上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百二十五話 なんとかなるさ

 佐竹の要請を受けて上杉軍が動いたのは南部のごたごたが幾分片付き、夏の色と秋の色が交錯する頃のことだった。

 親憲と弥太郎、中条景資が常陸方面から南下する蘆名・伊達と共に進軍し、上野から最上や安東の軍を謙信自ら率いて進軍を開始した。

 数は合わせて三万以上。佐竹らを合わせれば四万五千になる見込みである。

 更に謙信は武田の侵攻を企てるように見せかけて義清に五千の兵を与えて飯山城から信州の旧国人衆を結託させて派遣させた。

 葛尾城まで行ければ良いという感じで謙信も義清に深追いは絶対にするなと念を押して命じている。

 武田の家自体が弱まったとしても信玄やその四天王は健在。将の実力を考えると五千という兵は少ないようにも思える為、致し方ないことだ。

 戦果はともかく武田に越後に攻め込まれないようにする為にこちらから逆に攻めてはどうかという龍兵衛の意見を謙信は聞き入れた。

 珍しく積極策を進言した龍兵衛に他の軍師達は驚いていたが、気に掛かっていた戦費はどうにかなったのが一番の要因である。

 奪還した阿仁鉱山や新たに発掘した東北に眠っていた多くの鉱山より採れた金銀を高く売りさばいたり、質の良い貨幣を作る為に加工して流通を円滑にして他国の商人を招いている。

 その成果によってかなりの金利が出た。龍兵衛が金の多さに涎を垂らして皆に引かれている程の量であり、計算しても十分過ぎる利益が出た。

 ある時の今の内に使っておいてそれ以上に得るものを得ようという政治的な考えを元に龍兵衛は提案したのだ。

 話を戦に戻すと上杉軍本隊はまず上野から南下して北条方の城を奪還しつつ決戦が起きればいつでも準備出来るように備えておく。

 善政を敷いている北条は国人衆達からも受けが良く、一門との絆も固い為、調略に応じる者は少ないだろうと考えた軍師達は下野の反北条勢力とも連携して各国の主だった城を攻め落とすことによって旧山内家家臣達を扇動させてじわりじわりと北条を追い詰めることにした。

 坂戸城から三國街道を下り、岩櫃城や沼田城など後世では有名な城々を落とさなければならない。

 考えるだに厳しい戦になるだろう。しかし、いい加減に関東管領としての仕事をこなさなければならないのも事実。謙信もそろそろと考えての行動である。

 

「(さて、どうしたら良いのか)」

「上野において攻め込むべきはやはり箕輪城です。堅牢な城故に、落とすことによる利益は大きいものになります」

 

 頭では別の思考を案じている龍兵衛だが、耳はちゃんと軍議で兼続が取るべき方針を説明している方に傾けている。

 箕輪城さえ落とせば三國街道に沿う中山道の松井田城や高崎城を落としてそのまま武蔵を経由して相模に入る。

 上野の箕輪城が最大の決戦地だと思っている者が大半だが、龍兵衛は箕輪城よりも少し先の忍城に考えが行っている。

 忍城を守るのは成田氏長・長忠姉妹。また武蔵にまで侵攻すれば小田原城から援軍も考えられる。 

 龍兵衛にとってその状況は嫌でも気を引き締める状況であった。豊臣軍が大将が石田三成であったとはいえあれほどの大軍勢であっても小田原城が落ちるまで唯一保った城なのだから。

 北条は早くから兵農分離を可能に出来る環境を政策や人口の多さを活かして行って来ている為、兵一人一人の実力は高い。

 小田原城からの援軍も望める状況で下手をすれば武蔵の平野で北条の大軍と正面からぶつかることになる。

 条件的には北条に分があるが、大軍という点の利は上杉にある。

 

「(上手く機能すればの話だけど・・・・・・)」

 

 上野から南下する軍はともかく、常陸から南下する軍は佐竹や他の反北条の寄せ集めとなり、結束力に欠けるところがある。

 北条がそこに目を付けると上杉軍本隊が関東に孤立することになる。万が一に備えて官兵衛が軍師として弥太郎と親憲の側にいるが、龍兵衛は内心、不安が過ぎりっぱなしである。

 

「龍兵衛、何か兼続の意見で指摘するところはあるか?」

「いえ、特には」

 

 思考は相変わらず別だったが、兼続の戦略に抜かりは無かった為、迷わず龍兵衛は謙信からの問いに肯定の答えを返す。

 

