上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第十二話改 川中島の戦い 始まり

「……夢、か」

 

 平成の夢を見るのはこちらに来てからは初めてである。

 龍兵衛は龍広だった頃の記憶はもう薄れてきている。

 もう捨てたはずのものが今になって蘇ってきたことに嫌な予感を拭えなかった。

 だが、考えても意味のないことである。気合を入れるように頬を叩いて起き上がる。

 外はまだ日は昇っていないが、気にせずに着替えを終える。それから顔を洗い、寝癖を直し、髭を剃って準備を整えると朝の日課である散歩に繰り出す。

 廊下では誰ともすれ違うことなく通り過ぎ、寝ている門番を起こして城下に出る。

 早く起きたため、まだ城下町は人がちらほらといるだけである。

 龍兵衛は気にせずにそのまま農村に歩いていく。

 普段だったら時間を決めているが、今日は決めていない。

 何故なら、今日休みだからだ。

 農村に来る頃には日も高くなりだして人も少しは多くなっていた。彼はいつも通りにぼーっと農家の人の農作業を眺めている。

 季節は田植えの時期を終えている。夏への移り変わりが少しずつ出て来る頃だ。

 

「(ああ、だからだろうか俺があのような夢を見たのは……)」

 

 一人、静かに納得しながらも龍兵衛は相変わらず外に感情は出さずにのんびりと農作業を眺めている。

 もちろん、ただ漠然と眺めているのではない。彼は自らが預かる農政には一切の手を抜くことなく徹底的な改革を行っている。

 例として農村に協力してもらい肥料の試作品を試している。理論的には絶対に失敗は無いはずである。

 鶏糞や魚粉を使い木屑や腐葉土に混ぜた平成でも使われている代物をこの時代の技術を使えるだけ使って作った物だ。

 聞けばなかなか上手くいっているようだ。龍兵衛からすれば正直言って当然だ。

 これで失敗でもしたら農家出身の彼にはかなり心に来るものである。

 鶏や魚を使った肥料は風呂がそこまで浸透していないこの時代で申し訳ないが、消すまでとてつもない臭いがする。

 

「(いつか温泉でも掘り起こしてみようか)」

 

 今出来ないことは脇に置いておき、まず鶏糞の肥料を撒いて稲の根をしっかり張らせる。

 その後に成長を促す魚粉の肥料を撒いてその成果を観察しているが、なかなかのものらしい。

 今年の米は楽しみにしておこう。

 平成と違い、この時代の越後は米はあまり豊富に取れる方では無い。そのためには別の国に食料を求めて出なければいけない。故に、彼はずっと東北遠征を主張している。

 決して彼の地は豊富な土地では無いが、いずれはあの地方を日ノ本有数の米の産地にするのが龍兵衛の野望でもあったりする。

 やろうと思えばやれるはずだ。江戸時代に伊達政宗が百万石の米を生産する計画を立てて数十年後に成功させたものを真似出来るようにしたいと彼は考えている。

 だが、それは東北を取ってからの話。今は我慢強く時を待つしかない。

 上洛命令が出れば話は別だが、義輝もとい義藤と違って現将軍義栄は畿内勢力をひとまずは安定させている。

 それは三好の協力があるから出来ることだが、将軍家の力は侮れない。

 いずれ全国に力を伸ばそうとするだろうが、それはまだ先になるだろう。

 足元が固まっていない以上は外に出てこようなんて思わない筈だ。権威だけの将軍では存在価値は無いと龍兵衛は思っていた。

 いつぞや義藤が言っていた時代は変わっていくということを彼は教科書を通じてだが、よく知っていた。

 まだ幕府が存在する以上はそれを上手く利用することが一番手っ取り早い。

 謙信が関東管領になった以上、いずれ上洛命令が下る可能性がある。

 その前にやっておきたいことはなんとしてもやっておく。政治は待った無しだ。

 先の内乱未遂事件で家臣の不穏分子は消えた。準備が整い次第動く。そして、勝つ。それだけだ。

 

