上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百四十四話 雪よりも冷たいものをあげる

 上杉軍は上野や下野に残る勢力をまとめて支配下にすると直ちに民を慈しみながら兵を武蔵へと入れた。更に、首を長くして待っていた最上からの援軍も加わり、直ちに落とすべき忍城を囲むとそこから再び膠着状態になった。

 忍城は北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした構造となっている。要害堅固な城であったことから戦国時代には関東七名城の一つとして後世に名を残すことになっている。

 

「何て誰も思わないだろうなぁ……」

「……?」

「……何でもありません」

 

 龍兵衛は上っていた櫓の上にうっかり景勝が隣にいることを失念していた。歴史的に忍城は有名になり過ぎている。豊臣の攻撃を小田原城の陥落後も凌いだことを知らない歴史家などいるだろうか。

 忍城は湿地帯を利用した平城であり、元々、沼地だったところに島が点在する地形だった。だが、あえて沼を埋め立てず、独立した島を曲輪として、橋を渡す形で城を築いた。当初は櫓を立てずに本丸は空き地とし、二の丸に屋敷を作ってそこを住まいとしていた。故に、攻めにくく守りやすい城である。

 

「砦も設けて島への道を塞ぎ、島にも砦を築いて一個ずつ落として行っても手薄なこちらを突くようにしている。面倒だ……」

 

 龍兵衛は頭を音を立てて櫓から身を乗り出すようにして両手を柵に預ける。城を守っているのは成田氏長。上杉のことを目の敵にしているようで、一切の交渉拒んでいる。

 

「ま、だからこそのこの書状だけどな……」

 

 龍兵衛の握り締めた書状には忍城の城内の将からの内通を約束した密書である。もちろん、猜疑心の強い龍兵衛はこれを鵜呑みにした訳ではない。あくまでも戦を動かす為の材料であるととらえている。

 忍城の中で内通を約束してきたのは成田近江守と市田太郎という正直、聞いたことも無いような将からだった。

 

「一回戻りましょう」

「(こくり)」

 

 龍兵衛は先に素早く櫓を降りて、ゆっくり降りてくる景勝を置いてせっせと歩く。景勝が慌てて龍兵衛の背中を追って行っているが、それもお構いなしだ。

 後ろで景勝が頬を膨らましているのも分かっている。あえて龍兵衛は無視し続ける。これ以上、景勝の方を向くとたかが外れそうになる。事ある毎に一緒にいたいと景勝はついて来る為、しばらく一人で自分を見つめ直したいと決めた決意もぐらぐら揺れて、信念の柱に出来たひびは限界を迎えている。その度に龍兵衛は誰もいない所で頭をどこかに打ち付けたり、気付かれないように身体のどこかをつねって誤魔化している。

 まるでそれに気付いているかのように景勝は隣に立って時々、龍兵衛の方を見て、小首を曲げてみたり、わざとらしい上目遣いをして更に龍兵衛を揺さぶってくる。龍兵衛は苦し紛れに左隣にいる景勝を視界に入れないように左目を瞑ったり、こすってみたりと試してみる。

 

「失礼致します謙信様」

 

 何とか堪えて陣幕を龍兵衛が広げて入ると謙信の他に兼続も一緒にいた。食事を取っていたのか、器と箸が二人の座っている机の前に置かれている。

 

「何か動きが?」

「いえ。そろそろ、こちらから動いてもよろしいのではと思いまして」

「お前はここに来た時に迂闊に動くのは下策だと言ったではないか」

 

 兼続がすぐに龍兵衛の意見に噛み付いた。龍兵衛は忍城に着いた二週間前に無理な城攻めをしては箕輪城のように犠牲を払うことになると主張して短期戦を主張する北条から関東を追われた者達からの意見を退けている。

 しかし、龍兵衛にとって、それは無策であるが故に発言したことである。調略が成ったのであれば、話は別だ。

 

「先の調略に応じた者からの返答です。行田口に構えている故、そちらから攻めるようにと」

「すぐにでも攻めるべきか?」

「ここはとにかく急がねばなりません」

 