「龍兵衛、慶次、景勝と大将に沼田城の攻略へと向かってくれ」

「御意」

「はいな~」

 

 慶次の裏表の無いお気楽な反応とは裏腹に龍兵衛は返事の裏で溜め息を吐く。

 岩櫃城も沼田城も上野における交通の要所であり、三國街道と沼田街道を下る際には拠点となる城である。

 どちらも当初は真田家と沼田家の城であったが、北条が北進して来ると弱体化した武田に付いて行った真田は信州へと逃れた。

 沼田は北条に敗れ、上杉を頼った後に当主の顕泰が隠居した後に後継者問題が起きた為、軍師達が動いて沼田家家臣の金子泰清を使って顕泰の息子、朝憲を殺し、後を継いだ別の息子を父が面倒事を持ち込んだ罰として新発田城陥落の後、必要が無くなった水原城に左遷させた。

 一応、この戦に顕泰は参加しているものの、謙信を含めて誰もが戦力にならないと思っている。

 沼田城の戦いにも参加させると謙信は言ったが、あくまでも北条との攻防戦との参考にしかならないだろう。

 言う通りの弱点を突いたところで切れ者揃いの北条軍に簡単に逆手に取られるのが落ちだ。

 ちらりと顕泰を見ると明らかに鼻息を荒くして意気込んでいるのが分かる。故郷を奪われたことに関しては龍兵衛も同情するが、少しは自分だけで勝手に問題を起こして周りに迷惑を掛けていることも考えて欲しい。

 後継者問題は没落した家とはいえしっかりと片付けてもらわないと困る。沼田にいた頃から抱え続けてわざわざ越後にまで持って来られては上杉からするとたまったものではない。

 

「はぁ~」

「河田殿、如何致した? これから戦であるというに」

 

 軍議が終わったのを認めると龍兵衛は長い溜め息を吐く。その背後から掛けられた声は少し興奮気味でうわずっている。

 振り返ると案の定、顕泰の二度と忘れない程にくどいとまで思える濃い髭面があった。

 沼田家は鎌倉幕府の重臣で宝治合戦で敗れ、自害した三浦泰村の次男が祖とされていてその誇りを忘れない為、今回の戦は随分と張り切っている。

 何でもないと伝えると顕泰は溜め息は元気が無くなるぞと背中を叩いて数人のみが残っている陣幕を勇んで鎧の音高く出て行った。

 

「(あんたのせいだよ)」

「『あんたのせいだよ』って顔に書いてあるわよぉ」

 

 悟られないように無表情で見ていた筈だったが、背後からぬっと顔を出して来た慶次がにやっと笑って龍兵衛を真横から見て来る。

 眉間に皺を寄せて目がつり上がっていて珍しく他者からも分かる不満げな表情になっている。 

 

「ありゃ、まじか?」

 

 びくっと肩を震わせたのを誤魔化すように首を傾げて龍兵衛は作り笑いを浮かべる。

 慶次は敢えてそこを突っ込むこと無く、龍兵衛が内心で吐き続けていた程では無いが、長い溜め息を口から吐き出す。

 気持ちは分からなくないという目で慶次は彼を見て来た為、彼女も同じような思いを先程の裏表の無いお気楽な返事の裏で実は思っていたのだと龍兵衛は悟った。

 先程は顕泰を立てないといけないこちらの身にもなってくれと毒づいていたことを心で詫びながら龍兵衛は景勝に指示を出している謙信の下に向かって話を共に聞く。

 内容は先程語っていた戦略とほぼ同じだが、更に詰めた詳細を話し合っている。

 岩櫃城は西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害。

 沼田城も利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城。二つの川側は崖となっていて典型的な崖城という要害。

 互いに攻め落とすには苦労するのは目に見えている。もし何か突然の事態が起きた時には独断専行を行う可能性もある。

 景勝を低く見ている訳では無いが、経験は龍兵衛や慶次の方が上である。

 謙信の話を聞いていると不意に彼女は龍兵衛を見て彼の思考を察したように口を開く。

 

「兼続も言っていたが、沼田城に派遣する軍の指揮は景勝が執る。補佐を頼むが、いざという時には代わりにお前が執ってくれ。それから顕泰のことなのだが・・・・・・」

「分かっています。暴走しないよう慶次に見てもらっておくのでご安心を」

「と、いう訳だ。慶次」

「は~い。仕方ないからぁ、しっかり守るわねぇ」

 