 はやる心を抑える為に龍兵衛は農村を離れて山の開けた場所に座り、尺八を懐から取り出す。

 いつもの曲を吹いて心を和ませる。自分で吹くことが出来そうだという曲を選んで吹いている。穏やかな曲が多いが、そうなるのは仕方が無い。一番笛に合っているのだから。

 龍兵衛は今日は久々の休日のため、そのままのんびりと野山を散策することにした。

 そろそろ戦の準備に忙しくなる。今日ぐらいはゆっくりとするとしよう。

 そう思いながら龍兵衛は静かな森を歩き、木と木の間からこぼれるやや暑い木漏れ日を浴びながら更に奥へと歩いて行く。

 普段は楽しげな騒がしいところにいるが、たまにはこういうのもいい。

 こっそりと持ってきた茹でた鶏の卵を取り出して殻を割って口に頬張る。

 人が見ればなんて罰当たりなことをしている、と思うだろうが、その栄養価の高さを知っている彼には関係ない話だ。という訳で誰もいないので遠慮なく頂かせてもらっている。

 栄養分でいえば鶏の卵は申し分ないが、主君の謙信は熱心な仏教信者であるので表だってこのようなことは出来ないため、こういう機会を逃すわけにはいかない。

 

「このようなところにいましたか……河田様? 何をしているので?」

「むがっ!? ごっほごっほ……」

 

 龍兵衛はいきなり声を掛けられたため、喉に詰まってしまった。すぐに水筒の水を飲んでどうにか咽せるのを抑えた。卵は見られてないようなので内心ほっとしているのは秘密だ。

 声を掛けてきたのは軒猿の一人だった。

 

「謙信様が直ちに戻るようにと」

 

 落ち着いた口調で「分かった」と言うと気配が消えた。残念だがどうやら軍師に休憩は無いようだ。

 すぐに城に戻る。門番は先程と打って変わった真剣な表情で警備をしていた。

 評定の間に向かうとすでに主だった者たちは揃っており、龍兵衛は最後になったようだ。 

 

「戻りました」

 

 彼が座ったのを見て、謙信は口を開く。

 

「全員揃ったようだな。どうやら我らが東北に行く理想を叶えるのはまたお預けとなるようだ」

 

 他の勢力が侵攻している。

 しかし、この状態で洒落を言えるのは謙信の良いところでもある。

 緊張感高まる評定の場を少し和ますことが出来れば無駄な力が無くなる。

 そして、この場合相手となるところは考えるまでもない。

 

「武田がまた来たのですね?」

 

 龍兵衛の言葉に謙信が頷く。そして「懲りない御仁だ……」と彼は呟く

 武田が出て来る以上また川中島に行くことになりそうだ。否完全に確定である。

 面倒以外の何物でも無い。ここで武田を叩かないとこれからずっと同じことを繰り返す。

 

「今回こそ雌雄を決する。さもなければ我らはこの群雄割拠の時代に飲み込まれる。良いか? 今度こそ勝つぞ!」

 謙信の号令に家臣団は一斉に頭を下げた。

 

 数週間後、妻女山は川中島の八幡原南側にそびえる山で上杉領から見れば武田領に突出している形で布陣した。道幅が狭く大軍での行動は難しい。

 善光寺から出陣し、そこに敢えて謙信が陣を敷いたのは信玄との決戦に望む意志が強いことを表している。

 さらに主要な将の大半を引き連れて憲政の下にいた上泉信綱から名を変えた上泉秀綱や太田資正にも龍兵衛が頼んで来てもらっていた。

 

「役に立つのはお前もわかっているだろう?」

 

 それには颯馬はもちろんと頷く。

 秀綱の剣術は謙信や弥太郎と互角の勝負を繰り広げて資正と彼女の鍛えた犬は大きな戦力となる。

 

「今回こそはやってやんないとな」

 

 息を巻いているその様を隠すこと無く、龍兵衛は武田の陣がある茶臼山を眺める。

 以前の第三次会戦では謙信の出奔騒動で領内統一に目を奪われてしまい、結局、将軍義栄による仲介を長尾から頼み、信玄が信濃守護の役職を獲得して終わった。

 そして、四回目の対決。歴史通りならば、この戦を契機に歴史の転換を図れる好機である。

 暑い夏の気候の中、逸る気持ちを抑えて彼は颯馬と一緒に陣に戻った。

 布陣してから一週間ほど、しばらくお互いに睨み合いが続いている。この戦の為に武田は海津の城を大きく改修した為、そこを本陣として茶臼山に出陣し、上杉の妻女山を包囲をしていたが、状況が動かないのを見ると一旦海津城に撤退をした。

 おそらく武田は状況を打開しようとするために自ら動いたのだろう。

 二人は一度、自陣へと戻る。それを待っていたかのように謙信が口を開いた。

 

「そろそろ動きたい頃だな」

 

 謙信もこの睨み合いには痺れを切らしていた。

 

「さんせ~い。あたしこういうの苦手なのよね~」

 

 慶次もこの動かない状況に苛ついた様子だ。彼女だけでなく誰もがこの睨み合いでかなり鬱憤が溜まっているようだ。

 突出した布陣のため、兵糧も考えると上杉としては早期決戦が望まれる。

 

