簡易的に作られているとはいえ、茶室の中は静寂によって支配され、外の戦支度の音も聞こえるか聞こえない程度になっている。
「壁を厚くし、音が入らないようにしております」
外の様子を気にしていた龍兵衛を見て、宗二が種明かしをしてくれる。納得したように頷くと龍兵衛は茶室の中を観察する。三畳の茶室の中には一切の無駄がない。宗二の師匠である千宗易を踏襲しているのだろう。際立たせる為に外の雑音を消そうとしているのだろう。窓も少ない。
「一つお伺いしても?」
「どうぞ」
宗二は茶釜の蓋を外しながら答える。富士形の茶釜ではなく、普通の真形窯だ。普段の穏やかな表情は消え、修験道を極めた僧のような険しい目だ。
「あの竹の花入れのひびをこちらに向けるのは何故でしょうか?」
龍兵衛が横見ながら尋ねる。宗二はしばらく黙って湯加減を見ていたが、唐突に口を開いた。
「人間、誰もが不完全なのでございます」
口調は変わらず穏やかで、龍兵衛は表情による威圧感を少しだけ解消出来た。
「誰であろうと心に決めたことを貫き通したいと思うのです。しかし、その途上で己が信念故の葛藤や苦しみが必ず人を襲います。それを乗り越えようとする者、諦めて別の道を歩む者。それぞれではございますが、私はどの選択肢を取っても間違いないではないと思いたいのです」
宗二は茶碗に湯を注ぎ、茶筅を動かす。再び沈黙が訪れ、外の風が壁をもろともせずに聞こえてきた。宗二は茶碗を龍兵衛の前に出すと再び口を開いた。
「河田様はおそらく、何か疑問を抱いているのでしょう。このまま進むべきか。諦めるべきか」
龍兵衛は茶を飲みながら少し冷や汗をかいた。まるで自分の内心を見透かしているようで、宗二に軽い恐怖感を覚えた。
「諦めの境地とありますが、人とは己が業や欲には抗えないのです。諦められるのは真の聖人のみ。ならば我々、人はどうなのでしょう? おそらく、抗えないのです。今の乱世が良き例でしょう」
「ならば、宗二殿はどうして北条に居続けたのです?」
乱世を起こしたのは武人。それを拡大したのも武人。宗二は乱世に強い恨みを持っているような口調で答えた。宗二は武人が嫌いなのだろう。しかし、北条、上杉と関東、北陸を代表する大名によって宗二は世話になっている。
「最初は私も北条様の下に来る気など全く無かったのです」
宗二は当時を恥じているのか頭をかいている。
「しかし、この地で真に数寄を望む方達と出会え、武人との真の数寄、一座建立はないと偏見に満ちていた己を恥じました。『どうして、私は早く気付かなかったのだろう』と」
龍兵衛は茶を静かに飲み終えると器を膝の上に置いたまま宗二の言葉に耳を傾ける。
「様々な好みが人にはあります。それを私は排し続けた。しかし、何も生まれない。名物ばかりに頼り、己が好みを勝手に私は溝に捨てていたのです」
「それが、自分の悩みとどう関係あるのですか?」
もはや、隠し立てしていても宗二は何かしらの言葉で自分を問い詰めるだろうと龍兵衛は諦めた。悩みがあると素直に認め、逆に問い掛ける。すると、宗二は茶室に入ってから初めて龍兵衛の方を向いた。
「それでございます」
宗二は和やかな雰囲気にさせる笑みを浮かべる。龍兵衛は宗二を見て、寄っていた眉間の皺もとけた気がした。
「茶の湯では隠し立てをせずに素に帰ることが良いのです」
龍兵衛は目を細めた。集中して宗二の言葉を聞こうとしている。
「悩みがあると尋ね、私ごときに意見を求めて下さいましたこと、感謝致します。されど、河田様の悩み、細かに申されることを河田様は嫌っているようです」
「宗二殿、茶を飲んだだけでそこまで分かるのですか?」
「いいえ。私は何度か細かなところを聞こうと罠のようなものを張っておりましたが、河田様が引っ掛からなかっただけです」