 まだ戦が始まってもいないのに疲れたような声を出している慶次を見ると龍兵衛も兼続もやはり謙信の下に置いておいた方が良いのではないかと思ってしまう。

 しかし、顕泰のことを考えるとやはり必要だと考え直す。

 顕泰は憲政や義清と違ってかなり故郷への執着心が強く、今回の戦より前から幾度も謙信に関東遠征を行って欲しいと懇願していた。

 謙信の方もその時には東北に切り込んでいた状況だった為、それを理由に何度もはねのけて来たが、顕泰は東北など所詮は辺境の地に過ぎない。関東を取った方が絶対に利益になると言って頭を必死に下げ続けて来た。

 ようやく念願が叶った為に意気込むのは結構なことだが、先走って周りを見ないところがある顕泰は機嫌で事を判断することもある為、誰か監視が必要なのは上杉の誰もが知っていることである。

 景勝の補佐をしなければならない龍兵衛が意気込んで前線に出るであろう彼を見て危ない時は止めなければいけないからと簡単に本陣から出る真似は出来ない。

 やはり、止めるのであれば基本的に軍隊を率いず、自由に行き来の出来る慶次が必要になる。

 

「頼むな」

「はいな~」

 

 溜め息が出そうになるのをぐっと堪えているのは互いに分かり合っている。同情の視線を謙信と景勝から送られつつ二人はやることが無くなった本陣から出る。

 しばらくして謙信から説明を聞いて解放されて真っ先に駆けて来た景勝を伴って三人は評定の間を出る。戦に向けて皆の意気込みは変わらない。

 ちょんちょんと慶次は龍兵衛の肩を指先で突っつくと横目ではきはきと指示を出している顕泰を横目に龍兵衛の耳元に顔を近付ける。

 

「ねぇ、あそこで意気込んでいる人のことはどうするの?」

「沼田城を落としたらその城主に返り咲かせる。そうすれば謙信様が関東に攻めるのは私欲だけで行っているとは思われないだろうよ」

 

 それとなく顕泰から距離を取りながら三人は北条方から調略して本陣としている石倉城の中に歩を移す。 前々から顕泰には沼田城を取った暁には本領に復帰させるという約束がある手前、約束は守らなければならない。

 それを果たした上で北条に付いている国人衆達に揺さぶりを掛けて旧領に復帰出来ると誘いを掛けることも出来る為、顕泰を無碍に追い返すことも出来ない。

 一方で、龍兵衛は腹の中では顕泰を沼田城を取った暁にはそれ以上戦いに参加させないようにしようと企んでいる。

 

「・・・・・・」

「大丈夫ですよ・・・・・・多分ですが・・・・・・」

 

 不安げに龍兵衛を見上げる景勝に励ましを入れようと精一杯努めて表情を緩めるが、ふっと顕泰のくどい顔が彼の頭を過ぎってしまい、彼も不安げになってしまう。

 釣られて景勝も効果音があればずーんという音が聞こえてきそうな程までに沈んでしまい、原因を作った龍兵衛の頭に慶次の拳が落下した。

 

「痛い・・・・・・」

「あのねぇ、もう少しかっつんに元気が出る話しなさいよ」

 

 思いっ切り喰らった龍兵衛はもんどり打たなくても痛そうに右目を瞑って頭をさすりながら恨めしそうに慶次を見る。

 

「仕方ないだろ。沼田殿の手綱を握るなんて・・・・・・」

「想像、したくない。嫌だ?」

 

 龍兵衛の意思を汲み取った景勝の問いに首肯すると慶次もやれやれと首を振って励ますのを早々に諦める。彼女も顕泰を快く思っていなかった。

 側室やその息子がいるにもかかわらず、時折自身の身体を求めるような発言をして来たり、下心が見え見えの酒席への誘いなど男としての節操が無い。

 執拗な時も何度かあったが、その時は腕にものを言わせて寝かせておいた。それでも反省などしないで次の日にも誘って来る辺り、馬鹿だと内心呆れている。

 そう思うとまだ謙信と婚姻したとはいえ浮気性のあっても一途な颯馬や危ないところがあるとはいえ普段は何も無ければ堅物を通している龍兵衛の方がましに見えてくる。

 あくまでも私的な感情故に、公的なところに不快感を持ち込むような慶次ではないが、顕泰のお目付役だけは正直勘弁して欲しかったのが本音である。

 再考をお願いしたかったが、性格が真逆でも何だかんだで馬が合う景勝のことも目が離せないのも事実。

 もし景勝に顕泰の魔の手が降りかかったりでもしたら。

 

