上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百四十三話 いの一番は畏怖

 景綱は夜空を見上げ、夜襲が今宵あるだろうと予測していた。政宗もまた、景綱の意見を聞き入れ、警戒を強くした。

 そして、草木も眠る丑の三時に差しかかろうとする刻限に北条軍はやってきた。幸いなことに北条軍は伊達軍の陣ではなく、明日の城攻めで先陣を務める予定だった蘆名と佐竹に襲いかかっている。

 好都合だった。伊達軍は今、傷が深くなっている。緒戦の北条軍との野戦は数の差で上杉軍が勝利したものの、先鋒の伊達と佐竹は北条綱成の率いる精鋭によってかなりの損害を受けた。関宿城攻めでは再び先鋒を務めることになっていたが、官兵衛の配慮のおかげで先鋒を支援する為の所に陣を敷いた。その為、夜襲を直接受けずにそのまま静観出来る場所にいることが出来た。

 しかし、そのままという訳にも当然いかなかった。

 

「黒田様より伝令。直ちに兵を進め、川沿いを進軍し、蘆名様をお救いするようにとのこと」

「やれやれ。このままではまた我々から損害が出る」

 

 政宗は他人ごとのように先鋒の蘆名と佐竹を罵倒する。動かないつもりらしい。景綱は何か言おうとしたが、止めた。景綱自身もここは動かない方が伊達の兵を失うことはないだろう。現に上杉軍も出陣しているようだ。伊達は上杉軍の本陣に敵が入らないようにすれば良い。

 

「まだ何かあるのか?」

 

 政宗は兵がいつまで経っても去らないのを見て、訝しげに尋ねる。

 

「それが……黒田様から片倉様に言伝がございまして……」

「私に?」

 

 兵は景綱に近付いて小声で景綱に先程、官兵衛から言われたことを伝える。

 

「出陣しなければ、どうなるか分かっているのか? と……」

 

 景綱は政宗を一瞥すると兵に分かったと言って下がって良いと出て行かせる。しばらく呆然と兵の去っていった方向、上杉軍の本陣を眺めていた景綱だが、政宗が背後から「どうした?」と声をかけてきた。緊張感の無い声に景綱は少し呆れたが、事情を話せば顔を青くするだろうと踵を返す。

 

「このままだと我々は再び先鋒を押し付けられ、百万石は無くなるぞ」

「なっ……」

 

 案の定、政宗は景綱の思った通りの青い顔で立ち上がる。予想通り過ぎて景綱は肩をすくめる。一方、政宗は気が気でないようで早く説明しろと景綱を強く睨んでくる。

 

「落ち着け。ここで出陣すれば良い。それだけのことだ」

「何故だ? 我々は今の段階で攻める理由は無いだろう」

「それこそ、黒田殿の思う壺だ」

 

 景綱が北条軍ではなく、官兵衛の名前を出したことで、政宗も事を悟ったのかますます顔を青くする。官兵衛の狙いは間違いなく、伊達軍が北条軍を迎撃せずにいたという消極的な姿勢によって上杉軍は勝てた戦に負けたという言いがかりを付けさせること。伊達の百万石の話は上杉の上層部の中で知らない者などいない。冷静に考えて、未だに治めている国全体の石高が三百万石程度の上杉の中で百万石を欲するなど規格外以外の何ものでもない。

 謙信自身が政宗のような規格外の器量を持ち合わせている為に許されているのである。現実重視の軍師達はそれを面白く思う訳がない。上杉軍を守ったことを逆手に取られるように仕向けることで伊達軍の戦力を少しでも削ごうという算段だろう。

 

「(あざとい……)」

「ちっ……黒田の奴、汚い手を……」

「だが、ここで乗らなければ伊達百万石の道は閉ざされるぞ」

「分かっている! すぐに成実を呼んで来い!」

 

 景綱は政宗に蹴り出されるように陣を出る。

 

「やれやれ。人使いの荒い……」

 

 昔から人使いの荒さというか、頭に血が上ると面倒になるというか。

 

「(変わらないな、そのあたりは)」

 

 景綱はすぐに懐かしさに現を抜かしている場合ではないと頭を振って成実の下に急ぐ。その間、景綱は官兵衛のことについて考えを強くしていた。

 あのあどけない少女のような顔と性格で最初は景綱も本当に軍師で、龍兵衛の師なのかと首を傾げたものだ。しかし、立てる策や考えは全て合理的で、上杉や他の配下の大名の軍師達とは異なっている。弟子の龍兵衛も時折、斬新で面白いことを言ってくるが、面白いと思っても恐怖を抱くことはない。龍兵衛の場合、何となく見合っていると景綱は感じていた。

