上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百四十一話 間に合わない気がする

「……左様か」

 

 謙信は読んでいた書状から目を離して帰ってきた龍兵衛と慶次の報告を聞くと少し険しい表情をした。皆川城が片付いた後、宗二は町人故と解放したのは他でもない謙信だ。そして、宗二に是非とも上杉に来て欲しいと頼んだ。宗二はそれを茶会にて出すと言った。謙信は多忙であった為、代わりに龍兵衛と慶次が行くことになったのだが、報告を聞くと宗二という人物は媚びることが苦手なのだと分かる。

 人物を見ることに長けている龍兵衛と慶次二人をあえて宗二の下に向かわせたのも彼女の人となりが如何なるものか計る為のことだ。

 謙信は何となく宗二が京から追放された原因が分かったような気がした。武人に頭を下げることが出来ず、最後は不満を抱かれたのだろう。それが関東のように反骨心の強い源氏武者の血を受け継いでいるという自負がある北条の者には受けが良かったのだろう。

 そして、それは上杉にも同じように当てはまるだろう。秩序を維持する為、きちりと身分の差をはっきりさせるようにさせるべきという考えもあるが、謙信はその考えを好まないからだ。無論、最低限のことをしようとは思っている。

 

「宗二殿は今、何処に?」

「竹林の庵かと……謙信様、もしや自ら出迎えに?」

 

 龍兵衛が不意に顔を上げる。謙信は浮きかけた腰を再び下ろして残念だと表情に表す。

 

「ならぬか?」

「当然です。下野が完全に我らの下に付いた訳ではありませぬ」

 

 抗議が通じる相手ではない。龍兵衛の言に謙信は返す言葉もない。宇都宮と皆川が降ったとはいえ、未だに他の那須などは降伏する素振りを見せない。武蔵に南下する前に地固めをしなければ背後に上杉軍は憂いを抱くことになる。宇都宮に任せても構わないが、時間がかかる恐れがある。

 

「謙信様自ら出向くことは無用だと思いますが……」

 

 龍兵衛が内心でしまったと強く後悔したのと謙信の目が怪しく光ったのは同時だった。

 

「では、なおさら行っても良いのではないか?」

「しかし、これより武蔵に入るというのに総大将がうろうろとされては……」

「さして時間はかかるまい。案ずるな」

 

 確かに半日程度と見れば良いだろう。しかし、慎重な龍兵衛は北条が謙信の不在時に運良く攻めてきたらという予感を拭えない。その為、迂闊な自身の一言によって謙信の腰を上げさせてしまったことに強く後悔していた。苦しくなった龍兵衛は謙信に徐々に押され、最終的に仕方ないと肩を落とすしかなかった。

 

「心配するな。慶次を護衛に付けるから」

「えっ? あ、あたし!?」

 

 隣で龍兵衛の失態をにやにやしながらやり取りを見ていた慶次が目を丸くして謙信の方を見る。今度は龍兵衛が慶次へ密かにざまをみろという目を送る。

 

「お前が一番こういうことに長けているだろう。異論は無いよな?」

 

 謙信は慶次ではなく、龍兵衛の方を向いた。示し合わせたように龍兵衛が大げさにへりくだってみせる。

 

「ええ。素晴らしいお考えでございます」

「あのぉ……あたしの意見は……?」

 

 慶次が二人に行き場の無い手を送るが、二人共にそれを無視して話はとんとん拍子で進んでいくように見えた。

 

「ところでぇ、けんけんは何、見てたのぉ?」

 

 慶次は自身にとって良くない空気を切ろうと無遠慮に謙信の持っている書状を指差す。龍兵衛が慶次に対して憎悪を抱いた視線を送っているのは謙信にも悟れた。謙信はあえて無視して書状を龍兵衛の前に出す。

 

「弥太郎達は関宿城に手を焼いているらしい。苦し紛れに多気に城を築き、小田城を落としたようだが、官兵衛は数に任せて落とすよう言い続けているようだが……」

「よろしいではありませぬか。それしかないのであれば、やむを得ないでしょう」

「それが、いい加減に諸大名が不満を感じているようでな」

 

 謙信から書状を受け取ると龍兵衛の表情が徐々に険しくなっていく。伊達と佐竹、蘆名が東から進んでいく上杉軍に付き従っているが、弥太郎と官兵衛は当初の進軍の躓きをかれらの足並みが揃わなかったことだと断じ、それを良いことに城攻めの先陣や北条軍の精鋭とぶつかるように仕向け、上杉に比較的、犠牲が伴わないように戦を進めているらしい。

 特に佐竹は上杉に完全に臣従している訳でもない為、先の失態があったとはいえ、反発の声がかなり大きくなっているそうだ。弥太郎もさすがに止めることに疲弊しているようだ。

