上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百四十九話 秘密であるべきなのか

 景勝が目を覚ましたのは翌日の朝だった。しかも、朝の早い龍兵衛の次に起き上がって普通に人の手を借りずに歩き回った。その為、龍兵衛に見つかった時、彼の方は表情を思いっきり変えたので夜番の兵達から龍兵衛が驚かれた。

 何でもないと龍兵衛は兵達に言うと景勝の方へ駆け寄り、とりあえず人目のあまり無い所に移る。

 

「あ、あの……景勝様? 大丈夫なのですか?」

「ん……あまり痛くない」

 

 景勝は右腕を回して普通そうにしている。しかし、上に挙げた時に少し身体が怖がっているようだと龍兵衛は指摘してきた。

 

「おそらく、かなり深い傷だったので、すぐには治らないでしょう。しかし……うっ……」

 

 龍兵衛は「どうしてそのように早く」などでも言うつもりだったのだろう。そう言う前に龍兵衛は右肩を強く押さえた。

 

「大丈夫? 痛い?」

「え、ええ……昨日から少し……」

 

 龍兵衛は何かに気付いたように口を左手で押さえる。しかし、景勝はその言葉を見逃す訳にはいかない。

 

「休む」

「いや。さすがにそうはいきません。景勝様、お尋ねしたいことが山ほどあるのですが」

 

 龍兵衛はあえて危機感を出させて景勝をはぐらかそうとしている。景勝は分かっている為、首を横に振って聞かないと示す。

 

「龍兵衛、今日休む。そしたら聞く」

 

 龍兵衛は横を向いて心底嫌そうな表情を見せる。人通りが少ないとはいえ見回りの兵も定期的に通っている場所だ。兼続や颯馬ではなく、目上の景勝の前で龍兵衛が表情を変えるのは珍しい。現に兵二人が龍兵衛の背後で彼を見て驚いているのを景勝は見た。

 

「しかし、その頑固、今日は捨てて頂きたい。謙信様がかなり景勝様のことで頭にきています」

 

 少し語気を強めてきた龍兵衛は景勝を心から説得しているように感じられた。部屋を出てきた時、謙信の姿は無かった。おそらく兼続などが身体に障ると言って無理やり部屋に戻されたのだろう。

 

「景勝、諫める?」

「ええ。北条のやり方はかなり汚いと弾劾されるべきもの。しかし、我々の警戒が薄いことを諸国に知られることにもなります」

 

 ただでさえ間者はどこにいるのか分からないにもかかわらず、さらに警戒を強めろと言われては身が持たないのだろう。謙信の怒りはもっともだが、周りに迷惑がかかるようでは確かに困る。北条との戦も佳境に入っている中でさらなる重労働は将達に疲労を与える。

 

「最上には言えませんから、何卒、景勝様自ら謙信様を説得して頂きたい」

 

 龍兵衛は深々と景勝に頭を下げる。龍兵衛は人と人との調整を行うことも長けている。かなり将兵達の間で疲労と故郷を思う者が多くなっているのだろう。謙信のことを押さえるのはかなり難しいと景勝は思った。龍兵衛が難しい顔をするということはかなり謙信で苦労していると分かる。しかし、龍兵衛が頭を下げてきた。景勝の選択肢は一択にしぼられた。

 

「よろしいでしょうか?」

「ん……景勝、頑張る。謙信様、説得する」

 

 景勝が気合いを入れると龍兵衛は安堵したように小さく息を吐いた。手を焼いているのはおそらく皆だろう。景勝もまた謙信が同じようなことになった際、怒りを静められるか分からない。しかし、龍兵衛が首を差し出すように下げてきている以上、やれることをやらなければならない。心で景勝は強く決意するとさらに強い風に流されるように自分を突き動かした気がした。

 

「景勝、やれることある?」

 

 責任感の強い景勝は龍兵衛だけでなく、自分にもこのような事態に陥った一端の原因があると思っている。だから景勝は自らを奮い立たせるようさらに自分を崖へと追い込んだ。だが、龍兵衛はそれを許す筈もない。

 

「怪我が治っている訳でもありません。他のことは自分達にお任せを」

「でも……」

「襲われたことは確かに秘匿としています。しかし、だからと言って怪我を負った方をすぐに表に出す訳にはいきません」

「……」

「それ以上、何か仰るのであれば、逆に謙信様の説得以外のことはさせないように致しますよ?」

 

 龍兵衛はそう言って景勝に大きい釘を差す。景勝がさらに反論を試みようとしたのを確実に塞いできた。景勝は開きかけた口を噤み、考える。しかし、言葉が無い。

 