ころころと笑っている宗二だが、龍兵衛は気が気でなかった。気付かれない内に人の心に入り込もうとする。
「失礼。たかが京を追い出された者の戯れ言です」
そのようなことをしなければ京は生きていけないのであろうか。龍兵衛はますます京というものに恐怖を抱き始めた。はたして、中を見ることは出来るのだろうか。
「河田様。貴殿の悩みは強く、誰にも話したくもない厳しいもの。それは乗り越えるべきですが、高き富士の山を一人で何も持たずに進むもの。河田様、その苦しみは乗り越えなければならないのですか?」
龍兵衛はすぐに答えることが出来なかった。妥協しても良いのだろうか。しかし、謙信からは強く言われ、景勝とは固く約束し、頑なに拒んできた。今更、何を妥協すれば良いのだろうか。考えると龍兵衛は自分の逃げ道など当に失っているのだと今更ながらに気付かされた。龍兵衛が静かに頷くと宗二は「そうですか……」と言って、身体の向きを茶釜の方に戻す。
「ならば、私からあえて細かなことを無理に聞きません。しかし、私も私自身で気付いたのです。一つだけ言っておきたいことがございます」
宗二は相変わらず、茶釜の方に視線を向けている。だが、声は一言一言が強い。龍兵衛は姿勢を少し伸ばして真摯に聞く態勢を整える。
「言いにくいことですが、何かを捨てなければならないでしょう。それが私のように家族なのか。友なのかは不明ですが?」
「家族を失ったとは?」
一瞬、失言だったかと龍兵衛は反省した。しかし、宗二はそれほど怒っていないようだ。
「厳密に言えば、私から捨てたと言った方が正しいですね」
「と、いうと?」
「親の代で私の家が営んでいた薩摩屋は没落し、茶の湯によって脈絡を保てておりました。しかし、その頃の私は武人を嫌い、松永様の平蜘蛛を酷評してからどうも居辛くなりまして……」
龍兵衛は颯馬から聞いた松永久秀の評判を思い出す。もしかしたらという思いがよぎったが、そこまで松永も大人気ないことをしないだろう。
「遂には武人に寄り従う宗匠にも付いて行けなくなったのです」
「なるほど、ご家族はそのままと」
「左様。幸い、宗匠が面倒を見てくれたようなので……夫や子供には迷惑をかけております」
「夫と、子供……」
「どうかなさいました?」
まさか、婚姻はともかくとも子を成すような身体付きでは無いのでとは口が裂けても言えない。何でもないと首を横に振ると話を続けるように促す。
「ともかく、一人で進むのであれば、覚悟しなければなりません。結果が如何に残酷であろうとも、捨ててしまったものが戻ることはありません」
「えっ、まさか……?」
「夫は独断で離縁を決め、子供と共に九州の大きな店に婿養子として……」
宗二は悲しそうにしているが、表情の笑みは崩さない。無理やり作っているのは分かっているが、龍兵衛は何も言わない。慶次と宗二の下を訪れた際、主は客をもてなすことこそ大事にしなければならないと宗二が言っていた。
「私が不完全な存在であったが為、招いた結果です。悲しいとは思いますが、恨みなどありません」
「それで、あの竹の花入れですか……」
茶の湯に疎い龍兵衛もようやく合点がいった。
「とにかく、今はお進みなさるのです。いずれ、見えてくる筈です。そして、一人で進む先に私のような不幸が無いことを祈ります」
一人で進むことなど今までと変わらない。絶望や怒りなどもはや湧いて来なかった。不完全な存在ということを受け入れられればそれでも良い。後は時間と共に見つければ良いのだ。たとえ、選択を間違えてしまっても、宗二のようなひょんなことから分かることもあるだろう。
「結構なお点前でした……また、ご助言。感謝致します」