 

「あくまでも合戦の経過報告に過ぎないが、お前ならば如何する?」

「そうですね……放っておいても良いですが……関宿城を上杉の手で落とせば文句を言わなくなるでしょう」

 

 佐竹の扱いをどうするのか。龍兵衛は官兵衛に任せても良いと思ったが、あえて書状を寄越してきたところを見ると余程切羽詰まっているか、はたまた試されているのか。

 

「(どちらにせよ答えるのが無難だよな)」

 

 官兵衛の意思があるかは不明だが、とりあえず、頼ってきたのであれば答えなければならない。龍兵衛は一拍置いてから再び口を開く。

 

「されど、上杉軍だけで犠牲全てを被るのはよろしくないかと。聞けば佐竹と伊達が前線に出ていると聞いております。ならば、蘆名を用いては?」

 

 報告書を龍兵衛は読んだが、蘆名の名前が一切出てこなかった。おそらく、伊達と佐竹の影で前に出る機会が無いのだろう。ならば、功を上げる機会を与えるようにするべきだ。

 

「ふむ……」

「無論、弥太郎殿にも兵を出すように命じるべきでございます。これで上杉も関宿城を落としたことになり、佐竹も文句は言わなくなるでしょう」

 

 後はあちらの上杉軍を率いる将達の弁舌次第だ。幸い、弥太郎や官兵衛も切れ者。いざとなれば親憲の手助けがある。

 

「(これぐらいのこと、孝さんがわざわざ書状を寄越さずとも……もしかして、弥太郎殿の独断か?)」

 

 龍兵衛は頭の中で色々と考えてみるが、このことに関しては答えが出てこない。そもそも、官兵衛は師匠というよりも年上の友達という言葉がよく似合う間柄で、目の前にある難題はどこかにいるような輩よりも自身で解決しなければ気が済まない性格である。時折、師匠面してくることもあるが、本来の性格は相変わらずの子供だ。

 やはり、弥太郎の独断だと龍兵衛は考えた。その途端、官兵衛の身に何か起きたのではないかという嫌な予感が龍兵衛の背中を悪寒として走ってきた。あの天地がひっくり返ったり、冬の川に飛び込んでも病気を得ないであろう官兵衛がはたして病にかかるだろうか。

 

「どうした? 顔が引きつっているぞ」

「いえ、弥太郎殿らも苦労されているなと思って……」

「そうだな……されど、我々もこれよりが正念場だ」

 

 あまり心配していても致し方ない。また、口に出して周りを心配させ、目の前のことを疎かにさせることもやってはいけない。官兵衛に最初に教わったことがそれだった。故に、忘れることはなく、今も謙信を誤魔化して自身の抱く心配事を胸に強くしまい込む。

 今度は罪悪感が胸を襲う。爪楊枝でちくちくと刺される程度だが、早く自身を見つければそれも収まるのだろう。

 

「(いい加減、本腰を入れるべきか……)」

「えいっ♪」

「痛てえぇ!?」

 

 龍兵衛が眉間に皺を寄せていると背後から慶次が首筋に噛み付いてきた。しかも、猫や犬のように犬歯を剥き出しにして。驚いた龍兵衛は声を裏返して叫んでしまった。

 

「離せ! おい!」

「んーんんんー♪」

 

 噛みながらも慶次は楽しそうにして、じゃらされている猫のように逃げ惑う龍兵衛から離れない。それが腕を掴まないでずるずると引きずられているのだから顎の強さが良く分かる。

 

「凄いな……よくあれほどまで腕を使わず……」

 

 謙信までおとがいに手を当てて龍兵衛を無視して慶次に感心し通しである。

 

「謙信様ー!」

「ん? どうした?」

「『どうした?』じゃありません!」

 

 助けを求める声にきょとんとしている謙信は使えないと思った龍兵衛は慶次の袖を力任せに掴む。

 

「よっこいしょお!」

 

 強引に慶次を持ち上げると適当に机や椅子が滅茶苦茶にならないところにぶん投げた。

 

「っとっとぉ……」

 

 しかし、慶次は元より武芸の達人である。簡単に身体を反転させると手を上手く使っていとも簡単に体勢を整えた。

 龍兵衛は噛まれたあたりを触ってみると指で分かる程、しっかり歯形が付いている。意味が無いと分かっていながらも龍兵衛はそのまま首をかく。消えるのはいつになるかなと思いながら投げ飛ばした慶次の方を向く。

 やはりと言うべきか見事に服が乱れていて、豊満な胸は露わになって見えるところがしっかり見えている。

 

「とっとと服直せ」

「やぁん、龍ちんの助平」

 