「よろしいですね。今は景勝様が無理をする時ではないのです」

「……こくり」

 

 龍兵衛の脅しに怯まずにさらに景勝は反論したかったが、上から龍兵衛は景勝を押さえつけた。景勝はそれに屈するしかない。龍兵衛は謙信が大分怒っていると言っていたが、龍兵衛もまたかなり頭に血が上っていると景勝は思った。 

 それはおそらく景勝自身が怪我をしている身で動こうとしているのと同時に間者の襲撃を許した龍兵衛自身への責任感もあるのだろうと思った。

 

「まさか、他人ごとのように思ってはいませんよね?」

「こくこくこく」

 

 怒りを押し殺してもそうしきれていない龍兵衛は明らかに不機嫌な表情を景勝に見せる。景勝は慌てて何度も頷いてみせるが、疑り深い龍兵衛もそれで納得した訳ではない。警戒心を解かず、景勝の表情を窺う。少し恥ずかしく景勝は思った。

 元々、二人の間で恥ずかしいという感情を抱くような間柄ではないが、一度別れてしまえばやはり変わるのだろう。それとも景勝の方が未だに赤ん坊の涎のようにだらだらと引きずっているのが悪いのだろうか。

 景勝は龍兵衛のことが羨ましく思えた。冷静に思い出してみれば景勝の方が龍兵衛の申し出を受け入れたのだから無理にでも断れば良かったのかもしれない。

 今も龍兵衛と共にいれて不完全なままでも良いと言いたい。しかし、妙なところで龍兵衛は頑固である。このことに関しては決して受け入れようとしないのだ。

 

「何か?」

「(ぶるぶる)何でもない。気にしない」

「気にしてくれと言っているようなものですよ……ま、聞かないでおきましょう」

 

 景勝は聞いてくれないのかと少しがっかりした。しかし、聞いてもらったところで龍兵衛の頑固が勝るに決まっているのだから、さらにがっかりするに決まっている。

 

「ふぅ……」

「如何しました?」

 

 溜め息の意味も悟ってくれないところを見ると龍兵衛は完全に今、一人の世界で生きている。つまり、周りとの付き合いも上辺だけのものに変わっているということだ。よく変わっていた表情も今では仕官した時の仮面を貼り付けたような無表情に変わりつつある。時折、見せる兼続達への態度が変わったのも逆に言えば味わう孤独を少しでも寂しく感じないようにする龍兵衛なりの思いではないか。

 景勝はそう考えていると龍兵衛の手を優しく握りたくなった。寒さによってさらなる孤独感を育んでいるかもしれない。もしかしたら龍兵衛が将兵の中で一番心を廃らせているのではないか。

 

「(でも、それ、帰りたいとは違う……)」

 

 郷愁の念とは違い、景勝は上手く表現出来ないが、悩みということだけ分かった。はたして龍兵衛がどれほどの悩みを抱え、心で呻き声を上げているのだろう。それを上杉の中で最も龍兵衛に近い存在だった景勝でさえ推し量ることは出来ない。そもそも龍兵衛は地べたを這いずり回るぐらいに悩んでいる筈の悩み事を全く表に出さない。

 景勝は今まで龍兵衛が一人にして考えて欲しいと言ってから彼を見かけたのはほとんど公での場である。兼続達とつるんでいる私的な場で龍兵衛は景勝を避けるようになっていた。

 

「さ……まだ朝は早いですからお送りします。謙信様にばれれば色々と言われるでしょうし」

 

 今日もまた距離を置こうとしているのか背中を押すように手を動かしている。景勝は虫になって追い払われたような気分になって少し腹が立った。

 

「とにかく、謙信様が起きるまで。もしくは、謙信様のお耳に入らないよう早く」

「……?」

 

 謙信なら起きたことで喜ぶのではと思った景勝だが、龍兵衛の深刻な表情の理由が掴めずに首を傾げる。

 

「景勝様がお目覚めになったのとは別の問題です。昨日、自分が景勝様を治療したことや、その後の面倒を見たことで色々と目を付けられてますから」

「あ……ん、分かった」

 

 景勝は龍兵衛の言わんとしていることを悟り、少し顔を赤らめる。景勝は龍兵衛の治療中、途中で気絶してしまった為、何が起きたのか分からない。しかし、肩の治療となるとそれなりに服をはだけさせる必要がある。その時に景勝の身体の内部を見たのではと疑われたのだろう。

