上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百二十八話 負け犬の恨み

 岩櫃城では謙信率いる上杉軍が着々と敵の足並みが揃わない内に周辺の柳沢城や郷原城という支城を落とした勢いで岩櫃城の出丸である天狗丸を奪回し、落城まで後僅かといったところまで追い込んでいた。

 

「堅牢で名高かった城も人が変われば意味が無いものか」

「ええ、ここまでが呆気なさ過ぎたので何か敵に策があるのかと思ってしまった程ですからね」

 

 沼田城と岩櫃城を比べて岩櫃城の方が堅牢だと軒猿の報告から判断して謙信は岩櫃城に向かった訳だが、さほどの抵抗も無く、これといった敵の策も無く、一週間してあっという間に上杉軍は蟻の這い出る隙間も無い程包囲した。

 後は降伏勧告の使者出して一週間程度、警戒を怠らずに待っていればさしたること無しに箕輪城へと向かうことが出来る。

 のんびりと謙信は水を飲みながらどこかに視点を合わせるでもなく、上を見て空の中を飛び回っている鳶を眺める。

 颯馬がここにいないことも原因かもしれないが、早くまたのんびりとした春日山城での生活に戻りたい。まだ始まったばかりなのにそう思ってしまう。

 普段から颯馬と共にいるのもそうだが、目の前で渡した水を恭しく受け取って飲んでいる兼続達とも騒いでいる方が当たり前だが、楽しいのだ。

 

「御注進」

 

 段蔵が音も無く、すっと現れたことで意識を戻した。彼女は謙信の内情など考えずに普段ののびのびとした口調とは違う至極真面目で報告する。

 

「沼田城の景勝様の軍が敗れたらしいよ」

 

 謙信は落ち着いた様子で周りに報告を聞いて驚いているように目を見開いている兼続以外に誰もいないことを確認すると段蔵にもっと近くに来るように手を招く。

 

「先程、厩橋城を落としたと家成から報告が上がったばかりだというのにか?」

「その間に手薄になった本隊を叩いたみたい」

 

 謙信はおとがいに手を当てて考える素振りを見せるとゆっくりと曖昧に二度三度頷いて再び口を開く。

 

「被害はどのくらいだ?」

「五百名が戦死。負傷者はその倍だって」

 

 聞き終えた途端に顔の向きを段蔵から兼続に変える。相変わらず驚いたままだが、謙信は構わず会話の相手を彼女に変える。

 

「兼続、岩櫃城の者にこれが知られる前に開城要求を受けさせることが出来るか?」

「え・・・・・・精一杯努力してみますが、かなり難しいかと。いざとなれば強攻も考えなければなりません」

 

 まだ衝撃から身体が上手く反応しないらしく、兼続の反応は若干遅れているが、現状をはっきり言ってくれたおかげでそれなりの戦略と戦術を立てることが出来ている。

 

「兼続はとにかく交渉に全力を注げ。段蔵、岩櫃城に潜入出来るか?」

「それぐらいなら出来るけど」

 

 不安げな段蔵に謙信は大丈夫だと安心させるように笑みを浮かべて手をひらひらさせる。

 

「何、無理難題をふっかけるようなことはしない。厩橋城が落ちたことを強調して噂を広めてくれれば良い」

 

 その程度なら段蔵は簡単だと笑顔で頷くとまた音も無く消えて行った。

 

「相変わらず見事な身のこなしだ」

「ええ、敵で無くて本当に良かったです」

 

 落ち着きを取り戻した兼続は感嘆から出る溜め息を吐く。いつもならここで段蔵が珍しく褒めてくれたと兼続の目の前にいきなり現れて抱き付いて来るところだが、さすがに現れない。

 普段はふらふらとしていて堂々と春日山城で慶次と悪戯で張り合って目立っているが、実際に段蔵のおかげで上杉は国内外の情報や謀略が上手く行っている。

 裏で暗躍を続けている公はともかく、いつも軍師達が咎めるべきところだと上げているのは私生活での大道芸だ。

 何回も全員から説教を食らっているにもかかわらず、彼女は一向に改める気が無いらしい。

 謙信も段蔵がやっているのは本人には隠しているが、知っている。咎める気も無いのと城下町の民が盛り上がっているので別に良いかと思っている次第である。

 

「謙信様、それよりも如何致します? 岩櫃城がこの程度ならすぐにでも援軍を差し向けては?」

 

 今は関係無い方向に行きかけた思考を兼続が戻してくれたおかげで謙信は負けたという情報が入ってきたにもかかわらず、少し緩めていた口元を真っ直ぐに戻すことが出来た。

 

「いや、厩橋城を落としたとすれば沼田城は孤立する。さすがに城主も箕輪城に退かざるを得まい」

「それが、城主の猪俣邦憲は全く退去する素振りを見せずに抵抗を続けていると」

「ほぉ・・・・・・」

 

 興味深げに謙信は目を見開くと兼続に事の仔細を聞かせるようにと手で近くに来いと招き寄せる。

 兼続によると邦憲は上杉軍に勝利したことで気を良くしたせいか、如何に龍兵衛達が攻めようとも撤退する素振りを見せずに撃退しているらしい。

 

