関宿城を落とすこと。それは北条の東側の守りをほぼ完全に崩すことを意味する。故に、それはかなり難しい戦になるのは必定だった。関宿城には籠もる北条綱成、元々、関宿城に詰めていた多目元忠という北条の勇将が揃っている。
本来ならば無理せずに戦わないに限るが、利根川水系等の要地であり、関東の水運を押さえる拠点である以上、落とさなければならない。
「ま、分かっているから北条家きっての将達が揃っている訳ね」
官兵衛はどこか抜け道でもないかと探っていると思いっきり滑って転んで足を故障した。おかげでしばらくは絶対休養を言い渡され、杖を付くか籠に乗っての移動を余儀なくされている。
おかげで弥太郎は知恵袋を失い、再びとやかく言ってきた佐竹と伊達に頭を悩ませることになった。官兵衛に無理をさせたくないという心遣いから思い切って謙信の下に書状を寄越したのだが、官兵衛は知る由も無い。
「さてと……どう攻めたもんか……」
「さてと……どう動けないようにしようか?」
官兵衛は驚いて後ろを振り返る。気配がなかったにもかかわらず、景綱がすぐ後ろに立っていた。官兵衛は脅かすなと威嚇した目を向ける。
「私は別に気配を隠していた訳ではない。気付かない程、背後を警戒していなかったお前が悪い」
景綱は悪びれもせずに隣にやってくる。
「まったく。昨日も小島殿に怒られたばかりだろう」
「うっさいな~大したことないって言ってるじゃん」
「これでもか?」
景綱は持っていた扇子で包帯が巻かれている官兵衛の足を突っつく。
「いたたた!」
途端に官兵衛は顔を真っ青にする。支えている杖がふらふらとして転びそうになったが、景綱の救助によって辛うじて転倒は免れた。景綱はそら見ろと笑っている。官兵衛からすると転倒して悪化する可能性もあったのだから笑い事では済まない。
「そんな怪我をして陣中をうろつく官兵衛が悪いのだ」
睨みなど利かぬと景綱は涼しい顔を崩さない。官兵衛は何か言い返したいと食ってかかったが、怪我をしている手前、官兵衛が何を言おうと景綱の方に利が多い。
「……陣屋に戻る」
「それが最善だ」
ふてくされる官兵衛を景綱はからかった詫びに付き添ってやると一緒に陣屋に戻る。
「寒い……」
「冬が近いからな。雪が降るのも時間の問題だ」
官兵衛は風を受けて身体を縮こませる。一方の景綱は平然として曇っている空を見上げる。てっきりすぐに冬がやってくると思っていた二人だが、寒くなってから天候は気紛れを起こしたのかゆるりゆるりと冬の気配を漂わせているに留めている。
しかし、天候は気紛れなもの。いつ気分を変えて冬を激しくさせるか分からない。なるべくなら雪が降る前に小田原城へ向かいたい。
本来ならば関宿城攻めの際に結城が背後から攻める手筈になっていた。しかし、結城は当主の結城晴朝の病気を理由にやって来ない。実際には上杉軍の進軍が思ったよりも遅々としている為、様子を見ているのだろう。
「しかし……結城も何故、今になって慎重に……」
北条に対してずっと敵対関係を貫いてきた結城だが、仮に上杉にも付かずに曖昧な態度を取れば、ますます立場が悪くなることも承知の筈。景綱はおとがいに手を当てながら呟く。
「案外、結城晴朝の容態が悪いのが本当なのかもね」
「主の病が動揺を誘ったか。しかし、結城の軍を実際に率いているのは晴朝の養子である結城秀綱。明らかに様子見だな」
「昨日も言ったけど、関宿城は一気に攻めることが出来ない城なんだから」
龍兵衛から戦前に聞いた意見。逆井城と関宿城を攻める時は決して無理をしてはならない。要害の中でも群を抜いている二つの城を強引に攻めては後の災いとなるだろう。
