上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百五十八話 見せたくない

 上杉の目の上のたんこぶと言える武田と一向一揆の存在。二つの勢力は上杉という共通の敵の利害が一致して協力関係にある。上杉にとってかれらが共に動くことが一番厄介なのだが、今まで一度も無い。ただ、時が噛み合わなかっただけなのか、互いに互いを警戒して動きたくないだけなのか。

 上杉にとっては幸いなことだが、いい加減に討伐しなければ今後の関東遠征にも障害がある。冬の関東遠征も二つの勢力に背後を突かれないようにと余剰の兵を越後に残さなければならなかった。

 

「そうか。左様なことが」

「はい。既に間者が春日山にも多くおります。このままでは我らだけでなく民にも手を出すことも考えられるかと」

 

 部屋の中に気まずい雰囲気が流れ、静まり返った。龍兵衛が農村から戻り、真っ直ぐに謙信の下を訪れたところ、景勝と兼続がいた。颯馬でなくて良かったと密かに安心しながら龍兵衛は謙信に先程あったことを死体を埋めたのは除いて包み隠さずに報告した。

 怒りによって訪れた沈黙は誰にも破れることが出来ない。謙信の言葉を待つ三人の表情は自ずと固まる。

 

「……一向一揆を討つのは武田を叩いてからと思っていたのだがな」

 

 謙信の言わんとすることを三人はすぐに悟った。否定する者はいない。国全体に負担が大きくなるのは分かっている。だが、内憂が徐々に解決されている今、外患を減らしていかなければならない。

 龍兵衛が景綱と綱元に言った諸大名のことも間違いではないが、早々に倒しておくべき相手であるとの認識の方が強い。織田が毛利との戦に勝利し、本願寺をほぼ完全に孤立させた。諦めの悪い本願寺は未だに抗うつもりだろうが、そろそろ潮時だろう。しかし、毛利が頼れなくなれば次を頼れば良いと思っている筈だ。

 本願寺の次の頼る相手は間違いなく上杉である。その際に邪魔になるのは武田と一向一揆。本願寺と一向一揆は繋がっているとはいえあくまでも表向きにしかすぎない。上杉が一向一揆を攻めれば本願寺は傍観し、こちらを攻めるようなことをしないだろう。

 

「以前とは状況が変わったが為に、か」

「はい。本願寺は味方を斬り捨ててでも新しく強力な味方を欲しています」

「だが、これまで敵対を続けていた我らと簡単に手を組むだろうか?」

 

 兼続が話に入ってくる。龍兵衛は小さくはっきりと頷いた。

 

「本願寺は今、獅子に追い込まれた犬も当然。力になれる仲間を大勢欲しいところです」

「……まさか」

 

 景勝が驚き、謙信と兼続の顔に怒りの感情が滲み出たのはほぼ同時だった。

 

「ええ、本願寺は我らと一向一揆に共に織田と戦うようにと提案してくるでしょう」

 

 兼続が勢い良く立ち上がりかけた。だが、謙信と景勝の面前であるという理性が働いたのかすぐに謝罪しながら大人しくなる。

 

「本願寺は我らの関係を把握しているだろう。幕府に送った弾劾状の返事も返ってこない。おそらくは本願寺が影で働いている。それでも尚、我らの手を取り合わせようとするのか?」

「本願寺は必死です。比叡山のように歴史を焼却されるのではと恐れています」

 

 なりふり構っていられないということだ。しかし、滅ぼされようがされまいが本願寺の勝手である。上杉にとって本願寺の救援要請は上洛する為の良い口実になるが、背後に武田の存在がある以上、全勢力をとはいかない。東北の諸大名を使う手もあるが、上杉よりも京への道は遠い。行くのであれば全てが整った段階でだろう。

 

「本願寺から使者が来るのはいつ頃だと思う?」

「遅くとも一ヶ月以内に」

「我らは関東から戻ったばかりのことも構わずか」

「本願寺もそのことは折り込み済みでしょう。おそらく手を打ってくるかと」

「何だ?」

 

 龍兵衛に三人の視線が集まる。少し動揺している心を落ち着かせるように一つ息を吐くとはっきりとした口調で言った。

 

「朝廷、もしくは京より追放された義昭様を使い、へりくだってくるかと」

「あざとい……」

 

 兼続から不満が零れるのも無理ない。高位な者が向こうからわざわざ頭を下げてくるのだから織田と対立している勢力が答えない訳にはいかない。

 

「ん……」

 

 景勝が挙手をして発言したいと示す。

 

「どうした?」

「本願寺、上杉、追い詰めた。割、合わない」

「それにはおそらく土産を持ってくるでしょう」

「何だ?」

 

 兼続が少し身を乗り出した。謙信と景勝も固唾を呑んで龍兵衛の言葉を待つ。

 

「金でしょう」

「財政が良くないと思っているのか」

「確かに戦で苦しいですが、蓄えているものから引き出せばどうとでもなるでしょう」

「(うんうん)」

 