龍兵衛は心を込めてそう言うと頭をぶつけないように茶室から出ようとする。しかし、思いっ切り後頭部をぶつけた。
「大丈夫、ですか……」
「……笑いたければどうぞ」
震えている宗二から湿布を受け取ると龍兵衛はかみ殺している笑いが大きくなる前に去ろうと外していた刀を手に取る。
「あ、河田様」
帯刀した龍兵衛を宗二は中から顔を出して呼び止める。
「まだまだ、至らない箇所があるとお見受け致しました。また、日を改めて指南させて頂きます」
龍兵衛は乾いた笑みをして、逃げるように宗二から離れた。気持ちは幾分か晴れたが、新たな雲が心を覆ってきた。宗二の指南を一対一で受けるとなるとかなりの時間と体力がいる。
「まぁ……時間が空いていたら……だな」
一人ごちると早足で雪の降る中を歩く。積もりだした雪は足跡をしっかりと刻んでいる。その上から降ってきた雪は足跡を埋めようと再びそこに積もっていく。
「さすが直江様よ」
翌日、龍兵衛が陣中を歩いていると声が聞こえてきた。物陰から声の主を見ると軍議に参加出来る末端の将二人がいた。
「忍城の者から将の内応を約束させるとはな。やはり、結束力のある北条の者でも所詮、上杉の強大な力の前には屈するしか無いのだな」
どうやら、一人の将がべらべらと喋っていて、もう一人は黙って聞いているらしい。しかし、聞いている方の者も面倒だとは思っていないようだ。時折、相槌を打っている。
龍兵衛は特に嫉妬心が芽生えなかった。元々、了承してのことであった。また、先程まで行われていた軍議の前でも兼続がしつこいぐらいに念を押してきた。
「それにしても、河田様は何をしておられるのか……」
話を続けていた将が話題を変えた。龍兵衛は何かしたかと思い返したが、心当たりがない。
「直江様は立て続けに功を立てているというのに、河田様のしたことは何だ? 戦略を立てて、それ以上のことは何もせずに戦を眺めるばかり。此度の内応も、本来は河田様も行うべきことであろう。水攻めの準備もせずに……」
口が達者な奴だと龍兵衛は内心で舌打ちをする。驍説なのは結構だが、お喋りは過ぎると自らを侵す毒となる。どこに間者が紛れているのか分からない中で軍の情報を喋るのは阿呆だ。
龍兵衛は注意しようとしたが、突然、背後から肩を掴まれ、物陰の奥に押し込まれる。顔を上げると龍兵衛は目を丸くした。
「謙信様?」
「静かに」
謙信の鋭い警告に龍兵衛は口を紡ぐ。先程の者達は謙信と龍兵衛に気付かずに話を続けている。
「そもそも、河田様は越後では民の生活ばかりに目を向けている。確かに民は慈しむべきだが、あそこまで肩入れする理由が分からん」
お喋りな将は鼻息を荒くしながら言葉を続けようとする。しかし、そこで初めて黙っていた将が口を開いた。
「倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る。謙信様は河田様を信頼されている。答えよう民と共に汗を流している。それに、謙信様が戦に連れて行かれるのは理由がある筈」
「分からん。俺が言えた立場ではないが、どうしてそこまでやるのか」
「お前、喋りすぎだ。そろそろ間者のことも考えろ」
「大丈夫だ。関係ない」
「(阿呆だ……)」
龍兵衛は頭を抱えてしまいたくなった。全く自覚がない。よくあれで末端と言えども武将になれたものだと逆に感心してしまう。
「言っておこうか?」
謙信が怒りをかみ殺した表情で龍兵衛を見てくる。分かってない連中が許せないのだろう。
「いえ、結構です。自分の仕事は言ったところで誰からも賞賛されません」
内応のことはともかく、暗殺の実行や不正情報の整理など誉められない陰惨なものも多く含まれている。説明したところでむしろ反感を買うかもしれない。
