上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百十八話 夏は来ぬ

 旧暦での夏も中盤を越えた六月。梅雨明けと共に上杉軍は繁長の支城をあっという間に陥落させて本庄城を一気に取り囲んだ。

 北東の三の丸へと続く主要道は黒川清実が抑え、謙信はその後ろにある大山祗神社に陣を敷いた。南東の虎口は色部勝長と長重が、細い各所の押さえは中条景資が隊を分けて行う手筈となっている。

 攻める場所が複数あるとはいえ主戦場となるであろう三の丸への道を蔑ろにしては本庄軍に隙を見せることになる。

 颯馬も官兵衛も少ない兵で夜襲を行い、士気を削ぐことを主張したが、草からの報告で繁長が思ったよりも各所を隈無く警戒しているのと清実の猛反対で諦めることにした。

 そこで謙信は清実の意見を汲み取り正攻法で包囲することにした。

 梅雨明けの湿気の多さがむしろ心地良さを感じさせ実に涼しげな風が頬を撫でる。例年の暑さはどこへやらとでも言うような快適かつ爽やかな暖かさが大地を支配している。

 颯馬は風に当てられながら戦が無ければ春日山城で謙信や仲間達と一緒に政務に追われながらもあっちこっちと楽しく過ごしていたのだろうとしみじみとしていた。

 しかし、戦が続いて骨を休める暇が全く無い。いい加減に戦を中断しなければ折角得た力と民からの支持が落ちてしまうかもしれない。

 そうならないように春日山城では本庄実及を筆頭に政務に滞りが無いように龍兵衛や兼続達が頑張っている。

 ならばこちらも早く戦を終わらせて民と国に一時でも良いから休養を与えることが出来るよう奮起しなければならない。

 勝手な決意を胸に颯馬は謙信の下に報告へと走る。既に官兵衛が軍備について報告をしている時だった。颯馬は構わずに主君の前に立つ。

 

「謙信様、本庄城の包囲が完成しました。後は鮎川殿の到着を待つのみです」

「よし、各部隊には無闇に動かず包囲に隙が無いようにと通達を送れ。最上・蘆名の援軍が到着次第攻撃を開始する」

「はっ!」

 

 伝令兵が各部隊に飛ぶ。本庄城を隙無く包囲したという驕りがどこかにあっては逆にそれが隙となり繁長に足元を掬われかねない。

 今まで共に戦って来た故に分かっていることだが、比較的若手の繁長であっても戦に関する勘や兵の統率力は既に往年の者を凌ぐところがある。

 

「力と力でぶつかり合うことも良いが、謙信様はこの戦では犠牲を払うことはしたくないと言っておられた。黒川殿とは意見が今後分かれるな」

「うん、まぁ分かっていたことだし。当分はこっちも譲る気で行かないとね。何だかんだで黒川はまだ力は強いから」

 

 楊北衆の中で中条の次に兵力を持つ清実は未だに年長者として人を束ねる力を持っている。

 彼も決して馬鹿ではなく、楊北衆の中でもかなり優秀な能力を持っているし、こうして情勢を見極める目も持っている。

 故に厄介なのだ。清実は上杉の力を見せ付ける為に徹底的に城を攻めるべきだと主張した。

 しかし、颯馬や官兵衛、長重達は反対した。内乱で兵を犠牲にしても返ってくる利益は無く、損害が増えるのみだとして清実を論争を繰り広げた。

 結果的に謙信は軍師達の意見を取り入れて包囲を固めて援軍を待つことにした。

 清実は速攻こそが勝利の道だと謙信に意見したが、それは籠城戦では何の意味もない。心理戦でもある籠城戦は精神的に攻められる側の方が参り易い為、時間を掛けてじっくり攻める方が良いのだ。

 

「黒川殿はまた謙信様に不信感を募らせるな」

「まぁ、家中の火種も利用出来るんなら使っておいた方が得だし、水に流してくれるのが一番良いんだけど」

 

 自信ありげな官兵衛の無邪気な笑みの中に策士の目が光るのを颯馬は見て、頼もしいと思った。

 如何にして清実を利用するのかは分からないが、官兵衛のことだから利用されていると途中で気付かれてもその時はもう乗っかるしかないようなことをするに違いない。

 

「(似ても似つかないではなく似つかなくても似ている師弟か)」

 

 一人でくすくす笑いながら不意に官兵衛を見下ろしていた顔を上げると謙信と颯馬の目が合った。謙信が微笑むと颯馬も気付かれないようにすいっと手を挙げて応える。

 しかし、近くにいて颯馬の様子を見ていた官兵衛はじとーっとした目で颯馬を見ている。

 