 上杉は倹約的な面が強い為、なるべく蓄えには手を出さないようにして集める税で賄おうとしている。その為、苦しそうに見えるが、実際には交易や鉱山から得たものの蓄えを引き出せば十分に戦費を賄える。本願寺からの金は有り難いが、諸手を挙げて万々歳という程ではない。 

 

「まぁ、蓄えのことは我々でも限られた者が知ることですから。しかし、上杉と本願寺の間に軋轢があることを織田が知らないとは思えません」

「織田からも使者が来ると?」

「一向一揆と本願寺。利害は一致します」

 

 本願寺と戦うとなれば織田の背後には一向一揆がいる。軍事力を考えれば兵を二つに分けても良い。しかし、本願寺に引導を渡したいであろう信長はすぐにでも全兵力を注ぎ込みたいはずだ。なるべく被害も少ない方が良い。

 

「織田からの使者と本願寺からの使者。どちらに如何様な対応をすべきか」

「二つの誘いに乗っておくのは如何でしょう? 一向一揆を討つことは決まっております。本願寺には見返りとして邪魔する勢力を討っても構わないと言えば良く、織田にはそのまま承諾したと言えば良いのでは」

 

 どちらにしても損が大きいのは本願寺である。一向一揆の力が消えるか本拠地が消えるかのどちらかなのだから。

 兼続の考えに謙信は承諾したと頷き、さらに問い掛ける。

 

「武田と一向一揆、どちらとも倒さねばならない。織田が本願寺を倒せば一向一揆も力が弱まる。しかし、越後の民の中に一向一揆の者が紛れているとなれば話は別か」

 

 謙信をおとがいに手を当て考える素振りを見せると部屋中に響く声を発する。

 

「出陣は秋だ」

 

 三人が謙信の言葉に驚いて顔を上げたのは同時だった。

 

「何事も先手を打つことが必要だ。すぐにでも出陣したいところだが、関東より戻ったばかりの我らでは疲れも溜まっている。秋の収穫を待ってから一向一揆と武田に引導を渡す」

「お待ち下さい。武田と一向一揆を同時に討つことに異論はありませぬ。しかし、秋の収穫を待ってからではまた冬の出陣となり士気も高まらないのでは?」

「いや、一向一揆は本願寺が織田に苦戦している今こそ叩いておくべきだろう」

 

 謙信の決断力は高い。一度はっきり決めたことには頭の固い老人のように頑固になる。 

 

「武田は私自ら引導を渡す。景勝、一向一揆に関しては任せる。龍兵衛と兼続は景勝のことを頼む」

 

 景勝と兼続は驚いて龍兵衛を見る。龍兵衛もまたどうして自分が出陣するのかと謙信に向けて目を見開く。

 仕事が増えるのは自ずと様々なことに気が回らなくなる。謙信からの命を受けた以上、優先すべきことは武田に対する戦略。農業の改革に時間を割きたい龍兵衛にとって簡単に首を縦に振れることではない。ただでさえ新しいことに手を出しているのだ。どれほどの成果が出るのか逐一見たいという願望もある。さらに言えば出陣の時期が秋以降になると収穫の結果を見たり、村長と交わした約束を自分が果たせなくなる可能性が極めて高い。龍兵衛の思いを察したのか謙信の表情がますます真剣なものになる。

 

「農産物に関して見ておきたいのは分かる。しかし、お前が行かなければ他にいない」

「兼続がいるではありませんか」

「兼続には前線の指揮を任せる。お前には制圧した城下の整備などをしてもらいたい」

 

 負担の軽減だと何となく納得したが、龍兵衛は完全に謙信の言葉を鵜呑みにした訳ではない。

 

「自分が行っている農業の政策は?」

「皆には伝えているのだろう? なら問題はあるまい」

 

 謙信は楽天的だが、龍兵衛は慣れないことを人任せにして失敗することを一番恐れている。ましてや相手は農家。かれらの生活がかかっている以上、適当な方法の教授で終わることなど出来ない。殊更、初めて取り扱う品種だというのに教えただけで気が済む筈もない。

 失敗すれば龍兵衛も村も苦しい立場になる。それがいなかった為に出来ませんでしたでは言い訳だと一蹴されるのがおちだ。心の広い謙信なら仕方ないと許すだろうが、外様である龍兵衛のことを快く思っていない者達はどうだろうか。これまでも失脚の話が水面下で何度か上がっていると景勝や兼続、颯馬達から散々聞かされている。

 言い出したのだから最後まで責任を持てと言われるのは明らかだし、龍兵衛もそのつもりだ。だからこそ龍兵衛は保身の為、動かなければならない。

 農民達には口だけで教えただけで実際に農法を手で行った訳ではない。経験が何よりもの糧となる農業で何となくというのは危険だ。逆に上手く行くかもしれないが、失敗した時の危険性を考えると最初は教科書通りにしたい。

 

「もちろんお前がそちらに集中したい理由も分かる。何だったら兼続に任せられるものは全て任せても良い。な?」

「えっ、ええ……って、謙信様!?」

 