 慶次は顔を赤らめ、身体をよじらせてみせるが、龍兵衛は何ら劣情を抱くことなどなく、呆れたと溜め息をついて謙信の方を向く。

 

「謙信様も笑ってないで助けて下さい」

「いや、悪いが、面白かったのでな。久々にそんなに動揺するお前を見た」

 

 龍兵衛も久々に謙信の茶目っ気を見た気がする。肩を落とす龍兵衛に謙信の軽い笑みの声が聞こえてくる。完全に見て楽しんでいたと言っているようなものだ。龍兵衛は肩を落とすとそのまま近くの椅子に腰を落とす。

 

「ははっ、すまなかった。少し私もやり過ぎた」

「まだ顔に笑い皺が寄っているのですが……」

「……やれやれ、そこまで凹むことはあるまい」

「……申し訳ありません。自分も少々やり過ぎました」

  

 わざとらしく凹んでみせたのは少し度が過ぎたようで謙信も興が冷めたように表情を普段通りの清廉な表情に戻った。それを見た龍兵衛もばつの悪そうな表情で姿勢を直す。

 

「宗二殿の件は私も出向くが、お前達二人の意見を通す。まだ正式に決まってはいないが、宗二殿を上杉家に迎え入れることが出来た暁には、彼女を茶道指南役にする」

「よろしいかと。京では数寄によって大名達が対立することもあります。今後、それを回避するには知識が必要でございます」

 

 龍兵衛は安堵したと息を吐く。さすがに謙信は適応力がある。後は周りがとやかく言わないように目を凝らすことだ。龍兵衛のような外様が人材を適用したとなれば、また何か言ってくるような者が現れるかもしれない。

 

「(出陣前にも散々能元に陰湿なことされたし……)」

 

 筆を隠されたり、資料をどこかに持って行かれたりと能元は碌なことをしていない。幸い、感づいた慶次や兼続によって大体のことは穏便に済んでいる。

 兼続から謙信に言ってみてはと勧められたこともあったが、やめておいた。面倒なのもあるが、能元以外にも不満を持っている者達が譜代や楊北衆の中にまだいるかもしれない。

 さすがに国を割るまでとは行かずとも家臣内での派閥化が進むのは決して良いことではない。

 

「さて……私も茶の湯のことを学ばねば……龍兵衛みたくならないように」

「えっ……?」

 

 謙信の言葉で龍兵衛は内で考えていたことを一旦、頭の片隅に追いやった。

 

「な、なんで……そのことを……」

 

 龍兵衛は決して宗二の茶会での失態を言わずにせっせと報告だけをした。故に、謙信が知る由も無いのだ。しかし、龍兵衛は何かを思い出したように顔を上げると着物を直して横に立っていた慶次を恨めしい目で睨む。

 

「慶次……」

「龍ちんが悪いのよぉ。憚りに行きたいから先に行ってくれなんて言うからぁ」

「だからって言う奴があるか!?」

「龍兵衛。慶次だぞ」

 

 謙信の言うとおり、慶次があのことを面白おかしく言わない訳がない。ましてや、意趣返しの機会を窺っていたのであればなおさらだ。仕方ないと龍兵衛は肩をすくめて諦める。復讐の機会を考えながら。

 

「さて、龍兵衛。我らはこれよりどう進む?」

 

 答える前に龍兵衛は辺りを見回して謙信に尋ねる。

 

「景勝様と兼続は?」

「景勝自らの願いで陣中を回っている。随分と気が入っているようだ」

 

 謙信はその光景を思い出したの二人から目を逸らして嬉しそうな笑みを浮かべる。母性に溢れた笑みは男のみならず、女も一瞬、目を奪われる程だ。思わず、龍兵衛も慶次も小さく声を上げた。

 

「最近、景勝もますます頼もしくなってきてな。この前も……」

「先ずはぁ……下野を押さえないとねぇ」

 

 まずいと悟った慶次がすかさず真面目なことを言って謙信の口火を切る。良くやったと龍兵衛は内心で感謝しながら続ける。

 

「最上の援軍が既に上野に入ったと聞きました。かれらと合流した後、長野殿を再び下野へ向かわせれば良いかと」

 

 話を見事に切られた謙信は不満げだが、龍兵衛と慶次が本気の目で見てくる為「そうだな」と言って関東を描いた地図に目を向ける。

 下野を押さえるといよいよ武蔵に入る。小田原城への道は武蔵を制圧してからの話になる。故に、一つ一つの城をしっかりと落としていかなければならない。その中でも重要な城と言える城を謙信は指した。

 

「忍城は必ず落とさねばなるまい」

 

 武蔵に入る入口にある忍城は関東へと下りる際に必ず必要となる場所である。かの地は中山道の合流地点ともなっている為、交通の要所としても拠点として欠かせない。

 