 しかし、官兵衛の場合、あどけなさもまた武器になっているのか分からないが、何故か背筋を凍らせる時がある。生来の習性なのかは不明だが、手強いと思わせるのだ。本人が面白くやっていることを他人へどのような影響を与えているのか官兵衛はおそらく知らない。

 伊達の野望の如く、人の思いを道端の石ころを蹴るように意図も簡単に蹴ってしまう。景綱は恐怖を感じながらも今、考えても仕方ないと頭を小さく振る。

 

「成実、政宗様がお呼びだ」

 

 景綱はすぐに陣中で夜襲の知らせと共に兵に指示を出していた成実を見つけ、一緒に再び政宗の下へと戻る。

 

「小十郎、顔色悪いよ」

「む。そうか……」

 

 成実にまじまじと顔を覗かれ、景綱は慌てて誤魔化すように首を傾げる。

 

「何かあったの?」

「既に起きているだろう」

「む~怪しい……」

 

 景綱は肩をすくめながらも無駄に今日だけ鋭い成実に冷や汗を流す。とはいえ、頭の切れも切り替えの早さも景綱自身は成実には負けないと自負がある。

 

「とにかく、今は夜襲に対する指示を政宗様から仰ぐことが必要だろう。行くぞ」

 

 せっせと本題に話題を強引に持って行って景綱は成実よりも先に歩を進めようとする。成実はその後ろを慌ててついて来た。まだ、疑問は残っているだろうが、おそらく戦になればそれさえも忘れてくれるだろう。

 

「戻った」

「成実、すぐに兵を率いて関宿城に行け」

 

 政宗は不機嫌だと言葉よりも雰囲気で語っているようだった。控えている兵を景綱は一瞥すると政宗との距離をかなり取っている。

 

「えっ、関宿城攻めに行かないんじゃないの?」

「変更だ。色々とあってな」

 

 成実に今、難しい話をしている暇もないと政宗は早くしてくれと口調まで早くなっている。それが成実の何かに触れたらしい。成実は政宗の顔を訝しげに覗き込んでいる。

 

「ん~……気になるけど……」

「早くしないと、官兵衛からお前が叱られることになるぞ」

 

 政宗が警告すると成実もそれだけは嫌だと思ったのだろう。せっせと陣幕を出て、配下の者達に声を張り上げてあっという間に出陣して行った。

 

「単純で助かった……」

 

 政宗は疲れたと両膝に両肘を置いて盛大な溜め息をつく。何か言ってやろうかと景綱は思ったが、止めた。ここで言っても政宗はふてくされるだけだろう。放っておいて景綱も陣幕を出て、戦が行われているであろう方向を見やる。

 

「片倉様」

 

 しばらく松明や微かに見える旗のの動きで戦況を見ていた景綱だが、声をかけられ、振り返る。そこには赤に近い髪型をした知る顔が立っていた。

 

「支倉か。何かあったか?」

「いえ、私も出なくてよろしかったのかと」

 

 優しい性格の常長は上杉に忠誠を誓った以上、勝利をしかと納めることこそが重要だと思い、もどかしい気持ちになっているのだろう。

 

「良い。お前は後から出陣する綱元に変わって政宗様の警護を頼む」

 

 納得したのか分からない表情で常長は頷く。伊達軍が混戦状態の中に突っ込むことを憂いて、自らも出向きたいと思っているに違いない。

 

「心配ない。関宿城を落とすことに我々は集中すれば良い」

「それで、真に政宗様の思いを成すことは出来るのでしょうか?」

 

 戦況に目をやっていた景綱は驚いて隣に来ていた常長を見る。常長の目ははっきりと景綱の目を向いて離さない。このあたりは何度も上杉との交渉や他国との干渉に関わってきただけあって、引き下がらない気持ちがありありと伝わってくる。

 

「思い、とは?」

「伊達家は真に百万石を得ることが出来るのか。という意味にて」

 

 景綱は聡いという思いと共に目を細める。

 

「どういう意味だ?」

「いえ。ただ、このまま上杉様の下で政宗様は思いを叶えられるのかと……」

 

 政宗は上杉配下の者の中でも異色の存在である。慇懃無礼な態度を取ることはもちろんだが、政宗の百万石への野心のおかげで上杉から目を付けられているのは必定だ。常長もまた、政宗の行く末を憂いている。

 

「叶えられるさ」

 

 景綱は視線を再び戦場へと向かわせる。

 

「何故でしょう?」

「……さあな」

 

