上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百三十一話 今日だけは

 親憲と口論した日の翌朝、弥太郎の目覚めは決して良いものとは言えなかった。

 酒が残っているという訳ではないが、どことなく身体が痛い。きちんと寝るべき所で寝たが、身体を捻っても良くならない。首を縦横に回して音を鳴らすと少しすっきりした気がしたが、それも一瞬だけだった。

 夜襲の危険性は今のところ無い為、安心して眠れるのが唯一の救いだが、すっきりしない目覚めではさほど寝ていなくてもそれなりに起きれる方がましである。

 親憲に話したことで少しは肩の荷も降りたのか心の中は比較的軽いが、やはり昨日の盛備のこととは別である。

 盛備のあれはただ単に酔っ払いの戯れ言として片付けることが出来る。だが、もし佐竹や伊達の者達が素面で弥太郎自身のことをそう見ていたとしたら。 

 さほど暑くないのに汗が背中をだらだらと流れる。はたして自身が大将で良かったのだろうかと不安になってくる。

 今までも大将を任されてきたことは何度もあったが、ここまで大きな軍を率いる時はいつも謙信か景勝が行っていた為、ほぼ初めてと言って良い。

 そう考えると基本的に上杉軍は謙信におんぶだっこの状態だったと痛感する。痛感すると今度は溜め息となって弥太郎の口から吐き出された。

 少し外の様子を眺めようとほんの少しだけ顔を外に出してみる。特に変わった様子は無く、兵達はまだ寝ている者達を叩き起こしている。

 特に異変がある訳でも無く、幸いなことに昨日の親憲も独断専行を行うという事態にはなっていないようで安堵しながらも陣屋からは外に出ずに政宗と義重の間の軋轢にどうするべきか考える。

 もし、このまま味方内での睨み合いが続けば士気に関わってくる。また、上杉に靡いている国人衆の中でも変な動きをする者が出るかもしれない。

 今後は今朝、逆井城の包囲を固め、誰が最初に逆井城の門を開けるのかが政宗と義重の言い争いの争点になるだろう。

 主張していた下野攻めを否定された政宗は今度こそはと必ず第一陣を願い出てくる。そして、それに義重が待ったを掛けるのは必至。

 そこから互いにまた睨み合いと少ないが、激しい言い争いが始めるのだろう。親憲達が両家の景綱や岡本禅哲を通じてどうにか意見を聞いてもらえるように根回しはしている。それでも、不安は拭えない。

 今、上杉軍から城攻めによる被害を多く出す訳にはいかない。他家から先鋒を務めさせる者を出す必要がある。

 政宗と義重の仲は相変わらずだが、家臣同士の仲はそれなりに良い関係を築いている。かれらの中から主君に何かと話を付けて戦わせるという考え方もある。

 とはいえ、互いに功を立てたい。北条を見返したいという思いは強いだろう。

 

「(先ずは、あの二人に伺いを立てるところからか・・・・・・家臣だけが出ると騙したところで結局は意味も無い・・・・・・はぁ~)」

 

 溜め息が口から出て来なかったのは弥太郎の気が色々なところに散っているからである。

 互いに全く動かず、牽制し合い、どちらかが落ちたところで功を立てようという気持ちは無い。

 伊達は上杉に対してどっちつかずの態度を取った者の末路を良く知っている。かれらは取り潰しになったり、領地を削り取られるなど後で龍兵衛が主導する無慈悲な裁決が待っている。

 言い訳があれば龍兵衛も聞き入れるが、彼もまた戦場という現場に立っている人の為、全く返す言葉も無くその裁決を受け入れるしか選択肢は無い。中には家臣を養う力を無くし、上杉に改めて仕える者も少なくない。

 間近で見てきた者達にとってそれは恐怖以外の何者でも無い。百万石という大望がある政宗にとってはなおさらだ。 

 佐竹の方は弥太郎もまだ真意は分かっていないが、北条に苦しめられた今までの鬱憤があるだろう。特に鬼真壁の異名を取る氏幹などは大層溜まっているだろう。

 面倒なのは佐竹の外交を司っている岡本禅哲である。以前も上杉との交渉で謙信と龍兵衛を手玉に取り、佐竹にとって有利な条件で和睦を結んだ知者。仮に了承させたにしても必要以上の有益な条件を持ち出してくるだろう。