その見立ては正解で、官兵衛が見ても本物の城である。幸い、綱成が逆井城の際は飛び出してくれた。しかし、関宿城ではさすがに一度起こした失態を二度はしないと決めているのか出てくる気配がない。
「いっそのこと、小田でも攻める?」
「あのような小者は尻尾でも引っ込めておけば良い。現に佐竹が脅しをかけたら従うと言ったろう」
「その割には兵を送って来ないんだけど」
「だからと言って、攻めて何の益がある?」
もっともだと官兵衛は溜め息を吐く。
小田が来れば少しは強攻に切り替えても良いが、如何せん数が少ない為、戦力になるのか微妙である。そもそも、当主の小田氏治が戦下手で有名である。戦力として期待する方がおかしい。
「里見の方は?」
「結構気張ってるらしいよ。海賊衆を使って色々と北条を脅かしているって」
「北条の対応は?」
「あまり出来ていないらしいよ」
官兵衛は景綱の表情を伺う。景綱は何か面白いものでも見つけたような笑みを浮かべている。北条は里見の差し金である海賊衆の襲撃を前々から受けていたが、対応が今までは出来ていた。出来なくなってきたのは大分、力が無くなってきた証である。
「あ~関宿城さえ落とせればな~……」
「その前に官兵衛は怪我を治せ」
いつの間にか呼び捨てで呼び合う仲になっている二人だが、そうこう言い合っている内に官兵衛の陣屋に付いた。
中に入って官兵衛は怪我をして用意された椅子に座るとすぐに溜め息をついた。急がねばならない時、城をなかなか落とせない焦燥感、足並みの揃わない上杉軍。苛々の募る条件が上限を通り越して呆れとなって官兵衛に返ってきたのである。
「いっそのこと蘆名でも使うか」
官兵衛は両手を頭の後ろに組んでぶっきらぼうに言った。景綱の方は何も言わない。伊達の人間である景綱にとって今まで初戦前の失態をずっと蒸し返されてきたのだからここらで他の家に被害を被ってもらっても別に構わないのだろう。
官兵衛は表情を変えていない景綱の内心を察する。上杉の配下の大名で大きな顔をしている為には力を保持していなければならない。政宗が佐竹といざこざを起こしたので戦によって徐々に戦力が削がれている。軍を再編する際に金がいる。それは徐々に財力が削がれていくことに繋がる。
また、蘆名は伊達と佐竹の影に隠れてさほど戦の損害を被っていない。上杉の配下で最も力を保持している大名の一つなだけに蘆名にもそろそろ被害を被ってもらいたいと景綱は思っている筈だ。
「何ならあたしが蘆名の所に行っても良いんだよ?」
「私は何も言っていないが」
「あたしだって人の考えていることを察するぐらい出来るよ」
にやつく官兵衛は足を引きずって景綱に近付く。
「何のことやら分からんな」
「うわっぷ……」
表情を覗き込むように下から見上げてきた官兵衛の顔を景綱は手で押さえ込んでぐいと離す。
「ともかく、私が蘆名の下に向かうのは得策ではない。よろしく頼む」
「素直じゃないな~これ以上、大きな犠牲が出ないことに感謝するべきじゃない?」
「我々は上杉様の為に粉骨砕身励んでいる身だが?」
強情だと官兵衛は肩をすくめる。本心を明かすようなことを軍師はめったに行ってはならない。同じ立場故に官兵衛もあえてこれ以上、何も言わずに杖を支えに立ち上がる。
「じゃ、早速……」
「そんな足で行くよりも、小島殿か水原殿に頼めば良いものを」
「あの二人に会うんですけど……」
「おや、失礼。てっきりまた、懲りずに転んでしまうのではと心配でな」
「あたしの身体はあたしが一番知ってますから~」
官兵衛は盛大な舌打ちを景綱に向かって浴びせると痛む足を引きずりながら老人のようによろよろと陣屋を出た。
「佐竹が前線に?」
「はっ、蘆名様が前線に出ると申したところ、急に……」