「な、何だよ?」

「別に~・・・・・・」

 

 何かを思い出したように官兵衛は上を向いて盛大な溜め息を吐く。その後も官兵衛は颯馬のことを痛い目で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年の夏の暑さは人に仕事への意欲を萎えさせる程あまり暑くはない。

 それ故に上杉の家臣達も精力的に働いて次々と右へ左へと動いている。

 どちらにしても平成のヒートアイランド現象を乗り越えて外で野球に打ち込んできた龍兵衛にとって暑くはない。

 謙信の留守役である景勝の補佐役の一人として働いている為に暇など無いのだが、個人的な鍛練だけは出来る時間は一応ある。

 しかし、肩を外した伊達との戦以降、前線に出るようなことはあまり無くなったとはいえ万が一のこともあると最悪のことを考えて行動することに重きを置いている彼も暇があって疲れがあまり無い時には鍛練を行っている。

 

「・・・・・・ふぅ・・・・・・」

 

 とはいえ野球の癖が独立の以降に首をもたげるかのように蘇ってきた為、木刀を振るのに飽きれば誰もいない時には木刀を野球のバットに見立てて構えて素振りをすることも今のように行ってしまう時もある。

 

「何してる?」

「えっ? 景か・・・・・・あぁぁああ!?」

 

 突然の乱入者に驚きながらも振り出した木刀は止まらない。それどころか慌てて振り出した木刀を強引に止めようとして手汗と本来入れなければいけないところの力が抜けてしまったらしく見事な軌道を描いて木刀は龍兵衛の手から離れて行った。

 木刀は壁にしっかりと残る傷とぶつかった痕を残してがらんと音を立てて床にもはっきりとした傷を付けて落ちた。

 

「・・・・・・」

「えーっと・・・・・・えー・・・・・・すみません」

 

 景勝に面と向かって「急に入ってきた貴方が悪い!」とは言えないので素直に頭を下げて逃げるようにそそくさと出ようとする。

 取り敢えず弁償は免れない。目撃者がいる為に言い逃れも出来ない。しかし、人にはど忘れというものがある。期待出来るだろう。

 

「(んな訳ないか・・・・・・)」

 

 龍兵衛は内心の思いが溜め息となって出てくるのを自覚しつつ首を振りながら「やってしまった」と何度も呟きながらどさくさ紛れに道場を出ようとする。

 

「あて!?」

 

 しかし、猿がしゅびっと景勝の頭から龍兵衛の頬に突撃を掛けた。

 猿は俊敏に龍兵衛の歩いていた先に着地して「そこにいなさい」というようにじっと彼を見る。

 龍兵衛は景勝をちらっと一瞥すると相変わらずじーっと彼を見ている。すぐに目を離そうとするところだが、龍兵衛はなかなか景勝から目を離すことが出来ない。

 帰るにもまた猿が襲ってきそうなので動くに動けない状況が続いている。

 しばらく視線同士がぶつかり合う沈黙の戦いが続く。互いに視線を逸らさず表情も変えずただ互いの目を見合うばかり。

 均衡を破ったのは景勝だった。景勝は無言で近付くと耳を貸せと手招きされたので龍兵衛も素直に景勝の身長に姿勢を合わせる。

 

「黙って、良い」

「本当ですか!?」

「でも、条件ある」

 

 景勝の顔が少し赤くなったのを見て龍兵衛の心にあった弁償しなくて済むという嬉しさはどこかへと吹っ飛んでしまった。

 

「・・・・・・お断りしてちゃんと弁償代を払います」

「むぅ~話、ちゃんと聞く」

「言いたいことは大体分かってます。敢えて言いませんけど(どうせ、よりを戻してとかだろ)」

 

 内心の図星は景勝の胸の内を一言一句間違えずに当てている。

 未だに己を模索中の龍兵衛はまだ景勝と繋がることは許されないと思っていた。もちろん、初めてを奪ったことに対しての責任感は感じている。

 だが、龍兵衛自身の不器用さが心に突っかかりを持たせているのだ。

 息を一つ吐くと龍兵衛は完全に仕事の顔になって景勝に向き合う。

 

「それで、何か話があったのでは?」

「謙信様から書状、来た」

 

 口を尖らしてつまらないという心情を表情に出しているが、景勝も龍兵衛の下に来たのは非常に重要なことである。

 渡された書状を恭しく受け取り、龍兵衛は中を改める。

 内容はは信玄が出てきたので景勝を総大将として再び武田に相対してくれというものだった。

 そして、本庄繁長のことや一向一揆に気を付けるようにという警告と共に上条政繁を魚津城に派遣するということを事細かに認められていた。

 

