上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百五十一話 師匠遊び

 弥太郎が率いる東から南下する上杉軍は謙信からの命で行軍を速め、結城や里見の手引きによって開城した城を通り、反抗する城は強攻で突破した。幸い、小田原城の雲行きが怪しくなっていた為、どの城も大きな被害を受けずに進軍することが出来た。

 好機と見た弥太郎の指揮の下、東北の大名を従えた上杉軍は見事に謙信の上杉本隊にわずかに遅れながらも予想以上の速さで小田原城に到着した。

 

「おいっす」

「師匠に向かっていきなりご挨拶だな」

 

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて龍兵衛は官兵衛を出迎える。官兵衛は案の定、不機嫌そうな表情になった。それでも、龍兵衛の下に寄ってくるのだから信頼関係は篤いと分かる。

 

「随分早かったですね」

「あんた達の方が早かったじゃない?」

「自分はてっきり孝さんは置いてけぼりにされると思ってたんですがね」

 

 からかうように笑いながら龍兵衛がおどけてみせる。官兵衛は龍兵衛の態度に嫌な予感を覚えながらも尋ねた。

 

「どういう意味?」

「馬に乗れるようになれ」

「はぁ!?」

 

 あまりにも敬意の無い言動に官兵衛は龍兵衛に近くまで来て、思い切り睨み付けてくる。子供から睨まれているようだというのが龍兵衛の正直な感想だった。

 

「さて、遊びはここまでにして……」

「あたしは玩具か何かか?」

「手紙で言っていた愚痴は解決しましたか?」

 

 官兵衛は無視されたことを忘れ、真剣な表情になる。

 

「ま、表面上は」

「表面を剥がすと?」

「睨みを聞かせて、お互いにばっちばち」

 

 二人同時に溜め息が出てくる。幸い、謙信の下に伊達も佐竹も組み込まれる。

 

「大人しくしてくれるでしょうね。しばらくは」

「そ、しばらくね」

「具体的には」

「半年も無い」

 

 龍兵衛は小さく舌打ちする。その刻限が明確ではないのは有り難いが、分からないというのは不安を与える。また、伊達と佐竹の仲違いが謙信の下でも目を離すことの出来ない状況になれば軍全体に不安が広がる。

 

「兵の疲労は?」

「不満たらたら。特に佐竹」

「ですよね……」

 

 官兵衛から思っていた通りの返事が返ってきた。龍兵衛は苦笑いを浮かべ、溜め息を吐く。

 

「弥太郎殿はどうやってそのばらばらな軍をまとめたのでしょう?」

「ああ。それは蘆名のおかげ」

「……は?」

 

 龍兵衛は思った疑問をぶつけてみると意外過ぎる答えが返ってきた為、呆然としてしまう。官兵衛はその顔が見たかったと龍兵衛を見て期待通りの反応だと笑ってみせる。

 

「気になる?」

「もちろん」

 

 自慢げに話す官兵衛曰わく、弥太郎は政宗と義重に毅然とした態度で立ち合っている為、弥太郎の目の前では対立している素振りを見せなくなった。しかし、あくまでも弥太郎や親憲達の前での話で、官兵衛が見ている限りではかなり険悪な雰囲気になることも多かった。

 政宗は上杉に一応、忠実な為、付き従っているのは分かる。義重は上杉に完全に服従している訳では無い為、いつ勝手な行動を起こされるか分かったものではない。

 そのことは逐一、弥太郎の耳には入っていた為、政宗と義重を個別に呼んで注意した。しかし、聞く気の無い二人は互いを敵視し合うことを止めない。弥太郎はとにかく早く謙信と合流することで事態の収束を図ろうとしたが、戦続きの上杉軍内部でもその考えに不満が出るのは必至である。

 そこで義重を見事に諫めたのが蘆名盛隆だった。軍議上では見せなくなったが、それ以外の場所での険悪な雰囲気を見かねた盛隆は義重に苦言を呈した。いつまでも私事を引きずり、公事に影響が出れば被害を上杉や付き従っている我々だけでもなく、佐竹も被ることになる。その時、北条に対抗出来ずに敗れれば一世一代の恥となる。義重はその時に如何にして恥を凌ぐのか。もしかするとそのような機会は無いかもしれない。