「海津城に武田は撤退しました。動くのはもう少し後かと」

 

 弥太郎の意見に皆が賛成する。その最中、謙信の視線が上空に向けられていたことに龍兵衛は気付く。

 

「いつもより、敵の炊煙が多いと思わないか」

「もう動く気でしょうか?」

 

 颯馬達は立ち上がり炊煙を見つめる。龍兵衛はその中でも一番に反応した。

 

「いつもより炊煙が多いですね……動くと見て間違い無いでしょう」

「どのように武田は動きますかね?」

 

 長重に答えるものはいなかったが、全員が頭で考えていた。

 どうやって武田は動くか。

 そして、自分達はそれに応じてどうやったら勝てるのか。

 

「取り敢えず、軒猿と斥候を出せるだけ出して探らせましょう」

 

 颯馬の言葉に謙信は頷き、すぐに兵士を呼んだ。

 

 それから二刻が経ち、夜もすっかり更けた頃、定満、兼続、颯馬、龍兵衛四人の軍師が協議をしている所に段蔵が情報を入手して戻ってきた。

 武田が二手に別れて行動し始めている。

 それを基にどう動くかの協議に結論が出た。武田の別働隊がこちらに向かっている隙に上杉が本隊を叩く。問題は別働隊が降りてくる時にどうするか。

 武田本隊も兵力がかなり残っていることは想像がつく。

 段蔵の報告では、ほぼ半分の戦力を別働隊に投入したらしい。だが、目的は武田信玄の討伐であり、別働隊を食い止める兵士は少なくしなければならない。

 

「別働隊を対する者は一騎当千で統率力に優れている人が適任ですね」

 

 颯馬の言葉に他の三人が頷く。

 候補は自然と絞れてくる。さらに話し合いは続き、誰が残るか決まった。

 そして、軒猿を総動員して探らせた武田の情報は全て上杉に届いた。

 

「長重、資正、義藤はここに残り、別働隊の敵を迎え撃て。この山の道はどれも狭い。二千もあれば十分だろう。残りはここを降りてこのように動く。各々、悟られないように」

 

 各武将の指示の下、兵たちは迅速に支度を整え、半刻もしない内に上杉軍は八幡原に向けて進軍を始めた。

 

「霧が出てきましたな」

 

 親憲が冷静な口調で辺りを見る。霧は濃くなり続け、このままだと味方でも判別が付かなくなりそうだ。

  

「この環境下は逆にいえば、敵に見つかりにくくなります」

「ならば颯馬、どうする?」

「車掛かりの陣を敷きましょう。難しい陣形ですが、上杉軍の精強さなら問題ないかと」

 

 謙信は進言に頷き、すぐに伝令を飛ばした。

 ここで龍兵衛が口を開いた。

 

「仮に敵の別働隊に留守隊が突破された時には素早く退くことが大切です。本陣の善光寺を撤退。集合場所にしていますが、八幡原をどう抜けるかが重要になってきます。判断の早さが大切ですので欲をかかずに敵が降りて来たら直ぐに撤退するのが上策かと」

「信玄の首はどうするのだ?」

 

 信玄を倒さなければ完全勝利とは言えないと謙信は考えている。だが、龍兵衛ははっきりとは言わないが、否定的な考えを持っていた。

 

「信玄を討てば、武田家臣達が何をするかわかりません。最後の最後まで謙信様を付け狙うでしょう。信玄の首を取るならば、武田家臣団の首と共に取らねばなりません」

 

 武田家臣は信玄の下での団結が強く、信玄への忠誠心はかなりのものだ。

 

「この戦で信玄を討てなくても、しばらく武田を立ち上がれないようにすれば、本来の方針通りの戦略を取れます」

 

 あくまでも今回は東北へ進出するために背後を固める戦である。

 外様であるが故に龍兵衛は最も対武田に客観的視点から見ることに長けている。

 

「これは上杉の未来が掛かっています。この戦に躓けば、武田との堂々巡りは終わることは無いでしょう」

 

 この戦に掛ける思いが強い龍兵衛の言葉にはかなりの熱がこもる

 それを感じ取った全員がいつも冷淡なところがある彼を物珍しいそうに見ていたが、彼の意を汲み取り、意気上がる気持ちを抑えるように霧の中を粛々と動いた。

 

 そして、夜明けと共に上杉軍の鬨の声が八幡原に響き渡り、川中島の戦いが始まった。

 序盤は先手を取った上杉軍有利で進んでいる。

 最前線で慶次、弥太郎、景家が敵を斬りまくっている。

 霧は濃いままで、一寸先の味方も見失いそうだ。だが、前線は兼続が指揮を執っている。心配無いと思い、辺りを見回していると顔を青くした颯馬が近付いてきた。

 