 兼続が龍兵衛の代わりに謙信の問いに答える。ならばと謙信は頷いてすぐに将達を集めるように命じようとしたのか立ち上がる。しかし、不意に景勝が上を向いたことでそれは中断された。

 

「あ……」

「どうしました……あ~……」

 

 景勝に釣られて上空を眺めると曇天の空から見えてきたのは雪であった。

 

「(道理で寒くなる訳だ……)」

 

 龍兵衛は寒いのは苦手の為、これより冬であるという合図を苦々しい表情で眺めている。そして、雪には寒さをもたらすと共に道理では言えないものをもたらす可能性がある。

 人はそれを郷愁の念と言う。その念を払うのはかなり難しいことだ。思うべき雪化粧の先に見えるのは故郷。越後は今も先も雪がよく降る。雪に埋もれた我が家を思い、兵の中に脱走を試みる者もいるかもしれない。しかも、この雪は箕輪の時と違っておそらく長く降り続くだろう。

 

「このままでは……士気が下がらない内に攻めるべきでは?」

 

 龍兵衛の言葉に謙信は何も言わずに陣幕を空けて外を見て、動かなくなった。風によって白い息が何度か龍兵衛達の方に向かってはすぐに消えている。そして、謙信は一度だけ小さく頷くと振り返って三人を真剣な表情で見る。

 

「もう少し待とう」

「「えっ……?」」

 

 てっきり決戦を行うと思っていた三人は拍子抜けした表情を作っている。謙信は三人の顔を見て、笑みを作りつつ陣幕を出た。残された三人は呆然と顔を見合わせたが、すぐに我に帰って謙信の背中を追う。

 四人はそのまま城が良く見える小高い丘の上に立てられた櫓に上る。

 

「水は大層冷たくなっているだろうな……」

「……水攻めを行うつもりですか?」

 

 龍兵衛は渋い表情を作る。戦法次第、悪くはない。戦上手の謙信が事を仕損じるとは思えないが、水攻めにある効率さの裏にあるものに龍兵衛は嫌悪感を抱いていた。

 水攻めで巻き込まれるのは城だけでなく、城外の村々も入る。すると、民達は自ずと城内に避難する。食糧の補充が出来なくなり、あまつさえ民にも施しを与えなければならなくなる。食糧の急激な減少を避けようと食糧が制限され、人々は飢えていく。末路として良くあるのは死んだ人間の肉を食べるということだ。 

 

「龍兵衛、顔色悪い」

「自分は大丈夫ですよ」

 

 景勝に顔を覗き込まれ、龍兵衛は目を合わせずに素早く答える。鋭いと思いながら龍兵衛は先程のことに思考を戻す。別に反対では無い。士気が徐々に下がるであろう今、戦わずに勝てるのは最適な選択だと言える。

 

「周辺の民に土木作業を行わせるのですか?」

「そうなるな。無論、我が軍からも人は出せるだけ出すが」

「北条の間者が紛れている可能性もあります。よくよく民から目を離さないようにすべきかと」

「ならば、この仕事はお前達二人に任せる。良いな?」

「「承知」」

 

 二人はすぐに支度の為に下がろうとする。しかし、謙信はそれに待ったをかけ、兵の様子を見てくるので共に来るようにと言ってきた。何となく今日の謙信は強引だなと二人は顔を見合わせながらも命令通り、付き従う。景勝も後ろに付いて来た。 

 兵の溜まり場になっている場所に向かうと龍兵衛は兵それぞれの顔を見て、考えていたことに間違いはなかったと内心で溜め息を吐く。

 皆、空を見上げたり、落ちてくる雪を手の平に乗せたりして、どこか儚げな表情をしている。

 

「やはり、か……」

「兼続もそう見てたか」

「ああ。雪が降ってきてからな……」

 

 互いに小さく息を吐くと白い息が交互に出てきて混ざり合う。謙信は二人の会話が終わるのと同時に兵達に歩み寄り、膝を軽く折る。

 

「辛いか?」

 

 声をかけられた兵はぼんやりしていたのか驚いて謙信の方を向き、さらに声の主を聞いて目を丸くしている。構わずに謙信は続ける。

 

「帰りたいか?」

 

 兵は何も言わずに謙信から目を逸らす。謙信は表情を少し緩め、穏やかな雰囲気を晒す。

 