 そう啖呵を切った盛隆に義重は最初、目を見開き、徐々に考え込み、最後にはそうであったと盛隆に頭を下げた。

 

「蘆名殿ってそんなに凄い方なんですか……」

「それ、すっごい失礼だよ」

「いや、分かってますけど、気難しいと聞いていた佐竹殿を簡単に説得してしまうなんて……」

 

 龍兵衛は何度も感嘆の息を漏らす。伊達と佐竹の仲の悪さは何となく察していたが、蘆名がここで出てくるとは思っていなかった。

 

「(単なる俺の知識不足か? あ、でも……)」

 

 龍兵衛はふと思い当たる節を頭の中で見つけ、顔を上げた。

 

「えっ!?」

「わっ!? っと……急に大きな声出すなよ!」

「あ、申し訳ない」

 

 それから隣で続いた官兵衛の嫌味をよそに龍兵衛は表情を強張らせ続けた。

 

 

 上杉軍は合流した翌日に弥太郎達を加えた軍議が開いた。

 

「弥太郎、変わらずに何よりだ」

「謙信様も御無事で何より……景勝様が傷を負ったと聞いた時は驚愕致した」

 

 途端に陣幕の空気が大きく変わった。数人の将は龍兵衛の方を見て、何かを疑うような目をしている。龍兵衛は視線を落とし、誰とも目を合わせようとしない。

 事情を知る兼続達は哀れんだ目で龍兵衛を見ている。しかし、龍兵衛は気付いていても気付かないふりをして、申し訳無さそうに大人しくしている。聞こえよがしに大きな溜め息をつく者もいたが、龍兵衛は反応しなかった。

 

「里見殿。援軍、感謝致す」

 

 徐々に部屋の空気が重くなってきたのを感じた謙信は声を張って、皆の意識を里見の方へと変える。景勝が安堵したように肩を落とした。

 

「いえ、北条を倒す為ならこれしきのこと」

 

 静かな声だが、誰もが里見義堯の目に燃える打倒北条への強い気概を感じた。北条の関東を完全に席巻しようとする勢いに圧されていたことに忌々しさを感じていたのだろう。実際、里見は上杉が関東に遠征する前まで上総の大半を失っていた。

 

「さて……他の者達もよく戦ってくれた。皆を合流したところで、北条に引導を渡すぞ」

 

 謙信はそう言うと小田原城を囲んでいる上杉、伊達、最上、蘆名、佐竹の陣を記した図面を広げる。

 

「里見殿は水軍を率いて相模湾より小田原城を脅かす。出来るか?」

「当然。私がすぐにでも書状を出せばすぐに配下も動くでしょう」

「では、頼む。次に、小田原城を包囲する陸の陣を割り当てる」

 

 謙信は小田原城西側に本陣を置き、南の相模湾を里見。他の地に諸大名を配置した。佐竹を一番遠くに置き、伊達との間に両者の仲介を目的に蘆名、弥太郎、親憲達の別働隊の面子をそのまま配置した。

 

「小田原城はいつ攻めるのだ?」

 

 憲政はここにきてかなり好戦的になっている。北条への怨恨は延焼を続ける火事のように大きくなっているようだ。

 

「すぐに力攻めとはいきませぬ。策がある者はいるか?」

 

 謙信は憲政をなだめると周りを見回す。しかし、誰も口を開こうとしない。兼続は気まずそうに視線をあちこちに移し、龍兵衛も下を向いたまま口を開こうとしない。部屋中に声を上げにくい雰囲気が漂う。

 

「何かあるか?」

 

 沈黙を嫌った謙信が先程から落ち着かない様子の官兵衛に目を向ける。

 

「ならば、私の方から……」

 

 官兵衛の方に視線を向ける。同時に官兵衛は小さく頷くと小さい身体で皆を見回し、大きく口を開いた。

 

「城内の者に内応させ、こちらの被害を抑えるのは如何でしょう?」

「北条の結束は固い。真に出来るのか?」

 