「・・・・・・分かりました。すぐに兼続と共に策を練り、本庄殿と政務の引き継ぎに取り掛かります」

「ん、頼んだ」

 

 龍兵衛は景勝に一礼すると黙ってその場を辞した。背中からは悲壮感漂う雰囲気を受けながらも振り返ることはない。振り返れば負ける気がしたからだ。

 

 

 龍兵衛は道場から急いで出ると汗を拭いて着替えてから兼続の部屋に向かい、入りながら口を開いた。

 

「兼続、聞いたか?」

「鮎川殿がこの戦にから手を引いたことだろう? 既に知ってるさ」 

「・・・・・・何で武田よりもそっちなんだ?」

「決まっている。お前は外よりも内を司る軍師だからな。気にするならばそちらだろう?」

「こりゃお見逸れしました」

「・・・・・・色々と言いたいことはあるが、今は黙っておいてやろう。兵糧不足と言っていたが、見え見えの嘘だ」

「『今は』に力が入っていたのは聞かないことにして・・・・・・武田が姿を現して考えるところがあったんだろう」

 

 鮎川を失脚させる良いネタは入った。それを実行に移すにはこれから始まる武田との攻防戦に引き分け以上に持ち込まなければならない。

 

「もはや清々しい・・・・・・」

「兼続から愚痴が出るか・・・・・・ま、気持ちは分からなくもないけど」

 

 謙信同様に二人も信玄の執念深さにはある意味感服している。

 一度大敗して背後が怖くなってもそこまでして上杉打倒への方針を覆さないのは珍しいことこの上ない。

 明らかに繁長の謀反と連動したこの動きは武田が裏で繁長を唆したことを証明する何よりの証拠である。

 飯山城を取られれば上杉は信濃に対する足掛かりは無くなる。狙いはそれなのか、もしくはあわよくば春日山まで取ろうという腹かは分からない。

 褒めるべき賞賛なのかそれともただ攻め込む場所が無い故に一番手っ取り早い故の手当たり次第の侵攻だろうか。

 これから春日山城の二人は川中島に向かうが、今回は以前と違い、景勝が総大将としてかの地に赴くことになっている。

 正直、景勝本人も後は実及と龍兵衛、更に春日山城に詰めている安田能元に政務を手伝ってもらい、信玄との戦のことは兼続や慶次達に任せようと思っていた。

 故に謙信から景勝を総大将として兼続・龍兵衛・慶次を配下として途中の田切城で高梨政頼・頼親親子と合流して飯山城に迎えと言われた時は景勝も猿も口を開けて驚いていた。

 

「しかし・・・・・・どうして景勝様をわざわざ出陣させる必要があったのだろうか?」

「分からない。だけど謙信様のことだし、何か考えがあるんだろうな」

 

 分からないのは龍兵衛も兼続もお互い様である。そして、景勝も同じだろうと二人は思った。

 謙信の決断は本人に聞かなければ分からないが、今は謙信の命じるがままに動くしかない。

 それに二人にはもう一つ謙信と景勝から頼まれていることがあった。

 

「西は加賀の一向一揆。春日山城に謙信様も景勝様も不在と知られれば必ず兵を挙げるだろう」

「上条政繁様を援軍として派遣すると聞いているが・・・・・・斎藤殿率いる魚津城の数を足したところで一向一揆が持つ最大兵力には遠く及ばず、か」

「私達から既に山本寺殿には援軍を派遣出来るようにして欲しいとは通達済みだ。しかし、最も望ましいのは・・・・・・」

「「一向一揆に動いてもらわないこと」」

 

 二人は頷き合うと得ている情報から整理をして武田と一向一揆に対してどう対応するか検討に移った。

 

「他のことには全くの無関心だな。逆に言えば、実際に会ってみて富樫は己の私利私欲に関してはかなり切れ者になる。そういう人には共通した性格がある」

「疑心暗鬼か・・・・・・成る程、内部に亀裂を入れるのか。しかし、当てはあるのか?」

 

 兼続も弥太郎や龍兵衛達から一向一揆の戦ぶりを聞いている。

 まるで晴貞以外は意思の無いとしか思えないような動き。実際そうなのだろうが、兼続は俄かに信じ難いことだった。

 しかし、龍兵衛とも長い付き合いである。本気で言っているのかそうでないか区別することぐらい容易なことだ。 

 故に、兼続は信じこそすれ疑いはしなかった。

 

「候補はある。畠山は富樫が束ねる一向一揆の中でも比較的独立を保っていると聞いている。逆に利用してやろう」

「卑怯な手だが、今は致し方ない。か・・・・・・」

「そう言うな。向こうが汚い手を使って俺達を殺そうとしたんだ。なら、同等以上の報復をしてやる。それだけだ」

 