 上杉のことを最も良く知っている存在である景綱故に言えたことだ。根拠も無く、上杉との約束は大丈夫だと思えてしまう。理由は無いのだが、おそらく謙信ならという意味も無い思いがあるのだ。

 

「(何と言われようと決めるのは謙信殿だからな)」

 

 官兵衛も恐ろしいが、謙信もまた恐ろしい。それ以上に自然体の中にある人に見えない何かが謙信をまとい、勘の良い者に畏怖を与えるのだろう。それに名前を付けるとすれば、何であろうか。景綱には分からなかった。

 

「戦況が変わったな」

「はい……」

 

 音が徐々に大きくなっている。夜襲を仕掛けてきた北条軍の音は最初から小さかった。徐々に上杉に戦況が傾いている証だろう。

 

「申し上げます。上杉が小島様、見事に蘆名様を救い出した由。また、黒田様後部隊が混戦状態の北条軍の側面を突き、北条は撤退を始めている模様」

「伏兵がいれば面倒だ。綱元に関宿城に真っ直ぐ進み、火を……」

「片倉様。関宿城周辺から火の手が上がっております」

 

 前線の伝令兵の報告に景綱が見ると煙が徐々に立ち込めているように見える。おそらく、官兵衛の差し金だろう。川という逃げ場を塞がれた所でわざわざ伏兵が自らの首を絞めるような真似はしない。

 

「綱元に伝えろ。北条軍を追って関宿城に向かえと。佐竹と蘆名を保護しつつな」

 

 景綱は煙を眺めながら兵に冷淡な軍師としての口調で指示を出す。兵が去って行くのを見届けると同時に常長がそこに割って入ってきた。

 

「我らで一番乗りを横取りするおつもりですか?」

 

 怒っている訳ではないが、常長の口調は問い詰めているようで景綱を睨んでいるようにも感じられた。しかし、景綱はこのようなふってわいたような好機を逃すことなど出来る筈もなかった。蘆名と佐竹は混戦で疲弊している。上杉もかれらを救いに行っただけで城を落とす体力は残っていないだろう。ならば、ここで関宿城を落とさなければ目の前の馳走を見ているだけのようなものだ。

 

「一番乗りの功を取れば、上杉とて取り上げない訳にはいくまい」

「蘆名や佐竹は我々をますます嫌うでしょうけど」

「構わない。先鋒がきちんと夜襲に対応出来なかったのが悪いのだ」

 

 景綱は常長を置いて政宗の下に戻る為に歩を進める。伊達第一の野望は謙信によって砕かれた。故に、新たに立てた野望を何としてでも叶えなければ伊達は上杉から笑いものにされる。

 

「武人は、勝てば良い……」

 

 躊躇いなど覚えていては軍師として失格だ。景綱は息を吐いて自らを落ち着かせると共に無駄な良心を塵のように捨てる。再び開かれた景綱の目は怜悧な鋭い眼光が光っていた。

 

 

 

 

「ふむ……」

「また揉め事ですか?」

「む。颯馬でもないのに分かるのか?」

「眉間の皺を見れば、誰にでも分かるかと」

 

 謙信は龍兵衛の指摘を受けて額に指を当て、皺をほぐそうとする。

 

「それで、内容はどのようなものですか?」

 

 龍兵衛はそれを無視して謙信の持っている書状の方に興味を移している。少しむっとした謙信だが、龍兵衛はそのこともお構いなしらしい。目が書状に向いている。

 

「(これでは女子との噂も枯れた泉の如く、湧かない訳だ……)」

 

 人の都合よりも自身の気分を優先させる。今までの龍兵衛では考えられなかった。しかし、このところ。特に関東遠征の頃から段々と龍兵衛は人が変わったようになっている。

 試しに兼続にも聞いてみたが、急に自分勝手なところが増えたと言っていた。一方、仕事に差し障りは無いようなので謙信も兼続も特に咎めていない。それ以上に慶次の悪戯の方が上杉の中で印象強く、皆、辟易としている。

 

「伊達が関宿城を落とした際、先鋒の蘆名、佐竹を差し置いたそうだ」

「必死ですね」

 

 龍兵衛は書状を受け取るとじっくりとその内容を改めている。脇から景勝が背伸びをして書状の中身を見ようとしているのには気付いていないらしい。そう最初は思っていたが、龍兵衛の視線が時折、景勝の方を向いている。

 

「(分かっているなら見せてやれば良いものを……)」

 

 おそらく、龍兵衛は景勝の声がかかるまで放っておくつもりだろう。弄んでいるのか、後で見せようとしているのか。

 