 真っ先に長野が難色を示してきた。他の旧関東の者達もそれに同調するような姿勢を取る。また、上杉の中にも官兵衛の考えに懐疑的なものを抱いているように見える。

 

「確かに北条の結束が固いことは天下が知る周知の事実。しかし、本当にそれが完全なるものでしょうか?」

「どういう意味だ?」

 

 最上と共に援軍として馳せ参じた色部勝長が得心してないと眉間に皺を寄せて尋ねる。

 

「北条の結束は関東の中で強く、その力も削がれている。抵抗する勢力もいれば、城を簡単に明け渡した勢力もいる。さらに北条は結束にひびを入れる行いをしました……景勝様の暗殺です」

 

 一斉に視線が景勝の方へと集まる。景勝は一瞬、身体を震わせたが、堪えて足に釘を刺したように動かず、我慢している。

 

「おそらく景勝様への暗殺は北条の中でもかなりの限られた者達で決められたこと。重臣の中でも知る人は少ないでしょう。そこに我々が付け入る隙があります」

「仮に誰も調略に応じない際は?」

「おそらく、北条はこちらが如何に挑発しようとも城から出てくることはないでしょう。その時はこちらから動くのです」

「小田原城を攻めるとなればかなりの犠牲を被るのではないか?」

「攻めることは致しません」

 

 謙信との応答を聞いていた諸将がどよめき、隣同士で話し合いを始めた。

 

「つまりは撤退すると言うのか!?」

 

 憲政が叫ぶ。一部の者達も官兵衛に弱腰だの色々と問い詰めて、軍議が乱れ始める。官兵衛も「そこまでは言っていません!」と声を上げるが、誰も聞く耳を持たない。

 兼続と弥太郎が急いで静まるように何度も声を上げる。龍兵衛は自分が絡んでいる件もある為、割って入るとさらに荒れると判断し、様子を見ているだけだ。

 中には上杉の将達と言い争っている他家の将もいる。龍兵衛は静かに溜め息を吐いた。これが寄せ集めの欠点である。やはり、費用のかかる諸大名も長引く戦を避けたいと思っているのだろう。

 今の状況を見ると小田原城攻めに入れるのかも微妙である。龍兵衛が内心で不安を覚え始めた時、軍議上に強い音と震動が響いた。

 

「静まれ。あくまでも次善の策。ならば、今は小田原城に揺さぶりをかけるのが先。官兵衛、子細は任せる」

「御意」

 

 しんと静まり返った中で謙信の指示と官兵衛の応答が冷たく響く。

 

「他に意見が無いのであれば兼続や龍兵衛も官兵衛の手伝いを頼む」

「「はっ」」

 

 味方同士の争いによって籠もった悪い熱を謙信の激しくも冷めた威嚇によって軍議はまとまりを見せて終わった。

 

 

 軍議が終わると龍兵衛は官兵衛、兼続と共に策を実行に移す過程を練る話し合いを始める為、三人で歩いていた。

 

「あたしのこと笑ってたでしょ?」

「あ、ばれた?」

 

 基本的に龍兵衛の官兵衛への印象はいざという時以外、馬鹿をやらかすか、面と向かって上司にもため口を聞く。それが突然、慇懃になっているのだから笑わずにはいられない。

 

「はぁ、黒田殿も大分苦労しているのだな……」

「分かってくれるー? 扱いがひどいんだよこいつー」

「悪口は当事者がいない所でやってくれませんか?」

「お前の場合、面と向かって言わなければ直さないだろう?」

「ふむ。善処しよう」

「……しない顔だね」

「はあ……」

 

 官兵衛と兼続は龍兵衛の笑い皺が上がりっぱなしなのを見逃さなかった。龍兵衛は悪びれる様子もなく両手を小さく広げて肩をすくめる。

 

「ま、悪口はいない所で酒でも飲みながらやって下さいな」

「ね? あたし達があんまり飲めないの知ってて言ってるんだよ」

 

 官兵衛が龍兵衛を指差して兼続に同調を求める。

 

「まぁ、今はとにかく小田原城をどう落とすかですね」

 