 一向一揆に対しての怒りは上杉では皆が平等かつ激しく燃える紅蓮の炎の如き怒りを持っている。炎で例えるならばまだ良い方だろう。殺しても殺しても何度も殺し直す程に強い敵愾心が上杉にはある。

 結局、龍兵衛は謙信と上杉の名を汚さない程度の範囲で彼の思い通りに一向一揆のことは対応することになった。

 嬉しそうにしている龍兵衛を見ていると少しだけ兼続も不安になるが、こういうことに関して上杉の中で一番長けているのだから安心出来るだろうと考えて重ね重ね聞くことはしなかった。

 

「さ・・・・・・問題はまだあるぞ」

 

 兼続の言葉で部屋の雰囲気は急激に締まった。

 一向一揆が来襲するかは不透明だが、武田が来襲するのは明らかである。

 

「間違いなく武田は海津城に兵を集めている以上は、飯山城へ動く気だろう。今川を無視出来ているのはどうしてか分からないが、何か対策は打っている筈だ」

 

 龍兵衛はそう言うが、大体の察しは付いている。織田の畿内攻めが上手く行っていないのだろう。

 足利幕府の崩壊を狙う信長に対する畿内の抵抗は姉川の戦いや比叡山焼き討ち以降、弱まるばかりか強くなっている。

 手を焼いている一向一揆討伐の援軍を今川が持つ水軍において頼んでいるのだろう。

 

「海津城を守るは武田四天王が一人、虎綱春日。飯山城に二千の兵を率いて進軍中。その背後にいる武田本隊は甲斐に残す兵を考えると・・・・・・およそ四、五千といったところか? 少なくともまた川中島に向かわなければな」

「ああ。だとすると武田軍は計七千。いや、信州の豪族を集めれば八千だな。一方、こちらは魚津城にも兵を派遣することを考えると飯山城の義清殿達の軍勢を含めて五千が一杯か」

「そうなると二倍近くの敵を迎え撃つことになるのか。籠城でいかほど保つか・・・・・・」

「ふーむ・・・・・・待てよ、北条に備えている坂戸から兵を借りればどうにかなるな」

「それだ。書状は私が認める」

「兵糧のことは本庄殿にお願いしても良いか?」

「構わない。お前は例の件を頼む」

「急いで兵を集めてくれな」

 

 万が一に備えて上杉では兵をすぐに集められるように農民兵には既に鎧が家に置かれていて城にて武器を運搬、支給させる制度を確立させていた。

 従来よりも数日も早く出陣出来る為に謙信からも気に入られた龍兵衛の発案だが、あまり褒められたものではないと彼は首を横に振っていたのは別の話である。 

 

「援軍を待って出陣しようなどと悠長なことをすれば、武田はその前に飯山城を包囲しかねない。義清殿も岩井殿もそう易々とやられるような方ではないとはいえ相手が相手なだけにな」

 

 義清も信能も優れた将である。しかし、それ以上に武田信玄は優れている。

 迅速に援軍を出さなければのんびりとしている間に飯山城を奪われかねない。そして、景勝が総大将なだけに尚更早く動かなければかつての義清の配下である落合や屋代のように信玄の調略に応じて寝返る者も現れる可能性がある。

 引き締めを行うのも手だが、これ以上将を締め付けるようなことをすれば逆効果になりかねない。

  

「忠誠心を金で買うのはいけ好かないんだが」

「分かってるよ。これも俺と本庄殿でやっておく。お前が嫌いなのは知っているが、我慢してくれ。手伝わなくて良いから」

「す、済まんな。私が、駄目な人間で・・・・・・」

「止めとけ。自分を卑下したところで何も始まらんことぐらい分かってるだろうに」

 

 逆にこのようなご時世に兼続のように根っから真っ直ぐ生きる人物などそうそういない。 

 龍兵衛からすると羨ましいとも思えることである。暗い林の木々が自身の根に光が刺すような羨望にも近かった。

 

「早く俺もそうなりたい・・・・・・」

「む、どうしたんだ急に?」

「ごめん。独り言だ」

 

 口が軽くなるのは今しばらくお預けであることを思い出して口をとんとん拳で軽く叩いて一人、自身を戒める。

 涼しい夏だが、風が吹かない。未だに決着は決められてはいない以上、上杉が風を吹かせなければならない。

 だが、景勝を補佐しつつ二人は共に信玄よりも早く流れの風を吹かせるという非常に難しいことを行うという使命感が信玄に実質上立ち向かうという気負いを忘れさせる夏の暑さは無い。

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