「夜襲の被害を直接受けた蘆名もそうですが、佐竹も蘆名を救援し、混戦状態の中を戦っていたのですから伊達の抜け駆けの訴えは取り付けられないでしょう」

「(弄んでいるのか……)」

 

 咎めたいが、景勝が頑張って覗こうとしている姿も可愛らしかったので謙信は龍兵衛のことをお咎めなしとした。

 

「弥太郎も官兵衛もそこを指摘したようだな」

 

 謙信は膨れ面の景勝に書状を渡す。景勝は書状を受け取るとそちらに集中し始めた。微笑ましい光景だが、謙信は官兵衛が伊達の弁護に回っているのに疑問を抱いた。元々、官兵衛は伊達のことを危険視していて、事ある毎に何か処分を下すべきと主張していた。

 

「なるほど……孝さんらしい……」

「どういうこと?」

 

 初めて口を開いた景勝に龍兵衛は言いにくそうな表情をした。迷っているのか龍兵衛は謙信を見てくる。

 

「構わん、続けてくれ」

 

 謙信も官兵衛の思惑に今一つ合点がいっていなかった。おそらく、龍兵衛もまた謙信自身と同じ疑問を抱いていた筈だだろう。

 

「私も知りたいのだ」

 

 念を押すと龍兵衛は仕方ないと肩をすくめると景勝に近付くように促して小声で口を開く。

 

「伊達殿を試したのですよ。今後も上杉の為に動くのか。おそらく、この夜襲も孝さんは想定済みだった。蘆名殿には夜襲があると言っても何か仕掛けをしたのではないでしょうか。蘆名殿に傷を付ける為に」

 

 謙信は話の間に徐々に顔色を変え、最後に驚愕のあまり絶句した。官兵衛は苦境に立たせることで伊達を試し、同時に蘆名や佐竹も使えるのか判断材料にしたのだ。

 

「蘆名殿には夜襲はあっても、明確な日時を伝えずにその日は休ませるように仕向けた。そう考えればこの報告にも辻褄が合うかと」

 

 関宿城の戦いで最も被害を被ったのは蘆名である。平等に傷を負わせ、伊達も使えると判断した官兵衛は満足しているだろう。

 

「えげつないな」

「それが孝さんです。あの人はえげつないことを面白いと思ってもいます」

「危険か?」

「いいえ。あの人は大望のある御方の下で策を考することを己が至高としておりますから」

 

 つまり、謙信が天下を得ることが出来なくなれば、上杉を見捨てることもあるということだ。景勝も何を言っているのか理解したのかこちらを向いて目を丸くしている。

 

「あぁ、言っておきますが、これと決めた人には必ず最期まで従います」

「私はそのこれといった人になれているか?」

「それは直接お聞きになられてください。ただ……謙信様のことをおそらく面白い御方だと思っているでしょうね」

 

 謙信は官兵衛に忠誠を誓うように迫った覚えは無い。しかし、官兵衛の働きは出来過ぎている。故に、ここまで来て手放すようなことは出来ない。しかし、興味のなくなった者や使えない者を紙を握り潰すが如くいとも簡単に排斥するような一面には警戒しなければならない。

 

「謙信様」

「ん。兼続か……どうした?」

「はっ。忍城から龍兵衛宛てに密書が」

 

 謙信と景勝は同時に龍兵衛を見る。しかし、龍兵衛は涼しい顔を崩さずに手を横に振って何もやましいことをしていないと示す。

 

「自分が調略に動いた忍城の将からの返答でしょう」

「また勝手に……」

 

 謙信は龍兵衛の自分勝手さはこのあたりから気付いておくべきだったと反省している。前々から龍兵衛の独断専行は何度叱責しても変わらない。

 

「忍城は堅牢な城。確実な勝利を得る為には必要でしょう?」

 

 既に着陣を終えた。確かに忍城を落とすのは困難だと龍兵衛も兼続も口を揃えて言っていたし、謙信も景勝もそう思っていた。しかし、それとこれとは話が別である。

 

「……兼続」

「はっ」

「私が許す。思う存分やってこい」

「御意」

 

 兼続は龍兵衛に足音を立てて近付くと背中を肉ごと掴む。 

 

「ぐっ!? 兼続、ちょっと……」

「騒ぐな」

「行きなさい」

「あ、はい」

 

 兼続と謙信は龍兵衛を圧力で黙らせると引きずってどこかに消えてしまった。謙信は龍兵衛が最後に一瞬だけ景勝を見た気がしたが、景勝もすぐにそっぽを向いてご機嫌斜めに表情を作ってみせた。

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