 いい加減に兼続の額に筋が立っていたことを確認すると龍兵衛はここまでにしておいた方が良いと話題を変えようと試みる。

 

「ただ包囲してても落ちないのに謙信殿も随分と呑気だね」

 

 兼続は龍兵衛を相変わらず睨んでいるが、官兵衛は乗ってくれた。

 

「焦って攻めて落ちるような城じゃないですし、仕方ないでしょ? だから孝さんも後は打つ手が無いと言った」

「ばれたか」

 

 今度は官兵衛が笑みを浮かべて肩をすくめる。小田原城を無理に落とそうとすれば、勝ったところで戦力はがた落ちする。龍兵衛の計算では間違いなく三年以上は外への出兵は不可能だろう。

 その間、織田に越前から加賀や能登に攻め込まれたり、武田の力が回復するようなことがあってはたまったものではない。ただでさえ、軍事力的に不利なのだから止まることが許されない上杉にとって動かないというのは下策中の下策だ。

 

「だからって、偵察がてらに城の近くで平然と食事を取るのは止めて欲しいんだけど」

「それは同感。というか、どうしてそれを?」

「兼続が愚痴ってた。どう思う? おかしいでしょ?」

「ま、違いないです」

 

 官兵衛の愚痴に龍兵衛は苦笑いを浮かべる。兼続を見ると大袈裟に頷いている。しかし、思い出してみるとよくもあのような度胸があるものだと龍兵衛は笑ってしまいそうになる。

 兼続の説教が終わった後で謙信は慶次が立って欲しいと言っても立てられない程になってしまい、全部兼続が悪いと拗ねていた。自業自得だとそのことを知る景勝や慶次も内心で呆れていた。

 思い出すと龍兵衛も自ずと溜め息が出てきた。立ち上がれない謙信を見た時は頭を抱えたくなったのだから仕方ない。

 

「(本当に謙信様は真面目なのか、悪戯好きなのか、無鉄砲なのか……)」

 

 とうの昔に謙信の想像は崩れ落ちているが、謙信も龍兵衛からすれば何者なのか分からない人物であった。しかし、確固たる信念があるからこそ皆が付いて来る。だから謙信に振り回されている皆も愛想を尽かさない。

 

「(人を見る目もある。か……)」

 

 裏切り者という悪しき肩書きを押し付けられた官兵衛と龍兵衛を迎え入れている。反対する者がいても家臣に任せれば何とかしてくれるだろうとはぐらかすことも多い。

 その代わり、無理だと思った時、自らいらないと言ってくれるのだから人物眼やものを見る力は恐ろしい。

 

「ま、だからこそ軍神と崇められるのかもな……」

「ん? どした急に」

 

 口に出ていたことに気付き、龍兵衛は慌てて何でもないと首を横に振る。「本当か~?」と官兵衛は顔を覗き込んでくる。誤魔化す為、龍兵衛は顔に塵が付いていると嘘を付いて誤魔化すと小さく溜め息を吐いた。

 

「少しやり過ぎではないか?」

 

 さすがに可哀想に思えた兼続が龍兵衛の耳打ちしてくる。しかし、顔を拭く官兵衛を見て龍兵衛は首を横に振る。

 

「構わないさ。一刻も経てば忘れる」

「今度は二人して何?」

「あ、いや。早く北条を倒さないとなー、って」

 

 官兵衛は龍兵衛の嘘を真に受けて、納得したと頷く。

 普段は騙しようがないのに肩の力が抜けた瞬間、扱いやすくなる。これが後世に名高き軍師として名を残すとは思えないと龍兵衛は溜め息を吐きたくなった。

 

「まぁ、何にしても、龍兵衛の言う通り早く終わらせないといけないな」

 

 官兵衛の表情が一瞬で真剣なものに変わる。龍兵衛の言いたいことが何なのかすぐに悟ったようで溜め息をついて小田原城の西方を見る。龍兵衛、兼続もまたそちらを見る。

 

「春になる……いや、少しでも暖かくなってくれば間違いなくちょっかいを出してくるだろうからね。今川が」

 

 官兵衛の言葉を合図にしたように風が西方から東方に吹き抜けた。

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