「おい、謙信様を見なかったか!?」

「何!?」

 

 龍兵衛も慌てて見回すが、霧でよく見えない。

 

「どうした?」 

 

 異変に気付いた景勝にも事情を説明する。彼女も目を丸くして辺りを見回す。だが、どこにも見当たらない。

 

「颯馬、このことは誰にも言っていないな?」

「当然だ」

 

 それを聞いた景勝が颯馬に謙信を探すように命じた。不安がる彼を安心させるように、龍兵衛が居ると言ってくれたのが少し嬉しかった。

 勇んで出て行こうとする颯馬を呼び止める。少し苛ついているが、構わず龍兵衛は口を開く。

 

「颯馬、謙信様を見つけたのが敵別働隊の到着した後なら先に善光寺へと行ってくれ」

 

 言われるまでも無いと彼は頷きもせずに馬を走らせた。

 謙信が消えたこと自体は全く解決していないが、あの謙信が戦で誤って命を落とすことはないだろう。兼続もそろそろ本陣に戻るはずだ。

 

「龍兵衛、景勝、大丈夫?」

 

 不安そうに景勝が龍兵衛を見上げる。謙信がいない今、敬愛する義母の宿敵に自分が実質的な大将として向かいあっているのだから無理も無い。

 

「大丈夫です。景勝様、自分を信じてください。味方を信じるのでしょう?」

 

 龍兵衛はあの時の言葉を繰り返し使う。

 景勝が大将の顔に変わった。

 そこから景勝は龍兵衛を通じて、適切な命令を出し続けた。

 防戦に徹する敵に突出した者が出ればすぐにそこを叩き、手薄になった箇所を集中的に攻める。

 

「敵と思えば、容赦なく斬れ! 今こそ武田の息の根を止める時だ!」

 

 龍兵衛も景勝の期待に応えるべく、本陣で兵を動かす。師匠の二兵衛から貰い受けた鉄扇で指揮を執る。

 そこにはいつもの平静な雰囲気は無く。自らの純粋に上杉を勝たせたいという気持ちを前面に出ている。

 

「申し上げます! 敵左翼が中央を突こうとしています!」

「兼続に伝令を出せ。今のことを伝えろ!」

 

 龍兵衛の指示を受けた兵が霧の中へと消えて行く。それと同時にぎりっと下唇を噛む。

 

「(さすが武田信玄……簡単にはいかないか)」

 

 内心、舌打ちをしながら鉄扇を握り締める。

 戦上手の信玄が相手では戦術に苦手意識がある自身では分が悪い。分かっていたが、徐々にそれが現れ始め、なかなか決定打を出せない。

 

「申し上げます! 敵の右翼の一隊が出よう出ようという動きがあります!」

「……水原殿に少しずつ退き、こちらに右翼の隊を引きずり出すように伝えろ。いい加減の時に義清殿の隊を背後に回させる。村上隊にも伝令を出せ!」

 

 伏兵を置く余裕が無いと判断し、好機と見て、一気に積極的な指示を出す。

 

「中央を叩け! 景家と弥太郎殿、それから慶次にも伝令だ! 背中を定満殿に任せ、兵を率いて敵陣を突破させろ!」

「どうしてあっちに行かない?」

 

 景勝が聞いてくる。。

 右翼にほころびが出来た以上、武田は信玄がいる中央から兵を出すわけにはいかない。そうなれば後詰めからしか兵を出すしか無い。

 

「中央を救援出来る部隊が無くなってしまうのです。左翼にはすでに兼続が向かっているはずですから、左翼から中央に兵を出す余裕はありません」

 

 右翼に敵の目を行かせる訳にはいかない。

 景勝は納得したように頷くと戦況を深い霧の中に見ようとする。ここまでは順調に来ている。

 だが、上杉の時は有限である。龍兵衛は軒猿に妻女山の情勢をしっかりと見るように命じた。

 命令を受けた三人が一気に突撃しているのが音で分かる。

 主君の宿敵である武田の精強な軍団の中央に斬り込む。

 武人として心が躍らない訳が無い。三人は中央に雪崩れ込み、敵兵を散々に斬って行く様が浮かび上がる。

 

 その姿は上杉軍には兵を鼓舞する舞を踊っているかのように美しく見え、武田軍には死へと導く鬼神のごとく恐怖に見えたという。

 

 霧はまだ晴れない。




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