夜になって事態が急変した。蘆名の下へ親憲を向かわせて関宿城攻めの先陣を切って欲しいと頼み、すぐに了承させた。後は、明日を迎えるだけと床につこうとした途端だった。
佐竹は伊達同様に今まで初戦時のいざこざを起こした責任を負う形で何度も戦の先陣を任させられ、上杉のやり方に不満を一番募らせている。昨日、今日も不満げに義重が弥太郎や官兵衛自身と散々揉めていた為、今となっての手の平返しには官兵衛も驚くしかない。
「訳を話した?」
「いえ。ただ『憂さ晴らしをしたいだけだ』と」
「は? なにそれ?」
思わず、素っ頓狂な声を出してしまう。
何か北条軍との間に因縁でもあったかと考えたが、今まで佐竹と北条は関東の覇権をめぐって競い合ってきた間柄。因縁など有り余る程だろう。しかし、佐竹義重という人物はそういった私怨などとは無縁だと官兵衛は思っていた為、どうしてなのだろうと首を捻ってしまう。
「本当に良いのかな?」
「よろしいのでは?」
思わず兵に聞いてしまった。兵の方も思わず答えてしまった。官兵衛は頭を音がする程、強くかきながら口を開く。
「じゃあ、もう一回、佐竹の陣に向かって。明朝、夜明けと共に蘆名と一緒に攻城するように」
「はっ」
兵が出て行くのを見届けて官兵衛は横になる。明日、佐竹の真意を正すことも必要だが、関宿城を落とすことこそが官兵衛に課せられた重要な問題である。
最終的に最も上である上杉に対して利益が返ってくればそれで良い。佐竹と蘆名。精鋭を揃える二つの家ならばと期待してしまうが、関宿城の北条軍もまた精鋭揃い。
「見物だ……」
官兵衛は小さく呟くとそのまま意識を手放した。
耳をつんざくような音と共に官兵衛が再び目を覚ましたのは一刻程経ってからのことだった。
「申し上げます! 北条軍、蘆名軍に夜襲を仕掛けた模様」
「あー……やっぱり」
あるかもしれないと考えていた官兵衛は警戒しておくように蘆名に言っておいた。
「如何致しましょう?」
「戦況は?」
「混乱を極めている由」
官兵衛の表情がかなり強張る。驕りがあったのか、明日、城を攻める為、英気を養っていたのか分からない。しかし、警戒していなかったというのはどういうことなのか。
「とりあえず、援軍を出して撃退。佐竹にもこのことは伝えてあるよね? じゃあ、水原さんをここに呼んで」
手早く兵に指示を出すと官兵衛は天を仰いだ。ただでさえ、逆井城の時もそれなりに犠牲を出したにもかかわらず、ここでの夜襲の被害を蘆名とはいえ、直に受けるのは痛い。
行き場のない苛々を誤魔化す為、官兵衛は上を向いたまま息を吐く。音だけが空しく響き、官兵衛の中に溜まっている鬱憤がますます雨水を受けた川のように増えていく。
自ら出向きたいところだが、足が寒さのせいかより痛みを官兵衛に伝え、動きを止める。舌打ちをして官兵衛は座り直すと貧乏揺すりをしながら親憲が到着するのを待つ。
「黒田殿。お待たせ致しました」
「おっそい!」
八つ当たり気味に親憲を怒鳴ったが、親憲は特に気分を害した様子も見せず、むしろ、笑みを浮かべた。
「ははっ、申し訳ありません」
親憲の態度を見て、官兵衛はますます苛々が募ってきた。もう少しで血管が切れそうになっているのを必死に堪えて親憲と対面する。
「今すぐ手勢を率いて関宿城に向かって」
「よろしいのですか?」
親憲の表情が少し険しくなったが、構わず官兵衛は続ける。
「関宿城に伏兵がいたとしても火であぶり出せば良いでしょ。川の浅瀬は探した所を通って」
敵が動いたのであれば、逆手を突いてこちらも攻勢を仕掛ける好機でもある。蘆名軍に被害が出ても関宿城を落としてしまえばそれで十分な戦果となる。