「駄目ぇ! そんなことはさせない!」

「急にどうした?」

 

 珍しく景勝から突っ込みが入った為、慶次は一瞬ではっと覚醒した。景勝の隣で龍兵衛は慶次の突然の叫びに「大丈夫か、お前?」と訝しげな目で見ている。

 

「い、いえ、私は何にも言ってません!」

「言った。何?」

 

 間を取らずに景勝の突っ込みと何故急に大声を出したのか知りたいという彼女の視線が突き刺さる。

 

「隠し事?」

「そ、そそ、そんなのある訳無いじゃなぁい。ねぇ?」

 

 首を傾げる景勝から目を逸らして龍兵衛に助けを求める視線を送るが、興味が無いと彼は外を向いて助ける気配が一切無い。

 その間に景勝は慶次との距離を更に縮めて答えを求める。気付いた慶次は慌てて距離を取り、止まっていては駄目だと足に力を入れて「さらば~!」と脱兎の如く逃げ出した。

 

「速っ」

 

 感想だけ言って助けなかった龍兵衛を景勝は恨めしそうな目で見るが、彼は誤魔化すように両手を広げておどけてみせる。

 大体何が原因で慶次があのようなことをしたのか政治に通じていて上杉の内部をよく見ている龍兵衛が顕泰の人となりを知らない訳が無い。

 先程、慶次が思っていた通りの想像をしつつも彼女と違って既に文字通り大人になった景勝がちょっとした誘惑にふらっとなる訳が無いと確信がある。

 

「慶次、何、気にしてた?」

「しょーもないことですからお気になさらず」

「龍兵衛、慶次、何考えたか分かるの?」

 

 目を見開いた景勝を見てしまったと思った時には既に遅く。好奇の目が今度は自身に浴びせられた龍兵衛はどうこの場を脱却するべきか考える。しかし、何故か良い方法が思い付かない。

 

「そういえば、先程謙信様に何を話されていたのですか?」

「ん、北条との戦、いつ終わるか」

 

 強引な誤魔化しだったが、乗ってくれたので一安心しながらも景勝の発言に龍兵衛は眉間の皺が若干寄る。

 越後山脈によって隔たりがある越後と関東は一度上杉が土地を占有しても北条に奪還される可能性が高いだろう。

 幸いにも蘆名・佐竹領から越後山脈を越えずに迂回して新発田方面から撤退することが出来る為、冬越えはいざとなれば出来ないことではない。しかし、まだ完全な兵農分離をしていない上杉軍は秋の収穫時に農民兵を返す必要がある。

 その為にも上野は早く終わらせなければならないが、障害が多い。

 

「出来る?」

「はっきり言うと厳しいですね」

 

 後世でも有名な堅牢な城が並ぶ上野は山々に囲まれているが、北は越後、西は信州、南は関東と軍事的に見れば重要な土地であり、北条は上野にある城の普請を余念無く行って来た為、攻略には時間が掛かると見た方が良い。

 

「まぁ、東北程時間は掛からないと思いたいですし、そうだと思いますよ・・・・・・正直、籠城も選択されて小田原城を除いたらの話ですが」

 

 景勝を元気付ける為にも良い気休めを言いたかったが、どうしても我慢出来ずに漏れてしまった緊迫感のある龍兵衛の後付けが景勝の表情を引き締まらせる。

 小田原城は関東随一の堅牢な城でいざ籠城すれば五年は保つことが出来る。さすがに上杉軍も国内の治安維持や経済面で不安が出る為、それ程まで包囲することは不可能。

 関東遠征は上杉の主要な将達が現在進行形で行っている国人衆の調略や協力が無ければ厳しくなる。

 龍兵衛は正直に言ってしまった自分の口を恨みを込めて少し長い溜め息を吐きながらちらっと景勝を見る。

 しかし、景勝は暗い顔をするどころか何故か作っているのでは無く、龍兵衛を心から元気付けるように笑っているので彼は少しだけ目を見開く。

 

「大丈夫、勝てる」

「どこからその自信が?」

「龍兵衛、いる」

 

 疑問を抱く龍兵衛をよそに景勝は心からの言葉を掛ける。

 衝撃的過ぎる発言を真っ正面から受けた龍兵衛は動揺から何も無い所で躓きかけ、転けるのを必死に堪えると誤魔化す為に激しく咳き込んでしまう。

 恥ずかしさを誤魔化しているとはいえわざとらしさが過ぎる彼の様子を景勝は長時間涙を浮かべて笑っていた。

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