関東から上杉全軍が撤退したのは春も近くのことだった。最後の部隊が撤退したのは少しだけ梅の花が咲き、風も段々と暖かくなってきた頃だった。東北の大名達はせっかく領地を拡大出来る好機を逃したと不満げだったが、上杉の力に抗える程ではなく、渋々従うしかなかった。
「ふー……」
鳥のさえずりもよく聞こえるようになり、眠気も強くなる。仕事に一段落付けた龍兵衛は疲れたと息を吐くとそのまま仰向けになって目を瞑るが、寝るつもりではない。そのまま腕を組んで考え事を始める。「んー……」と唸りながら身体を左右に振って、時折止まってはまたごろごろと転がるのを繰り返す。
悩みの種は財政をより発展させる為に必要な政策の立案と商業と農業の効率化である。やはり、用具を揃えたところで流通させる品が良くなければ金には変えられない。良過ぎて高い価格になっても意味が無い。上に階級が行く程に人の数は減る。もちろん、大儲けには欠かせないが、危険過ぎることもある。
いっそ買い付けでもしようかと思っているが、南蛮のものがなかなか手に入りにくい。そこはやむを得ないと割り切るしかない。何せ、京と比べれば越後など田舎以上のど田舎と思われても仕方ないのだから。
「この種は慎重に扱わないと……」
龍兵衛が手にしているのは南瓜の種。さる経路から密かに取り入れたものだが、あるのは僅か数粒だけ。万が一失敗すればせっかくの金や伝も無駄になる。
「久々に見に行くか……」
状況を見るには自身で現場を見るに限る。龍兵衛は身体を起こすと伸びをして左右に動かす。腰のあたりがごきごきと鳴った。
城下の畑を見に行くと農家の者達が楽しそうに作業をしていた。はかどっている証拠だと安堵しながら龍兵衛は長の下に向かう。
家の中に声をかけ、了承を得ると龍兵衛は戸を開ける。頭をぶつけないように頭を下げて長の家に入った。戦国時代の平均身長をゆうに越す龍兵衛はそこまで大きくない家に入るのにはいつも一苦労している。
美濃にいた時、よくたんこぶを作って官兵衛に笑われていた。その意趣返しとして小さいよりはましだと言って暴れられたが、思い返すと実に清々する。
「河田様。その節は真に感謝申し上げます」
「そんなに畏まらずに。自分の方が年下なのですから」
村長は首を横に振って深々と頭を下げる。龍兵衛の研究もとい、現代農業を学ぶ拠点であるこの村は特別に関東遠征に帯同しなくても良いという特権を龍兵衛の働きかけで得た。
「おかげで我らは農作業に励むことが出来ました」
「感謝は謙信様に言って下さい。最終的にお認め下さったのは謙信様ですから」
「御実城様には感謝のしるしに献上したきものを後で」
龍兵衛は満足したように頷くと村長の家を出る。
畑に出ると働いていた者達がこぞって龍兵衛に気付いて頭下げてきた。龍兵衛はかれらに構わずに作業を続けるように言って再び村長と共に歩を進める。
「他の村の評判は?」
「最初はやはり戸惑いがあったようですが、量の多さ、良き品質のものを収穫出来たと喜んでおりました」
龍兵衛は湿田から乾田に農法を変更させただけでなく、関東遠征の間に自身の代わりに村長に頼んで新たな堆肥や腐葉土の作成や実使用を進めてきた。また、作物の作り方を根本的に変えるなど徹底した改革を行ってきた。
「成功したならそれで良いですね。あとは、普及ですが……」
越後や東北の気候にも負けない農業に関する知識は元々持っているが、実行に移さなければ何の意味もない。しかし、従来のものからの脱却とは難しく、心から乗ろうという気にならなければ意味など無い。
「件のことについては感謝致します。それで、この村の者を集めて欲しいのですが」
「また何か?」
「はい、分け前は自分の方に六から七で」
「そんな……」
普段、龍兵衛との間で行う農業の改革で成功した際に出る利益は半々と決めている。それを政策に反映させることで、上杉の利益は上がっている。今回の分け前には驚いた村長がいつも通りでと言うが、龍兵衛も譲らない。村長に近付くと耳元で囁く。
「今回の利益はそれだけで普段程の益があなた方に入ると確信しておりますから」
「なんと……」
村長の目が大きく開かれ、身を乗り出してくる。尚更、利益を半々で譲って欲しいと思っているのだろうが、そうもいかない。あまりにも他の村との差が激しければ不満が出るだろう。下手をすると分け前をくれと暴動が起きるかもしれない。
「さ、お願いします」