 断った場合、説得するのに氏幹を了承させた上で彼もこちらに手懐ければ大丈夫だろう。それから義重に事の次第を話しさえずれば彼とて不承不承許してくれる筈だ。

 指揮を誰が執るのかは後々で決めていけば良いと弥太郎は考えた。政宗と義重が自身も出させろと言うかもしれない。その時は上杉軍の将の誰かを大将にしておけば上からどうにかなるだろう。

 怖いのは平時でさえ大将である弥太郎自身でも止められないのだから他の者がやっても結果が同じになる可能性が極めて高い。 

 正直、昨晩の盛備の一件は堪えた。だが、親憲の言ったことではないが、いつまでもうじうじしていて良いものではない。

 そろそろ出るかと立ち上がろうとした時、俄かに陣屋の周辺が騒がしくなってきた。兵達の足音が聞こえ、将達の怒声も聞こえてくる。

 何事かと弥太郎は外に出ると兵達があっちこっちに指示を出しながら走り回っている。北条が攻め寄せて来た気配は無い。

 そもそも、逆井城は北条が誇る堅城の一つであり、状況的に孤立している訳では無い。小田原城からの援軍を籠城して待つのが定石だ。

 ならば、この騒がしい状況は何なのか。分からないまま弥太郎は陣幕へと歩みを進める。到着すると陣幕の警護をしている一人の兵が弥太郎の姿を認め、慌てて駆け寄って来た。

 

「如何した?」

「小島様、水原様が手勢を引き連れ、逆井城の東に位置する郭へ進軍を開始した模様!」

「なっ・・・・・・」

 

 反射的に弥太郎は陣幕の中に飛び込んだ。中には景綱と氏幹が既にいた。弥太郎の姿を確認すると二人は親憲のことについて尋ねてきた。

 

「いや、私も今し方聞いたばかりで何も知らない」

 

 弥太郎は首を横に振る。驚いている二人を見て弥太郎は自身の命令も無く、勝手に出陣したことに二人が初めて気付いたのだと悟った。

 息を呑む音が聞こえる。景綱が弥太郎の言葉をぐっと待っているのが視線で分かる。

 急いで弥太郎は二人に詳細を尋ねる。しかし、二人も良く分からず、宥めていた政宗と義重を置いて先に陣幕に着いたところ、親憲が出て来ていつものように挨拶をして去って行ったという。

 その時は厠か何かだろうと特に気にしていなかったが、しばらくして兵が飛び込んで来て親憲の出陣を伝えたらしい。

 

「その時、水原殿に何か変わったところは無かったのか?」

「いや、水原殿は元々あまり変わり無いので・・・・・・」

 

 どうして止めなかったのだと弥太郎は二人を睨み付けるが、威圧感に押されながらも景綱が言い訳のように徐々に小さくなる声で返す。

 それを見て弥太郎も他家の二人ではしょうがないかと内心、溜め息を吐く。親憲の戦前の小さな武者震いを見抜くことが出来るのは上杉軍でなおかつ親憲と付き合いが長い者という条件が付く。

 颯馬達でさえ気付いていないのだから二人に気付けという求めは実に酷だ。

 

「それで、水原殿が出陣したのが細かく分かるか?」

「おそらく、四半刻程前かと」

 

 四半刻となると既に逆井城の兵と戦が始まっているだろう。しかも、親憲が率いることが出来る兵の数となると高が知れている。

 陣中には上杉軍の兵もいたことを考えると親憲に付いて行った兵は多くても一千程度。 

 まずいと焦った弥太郎は陣幕を出て、親憲が向かったであろう方向を眺める。まだ戦列も決まっていない状況で突出されては逆に混乱してしまう。

 弥太郎は官兵衛が帰参していないなど考えること無く、家を越えて景綱と氏幹に出陣の命を下し、蘆名の陣屋に伝令を飛ばした。

 

 

 

 親憲が出陣を決意したのは今朝起きた時だった。昨晩、一度は弥太郎との話し合いで自身の決意を考え直し、朝を迎えた。

 しかし、朝早くに目が覚め、見回りを行っていた際のことだった。昨晩、弥太郎から聞いたこともあって蘆名の陣にも向かった親憲が辺りをそれとなく眺めながら歩いていると兵が寝泊まりする陣屋の裏から兵が数人で話し合う声が聞こえてきた。