「遮二無二攻めて落ちる城で無いことは景勝様も龍兵衛も承知しております。いっそ、こちらから援軍を派遣しては?」

「いや、それでは岩櫃城に悟られては沼田城の情勢を教えているものだ。猪俣を逆に発奮させることになりかねないぞ」

 

 すかさず謙信は首を横に振って援軍は決して向こうから要請が無い限り送らないと言って兼続を驚かせる。

 岩櫃城の包囲は完全だが、沼田城は不完全のままなかなか突破口を見出すこと出来ずに劣勢になっている。

 小田原方面からの情報は途絶えたとはいえ、岩櫃城から援軍が来たということは簡単に掴める状態である以上、邦憲が何か手を打つことも考えられる。

 更に言えば、仮に岩櫃城に上杉軍が沼田城に援軍を派遣したことが発覚すれば順調に進めていた開城交渉が破綻する可能性もある。

 

「すぐにとは言わん。兼続、多少脅しても構わない。岩櫃城との交渉を急がせろ。決して悟られるな」

「承知」

 

 おとがいに手を当てたまな謙信は兼続が出て行くのを見届ける。

 せっかちでは無い謙信だが、さすがに事情が事情なだけに急がせなければならない。北条との戦線以外にもこれと言った戦果が報告されていない現状を考えるとそれなりにここで堅牢な二つの城を落としたという大きな戦果を見せておかなければ上杉に付こうとしている国人衆達も北条に靡いてしまう。

 早雲は箕輪城に娘の氏康を入れて上野の援軍に形ばかりは向かわせているが、それ以降、氏康は動く気配が無く、岩櫃、沼田両城を見殺しにする姿勢だ。

 しかし、北条は家臣との繋がりを重要にしている家である。しかも、沼田城の邦憲は北条の直臣。見過ごしておくことで得る北条の利益は無い。逆に直臣以外の者から不信感を抱かせる可能性がある。

 もしかするとその裏で何か謀を企んでいるのかもしれない。

 深く考えるときりがないので止めておくが、考え込まなければ相手が北条である以上、太刀打ち出来ないのは明白である。

 早雲にしろ氏康にしろ知略に長け、小田原城や河越城を奪うにも不利な状況にあったにもかかわらず、二人が敵を油断させるお膳立てを簡単に行ってみせたと聞いている。 

 未だに追い詰めている状況でも無いのに上野で右往左往していては先が思いやられて気が滅入ってしまう。

 いかんと謙信は自身に言い聞かせると一人になった陣幕の中で地図を眺める。

 憂いているのは厩橋城と箕輪城の距離がかなり近いということ。岩櫃城がもう少しである為にさほど問題ではない。しかし、もしかしたらということもある。

 密かに謙信は軒猿の一人を呼び出すと書状を沼田城に送るように命じた。

 

 

 

 

 

 

 沼田城の上杉軍は敗れた故に、軍の再編と今後の打開策を練ることに将達は追われていた。

 苛々を隠せない顕泰の貧乏揺すりの音が陣幕に響き、他に音や誰かが発する声は一切無い。あるとすれば龍兵衛が書状を丁寧にめくる音ぐらいだろう。

 彼は全てを読み終えると書状を机の上に乱雑に置いて溜め息を吐いた。

 

「周りの人からの返事はどうなの?」

「由良殿以外は未だに返答が無い。越後を立った時にはかなり良い返事を貰っていたんだが」

 

 溜め息を終わった合図と見た慶次からの問いに龍兵衛は溜め息混じりで答える。

 由良とは由良成繁のことで下野との国境付近で館林城の近くに位置する新田金山城を本拠地にしている国人衆である。

 他にも龍兵衛と兼続は長尾景長や下野の小山と宇都宮にも声を掛けていたのだが、援軍を派遣してくる気配が見られない。

 中にはすぐに上野まで馳せ参じると書状で約束していた国人衆もいた。邦憲に敗戦してから間も無いにもかかわらず、早過ぎる切り替えに一瞬、龍兵衛は首を捻る。

 だが、すぐに片目をぴくっと細めると眉間の皺を一気に寄せて頭を右手でぼりぼりかく。

 

「ちっ・・・・・・背後に風魔の手があるか」

「間違いないわね。多分、沼田城を落とさない限り静観を続けている小山や宇都宮も北条に靡いてしまう」

 

 真面目な口調の慶次程、説得力が無い人は日の本広しと言えどもいないだろうと龍兵衛は思っている。

 せっかく大きな犠牲を払ったとはいえ厩橋城を落として経路を断ったのだから邦憲が嫌でも沼田城は破棄しなければ北条の救援が無い限り生きる術は無い。

 厩橋城には既に上野家成が入り、箕輪城の北条軍に対する防備を急がせている。家成自身、武勇では兼続や龍兵衛と良い勝負程度だが、外交交渉を任されることが多いことからそれなりに頭が回り、駆け引きも得意としていている。