「私も帰りたい。私も、雪は嫌いだ」

 

 謙信の言葉を聞いて周りの兵達が徐々に集まってくる。皆、どこかに故郷への思いを抱いていると四人は見抜いた。

 

「私は帰っても良いと思っている。皆と楽しく過ごしたい。しかし、それでは織田が天下を取ることになるだろう」

 

 兵の顔色が徐々に青くなっていく。織田のことは既に越後にも届いている。どのような戦をしているのかも。

 

「家族が蹂躙される様をあの世で見たいのか? 少なくとも私は見たくない。この戦、我らの命運がかかっている。相手は北条なれど、皆、今の先を見てくれ。我らは負けることは許されない。今、撤退すること、すなわち、織田に遅れを取る。それは織田への敗北ぞ!」

 

 周りにいた兵達が徐々に立ち上がり、前に進み出す。謙信の周りに群衆が出来た。

 

「良いか? 北条に勝つことで我らの未来は安泰となる。その為に今! 皆の力が必要だ! 我らには勝利しかない! 勝利は必定! 我らには毘沙門天の加護がある!」

「応っ!!!」

「我らには勝利しかない! そして、共に誇りを胸に、越後へ戻ろうではないか!」

「応っ!!!!」

 

 兵の目の色が変わった。一部分にしか過ぎないが、この意気の上がりようを他の所にも伝えていけば良い。謙信にはそれが出来るだろう。利用する訳ではないが、これで戦に必要な士気を上げられる。 

 

「謙信様、凄い!」

「ええ、ええ!」

 

 景勝と兼続は感激したように何度も頷いている。

 

 さすがだと思いながら龍兵衛は静かにその場を去る。龍兵衛は盛り上げている所にいると便乗するのではなく、冷静になる。

 謙信がまた演説し、かれらの士気の高さを利用して城に攻め入ることも可能だ。内通の方が嘘だとしても対処出来る合理的な戦略を立てなければならない。静かな所で考えようと歩を進めていると背後から足音が聞こえてきた。

 

「待て、龍兵衛」

「なんだ?」

 

 兼続の声に振り返る。兼続の表情は険しくなっていた。何か不満の残るようなことを言っただろうかと思い返してみるが、龍兵衛は何一つ思い付かない。

 

「なんだではない。単刀直入に言おう。調略のことだ」

 

 説教なら謙信公認のせいか三日前に嫌という程、聞かされている。まだ、足りないのかと龍兵衛は静かに身構える。しかし、兼続は龍兵衛に頭を下げてきた。現実では有り得ないと思っていた行為に龍兵衛は目を見開く。さらに兼続は龍兵衛にあわや絶句させるようなことを言ってきた。

 

「此度の調略のこと、私と太田殿に手柄を譲って欲しい」

 

 龍兵衛は様々な感情が心の中で滝壺の水のようにかき乱れ、表情を無表情にするしか出来なかった。龍兵衛の内情など知る由も無い兼続は構わずに続ける。

 

「考えてみろ。此度のお前の調略、短期決戦を望んでいた者らにはどう映る?」

 

 龍兵衛は声を出すのを必死に堪えた。短期決戦を望んでいたかれらは戦を慎重に行うべきと言っていただけの龍兵衛を裏で手柄を横取りしようとしているのだと

 

「私のようなお前を良く知る者なら良い。しかし、越後の外の人間から見ればこの行いはかなり問題だぞ」

「……あぁ、分かっている」

 

 今、気付いた為、返答までに間が入ったが、龍兵衛は誤魔化すように大袈裟に頷いてみせる。幸い、兼続は龍兵衛の内心に気付いていないようで、安堵したように息を吐いている。

 

「では、良いな?」

「ああ。じゃ、この書状を書き写しておいてくれ」

 

 龍兵衛は懐から内通の書状を取り出すと兼続に投げ渡す。受け取った途端に兼続は眼を鋭くした。

 

「おい! 乱雑に扱うな!」

「構わん。見られようにもここには誰もいない」

「だがなぁ……はぁ……」

 

 兼続は何か言おうとが、諦めたように盛大な溜め息をつく。自分の空気を崩さないところが徐々に誰かに似てきているとでも思っているのだろう。

 