目が眩んでいる村長を無視して促す。しばらくすると村の者が多く村長の家に集まった。
「今日は皆さんにお願いがあります。新たな品種の野菜……でいいか……野菜を作っていただきたいのです」
龍兵衛は懐から包んでおいた南瓜の種。そして、甘藷の種を出す。
「この二つの種の品種は米の凶作を補うものにもなります。万一、米で足りなければこちらで上納してもらうように自分から謙信様に取り計らいます。ま、成功したらの話ですが」
冗談めかしに肩をすくめる龍兵衛だが、農民達の反応は強い。特に凶作の時期に成り代わって南瓜や甘藷が出来ると言った時の目の色の変わりようは強かった。内心でほくそ笑むと龍兵衛は立ち上がって早速作業を行おうと外へと農民達を促す。
「河田様」
「何か?」
「その……毎度有り難いと思っております。しかし、いい加減に畑の数が……」
村長が言い終わるや否や龍兵衛は畑に目をやる。確かに作物を作る為に規模が足りていない所がある。村では税を納める為の作物も作らなければならない以上、これ以上の実験作物は厳しい。
「どうして言わなかったのです?」
「益の話を聞いて、気が……」
龍兵衛は仕方ないと溜め息をこぼす。ならば、開墾をして新たな畑を作れば良い。しかし、問題もある。
「(牛が村に多くて二頭や三頭しかない。だから鍬の改良も進めてるけど、やっぱり鉄だからな……)」
牛にしろ鍬にしろ維持費と改良費は必ずかかる。生き物と鉄、どちらもかかる金は馬鹿にならない。金子は鉱山の発掘を続けている為、どうにかなりそうだが、関東遠征でかかった経費が尋常ではない。龍兵衛と兼続も計算を終えて顔を青くした。
この村に限らずに経費を賄う為の税を納めさせるのは重要なことだが、政策のせいで出来なくなるのは本末転倒も良いところだ。しかし、ここで踏み止まっても解決にはならない。龍兵衛は村長に近くに寄るように手招きする。
「実は……これが成功した暁には、また新しい作品も作りたい」
「それはまた、急ですな」
「大分、周りが落ち着いてきたのですから。やる時にやっておかないといけません。もちろん、先程の話も考慮しておきます」
村長は胸を撫で下ろし、自らも作業へと向かう。人にやらせることを好まないところを見るとやはり人気があるのだろう。
「ん?」
龍兵衛はある一人の男に目を付けた。見慣れない顔で、顔のところどころに出来物がある。近くを通った者を止めて尋ねると最近になって村長が拾った源造という者だという。戦火から逃れてきて、さ迷っていたところを救ったそうだ。礼を言って龍兵衛は源造に近付く。
「源造というそうだな。村はどうだ?」
「実によくしてもらっているだ。皆、優しい人達だよ」
「そうかそうか……」
源造から視線を逸らし、何か考えているように上を見上げながら目を瞑る。そして、龍兵衛はゆっくり目を開けると視線をそのままにして呟く。
「種を封に閉まって懐に入れたのは気のせいか?」
途端に源造の雰囲気が変わった。一介の農民に無い筈の殺気が溢れたと思うと龍兵衛に向かって小刀を懐から取り出して向かってきた。龍兵衛は簡単に避けると持っていた鋤で源造の頭を砕いた。
「南無阿弥陀……」
そう言って源造は倒れた。周りにいた女は子供を抱えて遠くに移る。冷めた目で龍兵衛は源造を見下ろし、目を瞑る。それから息を大きく吐くと背後に控えている若者達へと振り返る。
「済まないが、運ぶのを手伝ってくれ」
「あの……河田様。源造は、一体……」
「気にすることはないよ。むしろ、気にするな」
「は、はい!」
冷めた口調に背中を押された若者達は慌てて死体を運ぶ準備を始めに四方八方に散っていった。
「(少し脅しが過ぎたか)」
どうやら気付かない内に龍兵衛も怖い顔が出来てしまっていたらしい。これから先、気をつけようと心に言い聞かせた。
「村長」
「何でしょうか?」
「あけびや百合根がこのあたりにあったら取って集めてくれませんか?」
「え?」
「いえ、時期がまだ先のことだというのは分かっていますけど、ちょっと記憶に留めて頂きたいのです」
「はぁ、まぁ、分かりました」
頭を下げると同時に若者達が源造の遺体を運ぶ準備が出来たと言ってきた。龍兵衛は村長に礼を言うと若者達と共に山へと向かい、人が寄らないような所を見つけて遺体を置かせ、後は自分でやると若者達を追い払った。
「さてと……」
地面を掘り起こそうと鍬を振りかぶる。すると、足音が聞こえてきた。
「屍一人を隠すのに一人は辛いだろう?」