 だが、北条はそれ以上に素早い動きで下野などに沼田城の上杉軍が負けたことを風潮し、一度は上杉に付こうとした国人衆に揺さぶりを掛けている。

 推測になるが、その過程でそれとなく上杉が国人衆に出した味方をすることで与える予定の恩賞を聞き出し、北条に付いて上杉軍を撃退すれば  

 あざといが、上杉も人のことは言えない以上、何か手を打たなければいけない。

 

「向こうの道が断たれていることを利用して岩櫃城が落ちたことと箕輪城の北条軍が援軍を派遣して来ないと間者に城内へ入り込ませて噂を流すのは如何でしょう?」

「(うんうん)」

 

 了承されたと景勝が頷いたことで察した龍兵衛は頭を下げて陣幕から出て行こうとするが、まだ話があると景勝に止められる。

 少し目を見開いた龍兵衛だが、ちらりと景勝が地図を見たのを確認すると彼女の隣に戻る。景勝は来るのを見計らって不安げに声を掛けて来た。

 

「沼田城、どうする?」

「難しい問題を解くのにすぐに答えを出そうとするのは愚かなこと。少々、周り道をしてみましょう」

「どういうことです?」

 

 焦りに加えてのんびりしたような返答を龍兵衛が景勝に返したことで顕泰の苛々は頂点になろうとしている。だが、龍兵衛はそのような顕泰などお構い無しに顎をさすってゆっくりと口を開く。

 

「自分はてっきり猪俣という将がはっきり言うと大したことが無いから上野に置かれているものだとばかり思っていました。そのことを反省して少し戦術を変えます」

 

 いよいよ強襲に切り替えるのかと慶次や業正がぐっと身体に力を込める。それを見た龍兵衛は一切躊躇うこと無く、口を開いて二人に釘を刺す。

 

「断っておきますが、沼田城を力攻めで落とすなどという愚行は決して致しませんので」

 

 がっくりと慶次がわざとらしく肩を落とすが、無視して龍兵衛は地図を見ながら続ける。

 

「本来なら猪俣を引っ張り出して戦うのが一番の良策ですが、出て来ない以上、こちらから動かなければ勝利は難しいでしょう」

「しかし、動けば前の戦の例もある。猪俣に隙を見せるだけにならぬか?」

 

 顕泰のまるで先の戦の敗因はお前にあるというような言い方に龍兵衛は苦笑いを浮かべてその通りだと頷く。

 先の戦では邦憲に上野家成を厩橋城に派遣して隙が出来たところを二日連続での夜襲を受けて敗れた。慶次と業正の奮戦が無ければ下手をすると龍兵衛も刀を持たなければならなかっただろう。

 幸いにも慶次が景勝と共にまとめて守ってくれたのでどうにか肩の寿命を減らすことは無かった。

 そう考えると顕泰の言い方は間違っていない。まだ官兵衛達と共に常陸方面から南下している安田能元と違って気が変わりやすく扱いには困らない。また、間違ったことを言わないのときちんと空気は読んでくれるので息巻いているのを窘めればまだ許せる。

 

「いい加減、流れが向こうに傾き続けている状況を変えなければなりません。その為には負けたとはいえ動かなければ」

 

 そもそも、攻める側の軍が動かないなど本末転倒も良いところである。

 龍兵衛は普段、政治家として内部の処理や不正の摘発に法の浸透を図ることや他国の情報収集の管理、戦うべき相手を決める戦略を行うことが本来、期待されている。

 故に、今までの大きな戦では一人で戦術を考えるということは魚津城での戦ぐらいしか無い。もちろん、龍兵衛が戦術は全く出来ないという訳では無いということは魚津城で証明されている。

 故に、ここで拙攻を行えば謙信と合流して岩櫃城が落ちるのを待たなければならないことも百も承知。だが、彼とて人の子。包囲を続けて黙っているばかりは嫌である。

 

「今日の夜、動きましょう」

 

 突然のことに聞かされていなかった景勝も目を見開き、将達も隣同士で話し合って

 勝つか負けるかの世界にずっと居続けた龍兵衛は負けず嫌いで、そこに道三から受け継いだ蝮のようなしつこさを内面に持っている。

 局地戦の一度とはいえ、負けたことで龍兵衛の内心は狂ったような悔しさと怒りが負けた日から激しく燃え盛っていた。 

 

「まだ兵の中には動けない者もいるというのに攻めるのか?」

「構いません」

 

 顕泰の抗議を聞き入れずに龍兵衛は視線を図へと移す。 

 取るに足らないと思っていた猪俣邦憲という人物が戦上手であることを知らなかったとはいえ出だしから敗れたのは痛い。

 故に、その痛さは取り返し、意地を見せて仕返しをしなければ龍兵衛は気が収まらない。俗にその感情を憎悪と呼ぶ。

 

「上手く行けば今いる兵の三分の二程度で事は済むと思いますよ?」

 

 八つ当たりに等しくても勝てれば全ては勝利という大きな箱の中に消えて行く。

 龍兵衛が邪気を孕んだ笑みを必死に押し隠しているのを景勝だけが悟って悪寒を感じていた。

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