「頼む」
「承知」
親憲が出て行くとすぐにすれ違い様に伝令が飛び込んできた。
「佐竹様が蘆名様と合流。北条軍と衝突した由」
「早っ」
佐竹にも夜襲の警戒を促していたが、かれらはきちんと警戒を怠っていなかったようだ。それにしても早い行軍だと官兵衛は思った。
「それが、佐竹義重様が直々に少数で蘆名様と合流し、真壁様らが後から付いて行っているような状況だと」
「この夜によくそこまで分かったね」
目を丸くする官兵衛に伝令兵は偶然、佐竹の将と鉢合わせ、事情を事細かに聞けたのだという。更に伝令兵によると北条軍は綱成が再び陣頭指揮を取っているらしい。
「それは敵の情報じゃん。どうし……てって言わないでも良いか……」
伝令兵も官兵衛の呆れた声に垂れた顔に苦笑いを作る。親憲以外にも当然ながら綱成の戦の際に戦場の隅々に響き渡る声は上杉軍のほとんどが聞いていた。
「戦況は?」
「互角かと」
「小島殿に急ぐように伝えて。いざとなったら先に騎馬を進めても良いって」
官兵衛は杖を頼りに立ち上がって外に出る。星が見えるが、月は見えない。夜空を見上げ、官兵衛は盛大な舌打ちを鳴らす。月の出ない日は絶好の夜襲日和である。そのことは軍師でなくても知らなければならないことだ。
官兵衛自身に武の心得があり、足が何ともなければ蘆名に何があったのか駆け出して直接言ってやりたいところである。
しばらく大人しく待っていると闇の中から兵が出てきた。
「申し上げます。水原様の隊、北条軍により撃退された由。現在、佐竹様の陣へ向けて撤退している模様」
「伏兵いたか~……」
官兵衛からすれば裏をかいたつもりだったのだが、関宿城に全て読まれていたようだ。
「夜襲の方は?」
「小島様、佐竹様の奮戦で徐々にこちらに形成が傾きつつも、北条軍の士気は高く、混戦となっております」
「水原殿に態勢を立て直したら北条軍の側面を突くように伝えて。あと、うちの陣から三百の兵を援軍に出すから同じように側面を……」
「申し上げます。川沿いに北条軍が現れ、我が軍に接近」
「どうせ、偽兵。落ち着いてそのまま戦を続けて」
しれっと言ったものの、官兵衛のように戦況を見る暇など実際に戦っている者にはない。間違いなく混乱が波及し、全軍に響くだろう。伏兵に見せかけた偽兵は実に夜襲には効果的である。
「さすがに多目といったところか……」
関宿城の北条軍を率いる多目元忠のことは官兵衛も知っていた。また、向こうもこちらのことを知っているようだ。
「撤退したいけど……それも読まれているとなると……」
撤退するであろう岩付城方面にも何か仕掛けを置いている可能性が高い。ならば、出たとこ勝負に出るしかない。
「誰か!」
「はっ」
「佐竹に関宿城へ真っ直ぐ向かうように伝えて。蘆名は態勢を立て直すことに集中。可能なら佐竹と共に北条軍に突っ込むように」
戦況が鬨の声によって大まかに聞こえてくる。まだ、戦えると判断した官兵衛の博打。果たして丁になるか半になるか。
「どんと来いってんだ」
それに官兵衛にはまだ勝算があった。最後まで取っておいた切り札。これこそ佐竹と蘆名の突撃よりも分が悪い賭けだった。
「伊達に伝令を。蘆名を援護しつつ、川沿いから北条軍を各個撃破するように」
「はっ」
「あ、待って!」
飛び出していく兵を止めると官兵衛は近くによるように手招きする。近付いた兵の耳を強引に摘まむと官兵衛は耳元で低い声を出す。
「片倉殿に出ないとどうなるか分かっているよねって伝えて」
兵は自身が脅された訳でもないのに顔を青くして去って行った。また、傷が増える。伊達軍は疲弊するだろうが、官兵衛は関係無いことだと割り切る。最後に上杉が勝てれば良いのだから。