「それよりも謙信様。忍城の内応についてですが、すぐにでも水攻めのことを伝えては如何でしょう?」
「虚偽の場合を考えるとなるべく伝えない方が良いと思うが」
謙信は訝しげに龍兵衛を見る。しかし、龍兵衛ははっきりとそれは違うと否定する。
「水攻めを行うと聞けば忍城の者は必ず出てきます。そして、内応が真ならば我々の攻めをそのまま黙認するでしょう」
「……なるほど。試すのか」
「どちらにしても我らに損はありませぬ」
「もし、攻めて来ずに本丸に退避されれば?」
「筏を作り、奇襲を仕掛けるのです」
謙信は納得したように頷くと龍兵衛にすぐに支度を進めるようにと命じてきた。
「水攻めの方は?」
「兼続がやってくれている。あの様子だとすぐに忍城も湖に浮かぶ小島のようになるだろう」
どうやら、兼続はここで功を立てようと意気込んでいるらしい。思い返してみると関東遠征で兼続は目立った功を立てていない。それは龍兵衛にも言えることだが、当分、その考えは捨てる。
「あの、謙信様」
「何だ?」
「自分は軍事よりも政の方が得手と士官時に申したと記憶しております」
「うむ。忘れてはいない」
「では、自分は何故……戦ばかりに担ぎ出されるのでしょうか?」
代わりと龍兵衛は前々から気になっていた疑問をぶつけてみる。しかし、謙信は困ったような表情を浮かべ、答えられないと言ってきた。
「何故ですか?」
龍兵衛は驚いて反射的に強い口調で問い詰める。謙信は落ち着くように龍兵衛を促すと周りを見回す。
「実及の意見だ」
「本庄様の?」
謙信が静かな声で言った為、龍兵衛も自ずと声を潜める。龍兵衛は考えてみたが、合点がいかなかった。本庄実及は上杉の政の権化とも言える存在。龍兵衛のような政務に長けた者を側に留守居の際は置いておきたい筈だ。
「何でも、龍兵衛を育てるべきだと言っていたな……ま、そのあたりは本人に聞いてくれ」
実及はそこまで冒険するような人ではない。龍兵衛は知っている。謙信も知らない筈がない。しかし、本当に謙信は分からないようだ。適材適所を好む実及が何を考えているのか。
「それよりも今だ。堰と堤の準備は滞りないそうだ。数日もすれば、忍城も寒さに堪えきれなくなる」
思考を強引に現実へ戻された龍兵衛は謙信に釣られて忍城を見やる。今は島と島が繋がっているような忍城も冷たい水に支配されるのだ。
「このあたりの住民には迷惑でしょうね……」
「そうだな。しかし、ここまで来た以上、やむを得ない」
「必要悪、か……」
龍兵衛が呟く。謙信は龍兵衛の方を向き「必要悪……」と龍兵衛にも聞こえない程、小さな声で呟く。
「なるほど。言い得ている」
謙信は顔を上げると忍城と作られている堤防を見比べ、龍兵衛に視線を移す。
「もしかすると、間者がいるやもしれん。頼めるか?」
「疑わしき者を罰せと……分かりました。すぐに調べます」
やることは変わらない。しかし、行い続けることで何か見えてくる筈だ。自分が何なのか。生きる意味があるのか。見えてきた時、払うべき犠牲は怖いが、知りたいという好奇心もある。宗二のような末路が待っていても相手を恨まない。悪いのは自分なのだから。
龍兵衛はそう割り切れるのか不安だった。宗二のような逞しさを持っていない。怖い。しかし、龍兵衛は決めた以上、進まなければならない。不完全な者として足掻いてみせる。
「ところで、謙信様」
「何だ?」
「先程の二人組、あまり喋っていなかった方の者の名はお分かりでしょうか?」
「あぁ、確か……藤田……藤田弥六郎だ。それがどうかしたのか?」
何でもないと龍兵衛は首を横に振る。しかし、その視線は先程、去って行った方向をはっきりと向いていた。