 

「昨日の金上様もひどかったなぁ・・・・・・」

「まぁ、捕まった俺らも運が無かったな」

 

 どうやら二人の兵が昨晩のことを愚痴っているらしい。親憲は昨日のことが更に分かるかもしれないと立ち止まって聞いてみることにした。

 

「いくら戦線が膠着状態だからって金上様もあそこまで言う必要無いのにな・・・・・・」

「酔ったらああなると有名だし、仕方ないだろ」

「だな・・・・・・」

 

 二人は溜め息を同時に吐くとそのことがおかしかったように笑い合っている。少し期待外れだったかと親憲は歩こうと足を上げる。そして、いざ一歩目の足を下ろそうとした途端だった。 

 

「しかし、金上様の言葉じゃないが、ちょっとこのままじゃ揉め事だけで終わる気がしてきたな」

 

 親憲は足を元の場所に戻して聞き耳を大きくさせる。

 

「まったく、これじゃあわざわざ関東に来た意味がねぇな」

 

 二人の兵は頷き合いながら持ち場に向かう為か、親憲に気付かず去って行った。護衛として付いて来た上杉軍の兵が追い掛けようとするのを親憲は冷静に止め、戻ると陣を後にする。

 表面は冷静を装っていたが、それこそが親憲の心を揺らぎなき決心へと導かせた。

 親憲とて仲間を侮辱されるのは嫌である。腹立たしさが募り、静かに溜まっていた頭の血が破裂しそうになるのを堪えつつ親憲は馬に跨がった。

 自身だけなら我慢してまだ誰かに言わないで黙っていれば良い。しかし、護衛として付いて来た兵二人は先程の話を聞いて顔を真っ赤にしている。 

 兵達が感情に走る気持ちは親憲もよく分かる。もし、このことが更に上杉軍の間に広まれば蘆名軍との間に何か亀裂が生まれるかもしれない。 

 考えた末に親憲は無断での出陣を決意した。それは自身の中にある不満よりも周りの大きな不満を考慮した上での苦渋の独断専行だった。

 親憲は密かに直属の配下を出陣の旨を伝え、更に付いて来る者をかれらを使って弥太郎に気付かれない内に急いで集めた。

 中には勢いで付いて来た為、何で集められたのか分からないと首を捻っている者もいた。しかし、親憲はそのよう者にわざわざ説明するような暇も無いと一言静かに言った。

 

「逆井城に攻め掛かる」

 

 親憲は馬の胴を力強く蹴った。突然のことに戸惑う兵もいたが、ほとんどの者は彼の思いを汲み取るとすぐに背中を追い掛けた。

 皆が金上盛備の一件を知っている訳ではない。だが、伊達と佐竹の不仲を知らない者はいない。いつもまでも進軍出来ずにいるのはあの二つの勢力のせいだと思っている者もいる。

 親憲に付いて来た者は警戒を緩めていた逆井城西の第三郭に突撃した。

 完全に虚を突いた形だったが、上杉軍の中で親憲が動かせる兵のみを引き連れ、如何せん数が少ない為になかなか突破することが出来ない。

 北条軍も最初は突然の襲撃に驚いていたが、しばらくすると敵が少数であることを見抜き、討ち払おうと第三郭に集結し出している。

 徐々に上杉軍は不利な戦況になり、被害も増えてきている。しかし、親憲は決して無駄な口を開かずに戦況を見守る。

 当初は魚鱗の陣にて戦況が不利にならない内に郭を突破しようとしたが、数の少なさは城攻めに際して大きな悪条件となっている。

 

「申し上げます! 城内の北条軍の援軍が更にこちらへと向かっている模様!」

 