龍兵衛は聞き慣れた声に落ち着きを保ったまま振り返ると想像した声の主以外にもう一人立っていた。
「綱元殿、景綱殿」
「謙信様にばれる前に私達にばれては言い逃れ出来まい」
「冗談は表情だけにして欲しいですね」
見られたことに焦りも見せず、龍兵衛は手伝って欲しいとお願いするが、景綱が女子に力仕事をさせる気かと渋る。
「手伝わないなら、少し考えがありますよ? 誰が被害に遭うことやら……」
龍兵衛が笑みを浮かべて言うと二人共、仕方ないから手伝うと言って肩をすくめた。
三人は間者の埋葬を手伝い終えると共に帰路につく。すっかり夕日が眩しくなってしまい、景綱と綱元は予定よりも遅くなってしまった。先程、龍兵衛の行動を見たのは本当に偶然だった。たまには春日山城下町を見てみようかという話になって辺りを歩いていたら龍兵衛が農民と争い、斬り捨てるところを目撃した。
事情は源造を埋めているのを手伝っている間に詳しく聞いたので景綱も綱元も龍兵衛を責めない。綱元にとってあのように殺した間者を埋めるようなことは初めてであったが、ある意味、新鮮なことだった。もう二度とやりたくないがと後付けして。
「あの間者は一向一揆の手の者だと言っていたな」
「ええ」
「また戦になるのか?」
「さぁ。自分には何とも……」
「知らんと言う気か?」
景綱の言葉に龍兵衛は足を止めた。綱元も景綱より一歩遅れて立ち止まり、二人を見る。龍兵衛は口元だけを歪ませ、真剣な表情の景綱を煙に巻こうとしている。
「まぁ、謙信様のお決めになることですから」
「伝えるのは河田、お前の役目だ。どのように伝えるかで動きが決まる。違うか?」
喧嘩をふっかけるような物言いにも龍兵衛は平然と、否、わざとらしく困ったと苦笑いを浮かべている。
「いけませんか?」
綱元は驚きのあまり軽く息を呑んだ。龍兵衛の表情は今まで見たことも無い程、黒さを滲み出し、般若でも適わないと思える。綱元の背筋は冬の北風を受けたように凍った。
また、景綱が何事も無いように龍兵衛と相対していることも綱元を驚かせた。家の闇を司る軍師同士とはいえ、このような表情を見てこなければならないのだろうか。
「いや。構わないだろう」
綱元の思いなどまるで目にないように景綱と龍兵衛は話を続けている。綱元は軍師の領分にわざわざ足を突っ込むこともないと傍観の姿勢を取る。
「出陣はいつになる?」
「おそらく、来年の春を過ぎてからか、早ければ今年の秋になるかも」
「えっ!?」
思わず綱元は声を出してしまった。もちろん龍兵衛と景綱にも気付かれ、目を見開かれた。
「どうした?」
「だって、重要なことを簡単に……」
「もちろん、自分も普通なら言いませんよ。今、言われて困るのが上杉ではないから言っているのです」
「……あ」
含みのある龍兵衛の口調に綱元は何となくだが、事を察した。諸大名は関東遠征で財政が揺れている。そこに次の戦がくれば再び諸大名は資金繰りに走らなければならない。もちろん、上杉も例外ではないが、様々な財源を持っている上杉はかなりの金銀が倉庫に眠っている。これを諸大名に配ることで上杉が得るのは貸しである。武人の恩義を重んじる心に付け込む形になるが、仕方ないことだ。さらに勘ぐれば諸大名は早めに上杉に借金をしなければならなくなる。上杉に従属している以上、どれほどの忠誠心があるのか試し、早い程、功を立てた際の餌にありつけやすくする。
謙信にそのような気が無いとしても目の前に龍兵衛など頭の回る者達はそう考えている。たった今、伊達の重臣であるという自負がある二人の前で言ったのは脅しなのかもしれない。上杉に本気で従い続ける気ならすぐにでも借金をしろと。
伊達側として決してそのような思惑には簡単に乗れる筈が無い。一方で、打開する何かがある訳でもない。黙る綱元の隣で景綱はふっと鼻で息を吐く。
「わざわざ謙信様が仰る前に言わずとも良かったのでは?」
「こちらとしても伊達殿には今後も活躍して頂きたいので、よろしくお願い致します」
用事を思い出したと言って店に入って行った龍兵衛の背中を眺めながら綱元は今の言葉が本当なのか気になった。
一つだけ分かっているのは敵として倒すべき一向一揆を早く討ちたいと上杉の上層部が思っていることだけだった。やはり上洛帰りのことで抱いた怒りを鎮める為には根を絶つしかないのだろう。龍兵衛の目が一向一揆のことを言っている時、怒りをはっきりと表している。綱元は溜め息を零さないように口を噤んだ。