 龍兵衛の心情を考えると場違いな冗談だが、ここは乗っておいた方が良い。龍兵衛は口元をぎこちなく緩ませて承知したと頭を下げる。兼続があれこれ文句を言っているが、気にしない。それよりもどうして自分は政策の過程を踏んでいる時も戦場に駆り出されなければならないのか。理由が龍兵衛には分からない。

 ただ単に農家の人々と土いじりをしたいという願望が無い訳でもない。もちろん龍兵衛の最も望むのは越後の農業生産量が上がり、鉱山や交易以外にも農業面でも一大大国にすることだ。

 他国に売り込むことで高い利益を見込める農作物や長続きする乾物の輸出は戦が続く日の本ではどこにでも高く売れる。代わりに得る各地の特産品を上杉のお墨付きを与えて国内での売買もさらに活性化するように仕向ける。

 最終的に大金を得るのは税を取る立場にある上杉家となる訳だが、商業と農業で生きる人々の間での分け前を明確にしなければ不満が出るのは必至だ。

 

「政策のことは実及に任せても良い。何だったら投げても良いぞ?」

「いえ、さすがにそれは……」

「だ、そうだぞ?」

 

 謙信は残念そうな表情で兼続を見る。しまったと思った時には龍兵衛の隣にいる兼続は口元の両端を吊り上げていた。

 

「はぁ、仕方ありませんね……龍兵衛の代わりに精々励むことに致します」

 

 これで龍兵衛は兼続に二人分の仕事を任せることになった。

 

「はぁ……」 

 

 言ってしまった失言を取り返すことは謙信の下で兼続も便乗した以上出来ない。兼続のことだから見返りとして仕事を手伝ってもらうか、京や南蛮の高い菓子を買ってくるように要求してくるだろう。こういう時に慶次のような逃げ足が欲しいと思う。

 

「謙信様、少々曲解が過ぎるのでは?」

 

 これぐらいの恨み言は許される筈だ。

 

「いや、私は素直にお前の言を受けただけだ」

 

 ここぞとばかりに謙信は切り札を出してくる。龍兵衛は反論を見つけることも出来ずに「申し訳ありません」と頭を下げるしかない。気まずくなった龍兵衛は話題を強引に変えてみる。

 

「それで、本庄殿は何処に?」

「今は新発田にいる。戻るのは三日後だな」

 

 受け継ぎが出来ない以上、龍兵衛は自分の立てた政策を三日間は行わなければならない。逆に言えば自分の言いたいことを三日間は出来るということだ。本庄実及とは政策についての助言を貰うくらいであまり話したことが無い。定満亡き後の上杉の家臣を一手にまとめている彼女は兼続さえも話すことが憚られる存在。対等に話せるのは斎藤や弥太郎あたりだろう。

 憂鬱だが、色々と立て込むことになりそうな今、頼れるのは実及しかいない。

 

「本庄殿に政策の子細を話次第一向一揆に対する戦略を練ると致します」

 

 頭をかきたい気持ちを押さえて龍兵衛は頭を下げる。だが、謙信はそれだけで終わらせてくれなかった。

 

「これから春日山の城下に何か不穏な動きがあれば逐一報告してくれ。もし危険だと判断すれば任せる」

 

 城下町に間者が紛れていると知られれば面倒なことになる。せっかくの活気が損なわれ、疑心暗鬼の中で商売を行わなければならない。それに乗じて間者達も何か動きをみせる可能性も高い。

 それらを全て総括するのは当然ながら難しいことだ。ほとんど丸投げにしていても何も起きなかったのは国内のことを監視する軒猿の成果であるが、事件が起きた以上、いざという時にしか腰を上げなかった龍兵衛も全面的に城下町を見て行くしかない。

 先の一件は村に騒ぎを起こした非礼を詫び、決して口外しないようにと頼み込んだ。農村だったから良かったものの城下町となると話は変わってくる。

 

「もちろん、お前の仕事が増えることも分かっている……景勝、お前も手伝え」

「……!」

 

 龍兵衛は兼続と共に顔を見合わせ、景勝と謙信を見比べる。景勝は目が点になっていて、どうして自分が手伝うのだという疑問を顔で言っている。謙信は表情自体穏やかだが、目は真剣で本気だということがはっきり分かる。

 

「景勝はいずれ少なからず越後や東北を治める。様々なことを見て学ぶべきだ」

 

 龍兵衛は景勝と謙信の間に見えない壁が張られている気がした。兼続は少し落ち着かない様子で言葉を発そうか迷っている。

 

「龍兵衛」

「はっ」

「後で景勝をお前の部屋に寄越す。物事は様々な色をしている。それを景勝に見せてくれ」

 

 すぐに返答したかったが、龍兵衛は唇の乾きを癒やす為に口の中に含んで唾を付けなければならなかった。

 

「……御意。では、自分は支度に取り掛かります」

 

 立ち上がり、部屋を出る際に謙信へと頭を下げる。不安な表情をする景勝と同情的な視線を送る兼続の目が痛かった。

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