 親憲はその報告を聞くと戦線を維持し続けるようにとだけ指示を出す。遠くを見ると更に北条軍の旗が増えているように見えた。

 数の差があるとはいえ、かなり北条軍の兵の力が強い。ここでの増援は敵に更なる勢いを与えるだけだ。

 局地戦に過ぎないが、序盤の戦での敗北は今後に響く。官兵衛から帰ってくるまで出陣するなと言われていた以上、敗北は許されない。

 後に残る方法は劣勢をひっくり返して勝利を収めること。一度、退けない状況を作った為、親憲自身が撤退することは出来ない。

 少し息を吐き、目を細めると親憲は刀を抜き、馬を走らせる。馬の胴を何度も強く蹴り、前線に真っ直ぐ突入する。

 上杉軍に襲い掛かる北条軍の兵を背後から斬り伏せると手綱を強く引いて馬を止め、高らかに叫ぶ。

 

「某に続け! 天下に敵と存ずる者は無い!」

 

 親憲は大きく叫ぶと自ら前線に出る。劣勢になっている状況で上に立つ者が狼狽えては軍全体の士気に影響する。

 前だけでなく、左右から襲い掛かってくる北条軍の兵を次々斬り倒して行く。

 上杉軍の兵を見回すように後ろを少しの間振り返る。親憲自身は無意識だが、彼の特徴的な兜が太陽に反射して眩しく輝く。兵達は応えるように怯んでいた体勢を直す。そして、北条軍に声を上げて攻め掛かる。

 だが、北条軍もそれだけで怯む程、やわな軍では無い。前に出た親憲を討ち取って手柄にせんと四方八方から攻め寄せて来る。

 親憲は敵の動きを冷静に確認し、先ず前に馬を走らせると敵を斬り捨て、突出するように見せかけて巧みに馬を翻して他方の敵に立ち向かい、北条軍の兵を討ち取って行く。

 上に立つ者の勇姿は配下の者に勇気を与える。普段は大人しい親憲の姿となれば味方に与えるそれはかなり強かった。

 普段は景資や景家達といった直進型の将の引き立て役に回って後ろで指揮を執っていることが多い。だが、親憲は本来、弥太郎達に勝るとも劣らない武勇を身に付けている。ただ目立たない立場の必要さを重視して皆から一歩引いた位置にいるだけである。 

 更に、彼も蘆名との一件で少なからず怒りを胸に秘めていた。それが戦場という生死のみが浮き彫りにされる場であることも重なって無自覚ながらもはっきりと、誰にも分からずに表された。ここにいる者達が生死を賭けているのだから気付かないのは当然である。

 親憲に付いて来た上杉軍の中に先程の一件を知る者はいないが、彼の普段なかなか見せない闘志ははっきりと伝わった。

 再び上杉軍は北条軍に向かって力強く立ち向かおうと進軍を始めている。数の差など関係無い。士気が高揚し、今まで功を立てる機会を得られなかった鬱憤を晴らそうと上杉軍は前に進む。 

 気付けば親憲は上杉軍の後ろ側にいた。

 これなら行けるかもしれない。そのような思いが親憲の頭をよぎった時だった。

 

「水原様ー! はぁはぁ・・・・・・間に合った・・・・・・」

 

 息を切らしながら斥候が今まさに馬を走らせようとしていた親憲の前に飛び込んで来た。

 

「大変です! へ、変な敵がこちらに向かっております!」

「はぁ・・・・・・?」

 

 よく分からないが、言われるがままに斥候が指差す方向に視線を送ると南からいない筈の北条軍の新手がやって来ている。冷静に考えれば川を挟んだ先にある関宿城からの援軍だ。

 親憲はその先頭に立ってや槍を振り回しながら幾千はいるであろう戦場を無人の荒野の如く駆け回っている将に自ずと目が行く。

 槍を振り回せば上杉軍の兵が次々と討たれ、まだ足りないと北条軍の将は上杉軍の兵を手当たり次第に討ち取って行く。

 そして、親憲と目が合った時、その将はこちらに何故か薄く笑みを浮かべているように感じた。 

 

「ひぃ! 来たぁ!」

 

 件の将がこちらに来るのを見た兵は慌てて逃げて行ってしまった。目を見開いてその背中を黙って親憲は見送る。だが、背中からか聞こえてきた大きな声が親憲を再び前へと振り向かせた。

 既に齢、四十を越えている親憲だが、この時に見たもの聞いたものは今までの戦場で初めて体験したことだった。

 

「勝ったー! 勝ったぞー!!」

「まだ、勝敗は決してはおらぬのですが・・・・・・」

 

 誰にも聞こえない突っ込みが言った親憲自身の耳だけに聞こえた。

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