家はどちらかというと武人の集まりで、大将として統率力を持ち、臨機応変の判断を出来る人が少ない』

 

 手厳しい評価だったが、確かにと思わせられるところがあった。

 親憲・長重・弥太郎・兼続などその他を上げろと言われれば両手の指で数えられる程だと颯馬も思わされるところがある。ほとんどの戦で謙信が総大将として出陣しているのを考えると選んだ者でも首を捻らざるを得ないかもしれない。

 それに比べて武田は配下の将は数多の者が総大将として率いることがあると聞いたことがある。

 龍兵衛が美濃にいた頃は信州と美濃の間にある山脈故にそれほど武田の内情に詳しかった訳ではないが、今後のことを考えてと上杉に来てから独自に調べていたらしい。

 しかしだ。謙信が春日山城に不在とはいえ信玄が自ら上杉との決着を付けようとしていることは誰もが知っている。

 上野への戦や織田との局地戦ならばともかく信玄が今まで謙信との戦に局地戦でさえ参加しなかったことがあろうか。

 各地に放っている間者の知らせでは信玄が参加しなかった戦もあったと聞くが、謙信との戦で参加しなかったことは今まで一切無い。 

 

「(そう考えるとやっぱり兼続に任せるのが良いと思うんだけどなぁ・・・・・・)」

 

 この辺りのことは情報収集が得意な龍兵衛が調べ上げている。彼のことだしきちんと調べて述べたことなのだろう。事実だとすればやはり策を自身で立てられる兼続の方が適任である気がしてならない。

 もちろん景勝のことだから二人の意見を蔑ろにするような愚行を取ったりはしないだろうという信頼も実際に見てきたこともある為、心配は無い筈だ。

 しかし、それでも心配の種は絶えない。これから繁長という上杉の中で知らない者はいない程の武将との戦であるにもかかわらず、颯馬の思考は半分武田とのことに支配されていた。

 その為、颯馬は夏の良い天気とは裏腹に首を傾げてばかりだった。

 その後ももやもやを頭の隅に置きながら作業の指示を出していると颯馬も知っている軒猿の一人がすっと現れ、颯馬を作業場の隅へと手招いた。

 

「天城様、本庄の間者を捕らえましたところ、懐にかようなものが・・・・・・」

 

 宛先は一向一揆の真の支配者、富樫晴貞である。

 颯馬は驚きの心に突き動かされて中身を改めてみると謀反に協力願うという旨の書状が届いていた。

 

「これは思ったよりも長丁場になるな・・・・・・」

 

 繁長が知略に疎い方だとはいえ、このような書状は謙信に対抗心を持っている者の心当たりに手当たり次第送っているのだろう。

 更に武田と一向一揆は上杉と対立する勢力として互いに連携を取り合っていると聞いている。もしこの書状が届かなくても晴貞は信玄の侵攻を聞けば動くかもしれない。

 

「このことは他言無用。急ぎ山本寺殿と魚津城に知らせてくれ」

「はっ」

 

 本来なら一向一揆と対立している朝倉を使うことも出来ようが、今は織田との戦で手一杯。

 先の姉川の戦いでは重臣の真柄直隆達を失っていると聞いている。つまり今、一向一揆は越後に攻め入る絶好の好機であるということだ。

 どうするべきかは謙信との相談を行ってからだが、早めに魚津城の吉江義親子達には知らせておくに越したことはない。

 軒猿の気配が消えると颯馬はすぐに謙信の下へと走り出した。

 

「・・・・・・成る程、事情は分かった。上条に書状を認める。彼女にいざという時には動けるように準備するように命じよう」

 

 上条政繁は謙信が出奔した際に擁立を企んだ者もいたと噂された為に処刑か追放を主張する者もいたが、龍兵衛と兼続の取りなしで両方の刑罰を免れ、近年までは力の無いただのお飾りの長尾一門の一人だったが、龍兵衛が上杉の力を強くさせる為に謙信に進言して断絶していた上条上杉家を継がせていた。

 政繁自身は強者揃いの上杉の中ではどちらかというと貧弱であるというイメージが強い。しかし、颯馬は兼続や龍兵衛同様に比較的彼女を買っていた。

 知勇においても政治力においても良くも悪くもない普通という感じで統率力もそこそこだが、人の話に耳を傾けて人を惹き付ける能力には長けている。

 謙信に対する忠義も真っ直ぐで名誉や義理を重んじるところも政繁が上条の名を継いだ理由でもあった。

 

「では、上条様は春日山城に?」

「いや、これを機に魚津城を政繁に任せる」

 

 颯馬は謙信のことをいざとなれば軍師の考えもいらない程に素晴らしいことを考える御方だと思っていたが、今回程凄いと思ったことは今まで無かったかもしれない。

 迫る外患を逆手に取って上杉の影響力を徐々に伸ばしていく。

 現在魚津城を任されている斎藤朝信も上杉の力が強くなることには協力的で颯馬が直接事情を話した時も「面白い」と笑っていた為にこのことも本当のことを察して協力してくれるだろう。

 

「今一度使者を飛ばそう。すぐにでも実行に移させるのだ。構わないな?」

「はっ、真に素晴らしきお考えです」

 

 そう言うと颯馬はすぐに仕事場に戻ろうとするが、身体が動かない。否、動かすことが出来ない。

 

「良い考えであったのだろう?」

 

 何時の間にか近付いていた謙信がぐいっと颯馬の腕の裾を引っ張る。

 

「・・・・・・ああ・・・・・・」

 

 動作もそうだが、謙信の声が公から私に変わった為に颯馬も敬語を外した。ゆっくり振り返るとやはり謙信が目の前で俯いていた。

 互いに顔を赤らめながら数秒の沈黙の後、謙信は颯馬を見上げた。

 

「この褒美は、今欲しい・・・・・・戦はこれからだから忙しいのは分かっている。だが、せめて接吻だけでも・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 やはり颯馬は謙信の上目遣いには弱いのだ。 




 眠れぬ夜の徹夜は止めましょう
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