 正直なところ二人の間でそのような恥ずかしさは遅いと言って良い。謙信が景勝のことを大切にしてくれているのは分かっているが、残念ながらと言ったところだ。

 景勝から見ると龍兵衛はかなり疑われたようでその時を思い出しては背筋を震わせている。景勝もさすがに龍兵衛の様子を見ると哀れに見えてきた為、話を変えることにした。 

 

「謙信様、どこ?」

「さぁ。まだ早朝ですから……とりあえず、お部屋にお戻りになって下さい」

 

 龍兵衛は周りを気にしているのかせわしなく辺りを見回しながら景勝を急かす。このあたりは龍兵衛らしい一面を見れて景勝も安堵した。

 思い返してみれば上野攻めの時も何度か景勝から誘いをかけると乗りかけては戻るということを繰り返していた。まだ、景勝のことは龍兵衛の心の中で一定の感情が保たれている。

 

「……♪」

「急に笑うと周りから変と思われますよ」

 

 鋭い指摘を入れられ、景勝は表情を慌てて引き締める。その時、龍兵衛が少しだけ頬を緩ませた。

 

「さ、お早く」

 

 驚く景勝をよそに龍兵衛は早く早くと急かす。景勝が龍兵衛の自然な笑みを見たのは久々だった。共にいた時の間だけ見せてきた龍兵衛自身が気付かない内にこぼされるそれを景勝は鮮明に脳に焼き付けた。

 先程の言動と今の笑み。それは景勝にまだ龍兵衛も気付かない内に共にいることを楽しんでいるのだとはっきり示した。

 

 

 

 

 景勝が部屋に戻り、寝返りを打って暇を凌ぐこと数刻。外からうるさい足音が聞こえてきた。

 

「景勝! 起きたのか!?」

「謙信様。景勝、もう大丈夫!」

 

 胸を張ってみせる景勝を見て謙信は安堵したのか。部屋に入って来た時の勢いなどあっさり消えた。景勝にゆっくり手を伸ばすと謙信は力強く抱き締めてくる。

 

「痛い……」

「心配かけおって……」

 

 謙信は全く聞いていない。景勝は小さく溜め息を吐くとしばらくはこのままでいようと痛さに堪えることにした。今回のことは景勝自身の警戒を怠ったのも要因の一つであると考えていた。

 龍兵衛という護衛がいたとはいえ、反省しなければならない。龍兵衛が景勝の護衛になることは当分ないだろうが、他の者にまで迷惑をかけるようなことをしてはならない。

 

「景勝、すまぬ。今しばらくゆるりと休め。しかし、すぐとは言わぬが、動いてもらうぞ」

 

 景勝は動きを止めた。元々、動けない状況だが、景勝の心は真剣になるべきだと言ってきた気がした。

 

「謙信様」

「何だ?」

「すぐ動く、危険。足並み、揃える。景勝のこと、気にしない」

 

 今度は謙信の動きが止まった。そして、表情も少し怒りを含んだものに変わった。先程まで見せていた景勝への母性を含んだ笑みなど、どこぞへと消えていった。

 

「ならん。景勝がこうなった以上、他の者にも影響が出る」

「北条、こうなるのきっと分かってる。今、待つ」

「景勝、私とてすぐに動くつもりはない。しかし、北条のことを私は許し難い」

「どうして……」

 

 謙信の表情がさらに険しくなった。景勝も負けじと謙信を見る。謙信も分かっているのだろう。北条が謙信の怒りを利用してあえて無理な進軍をさせようとしていることを。

 ここで景勝はふと違和感を覚えた。龍兵衛は謙信が景勝の襲撃を公にして北条の非道を訴えようとしていると聞いた。上杉が警戒を怠ったという失態をあえてひけらかすことを覚悟して。

 

「景勝、私は北条とは元より手を取り合うことは出来ないと思っていた。言わずもがな、北条は関東管領である山内殿を追い出した。そして、景勝、お前の身を狙った……」

「謙信様……」

 

 景勝は悟った。謙信の怒りと共に北条を滅ぼそうとしている。別に北条を滅ぼすことに景勝は反対しない。しかし、そこまで焦る必要がどうしてあるのだろうか。疑問を景勝が口にする前に謙信は口を開いた。

 

「景勝、お前のことを狙った北条は許せない。私は正義の下、北条をすぐにでも滅ぼす」

「謙信様、待って……」

「景勝、お前が龍兵衛から何を言われたのか分からぬが、お前からのことでも決してこのことは変えぬ」

 

 景勝は目を見開いた。龍兵衛からお願いされたことをはたして誰から聞いたのだろうか。聞き出したいが、謙信の怒りの覇気は景勝の口を完全に塞いだ。

 