「その前に館林城に入ることです。下野からの道も絶たれ、北条派の将を押さえ込めます」

「そのことはお前に任せる。いつまでも上野に構ってはおれん」

 

 謙信の言葉に龍兵衛は特に異論を唱えずに続ける。

 

「忍城に籠もる成田氏長はかなり屈強な者と聞いておりますが、館林城の由良とは縁戚関係と聞いております」

「なるほど。由良に成田を口説かせるのか」

 

 あえて口にしないが、成田が簡単に折れてくれるとは思えない。上杉に対する成田への敵愾心はかなりのものだと聞いている。謙信も知らない筈がない。あえて、由良を使おうとしているのは兵を休ませる為の時間稼ぎにしか過ぎない。

 

「(その間に、俺はやることをしないと……)」

 

 龍兵衛は表情を人知れず険しくさせる。忍城といえば豊臣軍の攻勢に小田原城落城の後も怯まずに守り続けたことで知られる名城。後に関東七名城の一つに数えられたことでも有名だ。謙信ならば間違っても油断や指揮系統に乱れを生じさせることは無いだろうが、龍兵衛はどうしても気になってしまう。

 

「ともかく、兼続達が戻り次第、すぐにでも話を進めて由良を呼ぶべきかと」

「うむ……」

 

 謙信はおとがいに手を当て、考え事を始めた。何か気になることでもあったのだろうかと龍兵衛は尋ねてみる。

 

「いや。武田がやけに静かだなと思って」

 

 龍兵衛と慶次は納得したと小さく頷く。弱体化し、満足に動けない状況になっても宿敵は宿敵なのだ。

 

「おそらく、徳川や今川が怖いのでしょう。越後を攻めるにしろ、上野に出張ってくるにしろ、甲斐が空くのは目に見えております」

 

 謙信はどこか納得がいかないようだが、頷いてくれた。沈黙がしばらく続いたが、それを嫌った慶次の言葉が始まりだった。

 

「かっつん達遅いわねぇ」

「ほぼすれ違いであったからな……そうだ。待っている間で良いから聞いてくれ。先程も景勝がな……」

「……馬鹿やろう」

「ひぃ~ごめんなさぁい……」

 

 小声で龍兵衛は慶次を睨み、足の甲をげしげしと謙信に見えないように蹴る。さすがの慶次も反省しているようで、素直に龍兵衛からの罰を受けている。

 

「(景勝様ー兼続ー早く帰って来てー!)」

 

 龍兵衛は心の中で叫ぶとそれとなく隣の慶次を見る。慶次も同じような気持ちを抱いているのが丸分かりな表情で話を聞いている。

 

「(それにしても、本当に孝さんどうしたんだろ?)」

 

 

 

 

「ぶぇくっしょい!」

「仮にも女子である者がそのような汚いくしゃみをするな」

「誰か噂してる……」

 

 出てきた鼻水をすすりながら官兵衛は入っていた布団の中に顔の半分だけ出して潜り込む。

 

「しかし……」

 

 陣中に響き渡るような景綱は盛大な溜め息を吐いて地図を閉じる。

 

「まったく。関宿城を落とす為とはいえ、軍師が自ら城の弱点を見つけに陣を出るか?」

「探すのには自信があったんだよぉ……」

「そういう問題か!」

 

 景綱の正論に官兵衛はがっくりと肩を落とす。関宿城がなかなか落ちないことに業を煮やした官兵衛は自ら城の弱点を探さんと歩いて関宿城周辺を回った。

 関宿城は周辺が利根川と江戸川の合分流する地点の微高地に築かれ、水に守られた要害であるとともに古くから水上交通の要衝とされてきた。

 それ故、水源を断つことは不可能であると考えた官兵衛はあちこちを回ってどこからなら城内に入れるかを探った。

 

「収穫は?」

「無し。全く骨折り損だよ」

 

 景綱は官兵衛よりも大きな溜め息を吐く。必死に探した結果が足を滑らせて冬間近の川にすってんころりんでは褒められたものではない。

 しかし、歯痒い官兵衛の思いも分からなくはない。冬が近い今、小田原城への道を急いで切り開かなければ兵の士気はますます下がるばかりだ。

 

「結城は何をしているのだ?」

「出陣の準備が遅れているだとか、主の晴朝が病で養子の秀綱の統治が上手く行ってないとか言ってる。戦況を見据えているんだろうね」

「となると、北条の西の要であるこの関宿城を落とせば……」

「間違いなく結城は上杉に加わる」

 

 互いに窓から見える関宿城へと目が向かう。

 

「ならば、早く落とさねばな。関東の者達の気が変わらぬ内に」

 

 景綱の言葉に官兵衛は言われなくても分かっていると何も反応を示さない。

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