「最初に来た書状は万一のことを考えて燃やしたから」

「ああ。そのあたりは太田殿と話しておく」

「それにしても……いや、何でもない。じゃあ、頼む」

 

 兼続の返事も待たずに龍兵衛はさっさとその場を後にした。陣幕の外に出て、誰もいない所まで歩くと溜まっていた鬱憤を溜めた堰の水を一気に放水するように吐く。

 元々、そういう性格であることを自覚していた。故に、いじめを受けたのだということも分かっていた。友人が出来ない時もあったし、逆にその性格が受けた時もあった。

 

「(面と向かって性格のことを指摘されたのは初めてだな……)」

 

 兼続らしいと言えば兼続らしい。逆に兼続以外の者であれば、何か心にわかだまりが出来たかもしれない。今の龍兵衛の気持ちは逆に大草原で春の光を浴びているように清々しい気持ちになっている。

 

「兼続に言ったこと、嘘」

 

 龍兵衛の気持ちはすぐに曇天の中に落ちた。振り返ると景勝が物陰から出てきて、毅然とした面立ちで龍兵衛の前に立ってきた。

 

「景勝分かる。龍兵衛、何も考えてない。周りのこと、気付いてない」

 

 思い切り断じられて龍兵衛も焦る。当たっているのもあるが、景勝からはっきりと言われるのも久々で、全く予期していなかったのもある。何とか言い逃れようと言葉を探すが、景勝の強い睨みが龍兵衛の頭を困惑させる。だが、言葉はまるで見つからずに眉間の皺だけがますます深くなるばかり。

 

「龍兵衛、上杉いれなくなる。景勝、困る」

「上杉の為ですから、滅私奉公は当然でしょう?」

「誤魔化されない。龍兵衛、いなくなる。意味ない」

 

 段々と景勝の口調が強くなってくる。何か言い返したいが、龍兵衛は口が動かない。完全に言葉を失った。うなだれるように頭を下げると龍兵衛はそのまま景勝に背を向ける。珍しく景勝は追って来なかった。

 龍兵衛は何となく寂しくなった。寂しさを自覚すると肺から呼吸が出来ないように感じた。追って来る人がいないというのはこれほど辛いものなのかと実感する。

 龍兵衛はぐらっと倒れそうになったが、膝を付いて堪える。誰も手助けをしてくれない。景勝も謙信の下に向かったのだろう。はたまた、追ってくることを良しとしない龍兵衛の雰囲気を汲み取ったか。それで良い筈だ。しかし、帰るべき所に鳥は帰り、残された者はどうすれば良いのか。龍兵衛には分からなかった。

 

「悩んでいるご様子で」

 

 龍兵衛は顔を上げ、振り返る。そこには謙信直々に迎え入れられた山上宗二がいた。龍兵衛は何でもないと言って去ろうとしたが、宗二は素早く龍兵衛の前に移動してきた。

 

「商人の私ですが、武人の悩みを聞けるぐらいの頭はございます」

 

 宗二は頭の上に手を置いて、二度三度叩く。おどけているのか真剣なのか分からない。どちらにしても、龍兵衛は誰かに話すようなものではないと断りを入れる。

 

「景勝様に問い詰められていたご様子。何を話していたのかは存じませぬが、かなり苦しみを抱いていたようにお見受け致しました」

 

 玉を転がすような声で宗二は龍兵衛を精神的に容赦なく攻めて来る。龍兵衛は眉間に寄せていた皺を深くした。

 

「あまり、自分のことなので深く入り過ぎないようにして欲しいのですが」

「何か隠そうとしているのでしょう。それには私も特に咎めようなどと思っておりません。されど、気を張り詰め過ぎても良いとは限りませんよ」

 

 龍兵衛は出掛かっていた足を止めたが、すぐに歩みを再開する。宗二が「河田殿」と声をかけてきたが、無視して足を進める。

 

「茶でも如何でしょうか?」

「えっ?」

 

 唐突な誘いに思わず、龍兵衛は足を止めて振り返ってしまった。宗二は子供がお菓子を貰ったような表情で龍兵衛を陣内に作られた茶室に促した。

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