「もう歯止めは不可能だ。義清がやられ、景勝まで死にかけたとなるとな」

 

 冷たく謙信はそう言うと景勝を布団に寝かしつけた。そして、早く良くなれと言ってきた。その時だけ景勝は謙信の温かい心を感じることが出来た。はたして、謙信を止める術があるのだろうか。あれほど怒りを表に出した謙信を景勝も見たことがない。

 景勝はこうして生きている。そして、上杉の為に襲撃を秘匿のものにしておき、上杉軍の士気が下がることのないようにしておくべきだ。ましてや帰りたいと思っている兵の中に愛想を尽かす者も出るかもしれない。

 龍兵衛も同じことを憂いていたのは話し方から景勝は察していたが、謙信がそのことを分かっていないとは思えない。

 

「景勝。痛みが引いた時に言ってくれ。あまり待てないが、急ぎ武州を手中にする。そして、お前のこと明らかとして北条の非道を露わにする」

 

 景勝に言ったのか自分に言い聞かせたのか分からない声で謙信は言うと部屋を去った。

 景勝は足音が消えたのを感じるとすぐに起き上がって龍兵衛を探しに密かに部屋を出る。幸い、誰もいない。景資と途中出くわしたが、厠に行くと誤魔化して通り過ぎた。

 しばらく歩いていると景勝は龍兵衛を見つけ出し、急いで駆け寄ろうとした。しかし、龍兵衛の雰囲気が近付くのを止めた。

 

「龍兵衛?」

 

 明かりが入ってこない場所の為、よく見えないが、龍兵衛程の背の高さをしている者など滅多にいない。謙信の説得に失敗したことを早く言わなければならない。しかし、景勝の足は全く動いてくれず、ただ龍兵衛の様子を見ることしか出来ない。思い切って声をかけようとしたが、それも出来ない。

 

「いっ、つぅ……何ともないのに……どうして……」

 

 蛇行しながら歩く龍兵衛の姿に景勝は本能的に手を差し伸べたくなった。だが、壁にぶつかって床に引き込まれるように屈む龍兵衛を見て、何故かそれを見ていようという気分になった。否、手を貸すべきではないと思った為、自ずと手が引っ込んだ。

 

「はぁ……はぁ……こんな、ところを……」

 

 龍兵衛はよろよろと立ち上がって蛇行しながら近くにあった部屋へと消えていった。

 

「……」

 

 景勝はそこにしばらく立ち尽くしていた。今まで右肩のことなど忘れていたかのように振る舞っていた龍兵衛があれだけ痛がっているのを見てしまった。遠くから聞こえてきた声で我に返るともしかしたらと思い、景勝は右肩に手をやる。

 完全に塞がっていない傷はやはり痛むが、龍兵衛に教えてもらった静電気のようなものが走る程度である。肩を離すと少しぴりぴりとした感覚が残った。

 

「龍兵衛、代わりに?」

 

 景勝はすぐに首を横に振った。いくら何でもそのような馬鹿げた話がある訳がない。単純に偶然、刺された場所が良かったという話だ。景勝もお伽話でしか聞いたことのないようなものを信じる程、阿呆ではない。

 

「でも、龍兵衛痛そう……」

 

 目の前で見た光景はそれだけが現実であると物語っている。どこか柱にでもぶつけたのか、戦場で知らない間に痛めたのか。

 暗くてよく分からなかったが、景勝は龍兵衛の顔から汗が一滴落ちたのを不意に思い出した。余程、痛いのだろう。しかし、景勝もまた怪我をしている身であって龍兵衛に何かしてやることは出来ない。謙信に怒られる。今、外に出てることさえ許されていないのだから。

 

「(でも、助けたい)」

「あらぁ? かっつんどうしたの?」

「……!? 何でもない」

「けんけんが起きたって言ってたけどぉ……まだ、寝てないと駄目よぉ」

「慶次、注意した。まとも!」 

「何でそこに驚く訳ぇ? 地味に凹むわ」 

「あっ」

「ん、どうしたの?」

「ううん。何でない」

 

 言うべきか迷ったが、景勝は止めた。おそらく、龍兵衛は誰かの手を借りることを今の段階で良しとしてないだろう。ならば景勝も今は胸に秘めておくべきである。再び龍兵衛の腕に抱かれる日を。

 

「かっつん?」

「ん、もう行く」

「え? あ、そう……」

 

 慶次が何か言った気もしたが、景勝は気にせずに急いで部屋へと戻った。謙信が部屋の中で待っているとも知らずに。

 

 

 上杉軍が忍城から小田原に向かったのはそれから僅か三日後のことである。

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